邂逅


 波の返る音が遙か下方に聞こえる。が、波を返している海は見えない。ただの闇だ。西の空からはもう茜色も消え、全てが暗紅色に沈もうとしている。
 視界が悪い上に足もとはデコボコで、普通に歩くことも危うい。結果、転んだらしい子供が、大きな岩にすがるようにして、
 「痛…っ、くうっ」
 苦痛をかみ殺しなんとか息を整えようとしている。大作だった。
 つい先刻、この付近に待ち伏せていたBF団の怪ロボットに奇襲を受けた。大作が海に落ちるのを辛うじて防ぎ、陸地に移した後、ジャイアントロボはその巨体を引き倒された。おそらくまだ起き上がれないでいる。
 (早くロボを立たせてやらなきゃ。敵がまだ近くにいる)
 立ち上がって、腕時計を口元にもっていき、ロボ!と呼びかけようとした瞬間、
 「お守りを呼ぶのはやめてもらおう」
 ビクリと震え、声の方を見る。
 押し寄せる闇を身に纏うように、ひとりの男が立っていた。闇の色の長い髪、闇の色の目、それらと対比のように白い服、白い整った顔には冷たい微笑がきざまれている。
 幻夜だ。
 大作は身構え、懸命に声を励まして、
 「BF団!」
 「そうだ。お前の敵だ。草間大作、腕時計をもらうぞ」
 「だ、駄目だ」
 腕時計をした手首を慌てて背にまわし、あとじさりをする。
 「駄目?それはお前が決めることではない」
 「駄目だ。父さんのロボがお前たちの悪事に利用されるなんて絶対に駄目だ!ぼくが許さない!」
 夕闇に子供の声がひびきわたる。大きく見張った目には悲壮な決意と覚悟がみなぎっている。非力でひ弱な小さな体から、気持ちだけが突出して激しく熱く光り輝いている。気持ちの他にはなにもない。
 幻夜の冷酷で皮肉げな顔に、ふっと、憂鬱そうな疲労の影が射した。が、それをグイと胸の底に押し込め、顎を上げ、上から、
 「とにかく、腕時計はもらうぞ。お前の身柄も拘束する」
 言い渡し、つかつかと大作に近寄っていく。と、大作はぱっと背を向けて、走り出した。
 足場が悪く、すぐに転んだ。必死で立ち上がってまた走る。今のは痛かっただろうな、と思うような転び方をしていたが、堪えているのか、必死で気づかないのか、大作はひたすら夢中で走っていく。また転んだ。
 自分をおびやかすものを撃退することも引き離すことも出来ずただ走っては転ぶだけの無力な子供。…
 その背を見ると幻夜の目は再び暗鬱になった。今すぐ、この髪を飛ばせば、あの細い首に命中し、草間大作は昏倒するだろう。それで終わりだ。簡単すぎるほど簡単だ。
 それはわかっているし、それ以外に自分がとる行動はない。しかし、気が沈む。
 …そんなことを言ってはいられない。
 気を取り直し向き直った時、大作の足下がガラガラと崩れた。虚空に投げ出される。
 「わあ!」
 悲鳴を上げ、足元の石につかまろうとしたが、つかまった石もろとも下方の闇へと落下した。
 瞬間、
 「あああああ」
 声を上げながら墜落してゆく。先程きっぱりと叫んでいた時の覚悟など飛び去っている。ただひたすら、恐怖と絶望のあまり悲鳴を上げるだけだ。
 闇の終点、遙かな下にあるのは何だろうか。岩か。水面か。たたきつけられたらどうなるのか。
 しかし、落下の途中で大作の体は何かに受け止められ、明らかに自由落下ではない力に抱え上げられた。大作は夢中でその何かにしがみついた。
 トンと軽い音がした。靴が固体の上に着地した音だ。
 まだ必死ですがりついていたものからこの時はっと顔を上げる。しかし周囲は真っ暗で、何も見えない。
 ふっと、いい匂いがすることに気付いた。
 「暴れるな」
 幻夜の声だ。
 「お前は、」
 「さっきまで居たのは入り江にある洞窟の上だったのだ。むやみに走り回って裂け目から下に落ちた訳だ。バカな奴め」
 フンと笑われて顔が赤く、熱くなる。
 「なにを。お前なんか、ロボが来れば簡単に」
