「はぁ…」
幻夜が今宵何回目か、何十回目かについた溜息は豪奢な建物の高い天井にのぼってゆく。
大きな窓は広い庭に面しており、その下には夜の海が広がり、漆黒の夜空に真っ白い月が美しく輝いているのが見えた。
本当であれば、幻夜の大好きなシチュエーションだ。もうこれっきりという感じで、ガウンを着てバルングラスにブランデーを注いでゆらゆらさせながら、ポエムだか俳句だかひねるところだ。
しかし、今夜の彼はそれをやらかす気にもなれないらしい。トレードマークの純白スーツで後ろに手を組み、ただ外を眺めては「はぁ…」とやっている。
夜空に星が流れ、その後にひとりの少年の顔が浮かんだ。星のように輝く瞳、白い歯、健康的に赤らむ頬。風に揺れる茶色の髪。
彼を真っ直ぐに見つめ、心から嬉しそうに呼びかけてくる。その声が聞こえるようだ。
『幻夜さん!』
(ああ、大作くん)
眉根がよろよろと情けなく寄ってくる。
(大作くんに会いたい)
そっと持ち上げた手が胸ポケットをぎゅっと押さえてから、中のケースを取り出す。そこには、草間博士の一人息子草間大作の写真が入っていた。カメラ目線でにっこり笑っている。
もう何回眺めたかわからない。写真の表面は幻夜の視線になめされてもうツルツルだ。
勿論これだけではなく、彼の自室には数え切れないほど草間大作の写真があった。声の記録もあるし動画もあるし、汗を吸ったハンカチまである。実際、草間大作の虜になってから、幻夜の部屋は大作コレクションルームと化していた。
しかし、コレクションの数がいくら増えても、いや、増えれば増えるほど、
(こんなものじゃなく、本物の大作くんに会いたい)
その思いがつのるばかりだ。
しかし、草間大作は国際警察機構の一員、自分はBF団の一人だ。そうそう簡単に呼び出してデートしたり、自室に招いてムーディなひとときなんか過ごせる筈もない。
しかし、また戦場で敵味方として会って「はっはっはこの私にたてつこうというのか」だの口上を述べて、というのも正直もういやだ。気合の入らない長ゼリフを喋る暇があったら、すぐ側で大作の目を見たい。大作の声が聞きたい。
なんだか、以前より「大作に会いたい度」が増している気がする。堪え性がなくなったように思う。
「恋の病は、かかってしまえば重くなる一方というわけか…」
呟いてからフッと翳りのある微笑をたたえた。その途端、なんの前置きなしに横から衝撃波をくらわされ、幻夜はあえなくふっとんだ。
「なっな、なんのつもりですアルベルトどの!」
懸命にわめくが、まだ頭が椅子にめり込んだ状態なので声がくぐもっている。
「いや、別に。この部屋に用があって入ったら、なにやら目障りで不愉快ななにかが居たので、排除しただけのことだ」
イヤミなのはそれを淡々と言うことだった。つかつかと部屋の隅の大きな書棚に行き、本を探している。
ずぼ、と頭を抜く。長い髪がひっからまってもつれてむちゃくちゃになっているのを懸命にほどきながら、
「言いたいことがあるのならはっきり言ったらどうです」
「そうか。では、目障りで不愉快だから、顔を見せるな」
幻夜はその顔を憎々しげににらみつけてから、ため息をつき、
「見たくもない顔はいくらでも見られるというのに。ああ。貴殿の首から上をすげかえさせてもらえませんか」
「勝手に人の首をひっこぬかないでもらおう。そんなにあの乳臭い子供が恋しければ真面目に会いに行け。そして戻ってくるな」
葉巻で窓の外を示される。
「本当に底意地の悪いひとだ。そんなことができるわけがないと知っていながらわざわざ。なるほど性格が悪いので頭の形もシリのようになったのだな」
