「うぉ〜、腹減ったー!」
期せずして竜馬と號の声がダブった。
二人はギロリと睨み合ったが、すぐにしおしおとうつむき、ため息をついた。二人とも日に焼けて、ランニングにGパン姿なので、野球の試合に負けたその夜の兄弟みたいに見える。
武蔵と弁慶と凱は試合に負けたどころではなく、すでに、部屋のすみっこに転がって死にかけている。
全ゲッターチームが一同に会して、某所山頂にあるゲッター線増装置のある施設で強化合宿を行うことになったのだが、来た早々に調理のためのガスが届いていないことが判明し、一日目にして夕飯抜きになってしまったのだった。
壊れているというのならいくらでも直す手があるのだが、燃料ではいかんともしがたい。
「明日には使えるようになる。それまで水でも飲んで寝ろ」と博士に言われたが、空腹を抱えておとなしく寝ていられる連中ではない。
「………」
何か呟くような声が聞こえた。
「なんか言ったか」
竜馬が声をかけた。ずいぶんあってから、蚊の鳴くような声で、
「…はらへった…」
「死にそうだ…」
うめき声が二三、すみっこから戻ってきた。
ここは食堂だ。せめてなにか食えないかと、考えることは皆同じで、この時刻なら灯も落ちてがらんとした空間の筈の場所に、人間がぎっしりつまって、うめいている。
「醤油でも飲むかな…」
「無駄なことすんなよ。缶詰とかねえのか」
「それらも全部、明日届く予定です」
「ゲッターエネルギーで調理しろ!いっぱいあるだろうが!」
「皆で進化しちゃいますよ〜やめましょうよ〜」
空腹なのはメカニックも皆一緒だ。この施設内にいるあらかたの人間が、今ここにいると思われる。
「誰か何か食い物持って来てねえのかよ!おい食いしん坊バンザイのそこいら!」
すみっこに転がっている三人はもはや返事もしない。喋ると余計に腹が減るからだろう。
「ま、持ってるならあんなになってる訳ねえよな…でも持って来てないとも思えねえんだけどなあ」
「とっくに食っちまったんだろう」
隼人がそう言った。直後、グー、と腹が鳴って、隼人は(空腹を感じるのは久し振りだ。新鮮だな)と思った。
「これを食べると余計に腹が減ると思うが」
「食べる人いますかー」
翔と渓が厨房から首を出して叫んだ。皆殺到する。今なら下剤でも食いそうだ。大喜びで受け取ってみると、茶碗の中にどろどろした半透明のものが入っている。
號は首をひねって、
「なんだこれ?」
「かたくり粉に砂糖を混ぜて、電気ポットの湯で練ったものだ。本当にその場しのぎだぞ」
「おお、うめえ!うめえぞ」
「むぐむぐ、まぐまぐ。おい渓、お代わり!」
「粉そんなにないわよ!」
食いしん坊三人は生き延びたと言いつつ泣きながら食っている。…が、原材料はちょっぴりの粉と湯だ。空腹が満たされるはずもなく、数分後には案の定余計に飢餓感が増長されただけだった。
三人はふたたび死にかけ状態に戻ってしまった。さっきよりもっとひどい。完全に動かない。
「もう我慢できねえ。俺なんか買ってくる!」
號が吼えた。
「馬鹿ねえ。ここは山の上よ。コンビニなんかないわよ」
「車出して山降りる!」
「片道何時間かかると思ってる。戻ってくる頃には日が昇るぞ」
女二人にいさめられ、だってようと情けない声を出した時だった。
「そういえば、ここに来る途中の道に、スーパーマーケットがありましたよ」
ええっ!と声が上がって、皆その声の主を見た。ツナギを着たメカニックの一人だった。
「馬鹿野郎、なんでそれを早くいわない!」
「でももうこんな時間だぞ。閉まってるだろう」
「いい!行くだけ行ってみる。シャッター壊してでも押し入ってやる!」
號が言うが早いか外へ駆け出して行こうとした。
「號!ちょっと待て」
隼人に呼び止められ、廊下へ出てしまった號はキキキと止まった。首だけ室内に突っ込んで、
「なんすか!早くしてくれよ!俺もう目が回りそうだ!」
「もうひとりくらい行った方がいい。全員でジャンケンだ」
