二十二歳の別れ


神隼人は男女関係なく異様に人気がある。
見た目が良くて頭が切れて運動神経がずばぬけていて統率力があっていかなる時にも冷静でとくれば当然のことであろう。
勿論、神隼人が単なるかっちょいい2号機パイロットなんて生易しいもんじゃない、ということは、ここの研究所にいる人間は誰でも知っているが、逆に『ここでどのくらいの期間か生き残って働いている人間』にとっては、ちょっと(かなり)アブナいくらいが、普通なのである。
少なくとも、神さんてかっこいいッスよね、とか言っているやつに、『神隼人がここに来るまでにやらかしていたことについてどう思うか』と尋ねても、『俺がその場にいても、神さんに都合よく利用された手下その一だっただろうなあ』と答えるであろう。皆、その程度の認識はできているという、とんでもない職場なのであった。
で、今の神隼人が彼らに対してどうするかというと、真面目な質問であればきちんと受け答えしてやるし、意外にも、冗談を言えば(センスのいいものであれば)笑う。センスが悪くても別に顔の皮をはがしたり耳を削いだりはしない。とにかく形而上的なことから下品なネタまでなんでも知っているので、話していて勉強になるし楽しいしとにかくかっこいいし、というわけでとにかく新人君は軒並み神隼人のファンになる。
「神さんみたいになりたい」と思うヤツはいない。なれる訳がないからだ。「神さんの役に立ちたい」もう一歩図々しく「神さんに信頼されたい」ちょっと歪んで「神さんに使い勝手のいいやつだと思われたい」の辺りで皆うろうろしている。
完全に変形しちゃった方向で、「神さんに叱られたい」というのもいる。今では穏やかな顔に狂気を隠蔽しているけれども、あのクールビューティな顔に侮蔑と嘲笑を浮かべて相手の馬鹿さ加減をなじるところなど、サディスティックな魅力満載だ。M山M夫(仮名)ならもうめろめろだ。「ああ…どうにでもしてください」である。
だが、実際に『神隼人に視線や言葉や態度でイジメつけられる』対象になっているのは実は少なくて、今現在は同じゲットマシンに乗る男二人くらいであった。そして、それは、とてもとても憧れるようなものではなかった。
3号機の方はまだ「いいからオナカ一杯食べてろ」的ないなされ方をすることもあるが(それはそれである意味キツイのだが)1号機の方は容赦なく厳しい扱いだ。泣くんじゃないかと思うようなことを言う。そしてまた、言われる側が、大人しく泣き出すようなタマではない。口も悪けりゃ手癖も悪く、じき口が追いつかなくなると手が出る。そのまま殴り合いに移行することもある。端から見ているとヒヤヒヤを通り越してぞっとする。通常の格闘技術の演習の時も、この人たち本当に憎みあってるんじゃないですか?と思うような遠慮のカケラもない、血を血で洗うような激闘が繰り広げられる。
それで、戦闘時の息はピッタリという、いっそ不気味な関係なのだった。とてものこと、まともな人間関係ではない。
初めて、『ゲッターチームの罵り合い』を目撃した時には、新入りは皆顔を引きつらせて、この男たちにチームを組ませた男の顔を盗み見るのであった。
…こんなんで、日本の未来は、だいじょーぶなんですか博士。

「どこかの馬鹿のせいで死にかけたぜ。死ぬんなら一人で逝って欲しいもんだな」
「てめぇの腕が俺に追いついてねぇんだろ?寝言はあの世で言え」
「ほぉ。俺の腕がお前に、ね。のこのこと敵の射程距離に入っていくのがウデというんなら、ウデなんだろうな」
これ以上ありませんという冷たい笑い。見ているだけで凍る。人間フリーザーだ。
「ちょっとちょっとどけ。通してくれ。俺はハラが減った」
3号機の男は間に割って入り、二人の舌戦がまるでTVのCMであるかのように無視して、どすどすと食堂の方へ行ってしまった。今日は本気でハラが減っていて(いつも減っているのだが)罵倒合戦まで体力が残っていなかったらしい。
「なんだてめぇその言い草は。あいっかわらずヘビみてぇな性格してやがるな。ヘビに悪いぜ。言いたいことがあるならはっきり言え、クソバカ野郎」
「そうか?じゃあ言うか。貴様一人の命なんざどうでもいいんだが、ゲットマシンが壊れるのは御免だからな。それだけ、その覚えの悪いおつむに叩き込んでおけ」
オデコをぐりぐりとやる指を払いのけて、
