ああ薔薇色の、



『こうしてむむ子さんの父親は蒸発したきり、帰ってこなかった。そして…』
ががーん、というピアノのずーっと左の方の音。
『それは、むむ子さんにとって辛い日々の始まりだった』
ミチルがええー、と小さな声を上げた。ムサシと元気はばり、とせんべいを噛みかけてやめる。
一同は夕食の後、お茶を手にして食堂のTVを見ていた。
『女手ひとつでむむ子さんと妹たちを育てる母の体は、次第に病におかされていったのだ』
イメージ映像というのか、いきなりなつかしい割烹着を着た母親役の女が、四畳半の台所で作業の途中、ううっと叫んで倒れた。
『おかあさん!どうしたの、しっかりして、おかあさん、どうしたの』
むむ子役と、その妹役二人の子供が女の周りに集まって、棒読みでセリフを繰り返している。
「可哀想に…お母さんどうなっちゃうのかしら」
ミチルの心配そうな声が聞こえたのか、ナレーションの来宮○子が、
『そしてそのまま、母は帰らぬ人となった』
再びピアノのががーんの音。
「ひどいわ。可哀想に」
「これからは三人で暮らすのかな」
元気が言うと、ムサシが首を振って、
「どうせ親戚とかいうのがいるんだろ」
『むむ子さんたち三人は、遠い親戚の家に引き取られることになった』
「ほらみろ。この後、多分『だが』って言うぜ」
『だが』
「ほらみろ」
『それはむむ子さんにとって、更に辛い日々の始まりだった』
ミチルと元気とムサシが身を乗り出した。
再びイメージ映像になる。親戚の人たちはいきなり鬼のような形相で、こんな奴いるか、というアクションでむむ子役たちをいじめている。
『この役立たず!』
『お情けで置いてやってるんだ!それを忘れるんじゃないよ!今夜は飯ヌキだ!』
『やーい、やーい』
親戚の子、ということはイトコにでもなるのだろうか。子役はとにかく皆棒読みだ。
「にくったらしい顔ね、この子たち」
ミチルが憤然と言う。
「それなのにガマンしなきゃいけないんだ。可哀想だね」
元気が言う。
「こんな親戚、一人残らずぶちのめして家を出りゃいいだろ」
ぼそりとリョウがつぶやいた。元気は引きつった顔、ムサシはうんざりした顔でそれを見る。ミチルが眉間にしわを寄せて笑いながら、
「それはね、リョウ君でないとできないわね」
微妙な雰囲気の中、続きのナレーションが流れた。
『むむ子さんは高校を出て働き始め、なんとかひとり立ちして妹たちをひきとった』
「そうか!偉いぞ、よくガマンした。うんうん。妹たちのためだよな」
ムサシが幾度もうなずき、元気とミチルも気を取り直す。
「でも一人で働いて妹二人を育てるのなんて大変よね」
「自分のものなんかきっとちっとも買わないんだよ。妹たちが欲しいものを買ってあげるんだよね」
ここでイメージ映像は終わり、実際の彼女が働いている映像になる。
「イメージ映像の方が美人だったな」
ハヤトが言った。再び空気が凍りつく。
「あ、あのね」
ハヤトに辛辣な批評を浴びた本人が、カメラに向かって、
『今は三人で幸せに暮らしています。もう今では父をうらんでいません。もう一度父に会いたいんです。会って、できることなら家族一緒に暮らしたいんです』
そばに、本物の妹たちが、やけに緊張した無表情な顔で、正座している。
『お父さんに会いたいの?』
インタビュアーに聞かれても、かたまっている。あいたいよね、と姉に言われても、やはり固まっている。
ここでスタジオ映像になり、有名な関西芸能人が映った。隣りに、今の女性が立っている。手にハンカチを持って、やたらともんでいる。
「苦労なさったんですねえ」
ゲストの連中は皆しめっぽい雰囲気で彼女を見ている。毒光和夫アナウンサーはすでに涙ぐんでいる。
「僕、この人みたいな目に遭ったら、きっとザセツしちゃうよ」
「芯の強い人なのよ」
『わたしたちね、一生懸命探しました。そしてね、…おとうさん、みつかりましたよー」
おおー、とどよめきがスタジオと、ミチル元気ムサシの間から上がった。
「見つかったんだー」
「ああ、よかったなあ」
「よく見つけるわねえ。いつも思うけど」
