赤い糸


 「花京院典明といいます。宜しく」と頭を下げた転校生を、女子はキャーキャー声、男子は「女みてえなやつ」だの「頭良さそう」といった感想や、無関心でもって迎えた。
 それからすぐ、この転校生は隣りのクラスの、学校一有名な最強の不良といきなりタメ口をきき、友人になってしまった。女子はもっとキャーキャーいい、男子はただひたすらびっくりし、一体どういうからくりなのか首をひねった。
 JOJOは、誰にもわけへだてなく公平に無愛想で、また圧倒的カリスマがあり、誰かひとりと穏やかに話しながら笑う、などという行為をする存在ではなかったのだ。
 いくら周囲が不思議がっても、今日も後ろの入り口から3-Aを覗き見た転校生は、いたいたという顔をして入ってきて、
 「承太郎」
 そのとんでもない呼び方に、一向なにも感じていないふうで、一番後ろの一番窓側の席にいたでっかい男は顔を向け、
 「なんだ」
 「古文の教科書を貸してください」
 「忘れたのか。マヌケなやつだ」
 「まだこっちの学校のやつを持ってないんだ」
 ごっそりと他の教科もとりだし、
 「全部貸してやる」
 どさどさどさと手渡され、転校生はよろめいて、「どうもありがとう」とひきつった笑顔を見せる。
 二人の周囲がその光景に、慣れきってしまうことは到底できないが、まあ、いちいち目を剥いて動きを止めることはしないくらいには慣れた頃のことだった。
 「宮野雄也でーす。よろしく」
 花京院のクラスにまた転校生が来た。

 おはよう、おはようと言いながら自分の席まで来て座った。と、
 「よ、伊集院」
 斜め前の席に宮野が座ってきた。花京院は苦笑いした顔を向け、
 「おはよう宮野。でも伊集院じゃないし」
 「鬼龍院だっけ?いいよなーかっこいい名字で。公家の出?」
 「違う」
 三代前はきっと京都に住んでたんだぞ、と言いながらケケケ笑っている。ニキビの痕がちょいちょいあり、黒縁のメガネを掛け、ややチャラチャラした感じの男だった。
 口数が多く、多少軽薄で明るく、転校生としては花京院の後輩なのだがあっという間に顔馴染みを沢山つくり、部活やクラブにも入って楽しい学校生活を送っている。
 「学校生活っていうのも死語だな」
 「なあ、伊集院て、すげーモテんだな」
 「授業が始まるよ」
 明るいのはいいんだけど、ちょっとうるさい。まあ、17歳の高校生といったらこんなものだろう。自分が妙にじじむさいのだ。ガクセーはガクセーらしくだ。
 そんなふうに思ってから、花京院はふと、
 (ん?)
 何かが見えた気がして、こっちからは死角の、宮野の左側の方を覗き込んだ。
 なにもない。
 (気のせいか)
 「なに?お金でも落ちてた?」
 「なんでもないよ」
 「そこの二人、うるさいぞ」
 とばっちりをくって自分も怒られてしまった。ちぇっ、と肩をすくめ、教科書を開く。今ではもう隣りのクラスのでっかい不良に借りてはいない。
 「伊集院てさ」
 授業が終わったあと、斜め前の男は改めて、
 「すっげーモテんだよな。女が遠くやら近くやら取り巻いてるもんな」
 「伊集院じゃない。そんなでもないよ。もっとモテる男を知ってるし」
 「ああ、ジョージョーだっけ?隣りのクラスにいるんだろ、有名人」
 「JOJOだ」
 これは花京院の隣りの席の男が訂正してきた。
 「あ、伸ばさないのか。まあ、そのJOJOもすごいみたいだけど」
 言いながらほらほらというように示す。教室の後ろの扉から、他のクラスの女子が熱いまなざしでこっちを見ていた。花京院がそっちを見るとキャーと声が上がった。
 「ほらー。ああ、いいなー」
 苦笑した時、別のひとりが、
 「あれ。でもお前、前の学校に彼女いるんじゃなかったの」
 え、と呟いてから、ああ、うん、と気の無い調子で付け加えた。
 「なあんだ。だったら別にいいじゃねえの」
 そう言った生徒は「なんだよ、ゼータクだよ」と妙に興奮してキレ出した。周囲は笑いながら「まあまあ」と宥める。花京院もその中のひとりだった。
 「居るには居るけど。それとこれとは別だし」
 言いながら、目は花京院目当てで群がっている女子の様子をチラチラ追っている。
 と。
 宮野の左側で、何かが動いたのが目の端に映った。
 「?」と思いそれを見ようとしたが、
 「宮野。センセーが呼んでっぞ」
 逆の方の入り口から誰かが叫び、「うぉーい」と言いながら宮野がそっちへ向かう。その姿のどこにも、周囲にも何も無い。
 (…なんだろう)
 「お前、なに目を剥いてんだ」
 「あのさ。宮野のそばに何か見えないか」
 「何かってなんだよ」
 勿論、説明は出来ないし、今は何も見えない。しかし、何か見えた気がしたのだが。
 (そう、)
 一瞬だったが、あれは、
 「花京院」
 突然頭上から降ってきた声にびっくりし、ゴキュリとつばをのんで首をすくめた。
 ややあって、恨めしげに見上げると、そこには隣りのクラスのでっかい男がどぉーんと立って、自分を見下ろしていた。
 自分をにらみつける花京院の視線に、
 「なんだ」
 「たった今わかったことがあったんだが、びっくりしたはずみに頭の中から消えた」
 声には非難の響きがあったが、承太郎は一向に構わず、
 「その程度で出て行くことなら、またすぐ戻ってくるだろうぜ。それよりな」
 一方的に自分の用事を喋り出した。あーもうこいつは、と思いながらも、それはそうかも知れないなどとも考えた。

