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 もうすぐ昼休みが終わるという頃、花京院は席を立って、五時間目に使う資料を取りに行った。
 ちらと見た最後尾、窓際の机はからっぽだ。今日もサボリか。どこを遊んで歩いているのやら、と思いながら中央階段を降りて、左に曲がった。指示のあった教室に入ると、クラス名が乱暴に書かれたダンボールが幾つも置いてあった。一番端の3−Aという箱を抱えて、戻った。両手が塞がっているのでつい法皇で閉めたくなったが、どこで誰が見ているかわからないので、足で器用に閉めた。
 とは言え、もう少し箱が大きかったら前が見えない。そうなったらこっそり法皇で見るだろうな自分は、と花京院は思った。この箱がもう少し重かったら…法皇はあまりそちら方面の助力には使えない。そうなったら普通の非力な男のようにただヒーヒー言いながら運ぶだけだろう。
 運動が得意な人間は運動方面にその能力を使う。
 語学力に秀でた人間は語学の方面にその能力を使う。
 スタンドもそのようなものではないかと思ったこともあったが、やはりどこか違う気がする。
 それは何故だろう。あまりにも特殊だということか。通常の人間には想像すらつかない力が、あまりに希少な人間にだけ許されているからだろうか。この、どこまでも「ズルをして、利を得る」感覚が残るところを見ても、そういう認識があるのかも知れない。
 そんなことを考えながらもときた道を戻り階段を上がろうとして、ふと、そこで足が止まった。
 右側には階段、左側は昇降口だ。ばたばたと外から戻ってくる生徒たちに混ざって、抜きん出て背のでかい見覚えのあるシルエットが、かったるそうに靴を履き替えていたのだが、今花京院に気づいて、ああ、みたいな仕草をした。
 花京院は、自分が数段、上の位置にいるのになおも水平に見える相手の目を眺め、
 「今日は朝から授業があったんですがね?」
 イヤミとも冷やかしともつかないことを、大して気のない調子で言った。
 空条承太郎はその揶揄に、もちろん恥じ入るでなく、むっとするわけではさらになく、ただ相手の顔を見る角度がなんだか慣れない、という程度の感情を眉に見せ、
 「そいつは知らなかったな」
 悪びれるでなく言ってずかずかやってきて、隣りに立って、相手の白い顔を見下ろし、この角度で合ってる、よしというように頷いてみせた。
 花京院もまた無論、このでかいクラスメートの出席日数がどうとか本気で言う気もない。単なる挨拶だ。だから、あ、そうですかと更に気のない調子で言って、ではと背を向けた。
 「なんだそれは」
 「次の授業で使う、資料を取りにそこまで」
 ボス、と音がして花京院はもんどりうって転びそうになった。突然下からダンボールが突き上げられたのだ。とと、と段をなんとか踏んで堪えた隣りを、片手で肩に担ぎ上げた巨大な背が、さっさと登っていく。
 「ちょっ、と、承太郎」
 返事もしない。
 やれやれという口調でありがとう、と言いかけ、はっとする。
 何者かの意識がこちらに向いているのを感じる。平たく言うと、「見られている気がする」というやつだ。
 いや、有体に言って、強烈な負の意識だ。
 ばっと振り返ってきょろきょろするなどということは出来ない。法皇を使おうかとまた思ったが、
    もし、その何者かも、スタンド使いであったら、
 そう思うとやはりためらわれ、それはやめて、ただうつむいて肩越しに背後を探るという、はなはだ頼りない仕草にとどまった。が、勿論その誰かが、後ろにぴったりくっついて花京院を覗き込んでいる訳ではないので、正体はわからないままだった。
 「どうした」
 声に尋ねられて目を動かすと、数段上の位置の承太郎がダンボールを担いだ姿勢でこちらを見下ろしていた。随分とまたでっかい宅配便のおにいさんだ、とつまらないことをわざわざ呟いてから、
 「誰かに見られている気がした」
 承太郎は、くだらない、という眉をしてみせ、
 「お前を見ているやつなら、掃いて捨てる程いるだろうぜ」
 それはどうも、と慣用句のように呟いてから、
 「あまり、好意的なものではなかった。というか逆だ。だからこそ、こちらにより強く訴えかけてきたのだろうし」
 「好意より、悪意の方が強いものなのか」
 そうなのか?と聞いているのか、なるほどと納得しているのか。よくわからない口調で呟く。それから、
