まだくらくらする頭を振って、花京院は辺りを見回した。
ついさっきまで麻雀牌にされていたせいか、なんとなく体が四角く縮こまっている感じがする。
首をこきこき肩をぐるんぐるんさせながら、
「さて、これでこの空間から…」
「出られる筈なんじゃが」
「出口を探すぞ」
三人は立ち上がって、うっそりと辺りを見渡した。と、
「まだでぇ〜す!ちょっと待ってくださ〜い!」
アタマのてっぺんから出しているようなアニメ声がぷりぷりと響いて来て、驚いて振り返る。
そこには、レースふりふりの超ミニスカートのアイドル服を着た、若いんだかそうでもないんだか微妙な頃の女が、片足をぴょんと上げた姿勢で、
「あん、そのまま行っちゃダメダメ!行かせませんよぉ〜」
んもう、と言ってオチャメに目をくりっと剥いて、ぷっ!とふくれてみせる。可愛い、と言えば可愛いのだろうが、それよりも疲労感が先に来るのは何故だろう。
「き。君は…スタンド使いか?」
目を瞬かせながらジョセフが尋ねる。はぁい、と大袈裟にうなずいて、
「ダービーの末の妹でぇす。名前はタマオ・S・ダービーでぇす。馬のことなんか全然知らないで競馬番組やってたんですけどクビになりましたぁ。どうぞよろしくー」
キスを投げられて三人とも思わず避ける。
「あぁんひどいですー。受け取ってくださーい。チュッチュッ」
投げつけられるキスを避けながら、
「末の妹?」
「まだいたのか。一体何人いるんだ」
「ちょっと待て。てことは君も我々と戦うのか?」
満面の笑みで、尻を突き出しぷりぷりさせ、
「はぁい!そうでーす。私に買ったらここから出してあげまぁす。負けたらこれでぇす」
そう言って突き出してよこされたものを見て、ぎょっとする。
ぱっと見は、マラカスのようだ。短い柄の上に、丸いふくらみがついている。
しかしふくらみは、泣き出しそうな顔の中年男だった。必死で三人を見て、何か言おうとしているが、声は出ない。
女はにっこり笑って、
「これなんだかわかりますかぁ〜?」
男の顔に口を近づけて叫んだ。男の口がぱくぱくして、今の女の声を、わんわんとあたりに響かせた。
気味の悪すぎる光景にしばし絶句していたが、やがてジョセフが、
「…マイクか?」
「あたりでぇ〜す」
再び中年男が、女の声で叫んだ。
「マイクは自分勝手には喋れませーん。うふふふふー」
女がそれから口を離して言い、笑いながらマイクを眺めた。中年男の顔のマイクは、怯えたような、すがるような目で女を見上げ、必死で口をぱくぱくさせている。
胸の悪くなる気持ちは、この兄弟たちと戦うたびに胸にこみあげ、なんだか胸が実際に黒くなったような気分だ。口元を拭いながら、花京院が、
「君に負けると、マイクにされる訳か」
「はぁい。いっぱいいっぱい持ってまぁす。自慢のコレクション、見ますぅ?」
「結構だ」
吐き捨てるように拒否し、一歩下がる。
「さてと…マイクか。トランプゲームでベットコイン、麻雀で麻雀牌。二番目はイレギュラーだったが、推して知るべしだろうな。…ひょっとして」
「はぁい!そうでぇす」
女は大喜びで、直系30cmくらいの大きさの円盤を突き出した。キラキラ光っている。
「完璧、歌詞を見ないで歌っていただきまぁす!間違った時点でアウトォー!ぼーん!マイク一本出来上がりって訳でぇす」
どこからいつの間に現れたのか、バカでかい機械がでーんと女の後ろに控えている。機械にはレーザーディスク、という字と、オウムだかインコだかが歌っているイラストが描かれている(まだ通信カラオケのない時代の話なのであった)。
「カ、カラオケ?」
花京院ががた、と肩を落とした。
「…DIOの館の中で…カラオケ対決?」
「ああ〜ん、バカにしないでくださーい。怒りますよう。これが私のスタンドでぇす。これが、わたしの、いいと・こ・ろ」
「一番不服なのは」
ものすごく低い声が聞こえて、花京院とジョセフが後ろを振り返った。
承太郎が怒りを押し殺した顔で、唸るような声を絞り出す。
「この野郎どもの戦闘方法の提示には、結局従うほかないってところだ」