隣りの人間と向き合ってジャンケンを始めた。俺は先に行ってると言って號は結局外へ出ていった。
半分半分になっていって、最後に負けたのは、
「なんだよ俺か!チキショー」
竜馬だった。持ってけ、と言って隼人はサイフから札を出し渡して、
「もし閉まってたら、なるべく穏便にわけてもらってこい」
要するにこっそりかっぱらってこいと言っているわけだ。こいつもよほど腹が減っていると見える、と竜馬はおかしくなった。
「早乙女研究所参上、とかシャッターにスプレーで残してくるからよ」
そう言い捨てて自分も廊下に出た。
玄関の外に止まって待っている軽トラの助手席に乗り込んで、
「いいぞ。出せ、チビすけ」
「なんだよ。あんたになったのか」
ぐいとギヤを入れて軽トラは走り出した。なめらかなコンクリート敷の部分はすぐに終わり、一応舗装はしましたが割れてます裂けてます、みたいな細い細い道路に変わり、時々それさえもなくなってただのジャリ道になった。がっくんがっくんと揺れながら、ひたすら下界を目指す。
「そういや、ちゃんとした場所聞かなかったぜ」
「道なんてこの一本しかねえよ。降りていけばそのうち見えるだろう。…でもなあ」
竜馬が首をひねって、
「そんな店あったか?そりゃここに来る時、ずーっと道の両側をチェックしながら来た訳じゃねえが…覚えてねえな」
それは號も同じだった。
最後に人家を見てから随分長いこといろは坂を登って、施設に着いた。「マジで、隔離されてる気分だな、地獄の合宿所ってとこだな」とか言っていたのだ。その間、そんな商店があったら、目につかないわけがない、覚えていないわけがない、と思うのだが。
「第一よ流さん」
「なんだ」
「こんな場所にスーパーマーケットつくって、誰が買いに来るんだ?」
そうだな、と竜馬も思った。
「タヌキか、キツネか…」
「でなければ、オバケくらいだな」
「オバケはまずいだろう」
竜馬がそう言うので、號は横目で見て、
「なんだよ。怖いのかよ」
「バカ。オバケじゃ、ものを食わねえだろうが。食い物売ってない店じゃどうしようもねえぞ」
ウッ、とつまる。オバケよりなにより、そのことの方が確かに一番問題だ。
「そりゃまずいな」
「だろう」
「オバケ用のスーパーマーケットじゃないことを祈ろうぜ」
がくんがくん。道は相変わらず荒れていて、車体が激しく揺すられていたのだが、不意にすーとタイヤの動きがなめらかになる。
「え?」
思わず疑問が口をついて出るほど、その変化は唐突だった。まるで鏡の上を走っているようだ。
同時に、
「おい、あれ見ろ」
竜馬の声に目をやると、行く手に、煌々と光輝く、大きな建物が見えてきた。
周囲は相変わらずただの山だ。とても、ショッピングカートを引いたおばさんがやってくるとは思えない。
「まあ、車で来るんだろうけどな…でも」
でも、といいながらも、軽トラは道からINと書かれたゲートをくぐり、白い矢印に導かれて、その巨大な駐車場に入っていった。
あちこちに点々と車が停まっているし、なによりもスーパーマーケットの、各階の窓からも大きな看板そのものからも、まばゆい真っ白い光が噴き出している。営業しているのは確かだ。
二人は外に出て、建物を見上げた。
「そばまで来るとでけえな。何階建だ?」
「二?いや三階建か?随分気合入ってるな。地元のスーパーっていうよりはイテーヨーカドー並みだなこうなると。…でも、知らない名前だしな」
筆記体なのかぐにゃぐにゃと綴られたその看板は、読むことができなかった。
なんだかんだと喋りながら、なんだか二人とも足が前に出ない。
なにか、違和感を感じるのだ。
それはもしかしたら、二人が超一流の戦闘能力を持っているが故に感じ取った波長かも知れないし、予兆かも知れない。
しかし、まだはっきりと『これこれこういう事が変だから、入らない方がいい』と言い切ることが出来る形ではあらわれていなかったし、なによりも二人は腹が減っていた。ちょっとない程に腹が減っていた。
