「先程、無事に着艦したようです」
「うん」
天井の高い、銀色の巨大な廊下を歩きながら、言葉を交わす中条と呉の背にやや遅れた位置で、
「兄貴ぃ」
鉄牛がぼやき声を出して隣りの戴宗を見た。
いつもと同じいでたちで、盛り場を歩くのも連邦宇宙局を歩くのも同じ様子で、
「何でぇ、鉄牛」
「なーんか、面白味のねえ仕事ですね」
「んー、まあ、そうだな」
戴宗も正直、面倒くさそうに言って鼻のあたまをちょいちょいと掻いた。
「国際警察機構から何人もかりだされてゾロゾロゾロゾロ。別に海底から財宝を積んだ船が引き上げられたのを守るてえわけでもねえのに」
「冒険海洋ロマンだな、鉄牛よぅ」
戴宗が笑いながらそう言った。
「海底からお宝なあ。俺も拝みてえな。瑪瑙に翡翠に珊瑚、ダイヤの胸飾りに王冠がゴロゴロだ」
「いいですねえ…ってからかわないで下さいよ兄貴」
「からかっちゃいねえさ。そういうもんを狙ってくるゴロツキ海賊どもからお宝を守るてぇんなら、やる気も出るってもんだな。いや、まじめによ」
「でしょう」
我が意を得たりとばかりにうなずく。それからトホホな顔つきになり、
「火星からロケットがなにやら持って帰ってきたとか言われても、どうせ石ころが山ほどでしょう。ガクジュツ的には価値がどうこう言われても喜ぶのは呉先生くらいですぜ」
ヤレヤレとごつい肩をすくめてみせる。
「ま、そう言うなって。任務が楽ならそれに越したこたねえだろ。終わったらよう、一杯やりに行こうぜ。ここいらにしかねえ地酒や食いもん出す店でも探してよ」
戴宗がイヒヒと笑ってみせると、鉄牛の目がきらきらん!と輝いて、
「いいですねえ兄貴!そいつぁいい。よし、張り切って任務スイコーだ」
「途端にやる気が出るんだから」
すぐ後ろにいた銀鈴が呆れ声を出す。居ると思っていなかった鉄牛はびっくりしドギマギし、仕方なく頭を掻いた。
「でもよう、銀鈴、どうせ襲ってきやしねえぜ。だぁれも」
その点については銀鈴も意義はないようで、そうねえ、と正直に同意した。
「襲ってきたらくれてやりゃいいんだ石ころくらい。なんなら一個いくらで売ればいい。鎖でもつけてキーホルダーにしてよ。【火星の石】とかタグつけて」
戴宗が乱暴なことを言ってヒヒヒと笑った。と、前方に居た呉がチラとこちらを振り返って、ムッとした眉と口をした。
「呉先生に怒られちまった」
鉄牛が首をすくめ、銀鈴はホホを染めて「私は関係ないのに!」と小声で怒った。たまりかねたという口調で、
「皆さん、もうちょっとちゃんとしましょうよ、国際警察機構の評判が落ちます」
大作が拳をつくって必死で言った。その後ろで楊志と一清がうむうむとうなずいている。
「うっるっせえ。えっらそうに。お前は黙ってろ」
鉄牛が思い切りくちびるを突き出し、それを戴宗がまぁまぁそう怒るねぇ鉄牛、と止めに入る。まるきり孫に甘いおじいちゃんの顔だ。
「諸君」
中条の静かな声は、決して大音量ではないのだが、一同の背をぴしっとさせる響きがある。今回も皆、ぴしっとした。いや、戴宗は「ぴ、…」くらいだが。
巨大なオートドアの前に立ち、見渡すと、
「この部屋で、宇宙から帰還した隊員から所員へ受け渡しを行う。無事執り行われるまで、しっかり警護してくれ」
「はっ」
全員敬礼する。例によって戴宗だけがディートリッヒのように指二本でぴっぴっとやった。
中条と呉が入って行った後から、皆も中に入った。中はそっけない、やはり銀色がベースの広い部屋だった。そこに五名ほどの所員が居て、並んでこちらを待っていた。
全員、学者然とした白衣を着て、胸に所員証を携えている。先頭のやたら多い白髪の男が礼をして、
「国際警察機構の皆さんですな。ご苦労様です。所長のフランケンです」
「北京支部長の中条です」
簡単に言って握手を交わした。と、部屋の片隅のパネルがピーと音を発し、管制塔からの通信が入った。