「お前が敵にふんづけられたら大声で笑ってやる」
ふんとそっぽをむいて、立ち去ろうとした。と、目下神さんに目がハートの新人君が、お疲れさまでした!と叫んで駆け寄るとタオルを差し出した。もちろん隼人だけに。
「ああ…ありがとう」
さっきまでの底意地の悪さはどこへやら、あっさり言って受け取ると汗を拭いた。新人君は身をよじって嬉しそうだ。
(なんだこいつ。お疲れなのはクソ隼人だけじゃねえんだよ。犬みたいにほへほへ寄っていきやがって)
なんだかやけに気にいらなくて、にらみつけてから、
「おい。持ち場に戻れよ。お前タオル渡し係じゃねーんだろうが」
かみついた。新人は『野蛮で狂暴な1号機パイロットのナガレさん』に怒鳴られた恐怖でどこもかしこもちぢみあがったが、そのさなかでもしょうもないことに気づいて、
「えっ?タオル渡し係ってあるんですか?だったらボク、ぜひ神さんの」
「馬鹿か手前!殴るぞ!」
新人はひぃっと叫んで隼人の後ろに隠れた。隼人は背中にはりついた新人をちらりと見てから、
「いいからもう許してやれ。お前が誰かを馬鹿呼ばわりするのは、かなり身の程知らずだ」
「うるせぇえ!ひとのこと言えるか。お前のファンなんざヘナチンで馬鹿でカスだ!ぺっぺっ」
隼人がこのスカタンを庇ってやるのがムカついてしょうがないのだが、無理に振り切ると、今度こそ背をむける。
なんだ、こんな奴には優しい顔しやがって。てめーの優しさなんざ底が割れてんだ!俺はちゃんと知ってるんだからな。キ印め。
しかし、なんでこうも頭に来るのか、自分でもちょっと変だと思う。他のことではこんなにワヤにならないのに。しかしいくら考えても、原因も解決策も見つからないので、ぶんぶんぶんと頭を振ってなんとか気をしずめた。
後ろで、ボクなにかナガレさんに悪いことしたんですかぁ、とやってる声を聞いていると怒りが再燃しそうだ。忙しく立ち働く所員の動きを眺めてから、ゲットマシンの調整に勤しむイーグル担当の側に行って、
「どうだ。今日はどっこも壊さなかったぜ」
竜馬より一つ二つ歳上の所員は、更に子供っぽく威張る相手に、つい笑ってしまいながら、
「はいはい。ありがとうございます」
「なんだよ、ガキみたいに誉めやがって。いつも『ゲットマシンが可哀相です』だの『乗り方が荒い』だのって文句を言うから、一応は気にしてんだぜ」
「わかってますって。こっちで見ててもわかりましたよ」
「えー?ホントかよ」
懐疑的な相手に、こちらも胸を張って、
「本当ですよ。俺リョウさんの気分は、イーグルの乗り方で全部わかりますよ。イライラしてるとか焦ってるとか。まあ、最初はいつも余裕かましてて敵にぴしゃんとやられて、焦り出すんですけどね。あははは」
最初の方は感心した顔で聞いていた竜馬だが、途中で「ん?」という顔、最後はかんかんになって、
「なんだよそれ!馬鹿にすんな!この」
かみついて相手の胸をどすんと突いた。相手はげほげほ咳をしながらまだ笑っている。それを見て、竜馬もしょっぱい顔で笑ってから、ちょっと首をかしげて考えてみて、
「まー確かに、そういう時もあるかもな。俺は大人だからちゃんと認める」
「そういう時って…いつも、じゃないんですか?」
別の所員がチェックシートを持ってやってきて、そう言った。そうそう、ともう一人も相づちを打つ。
「ちくしょう、からかうな!」
ぼすんぼすんと二人を殴った。今度は二人で咳込み、一人は手摺に縋って嘔吐感と戦いながら笑っている。ハードである。
「す、すみません。嘘です、」
「ホントか」
「ホントです」
やっぱりホントなんじゃねえか、と一休さんのへ理屈とんちみたいなことを言って更に殴り掛かる。それを笑いながら避けようとした所員は、ふと刺すような視線を感じて、注意がそっちに逸れたため、竜馬のコブシをまともにくらってふっとんだ。
「わあっ!悪い、大丈夫か?よけると思ってつい…しっかりしろ」
竜馬が騒ぎながら床に伸びている所員を抱き起こす。とびそうな意識をなんとか手繰り寄せながら、らいりょうぶれす、と返事をするが、かなり大丈夫ではない。他の所員も呆れ顔で近づいてきて、
「ちょっと、眉間が広くなった感があるな」
「イーグルの整備はこっちでやっとくから、お前寝てろ。リョウさんにまともに殴られたらその日は仕事にならないだろう」
