なんだか今日は調子が悪い。
特にどこがどうしたという訳でもないのだが、どうも、体が重い。
首を傾げ、隼人は朝食の席についた。もう既にがつがつと食っているほかの二人の皿は、あらかた無くなっている。
「よおっ、遅いぞ。なんだ、しけたツラしてよ」
竜馬が明るく言い、
「先輩、おはようございます!いやー早乙女研究所の朝飯って旨いっすね!昼食も夕食もですけど」
新入りの弁慶が四角い顔でがはははと笑ってのどちんこを見せた。
「う、口にモノ入れてバカ笑いするな。飛んでくる」
「あっすみません。そうだ、早く食って操縦の練習しないといけねーんだった」
弁慶はどどどと食いだした。
「いやーそれにしても早乙女博士ってオニのようですね。すげー言われようでしたよ。君に期待できるのは体力だけだとか」
「それは当たってるかもなあ」
「せんぱーい」
竜馬が意地悪く笑い、弁慶はしょぼくれた声を上げた。その時、TVが耳慣れた音楽を鳴らした。
『今日の運勢!カウントダウーン』
「お。これ結構当たるんだぜ。来い、来い」
「来い来いって先輩、競馬じゃないんですから」
『今日のピーカンの運勢、射手座のあなた。大切なものをなくしそうになりますが、あなたの運の強さでそれを防ぐことが出来るでしょう。ラッキーアイテム、腕時計』
「見ろっ、今日の俺様は最高にツイてるぜ。へっへーん」
得意げに反り返る。へえーと弁慶がおしんこを食いながら、本当に当たるんすか?と余計なことを言った。
『そのほかの星座です。二位、おうし座。今日はチームワークが取れて仕事が進むでしょう」
「俺っす」
嬉しそうに弁慶が言った。へえ、と竜馬が呟いているうちに、占いは進んでいった。
「五位、ふたご座。ギャンブルにツキがあります。八位、うお座。忘れ物に注意しましょう。………
さあ、今日の最悪の星座は』
しょぼくれた音楽が鳴る。
『ごめんなさい、さそり座のあなたです』
竜馬が思い切り笑い出した。
「なんだよ隼人、今日は最悪じゃねえか」
ふん、と鼻で笑う。彼は占いなど、ゲタを投げて裏か表か見て、その結果で傘を持っていくかどうか決めるのと同じくらいバカバカしいと思っていた。だが。
『思い出したくない過去があなたの生活を乱しそうです。態度をしっかり決めてものごとに当たって下さい。キーになる人物はいとこ』
思い出したくない過去。いとこ…
口の中が嫌な味になった。バカだなと自分を戒める。信じないとか下らないとか言いながら、結局気にして気分を悪くしていりゃ世話はない。
『そんなあなたの開運のおまじない。誰かに肩車してもらいましょう。ちょっと大塚さん、誰かに肩車ってこれ、無理がありません?なっちゃん、してくれる?いやですよー』
スタッフの笑い声が入る。
「肩車だとよ。してやろうか、隼人」
まだ笑っている相手に、うるさそうに片手を振り、取り合わずに食事を始めた。
屋上で日光浴をしていたら、誰かが面会に来たというので隼人は行ってしまった。見送るともなく見送って、青空を見上げながら、竜馬はぼんやり考えた。
今朝からあいつ、なんとなく今ひとつだな。何かあったんだろうか。
普段ならそんなことを気にするような男ではなかったが、他に考えることもないので、なんとなく、そのまま考えを推し進めた。
いとこ、とあいつの口が動いたのを見たっけ。あいつにはいとこがいるんだろうか。
いるんだろうな。親が居れば、親戚ってのがいるに決まっている。俺はいないけど。おふくろが死んで、オヤジが死んだ時点で、俺には普通言うような親戚は、誰もいなくなった。さっぱりしたもんだ。天涯孤独ってやつだ。ゲッター乗りには最適かも知れない。いつなんどき死んでも、どこからも文句は来ない。…そんなふうに言葉をつなげて、すぐに後悔した。あの気のいい男を失った傷口を、わざわざひっかくような真似をしている俺は、馬鹿だ。