『マーズ5号の乗組員の生体チェック終了しました。これからすぐそちらに向かいます』
「おう。宇宙パイロットの面々か」
戴宗が呟いて、それから間もなく、一同が入ってきたのとは違う出入り口から、制服姿の集団がぞろぞろ入ってきた。皆一様に多少くたびれ、また多少興奮し、また多少しょんぼりした表情をしている。多分、今「何をしたい」と訊けば、全員が「また宇宙に行きたい」と言いそうだ。
「もちろん、顔は違うのに、なんかみなさん似て見えますね」
大作が不思議そうに小声でぼそぼそ言う。
「宇宙飛行士の適性を備えてる連中ばかりだ。どうしたって似てくるんだろうぜ」
「適性ですか」
「温和で穏やか、相当のことがあっても慌てない冷静沈着さ、協調性、ユーモア精神ってね」
楊志がそう言ってニヤニヤと、
「うちの支部には、宇宙に行ける奴はいなそうだね」
「ユーモア精神だけはなんとかならねえか」
「あんたのはユーモアじゃなくて、酔っ払いのクダだろ」
「どう違うんでえ」
「大違いだよ」
だのとやっている間に、宇宙飛行士の代表が進み出て、これですと言いながら何かを差し出した。一見したところ、大き目の黒いガラス壜のようだ。
皆不思議そうに、
「また変わった土産だな」
「宇宙から帰還して、持ち帰ったのがなんだい。ガラスの壜?」
「火星の鳴り砂でも入ってんじゃねえのか」
「戴宗さん、ロマンチックですね」
銀鈴がくすっと笑った。
「俺はこう見えても感受性のかたまりだからよ」
威張りくさって言う男を、鉄牛と大作が感心したような、よくわからないような表情をし目を丸くして眺めている。
「感受性の意味を違えておらんか」
一清がそう言って楊志がぶはっと笑い、戴宗がまたなんでぇと言いかけて、
「おう。ちっと待った」
そう怒鳴った。
宇宙飛行士たちと、博士たちはきょとんとし、国際警察機構の面々はすでに身構えている。
戴宗がつかつかと、今その壜を受け取ろうと手を差し出した、博士の一人に近づいていきながら、
「鉄牛。その壜受け取れ」
「へい」
鉄牛が巨体に似合わない素早さで戴宗の脇を追い越して、まだ「?」という顔の宇宙飛行士に近づいた時、
「チッ」
聞こえないほど低く舌打ちして、その半白の髪をし眼鏡をかけた博士が壜を奪い取ろうとした。が、その手首を中条がむんずと掴んでいた。あっという間にギリギリと締め上げられ、
「アツッ」
思わず悲鳴を上げながらも、もう片方の手で拳銃を握ると中条に向け至近距離から引き金をひいた。
キーン!と音がして呉の扇子が中条の前に割って入った。
「くそう、何故ばれた」
吐き捨てて素早く後ろに下がり、変装をむしりとる。オロシャのイワンだった。
「ばかやろう。殺気やら何やら出まくってんだよ。ばれねえと思ってたのか。太すぎるぜ」
戴宗が黒く笑い、稲光のかがやくてのひらを相手に向けた。が、周囲には民間人が多すぎるし、おいそれと破壊できる部屋や建物でもない。それを見越してだろう、イワンはおろおろしている所員たちの背後に隠れるように回った。
「ちょろちょろ、逃げ回る、なってんだ」
鉄牛の手から鎖のついた斧が飛んだ。斧は壁に突き刺さり、悲鳴があがる。
「鉄牛!おめえはいいから壜だけ確保しろ」
「へ、へい」
そうだった、と壜を受け取ろうとしてはっとする。渡そうとしてた宇宙飛行士の手に壜がない。
「おい!あれをどこにやった」
「あ、あれって?」
「火星から持ってきた物だ!さっきの壜だぁ!」
「えっ、ど、どこに…」
いつの間にか自分の手から消えていたらしい。きょろきょろ見渡している。
「まさか」
「あいつは囮か」
一清が叫んだ直後、イワンの哄笑が聞こえ、
「その通り。わかりやすく捕まって目くらましになる役割だ、まんまとひっかかりおって、ばかめ」
「ヘラヘラ威張ってんじゃねえぞ」
真っ赤になって怒りまくっている鉄牛が怒鳴ったその直後、
「あそこだ」
