雪の女王


 「助っ人?」
 竜馬が訊き返す。そっちを見ずに、隼人は手元のボードと画面に流れるデータを見比べながら、
 「そうだ。橘研究所を通して来るそうだ」
 今ガラスの向こうのゲットマシンをちらと見た。
 「なんだ、どんな奴だよ、ちまちまデータ取り大好きタイプなのか。データ取りは大概俺がやらされるからな。あー、うざってえ」
 ため息をついて腕組みをする。相変わらず竜馬を見ないで、
 「違うようだぞ」
 「へ?」
 「その助っ人がだ。機械工学の世界では若き天才と言われているそうだな。タイプとしてなら、一を見て十を知るというか、話の通じない凡人は置いていくというか」
 「そりゃまるっきりお前じゃねーか」
 竜馬が吹き出して思い切りでかい声で笑った。隼人は「くだらない」みたいな顔をしてこの時やっと相手を見てから、
 「ついでに、付け加えると、女だ」
 またきょとんとなる。
 「だから、その、助っ人がだ」
 「はぁ」
 目をぱちくりさせ、
 「天才と呼ばれてて、自分でもそのつもりの若い女なんて、手に負えねーな」
 「その意見には、賛成だ」
 「珍しく意見が合うじゃねえか」
 二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。と、
 「いたいた。リョウ君、買い出しに付き合って!」
 言いながらミチルがドアから首をつっこんで叫んだ。
 「面倒くせえな、ムサシに頼めよ」
 「ムサシ君はおとうさまにお説教をくらってる最中なの」
 「ハヤト。お前行け」
 「ハヤト君は忙しいからダメ。ほら、邪魔しないで。さっさと車出して」
 「なんでハヤトは忙しくて俺はその邪魔なんだよ、っとイテテテ」
 さっさと、してって、言ってるのよ!と耳をつかまれてぐんぐん引っ張っていかれる。
 「どっちにしろゲッターの周囲なんかに居る女は、しおらしさなんてカケラもありゃしねえな」
 小声でぼやいた後、なにか言った?べつに、とやりとりしながら、二人は出て行った。それを苦笑でもって見送ってから、手元のボードに視線を落とした。
 そりゃまるっきりお前じゃねーか。
 ふと、笑っていた竜馬の声を思い出した。
 「ちょっと、違うな」
 独り言を呟く。自分は、人に天才だと思われている、と喜ぶような気はない。少なくとも今はない。
 以前だって、特に喜んでいたつもりはなかったが、天才と呼ばれて当然だから、喜ぶまでもない、的なところがあったようにも思われる。仮に何が天才だ、と貶める奴が居ても、なにか吠えている犬がいるな程度の感情しか持たなかった。故に、腹を立てもしなかった。群れを勝手に離脱する犬は処罰、いや処分したが。…
 「エラぶってるより、もっとまずいのか?これは」
 他人事のように言って、ひとりで笑った。

 スタッフたちの中に首を突っ込んで、
 「要するに、その女の研究てのはよ、今よりもっとアレだろ、ゲットマシンの…性能をあげるってこったな?」
 「単純に言えばなんだってそうなるがな」
 「イヤミは便所で言えよ、先生」
 突き出した顔をグリグリやってくる竜馬にちょっと顔を斜めにし、
 「今より、急激で顕著な温度変化や気圧の変化に対して耐力を上げる、ということだな」
 「そんな簡単に上がるんなら、とっくに上げてんじゃねえのか」
 「そこがそれ、新しい技術を引っさげてやってくるらしいですよ、女科学者は」
 メカニックが隣りの竜馬に向かって身振り手振りで、
 「技術が具現化すれば、航空事故は今の20%減は確実だろうってことです」
 「政府も航空会社も彼女を強力プッシュですよ。早乙女研究所で出したデータもあちこちもっていきたいって話だし」
 皆興奮してわらわら喋っている。
 「おうおう、なんだ。美味しいものでもあんのか」