全くもって、承太郎が本気で一発殴れば、館の外まで飛んでいくような一族だというのに、結局はやりたい放題やらかしている。なんとか全員倒してきたからいいようなものの、一体いつまでこの繰り返しなのだろうか。
「仕方がないな。やつらのステージに上がった以上、その場のルールで倒すほかはないというのは、くつがえらないようじゃ」
ジョセフは顎鬚をわしゃわしゃとやってから、
「しかし、歌か」
自分は別にいいけれども、こっちの二人にとって、他人の前で歌を歌うというのは、結構なプレッシャーなのではないだろうか。
しかしそう聞いてやったところで、ああそうだだからやめるという訳にもいかない。なにげなくさりげなく終わらせる方が良さそうだと判断して、
「よかろう。ワシがトップバッターだ。どうすればいいんじゃ」
「わーお。おじいちゃん、やる気マンマンですね!嬉しいでぇす。じゃ、そっちのチームと私が交互に歌いまぁす。歌う歌は、く・じ・び・き」
四角い箱をばっと出す。上に丸い、手をつっこむ穴があいている。
「引いたプレートに書かれた番号を入力して、流れてきた曲を歌ってもらいまぁす。そうですね。あんまりハンディがありすぎるのもなんですから、1番だけで結構でぇす。私って優しい。でしょ?」
バカが、と吐き捨てたいところだが、ここは下手に出るしかない。煮えくり返るキモチを必死でおさえつけ、三人はこくりこくりとうなずいた。うふぅ、と嬉しそうに笑って、
「わかってもらえて嬉しいでぇす。皆さん素直ですねぇ。可愛い!うふ。でも、負けませんよぉ!三人ともマイクにしちゃって、三本まとめて持って歌いますからねぇ〜」
三人の頭上に、自分たちがマイクになってこの女の手に束ねられている想像図が浮かんだ。
俺のこの学帽はどうなるんだ。マイクと一体化するんだろうか。
イヤだ。絶対にイヤだ。一人で何回も変身して、バカみたいじゃないか。
わしのこのお気に入りの帽子はどうなるんじゃろうな。何の心配をしとるんだ。
ぶるぶると首を振ってそれをふっとばし、ジョセフが前に出る。
「くじか。よし引こう。どれ」
「ジョースターさん、大丈夫ですか」
花京院の遠慮がちな声が聞こえる。それはそうだろう。2003年の世界ならともかく、「カラオケ」とはバーやスナックの片隅で皆に迷惑をかけながら、いやがるママと銀恋をデュエット…のイメージが定着していた頃だ。
ましてや外人の歌える曲など、当時では、
(ビートルズやカーペンターズくらいしかないに決まってまぁす。おじいちゃん張り切ってるのはいいけど、マイク一本目にまずは確定ですねぇ。はぁい)
女は意地悪く可愛く笑って、箱を差し出した。
(でも案外このおじいちゃん気が若いし、最新ヒット曲なんか知ってるってコトもあるんで、こんなところ行ってみまぁす)
箱の中につっこんだ手に、一枚のプレートが吸い込まれるように入った。
実のところ、この女は次に歌わせる曲の指定まで出来るわけで、三人はもはや選ばされた曲を歌うほかはないのだが、勿論そのことにはまだ誰も気づいていない。ジョセフが取り出したプレートを見て、番号を言った。
「…なんだか、若い番号だな」
「そ、そうですか」
少ない番号ほど古い、というのはこの頃でも定着している知識だった。
「古い日本の歌謡曲なんて、ご存知ですか?ええと、北島三郎とか、森進一とか」
「いや、もっと古いだろうぜ」
「そうか。えー」
考えているうちに、イントロが流れ出した。ほにゃほにゃした音が、のんびりと流れてくる。
ほわんわわんわんわ〜〜〜ん
「…これは…」
花京院が呟く。女がわめきながら、
「他の人が曲名とか、入るトコとか教えたら、失格ですからねぇ!」
ジョセフにマイクを手渡した。これは普通のマイクだ。ブランクなのだろう。ジョセフが失敗した時点で、これと一体化するのかも知れない。
続いてテンポのいい、しかしやはりどこかのんびりした伴奏が入る。これは、アレだ。あの。ああでも、ジョースターさんが知っているだろうか。
と、ジョセフがうんうんとうなずきながら、歌いだした。
「ババンババンバンバン」
知っていたか!と花京院の顔が歓喜に輝き、
「アビバノンノン」