「ふみまへん」
「いや、俺が悪い」
竜馬が案外に心からすまなそうにしている。自分の拳が凶器だという自覚はちゃんとあるらしい。その様子が、彼が所持する破壊力と引き比べるとなんとも可愛らしいと、精神的にも肉体的にも日本一タフなサラリーマンたちは微笑んで思った。
「俺が医務室まで連れてってやる。おぶされ」
「いいれふ。あるけまふ」
「いいからおぶされって。ぐずぐずしてるとまた殴るぞ」
「それはゴメンれふ」
素直におぶさった。皆笑っている。よいしょ、と揺すり上げて、
「ものがちゃんと見えるか?」
「…ややぶれてまふ」
素直に答えてしまい、竜馬はもっと済まなそうな顔になった。ゴメンなひゃい、へいきれふよ、と言いながら、
所員は、かすむ視界のいずこかから、いよいよ、突き刺すようなえぐり込むような視線が、自分に向かって放たれているのを感じた。
(誰だろう。ひょっとして敵が化けているんだろうか。ないとも限らない。過去において何度かあったんだし)
所員は騒ぐのはまずいと思って、せめてこの人だけにでも伝えておこうと、自分がおぶさっている男の耳元に口を寄せて、
「リョウさん」
ささやいた。ん?と応じて、竜馬は振り返り、すぐそばに顔を近づけていた男に、更に顔を近づけて、
「なんだ?」
尋ね返した途端。
どかん、とものすごい音がして、皆飛び上がった。見ると、どうしたことか、もう整備が済んでいたジャガー号の外装がへこんでいる。
「うわ、なんだ!」
「敵か!?」
皆いっせいに騒いでうろうろするが、敵の姿はないし、お互いの顔を「こいつトカゲか」という顔でにらみ合い、こういう時のために常日頃取り決めてある合言葉を言い合い、(「ボインちゃんが」「好きなんでね」等)誰も正体をあらわさないので仕方なく持ち場に戻った。担当の数人がジャガーを調べて、
「何がぶつかったんだろう」
「相当な重量のものをぶつけないとこんなにはへこみませんよ」
ぼそぼそ話し合っている。
一人が、神さんラブの新人君を振り返って、
「お前なんか見たか?」
「いいえー」
新人君はさっきまで隼人にくにゃくにゃと話し掛けていた。隼人はごく普通の態度で会話の相手をしてくれた。時折視線がどこぞへ行くのだが、「視線をさまよわせる神さんもステキ」とばかりにくねっていた新人君は別になんだろう?とは思わなかった。それにあの視線を至近距離からまともに浴びたらもう堪えられないかも知れないし(何にだ?)。で、ベアー担当者から呼ばれて、はいと返事をし、神隼人に失礼しますと言って…数歩、駆けた。
その瞬間背後から大音響がして、…振り向いたらジャガーがへこんでいて、皆大騒ぎして。で、
神隼人が背を向けて、格納庫の出口へすたすたと歩み去る姿を新人君は見た。広い背に、研究所の中でも一番か二番に高い上背、漆黒のパイロットスーツがこれだけ似合う男はいないだろう。はう〜。
実際新人君が見たのはそれだけだった。

「ちゃんと見えるようになったか?」
まだ不安げに尋ねられて、所員は笑いながら、
「だいじょぶ、ですよ。アゴが、ちょと、ぐらぐらしてるだけ、ですから」
ゆっくり、頑張って喋っている。医務室の担当医はでかいバンソウコウでテーピングしてやりながら、
「ちっとは気をつけて下さいよリョウさん」
むすぅ、とするが自分でもわかっているので、大人しくうなずく。所員は話題を変えようと、
「ところで、もうすぐ、ぼーねんかいですねえ。楽しみだなあ」
「今年はどこに行くんだっけ?」
竜馬が尋ねる。医師が記憶をたどりながら、
「あっと、確か、予約とるの忘れてたから、浅間山の山頂のロッジに泊まってスキーだとか何だとか聞いたけど」
「かぁ。しょぼいな」
片手で顔を覆ってがっくり、ため息をついた。所員は手を振って、
「えー、いいじゃ、ないですか。スキーもできるし。スキー大スキー、なんちゃって」
「お前、そんなくだらねえ冗談言ったら、隼人の野郎に思いっきり馬鹿にされるぞ」
「えっ、そうですか?」
所員は首を傾げ、
「まえに、新人たちが、神さんにむらがってた時、『ハヤトさんて、速いとー』とか、しょうもないこと、いわれてたけど、わらって、ましたよ。まあ、いちおうって、かんじだったけど」