『おとうさんね、スタッフから話きいて、あなたに合わせる顔がないって言ってね、一度は会えないっておっしゃいました。でもねー、あなたがもううらんでないって言ったって聞いてね、涙をぽろぽろこぼして、会わせてくださいっておっしゃいました。そしてね、今スタジオにきています」
ちゃらららららら~~~と感動的な音楽が流れ、両開きの戸が開いて、顔と衣装のバランスの悪い中年男が現れた。そのまま女性とひしと抱き合い、むむ子!悪かった!おとうさん!
もうなみだなみだの大洪水である。スタジオは全員泣いている。こっちの三人も泣いている。ムサシはおんおん声を上げて泣いているので、今食堂に入ってきた人間はびっくりしている。
「よかった、よかったなあ。うんうん。よかった。よかった」
泣きながらうなずき、うなずきながらそこらを探して、だいぶきんを取ると、それで顔を拭いた。
『妹さんたち、おとうさんですよ』
関西芸能人に押し出され、よそ行きの服を着た妹たちはよろよろ前に出たが、緊張しきった顔で男を見上げている。
『妹さんたちも嬉しそうですねえ』
「どこが」
リョウとハヤトが同時につっこんだ。
『はい、別室で親子水入らずで、ゆっくり話をして下さい』
拍手に送られて、四人は出て行った。
「ああ、感動した。人が幸せになるのっていいもんだなあ」
三人は涙を拭きながらうなずきあい、それからちらりと二人を見た。リョウは腕組みをして偉そうに、ハヤトはちょっと斜め上から無表情にTVの画面をながめている。
「良かったなあとか思わない?二人とも」
「良かったんじゃねえのか」
「別に」
平坦に返され、ムサシはいやだいやだと首を振って、
「こいつらには人の情ってもんがないんですよ。血がミドリなんです。その点俺は違いますからねミチルさん」
「そうね。ムサシ君は人情家よね」
ミチルに苦笑されてムサシは嬉しそうだ。
「おわったんだろ?そのご対面番組。チャンネル変えろよ」
リョウがうっとおしげに言う。元気が口をとがらせながらチャンネルを変えると、なにやら動物番組をやっている。
「なんだろ」
『盲導犬の仕事は苛酷です。このマッキーも一生を山本さんの為に尽くし、そして』
満足に仕事ができなくなった犬が、ひきとられてゆくところが映った。今までの飼い主が、涙をこらえながら、犬を一心に撫でてやっている。マッキーありがとう、ありがとう、と繰り返している低い声が入った。
『そして犬たちは、余生をここで過ごすのです』
老犬ばかりが沢山集まって飼われている。日向ぼっこしながら、くーんと鳴いている犬もいる。
『楽しかった日々を思い出しているのでしょうか』
ぽたり。
なんだろう、と元気は思った。水?
そして顔を向け、仰天した。
『そしてある朝、マッキーは、ひっそりと息をひきとりました』
動かなくなった犬の映像の前で、がば、と机をかかえて、
「ふぐっ。うぐ、ふぐぐ。ふぐう」
リョウがばーばー泣いている。滝のような涙だ。マンガのようだ。もちろん、ミチルもムサシもほろりと来てはいたが、リョウの泣きっぷりの比ではない。二人とも涙がひっこんだ。
「リョ…」
「うぐう。ぐはあ。うぇっうぇっうぇっ、うっくうっく」
「リョウさんて動物もの弱いんだ」
リョウが激しく首を振る。
「違うの?え?」
「ああそうか、犬ものに弱いんだな」
リョウがこくこくとうなずいた。うなずきながらそこらを探し、だいぶきんをつかんでハナをかんだ。
「人によってツボって違うわね」
ミチルはくすくす笑った。
「駄目なんだ俺ぁ、犬がどうしたっての見ると」
犬の首を飛ばしていた人間の言うことではない。
「まあいいや。かろうじてお前の血はミドリじゃないってことだな。…」
「………」
一同はなんとなく、最後の一人の顔を見た。
この男が「うえっうえっうえっ」などと泣くことが果たしてあるのだろうか?
「なんだ」
首をひねって、
「思いつかねえな。お前はまだしばらくミドリのままだな」
勝手に断定された。

[UP:2001/10/4]


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