思わず合いの手を入れてやった。ジョセフは花京院に、うんうんと再びうなずいて、
「ババンババンバンバン」
歌詞は同じで違うメロディ、を調子良くうなった。花京院もうんうんうなずいて、
「アビバビバビバビバ」
音程があるようなないような合いの手を入れる。隣りの承太郎があきれた顔で、二人を見比べている。その肩をばしっと叩いて、
「手拍子だ!」
「………」
あきれた顔のまま、途中から手拍子に加わった。
「イーイユダナ ハハンハン イーイユーダーナー ハハンハー」
なんだか変な発音で、気分よくうなっている。いい声だ。喉がいいのだろう。マイクの持ち方もなんだかリラックスして、斜になっている。
「ユーゲーガーテンジョカーラー ポタリトセナーカニー」
ああ、そう、そうですジョースターさん!あっでもここがどこの湯かわかるだろうか。普通、温泉といったら草津や熱海が来るのではないだろうか。
花京院の不安をよそに、ジョセフは自信たっぷりに、
「コーコーハーキターグニー ノボリベツーノーユー」
ちゃんと歌い、再びババンババンバンバンを繰り返した。と、わーという歓声と拍手の効果音が入った。
「ほほう、1番を歌いきったようじゃな。まずはわしが先取ヂャ!」
ジョースターさん!と花京院が泣きそうな勢いで拍手している。
「よく、ご存知でしたね!」
「ふふふ。これの替え歌が有名じゃろう?あれを聞かされていた頃、本家本元はどういう曲なのかと思ってな。ゴトウチソングというやつじゃな」
「替え歌?…あのドリフの歌ですか?」
「そうそう。フロ入れ。歯を磨け、と加藤チャに命じられるやつじゃ」
でもいよいよ不思議になる。ジョースターさん、あの番組を見ていたのか?8時だから、集合しろと言われる、あのバラエティ番組を?
「日本に遊びに来ると、しょっちゅう見せられておったのじゃ。ホリィが好きでな」
思わず隣りの承太郎を見る。けっ、という顔でうなずく。
「あいつは仲本工事のマット体操が好きで、俺はじじいとよくやらされた」
ああそうか。…昔の承太郎は素直なヨイ子だったのだっけ。…少年の承太郎がホリィの指図で、今より若いジョセフのV字に開いた股間を飛び越して前転などしているところを想像して、ぶはっと笑ってから、
「普通は教育上良くないから子供に見せないというのが一般的なのに。さすがはホリィさんだな」
「何言ってやがる。面白がるな」
「お前は見とらんかったのか?花京院」
ジョセフに聞かれ、暗く笑って首を振り、
「僕の親は見せたくないようでしたが、これ以上息子が学校で孤立するのは困るし、共通の話題づくりのためにもと見せてくれましたよ」
くらーい雰囲気が頭上に垂れ込めた。
「聖歌隊のコーナーが好きでしたね僕は。荒井注と志村けんが交代した回も覚えてますよ」
言ってから、あっと声を上げ、承太郎をまじまじと見た。
「なんだ」
「君、もしかしてその口調、荒井注の真似をしているのか?」
「殴るぞ」
とは言われても、承太郎が『なんだ馬鹿野郎』と言っているところはどうしても想像してしまい、ジョセフと花京院は笑い出し、結局殴られた。
「ちょっとぉ!ワキアイアイと喜ばないで下さい!きぃー!」
振り返ると女がぷんぷん怒って、マイクを振り回している。もう片方の手にはいつの間に引いたのかプレートがあった。
「これから歌うんですからねぇ!あっ私が引いたのは聖子ちゃんです!天使のウィンクです!」
と、イントロが終わって、
「ぅやくそぉーくうぉ〜 まぁもぉれたぁならぁ〜ねがいうぉかなーえて、あーげるぅー」
思い入れたっぷりに歌いだした。
…イカサマというか、ズルというか。自分で勝手に引いたんだろう。と、三人とも思ったが、引くところを見ていなかったし、見ていても無駄という気がするしで、どうせ一番も二番もなく歌えるんだろうと思いつつ、振り付けもばっつりで歌い踊る女の姿を、ぼーと見ていた。
(くやしいですぅ!本当ならこのマイクはおじいちゃんのはずなのに!なんでアメリカ系イギリス人がドリフのモト歌なんか歌えるんですかぁ!あれっイギリス系アメリカ人でしたっけ。どっちでもいいですぅ!)