多分、もう少し具体的に何事かあったとしても、二人を引き止めて引きかえらせることは出来なかっただろうから、どっちにせよ、決まっていた道であったかも知れない。
二人はスーパーマーケットの中に入った。
真夏なのだが冷房は入っているのか疑わしい。空気がむうっとまとわりつき、そして変な臭いがして、二人は顔をしかめた。
どういう訳か客が誰も見えない。外に車も停まっているし、一人もいないということはないだろうと思うのだが、入り口から見渡したところ、彼ら以外の客が見えない。ただ、だだっ広い空間に、棚がいくつも並んでいる。どこからか低い低いボリュームで、BGMがかかっている。それら自体は馴染んだ風景の筈なのだが、なんだか落ち着かない。
蛍光灯の光がやけに黄色いな、と竜馬は思った。一般家庭の台所にしても、もう少し白い光のような気がする。なんだか濁った、滅入るような光が、頭上いっぱいにともっている。
ふと見上げてぎょっとする。今どき田舎の家でも使っているか?と思う、蝿取りリボンが、それはものすごい数ぶら下がっている。そのどれも、黒々としたやけにでかい蝿が、びっしりたかって、蝿取りリボン本体がよく見えないほどだ。
(気持ち悪ぃな。こんなに大量の蝿、なんでわいたんだ)
ふとそんなことを思ってしまって、これ以上は考えるのをよそうと思う。黒いかたまりがいくつもいくつも等間隔にぶらさがっている姿は、どうしても、縊死した生き物に見える。
ジジジジとやけにでかい音量で言い続ける蛍光灯の音がなんだか、意味のある言葉に聞こえてきて、竜馬は「あーああー」と自分で声を出してそれを打ち消した。
一方、號は別のものを見ていた。
入ってすぐの所は野菜コーナーだ。スーパーマーケットなら大概そうだ。
まあ今日買っていくのは、即座に食えるようなものだから、野菜を買う気はないのだが…
ふと見たじゃがいもを見てぎょっとした。
芽が、出まくっている。
苗床のようににょきにょきと伸びた芽、まわりには細い毛がもしゃもしゃと生え、じゃがいもとして売っているものには見えない。
となりにあるものは最初、長ネギかと思った。が、よく見ると、芽がのびきった玉ねぎなのだった。栄養をすっかり芽に吸い取られ、本体はすっかりしぼんで小さくなってしまっている。
その隣りには葉のすっかり育った人参、袋の中でドロドロになって原形をとどめていないキュウリがならんでいる。その下に、「三本198円」と書かれているのが、悪い冗談のようだ。
(なんなんだ。おかしいぞ。中にこういうのも混ざってるてんならともかく、いやそれだって変なのに、すっかりいっちまったようなのばっかり並べとくなんて)
汗が額を流れ落ちる。暑い。冷房が切れて久しいのか。そのせいで野菜がこんな状態なのか。しかし一体いつからほっとけばこんな姿になるだろう。
何にせよ、ずっと見ていると嫌な味のツバがわいてくるので、號は目を逸らし、
「か。缶詰買おうぜ。念のため缶切りも」
「そうだな。カップラーメンも買おう。湯は沸かせるからな」
竜馬も天井から慌てて視線をひっぺがして、そう答え、二人はなんとなく落ち着かない気分で、大体この辺だろうという棚の辺りへ行ってみた。
缶詰が並んでいる。一見普通の光景にほっとしたが、「あった」といおうと思った口がすぐに閉ざされた。
真っ赤に錆びている。巻かれた紙も赤茶色にボロボロで、何が書いてあるのかわからない。かすかに、魚の絵が描いてあるような気がしないでもないが、それを見て「ああオイルサーディンかな?それともさんまの蒲焼きか?」などと喜んでカゴに入れる気にはなれない。
見るとどれも、膨張していて、そのためきちんと重なっていない。取り上げた一個を、號がそっと戻したが、途端に崩れて、大音響とともに床にぶちまけられた。
二人は飛び下がって、どこからか襲ってくる何者かを待ち受けた。…
すさまじい金属音が鳴り止んで、それから後しばしの時間が経ったが、何も襲っては来なかった。
来ないだろう。普通。ここはスーパーマーケットだ。敵が襲ってくる場所ではない。