 「法皇は」
 「出してない」
 意識にある限りは、と早口で付け加えた。
 「だろうな」
 お前ならな…と呟き、
 「もういい。行こう。何らかの悪意がお前か、あるいは俺か、両方に向けられていると意識して迎撃の準備をしておく他ないだろう」
 「そうだな」
 答えてから、花京院は低く笑った。
 「なんだ」
 「とても、学校なんて場所で、こんななりで話す内容じゃないからね。悪意が向けられている先だの、意識して迎撃準備だの」
 手を広げてみせる。確かに、背景は通用門と階段、来ているのは学生服で、向かう先は授業を受けるための教室だ。決して、悪の首領が待つ館でも、殺意に満ちた迷宮の入口でもない。
 しかし、スタンドという才能を持つ者にとっては、そこが小学校だろうと、託児所だろうと、いつなんどき死闘の舞台にならないとは限らない。そのことを当然のように受け入れ、完全なリラックス状態などおそらく決して有り得ない日常を覚悟するのが、スタンド使いの宿命だ。
 そんなことくらい承知して言っているのであろう花京院のすました顔を、例によってつまらないみたいな表情で一瞥してから、承太郎は背を向けて階段を上りだした。
 確かに負の感情であった。憎しみや怒りよりは、悲しみの方にずっと傾いていたと思うが。
 やっかいだな、と憂鬱になってきた。自分がそんな感情を持たれる、どんな悪事を働いたのだろう?それを解消させることなど、果たして出来るだろうか?
 この世で、話し合いで解決できることなんか、ほんの一握りだ。だからこそ、地上から争いがなかなか絶えないのだ、もしかしたら、絶対に。

 翌日の朝、教師が入ってきて、まだざわざわしている一同に、
 「転校生を紹介する。早く席につけ」
 花京院の前の席の女子二人が低い声で、顔を突き合わせ、
 「三年のこの時期に転校してくるんだ」
 「このバタバタした頃にね」
 「うちのガッコって進学校なんだっけ」
 「何のんきなこと言ってんのよ、『三年のこの時期』に」
 「あはは」
 開きっ放しのドアからその時一人の生徒が入って来て、教師の隣りに立った。女生徒だった。
 この学校のものではない、ブレザースーツの制服を着ている。
 「あ、可愛い」
 「そぉー?カワイイ?あの子?」
 「制服が、よ」
 「うるさいぞそこ。静かにしろ」
 女子二人は慌てて前を向き、首をすくめ、それから片方の女子が上目遣いに教師と転校生を見て、そしてあら、と思った。
 転校生が、じいっと、自分を見ている。いや、自分の後ろを見ている。
 彼女はそろそろと後ろを見た。ははぁん、この転校生はJOJOでなく、もう片方の系列に入れ込むタイプだったというわけだ、とすぐに納得した。
 そうだ、そこにいるのは勿論、このクラスで一位か二位の頭脳と、知性と、美貌(は本人があまり喜ばないので指摘しないが)を兼ね揃え、そしてもう一人の一位か二位である、あのJOJOと友人だというとんでもないプロフィールの人間だ。
 実際、彼に憧れる女の子の数はJOJOに憧れる子の数といい勝負だ。そして彼は女子に対しては常に礼儀正しく丁寧に、笑顔で処する。まるでJOJOと対にしなければいけないと思っているかのように。…
 しかし、彼の前の席の女子は気づかなかったようだが、彼を見つめている転校生の視線は、そういった熱をはらんだものではなかったし、彼も、愛想よくニッコリと微笑み返す気にはならないようだ。
 転校生の視線はひどく張り詰めた糸のようだ。痩せて顎の線がやけに目立ち、首にくっきりと影を落としている。口元の線が厳しく、すぐに怒る寮長かなにかのようだ。
 眼鏡をかけているが、メガネッ子、という単語を発想させるような雰囲気ではない。表現するとすれば、『司書』『女事務員』の方向に行く。髪は中途半端に長く、あまり熱心に手入れをする方でないようだ。
 花京院の前の女子が、まだ見惚れてるのかな、と思ってもう一度転校生の表情を見ようとした時には、もう彼女は視線を足元に落として、
 「…サカキアユミといいます」
 トーンも、音量も低い声で名乗って頭を下げた。
 席はあそこだと教師に促され、お辞儀をして机の中をその席まで進む。花京院の隣りを通るときも、もう彼のことを見なかった。
 その時には花京院は確信をもっていた。
 昨日、昇降口の辺りで、じっと自分を見ていた視線は、彼女のものだと。

 過去において、自分は、彼女に出会っただろうか?