 武蔵が走ってきた。竜馬は呆れて、
 「ねえよ。なんだ、じじいの説教は終わったのか」
 「いくらなんでも、毎日ずっと説教てのはないだろ。今日の分は終わったけど」
 「結局毎日じゃねえかよ」
 「うるさい。で、なんだ。何の美味しいものの話だ」
 「だから、違うって」
 そうやっているところにドアが開いて、早乙女博士が入ってきた。相変わらず下駄履きで音が特徴的なのですぐにわかる。
 一同がお疲れ様ですの意味のことを言い、竜馬が、
 「おう、その、鼻持ちならねえ天才女はいつ来るんだじじい」
 「もう来とる。バカ者が」
 「へっ」
 見ると早乙女の後ろに、白衣を着た若い女が追随していた。長い髪はただ束ねただけで、化粧気もないが、顔色は真っ白だった。もともと色白なのだろう。一重で切れ長の目、薄い唇は確かに冷ややかだが、顔立ち以上に、無表情なための冷たさを感じる。いや、無表情というよりは『無関心』な顔をしている。
 その顔でジロリと一同を見渡す。というか、見下ろす。早乙女が片手で指し示し、
 「今回、ゲットマシンの機能向上に手を貸してくれる、」
 「陣野ユカリです」
 あまり口を開かずそっけない声で言って、それきり黙って立っている。一同が口々に歓迎の声をあげるが、それには何の反応も示さない。型通りの挨拶は済んだから、あとはどんな人間たちが居ようとどうでもいい、という顔だ。
 「各部チーフの紹介をしておくか。陣野君、」
 「それよりまずゲットマシンを見せていただきたいんですが」
 切り上げるような口調に、フン、と竜馬がバカにしたように鼻を鳴らした。
 「そうか。では、こっちだ」
 一同に頭も下げず早乙女について部屋を出て行く。
 「なんだ、ありゃ」
 竜馬がケッと笑い、他の面々は「まあ、ああいうタイプの人ってことで」とかなんとか言っている。とにかくこの研究所には、円満な性格と社交性を身に付けた人格者など、来る筈がないと、スタッフは皆承知しているのだ。
 「陣野か。お前に似てるな。けったくそ悪い天才君てのは名字まで似るのか?」
 子供っぽい言い掛かりに、隼人は例によって相手にならず、
 「俺も格納庫に行く。それ、まとめておいてくれ」
 「はい」
 言い渡して出て行ってしまった。
 「そういや、ハヤトのやつと、顔も似てないかあ?」
 武蔵がのんびりした声を出した。
 「つり目で細面で色白でよ。キツネかトカゲみたいな」
 「すげえなそりゃ」
 竜馬とスタッフは苦笑した。
 「すげー天才なんだろ。いよいよ似てるな。やっぱおつむの中が同じようだと、顔の造作も似てくるんだな。うん」
 一人で納得し、
 「リョウがああいうのを気に食わねえのは当然として」
 武蔵がハナクソをほじりながら、
 「ハヤト自身はどう思ってんだろうな」

 数日後、昼休みのひとときに、ユカリが一人でゲットマシンのエンジンを眺めている姿を見かけ、隼人はしばし黙って立っていたが、
 「ゲッターエネルギーに関してのあんたの論文を読んだが」
 ユカリはこちらを見もせず、何事かボードに書き込んでいる。
 「机上の計算で出した推論で、ゲットマシンを好きにできると思われては困る」
 まだ返事をしない。カリカリというペンが走る音が続く。隼人は何も言わずに立っていた。
 やがて、カツンと音を立てて最後の一文字を記すと、振り返って、
 「あなたが神隼人さんね」
 能面だ。シワひとつない肌といえばそうなのだろうが、それよりはやはりマネキンのなめらかさを思わせる。表情を動かさないことでシワもよらないのだろう。
 言ってはなんだがミチルは多分、年齢を重ねたら相当シワだらけになるだろう。しかし、その顔を、醜いと思う者は、誰もいない筈だ…
 「あなたの経歴も見せていただいたけど」