しかし、二人はもはや、ここが通常のスーパーマーケットだという気持ちではなくなっていた。
「流さん。なんか変だぜ」
「そうだな。やべぇ感じだ」
囁きながら、なんだか心臓が速く打っている理由に気づいた。低く流れていた、曲名も知らないBGMが、気がつくとひそひそという囁きと、密やかな笑い声に変わっていた。
男か女かもわからない。しかし、竜馬と號を見て話し、笑っているように聞こえる。
「…どこで見てるんだ?」
「誰がだよ」
「この、スピーカーから聞こえてくる笑い声だ。どこかから俺達を見て笑ってやがる」
號は眉をしかめて、
「何言ってんだよ。これ、時報じゃねえか」
「ジホウ?」
「そうだよ。ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぽーん。ただ今から、午後、9時、76分80秒をお知らせ…」
有り得ない時刻を告げている時報を追いかけて口にし、その不気味さに黙った。しかし、竜馬はもっと不気味で、胸がムカついた。
竜馬にはやはり、ぼそぼそという話し声に聞こえる。
同じものを聞いている筈なのに。
「どうやら、来たくないと言っていたスーパーマーケットに来ちまったようだ」
號と目が合う。
「オバケ用のスーパーマーケットだよ」
號の目が大きくなる。ただ今から、午後、9時、77分、丁度を、お知らせします。ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴーーーーーーーー
「…のようだな。…俺達が食えるものを売ってるとも思えねえから、出るか」
「残念だがそうだな」
二人はゆっくりと、もと来た道を戻って、入って来たところから、出ようと思った。
だが。
「…なくなってるぞ」
入って来たドアは消滅し、ずっと前からこうだったように、巨大な冷凍庫がおいてある。
中には、両生類のような生物がぎっしり詰まって凍っている。何なのかを確かめる気にはならなかった。本体は巨大で重くて、とても動くものではない。
「ここから出す気はねえってか?」
「無理にでも出るしかねえ。上の階へ行ってみよう」
「おう」
號は手にしていたカゴをそこに置いた。手を見ると赤錆がついている。ぱん、ぱんと手を払って、Gパンの尻でこすった。赤錆はなんだか血のように見えた。
上への階段を上り始める。足の下がやけに撓む。
踏み抜いて下に落ちそうな気がする。…ここはまだ1階と2階の間なのだから、踏み抜いたところでたかが知れている筈なのだが、なんだか落ちたらとてつもなく深い、底なし沼が待っているような気がする。
ぐっと足がめり込んだ気がして、思わず號は声を上げた。その腕を掴まれた、と思う間もなく竜馬にぶん!と上方に放り上げられた。
「うわっは!」
声を上げて、上の方の段にたたっと降り立って、はぁーはぁーと息をつく。
「なんだなんだ!」
「いや…お前が段を踏み抜いて落っこちるような気がしたからよ」
ぼやくような返事を聞いて、もしかしたら、竜馬に掴まれなかったら、今自分は本当に落ちるところだったのかも知れない、とふと思った。
「悪ィ」
「おめえはチビスケだから投げられるけどな。お前、俺を上へ投げられるかよ」
「無理だろうな」
「助けてもらってあっさり言いやがる」
言いながら二人は上の階に出た。
そこはレストランになっていた。食堂、という言い方の方が合っている。相変わらず、天井には黄色い光がいっぱいに漲っている。見ていると気が遠くなるような色だ。
ショーケースがあって、中には食品サンプルが並んでいる。しかし、ガラスは曇って、中がよく見えない。
「よく見ようとしない方がよさそうだな。変な料理が並んでそうだ」
「窓はねえのか。叩き割って飛び降りる」
「…ねえな。ただの壁だ。天井近くに排煙窓はあるが、あそこからじゃ出られねえだろう。お前なら出られるか?…無理だな」
見渡したが、二階も、相変わらず誰も居ない。
ふと、なんだかいい匂いをかいで、二人はそっちの方を見た。