 腕時計を口元にもっていこうとしたが、仕草でわかったのだろう、幻夜は鋭い声で、
 「やめろ。奴がここからお前を助け出そうとしたらまず上の天井が崩れるぞ。バカめ」
 そう言われて、声をのんだ。
 「やっとわかったのか。つくづくバカな奴だ」
 「バカバカって言うな」
 たてついたがもはや負け惜しみになっている。そのことを両者とも感じ取り、大作は悔しさと恥ずかしさで赤面し、幻夜は闇の中思わず苦笑した。
 大作は赤くなった顔そのままの声で叫んだ。
 「もういいから放せ」
 「放してもいいが水に落ちるぞ」
 冷やかすような言い方をされ、またグッと詰まって仕方なく黙る。羞恥のあまり顔も体も熱くなっているのが、触れている手や上腕から伝わってくる。その熱を感じながら、
 (何故、助けてしまったのだろう)
 この子供が落下した瞬間、とっさに体が動いていた。そこにはGR1を動かせる唯一の存在だからといった、据わりのいい理由付けはなかった。気付いたら自分を跳ばしていた。
 (…何でもいい。とにかく簡単に死なれるわけにいかない子供だという点は確かなのだから)
 自分に言い聞かせるように胸の内で主張し、岩肌付近に少しばかりある足場まで渡っていき、少々荒っぽく下ろしてやった。
 「そら」
 「あ。…ありが、とう」
 不本意のかたまりみたいな声で感謝したが、すぐに「うっ」という悲鳴にとって代わった。
 (落下する直前、ひどい転び方をしていたからな)
 思い出しながら、
 「痛むか」
 「へ、平気だっ」
 やせ我慢丸だしな声で言い張る。幻夜は「そうか」と冷たく受け流し、天井や洞窟の奥の様子を探った。大作にはただの闇でしかないが、幻夜には壁の一部に横穴が開いていることや、奥の方へ行くにつれ完全に足場が水没すること、相当な高さから落ちてきたことなどがわかった。
 とは言ってもあの天井まで跳躍することなど造作もない。戻ろう、と思った5秒後にはかつて居た場所まで戻れているだろう。
 では、戻るか、と思ってから、再び背後の子供をちらりと見やった。
 大作は痛む辺りにそっと触れてみていた。手に、ぬるぬるした熱い液体が触れ、ビクリとしてから、不安になるのを懸命に抑えて、ハンカチを手探りで取り出すと、膝に巻き付けてめくらめっぽうにぎゅっと結んだ。歯を食いしばって堪えているが、出血量に見合うだけの痛みがあるらしい。しかしやはり声を出すのをこらえ、
 それから、闇の中を透かし見るような動きをした。その目の高さから、幻夜を探しているのだと察せられる。
 戴宗や、銀鈴の場所を探っているのとは違う。居るのはあくまで敵だ。それは承知している。だが、この暗黒の閉鎖空間に落ちた自分を助けてくれた存在でもある。
 その気持ちの揺れが、そのまま眉間や目元、口もとに表れている。自分がそんな顔をしているのを、この子供は知らないし、すぐ側にいる幻夜に見られていることも知らない。明るい太陽の下では決して見せない表情、敵愾心と奇妙な信頼の二つをそのまま晒している表情で、今くちびるが開いて、「あの、」という形に動き、ぎゅっと一文字に結ばれた。
 それらを見ている幻夜の腹の辺りに、表現のできないもどかしさと熱っぽさがうごめいた。今すぐ「不本意だがおまえも連れていってやる。さあ行くぞ」と声をかけてやりたい気持ちと、向こうから泣きついてくるまで黙って放っておきたい気持ちとが、上に出ようとせめぎあってる。
 大作が伏せた目をもう一度上げて、闇の中に幻夜を探した時、観念して声を掛けてやろうとした。と、
 「!」
 ぞっとするような気配を感じ、はっとして身構える。不思議な意識だ。怒りや憎しみや恨みといったものではない、ただの…
 純粋な殺意だ。
 自分はこの透明な殺意の主をねじ伏せられるだろうか、と自問すると、むろんだと楽天的に自答できない。感情によってブレを生じたりしない、静かな凄味を感じる。
 どこだ。どこにいる?どこから来る?
