ひどく頭が痛い。ずきずきする。
どうやら朝らしい。起きるのが苦痛だ。ぐったりと手を持ち上げて、顔にかぶさっている黒い髪を流し、目をあけた。天井が見えた。
痺れたような重苦しい感覚が体を捕らえている。思うように動かない。なんだこれは?
んん、とうめき声を上げながら上体を起こそうとした。そして、
窓際の椅子に座って、こちらを見ている人物に気づいて、にわかに意識がはっきりした。
「アルベルトどの」
怪訝そうに幻夜が言う。なぜあなたが私の寝室にいるのだ、という詰問を込めた口調だ。相手は、着衣を身につけてはいるが、上衣がない。座っている椅子の背にひっかけてある。前髪が少し、乱れている。シャツの一番上のボタンを開け、足を組み、その膝の上で指を組み合せ、葉巻をくわえ、言うなれば「えらく図々しくラフな」様子で、じろじろと幻夜を見ている。
そして返事をしない。
幻夜の、眉間のしわが深くなる。
「御用がおありなら、隣室でお待ち願いたい。今起きて身支度を整えてから参りますので」
出て行け、というのを丁寧な言い方であらわした相手に、しかしフンとハナで笑って、
「急によそよそしくなるものだな、幻夜」
それから、ニヤリと笑う。淫猥で冷たい笑い方だ。
「昨晩は、あんなに懸命にしがみついてきたではないか?この胸に」
柳眉が逆立つ。白い顔が、侮辱された怒りと相手への憤怒で朱に染まる。
この男は何を言っているのだ、趣味の悪い、質の悪い下種な冗談を、と罵ろうとしたその時。
じわりと、口の中に、胃液のような味の唾液がにじみでてくる。
今では顔が蒼白なのが自分でもわかる。
昨晩。昨晩?
―――何故わたしは、昨夜のことをなにも覚えていないのだ?
…地下の図書室で、調べものをしていた。そこに、アルベルトが来た。話し掛けられ、応えながら目が合った。そこまでは覚えている。そして、それ以後の記憶が、すっぽり抜け落ちている。
まさか。
「…な、にが、あった、のですか、昨夜」
切れ切れにささやく相手に、至極平然と、
「なにがあったというほどのこともあるまい。貴様と私が同衾したというだけのこと」
「な」
絶句する。わたしが?この男と?
相手の片目が、じろりと自分をねめまわすのを見て、びくりと肩が上がった。
「いろいろなことを、訴えかけてきたぞ、私に。どうやら貴様は、私を誰かと間違っていたようだ。まあ…
父親、なのだろうな。ちちうえ、とうさん、と呼んでいたからな」
バカみたいな内容をことさらねちっこく確認してみせるのは、他に言いたいことがあるからだ、と気づき、また同時にもうひとつ気づいた。
「…きさま、わたしに何か術をかけたのか」
「きさまだと?私が言うならともかく、『貴様』にキサマ呼ばわりされる筋合いはない」
天井を見上げて偉そうに煙をはきだす相手を凝視しながら、ひきちぎれるほどシーツを握り締める。この男にはかつて、ひとにらみで自由自在に相手を操り、おさなごに帰らせ、精神と記憶とを広げた本のようにひらかせることのできた友がいたことを思い出しながら、
「最初から、わたしについてなにか探り出そうとしていたのだな」
怒りに震える声を絞り出した。
「素性のわからんネズミにどこまでも威張られては、BF団の品位が落ちるからな」
悪びれもせず言い切って、
「それに、なにか、ではないぞ。すべて、だ。全く気の毒な身の上だ。昨夜の告白は、とても涙なしには聞けなかったぞ」
そう言いながら薄く笑う相手に、
「出て行け」
血を吐くような叫び声を浴びせた。悲鳴に近かった。
数秒、その蒼白な顔と震える唇を見つめてから、ゆっくりと立ち上がって、上衣を取ると、ドアにむかいながら、
「これからも寂しい夜には父上の代わりになってやろうではないか。心置きなく甘えるといいぞ幻夜。いや…
二人だけの時には、エマニエルと呼んでやろうか?」
そう言って振り返った男は、相手の顔がこわれた人形みたいにかくりと力を失ったのを見て、哄笑し、出ていった。
ひどく頭が痛い。ずきずきする。
どうやら朝らしい。起きるのが苦痛だ。ぐったりと手を持ち上げて、顔にかぶさっている黒い髪を流し、目をあけた。天井が見えた。
痺れたような重苦しい感覚が体を捕らえている。思うように動かない。なんだこれは?
んん、とうめき声を上げながら上体を起こそうとした。そして、
窓際の椅子に座って、こちらを見ている人物に気づいて、にわかに意識がはっきりした。
「戴宗」
相手を呼んだ声がやけに嗄れていることに自分で驚いて、呉は手を喉にもっていった。そして、自分が何も着ていないことに更に驚く。彼は夜着を着て寝る習慣だ。自分で、「今日はハダカで寝よう」と思ってそうしたことなど、一度もない。何故私は裸なのだ?