そう言えば俺は隼人のことは、何も知らない。博士に言われて連れにいく時、なにやら学生ゲリラだと聞いたのが全部だ。
聞くのが普通かも知れない。でも、俺はあいつの過去やこれまでのいろいろを、聞く気がなかった。興味がない、のとも違う。どう言ったらいいのか…
竜馬はいらいらと首を振った。
ここにいて一緒にゲッターに乗って戦っている、
…それがはっきりと変わらないのなら、別段それ以上の近づき方をする必要を感じないのだった。
それ以上の結びつきを、竜馬は隼人や、今はもういない武蔵や、これから死地をともにくぐることになっていくのであろう弁慶に強制する気はなかったし、今も無い。
でも。今日の竜馬は、ふと、気になった。
俺にはわからないが、血のつながりってのは、ほかのものとは違うんだろうか。
俺の知らないあいつらの顔とか、喜びとか悲しみを知ってて、いっしょに命懸けの綱渡りをしている人間より、容易く、あいつらの内側に入りこめるんだろうか。
血がつながっている相手というのは。血がつながっているというだけで。
かといって自分が仲間たちと血縁関係になれるわけでもないし、なりたいわけでもないのだ。いつもなら、『気にしても、仕方のない』ことは意識的に考えないことにするのだが、なぜか、今日は気になり続ける。
さっきの、隼人の表情のせいだと思う。
変に重苦しく、そしてどうしようもなく、忘れることのできない大きさのものに対する、表情だった。それはまるで自分の血そのものに対するもののようだった。
ポセイドンに関する資料を繰っているうち、ベアーからの改良点というページに行き当たった。
表紙を見ると、メカニック担当のものだった。そうだよな、と弁慶は思う。確か、俺がもらったマニュアルには、こういう部分はなかった。
さっき格納庫で間違って他の人間のを持って来てしまったんだろう。取り替えに行かないと、と声に出して言ってから、
『自分のマニュアルに無いページ』を、見るともなしに見ていると、…
資料として載っている、ベアー号の各部分のアップや、下からのアングルの写真の中に、前任者が写っているものがあった。
上半身ハダカにタオルをひっかけ、下は作業服に裸足に雪駄ばきだ。写りは悪いし小さいが、辛うじて、笑っているらしいことだけわかった。被っている黄色いヘルメットが、作業用のものなのか、前任者のトレードマークのものなのか、弁慶にはわからない。多分ここの人間なら誰に尋ねてもわかるのだろうなと思うが、勿論尋ねようとは思わない。
別に、弁慶に前任者のことを秘密にしておこうという考え方があって、それでこのページを弁慶に伏せているのだと、弁慶は考えるタイプではなかった。
ただでさえ覚えなきゃいけないことは富士山のようにあるのだから、前のマシンとの変更点まで俺に言う必要はないということだろうな。俺はそれでなくても覚えが悪いしな。
彼の、そういった部分は前任者に似ているだろう。不必要な事柄まで勝手に想像を巡らせてひがんだり拗ねたりというヘンな気の回り方はしない男だった。
巴武蔵というのだと、名は聞いた。顔も、別に今初めて知ったわけではない。柔道が得意だとか、押しかけてきてちゃっかり3号機のパイロットになってしまったとか、ひたすら大食らいで丈夫で、ミチルさんという博士の娘が大好きでアタックしまくっていたけど今ひとつだったとか、
最後はゲットマシンと仲間を守るためにたった独りで想像を絶する苦痛を乗り越えて逝ったとか。―――
ちゃんと、聞いている。
俺がゲットマシンのパイロットとして今ここにいるのは、この人が死んだからだ、と弁慶は思う。その点、確かに弁慶は武蔵と同時に存在は出来ない。弁慶は武蔵の裏面だ。弁慶の存在は武蔵の喪失の上に成り立っている。
皆が、俺を見る時、それは同時にこの人が死んでもう居ないってことを確認することになる。それはしんどいけれど(俺にとっても)いちいち口にしてもしょうがないと、誰もがわかってる。だから誰も言わない。