 かすめるように眉間に、「ふん」というような侮りが走ったがすぐ消えて、
 「そんなことを口にするような人だとは思わなかった」
 隼人は特に苛立ちもせず、
 「そんなこととは?」
 「ゲッターエネルギーやゲッターロボに関して話す時、必ずといっていい程、関係者は」
 肩を上げて、おろす。
 「まるでゲッターというものが、生きた存在であるかのように言うわね。私は」
 再び眉間に苛立ちと侮蔑が影を落として消えた。
 「その手の擬人化が大嫌いです。思うような結果が出ないとすぐに『第三者の意志が』『神秘の力が働いている』と言い出す。そんなのは単に机上の計算能力が劣っていただけのことだわ。ま、ゲッター関係者に限らず大概の」
 ふっと息をついた。
 「人間が、自分の怠慢と無能を棚に上げて、失敗は全て神秘の存在のせいにするけれど」
 きっぱりと言い切る。切り捨てる。
 「だから、人間を相手にするのはイヤなのよ、てか」
 隼人の背後から笑うような竜馬の声が近づいてきた。隼人を追い越し、ユカリの側まで行く。
 ユカリは驚くでも、怯えるでもなく、その野獣のような相手の顔を無表情に見据えている。
 「違うか?」
 「自分の怠慢と無能を何かのせいにする人間は軽蔑しますけど?」
 「大概の人間がそうなんだろ。あんたにとっちゃ」
 ユカリは返事をしなかった。
 「なぜ黙る」
 「もう、あなたと会話する必要性がないわ」
 竜馬がのけぞって笑った。
 「必要性ときたもんだ」
 格納庫にしばし、竜馬の笑い声が響いた後、それが止んで、
 「おいねえちゃん。ゲッターてのは、ちょっとおつむがいいって誉めそやされてる程度の人間に、扱えるしろものじゃねえんだよ」
 例によってあからさまな表情には出さなかったが、『またそれか』と思っているのが、隼人にはわかった。
 「手を引いて帰れ。あんたの初めてのシッパイとやらに巻き込まれて、空に四散するのは真っ平だ」
 「私はそんなヘマはしないわ」
 もうこれで切り上げるという意思でそう言いきり、背を向けようとしたが、その肩を掴まれた。
 「やめなさい。何をするの」
 「ゲッターや人間をそんな程度のもんだと思ってるヤツに、ゲットマシンをいじられたくねえんだよ」
 竜馬の声は激しく怒鳴りつけるものではなかったが、こけおどしでない力に満ちていた。今まで浴びせられたことのない種類のものであったらしく、ユカリはさすがに顔を引き攣らせ、そむけた。
 「リョウ。やめろ」
 後ろから肩に手をかけようとしたが、その前に竜馬は相手を突っ放し、
 「言うことはもう言った」
 言い捨てると、隼人の手をくぐるようにして向こうに行ってしまった。
 ユカリは泣いたりなどはしなかったし、表情すら大して変わっていなかったが、怒りと屈辱とが白い顔をさらに白くしていた。
 「悪かったな」
 隼人が、いかにも社交辞令的にそう言うと、何か聞き取れないことを呟いたが、かすかに、
 「話の通じないバカな生き物はこれだから」
 のような言葉が聞こえた。
 おそらく、今までずっと、誰と話してもそのフレーズを口の中で、あるいは胸の中で冷ややかに呟いて、話を切り上げてきたのだろうと隼人は思った。
 彼女にとって他の人間とは全て、話の通じないバカな生き物で、この世の全ては机上で計算できるものなのだろう。そう思うその精神構造は、多分、隼人は他の誰よりもよく理解できるつもりだ。かつての自分がそうであったからだ。
 そう簡単に決めつけるわけにはいかないのだということを、自分はゲッターと出会って知った。今まで自分を支え形作っていたものがいかにちっぽけな自信に過ぎなかったか、あの日、ゲットマシンのコクピット内で思い知った。
 しかし、