「天使のウィンクー(ウィンクウィンク)ゆうきをだーしてえー」
伴奏に乗って尻を振りながら、
(くーこうなったら次で決めてやりますぅ!)
「やくそくだからぁー!」
わー、と歓声と拍手が入った。嬉しくもない。自分が歌えるのは当然なのだ。
「さあ!次は誰ですかぁ。どっちでもいいですよぉ。早くしてください!んもう!」
ぷりぷり怒っている。
承太郎と花京院は顔を見合わせた。どちらも行きたくない。戦いならなんぼでも出て行く覚悟はあるが、ひとさまにわざわざ聞かせたい歌声でもないのだ。
無言で見詰め合う二人に、
「じゃんけんしろ。じゃんけん」
ジョセフが声をかけた。
まあ、それしかないだろうと、二人はじゃんけん小僧になって、じゃんけんをした。じゃーんけん、ぽい。ぽい。ぽい。
「チッ」
承太郎が負けた。むっつりと前に出て、くじを引く。その背中を見て、助かったと思った花京院だったが、待てよ、とも思う。いっそ先に歌った方がよかっただろうか。
(17歳の若造ですねぇ。知っていてもせいぜいドリフまででぇす。こんな古ぅい昭和の名曲は知るワケありませぇん。マイク行きでぇす)
一枚引き出して番号を言う。…二桁だ。
「こりゃまたとてつもなく若い番号じゃな」
あっちゃー、という顔になる。花京院も暗い顔になって、
「久保田利伸が来ないかと、念じていたのに…」
とてつもなく渋い、しぶすぎるイントロが流れ出した。
「ダメじゃ。全然わからん。最新歌謡曲じゃないのだけは確かじゃ」
「僕もわかりません。久保田じゃないことも確かです。もっとおやじです。ジャンルでいうと、ムード歌謡みたいな感じですか」
「なんじゃそれは」
「日本の、伝統音楽というか…」
絶望に満ちたやりとりをしている。女は対照的ににこにこにこにこ笑っている。
(あと数秒で17歳の若造はマイクでぇす。背がばかでっかいから長いマイクになるかも知れませぇん。うっふふふふ)
承太郎のしかめられた眉間が、ん。というように緩んだ。
と、それまでだらりと下げていたマイクを、すうと引き寄せた。
えっ?と三人が思った時だった。
「傍に、居てくれるだけで、いい
黙っていても、いいんだよ」
もんのすごく低い音程で、承太郎が歌い始めた。地面が抜けて落ちていきそうな程低い。
ぶっきらぼうだ。勿論、「俺の歌を聴け」などとはこれっぽっちも思っていない、さっさと終わってまともなキャラに戻りたいだろう。彼の思惑などそっちのけで、歌声はしぶく、かつ朗々と、聴く者の胸を打って流れた。
「僕の綻び、縫えるのは同じ心の、傷を持つ
お前の他に誰も無い」
ちょっとぉー!と女が両手で顔をはさみ、愕然とする。なんで歌えるんですかぁ!こ、これ、1966年の曲でぇす!こいつまだ生まれてませぇん!なんでぇ!