まだ良かったのは、ゲットマシンが一緒に新しくなったってことだな、と弁慶は思った。
これで、ゲットマシンが何も変わらなくて…で3号機のパイロットだけが俺に変わったなんて言ったら、皆も俺も、『3号機を操縦する、巴武蔵の筈なのに違う人間』から脱するのはホネだったろう。
それにしても、
いつか、皆から、…ことさら一緒にゲットマシンを操縦する二人の先輩から、巴武蔵という男の話を聞かせてもらえるような時が来ればいいと思う。俺にとってもだけど、先輩二人にとっても。あの先輩二人が、この人を失ったことでどれだけ打撃を受けたか、想像に難くないから。
巴武蔵というこの先輩と、
話がしたかった、と弁慶は素直に、実に素直に思った。あなたの後を継ぐもんです。見守ってて下さいと、この勇敢な先輩に言いたかった。そんな状況はありえないけれど、矛盾しているのだけれど。俺はこの人のB面なのだけれど。…
その、こととは、関係なく。
そんなことを思いながら写真を見ていると、胸のここのところに、なんともいえないものがこみあげてくる。賞賛だとか、尊敬だとか、そんなぺらぺらなものではない、もっと壮絶で胃液のように苦く、しかしずっと奥底で光り輝くような、思いだった。
隼人が戻らないという。
「どういうことだよ。誰だったんだ、面会って」
竜馬がイライラと説明を求める。弁慶は首をかしげて、俺にもわかりません、と言い、
「ただ、古い知り合いみたいでしたけど。昔の…仲間だとか」
「昔の仲間?」
何故かぎくりとした。隼人を見送った後、自分は隼人の過去がどうとか、考えていた気がする。別に、そのことと、隼人が行方知れずなのは無関係に決まっているのだが。
「どうします、リョウ先輩。探すったって、どこをどう探していいのか」
「お前も渡されたろう。時計。なにやらゴタゴタスイッチのついたやつをよ」
コンコン、とガラス面を人差し指でたたきながら竜馬が言う。弁慶は慌てて自分のそれを見て、ああ、はいと答える。
「こいつはな、知られたくなくても、持ち主がどこにいるか教えてくれるんだよ。…博士の所へ行ってみようぜ」
「はい」
神妙にうなずく相手は、武蔵より柄がでかく、話し掛ける竜馬の、顔の角度が違う。
それから後も何発か殴られ、幾度か意識を失い、骨が折れなくて済んでまだ良かったという状態の隼人が、捕らえられた手下との交換条件として引きずり出されてきたのを見て、竜馬は声を上げた。
「隼人!」
せいぜい数時間ぶりなのだろうが奇妙に懐かしい声に、隼人は血だらけの顔でにやりと笑った。髪がどろどろで、服があちこち裂けた格好で、なにやら、不気味な機械の上に座らされている。
「先輩!大丈夫っすか?」
「てめーら、何をしやがった」
ぎゃーぎゃーわめいている二人に、鼻で笑い、
「まだ改造はしていない。隼人の意志で、この体を選ぶのが一番いいからな。そのくらいの情はある」
「はやと、だと?」
竜馬が不審げに、不愉快そうに聞き返す。何かそこに、一瞬ねばついた繋がりが感じられた気がしたのだった。まるで…
乾きかけた血のような感触の。
「隼人は隼人だ…お前ら、知らないのか。こいつは俺のいとこだ。もっとも」
男の顔に、下品で悪趣味な悦びが浮かんだ。相手の知らないことを教えてやる優越感、それも相手が大事にしているものの価値を引きずり下ろす時の快感で、目が濁っている。
「こいつは庶子だがな」
「しょし?」
二人が異口同音にいって、それから全く同時に「なんだそりゃ」と言ったのを聞いて、隼人はつい笑い出した。それから、笑うところじゃないのに、と思ったが、どうしても可笑しくてやはり笑ってしまった。
男は、ショックを受ける筈のゲッターチームが全然理解していないことと、言われたくないことを言われて自分を怨みがましく見上げる筈の隼人が血だらけの顔で笑い続けていることに、言いようのない腹立ちを覚え、怒鳴った。