 そして、あんな悲しい目で凝視されるような、何事か(あえて、酷い事柄には限定しないが)を彼女に対してもたらしただろうか?
 いくら考えても思い出せない。
 思い出せない自分は人でなしだろうか?
 「おい」
 目を上げると、文字通り見上げるような大男が、机の前に立って自分を見下ろしていた。
 なんですと言おうとして、周囲の人間がほとんどいなくなっていることに気付いた。いつの間にか休み時間になっていたらしい。次は教室を移動するのだ。
 なにげなく後ろを見たが、あの転校生はもういなくなっていた。
 「あの女なのか。昨日の」
 「多分」
 うなずく花京院に、
 「覚えはないのか」
 「ない」
 簡潔に答え、本当に?ともう一度自問してみるが、やはり記憶のデータベースの中に、あの顔も名前も見つからないと自答し、
 「ありません」
 もう一度丁寧に言った。
 「相手には、覚えがあるようだがな」
 「しかし」
 言い張る花京院に片方の肩を持ち上げて、
 「お前になくて、向こうにだけあるってことくらい、いくらでもあるだろう」
 「…そうだな」
 そう思うほかはなさそうだ。
 そして、そうなると、向こうから何か言ってくるのを待つか、こちらから出向いて『何なんだ?』と聞いてみるか、どちらかしかない。
 「こちらから出向いて、何か言いたいことがあるのなら言ってくださいと聞いてみます」
 「そうか」
 承太郎は興味のなさそうな声で呟いた。

 「すみません」
 放課後、花京院が職員室で用を足し、廊下を歩いている背後から声をかけられた。振り返るとあの転校生だ。あれから数日が経っていた。
 こちらから出向いて聞いてみる前に接触してきたというわけだが、それは花京院にはちょっと不思議に感じられた。好意的でない感情を持つ相手を、人前でいきなり詰ったり怒鳴ったりというアクションを起こさず黙って凝視していたタイプの人間が、その後改めて話し掛けてくるというのが、奇異に思えたのだった。それでも、
 「はい」
 黙ってきちんと向き直る。ちらと見上げる眼鏡の奥の目が、やはり暗い。
 「ちょっと、お話があるんですけど、……………か」
 最後の部分がよく聞き取れず、えっ?と聞き返そうとしたが、いいですか、と言ったのだとわかって、はいと返事をした。黙って先に立って歩いていく。どこへ行くのだろうと思いながらも結局口は挟まず大人しくついていった。
 昇降口を行き過ぎる。あの時ここで、この人の視線を感じたなとちらと思いながら、通過した。転入前の手続きにでも来ていたのだろうか。そこで偶然、宿敵と巡り会ったと。…いつの間に僕は宿敵になっていたのだろう。
 ちょうどその瞬間、階段の踊り場を回り込んで来た承太郎が、
 「………」
 ゆっくりと、階段を降りきった。それから、廊下を真っ直ぐにどこかへ向かっていく転校生と、それに先導されて黙ってついていく花京院の背を後ろから見遣った。
 やがて廊下の突き当たりの、普段はあまり使わない戸を押して外に出る。重い鉄の扉だ。
 そこから出るとすぐ、校舎裏に続いている。人の目につかない場所なので、時々カップルがいちゃついたり、不良がカツアゲするのに使っている。が、ここ三年ばかりは、空条承太郎という「不良」なんて言葉が逃げ出すような人間が、どっかりと君臨している(本人にはその気はないが)ため、後者の方はなんとなく、影をひそめている。
 (転校してきたばかりだろうに、随分この学校の構造に詳しいな)
 今日はいちゃつきカップルもカツアゲ不良も居ない。相手の性格から推して居ない事を確かめておいたのだろう。