「どさくさに紛れて何を言っとるかきさま。なにが底意地が悪いだ。気味の悪いため息をはぁはぁはぁはぁ聞かせる暇があったら、とっとと会いにいけと言っとるのだ。それでもう戻ってくるな」
「最後のフレーズを何度も繰り返さなくて結構です。そう簡単に会いにいける訳がないではないか、あっちは国際警察機構に居るのだ。わたしがのこのこ会いに行って、おやいらっしゃいと言って会わせてくれるわけがないだろう」
「だったらほっかむりでもして行けばいいだろう。そのうっとおしい髪が見えないだけで貴様とは気付かないかも知れんぞ」
頭がシリの形と評された同僚は、本気で言ったのでは勿論なく、やはり単なる意地悪というか、ほっかむりをして国際警察機構に乗り込んで挙句捕まっている幻夜の姿を思い浮かべて、ちょっと溜飲を下げた、という程度の戯言だったのだろう。
しかし、「知れんぞ」の後、はっはー!と笑った同僚の顔を見つめたきり、幻夜は動かなくなった。
しばらくの沈黙の後、いやないやな顔になった衝撃のアルベルトは、
「おい。何を考えている」
突然幻夜は立ち上がると、まだもみくちゃの頭のまま手を伸ばし同僚の手をにぎにぎと握ると、
「全くだ。何故今までそのことに気付かなかったのか。真実とはいつも近くにあるものなのだな。感謝する、アルベルトどの」
「手を放せ、気味の悪い」
振りほどく前に幻夜は手を放して、だっと部屋から飛び出して行った。
「…まさか、本気でほっかむりして忍び込むつもりか?」
幻夜に握られた手を胸元で拭きながらゾッとして呟いた。さっきまでは笑えた想像だったのだが、今はただ恐怖だった。
「なんだこんな時間か。おぅ、鉄牛。一杯やりに行かねぇか」
「いいですねぇ兄貴〜!きゅ〜っとですかい」
「そうともよ、きゅ〜っ、きゅ〜〜〜っとだぜえひひひ」
「いひひひひ」
「あんたたち、夜になると元気が出るんだね」
「そう言うねぇ楊志よう」
「姐さんも一緒に行きましょうや」
「それがいいそうしろ。サイフちゃんと持って来い」
「しょうがないね全く」
よだれをたらして喜んでいる男二人に、呆れ顔の青い女が廊下を進んできて、エレベーターの1階を押した。
「新しい店が出来たんですぜ兄貴、姐さん。今なら120分飲み放題です」
「いいじゃねえかそこ行こうぜ。よし、決ま…」
ガーとドアが開いた。そして、三人は「えっ」と言って突っ立った。
中から下りてきた人間はなんというか、その、着ているのは国際警察機構の、一般工作員の作業服だ。帽子もちゃんとかぶっている。
しかし帽子につまっている髪が多すぎる。帽子がふくらんじゃってぱんぱんで頭から浮き上がっている。頭がもう一つ乗っかっているみたいだ。
(わざとなんですかい、姐さん)
(いや、変装してるつもりなんだろうけどねえ…あの目とか)
目を閉じた瞼に、呉先生ふうの目を描いているのだ。山田太郎の目とも言うが。
(寝ているやつにいたずら書きしたことは何度もあるが、起きている状態で、しかも自分でやってるやつぁ…初めて見たぜ)
黙って自分を見ている三人に、その奇怪な男はにっこり笑いかけ、
「お疲れ様です!」
(幻夜)
(やっぱり)
(声、そのまんま)
三人の顔に縦の線が入りまくった。
「あ、あのさ」
楊志が咳込みながら、
「あんた、一体、…」
どこの部分に突っ込んだらいいんだい、という感じの質問の仕方になった。
相手は「はっ」と敬礼して、
「取るに足らない下っ端です!」
「あ、そう…」
鉄牛が眉間にシワをよせ、
「おめえ、名前なんていうんだ?」
「え…げん太です!」
一拍詰まってからはきはきと答える。
「げ、げん太。池中?」
「うんうん、そうか。よし、よし」