食堂の、奥の方のテーブルに、ほかほかと湯気を立てている料理の皿が並んでいるのが見えた。
二人の喉と腹から、耐え難い音が上がった。
「おい、食うのはやめとけ」
何もしていないのに、お互いに、同時に止め合った。
とは言え、今この状態の二人に、それは拷問のような光景だった。あめ色に光り輝くトリか何かの肉料理だ。ネギやチンゲンサイのあんがかかっているのを見ると中華だろうか。鼻孔をくすぐって脳の中をかけめぐる匂いは、ほとんど理性を麻痺させそうだ。
「やめろって言ってんだろうが」
「おめえこそ」
言い合いながら二人とも、ふらふらと引き寄せられていく。それにつれて匂いはいよいよ強くなり、二人の口からは涎があふれた。すすったが、追いつくものではなく、テーブルの前まで来た時はもうだらだら状態だ。
「ちくしょう…うまそうだ」
「食いてえ。気が違いそうだ」
「なあ」
お互いの目を見る。ギラギラして、本当に、餓えている状態で若いカモシカでも見つけたハイエナのような顔をしている。
「ちっとなら、いいんじゃねえか」
「ちっとならいいってもんじゃねえだろ!ちっと食えるんなら全部食えるだろうが」
「でもよう」
「下であれだけヤバいもの見て来て、なにいってんだお前は」
といいながらも、言っている方ももうだーらだら涎を垂らしている。
「あっバカ、上に垂らすな」
「は〜ちくしょう、目が回る」
「なあ」
もう一度言う。もはや目から「ギラギラ」と音が出そうだ。
「一口だけ。一口だけでいいから。頼む」
「俺に頼んだってしょうがねえだろうが」
そう言う喉がごくりと鳴る。もう一度鳴り、更にもう一度鳴った後、
「…死なばもろともだ。おい。一口ずつ食ってみよう」
「いいのか?もし、1号機要員が二人とも死んじまったら」
「てめえから言い出したくせに、今更何言ってやがる。自分が死んだ後のことなんか知ったことか」
「そうだな」
あっさりと前言を翻し、二人は皿の前に立つと、あーん、と口をでぇっかく開けた。「一口は、一口だ」という理屈なのだろう。もはや飢餓は恐怖をも乗り越えようとしている。
「待ちなさい」
背後から声に呼び止められる。さすがにギクリとして後ろを振り返った。
そこには、カーキ色の作業服を着、同じ色の作業帽をかぶった初老の男が、ぼうーと立っていた。服のせいか、黄色い照明のせいか、顔色が黄疸のように見える。
「誰だ」
揃って反射的に問いかけてから、この変な建物を訪れて初めて会う他人だということに遅れて気づき、諸々の質問と相手の正体への詰問を口にしかけた。その全ての前に、相手は続けて、
「食べてはいかん。一口でもここの物を食べたら、お前さんたちはもはやここの者になってしまうぞ」
同じ発音の繰り返しに、眉を苛立たせてから、
「しょうがねえだろ。腹が減って死にそうなんだよ」
號がわめいた。
作業服の男はじっと見つめて、
「ここの者になったら、もはや死ぬことも出来なくなるぞ」
それは、『死ぬぞ』より思いとどまらせる威力のある言葉で、號は口をつぐんだ。ちろりと竜馬を見て、
「どうするよ。流さん」
竜馬はじぃっと男を睨み付けていたが、やがて號を見て、
「とりあえず、ココのしきたりを知ってそうな奴に出会えたからな。話を聞いとくか」
「ああ」
二人がそう納得した途端だった。何かが動いた気配がして、はっとして振り返った。
「うわ!」
思わず声を上げる。つい今し方まで、口いっぱいに頬張ろうとしていたものは、腐った人間の片腕に変わっていた。
「げぇえ…なんだこれ。…俺たちはこれを食おうとしてたのか?」
號が吐きそうな顔で、さっきとは違う意味で喉を鳴らした。
「人間が食うもんじゃねえものを食わせる食堂、てとこだな。おっさん」
壁紙の柄のように、佇んでいる男に、
「ここはなんだ。幽霊の出るスーパーマーケット、なんて可愛らしいもんじゃねえようだが」
「逆だよ。スーパーマーケットの幽霊だ」
男の目がいよいよ黄色い。