男二人は呆然と中途半端な姿勢で、愕然として聴いているような、感動して聞き惚れているような、同じ表情で承太郎を見ている。手拍子を入れる曲でもないし、合いの手も入らない。突っ立っている。
「傍に、居てくれるだけで、いい」
最後にもう一度繰り返したところで、わーっと歓声と拍手が入った。1番、歌いきったらしい。短くて助かった、と呆然とした頭のどこかで思いながら、昔の曲は大概そうだけど、とわざわざ付け加え、それから、
「承太郎!」
「承太郎!」
我に返って、二人は駆け寄った。マイクをぽんと女に投げ返して、うっとおしい、離れろ、と子供でも追い払うように、さしのべてきた二人の手を払いのけた。
見るとほんのすこーしだけ顔が赤い、ようにも見える。やっぱり恥ずかしかったと見える。
「すごい、すごいよ承太郎!そうかこれフランク永井か…」
「お前も知ってるんじゃねえか」
「君が歌ったから気づいたんだ。突然イントロだけ聴かされても歌えない。僕じゃなくてよかった。なんで知ってるんだこんな曲」
承太郎はなんだか憂鬱そうに、
「オヤジが好きでよく聴かされた」
へえー、と声が揃った。
「空条貞夫のソウルの原点が昭和のムード歌謡にあったとは知らなかったな」
「しかしお前、渋すぎるぞ。本当に17歳か。トシをさばよんでないか?実は40過ぎじゃないのか」
「うん、いい喉でしたね。きっと血筋なんですね。黙って傍に居たくなりましたよ」
馬鹿な事を言ってんじゃねえと怒鳴られる。吐き捨てられる、の方が近いか。自分の歌声を聴かれた直後で、あまり横柄な態度にも出られないでいるらしい。ちょっとカワイイ、と花京院は思い、微笑んだ。
「承太郎」
「なんだ。まだ何か言ったら殴る」
「DIOを倒して日本に無事に戻れたら、君の久保田を聴かせてくれ」
また馬鹿なことを、と怒鳴りつける事なのか、妙に真摯に頼むマナザシを信じて「ああ」と承諾すべきなのか、一瞬わからなくなり、むっとした顔で数秒迷ってから、
「1曲だけだ」
また中途半端に譲歩した。
「勝手に約束を取り付けてるんじゃありませぇん!怒ります!」
振り返ると、再び女がぶりぶり怒りながら、すでに振り付けを始めている。
「次は私の番でぇす。曲は聖子ちゃんのロックンルージュでぇす。んもう!負けませんからね」
キーキー怒りながら、ぐうとしぶぅいすぽーつかあでー、まぁたせたねぇとかぁこつけぇる、と歌っている。三人はまた、別にもうどうでもいいという顔で、眺めている。
「ぴゅあぴゅありっ、はあとにうぃん」
(くっそ〜、悔しいですぅ。ジョースターはあなどれないと聞きましたが本当でしたぁ。あっでも)
「キッスはいーやといってもはーんーたーいーのーいみよー」
(次はおにいさまたち二人にいいようにされたノリアキ君でぇす。真面目で四角いヤツはダービー一族にとってカモの代名詞でぇす。私でとどめでぇす。茶色いマイク一本新調でぇす)
「あいうぃるふぉーりんらー!」
歓声と拍手が入った。
もうすでに緊張した顔で女を見ている花京院の横顔を、承太郎はちらと見た。
プレッシャーがかかっている。それはそうだ、三人いて二人成功したのだ。自分でコケたらどうしようと思うに決まっている。それに、花京院は一人で二回もこの不愉快兄弟の術中にハマっている。またハマるのではないか、と思って当然だ。
と、低い声でぶつぶつ言っている。耳をそばだてると、
大丈夫だ僕は恐怖を乗り越えた花京院だ。DIOに優しくされてゲレゲレになっていた情けない男ではない。記憶力だって抜群だ。きょ、曲だって、この中では一番平均して覚えている筈だ。最後に見た夜のヒットスタジオを思い出せ。
自分に言い聞かせているのが見え見えの、緊張で白くなった顔に、女はニタリと笑い、
「それじゃー引いてくださぁい。いい曲があたるといいですねぇ。うふ」