 (こういう事は、口で言ってわかるものじゃないからな)
 最後に相手の背をもう一度見遣った。白衣は真実白くて、どこも汚れていない。白衣を汚すことすら嫌なのだろうという気がした。

 試作のパーツを積んで、一度試験飛行ということになった。
 パイロットスーツを着て現れたユカリに、隼人は、
 「本気で、同乗するつもりか」
 「勿論よ。自分の製作したものが、パイロットの腕のよしあし如何で、結果を出せたり出せなかったりというのはもう結構」
 「それなら心配御無用だぜ。と、言ったところで信じるやつじゃねえか」
 竜馬がせせら笑った。ユカリは完全に無視して、
 「あなたの2号機に同乗するわ。機動性のチェックをしたいので」
 「ご随意に」
 隼人は相手を見てそっけなくそう言った。
 「大丈夫なのかしら」
 ミチルが気懸りそうに、竜馬と武蔵の後ろでつぶやいた。
 「自分で操縦しなくたって、ゲットマシンに同乗なんか、そうそう出来ないと思うけど」
 「そうですよねえ。あっさり気絶すりゃまだいいけど、内臓だのセボネだのやらかしたり、アタマにヘンな衝撃くらってパーになったら」
 「国家的損害てやつじゃねーのか。いや、そのくらい揺さぶってもらった方がマトモになるかもな」
 「ちょっと、リョウ君」
 途端に、
 「ご心配なく。資格はちゃんと取ったし、万一の時も皆さんに責任をなすりつけるような真似はしないわ」
 平淡な声が飛んできて、ミチルはばつの悪い顔になって「そんなつもりじゃ」と言った。武蔵はきょとんとし、竜馬はふてぶてしい表情でにらみつけ、他のスタッフ群は「テヘヘ」みたいな按配で目配せしあっている。
 ユカリだけが無表情だ。
 本日は合体変形はなしということで、2号機のみが、射出口から中空に飛び出した。

 なるほど自分できっぱり言い切るだけのことはあって、ユカリは悲鳴をあげたりはせず、2号機の動きになんとか順応し、入念にチェックを行った。
 とはいえ、終盤になるとさすがに顔色が良くない。
 「そろそろ、帰還する」
 「いいえ。まだテスト項目が残っているわ。もっと上昇してください」
 隼人はやれやれと思ったが、ここで無理矢理研究所に戻っても、決して「あのまま続けていれば、私の身体機能に影響があっただろう」などと思うはずもなく、ただ「2号機パイロットの怠慢によって充分なデータが得られなかった」と言い放たれるのが関の山だ。
 (別に俺は、どっちでもいいんだが)
 『ハヤト君、大丈夫なのか』
 丁度その時早乙女から通信が入り、隼人が何か言うより先にユカリが、
 「大丈夫とはどういう意味ですか」
 『いや、搭乗時間も予定を過ぎているので』
 「本日予定した分はきちんとデータを取ります。そうでなければ試験飛行の意味がありません」
 シールドの偏光性のためか余計に青く見える顔で隼人を見据え、上昇願いますと言った。これ以上ここで言い合っても仕方がないと判断し、
 「上昇」
 ぽんと言って、レバーをぐいと引いた。

 天候は最初からあまりよくなかったのだが、水平飛行に移る頃からはっきり荒れ始めた。もはや猛吹雪だ。
 そもそも、通常範囲を外れた温度変化への耐力を上げる、という目的で行っている改造なので、そのことはいいのだが、
 「に、しても、多少厳しいものがあるな」
 目視ではただの白い世界だ。もうかなり遠くまで来た。隣県に移って久しい。
 ちらと見るとさすがの女科学者も、シートの中でじっとかたまっている。もういいだろうと、入りの悪い通信機に、
 「これより帰還する」
 返事はあったようだがよく聞き取れなかった。ぐい、と回頭する。その途端だった。
 激しい衝撃があって機体が飛ばされた。
 攻撃を受けたのだ、と判断した瞬間第二弾が来た。避ける。