戸惑いだした相手を、バツの悪いような、気まずいような、それでいて面白そうに監察しているような表情で、戴宗は眺めている。下は、いつもの格好だが、上半身は裸だった。
もう一度、呉が相手の顔を見た時点で、ようやく口を開いた。
「お目覚めのご気分はどうだい。先生よ」
「あまりよくありません。頭が痛い」
「あんなに、飲んだからなあ。覚えてるか」
「…途中までは」
昨夜、夜の街で偶然戴宗と出会った。お互い、非番と言っても招集が掛かれば十分で戻れるあたりをふらふらするしかないので、行動範囲も似てくるのだろう。
優しい戴宗さんが愚痴でも惚気でも聞いてやるから、いっぱいやろうや。
そう言われて、何となく断り切れず、一緒に店に入った。
戴宗と飲む酒は美味く、いつもはそれほど飲む方でもないのに、随分飲み、また饒舌になり、また飲んで…
途中から、記憶がおぼろだ。店を出た時どんなふうだったのか、ここまでどうやって戻ってきたのか、まるで覚えていない。
だが。
なんとなく、なんとなくなのだが、じんわりと浮かんでくる、映像がある。
自分が。戴宗に、泣きながらくってかかって…拳を振り上げて、打ちかかっていく。その手首を掴んで、戴宗が、あやすような、いさめるような目と口調で何か言いながら、優しく曖昧なのに振りほどけない手の力で、呉をおさえこむと、そのまま、その手を自分の背に、回させて…
すがりついた相手の背の、感触を、覚えている。この手が。
しろくなった顔を上げて戴宗を見る。こっちが、何を察したのかわかったらしく、
「まあ、そういうこった」
そう言って、相変わらずバツが悪そうに、オデコをぽりぽりと掻いている。
私が、戴宗と。
思わず手で口をおさえる。次の瞬間、中条の顔が胸に甦って、血の気が引く。即座に、
「安心しろい。言いふらしたりしねえよ。このコトは、俺とあんただけの、ヒ・ミ・ツ、って訳だ」
お茶目に陽気に、明るい調子でそう言って、ウィンクを投げてくる。つられて弱々しく笑ってみせたが、すぐに目を逸らす。ああ。私は。酔って正体を無くして、その場に居た男と枕を交わすとは…なんと、
「…軽い…」
自責の呟きをもらして奥歯を噛み締める。
その顔を見ると、昨夜のこの男が思い出される。驚くほどの力で、必死でしがみついてきながら、長官、長官と声を上げ、哭きつづけていた、この男の顔と、しろい体。
「たまってたようだなあ」
無遠慮に呟いたが、あまりに無遠慮すぎて、その真意は予想通り伝わらなかった。なにかいいましたかと聞きながら、上の空だ。今は、起きてしまった現実を受け入れるのに精一杯なのだろう。
いいや、と答えながら、
また、非番の夜には、あの店に行ってみるかな、と胸で言葉を綴る。その目にはいつしか笑みは失せ、ただじっと寝台の上の男を見つめている。
ひどく頭が痛い。ずきずきする。
どうやら朝らしい。起きるのが苦痛だ。ぐったりと手を持ち上げて、顔にかぶさっている黒い髪を流し、目をあけた。天井が見えた。
痺れたような重苦しい感覚が体を捕らえている。思うように動かない。なんだこれは?
んん、とうめき声を上げながら上体を起こそうとした。そして、
窓際の椅子に座って、こちらを見ている人物に気づいて、にわかに意識がはっきりした。
「なんだ。朝から何の用だ」
ただでさえ頭が痛くイライラしているのに、起き抜けに見て気分が良くなる顔からは最も遠い。
「そうカリカリしなさんな。素晴らしい朝ではないか」
気取って、手をばんざいみたいに上げてみせるヒィッツは、下は普通に穿いているが上は何故か裸にシャツをひっかけて着ている。何故こいつに、裸ワイシャツを見せられなければならないのだと思うと、レッドはいよいよ腹がたって、
「貴様の顔を見ていると余計に頭が痛くなるからでてゆけ」
「そうか。痛いのが頭だけならそれはそれでよかったが」
「なに?」
聞き返し、ちゃんと起き上がろうとして…
尻に激痛が走り、レッドは絶叫した。ヒィッツが大笑いして足を踏み鳴らしている。
「だろう。でなければ変だと思っていた」
「一体…何を…何が…」
震えるような痛みに言葉もうまく出てこない。シーツを掴んでよたよたとうつ伏せになった。尻がやけるようだ。
相手はこちらの悶絶が楽しいかのように、鼻歌まじりで、
「なあに。前からおまえには興味があってな。というかおまえの体にな。昨夜しこたま飲んで酔いつぶれたところをちょっと襲った」
「お、襲っただと!?」
「おまえは初めてのようだな。さすがにきつくてなー、なかなか入らないので、こう」
ヒィッツは指を目の高さに差し上げて、
「パッチンと、やって」
ニタリと笑う。
「ちょっと切ったぞ」
レッドがぎゃーと再び絶叫した。げらげら笑っているヒィッツに指をつきつけて、
「ひ、人のシリを何だと思っている!」
「なあに、切り傷だからすぐに治る。出産の時にムリヤリ産んであそこが裂けると治りが悪いから、裂ける前にあそこをちょきんと切る、というではないか。無理に入れられて裂けるより、こうやって」
再び指を差し上げて、
「パッチンとやる方が、治りも早いぞ」
のどちんこを見せて笑ってから、
「切ったらなんとか入ったしな。うまかった。ごちそうさん」
シーシーと象牙のつまようじで歯を下品にせせりながら、ヒィッツは立ち上がり、あか〜いかめん〜は〜、な〜ぞ〜の〜シ〜リ〜、どん〜なシ〜リ〜だ〜か〜、と下品な替え歌を歌いながら、部屋を出て行った。
殺してやる。
殺してやる。いつか必ず。
レッドの胸に、シリの痛みのように明確で強烈な殺意が芽生え、根をはった。
決して『ワタクシ実はこのカップリングで考えております!』という自己申告ではございません。単なる思いつきです。
あと、眩惑氏の能力はこういうもんではないだろうし、ちょっとアルベルトに伝授しすぎだ。ごめんね。(謝るのは果たしてその部分であろうか?)
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