「あいつはソトヅラがいいんだよ。新人相手にそとづらよくしてどーするってんだ。俺に対してはクソミソどころか失敗作の料理みたいに言い放題のくせによ。冗談抜きで一回死んでこいって言うんだぞ。てめえが死ね」
吐き捨てるような言い方に、所員と医師はぷっと笑った。
「なんだよ」
「すみません」
所員は謝ってからまたちょっと笑って、
「さすが、ゲッターチームだなあと思って」
「なんだと?」
「神さんが、そんなふうに、ヘンに、コドモっぽく、テッテ的にするの、リョウさんくらい、ですからね」
「そうされて、ぶつぶつ文句言う程度で済ませてしまえるのも、リョウさんくらいだからな」
「そうそう」
二人は顔を見合わせ、うなずきあって、
「なんだかんだいって、いいカンケイ…」
言いかけたところに、大音響でかみつかれる。
「ふざけんな!俺はあんなキザったらしくてひとをコケにしやがる陰険なねちっこい奴は、大嫌いなんだぁ!」
「ご、ごめんなさい!」
慌てて早口で謝ってしまい、顎に激痛が走り、所員は無口になりうつむいた。竜馬はぷんすかと腹を立てながら、出て行ってしまった。なにがゲッターチームだ、冗談じゃねえぞ!仕方なくあわせてやってる俺の身にもなってみろ。ぶつぶつ。
しかしその言い草は、残された二人には失笑をおこさせるものだった。
「あわせてやってる、だって」
「しっ、大声を出すと戻ってきますよ」
二人は自分の口を自分の手でふさいで、黙った。
顔を倍くらいにふくらまして歩いている竜馬が、ふと廊下の行く手を見ると、隼人に、さっきとは別の新人君がなにやら質問して、それに答えてやっていた。今度の新人君はミーハータイプではなく、メガネ君タイプのようだ。もやし君タイプとも言うが。
近づくにつれ、隼人が真面目な顔と真面目な口調でプラズマボムスがどうとか、喋っているのが聞こえてくる。メガネ君は青白い顔を紅潮させ、熱心にうなずいている。
…何いってんだかさっぱりわかんねえ。
そう思った時、メガネ君が目を輝かせて、
「ああ、なるほど!ようやくわかりました!ありがとうございます」
「今の話でわかったのか。さすがだな」
「いえ、神さんの説明がとてもわかりやすかったからです。今の説明でわからない人間はいませんよ」
殴ってやろうかと一瞬本気で考えた。
が…ぷらぷらになったこのもやし野郎を医務室へ連れて行ったら、さっきの二人が居て「また殴ったんですか」「真面目に、学習能力がないですね」と言われるであろう、と思って、死に物狂いでブレーキをかけた。
耳から白煙を噴きそうな様子で、自分の横を通り過ぎる竜馬に、隼人はふと目をやって、
「おい」
返事なんかしてやらねえ、と竜馬は思った。その代わりなんかこう、ぐさっとくるようなことを言ってやろうと口を開いた。それは返事になるのではないのか、とは気づかなかった。
だが、それより先にメガネ君が、
「すみません神さん、他にもあと二つばかり。いいですか?あの」
喋りだした。二人は一瞬、皮肉とあてこすりとバカにする言葉の応酬、のタイミングを失って、口をぱくぱくさせ、お互いの間の悪い顔を見合ってから、
竜馬はぷいと背を向けて行ってしまい、その背を少しの間隼人が見送る形になった。そうしながら、
二人とも、なんとなく、口寂しい、みたいな気分になった。

白銀が招いている。
「どけどけどけ!ヘタクソはあっち行ってろ。ひき殺すぞ!」
わめきながらてっぺんから降りてくる迷惑なスキーヤーを遠くに眺めてから、
「スキー場にはけんちん汁を用意すべし、って規則があるのかな。いい規則だな」
3号機の男はロッジで5杯目のけんちん汁を平らげた。
竜馬が板をはいたままどすどすとリフト乗り場まで戻ってゆく途中、ふと見ると、やはり隼人のまわりには人が集まって、教えて下さいだとか愛用の板って何ですかとかわやわや言っている。
「てめーら、そんなやつじゃなくて俺についてくりゃ一日でプロになれるぜ」
一同は不安げに笑った。全員同じ表情なのが不気味だった。一人が代表で、
「プロになる前に、再起不能になりそうなので」
残りがいっせいにうなづいた。隼人がひとりでにやにやしている。
「ふん。ひ弱な奴らめ。バカ」
ほとんど小学生だ。
ぶりぶり怒りながらリフトで上がって行く竜馬を皆ほっとした顔で見送る。無理やり連れていかれて、テッペンから「体で覚えろ」なんて背中を押されるのは真っ平だ。