「商売に失敗してこの場所で自殺した人がいてね。その未練と無念が、悪霊と化して、人を引きずり込んで二度と出さないスーパーマーケットになってしまったんだ」
「売買してるのは人間の魂、てとこだな」
「俺はオバケに買われてく気はねえぞ!」
號がわめく。
「俺もだ。…おっさん。あんたは何だ。ここの従業員か」
「そうだよ。もうこの世の人間じゃないがね」
もう死んでる人間と喋ってるのか…と號はまじまじ相手を見た。死んだ時の年齢なんだろうか。老衰で死ぬよりは、少しばかり若く見える。
「過去にも、お前さんたちみたいに迷い込んで出られなくなった人間が何人もいる。その数が増えるごとにどんどんここは力を増していくんだ。悪いことは言わない。なんとかしてここを出なさい。本当に出られなくなってからじゃ遅い」
「そんなこと言われてもよ、入って来たところは塞がっちまったぜ」
「もう一回チャレンジしてみっか?」
「そうだな。もしかするとドアを塞いでるだけかも知れねえ。気味わりぃけど冷凍庫の中身全部出して…う。イヤだなやっぱり」
言いながら食堂を出て、階段を下りようとし、再びうわっと叫んだ。
数段下から、階段自体ががっぽりなくなっている。その下は虚空だ。暗黒だけがそこに湛えられている。飛び降りてみる気には、絶対にならない。
「さっき段を踏み抜いたら、ここに落ちてたのかね」
「だろう。俺に感謝しろ」
戻ってくると、さっきと同じ場所に相変わらず作業服の男が佇んでいる。
「どうだった」
「ダメだよ。もう下には下ろしてもらえねえな」
「そうか…もう駄目か」
男の顔に諦めが浮かび、顔がいよいよ黄色くなった。
「勝手に決めつけんなこの幽霊オヤジ!俺は絶対脱出するぞ。下がダメなら上だ。行こうぜ」
激昂する。竜馬もうなずいて、
「こんなところでスーパーの商品になる気はねえんだ。なんとかして非常口でもなんでもぶち開けてやる」
男はしなびた顔で、竜馬を見ると、
「…できることなら、頑張ってくれ。そうしたら、わしも成仏できる」
疲れた細い声で言って、すーと消えてしまった。
二人は再び階段で上の階を目指した。
すぐに、変だと思った。段が、次第に丸みをおびてくる。次第にただの坂になってゆく。そして傾斜がどんどんきつくなっていく。二人をもときた階に戻そうというのか。
「ちくしょう!ふざけやがって」
なんとか踊り場までたどり着き、方向転換する。もはや足はずるずる滑る。坂はもう45度を越している。
竜馬はむんずと號をひっつかむと、ぶん!と上方へ向かってぶん投げた。さっきより死に物狂いだ。號はなんとか上の階の、最上段にとりつくと、振り返って、
「跳べぁ!」
言われなくても、という勢いで、竜馬は気合一発で跳んだ。が、足場がもうほとんど滑り落ちる角度なので、踏み切りが弱い。
両者が必死で伸ばした手同士がなんとか届いた。ぶらーんとぶらさがる。號は今では切り立った垂直な壁の一番上の段に、片手一本でつかまっている状態だ。つかみ合った手首が汗ですべる。
下を見ると、さっきと同じだ。暗黒が二人を飲み込もうと待っている。
「號!上がれるか」
「上がってやらぁ!流さん、俺の足にぶらさがっとけ!」
「おう」
號の両足につかまりなおす。両手があいた號は、なんとか上半身を段の上に上げ、段に座った。竜馬の手を掴み直すと、引き上げた。竜馬の手が最上段にかかり、一気に上る。
「ぐずぐずしてられねえな」
「最上階は何売り場だ」
言いながらフロアに出て、足を止めた。
そこは売り場ではなく、倉庫や事務所だった。舞台裏というところだろうか。
灰色のパネルが無機的にフロアを区切り、それぞれに事務机や、ロッカーや、ダンボールを仕切っている。しかし、相変わらず、誰もいない。
「このスーパーの持ち主は、ここにいるんだと思うが…」
呟いた途端、天井の全ての蛍光灯が、わぁっと青白い光をともした。心が縮み上がるような色だ。
息を呑んで見たお互いの顔が、まるで死人のようだ。
次の瞬間、目の前の電話が鳴り出した。
正直二人は飛び上がった。心臓が止まらなくて良かったと思う。ばくばく言い続けている自分の心臓をなだめながら、竜馬は手を伸ばして、受話器をとった。