もはや戴宗は腕組みしてうなずいてやっている。
「兄貴ぃ」
「何も言うな鉄牛。見逃してやれ」
「へい」
低い声でぼそぼそ言い合ってから、
「俺たちぁちぃっと飲みに出てくらぁ。じゃあな、げん太」
「またな、げん太」
「風邪ひくなよ、げん太」
「歯ぁみがけよ、げん太」
「風呂入れよ、げん太」
三人は口々にげん太げん太言いながらエレベーターに乗り込んでいった。戸がしまる。下降を始めた。
しばしの沈黙のあと、三人はながーい息をついて、
「あいつ、フォーグラー博士に化けてた時はもっと上手かったような気が」
「幸せボケかねえ。腕落ちすぎだよ。あれじゃばればれだ」
「ばればれですぜ姐さん。俺がやったってもうちっとマシだ」
「衝撃の野郎もあれと毎日つきあってるのか。飽きねえだろうぜ」
両手で脂汗を拭い、
「大作に会いに来たんだろうなあ、やっぱり」
「兄貴、いいんですかい。見逃してやっちゃって」
「ああ。いい、いい。次に出会ったやつにもばれるだろうしその次に出会ったやつにもばれるだろうし、…まあとにかく誰かに任す。俺ぁ知らねえ。飲む」
その時、がこんと音がしてエレベーターが1階についた。
一方、廊下を進みつつポケットの手鏡に自分を映してみながら、
「よかった…。気付かれなかったようだな。しかし、大作くんはどこにいるのだろう。うむ、思い切って訊いてみるか」
と、また廊下の向こうから声が聞こえてきた。
「北京支部のシズマドライブに不安があると?」
「はい、出力が低下しています。わたしの見たところ」
言いながら、中条と呉が角をまがってきて、
「わっ」
思わず声を上げたのは呉だった。
「お疲れ様です!」
さわやかに言ったが相手はまだ驚愕している。中条は傍目には何を感じているのか全くわからない。
何を驚いているのだろうと疑問に思ってから、幻夜は、
(しまった。目を開けたままだった)
慌てて目をつぶった。
その顔を見て中条が「なるほど」と呟いたのが聞こえたが、その声にはやはり何の感情もなかったので、どんな顔をしているのかはわからなかったし、何がなるほどなのかもわからなかった。
呉はずっと黙ったままだ。
(呉学究はどうしたのだろう。ああそうか、こいつは誰だっけと考えているのだな)
「昨日付けで北京支部に転勤になりました、げん太と申します。宜しくお願いします!」
呉が変な音をたてた。
(???)
幻夜がそぉっと薄目を開けてみると、呉はもう顔も首も手も全部真っ赤になってうなだれている。隣りの中条がそれを、無表情に眺めている。
「あのう、ええと、草間大作の、いや大作少年の部屋はどこでしょうか。あ、別にやましい事情があるわけではありません」
元気よくさわやかに言い切られて、呉はもう勘弁してくれという感じで扇子で顔を隠して向こうを向いてしまった。
中条が相変わらず無表情な声で、
「大作君の部屋かね。この上の階だ」
「そうですか。ありがとうございます。では」
きりきりっと敬礼して、さっきあったエレベーターのところへ戻っていく背中を、二人は各々の顔色で見送った。
やがて呉が中条に頭を下げて、熱くかすれた声で、
「申し訳ございません」
「君が謝ることではあるまい」
「はあ、しかし、謝らずにおられません」
中条は少しの間呉を見ていたが、
「今夜は、一杯やりに行かないかね」
「えっ」
「なんだか飲みたい気分だ」
「…お供します」
幻夜は上の階に着き、左右を見渡して、
「この階だな。ちゃくちゃくと目的地に近づいている。ふふふ、わたしの変装は完璧だ」
さて、ここからどっちだろうと見渡し、
「とりあえず行ってみよう」
歩き出した。