中条が叫んだ。ばっと観ると先ほど宇宙飛行士たちが入ってきたドアから、出て行こうとしている白衣姿の博士が一人居た。小脇にあの壜をかかえている。
銃弾と稲妻が襲い掛かり、一拍のちいくつもの黒い影が一直線に向かって飛んだが、ぶぁ!と噴出した力の壁に遮られ、跳ね返され、地面に叩きつけられた。
「イワン。ご苦労」
言って、不審な博士は葉巻を咥えた。
「てめえか」
戴宗の目に殺気がみなぎった。
一呼吸のち変装を解いたのはやはり、衝撃のアルベルトだった。冷ややかな目にニヤリと笑いをのせ、
「ぞろぞろ揃っている割には相も変わらず、手ぬるい限りだ。これはいただいていく」
ドアの向こうに姿を消した。
「待ちやがれ」
戴宗が怒鳴って後を追う。
通路を逃げながら振り向きざま衝撃波を放つ。
「うぉ」
十字に組んだ腕でそれを受け、しのぎ、
「待てと、言ってるんでぇッ」
青白い帯が背後からアルベルトを追う。すんでのところでかわす。
「つまんねえ警護だなんて言ってたら、とんでもねえやつらが狙ってましたぜ」
別の出口から逃げるイワンを追いながら鉄牛がわめき、
「本当だね。一体あの壜は何なんだい」
楊志が叫ぶ。
「BF団が狙ってくるようなものなんですよね。新しい兵器ですかね」
「今まで発見されていなかった、細菌類のたぐいではなかろうな」
一清が蒼褪めた顔で、
「解析して、BF団だけがその特効薬を手に入れたりしたら」
「とんでもない話だね」
「あるいは、火星にだけ住んでいる凶暴な生き物かも知れませんぜ。吸血コウモリみてえな。火星だから、吸血クラゲとか」
楊志も鉄牛も蒼褪めている。
「なんでもいい、捕まえてしめ上げて、知ってることを吐かせるんだよ」
「おうさ、姐さん」
「誰が吐くか」
イワンが言い捨ててひゅっとスピードを上げる。その背に向かって斧を投げようとした瞬間、驚き立ちすくむ所員を盾にされて、あやうく声をあげた。
「邪魔だ!ひっこんでろ」
わめいてなぎ払うように壁際まで押しのけるが、その間に更に前方に逃げられてしまった。
「正義の味方が、民間人を突き飛ばして怪我させてはいけませんな。ヒッヒッ」
声を立ててあざ笑いながら向かう先には、上下への階段があった。当然、下へ逃げるものかと思ったら、上へと駆け上がってゆく。
「屋上からとんずらする気だろうよ」
「させるか」
イワンは一息で上まで上がるとスチールのドアから外へ出た。屋上には巨大なコンクリートの敷地が広がり、はるか向こうにはヘリポートがある。と、戴宗とやりあいながら上がってきたアルベルトの姿が彼方に見えた。
戴宗がこちらに気付いた瞬間アルベルトの左手から戴宗に向かって猛烈な衝撃波が放たれ、続いてイワンに、
「持っていけ」
怒鳴って、壜を入れたカプセルを衝撃波で飛ばして寄越した。受け取るとイワンは一気にヘリポートの方へ跳躍し、
「ウラエヌス!」
絶叫した。近くで待機していたのだろう、ゴゴゴゴ、と飛来してきたロボットの平たい頭部に飛び乗ろうとした時、
「ロボ!捕まえろ!」
甲高い少年の絶叫と共に巨大な手が降ってきて、イワンの体をむんずと掴み、宙に持ち上げた。GR1だ。
「いつの間に」
慌てて振り向くと、一同とは更に別の通路から、銀鈴に守られながら大作が姿を見せ、腕時計に向かって、
「そいつを放すな」
「偉そうに、子供がァ」
拳銃を取り出して大作を狙う。草間大作の危機の前では、こいつはでくのぼうと化す、という思考が、イワンの口元に皮肉な笑いを浮かばせた。瞬間、
「待て」
うなりをあげて鉄牛の斧が飛んできた。危うく、ロボの指に隠れて直撃を免れたが、
「あっ」
全員が声を上げた。はずみで、抱えていた壜入りのカプセルが滑り落ちた。
まるでスローモーションだ。
側に居た人間は全員殺到したし、大作も「ロボ、拾え」と叫んだ。だが、一番近くに居た鉄牛の手の先をすり抜けてカプセルはコンクリートの上に落ち、衝撃で中から壜が飛び出して、
ガシャン!