 その時、沈黙と暗黒に耐えられなくなった大作が、
 「あ、あの」
 声を上げた。
 瞬間、闇の彼方から、殺意が形となったものがすさまじい速度で飛んできた。
 ギァンというような音がし、闇に火花が散って、一瞬、幻夜が左手で、得体の知れない飛来物をたたき落とした光景が浮かび上がった。
 その刃が大作の顔の高さであったことを、張り裂けんばかりに見開いた目で見て取った大作の目に、長い黒髪をひるがえしたBF団の若い男が、白く透き通るように青冷めた顔をしていたのが、ほんの一時映って消えた。
 地面に落ちた刃物は既に全く見えない。本当に存在したのかも疑わしくなる。本当だったのだろうか、今の一連は?
 「草間大作。…伏せろ」
 ほとんど聞こえないような低い囁きにはっとし、そっと、そっと地面にはいつくばった。傷ついた膝を擦って痛みに呼吸が乱れるのを必死で堪える。
 なんとかそこまでしたのが全て見えていたみたいなタイミングで、声は再び、
 「そのままゆっくりと、お前の背後の方向へ下がれ。…壁の一部に身を隠せる穴がある。…そこに避難していろ」
 大作は闇の中で必死に目をこらした。しかし何も見えない。囁き声は続けて、
 「何かあっても騒いだり音を立てたりするな。…10分経ってもわたしが戻らない時は、その穴の中で国警に連絡を取れ」
 思わず大作は口を開き、何か言おうとしたが、自分ではっと気付いて口を閉じた。と、
 「そうだ。…よくわかっているな」
 言葉の最後にごく僅か意味不明の音が加わり、そしてそれきり何も言わなくなった。
 あまりの事態に、大作はなおもその場にじっと居竦まっていた。数回の呼吸をした後、突如この洞窟のずっと奥から、さっきの金属音が幾つも響きわたってきた。
 あの男が戦っているのだ。目に見えない敵と。
 大作は唾を飲むと、男に言われたようにゆっくりと、後ろへ向かっていざりはじめた。徐々に慌ててゆきそうになるのを堪え、自重し、慎重に這っていく。
 大作の足が何かにぶつかってびくっとしたが、それは壁だった。じりじりと壁にとりついて手で探ってみると、言われたように穴が開いているのがわかった。
 あの男は、僕を、本当に、助けてくれようとしたんだ。
 そのことが、大作の胸に染み込んだ。
 ただ一人、闇の中で、四方八方から迫りくる敵の刃を相手にして戦っている、あの黒い髪の男が。
 そして、
 そうだ。…よくわかっているな
 囁き声の最後に付いていたおかしな呼吸は、
 あれは苦笑だったのだ。
 そう大作は気付いた。

 闇の彼方からこちらめがけてものすごい速度と大きさの殺意が次々に襲ってくる。
 幻夜はそれらを防ぎ、しのぎ、たたき落としながらなんとか相手の正体をつかもうとしたが、全くわからない。
 殺人のプロフェッショナルであれば感情などいちいちわかりやすく表さない、それはわかるのだが、
 (一体どこにいるんだ。攻撃してくる方向が、あまりにも)
 多方向からだ。とても一人の人間が攻撃していると思えないほどだ。複数人なのか?とも思うが、だったらもっと簡単に一斉に襲ってくるだろう。
 疑問に頭をもっていかれていると、避けきれなくなる、と自戒したとたん、灼熱を押しつけられた感覚があり、目の下を切り裂かれ、髪の幾筋かが切り跳ばされて落ちた。
 (あと数センチ上だったら)
   だから、余計なことを、考えるなと言って
 頬から流れ落ちるものが跳ねて手に触れた。
 瞬間、先刻の、草間大作が涙と苦痛をこらえていた顔を思い出した。ふっと胸が凪ぐ。
 あの子供はわたしの言いつけを守って音を立てずに横穴まで逃れただろうか。そして無事にここから逃れるだろうか。
 …何故、こんな気持ちなど持ったのだろう。お笑いだ。BF団を復讐の道具に使っている自分が、あんなちっぽけな子供の叫びに感化されるなど………
 くるぶしを切り裂かれて踏みとどまれず、ガクリと腰が沈んだ。顎が上がる。その喉に向かって、とうとう最後まで正体のわからなかった攻撃がうなりを上げ襲いかかってくる。
 (こんなところで、)
 (父上)
 幻夜の心の奥底が覚悟した時だった。
 突如、この空間の隅々まで、ものすごい光に照らされた。目がくらむ。何も見えない。
 目をかばった腕の下から、幻夜は前方を見て、思わず目を見開いた。周囲には無数の生物が居て、突然の明度に対応できず地面に落ちもがいている。