箱を突き出した。と、
「花京院」
承太郎に呼ばれてそっちを見る。と、彼の右手には何故だかでかいガラスのコップがあって、中には泡をふく液体が入っていた。
それは一体なんだろう、と思うより先に疑問に思った事を尋ねた。
「…いつの間に、どこから出したんだ」
「俺の特技だ。気にするな。いいから飲め」
突き出されて、反射的に受け取り、何だいこれはと言いながら、そう言えばさっきから喉が渇いていたと思いつつ、ぐーと傾けた。
数秒後、げほげほと咳込む。
「さ、酒!?」
「焼酎のソーダ割りだ。歌を思い出して歌うのに、緊張していていい事はひとつもないからな。強制的にリラックスさせる」
「強制的にリラックスって。第一僕はまだ未成年なんだが」
「俺もだ」
自信満々に言われて、ちらとジョセフを見る。ワシも人にくれる説教は持っとらん、という顔の老人に意味のない会釈をしてから、ままよと続きも干してしまった。
ぷはー、と熱い息を吐いた男に、
「あまり急に飲まない方がいいぞ」
「飲む前に言ってくれないか」
ええ、もういい、と空になったグラスを相手の手に押し付け、よろよろと前に出る。早くもなんだか、キているようだ。半オクターブ上がった声で、
「くじを。引こうじゃないか」
「はぁーい。どぉぞー」
言いながら箱を突き出す。相手は肌が白いので見る間に赤くなっていく。まばたきを繰り返しながら、手を突っ込んできた。
(リラックスしようがハッスルしようが、覚えてないものは思い出せませぇん。そうでぇす。女の曲にすればよかったんでぇす。今度こそオワリでぇす。えい)
プレートを引き、番号を読む。
と、ずんかちゃっかずんかちゃっかという感じの、ミステリアスでサスペンスフルでちょっと古臭い、イントロが流れ出した。
「知っとるか」
「知らねえ」
シンプル極まりないやりとりをしながら、二人ともどうしようもなく不安になり、ジョセフは素直に不安そうに、承太郎はムリヤリな無表情で、すぐそこでふらふらと揺れている花京院を見つめた。
いまや真っ赤になった顔で、斜め上を見つめている。この表情はなんだろう。わかっていて、歌詞を思い出そうとしているのか、全然わからなくて呆然としているのか。
(わかってるわけがありませぇん。昔のアイドルでぇす。絶対射程範囲外でぇす)
女がニタニタ笑って花京院を後ろから見ているのがカンにさわる。承太郎がにらみつけた時だった。
「あのひとはぁーーーーー、あぁくまっああ」
無表情なまま、そう歌い出し、その直後両手の人差し指と小指を立てて、不思議な踊りを踊った。
何かが吸い取られていくような気分に陥りながら、二人が片手を差し伸べる。と、
「わたしっをーーーーー、とりこにするっうう、やさしーいあっくまあー」
また、似たような不思議な踊りを踊る。どんどん吸い取られる。
顔が真っ赤で真面目なままだ。これでゲラゲラ笑っているとか、大声でがなっているというのならまだ「ヨッパライ」なのだが、
「なんだか、イヤな酔い方をしとるな」
「今はそんなことはどうでもいい。ちゃんと歌ってることが重要だ」
「なるほど」
こんなに顔が赤くなるくらい酔っている割に、不思議なほどしっかりした音程で、
「れえすのぉーかあてんに、あのひとのーかげがー、うつぅううたらー、わたしのこころはぁー、もううごけなあいー」
「…アダルトな歌詞じゃな」
「古い歌謡曲だ」
「ふたりのかーげはあー、やがーてひとーつのうおうおうおう、もーえーるー、しるえっとー」
ジョセフがげほんと咳をした。変なところでテレている。
曲が長調になり、また振り付けをつけながら、
「おーおーデビール、マーイスィリルデビール、あーああー、やさしいあっくまあー」
わーと歓声、拍手が入った。