 レーダーを見るとどうやら敵の偵察機のようだ。
 「偶然ニアミスしちまったのか。…やりあってもいいが」
 いくら免許は持っていると言っても、この機で相手を撃墜するまでのドグファイトは、大分衰弱している彼女には耐えられないだろう。
 逃げよう、と決意した。
 「言っておくけど、私のために逃げようとして後ろから撃たれたなんていう言い訳は」
 「いいから、黙って座ってろ」
 しかし、敵は三機居た。
 最大スピードも出せないし、回避行動にも限界があるとなれば、いくら隼人でも攻撃を避けきれない。
 ユカリの悲鳴が途中で途切れた。

 目を開けると、白い天井が見えた。
 (屋内だ)
 そのことを意識し、隼人はそっと体を持ち上げた。
 そっけない作りの、四角い殺風景な部屋の真ん中にある台の上に、寝ていた。特に、縛られている訳でもないし、改造しようと待ち構えているスタッフがいるわけでもない。
 触れてみると、先刻の衝撃で切ったと思しき額には簡単に、手当てがしてあった。
 (手当てしてから、懐柔し傀儡に使おうという輩も、いないとは限らないが)
 しかしそういう考えなら逆にもう少しもてなしてくれそうなものだ。部屋はやたら寒く、パイロットスーツのお陰で凍死はしないが、呑気にくつろげる温度でもない。
 隣りにはユカリが気を失って横たわっている。こちらも、大きな怪我はしなくて済んだらしいが、一応という感じで手当がしてあった。
 脈をみる。呼吸も…正常だ。
 「陣野君」
 耳元で言って肩を揺さぶると、ううんとうめいてからうっすらと目を開け、それから見開いて、隼人の顔を凝視した。
 「悲鳴はあげないでくれ。一応助かったようだが、まだ」
 そこまで言ってから辺りをうかがい、
 「無事に帰還は出来ていない」
 「ここはどこなの」
 声は震えているがまあ落ち着いている。泣き叫んだり喚いたりは、今のところしないようだ。お高いプライドもこの場合は有難い。
 「どこかはわからない。ジャガーを落とした機影は敵のものだとはっきりしているが、だったら」
 隼人の手に、自分の腕を示されてビクリとし、そこに巻いてある包帯にいよいよ驚愕する。
 「手当など、してくれる筈がない。意識の有無にかかわらず、銃口を向けて引鉄を引き、それで終わりのはずだ」
 「じゃあ、味方なのかしら」
 「そう、一概に言い切ってしまうのも危険だが、とにかくここの部屋にじっとしているとじきに冷気に耐えられなくなるだろう。外に出てみる」
 「私も行くわ」
 隼人はちょっと考えた。外で敵と遭遇した場合のことを考えると、このままこの部屋に残して置いた方が安全だろうか。
 しかし、自分がいなくなった後この女一人になってもし敵がやってきたら、身を守るすべはない。
 「あんたは俺の背後を見張れ。いいな」
 「わかった」
 ドアは、意外にか、当然か、すんなり開いた。
 外はこれまた殺風景な白い廊下だった。侵入者の存在を感知する類のものや、ガスの噴出口、突然降りてくる壁なども見当たらないようだ。
 「アジトだとか、研究所というよりは、ただの居住区のようだが」
 だが居住区にしては本当に味も色もなさすぎる。軍の雑居房が近いだろうか。
 ここで軍隊が生活しているとも思えない。人の気配が全く無い。
 廊下の果てに、またドアがあった。
 あけるぞ、と目で言うとユカリは緊張と寒さで蒼褪めた顔でうなずいた。
 ゆっくりと回し、押し開き、銃を構える。しかし、その大きな部屋には、一人しかおらず、その一人も特にこちらに注意を払ってはいなかった。
 座ったきり何を見ていたわけでもないらしい顔をこちらに向けた。
 衣服は、人間の女のようだった。カクテルドレスというのか、いや首や肩を隠してあるから、単なるロングドレスか。真っ白く長く垂れる裾は床に届いていた。