 湿っぽいカビのにおいのする、一日中、ひいてはこの学校が取り壊されるその日まで太陽の当たらない場所に来て、やっと振り返った。
 あの思いつめた、暗い、重い目で花京院を見つめてくる。その視線の奥に押し殺されたものの大きさに、やはり花京院は胸が塞いだ。
 相手が口を開く前に、花京院は、言うことを言ってしまおうと思い、こちらから、
 「サカキさん」
 相手の目が驚いたように見開かれた。なんだかえらく驚いている様子なので、こちらが戸惑って、
 「…サカキアユミさんでいいのでしょう。あ。ひょっとしてユミさんという名前ですか?サカキア…アはないのかな」
 相手はまだ驚いた顔のまま、首を振って、
 「サカキでいいです、アユミですけど…どうして…知っ…」
 「転校してきた日に、自分で名乗ったと思うけど」
 「それは…そうですけど………………………か」
 また後半部分が聞こえない。が、今回は顔を向き合っているので、おぼえていたんですかと口が動いたのがわかった。
 「それはまあ、勿論。同じクラスに入って来た人の名前なんだから」
 戸惑いながらもそう答えると、相手はしばらく、花京院をただ見上げていた。あの暗い目でなく、ただ、ぽかんとして、という感じの視線であった。
 花京院は一度息を吸って吐き、
 「僕の気のせいかも知れませんが(とは思っていないけど)どうやら君は、僕に言いたいことがあるみたいだと思ってました。それもあまり楽しくない感情を伴って」
 相手の顔が徐々にこわばっていく。それを見ながら、自分も落ち込んで行きそうな気持ちをぐっと引き上げて、
 「こんなことを聞くのはひょっとしたらひどいことかも知れないが、以前に僕と君は会ってますか?僕は何かしましたか?申し訳ないが僕にはおぼえがない」
 「でしょうね」
 相手は感情の無い声で確かにそう言った。
 …どういう意味だろう?
 そうだろうな、と言っている、そのままなのだとしたら、覚えが無くて当然だ、ということは…自分とこの人は初対面だということだ。怨まれるようなことは何もしていない。良かった良かった。
 と、なって終わりのわけがない。
 忘れているんでしょうねという意味か。あなたは私にあんなひどいことをして、きれいさっぱり無かったことにしてるんでしょうね。なにしろあなたはあんなひどいことが出来るような人なんだから。別に驚きはしません。
 そういう強烈な嫌味だろうか。それとも、『あの時ひどく頭を打ってましたからね』という意味か。…
 バカなことを考えている、と思った時、
 「あなたが覚えている筈がありません」
 もう一言、呟くように付け加えられて、一歩前に出た。
 「僕が覚えていない何かがあったと言ってるんですね?なんですか?」
 しかし相手は首を振った。
 「答えたくありません」
 低いがきっぱりした拒否だ。暗く小さくうずくまってかたくなに身を縮めている動物を思わせる顔だった。
 さんざん思わせぶりなことを言っておいて、勝手に打ち切るなと一瞬かっとなり、それからすぐに途方に暮れた思いに見舞われ、その後、花京院は苦笑した。
 「それでは一体、君は何故僕を呼び出したんです?そのことで僕を責めたいということでないのなら」
 困った様子で笑うその白い顔を、上目遣いで見上げ、確かにしばし迷っていたようだが、やがて決心がついたのか、しかし低い低い声で、
 「…手を、………………か」
 聞こえるように言ってください、といおうと思ったが、「手を貸してくれませんか」と言ったのが、解かってしまった。