暫く行くと上に【給湯室】と書かれてあり、中から、
「銀鈴、あんまり大作のコーヒーを濃くすると眠れなくなるのではないか」
「大作君、今夜は頑張って勉強するんですって。でもそうね、子供があんまり夜更かしするのは良くないかしら」
一清と銀鈴の声が聞こえてきた。
銀鈴がうふふと笑って、
「大作君ったら、コーヒーにブランディ入れるっていうんですよ」
「ほう。これはまた随分と、あだるとな」
「にいさ…幻夜に教わったんですって。ヘンなことばっかり教えるんだから」
ヘンとは何だ!と幻夜はハラを立てたが、あっそうだ、と思い立ち、
「失礼します!」
「うむ」
「はい?」
二人はこちらを振り返り、そして、
「きゃあああああ」
銀鈴が絶叫した。幻夜と一清は各々の事情でビックリ仰天し、一清が大慌てで、
「銀鈴、落ち着け」
「す。すみません、つい」
「うむ、よし。深呼吸だ」
「すぅー、はぁー」
「すぅー、はぁー」
二人そろってすぅーはぁーやってから、そっと幻夜を見ている。
「あのう、私はげん太といいまして新入りなのですが」
銀鈴が真っ赤になった。さっきの呉のようだが、こっちは目を見開いて幻夜を凝視している。「信じられない!本気?」という顔だ。
「げ、げん太か…うむ」
一清がヨロヨロと譲歩すると、銀鈴がもういいからやめてください!となんだかわからない悲鳴を上げてきた。
「あの、草間大作…少年のところにコーヒーをもってゆくのなら、私が!」
銀鈴がさらに目を見開き、もう羞恥のあまり涙が浮かんでいる。
「そっ。そうか。じゃあ、お。お前に頼もう。よし」
血色のよくなった一清がコーヒーのカップを差し出した。幻夜はそれを受け取って、『あ、あれ?』という小芝居をしながら、
「すみません。大作少年の部屋はどこでしたっけ。いや、知ってるんですが、ちょっとド忘れを」
「もう勘弁して」
銀鈴が叫んで外に逃げ出していった。
「あー、うむ」
一清が微妙に無力感の漂う笑顔で、
「ここを出て最初の角を右に曲がって三つ目だ」
「あ!そうでしたね、そうそう。そうでした」
思い出した!という言い方の相手に、一清は早くいけ、とささやくような声で言った。自分も我慢の限界なのだろう。
幻夜は大作のコーヒーを持ってウキウキと、教えられた部屋を目指した。
(もうすぐ大作くんに逢える)
まずはノックして、そうしたら中からあの懐かしい声が「はい?」とか聞こえて…
この姿で入っていったら大作くんは誰かわからないだろうからな。「あの、どなたですか?」なんて不思議そうにあの大きな目でじっと見つめてくるのだろう。ああ、想像しただけで泣きそうだ。
「わたしだ、草間大作!」そう言って変装を解いたら大作くんはぱぁー!て嬉しそうな笑顔になって、「幻夜さん!来てくれたんですか!大変だったでしょう、すみません僕のために」何を言ってるんだ。君に逢うためなら、どんな苦労だって厭わない。いや、こんなもの苦労とは言わない。最後に君の笑顔というゴールが待っているのなら、それはむしろ喜びへの前奏曲とすら呼べるものだ…
廊下に立ち止まって延々と独り舞台を展開していたが、この辺ではたと我に返った。自力で戻るのは珍しいことだ。大概、横から衝撃波が来てなぎ倒されて気がつくというパターンだからだ。
(大作くんのコーヒーが冷めてしまう)
部屋の前まで行くとドアは開いていた。多分銀鈴が、戻ってきた時には自分の分のカップも持っているから、両手がふさがっていても中に入れるようにと思って開けていったのだろう。
(この場合でもやはりノックはしないと)
そう思った時、中から、
「もっと上を向け、大作」
「痛いです村雨さーん」
なにー!?