 その衣裳に相応しく胸にははっきりふくらみがあり胴は細く、膝の上で揃えた手はほっそりしていて、長く肩に背に流れる髪は柔らかいプラチナブロンドだ。
 そして、しなやかな白金の髪の下の顔は、みどり色で、ウロコがあった。

 顔の造作は、他の生き物よりは人間的と呼べる。両眼に鼻に、口。だが唇はない。ただの裂け目だ。眉毛もない。
 その目は金色をしていて、白目の部分がなかった。
 ユカリが悲鳴を上げたりしないのを確かめると、必死で口をおさえている。それから隼人は再び相手を見て、
 「お前は何者だ」
 言葉が通じるだろうか、と疑問に思いながらそう訊ねた。
 ハチュウ人類だろうか。しかし、やつらにしては人間に近すぎる。やつらには髪のようなものはなかった筈だし、なんといっても顔立ちが、やつらよりは完全に人間に近い。
 金色の目を少しだけ細める。それから、その裂け目のようなくちもとが、どうやら笑った形になって、
 「半分は、お前たちと同じだ、人間」
 どこか、発音がおかしいが、明瞭な言葉でそう返してきた。少し金属的な響きがあった。
 「半分?」
 訊き返したがそれには答えず、相変わらず黙って座っている。その姿は優雅で、落ち着きがあったが、同時にまたひどく疲れているようにも見えた。
 「俺たちを手当てしたのは、お前か」
 包帯を指し示して訊ねる。声には油断はなかったが、もう少し、穏やかなものになった。
 女は曖昧にうなずいて、
 「助からぬ傷というのであれば、見殺しにしたのだがな」
 薄く笑うが、わざと、酷薄に、悪趣味にしてみせているのはわかった。
 「おまえたちが乗ってきた機は下の階にある。大きな破損はない。西の方角がおまえたちが来た方だ。早くしないと敵が来るぞ。行け」
 「ここはどこだ。お前は何故ここにいる?」
 大喜びで逃げていかず、なおもそう訊ねてくる隼人に、女は少しうるさそうな、面倒そうな笑みを見せた。
 冷ややかで、高圧的なのに、どこか面白がってもいる。
 その表情をしてみせるがゆえに、見掛けの異様さを越えて、この女が人間的に思われるのだと、隼人は思った。
 「隠れているのだ。この、一年中雪の消えない山間にな。いつまでも居られては、おまえたちの敵がおまえたちを探し回って、ここも見つける。迷惑だ。早く出て行け」
 さばさばと言ってドレスの裾を直した。キラキラと白金の光が舞った。
 「隠れて…?」
 ユカリが小さな声で言った。その目は、見たことの無い生物である相手の怪異な容姿にじっと注がれている。
 興味と好奇心で輝くその目を、女は黙って見返し、
 「我はおまえたち人間と、ハチュウ人類の間に生まれた存在だ」
 隼人の目が見開かれた。
 正直、心のどこかで、あるいはと思っていた。
 しかし。
 しかしと思ったその心を読んだように、
 「異種の生き物同士の受胎などそう簡単にゆくものとは思われないから、どちらかの、あるいは両方のカガクシャの手によって生み出された実験の成功例であったかも知れん。単なる受胎を成功と呼ぶのであればだが」
 隼人は無言だった。
 「我の生まれ出た背景と経緯は知らん。あるいは、純粋に愛し合った父母の心が生んだ愛の奇蹟かも知れんな」
 『あるいは』と言いながらそんなことは思っていない。あまりに痛烈な皮肉だ。なぜなら、
 「我は無論のこと両者の群れより疎まれ忌み嫌われた。この顔ではな。両者とも、敵方のものとしか見られぬ」
 まさにその目で見ていたユカリがびくりとした。女はひにくげにじっと見据えたまま、
 「我はハチュウ人類の戦闘力、人類の温度変化への順応力でもって両者から逃げ延び、ひとりここに逃れてきた」
 「…いつのことだ」
 「さあ、」