 承太郎なら、聞こえねえな、と言い放って背を向けて立ち去るだろう。それが正しいのだ。そうわかっていても、親切ごかしの世話を焼いてみせてしまう、僕は。
 本当に相手のことを思いやっているのでもないくせに、思いやっているフリだけはしたいのだ。
 先回りして理解してやるのはこれで最後にしようと思いながら、
 「僕に、出来ることであれば」
 そう言った。相手はまた、何も含まない「きょとん」とした表情になって、花京院を見上げたが、すぐに、違いますと呟いて、
 「たとえではなくて、実際に、」
 わずかに微笑んだ。
 この人の笑顔を見るのは初めての気がすると思いながら、手を?と言いながら右手を差し出した。
 「ごめんなさい」
 謝りながら、相手の手が自分のそれを掴んだ。
 相手の背後に、妙にメカニカルな印象の何かが見えたと思った。近いものでいえば、CDプレイヤーのような…
 次の瞬間、剥き出しの電線に触れてしまったような衝撃に、花京院の意識がふっ飛ばされた。

 「ごめんなさい」
 もう一度謝った、しかし相手は聞いていない。手だけを相手に預け、地面に崩れている花京院は、目を開けたまま気絶している。
 「おい」
 突然かけられた声にビクリとして振り返る。そこには、空条承太郎が立っていた。
 「そいつに何をした」
 言いながら手を伸ばして、相手の手から花京院の襟首をひったくった。目を開けたままグラグラと右へ左へ動かされているが、まだ意識が戻らないようだ。まるきり人形だ。
 「花京院」
 強く怒鳴ったが返事はない。その様子を見ながら、低い声がぼそぼそと、
 「そのままではいつま………………ん」
 「なんだと?」
 承太郎が怒鳴りつけた。
 「聞こえねえ。はっきり言え!」
 「そのままではいつまでも、目を覚ましません」
 慌てて答える。しかしはっきり聞こえたところで、承太郎の表情が明るくなる内容でもなかったが。
 「もう一度聞く。次で答えろ。こいつになにをした」
 「≪空け≫ました」
 承太郎の本気さを感じ取ったのだろう、すぐに答えたが、意味の通じる言葉ではなかった。言葉自体の意味はわかる。しかしこの場合は、おそらく彼女一人で使用している使い方なのだろう。
 それは、時々花京院が見せるものだった。生まれついてこの影と共にやってきた人間が、誰に使用方法を教えるわけもなく、ただ一人で使ってきた言葉の使い方だ、
    飛ばす。
    張っておいて捕縛する。
    残しておく。
 本来それらの前には、法皇で、法皇を、という主格がつく。だがそんな必要もないので彼はただ動詞だけを口にする。
 彼にとってそれは手よりも自在に動く道具で、目よりも耳よりも優れた情報収拾器官で、おのれから切り離せる自分自身なのだ。スタンド以外にそんな表現に対応する特異な存在は無い。
 そして暗く、身をかがめてうずくまっているようなのに、妙にふてぶてしい目の表情には、見覚えがあった。
 幾度も見た。旅の途上で。雨のように降って来る敵の刺客の中の幾人か、そして日常の途上で、スタンド使いはひかれあうというさだめに導かれたものか、彼の前にやってきた、幾人か…
 「お前、スタンド使いか」
 口走ったが相手の表情に怪訝なものが一滴加わっただけだった。
 相手はこれをそうとは呼んでいなかっただろう。当然だ。チョウノウリョクとか、チカラとか、シックスセンスとか、あるいはもっと独自の言葉で、表していただろう。
 どんな言葉で言い表していたかはどうでもいい。相手のチョウノウリョクは一体なんだろう?人間の中身を空白にするチカラなのか?