とばかりに中に飛び込むと、そこには、椅子に座っている大作の顎を捕らえて仰向かせ、顔をこんなに近づけている村雨の姿があった。赤くなった大作の目からは涙がこぼれている。
「おわああああ!」
先刻の銀鈴のように絶叫した。ガシャン、と音がしてカップが割れ床に散らばりコーヒーが飛び散った。
大作はびっくりし、村雨は無表情にこっちを見た。幻夜はまっすぐに村雨にとびかかると、襟首を掴んでどーっと押していった。そのまま壁まで行って、後頭部をガツガツと壁に打ちつけようとするが、さすがにイヤなのだろう、無表情のまま抵抗している。
「貴様ー!きさまー!大作くんに大作くんに何をする!かっかおこんな近づけてなんだ、キスか!キス!大作くんに、だいさくだいさく」
一方こっちは半狂乱だ。後ろから大作が飛びついて、
「ちょっと、待って!目に入ったゴミを取ってくれてただけです!」
「てぇえぇ、てぇぇええ」
「それにしても」
村雨は、抵抗を続けながら目の前にいる男をまじまじと見た。
怒りのあまり怒髪天をつきたいところだが帽子につめこまれているので、ひたすら上にふくらみ、今は頭が三つのっかっている感じだ。見開いた目のマブタの上には呉の目が書いてあって、「目が四つ」状態で、一般工作員の作業服を着て口からアワを吹きながら地団駄を踏んでいる。
「この男は」
なんとも言えない響きの呟きがもれた。
ここで大作が頭にきて、
「もう!話きいてくれないと僕、怒りますよ!」
幻夜の絶叫がここで途切れた。
慌てて振り返り、
「いや、わたしはただ」
その顔を見て大作はちょっと目をぱちぱちさせたが、すぐに気をとりなおし、そして今までこの男と出会った誰もしなかったことをした。にっこり、心から嬉しそうに笑ったのだった。
「やっぱり幻夜さんだ!」
そしてすぐ側に寄ってきて、胸元から見上げてきて、
「幻夜さん!来てくれたんですね!」
その笑顔の前ではなす術もなく、でくのぼうと化した幻夜が、
「草間大作…」
それしか言えない言葉を呟くと、
「僕、嬉しいです、幻夜さんに会えて!」
そして、ゴミが入って赤くなった目から、今度は幻夜に会えて嬉しくて涙をこぼし、
「会いたかったです」
「わたしもだよ」
心の底から、真剣に、真摯に告白するが、見た目がコレなのでどう見てもアレだ。しかし、大作には関係ないらしい。目が四つあって頭が三つ重なった男と見つめ合って、ぷっと笑うわけでもなく感激している。
「すぐにわたしだとわかったのか?」
「ひとめでわかりましたよ!」
そりゃあな、と村雨の声が入ったが聞こえていない。首をひねって、
「変装してきたのだが…。腕がおちたのだろうか」
「だって、僕が幻夜さんを見間違うわけありません!どんな姿をしていたって、僕にはわかります」
ホッペを赤くしてきっぱり言う大作に、幻夜はもう泣きそうなほど感激して、すっかり目をうるませている。
「お似合いというやつだな。実際」
村雨は掴まれてよれよれになった襟を直しながら、押し付けられていた壁を離れ、床に散らばったカップを拾い上げると、廊下に出た。そのまま給湯室へ向かうと、向こうから真っ赤な顔の銀鈴がどどどどと走って来た。あれからずっと走っていたのだろうか。
「停まれ停まれ、妹」
この呼び方で『誰の』妹かを示しているとわかったのだろう、銀鈴は更に赤くなって急停止し、
「意地悪ですね」
涙目で抗議した。
そこに、給湯室から一清が出てきて、
「いやはや、寿命が縮まった」
そう言って、その場に居る二人の顔を見比べた。
村雨はちょっとうつむいて無言で笑ってから、
「これからちょっと、三人で、飲みに出ないか」
そういう気分だと言うと、二人ともこっくりとうなずいた。
翌朝、パリ支部からの伝達事項があるとのことでで司令室に全員集まった。
「なんでぇ。お前らも昨夜は飲みに出たのか」
戴宗に訊かれて銀鈴ははいと答えた。
「なんだよ、言ってくれりゃぁ合流したのによう」
鉄牛が残念そうに口をとがらす。
「また今度行きましょ」
「おう」