 女は薄く微笑んだ。凍りつくような笑みがくちびるのないくちもとに浮かんだ。
 「忘れた。我の細胞はなかなか、年をとらん」
 「それから、ずっとひとりでここに」
 ユカリが息を吸い込むようにして、たずねるともつぶやくともつかない調子で囁くと、
 「他にゆくところはないのでな。
 ずっと昔、自らの命を絶ってみようかと思ったこともあったが」
 首をかしげる。
 子供が、「あれえへんだな」と言っているような仕草だった。
 「我の再生能力は、それを許さなかった」
 そして、くちびるのない口を引き締める。
 「よい。
 ならば、命つきるその時まで我はただひとりここに居よう。そう決意したのも、もうどれほど昔か忘れた」
    この世にたった一人ぼっち。
 その言葉に、最も、あるいはただ一人かなう存在が、そこにいて、静かに佇んでいる。
 雪と氷に閉ざされた部屋の中、はるかな昔から今まで、ただ、一人、誰にも受け入れられずに、死ぬことも老いることも許されないまま、なお毅然として―――
 さながら女王のように威厳をもって、そこに居る。
 隼人は暫くその姿を、焼き付けるように見つめていたが、やがて、静かに一礼し、
 「世話になった。
 行くぞ」
 「え、でも、」
 言いよどむユカリの目を見る。
 「お前は、礼を言ってこの部屋を出る以外に、他にどんなことをするつもりだ」
 平板に聞こえる口調で話す、自分のすぐそばにいる相手が、相当な大きさのものを押し殺しているのを感じた。それは今までのユカリにとっては、何の意味もないことだった。隣りの人間が感情をかきたてて怒っていようと嘆いていようと感動していようと、そんなことは彼女の計画や予定遂行と、なにひとつ関係のないことだった。
 だが。
 今の神隼人に、これ以上逆らうと、殺される、ということが、ユカリにはわかった。
 普段であれば、私のプライドは、暴力や脅迫なんかで、やすやすと曲げられるものではないと言い張っていたかも知れない。しかし今のユカリは声も無く従った。
 真実の危険の前では、プライドも引っ込まざるを得ないのだ。
 最後にユカリが振り返ると、女は、二人がはじめてこの部屋に入ってきた時と同じ姿勢に戻っていた。二人がここにやってきたことなど、なにひとつ起こらなかったかのようだ。
 そしてこれから先もずっと、そのままなのだろうと思わせる姿だった。

 彼女の言葉通り硬い石の壁の、格納庫のような場所に、ジャガーがたたずんでいた。ジャガーのコクピットに座ると、行く手の岩だなのような隙間から外へ出られるのがわかった。
 「発進」
 外界に滑り出るとたちまち、研究所と、すでにこちらに向かっているらしいニ機から、嵐のような通信が入った。
 『ジャガー!聞こえるか。ハヤト君か』
 「聞こえます。敵と遭遇、退避に失敗して墜落しました」
 『なんだと』
 「大きな破損はありません」
 『そんなこたわかってんだよ。どこで居眠りこいてやがった、突然レーダーにわりこんできやがっててめえ』
 竜馬の罵りに、ふと、
 「今までジャガーはレーダーに映らなかったのか?」
 『ああそうだぞ。神隠しかって言ってたんだ。ああよかった』
 武蔵ののんびりした声が入ってきた。
 「あの女の居住施設は、その手のものに映らないように、作ってあるんだな」
 隼人が呟いたのを、ユカリは聞いたが、相手の顔は見なかった。
 敵機が接近してきた。ジャガーが敵機の射程範囲に入るのと、竜馬と武蔵ニ機と遭遇するのがほぼ同時だった。
 『面倒くせえ!ゲッターで倒す。行くぜ、てめえら!』
 竜馬の咆哮がコクピット内に響き渡る。
 『チェーーーンジゲッターーー、ワン!』
 寸前で敵のビームをかわし、半回転してからふっと滞空したジャガーの背後から、ベアーが突っ込んだ。
 『スイッチ、オン!』