「本来なら一族の末席にさえ加わる権利のない、どこぞの馬の骨なんだ、こいつは」
しかしその馬の骨は、幾人いるんだか数え切れない一族の中で最も優秀で、最も人心掌握に長けていた。大の男が、この男のためなら何でもしようと思うほど。そして、
比類なき冷血だった。この男のために何でもしようという相手を、使い古しのコマとしか見ないくらいに。
それでも、
この男に、「よくやったな」と言ってもらえるなら、人だって殺せると思うのだ、どうしようもなく。
そしてこいつとってはもう、俺は、昔遊んだゲームのコマなのだ。
心のどこかで、血の繋がりがあることが、他の連中と俺とを違えているかという幻想も持っていたが、………
竜馬がいらついた声で怒鳴る。
「何いってんだ?おめえの言いたいことがさっぱりわかんねえ。わかるか弁慶」
「すみません先輩、俺もバカなんでさっぱり」
「俺もってのはなんだ」
隼人が首を振りながら、また、なんとかおさまりつつあった笑いがぶり返してくる。新しい血の筋がもうひとつ、鼻の脇を伝った。
「いいんだ。二人とも」
…その幻想も砕け散った。
この冷酷な男には血なんか何の意味もないのだ。
男の、機械の体に、羨望と嫉妬が、幾重にもからみついて軋んだ。なんだか、やっとわかった気がする、
俺は、単に、この男に認められたくて、この男に力があるところを見せたくて、この男が今熱中している合体マシンよりも俺の方がよく出来ていると思われたくて、
血の代わりにオイルが流れるような体になって、よろよろ、やってきたような気がする、こんな遠くまで。
ならば。
俺の方がよく出来ているところを、見せてやらなければならない…
俺が乗って初めてゲッターは百パーセントの力が出せるんだ。そうでないゲッターを倒したからといって何だというんだ?
そんな見え透いたことを言われて。
いいから、早くゲッターを壊せ。奴のいうことなど耳を貸すな。
鬼どもの言い草の方がはるかにマトモだ。それでも。
それでも、隼人に認められなければ、意味はないのだ、
こんな姿になってまで、やってきたのだから。
「ぐぁぁあぁあああああ」
魔王鬼の頭部、つまり全身をつくっている部下どもを統率する司令塔である、あの男が絶叫を上げた。その声の中消えてゆく理性と、生まれてくる狂気を感じ取り、ライガーの中の隼人ははっとして叫んだ。
「竜二!」
しかしその声に反応しない。代わりのようにグラーか、ヒドラーかの哄笑がかぶさってきた。
「ごちゃごちゃ注文のうるさい奴だったが、この辺で我儘も打ち止めにさせる。もうやつはわれわれの命令をきくだけの忠実なロボットだ。昔はお前のロボットだったらしいな?」
違うと言い返す気はなく、隼人は青ざめたまま口を結んだ。
「玩具はいい加減に遊んでほったらかしておくと、後で腹を立てて仕返しにくるという教訓だ、神隼人。自分の身でそれを思い知れ」
ゆけ、魔王鬼、と命じられ、雄叫びを上げると、全身がバラバラに分解し、音速の勢いで突っ込んでくる。
「ぐあ!」
「うぐ」
竜馬と弁慶が声を上げる。あまりのスピードに対応できない。ぶち当たられ、跳ね飛ばされ、あちこちのパーツがふっとばされてゆく。
「畜生!きりがねえ…どうすりゃいい。こいつらにはライガーだって追いつけねえぞ」
ぶつけて切った額から血を流しながら、竜馬が怒鳴った。
「先輩、なんか、あちこちヒビいってますけど」
ただでさえ、全課程を終えていない腕前なのに、その上こんな追試が待っているとは思わなかった。果たして、このテストは無事終わるんだろうか?弁慶はぬるぬるする汗を拭った。
「お前ら」
隼人の声に、何か覚悟した静かさがあって、二人は口を閉ざした。
「あいつらの流れに逆らうな。最大噴射であいつらの速度に同調して流れに乗れ。…とどめは俺がさす」
それ以上何も言う必要はないので、竜馬と弁慶はわかったとだけ言った。