「でも、リョウさんて上手ですよね」
一人が言うと、他の連中もそれには同意して、
「本当にプロ並ですよ。インストラクターには向かないと思うけど」
「どこで習ったんだろう。リョウさんて空手しかやってなかったんじゃないんですか?」
聞かれて、隼人は、
「スキーをやったことはないだろう。ここに来て、冬に一回二回こういう機会が出来て、初めてやったみたいだな」
「ええ?じゃあ」
「あれって…全部、運動神経と体力でまかなってるんですか?」
「誰かに教えてもらったりしてないんですか?」
まかなってるはよかったな、と隼人は笑った。
「あいつが『誰かに習う』てのに向いてる訳がない。それこそ、体で覚えたんだろう」
「人間ばなれしてますよ」
タオルを差し出していた新人君がため息をつき、
「やっぱり、普通の人とはどこか違うんですね」
と、お客さん揺らさないで、とリフト係がわめいた。見ると竜馬が足をぶんぶん降りながら口笛を吹いていた。機嫌はもう直ったらしい。皆いっせいに笑ってしまい、竜馬がこっちを見下ろした。

夕食が終わって、博士たち年長者はすでに諦めているらしく、一足先に自分らの部屋へ引き上げてしまった。
「よし!これで飲み放題タイムだ!酒よこせ酒」
3号機の男が大喜びしたのがきっかけで、それから以後は大騒ぎになった。常日頃ゲッター線を浴びているせいか、皆タガが外れるととめどがなくなる。
「お前だいたいナマイキなんだよ」
「なにを。お前こそテーノーのくせにえばってんじゃねえよ」
ここぞとばかりに日頃の鬱憤を晴らして、ついでに互いの顔も腫らしている連中もいるが、誰も止めない。
「別にね、実験で三日間徹夜なんて、全然辛くありません。ぼかぁね、ああいう下品な奴らと同じ部屋で苦労するのがイヤなんですよ。大体ね、ぼかぁ出るところに出ればそれなりの」
ぐじぐじ愚痴っている青ひょろいメガネ君2号もいたが、
「ほう。じゃあ出るところに出ようじゃないかよ」
「下品な奴らで悪かったな」
「きゃーっ」
どこかに連れて行かれた。二度と戻ってこないだろう。
「さあっ歌うわよ!マイクどこ!」
博士の娘が叫んだ。妙に薄っぺらいカラオケ一覧をめくって、
「ええ、なにこれ。全然入ってないじゃない。…LD!?ウソ」
ぶうぶう言いながらページを繰るが、なかなか手が止まらない。
「なんか違うわねえ。演歌はそこそこ入ってるんだけど」
「石川さより行って下さいよ!聴きたいなぁ」
「んー、そうねえ」
仕方ないか、と言いながら予約を入れる。間もなく、日本人の心を掴んで揺さぶるイントロが流れ出した。拍手が起こる。
「練馬発の寝台列車降りた時から〜」
ヘタくそだなあ!と大声で叫んだ男が、まわりにつぶされた。
「バカ!あのひとを怒らせたらどうなると思ってんだ、この素人が」
「弘前駅は海の中〜…なんか言った、そこ」
「何も言ってません」
全員で怒鳴った。
なにやってんだか、と竜馬は呆れた声を上げた。そこに、
「のんでますか、リョウさん!」
「ダメだぞぉっ今日シラフでいる奴は、百叩きだぞ!」
イーグル担当と3号機の男が、焼酎とビールのビンをそれぞれ持って、どどどとしなだれかかってきた。
「うわっ。わかった、わかってる。おい、なんだお前の顔」
口の中いっぱいに食べ物をつめこんでいるので、ぷんぷくりんに丸い。
「なんだか、ホホブクロつけたみたいだな」
イーグル担当が笑い出した。3号機の男は目をぱちぱちさせてから、
「ホホブクロか。いいな。食べたい時にいつでも食べられるもんな。うん、いいかもしれないぞ」
「そんなこと口走って、改造されても知らねえぞ」
「つべこべ言ってないで飲めってんだよ」
コップにビールを注がれる。わっと声を上げてあふれかけた泡を舐めた。その上に焼酎を注がれた。
「げえっ」
「ついでに、これもいけ。あはははは」
更にウィスキーも注がれた。コップの中は変な色になった。
「こういうのはな、長崎でやらないと駄目なんだホントは」
「えー?なんでですか」
「言うだろ。長崎チャンポンて」
3号機とイーグル担当は二人で真っ赤な顔してげたげたげたげた笑った。末期症状だ。
「おぼれそうなヤモメ見つめ…ちょっと!うるさいわよ!」
「しゅみませんミチリさん、ヒック」
「誰よそれ!」