「………」
雑音がひどい。よく聞き取れない。
「誰だてめえ。ここのオーナーか」
怒鳴りつける。と、遠くの方から、
「…そこは、…きゃくさまが、…らっしゃる、…しょでは…りません。…すみやか…、したへお下りく…さい」
テープのような声が聞こえてきた。
「馬鹿野郎。下の階は真っ黒いカタマリに飲み込まれてなくなっちまったぞ」
怒鳴りつける。
テープは、無表情に返した。
「…お…ゃくさまの、…らっしゃるば…は、
その中ですので」
最後だけがやたらと明瞭で、すぐ耳元で言われたように感じ、竜馬は歯を食い縛ってから、
「お断りだ」
絶叫して受話器をたたきつけた。
すぐにまた電話が鳴った。
「出るなよ」
號が言ったが竜馬は出た。
「おい、てめえ」
チッチッチッチ、というセコンドの音が聞こえてきた。
「―――――まで、残り、10分です。…9分、79秒。…」
再び受話器をたたきつける。
なんだ。偉そうに、カウントダウンなんか始めやがって。…ゼロになったら、どうなるってんだ。…バカ、そんなこと考える必要はねぇんだよ。
しかし、チッチッというセコンド音は、竜馬の耳から消えなかった。
「とにかくよ、この階を調べようぜ」
「よし」
二人は片っ端から、部屋の中を家捜しした。昭和30年、などと書いてある約束手形が出てきて、竜馬がうっと思っているところに、
「おい、これ」
號に言われて覗き込むと、すっかり色の変わった社内旅行の写真だ。どこかの名所に全員で出かけていって撮ったらしい。が、
首から上が写っていない。
「とにかくなにもかも古いな。…さっきの缶詰とか見てもよ」
「しかし、普通に時間が経ってるってのとも違う。この中だけ別の時間が過ぎてるって感じだ」
「そうだな。…60進法でもない感じだったしな」
気味悪そうに吐き捨てる。
耳元でチッチッというセコンド音が、まだ消えない。竜馬は首を振って、それから耳を塞いだ。チッチッという音が遠ざかった。
「…実際に聞いてるのか?」
手をはなす。セコンド音が大きくなった。
周囲を見渡す。青白い蛍光灯の光が充満するフロアの、向こうの方から聞こえてくる。竜馬は耳を澄ましながら音の方へ近づいていった。
「なんだ、どうし…」
突然左右からふっとんできたパネルに竜馬は挟まれ、地面になぎたおされた。
「流さん!」
號が仰天して近づき、起こそうとした所にまた新たなパネルがふっとんできた。號はとっさに蹴倒した。足がジーンと痺れる。
「…つ」
頭をおさえて体を起こす。
「流さんってばよ。何だ?どうした」
「近づいて欲しくないものがあるようだぜ」
「なに?」
「何でか知らねえが、多分」
竜馬が顎をしゃくった。
「あの時計だ」
やたら古めかしい、柱時計という言い方が出来そうなクラシカルな時計が壁にかかっている。そのくせ、多分このチッチッチッという音は、あの時計から出ているのだと思われる。
「あいつをちょっと、いじってみるとするか」
「いじらしてくれるのか?」
「さあな」
呟いて、スキを見てダッシュした。が、もうそんなことはお見通しだったらしく、すさまじい勢いでいろいろなものが二人目掛けてふっとんできた。
二人は次々にそれらを避け、ジャンプをしかいくぐり、あと少しというところまできた。
が。
今度は事務机がかたまりになってふっ飛んできた。
「どっせぇ!」
「うりゃぁ!」
二人は同時に雄叫びを上げそれぞれを蹴り、蹴り、蹴り、蹴り続けたが、潰されないでいるのが精一杯だ。
近くで転がった電話の受話器から、
「―――――まで、残り、1分69秒」
竜馬がやおら號の腰をつかまえた。
「なんだぁ!?」
次々に机が来る。どか、どか!と竜馬は大きく蹴ってから、
「行けー!」
渾身の力をこめて號をぶん投げた。
ふっとばされた號はそのままマリのように、一直線に飛び、そして時計の文字盤に突っ込んだ。
山のような机にどーっと襲ってこられて、こんちくしょうと竜馬がぐっと身構えた時、