 コウモリのような、モモンガのような、あるいは隼のような部分もあるが、みたことのない生き物だった。翼が大きく、爪や牙がやたらと鋭い。おそらくこの閉鎖空間の中で突然変異したのだろう。
 恨みでも憎しみでもなく、ただ単に自分らの領域に侵入してきたものを、無言で殺戮する、小さな殺し屋の軍隊なのだ。
 幻夜は痛みを堪え、照明の方へと急いだ。まだ煌々と輝いている丸い小さいものの傍に大作が立ちすくんでいる。
 「跳ぶぞ」
 「えっ」
 「しっかりつかまれ」
 最後の部分が痛みで苦しげにつぶれた。大作は慌てて駆け寄ると幻夜の腰にぎゅっとしがみついた。その体を抱き止めて、ひゅっと宙に舞い上がった。
 天井に開いた裂け目から、大作を押し出してやり、一気に上がってしまおうと思うのだが思いのほか傷が深く、力が入らない。裂け目に掴まってぶら下がり、呼吸を整えるが、上がれない。
 瞬間、ずるりと手が滑った。
 その手を、パシ!と音を立ててつかむ。驚愕で幻夜が目を見開いた。
 大作が歯を食いしばって、両手で幻夜の手を捕まえている。顔を真っ赤にし、ぶるぶる震えながら、懸命に幻夜を支えている。
 (草間大作)
 その顔を呼吸二回分見上げてから、幻夜は歯を食いしばり顔を赤く染め、大作と同じ顔になって、必死で這い上がった。
 どれほどの時間の後か、二人は地面に仰向けに倒れて、全身で荒い呼吸をしていた。ちょうど、先刻出会ったのと同じ場所だった。
 頭上には満天の星が広がっている。夜空を大きく横切って星が流れたのを、二人は並んで見上げた。
 「あれは、何だ」
 幻夜の嗄れ声に、大作は答えようとして咳き込んでから、
 「呉先生に、持たされたんだ。ベルトのバックルに入るくらい小さい円盤で、固いものに思い切り叩きつければ」
 真昼のように明るくなる。緊急事態に陥ったら、状況を見て使うといい。
 確かに、ものすごい明るさだった。使った自分が驚いた。敵が明度に弱い生き物だなど思いもよらなかった。ただ、周囲を明るくして敵と幻夜を同じ土俵にしようと思っただけだった。
 「…なぜ、あんなことをした」
 そう訊かれても答えられないので、大作はぐっと詰まってから、
 「なら、どうして助けてくれたんだ」
 怒った口調で言い返した。どうだ。答えられないだろう。それと同じだ。
 幻夜はやはり答えられず、意味のわからないうなり声を上げ、
 「もういい」
 放り投げるように言い、それからまた頭上の星を見上げた。

 それから1時間後には、大作はジャイアントロボと共に上海支部の面々と合流していた。
 グレタから夜の海を見ている大作に、呉が、
 「大丈夫だったか、大作君」
 「はい、呉先生。あの照明弾、とっても役に立ちました。ありがとうございます」
 「それはよかった。ロボと大作君だけ切り離された時はヒヤリとしたよ。BF団と出くわしたりしなくて本当によかった」
 微笑んだ男に笑い返す。
 出くわしたんです。そして、
 命を助けられて、僕も、相手を助けたんです。
 そんなことは言えない。
 その後また、大作はひとりで夜の海を見下ろした。
 闇のように黒く、長い髪がひるがえる。最初にみた時と比べると、あちこちちょんぎられている。
 足に包帯がわりの布を巻き付け、
   ではわたしは行く。
 そう言った白い横顔を大作は見上げ、ほんの少しの間迷ってから、
   おまえはこれから、…
 振り向いた黒い瞳が、大作を注視し、
   おまえじゃない。幻夜だ。草間大作
 大作が目を見開き、
   げんや。
 口の形で言ったのを見届け、そう、というように目でうなずくと、そのまま闇の中に去っていった。
 その背を、その声を、その名を、
 大作はずっと忘れられないでいるのだった。

[UP:2012/11/07]

 幻夜と大作のこんな巡り会いもどうでしょうかという話です。
 この二人は、ジャイアントロボの世界の中で、なにか星空を仰いで夢をみているようなところが、あると思います。そしてお互いの孤独やつらさが、お互いならわかる…とは言いませんが、お互いの一番深いところまで、たどり着けるのではなかろうかと幻想を抱いております。

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