なんだかのん気な音を立てて黒いガラス壜は割れてしまった。
「うわぁ!病原体がばらまかれる」
「吸血クラゲがうようよ」
各々勝手なことをわめきながら、割れたガラスの残骸を見て、あれと思った。
そこには、一見してただの砂がぶちまけられていた。灰褐色で、やけにキラキラ輝くようには見えるが、どこがどう変わっているようも見えない。
「…やっぱり、火星の鳴り砂か?」
戴宗が懐疑的に呟いたが、
(んな訳はねぇ。そんなもののために、こいつらがちょっかい出しにくるはずがねえんだ)
そう思いながらアルベルトを睨みつけた。もとより、戴宗から目を離さないままのアルベルトは、「迂闊なやつめ」と吐き捨て、両手にエネルギーを蓄えながら、
「イワン!さっさと回収しろ」
「申し訳ございません」
絶叫し、
「ウラエヌス!こいつに体当たりしろ」
「ロボ、迎え撃て」
雄たけびを上げてGR1が振り向いた。当然といえば当然だがものすごい風が吹いて、謎の砂は宙に舞い上がった。アルベルトが怒鳴りつけた。
「バカ者」
「もっも、申し訳ござ」
イワンが謝っている間にも皆、それらを吸い込んで、ふぁくしょ!ふぇっくしょ!げほげほごほごほとやっている。
「何なんだ。やっぱり砂か」
「ぺっぺっ、うぇっ、気持ち悪い。苦い」
「おのれ、GR1め!」
苦しみながらイワンがカッと睨みつけた時だった。突然、ウラエヌスが山ほど現れて、GR1にどかどかと攻撃をしかけてきた。
「うわあ!何だあれ」
「BF団はあんなにウラエヌスばかり量産していたのか」
しかし、イワン本人もびっくり仰天で白目を剥いている。口からは泡を吹いているし。
「ロボ!逃げろ!ロボー!」
大作はもう泣きそうだ。
(ロボがやられる!お父さんのロボが!お父さんの)
と、やまほどの草間博士が天から降ってきて、皆、あっけにとられた。大作も、嬉しいとか懐かしいより、「へ」という気持ちの方が先にあって、「お父さん?」と疑問符をつけている。
草間博士たちはいっせいにつらそうに微笑んで、
「大作。幸せは犠牲なしには得られないのか」
「科学は不幸しかもたらさないのか」
「代償なしには人は幸せになれないのか」
なんだか聞いていたくない感じのことを口々に訴えている。皆、うへーという顔になった。
一方イワンは無理矢理GR1の拘束を逃れて脱出し、「砂をなんとか回収しないと」と周囲を見渡した。それに気付いた鉄牛が、
「野郎てめえ!」
叫んで襲い掛かってきた瞬間、ものすごい数の斧がふってわいて、ガツーン!ガォーン!ドカーン!とぶつかりあってバラバラと地面に落ちた。危険なことこのうえない。
「な、なんだ?」
びっくりしている鉄牛に、はるか向こうから、
「鉄牛!そいつを逃がすな」
戴宗の怒鳴り声が届いた。
「へい、兄貴!」
やる気のみなぎった声で答えた途端、ものすごい人数の戴宗が後から後から現れて、
「頼りにしてるぞ鉄牛」
「おめえは俺の切り札だぜ」
「おめえがいると思えば安心できるぜ」
「鉄牛」
「鉄牛」
言いながら、にこにこして鉄牛に寄ってくる。鉄牛はなにがなんだかわからないながらも、え、え?エヘヘヘなどと嬉しそうにもだえている。
「なんだい、こりゃあ」
「戴宗が、山ほど?」
楊志と一清が見渡している間にイワンが逃げようとする。二人同時に、
「待て」
叫んだ途端、山ほどの棒と、御札と数珠とが降ってきた。
「アイタタタタ、いてててて」
「いたい、いたい」
数珠を踏んですっころんだ上に棒がぶちあたる。棒ならまだいいが斧まで降ってくる。戴宗も降ってくる。
「こいつらの頭には、自分の得物のことしかないのか」
アルベルトが憤り、次にくしゃみをし、その途端、
「アルベルトのおっさんよう。今日こそ決着をつけさせてもらうぜ」
「なんたっておめえは、俺の宿敵だからなあ」
「おめえを倒すのはこの俺だからな」
「俺ぁ、そのことだけ考えて腕を磨いてきたんだ」