「ミチロ。あれ?ヒック」

その変な酒をコップ半分飲んだらなんだか目がまわってきた。オシッコもしたくなってきたし、竜馬は外へよろめき出た。
なんだか廊下がうねっているように見えて目をこすった。便所はこの突き当たりを曲がった所、のはずだ。よろよろと歩き出す。
自分ではまっすぐ歩いているつもりなのだが、どうもそうではないらしくて、少し歩くと何故か壁に当たる。で、軌道修正してまた歩くと、今度は反対側の壁にぶつかるのだった。
「変なつくりの建物だな」
じぐざぐに進んで、やっと便所にたどりつき、そこで転んだ。
痛いのと、オシッコがしたいのとで気が遠くなる。チキショーとうめき涙ぐみながら便器にすがりついて立ち上がり、用を足し、戻って来た。多分、シリに青タンが出来ていることだろう。
と、出ていった時となんとなく室内の配置が違う。皆で何かを囲んでいる感じだ。伸び上がって覗いて見ると、
「…隼人?」
本人も不本意だったらしい。なんとなく中途半端な表情でソファに座っていて、そのフトコロには何故か白いギターがかかえられている。昔フォークを熱心にやっていた人か、あるいは人造人間しか持っていないのではないかというアレだ。
「なんだ?」
酔いも何パーセントかさめる気持ちで呟く。
「さあっハヤトくん、やって!ええっと、なんだっけ、谷村チンヂとペーヤンで歌ってたアレよ!アリス!」
娘が若年者には謎の呪文を叫んだ。
「アリスはもう一人いましたよ。ドラムの人」
「なんだっていいわよ。早く早く!まずはなんたってチャンピオンね!ちゃんとハモってねハヤトくん」
一人でハモれと言われても、いっこく堂でもハモネプ上位者でもムリだろう。隼人は困惑気味の顔のまま、その表情に似合わないじゃかじゃかじゃかじゃかというアツいビートの曲を取りあえず弾き始めた。
「あっこれ俺聴いたことありますー」
「俺も」
っつぅかみぃかぁけたぁー、と誰もが一度はマネをする歌い方を隼人は一応しながら歌った。それがこの歌を歌う上での礼儀というかしきたりだからだろう。音は外れていないが、今ひとつ気の入っていない歌声だった。
ハモリの部分に来たら、心配しなくても有志がハモってくれた。隼人は谷村チンヂの主旋律を、今一つの顔で正確に歌う。歌の発するものと、隼人の表情のギャップが笑える。
一回も左手を見ないで、ライラライラライラライラライララ〜まで行ってじゃかじゃん!と終わった。わあーっと大きな拍手と歓声が上がる。
思わずつられて竜馬も拍手しながら、そばの所員に、
「なんで隼人のやつリサイタルやってんだ?」
所員は真っ赤な顔で、その原因のビールとコップを振り回しつつ、
「ハヤトくんはハーモニカも吹けるけどギターも弾けるのよねって言い出して。最初は伴奏してたんですけど、そのうち、ハヤトくんが歌ってよって」
「あのギター誰が持ってきたんだ?」
「ここにもともとあったみたいですよ。昔、博士が弾いたんじゃないですか。ヒック」
「どっからそういう発想が出てくるんだよ」
眉間にシワを寄せている間にも、大喜びで拍手しまくりながら、
「いいわいいわ〜。じゃあ次はね、白いブランコやって!!」
「…あのう、お歳、おいくつですか?もしかして、リンゴの唄とか愛唱歌じゃないんですか?」
「失礼ねえ」
隼人はなんとなく首をかしげながら、一応思い出してみてから、弾き始めた。
「君は覚えている〜かしら〜あの白い、ブランコ〜」
「ブランコ〜」
今度の合いの手はさすがに彼女しか入れない。あのひとはあのオヤジに聴かされてたんだとしても、なんで隼人はこんな歌知ってんだ?と思いながら、その辺の椅子に座って、結局大人しく聴いている。
しかしさすがの隼人でも、婦女子の攻撃には皮肉やイヤミで切り返すって訳にはいかなかったんだな、と思うとおかしい。ざまあみろ。今はまあ許してやるが、研究所で顔合わせたら思いきり言ってやるぞ。
そうだ、もっとヘンな歌を歌わせてやる。なんかないかな。竜馬は熱心に考えた。
あんまり変なやつだとアタマから却下されるからな。金太の大冒険なんて駄目だろうか。案外喜んで『いやだぁ〜ハヤトくんのエッチ、もっとサビのとこゆっくり歌って〜』なんて言いそうだけどな。
金太、マスカットナイフで切る、金太、マカオに着く、金太負けが多い、キンタマ…ときかせどころを思い出しながら、