周囲を取り囲んで吹っ飛んでゆく、数え切れない程の男たちは、皆、どこか見覚えがあるような気がするし、また見たこともないような気もする。
俺に、爆弾を仕掛けて来いと言われて、嬉々として出かけていった男たちにも見えるし、怖がって逃げようとして俺にぶち殺された男たちにも見える。また、やはり、見たこともないようにも、思える。
ほとんど無意識で、かいくぐり、身を翻して、目的の位置へと隼人は突っ込んでいった。
「うぁ、あ?」
もはや人語を話さない喉で、不満げに唸り声を上げた。自分が魔王鬼の頭になって、それで合体は終了するのに、何がそれを阻んでいるのか。わからない。
いつの間に合体したのか、ゲットマシンはライガーに変形して、頭部を押さえつけていた。
隼人、ちゃんとやってのけたぜ。見ろよ、俺がやったんだ。俺がだぜ。
あいつの声が聞こえた気がした、と隼人は思いながら、ジェットドリルで、自分のいとこだったものを抉った。
時間はいつなのか。とにかく、夜も随分ふけた頃だ。
遠慮がちにノックの音、「失礼します」というひくい小さな声、それから入ってきたでっかい影。
部屋の中は真っ暗だ。弁慶がちらと目を上げると、窓際におかれたおりたたみの椅子に、隼人が座っているシルエットが見えた。
相手が何も言わないうちに、早口で、
「すみませんどうしても取りにこないといけないものがあって。すぐに出て行きますから」
わたわたと自分の荷物をあさっている。焦っているせいかなかなか見つからないらしい。それをながめながら、
「別に気にしなくていい」
かすれ気味のくたびれた声だったが、すぐに笑いを含んで続ける。
「リョウの奴に何か言われたのか」
「え」
目をぱちぱちさせ、相手の顔を見た。半月の光を後ろから受けてこちらを見ている顔は、あちこちバンソウコウを貼られ、その隙間から紫や青のあざだらけの皮膚をのぞかせている。目の上や顎は腫れあがっているし、随分手ひどくやられたのが一目でわかるが、不思議に、凪いだ表情をしていた。
「え、ええ。…こういう時の隼人は、放っといてやれって言われて…とりあえず今夜は部屋に戻るなって。リョウ先輩はトレーニング室の床で寝てます」
「あいつなりに考えたって訳だな」
ふふ、と短く笑って、それから長く息をついた。
何となく、立ち去りがたい気持ちになって、弁慶は困惑しながら、とにかく取りに来たものを探し続けた。
その背に、声がかけられた。
「弁慶」
「なんすか」
数秒間があってから、
「あの男の言ったことだがな」
弁慶が振り返ったのを見てから、
「あの通りだ。
…俺の父親は名前を聞けば誰でも知ってるだろう。あきれるほどの財力と権力の両方を手にした男だ。…邪魔な相手はひきずりおろし踏み台にして上へ上がっていくやり方でな。…だが母親のことは何も知らない。妾なのか側女なのか一晩だけあてがわれた女だったのか。何故、悪魔みたいに辣腕で抜け目のなかった男がそいつに子供なぞつくらせたのかも知らない。今となっては」
だらだらと、気の入っていない調子で、歌の文句のように綴る。弁慶は何も言わずに聞いている。
「俺の母親が何故俺をつくったのかもわからない。自分を日陰に押し込んでなんとも思わない男への復讐のつもりだったのか、もっと実際的に何が何でも認知させて遺産を受け継ぐ権利を手に入れようとしたのか、
あるいは…手前以外何も信じない男を」
隼人はここでニヤリと笑った。皮肉げな冷たい、しかしどこか疲れた笑い方だった。
「本気で愛したあかしが欲しくなったのか。…だが俺がそのどれなのかを聞こうと思う歳になる前に母親はいなくなった」
いなくなったとはどういう意味なのか、弁慶は聞こうかと思ったがやめた。
「俺はどういう訳か正当な継承者より優秀だったから、父親は俺を自分の下で育てることにした。雑種の筈が突然変異で血統書つきの犬より上等だったという訳だな…その頃、あの男とも引き合わされた。いとことして」