「勝負だおっさん。いや、衝撃のアルベルト」
「勝負だ」
キリリと眦を決した戴宗が山ほど出てきて、次々に勝負を挑んでくる。
アルベルトはつい、ちょっと、正直、嬉しそうな顔になってからはっとして本物の戴宗を見た。こっちは何がなんだかわからない顔で、見守っている。
「べ、別に、そういうのではないのだ!私はただ単に、貴様との、決着をだな」
「何赤くなってんだ、おっさん」
気味悪そうに戴宗がつぶやき、続いてくしゃみをした。
と、山ほどの、水着姿のきれいなおねえちゃんがキャーキャーいいながら降ってきて、かつ、うす黄色い液体の濁流が襲ってきた。
「がぼっ」
「ギャーげほげほげほ」
皆流されていく。必死でそのへんに掴まっているアルベルトが咳き込んで、
「なんだこの水は。…酒か。この、ろくでなしの酔っ払いが」
わめいたところに、
「勝負だ。戴宗」
「貴様の命はこの衝撃のアルベルトが」
「我が盟友の仇」
アルベルトが三人ほど現れて口々に叫んだ。
おねえちゃんの数よりずぅー…っと、というか比較にならないほど少ないのだが、まあそれでも、
「フン。戴宗のやつめ。私との勝負をのぞんでいるというわけか、生意気な。フン」
なにやら嬉しそうに「ばかめ」とか言いながら、酒のしずくを垂らしているアルベルトの顔を見て、イワンがうくくくと泣き出した。
「悔しゅうございます」
「おい。頼む。種明かしをしてくれ」
戴宗があちこちぺろぺろ舐めながら、
「あの砂は一体何なんでぇ」
「やかましいわ。教えてほしかったら私を倒してみろ」
「なんだこの。酒くせえぞ」
「誰のせいだ」
再び一騎打ちが始まった。が、屋上はもはや酒びたしで、山ほどのいろいろなものをもてあましている人々が、あちこちで呆然としている状態であった。
そこに、中条と呉があがってきた。呉はそこの惨状を「ああー…」という顔で見渡し、
「…とりあえず、この液体から、あの砂を抽出します」
ウンザリ、を懸命に押し殺した声で呉が言い、中条がいつものように表情の窺えない様子で、
「うん」
とだけ言った。
その後誰しもがげんなりするほどの作業を済ませてから、最後に一同は風呂に入り着替えて、ぞろぞろと出てきた。皆クタクタだ。
「あーひどい目に遭った」
「呉先生の方の作業も終わったんですか」
「うん」
と答える呉の顔もやつれている。呉の傍らに中条が立ち、パイプに火をつけた。
「教えてください!あれは一体何なんですか?」
唯一、元気が残っているようだ。息せき切って駆け寄ってきた大作に、呉は微笑んで、
「大作くん、びっくりしただろう」
「はい」
「誰もがみーんなびっくりしましたぜ。なんです、あのけったいな現象は」
「無論、あの砂が引き起こしたことなのだろうが」
「あれは何だ。火星特産の幻覚剤か」
呉はやはり微笑したまま、
「あれは一種の生物です」
「いきもの?」
皆びっくりする。
「鉱石生物というか。地球だと、一番近いのは…フジツボやカキみたいな感じでしょうか」
「あ、あの、一粒で、ひとり?」
「ひとりってことあるか」
「あまり、個と全の区別のない生物ではあるようですが」
中条が煙を吐いて、
「火星にはどうやら、先住人類がいたようだ。もうとうに滅亡して、もはや文明の残骸しか残っていないが」
「おう、そいつらがあの砂か」
「へえー。クラゲじゃなくて、砂人間ですかい」
さすが火星だなあ、砂っぽいところには砂っぽい人類が栄えるんだな、と首から手ぬぐいをぶら下げて感心している面々に、
「いや、あの砂は火星人の、ペット的存在だったらしい」
「ペット」
全員、目を丸くする。
「ペットって、犬とかネコとか、ハムスターとかのあれですか」
「砂がペットって」
「まあ、俺たちみてぇな人類のペットが、犬とかネコとかだからな」
「砂をペットにする人類は、岩石とか岩盤ですかね」
なんとか理解し納得しようとしている連中に呉はずっと苦笑していたが、