 「その人を返して下さい。≪入れ≫るんです」
 「なにをだ」
 「中をです」
 しゃがみ、手を伸ばし花京院の手首を掴んだ。咄嗟に承太郎は、相手を引き離そうとしたが、相手の背後に立ち上がった、黒い巨大なマシンのような影に目を見開いた。
 透明なガラスの中で円盤が回っている。現実の世界でも、マシンによっては見ることのできる光景だ、円盤の中の音楽やデータを読んだり書いたりしている光景。
 唐突にそれは終わった。ブラックボックスか、スーパーコンピューターのような無機質な影がふっと消え、後にはただ気絶している花京院だけが残された。いつの間にか目を閉じている。
 掴んでいた手首にぐっと力をこめる。リセットボタンを押したかのようにすぐに離して、
 「目を開けて」
 呼びかけた。
 花京院が小さくうめいたのを聞いて、承太郎は膝をつくと肩をつかんだ。
 「おい」
 やがて眉間にしわをよせ、更にうめいてから、うっすら目を開けた。まずはよかったと思いながら、
 「大丈夫か」
 花京院は上体を起こし、地べたに座った姿勢で、頭を振って、しばらく片手で額をおさえていたが、やがて手をはずし、承太郎を見上げ、怪訝な表情をして、
 「誰だよ、お前」

 承太郎は数秒黙っていたが、背後を振り返り、転校生に向かって、
 「説明しろ」
 簡潔に言った。
 彼女が何か言う前に、花京院は辺りを見渡して、
 「おい、なんだ、ここはどこだ。このでっかいヤツは誰だ」
 混乱しているようだが、同情する余裕はない。
 「おい」
 「そのひとは…私の、前の学校で、同じクラスだった…人です」
 そう、答えた途端、花京院が片方の眉を上げて、
 「前の学校?お前、何言ってんだ?ここはどこだって聞いて…」
 「お前は黙ってろ」
 どしっ、と言い放ってから、少し離れた位置をさして、
 「お前、あの壁まで行って、ちょっと待ってろ」
 「待ってろって何…」
 「つべこべ言うな」
 花京院は承太郎の迫力に押されて、すごすごと校舎の壁際へ歩いていった。途中で一回うらめしそうにこちらを見た。承太郎は転校生に向き直り、
 「もう一度、聞くぞ。次で答えろ」
 さっきしたのと同じ言い方をして、
 「この事態を説明しろ」
 転校生の女は、承太郎を上目遣いで身ながら、小さい声で、
 「あの人の体から、あの人自身を≪空け≫て、オカベ君を≪入れ≫ました」
 オカベというのがあの混乱してる中身なのだということは想像がつく。以前の学校で同じクラスだったというヤツだろう。
 「≪入れ≫るてのは何だ」
 「そうとしか、言えません。私は、………」
 更に小さな声になっていくのを、
 「はっきり言え!」
 叱りとばされて、震える声を張った。
 「人格を吸い上げて他の体に落とせるのです。CDのように」

 どこから口にすればいいのかわからない。
 いや、するとしたら、ひとつだけだ。
    元に戻せ。
 しかし、そう言って、ハーイと従うくらいなら、最初からこんなことはしでかさないだろう。
 少しの間、考えてから、やはり一番の疑問を、口にした。
 「何故、花京院を選んだ」
 「そっくりなんです」
 「なに?」
 「オカベ君と、顔が」
 …この世には同じ顔をした人間が三人居るというが、案外近くに居たものだ。
 一瞬、そんなことを考えている場合か、というような内容を考えてから、
 「顔が同じなら、中身を入れ直す必要はないだろう」
 「それは、あの」
 口ごもってから、なんだか変だという顔になり、それから承太郎の顔をまじまじと見る。
 「なんだ」
 「あなたは…」
 この異常事態をどうしてそうもすんなりと受け入れ、その上で怒ったり困ったりするのだ?