ぱぁーん。
甲高い音が響き渡って、時計の文字盤が砕け散り、次の瞬間、事務机がいっせいに床に落ちた。
「い、テテテ…」
床に丸まってうずくまっている號のもとへ竜馬がよろよろと近づいて、
「よしよし。コントロールは衰えてねぇな」
「…ひとを、何度もマジックハンドにしやがって…」
頭から血が出ている。ダクダクだ。竜馬は自分のランニングを脱いで、手早く號の頭に巻き付けると、ぎゅっと縛ってやった。
「この時計が、なんだったんだ?」
「俺にもわからねえが」
「それはな」
後ろから声がしたので振り返った。さっきの従業員がぼーっと浮かんでいる。
「創業して初めて社員旅行に行けるくらい儲かった年に、記念につくった時計なんだよ。社長手ずから、全員に一つずつ渡してくれたんだ。社長は嬉しそうだったなあ。本当に嬉しそうだった」
「…おっさん」
本当に、と繰り返しながら、初老の男はうつむいて涙をこぼした。
「それに、社長の無念がこもっていたんだなあ」
すーと近づいて来て、竜馬の手から、今では急にただのガラクタになってしまった時計を受け取ると、
「ありがとう。お前さんたちが来てくれたお陰で、やっと」
言葉はだんだん小さくなり、男はぼうと見えなくなってきた。おい、と竜馬が叫び、一回目をこすった。
次に目をあけると、二人は、山の中に突っ立っていた。周り中草ぼうぼうだ。その中に、点々と車が停まっている。中には自分たちが乗ってきた軽トラもあった。
そして、草の中のあちこちに、見知らぬ人間たちが倒れていた。
「やっと帰ってきたのか。見つからなかったのか?」
隼人に聞かれ、竜馬と號は顔を見合わせると、
「あったには、あったんだけどな…」
「思ってたのとは、違ったというか」
「なんでもいい!食い物よこせ、食い物」
皆に詰め寄られる。あ、ああ、と言って、二人はごそごそと袋を出した。
中には、せんべいやチョコレートやまんじゅうや、食いかけの寿司やおいなりさんなどが、バラバラに入っている。われがちに群がりながら、
「なんでこんなにバラなんだ?バラ売りにしたってもうちょっと…」
「ああ。ま、いろいろとな」
地面に倒れていた連中を介抱すると、それは皆あのスーパーマーケットに迷い込んだ人間たちだった。それぞれ、バラバラの時期に迷い込んだらしいが、各々の車の中にあった食べ物は、まるで時間が止まっていたように、変化がなかった。
「わりぃけどちっと分けてくれよ」
そう頼んでみると、命の恩人の頼みというわけで皆それぞれ、もっていた食べ物をくれたのだった。
「あいつら、今まで行方不明ってことになってたのかな」
「だろうぜ。神隠しってとこだな。実際、こういう事情でいなくなってる奴もいるんだろうな」
二人は部屋の隅でぼそぼそと話をしている。號は相変わらず頭に竜馬のランニングを巻いているし、竜馬は上半身ハダカなのだが、誰一人そのことを質問する人間はいなかった。
腹が減ってそれどころでないのと、あの二人ならたとえ全裸で帰ってきても何とも思わない、普段の素行のせいだろう。
「そう言えば、あのスーパーマーケットがあるって言った奴のこと」
「あん?」
口いっぱいに頬張って振り返った面々に、
「誰なのか、知ってるか?」
竜馬は尋ねたが、数秒後か数十秒後かに、全員首を振るだろうなと予想がついた。
「あいつも従業員かな。おっさんとは違って、社長のマーケットを大きくしてやろうって考えの従業員だったんだろうな」
號が言いながら、ありがとうありがとうボク、と言って中年オヤジがくれた魚肉ソーセージを、もりもりと食べ始めた。
ヒッジョーーーによくあるパターンの話。でもこれを、竜馬と號で書きたかったので。好きだなあ、1号機コンビ。ネオゲッターの二人も、原作の「號」の二人も、異色の真OVAの二人もどれも結構好きざんす。この話の二人はどれかというと原作の二人かな。
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