「はい」
「まあ、そういうひとでなしの男の血が俺に流れているせいなのか、それとも『親の愛情を与えられなかった幼少期』とやらのせいなのか知らないが、俺はちっとぶっ壊れてるらしい。ふざけ半分で人間を右へ左へ動かして遊んでいた。ワルイコトをしているという感覚なんぞ最初から最後まで無かったし…こんな話を急に聞かされても困るな。すまん」
他人事のように自分の素性を明かしながら、自分でも不思議だった。何故俺は突然、この新入り相手にこんなことを喋っているのだろう。
竜二に対して言えなかった懺悔を代わりにこの新入りに聞かせているのだろうか?俺と、過去において何のかかわりもなかった新入りにになら話せるという訳か?みっともない、女々しい、と思ってから、今の単語はミチルさんが聞いたら怒るだろうなとつまらないことに気づいた。
どぎまぎしてうつむいて困っているのだろうと思いきや、弁慶の声は、
「先輩」
妙に落ち着いて静かだった。
「俺その、どんな血が流れてるのかも知らねえんです。自分に」
「え」
「俺捨てられてたんですって。自分では覚えてないんですけど。当たり前か」
「施設にか」
尋ねてからしまったと思った。何て迂闊なことを聞くんだ俺は、と隼人はうろたえた。それは珍しいことだったが、弁慶はまだ日が浅いので相手がそう簡単にうろたえたり失言を恥じたりするような男ではないと、知らない。
「それがですねえ、ちょっと違って」
やはり、施設なり、すぐに保護される場所ではなかったのだ。つまり、親が、この男を『せめて愛のある第三者の手に委ねよう』という最後の愛情でもって手渡しした、のではなく、不要なゴミと同等に扱ったということで…
なんと言おうか逡巡している隼人に、けらけらと笑って、
「砂浜に」
「すなはま?」
「そうなんすって。なんすかねえ。異人さんが来て連れてってくれると思ったんだか、亀が甲羅に乗せて龍宮城に連れてってくれると思ったんだか、ウミネコやカモメが」
ここで弁慶はさっきの隼人のように、黒いニヤリ笑いをしてみせて、
「晩御飯にちゃっちゃと片付けてくれると思ったのか知りませんけどね」
隼人は、何も言えずに、相手の顔を見つめた。
弁慶はすぐに、にかっという笑い方に戻って、頭を掻くと、
「漁に出る前だったオヤジか、わかめとりにいく前だったばあさんかが俺を鳥や犬の前に見つけてくれてまだ良かったっす。…
親に感謝しろってよく言うけど、ちょっと微妙っすよねえ。あんまり感謝したくないけど、別に恨んでもいませんね。なんつーかそれほどのキモチが向かないんスよ。だからそういう辺りで先輩がヘンっていうんなら、俺も十分ヘンだと思います」
それから、急に、真面目な顔になる。
「先輩。俺別に、お互いヘビーな過去を打ち明けあって仲間意識を高めようとか、いうんじゃないんです。リョウ先輩もそうみたいだけど、今は天涯孤独同士で家族みたいになりましょうとか、いうんじゃないんですよ」
「うん」
隼人は、弁慶が本当にそう思っているのだろうと、その時感じた。だから、やはり珍しいくらいに素直に頷いた。その頷きに後押しされる気持ちで、
「俺は武蔵先輩がいないからここにいる人間です」
思い切って言ったらしい。
「でもね、なんていうのかな、すげえ図々しく言わせてもらうと、俺と武蔵先輩と先輩方と他のひとたちみんな、ゲッターで繋がってるんだと思うんです。ゲッターだけが結ぶ結びつき方てのがあるって。それって、時間とか、条件とか、無視するくらいの力があると思うんです。何が言いたいのかって言うと」
「お前と武蔵が、ダブって存在できないとかいうことを超えて、って言いたいんだろう」
ふと、久し振りに、あいつの名前を口にした気がした。あの時には、奴の名を静かに口に出来る未来なんて、想像する気力もなかったけれど。
弁慶は嬉しそうにぶんぶんとうなずいた。そうっす、そうなんす、と言ってから、