 顔が同じなら中身を入れ直す必要はないじゃないかという文句まで、普通、そう簡単に到達しないと思うが。
 相手の戸惑いがそういったことだというのはわかりきっている。いちいち釈明するのも面倒だ。そもそもこんな事態を引き起こしたのはそっちではないか。なぜこっちが言い訳したり釈明したりしなければならないのだ。あまり気の長い方でない男はイライラと、
 「お前はそういう能力者なんだろう。いいから説明を続けろ」
 「あの。一度で、いいから、…」
 そこで止まってしまった。見ると押し黙った顔の頬が赤い。じっとり、鬱屈した、熱っぽい眼差しと息遣いに、蒸されているような胸苦しさを感じながら、次の言葉を待っていたがそれ以上言わずにもじもじしている。
 「早く言え。一度でいいから何だ」
 「あの、二人で、写真を、撮りたいんです、それだけで、」
 いいので…と尻すぼまりになって終わった。
 「なんだかわからないがそれが出来たら花京院を元に戻すのか」
 「あの…」
 「戻せ。いいな」
 言い放って、承太郎は「何なんだよ、全く」とか言いながら壁際で石を蹴ったり、一体この学校はどこなんだよと校舎を見上げている、花京院にずかずかと近づいていった。
 「な、なんだ」
 「お前。あの女と写真を撮れ」
 「はぁっ?」
 花京院が目を剥く。
 「なに?え?なんでそんなこと」
 「知らん。とにかくそれが終わらないことには話が進まねえ。グダグダ言うな。来い」
 腕を掴んでひきずってくる。ほとんど連行だ。
 「やめろー!何だー!」
 「騒ぐな。お前あの女と同じクラスだったんだろう。クラス写真だ。大人しくしろ」
 「知らねえよ!あんな女、クラスにいたかなんて」
 花京院が怒鳴った時、転校生の顔がずんと暗くなった。承太郎は知らなかったが、花京院のことを見つめていた時はいつも、この顔をしていた。と、
 「同じクラスの女くらい覚えとけ。動くな!」
 怒鳴られビクーンとなって直立不動だ。承太郎は振り返って、彼女に、
 「カメラ出せ」
 「えっ」
 「一緒に写真を撮りたくて居たんならカメラくらい持ってるんだろうな」
 泣きそうな迫力に、転校生はかくかくとうなずいて、ポケットから小さなカメラを取り出した。
 「よこせ。俺が撮る。お前は並べ。早くしろ」
 ギクギクと足を動かし、花京院の隣りに立つ。ファインダーを覗き込んだ承太郎がでっかくて、カメラは子供のおもちゃに見えた。
 「よし。動くなよ」
 動いたら殺されそうだ。二人とも蒼褪めた顔でじぃっとかたまっている。息さえ止める。
 かしゃ。
 「よし」
 撮った、と思ってから、さすがの承太郎でも、なんだかこの場合、あんまりな写真だったかと思って、
 「もう一枚撮る。笑え」
 「え?」
 「笑え」
 二人ともまたびくっとして、ひきつった笑顔をつくった。
 かしゃ。
 「これでいいだろう」
 承太郎がうなずいたのを見て二人ともほっとし、ため息をついた。
 「さあ。戻せ」
 カメラを突き出してよこし、横柄に命じる承太郎に、転校生はもはや苦笑をうかべて、わかりましたと小さくつぶやき、隣りの花京院を見た。
 「な、なんだ。戻せって。何を戻せって言ってんだ、あのでかいの」
 花京院はしきりと首を捻って、まだこいつの方が自分の味方か、という顔でこちらを見てきた。そんな相手に、少しだけ微笑みかけ、
 「あなたを戻せと言ってるんです。オカベ君」
 「お前俺の名前知ってんだ?あれ。やっぱ見たことある気がしてきた。同じクラスとかなんとか、あのでかいのが言ってたけど、そうだっけ?居たっけ、お前」
 ずけずけと訊いてくる相手に、気の弱い悲しげな微笑を見せてから、
 「そうですよ。覚えてないですか」
 そう言って相手の手首を掴んだ。
 何か言う前に、先刻花京院の意識を寸断した時のショックがまたやってきて、地面に崩れ落ちた。
 目を開けたまま気絶している。