「呉先生も飲みに出たらしいよ。長官とさ」
楊志が言う。
「へえ、じゃあ昨夜はここにいる全員いっぱいひっかけに出たってぇわけか」
「珍しい偶然もあるな」
一清に言われ、各人に資料を回していた呉がややひきつった笑顔になり、
「ちょっと飲みたくなりました。昨夜はぎょっとするようなものを見たもので」
その言葉で全員が「あ」という顔になり、隣りの人間の顔を見た。無言で、「あれか」「やっぱり」という会話を交わしている。
「飲みたくもなるな」
中条の隣りにいる村雨が一言はさんで、では、と話に移ろうとした。
「遅れてすみません!」
元気いっぱいの声で叫びながら入ってきた大作に、
「おうおう遅刻はダメだぜぇ大作」
「エラそうに。自分は遅刻ばっかりのくせにさ」
「ちっ」
戴宗と楊志はやりとりのあと、大作の顔を見た。元気よく、ニコニコしているが、ちょっとだけ寂しそうだ。
「あいつ、帰ったのか」
「はい」
さりげなくひょいっと尋ねられ、つい、うかうかと答えてしまった。答えた自覚もないようだ。
(あのカッコのまま帰ったのかな。だろうな。本人はバッチリだと思ってんだろうから)
ヤレヤレと思いながら、けなげに元気良くきりきりっとして「僕にも資料を下さい、呉先生!」なんて言っている大作の横顔を眺め、
「今度はこっちから行くとか言い出しそうだな」
楊志が呆れて、
「ロボに乗ってかい?変装もなにもないだろう」
「いや、ロボもさ。GR2にでも変装して行くんだ」
ちょっと笑ってから、ん?となって、
「っと、そんなあぶねえマネは許さねえからな大作!」
「なんですか、戴宗さん」
大作がたじたじとなっている。とんできた戴宗のツバを避けながら一清が、
「そういうことは村雨にアドバイスをもらえばよかろう」
「ダメだ。あいつは結構ぞんざいだからな。大作も全身黒タイツにして、『これでメルシーだ。行け』とかわけのわかんねえこと言うだろうぜ」
「あたってるな」
当人があっさり肯定した。
「る〜るるるるる、る〜るる〜」
機嫌のいい歌声が流れてくる。どういうわけかアルベルトとイワンの持ち歌だが、歌っているのは別の人間だ。白いスーツに長い黒髪の、例の男だ。
歌の持ち主がやってきて、ものすごくイヤそうな顔で、
「なんだ。絶好調か。やめろ、不愉快だ」
「もっと鷹揚に構えた方が人間としての値打ちが上がりますよアルベルトどの」
「貴様なんぞにそんな説教はくらいたくない。気味が悪いぞ。何なんだ」
「いや、別に」
別にとか言いながら何かを、わざと床にヒラヒラと落とした。写真のようだ。アルベルトは完全に無視して行こうとするが、
「おっとっと」
言いながら行く手にまた落とす。ムリに無視して進もうとするが前に回って「おっと、おっと」と言いながら落とし続ける。
こめかみに血管を盛り上がらせ、ついに折れて、
「何、だ」
「いやこれは失礼。手が滑って落としてしまった」
もうトランプが何組か出来そうなほど沢山あるのは昨日撮ってきた大作の写真らしい。中にはセルフで撮ったらしい、二人で写っているものもある。それを見て、
「…これは貴様か」
「そうですよ」
アルベルトの顔に線が縦に入った。
(この次戴宗に会ったら徹底的にネタにされるだろう。あんなのがおめぇんとこのA級エージェントか!おっさん、BF団の未来も暗ぇぞ!とかなんとか)
頭の中で戴宗の声色までしている。
「どうしましたアルベルトどの。冴えない顔ですな。あなたも新しい細君を娶るとか恋人をつくるとかしたらどうです。わたしの相手のように可愛らしく健気な相手があなたに見つかるとは正直思えないが?まあ、広い世界には頭がシリの男に恋慕の情を抱く人間もいるかも知れませんからな」
むむむ〜むむ〜と歌いながら背を向けたところに、
「あっ、つい手がすべった」
アルベルトは衝撃波を放っていた。
時々、書きたくなる幻夜と大作。
ちょっと、幻夜がバカになりすぎましたが。
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