「それで、このペットは飼い主の心を読んで、強く思っていること、願っているものを察知する能力と、それを提供しようとする習性があります」
一同はまたぽかんとしてから、大量に降って湧いたあれやこれのことを思い出し、「ああ…なるほど」という顔で上の方を見上げた。
「そんなこと、な、なんでまた、するんですか」
大作が訴える。
「人間が飼っている犬だって、主人の気持ちを読んで喜んでもらおうと頑張るだろう。あれと同じだ」
「すごいサービス精神だね」
「飼ってるペットに何でも出してもらってたのか、火星人は。いいなあ」
早くもあれやこれの想像をしてニヤけたりうらやましがったりしている面々に、
「地球上の物質程度なら、容易に出せるようですが、火星での場合は」
中条が首を振って、
「地球の犬程度の、お愛想だろう」
「へえ」
「火星って、ススんでるんですねえ」
「でももう滅亡したんでしょう。やっぱ、文明が進みすぎるとろくなことはねぇって事ですな」
「語るねえ、鉄牛」
「エッヘッヘ」
「諸君らのように斧や酒、美女くらいなら砂に頼んで出してもらってもいいのだがね。容易さでは同じ程度で、中性子爆弾や即効性の猛毒など出せるからね。その手のものを要求する連中に、飼い主になられては困る」
「全く、どこから嗅ぎつけたんだかなあいつら」
「奪われなくてよかった、なんてものではなかったんですね」
「後から冷や汗だね。奪われてたら、今頃どうなってたか」
皆で今さらのようにぞっとして顔を見合わせている。ふと、大作が呉に、
「今は、あの砂はどうなってるんですか?」
「なんとか選り分けたよ。見るかい」
「え、大丈夫なんですか?」
呉はうなずいて、
「あの砂はね、ある程度以上の光量のもとで活動を開始するんだ」
「ああ、だからあの黒い壜に入ってたんですね」
合点がいった!という声を上げる大作に、「そういうことだよ」と言って、呉は先に立って隣りの部屋に入っていった。
「俺たちも見ましょうや、兄貴」
「おう。見ようぜ、お前らも」
「そうだな」
皆ぞろぞろとついていく。隣りの部屋はなるほど、かなり暗く、テーブルも見えずに激突するということはないが、人相がよくわからない程度の明度だ。
呉はテーブルの上から何かを取り上げて、
「これだよ」
示したが、なにぶん暗くてよくわからない。壜らしい容器に、確かに粉状のものが入っていて揺らすと動くのが見える程度だ。
「なんだかよくわからねえな」
「でも、光を入れるとこいつがまた目を覚ますんでしょう」
「おい。何とか言え。火星ペット」
だのとやっている所に、突然、
「すみませーん呉先生、こちらですかぁ」
のんきな大声と共に、廊下に面したドアがばぁんと開けられた。蛍光灯の光がばっと入ってきて、皆いっせいに声を上げた。
「バカ、早くドア閉めろっ」
怒鳴りつけたが、白衣を着た研究者然とした若者はびっくり仰天して、立ちすくんでいる。
「いい、俺が閉める」
鉄牛がふっとんでいって、またもや非戦闘員を突き飛ばすと、力任せにドアを閉めた。かすかに悲鳴が聞こえた。
再び部屋の中は暗くなったが、
「あ、…」
大作が小さな声を上げた。
呉の手の中のガラス壜が、淡いほのかな光に満たされて、ぼうっと輝いている。どんな燃料で灯せば、こんなランプになるのだろうか?
(外からの光で、目を覚ました砂が)
(呉先生の一番の願いを読み取って、かなえようとしたんだな)
世界を満たす、清浄でやわらかい光を。
もうどこの誰も、闇に怯えることのない、うつくしい夜を。
やがて砂はゆっくりと再び眠りについて、静かに、室内は闇におちた。
白磁のような光が消える寸前、驚いたような、またどこか安堵したような表情でそれを見守っている呉の顔が、白く浮かんで見えた。
最初の題名は「美しき幻の夜」でした。プッて笑ってしまうのでボツ。
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