 「≪空け≫たのか」
 さっきの言葉を思い出して承太郎が訊ねた。こくりとうなずく。
 彼女の後ろで円盤の読み書き装置が回りだしたのを承太郎は見て、あの円盤が花京院なんだろうかと思った。
 「もうひとつ、してほしいことが、あったんですけど」
 呟いたのを聞いて眉をしかめる。全く、この女は、としたうちしそうな気分で、
 「終わってからぐずぐず言うな。だったらさっき言えばよかっただろうが」
 「いいんです。ムリでした。最後の、オカベ君の言葉で、やっぱりムリだったってわかったし」
 それに、と言いながら手首をまたぐっと握った。
 花京院の瞼がひらいて、自分を上から見下ろしている相手の顔をしばし見つめ、
 「…サカキさん」
 彼女はまた悲しそうに、しかしほんの少し嬉しそうに微笑み、
 「こっちで、いいことにします」
 そう付け加えた。

 「他の人が、この体を動かしていたのかと思うと、変な気がしますね」
 へえーと言いながら自分の手を開いて眺めている。
 「そいつは、お前と同じ顔だったようだがな」
 「ああ、聞きました」
 後日、二人は屋上にあがって、昼休みのひとときを過ごしていた。
 「その人は、突然の事故で亡くなったそうです。…病院にお見舞いに行った時には、もう危篤状態で意識もなかったそうで。その時、彼女は吸い上げて来たんですって。
 サカキさんはその人が好きだったんですね」
 「一緒に写真を撮りたいと言ってたから、そうだろうな」
 「せめて、それだけでもしたい、と思って、彼の入ったCDを持ってずっと居たんですね」
 「同じ顔のお前と出会って、白羽の矢というところか。ご苦労なこったな」
 ふんと言ってから太陽を仰ぎ、
 「もう一つしたかったこと…じゃねえ、してほしかったことてのは、何だ」
 「名前を呼んで欲しかったそうです」
 花京院の目が静かに伏せられ、
 「でも相手は活発で明るくてクラスの人気者で(僕とは違うタイプですね)同じクラスにいるのに、彼女の存在を認識していなかったようで」
    覚えていたんですか?
 最初に、花京院に名前を呼ばれてひどく驚いていた顔。
    こっちでいいことにします。
 本当は戻したくなかった、本来の体の持ち主を戻した。そして意識が戻って最初に、自分の名を呼んだ、あの大好きな人と同じ顔の相手。
 これから先も、もう死んでしまった相手の意識を抱えて、ずっと過ごしていくのか。それとも、≪思い出の≫写真を撮り、中身は違うがあの顔の男に名を呼んでもらえて、満足し、
 「オカベという奴の入った、CDの中身を消すのかどうか」
 承太郎が呟いた。花京院はさあというように首を振って、
 「どうするのか。また転校して行ってしまいましたから、もうわかりませんが」
 運動が得意な人間は運動方面にその能力を使う。
 語学力に秀でた人間は語学の方面にその能力を使う。
 誰も、そのことを疑問にも思わない。あのひとは、自分の能力をどんなふうな位置付けで、思っていたのだろう。
 花京院はもう一度手を見た。
    手を貸してくれませんか。
 文字通り手を貸して、それで、自分は少しでも彼女の助けになったんだろうかと、花京院は思いながら立ち上がり、
 「そろそろ戻ろう」
 「なぜだ」
 「午後の授業の時間なので」
 承太郎がかったるそうに、
 「一番つまらねえ理由だな」
 言い捨てたのでつい、ほんのちょっと笑った。

[UP:2005/08/20]


 『ごめんなさいノリアキ君』シリーズだな。
 そうね。ダービィーの系列の能力でしょうか。ちょっと露伴も入ってるかな。
 最初は戦わせてたんだけどやめた。こういう能力の相手って、相手がやることやってから「絶対戻さない」って言われたら、最強だよね。なんでも言う事きくしかないと思う。


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