「しかしこの曲隼人知ってっかな。きっと知ってるなあいつのことだから…よし」
次は金太の、と言おうとした時、娘がうきうきと、
「ん〜、懐かしいわねえ。じゃあね、ええと、なんていう曲だっけ。昔のやつで。男がぐずぐずしてる間に、なんかいいものくれる金持ちの方に行っちゃってくっついちゃうけどごめんねっていう感じの。神田川?違うわね」
「ものすごい歌ですね」
若い子たちはひきつった顔で彼女を見る。
「女のコってみんなそうなんですか?ひどいなあ。ヒック」
3号機がわめく。私は違うわ、もしそうならとっくにどっか行ってるわよ、と言い返されて、
「喜んでいいのか悲しんでいいのか」
ぐずぐず呟いている。その時隼人がああ、という顔になって、うなずくと、無造作に弾き始めた。
やわらかく、しんみりとした、どこか雨の日を思わせるメロディが流れ出す。ちぇっ辛気くせぇな、次は絶対金太の大冒険だ、と竜馬が思った時。

「貴方に、さようならって言えるのは、今日だけ」

竜馬は何故だか、胸を衝かれた気持ちになった。

もちろん、曲をずっと聴いていれば、娘がさっき言ったような内容の歌で、女はいつまでもあての無いものを待ち続けることはできないの、というか、優しいのもいいけどなるべく具体的にひとつ頼みたいというか、恋愛と結婚は別というか…
まあ貫一お宮のような歌だというのはわかる。
そのこととは別に、奇妙な感覚が、竜馬の腹のあたりに湧きあがってくる。
既視感に近い。予感のような気もする。
こうして、皆でバカやって騒いで、…たしか去年も場所は違うが似たような感じだった。来年だってそうだろう。
そして、今は居るのに、来年のこの集まりには居ない奴がいるだろう。絶対だ。だって、去年いたのに今年いない奴がいるから。
生きて、道を違えるのならいい。喧嘩別れだって嬉しいくらいだ。しかし、今ここにいない奴は、全員そうではなかった。…
いつが、今生の別れになるかわからない、お互いに。別れの挨拶など、できた奴は一人もいない。
そんなことは、ここに居る奴は皆知ってる。誰でもが納得した上でここにいて、酒をのんで笑ったり怒ったり泣いたりしているのだ。
それに。
明日はどうにも勝ち目のない戦いになって、おそらく全員だめだろうという日になっても、皆別れの言葉なんて言わないんだろうな、とも思う。やれやれ、一日しかないと忙しくて、とか何とかいいながら、…
ふと見ると斜め前のイーグル号担当が、しみじみと感じ入って隼人の歌声に聞き惚れている。
こいつも、自分の仕事を精一杯やって、言うんだろうな。リョウさん、イーグル号は万全です!さあ、行って来てください!
………
「リョウさん?」
イーグル担当がこっちを見て、目を丸くしている。それから、
「いい曲ですもんね。神さんも上手いし。あまりアツく歌わないのがかえってじんとくるんですよね」
急に納得しはじめる。
何言ってんだお前、と言おうとしたが、喉がふさがっていて声が出ない。何故だろう。
と、曲が終わって、皆『よかったですねえ、これ何て曲ですか』『もうCD出てないんですか?でも神さんの歌だからいいんですよねきっと。きゃはっ』『感動だ。腹減った』などと騒ぐ中、隼人が立ち上がって、ギターをソファに置くと、人をかきわけて泳いで来た。
オシッコでもしたくなったのかな、と思いながら、どんどん自分に近づいてくる相手の顔を見遣り、
こいつだって、いつそうなるかわからない。…こいつ以外の誰かが、ジャガーに乗って、一緒に飛び立つなんてことは、正直想像が出来ないけれど。…全然想像できない。
ふと、本当にそうなったら、と思ってみたら、なんだか、
「おい、どうした」
隼人が自分の前に立って尋ねていた。オシッコに行くためにこちらへ来たのではなく、竜馬のところに来たらしい。低い静かな声に、何故だか喉の奥が変な味になる。
「リョウさん、神さんの歌きいて感動したんですよ。ね、リョウさん。さっきから」
イーグル担当がそれ以上言う前に、
「お前」
「はい?」
「代わりに歌え。神田川でも、ドナウ川でもいい。早くしろ」
静かに、きっぱりと追い払われて、はいと大人しく返事をし、夢遊病者のようにギターの方へ歩いていった。
俺なんだか神さんに嫌われてる気がするんだけど。なぜに?どーして?俺ナニかした?