「ゲッターって、そういう、ヘンな力ありますよね。ちっとおっかねえような強引なようなグラグラするような。…それで、
先輩は、いろんな人に必要とされてきた人なんだってのは、ここんとこでわかりましたけど、でもね、ゲッターに乗れて、ゲッターを動かせる人なんすよ、先輩は。それって」
首をかしげる。暫く悩んでから、
「他のどんなことよりすげえことだし、今の先輩はゲッターでふざけ半分にテキトーこいたりしてないでしょ?ゲッターってそんなもんじゃないですもん」
「そうだな。ゲッターは、そんなもんじゃない」
ただ繰り返すしかない。その通りだからだ。
「それにね、先輩、ゲッターってね、単にすげーアタマいいとか運動神経がいいんなら乗れるってもんじゃないと思う。そういうのはレースカーとかジェット機までです。ゲッターは乗る人間を限る。どんな条件で、かはわかんないすけど」
何故だか、隼人はその時竜馬のことを考えた。
「案外、俺それからもれてるのかも知れねえし。ヤバイな」
あははは、と笑う。闇に、歯が白くてでかかった。
「それまで、手下率いてゲリラやったり、オヤジさんの残した道場で一人取り残されたり、カモメに食われそうになったりしながらどっかからか生まれてきてそれぞれ勝手にやってきたんすよ、そんな俺たちがどうしてか今はここまでやって来て、一緒に戦ってるんです。それってやっぱゲッターの力でしょ?」
ぐいと拳を握る。その中にゲッターの力が入っているように。
「自分を乗りこなす先輩を、ゲッターは必要としてるし、必死こいて乗らなきゃ乗れないゲッターを先輩は必要としてるんです。ゼッタイです。先輩がゲッターに乗った時から、お互いが必要なんです。えーと、お互いってのは、単に先輩だけでなくて」
「ゲッターで繋がる存在同士全員がという意味だろう?」
思わずうなずいていた。そうだ。その通りだ。
こんなふうな繋がりを、俺は、いいと思うし、多分かけがえのないものなのだろう、俺にとって。俺にとって…血より濃いのだろう、
ゲッターの赤は。
自分からは何一つ必要としなかった俺にとって、ゲッターが『それ』だったということを、竜二は、決して認めようとしなかったけれど。
相手が心から賛同してくれているのも、弁慶には伝わったらしく、嬉しそうに、
「俺がんばりますよ。でないと、お二人と武蔵先輩にシツレーすからね。まだまだ、『こいつダメダメだ』って思うことあるでしょうけど、ちっと待ってて下さい。ゲッターは一人じゃ動かないんすからね。昼間、先輩もそう言ってましたし」
胸を張る。
「そうですよね、ハヤト先輩」
「そうだ」
力強く応じてやって、微笑む。その笑顔をちょっと見ていたが、突然、
「失礼します、いいすか」
隼人の後ろにまわってしゃがむ。なんだ?と思った瞬間、股間にずぼっと頭が入ってきて、それから隼人の体は宙に持ち上げられた。
「おい」
「その、肩車っす。あの、開運のおまじないです」
一瞬、馬鹿馬鹿しいのと呆れたのと可笑しいのとで顔が歪んだ。元気づけようとしてくれたのはわかるが、どういう態度をとればいいのかわからない。だが弁慶はすぐに屈んで、隼人の足を床につけた。
「俺がんばりますから」
もう一度言いながら、頭を抜いて、
「やっぱり自分のために。あと、繋がってる皆のために」
シンプルな決意表明だったが、隼人は、どうしても、
使い魔のような一生を送ったあの男に、今の弁慶の気持ちと言葉を聞かせたら、何と言っただろう、と思い、それから、
もう、『俺がそうさせた』と思うのは、今夜でやめよう、と思った。弁慶の言葉がそう思わせてくれた。それから。
そういえば、俺はあの男に拉致されてからずっと、肩車されていたようだったな、と思った。口にはしなかったけれど。
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