 眼前にイーグルが迫る。視界がブラックアウトし、すぐにうす緑の光に満たされる。
 『さあて、覚悟しやがれ』
 「リョウ」
 隼人が、これから戦闘とは思えないような静かな口調で、
 「こいつらを、なるべくこの付近から遠ざけて、倒せ」
 『なんだそりゃ』
 「こいつらの残骸を収納しに来る連中が、ちらっとでも、不審なものに興味を引かれたりしないくらいにだ。いいからさっさと移動しろ」
 『えらそうに言うな』
 怒鳴り返しながらも、敵の鼻先を掠めて誘うと高速移動する。ユカリは椅子にめりこんで、歯を食い縛った。
 ワーンという変な音が響く耳の中に、竜馬の嬉しそうな『おらおら、しっかりついてきやがれ』という怒鳴り声がかすかに聞こえた。

 「…以上がテスト結果です」
 「うん、期待以上の結果が得られて大変喜ばしい。感謝する、陣野君」
 早乙女が言い、スタッフが「お疲れ様でした」「ありがとうございました」の類を叫ぶ。ユカリが、心なしか蒼褪めて見える顔で、かすかにお辞儀を返したので、皆おやと思った。
 初めてここに来た時には、ハナもひっかけないて風だったのに。やっぱりテスト飛行だけのつもりだったのに、敵と遭遇なんかしちゃって、ショックだったのかな?
 そんなふうな空気が漂っているが、キッとなってそれを打ち払う気もないようだ。ジャガーで帰還してから、ずっと血の気の失せたくちびるで、なんとなくフワフワ足が床から浮いている。あの、年若き天才と同一人物とは思えない。
 ガラス越しにジャガーを見つめている背中に、
 「あの件についてだが」
 話し掛けると、さっと振り返ってきた。隼人の、無表情な顔を、なんでそんな顔で居られるという顔をして見つめてくる。
 本当に、あちこち変わったようだ。そしてそれは、決して、口でとやかく言われたからじゃない、
 「口外は無用といこう。あんたと俺の秘密だ」
 蒼白の頬が細かく痙攣している。
 何も言わずまたジャガーの方へ視線を戻し、立ち尽くしている。
 この世に、
 たった一人ぼっちという、
 存在。
 ユカリも、自分以外の全てが、自分とは違う、自分より劣る生き物だと思って来た。当然のように。だが、
    真実、この世に、自分と同じ生き物が居ない存在、
 その永い冷たい孤独が、手で触れられるかのようにありありと、ユカリの胸に今は在る。
 その言葉を一身に引き受けて今も雪山の奥に一人、ただ一人居る、存在が、ユカリにそれを見せたのだった。
 それは今までの奢りから生まれた孤独など、本当に、ちっぽけで取るに足らないものであることを、ユカリに思い知らせた。
 「なんだあの女、すっかり大人しくなっちまったな」
 竜馬に尋ねられ、返事のしようもなく黙っていると、
 「俺たちがおまえらと合流する前に、何かあったのか?」
 「何か、か」
 「ああ。あの女の鼻っ柱を根元から折っちまうような何かが」
 そうだろう。
 あの金色の目を見て、緑の肌を見て、極寒の雪原に似た孤独に触れて、まだ自分が天才ゆえの孤独に耐えているなどと思うようでは、感受性が鈍いだとかいう話ではない。
 「ご明察だ」
 「やっぱりな。何があった」
 「うん」
 うんと言ったきり黙っている隼人に、もったいぶらねーで教えろ!とかみついてくる。
 しかし、あの存在を言葉で説明することの難しさと虚しさに、声はなかなか出てこなかった。
 ふと、言い難い憂鬱をおぼえて、目を閉じるとあの、もう二度と訪れることもないどこかの山間にひとり佇む、雪の女王の姿が見えた。

[UP:2006/04/04]

 女王さまは、カムイ君のイメージで想像して下さい。

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