しかしイーグル担当はこう見えてもクラシックギターをやっていたので、突然『禁じられた遊び』などを弾き始め、それが不必要に上手なので逆に全体が奇妙に盛り下がり、皆困った。娘がひきつった笑顔で、
「頼むから、ほかのをやってよ」
じゃあというのでアルハンブラ宮殿の思い出をやりはじめ、更にゲンナリさせる。
哀れな後任者のことなどほっといて、隼人は竜馬の顔をのぞきこむ。竜馬はなんだよと言おうと思ったが、やはり言葉が出ない。
俺はどうしたんだと思って、やけに熱い顔に手をやると、濡れている。びっくりして隼人の顔を見た。
泣いていることに気がついていなかったらしい。
隼人が苦笑した。
「なんだ。単に酔っ払っただけか?泣き上戸かお前」
声にほっとした響きがあった。
「そんなんじゃねえ。別に、ただ、お前が」
単に酔っ払ったのではなく、悲しくなって泣いたのでもない、ちょっと変になっただけだ。なんとか説明しないとこいつに『ナガレさんは泣き上戸』などと噂を流される、と竜馬は慌てて声を出したが、
「変な歌、歌うから、…来年は、ここにいる誰かがいないかも知れないとか、…お前が死んじまったら別の奴が…」
ジャガーに乗るのかとか、考え始めたら、なんだか具合がヘンになってきただけなんだ。
しかし、言葉は途中できれた。と、
「俺が死ぬ心配か。ほお、偉くなったもんだ。自分が先に死ぬとは思ってもいないようだな。お前の腕じゃ、そっちの方が可能性は高いと思うがな」
例によって例のごとく、うっえーの方から見下ろして「ケッ」とおまけがつくような口調で言いのめす。竜馬は下からにらみつけて、
「うるせえな。そんなことわざわざ言いに来たのかよ」
ほっぺたを手の甲でこすりながらわめく。
「お前みたいなへぼが人の心配なんざ早いと言ってるんだ」
「あーそうかよ。お前の方が俺より上だとか言いたいわけか」
「言いたいんじゃなくて、実際そうなんだよ」
「畜生、てめえなんぞ便所で転んでケツにアザ作ってこい」
やーやー遣り合っている二人を眺め、
「なんか今日は、いつもよりものごしがやわらかいような気がしませんか」
3号機の男が酒びんを逆さにしてぺろぺろなめてから、
「きっと、BGMに心洗うギターの音色が流れてるからじゃないのか」
「ははあ、なるほど」
「しかし、リョウはデリコーだな見かけによらず。人間、いつどうなるかなんてわかんねえさ。だからこそ食える時に思う存分食っとかないといけないってことだろ」
「デリコーって何ですか?リッチョーとかワリチョーとかのアレですか?」
娘が呆れた顔で、竜馬と隼人、それから3号機の男を見比べて、くすくす笑った。

[UP:2001/12/1]

竜馬と隼人のいちゃつき、というより『表面の仲の良し悪しと無関係に深いところで繋がっている二人、そして、かつて早乙女研究所の一員で、最後まで残った二人』として書きたかったんですが、難しいですナ。
私は石川賢先生の描かれる早乙女研究所のスタッフの雰囲気がとても好きなのです。あの感じをもっとうまく出したかった。あと、二人以外の固有名詞を出さなかったのはわざとで、まあ彼らは結局実際に、二人に別れも告げず誰もいなくなった訳で、ということでした。あんなイイ雰囲気の彼らがなあ、寂しいな、でも…というその辺もうまく出せませんでした。ダメだなあ。もっと勉強します。
あとジャガーは殴ったくらいでへこみません。ウソです。

ゲッターのページへ