二人がほっとし、ジョセフが喜びの表情、承太郎がニヤリと笑ったところで、目がすっかり据わっている花京院が、
「…これは、DIOのことを歌った曲かな?」
二人の顔がひきつった。
「やだっ。なんで。信じられません。外人のくせに、若造のくせに、男のくせにぃ!なんで全部歌えるんですかぁ!うぇ〜ん」
女の子座りをして泣きじゃくっている。まあまあまあと慰めて、
「わしらがちょっと変なんじゃ。悪かった」
「そうですよねぇ。皆さんが変なんですよねぇ。シクシク。私、なんかやっていく自信がなくなりましたぁ」
「何をやっていく自信なんだ」
「シッ」
ジョセフが承太郎を叱りつけ、
「いやいや。ええと、なんじゃったか。そう。セイコちゃんに関しては君が第一人者じゃ。それは変わらんから」
「そうですよねぇ?そう思います?おじいちゃん」
「思う思う(おじいちゃんて…)」
ご機嫌をとっている。三人共歌えたことだし、なんとかここから出してもらおうというのだろう。呆れ顔で眺めてから、あっちの方でカラオケマシンをいじっている花京院へ目をやる。
「…アルコールの量が、多すぎたか」
つぶやいて傍に行き、
「おい、しっかりしろ」
「ああ僕なら大丈夫。酔ってない。全然酔ってない」
酢だこのような顔をして、目を懸命にしっかりさせながら、承太郎を見返す。が、充血している。
「キャンディーズか。よく覚えていたな」
「僕は結構歌謡曲には詳しいんだ。男女関係なく知ってるよ。特撮やアニメだって歌える。演歌だって。ヒック」
「そうか」
ひゃっくりをしながら自慢され、さすがの承太郎もうなずいてやった。と、
聞き覚えのあるこれまたサスペンスフルで脅すようなイントロが流れ出し、ジョセフと女も驚いてこちらを見た。真っ赤な顔で晴れ晴れと笑った花京院が、必死で自制した声で、
「もう一曲歌わせてくれないか。一曲でいいから」
そう言いながらマイクを握り締め、歌いだした。
「しゃわーのあとのぉ(ででででで)髪のしずくをぉ(ででででで)かーわいたタオルーでふき取りながらー」
曲が忙しくなる。
「…ノリアキ君、女性の曲に詳しすぎますぅ。キモチ悪いですぅ」
「うんうん。ちょっと変じゃな。わしもそう思う」
もうものも言わない承太郎の前で、
「あああ、いみてーしょんごぉぉ〜」
「報告します」
ヴァニラ・アイスが複雑な顔でひざまづいている。
「…さきほど、ダービー兄弟たちが全滅しました」
「ふむ」
DIOはちょっと考え、どうして奴らが敗れたかわかるかヴァニラ・アイス、と聞こうとしたのだが、その時どこからか、
ちゃんちゃんちゃらんらんららん、ちゃんちゃんちゃらんらんららんという軽薄な出だしに続いて、
「せーえーらーふくをー ぬーがーさーないでー」
必死で自制している歌声が流れてきた。
「いまはだーめーよ、がまんなーさーあってー ちゃらんらちゃらんららーららーら」
DIOはしばらく考えてから、
「セーラー服というのは、水兵の着るあの服のことだろうな?アイス」
「さようでございましょう」
マヌケな問いと応えをかわした。
すみません。時々ね、皆さんに歌わせたくなるんですね。単に自分がカラオケ好きだからなんですが。
ダービーに勝手に変な兄弟姉妹をこさえてばかりいてすまん。
ジョセフのほかの候補は、坂本九、西城秀樹、郷ひろみ、『グッナ〜イグナーイベイビ〜』等。
承太郎のほかの候補は、前川清、石原裕次郎、渡哲也、尾崎紀世彦、つのだ☆ひろ等。
花京院のほかの候補は、女性アイドルかたっぱしから。あとジュディ・オング、テレサ・テン等。
全然関係のない話で、酔った花京院がとてもいい気分で歌を歌うという話もあったんですが、こんな悲惨なソロデビューになってしまって申し訳ない。
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