 土曜日の四時間目が終わる鐘が鳴る。
 カバンを整理している花京院の耳に、「宮野、カラオケいかねー?」「あー悪い、俺今日明日ちっと出かける」という会話が入ってきた。
 「どこ行くんだよ」
 「転校前に住んでたとこ。あっちの連中と遊ぶんで」
 へー、という声の中、
 「じゃあ遠距離の彼女とも会ってくんのか」
 「まーねー」
 へへへ、という笑い声に、ちぇーっという反応があがって、
 「遠距離なんてどうせすぐダメになるんだからな。へっ」
 「やだねえ、もてないヤツのひがみは」
 言いながら花京院の前を通り、
 「じゃーな伊集院。また来週」
 「ああ。気をつけて」
 伊集院じゃない、と訂正するのも諦めてひらひらと手を振ってやる。宮野は口笛を吹きながら廊下へ出て行った。その背を注意深く観察したが、何もないようだ。
 カバンを持って立ち上がる。廊下に出ると、丁度今出てきた承太郎と目があって、
 「これから暇か」
 訊かれて、うなずくと、
 「顔貸せ」
 「体育館裏に行くのか?」
 「馬鹿か」
 呆れられてしまった。
 翌週の月曜日、あーまた一週間の始まりか、とあくびをしながら自分の教室に行き、よう。おう。おはよう、などと言いながら席についた。
 「おっはよー」
 宮野の声がして、おはようおはよう、と声をかけあってから、
 「よっ。伊集院」
 「おはよう宮野」
 言いながら顔を上げ、続けて何か言おうとして、ぎょっとした。
 目の前に立っている男の、左手の小指に、赤い糸が結んである。その先は長く長く伸びて、目で追うと教室のドアの先に消えていた。
 そしてこの時、以前何度か、宮野の左側にチラチラ見えた気がしたのはこれだと気付いた。長くのびた、赤い糸だったのだ。
 数秒、呆然としてから、目を宮野に戻し、
 「あの…」
 なんだいその小指の糸は。何の意味があるんだ。何かの冗談?悪ふざけ?罰ゲーム?
 そう訊こうと思い、口を開くが、声が出てこない。机と椅子が並び学ランやセーラー服の集団という、現実の代表のような風景の中で、その小指から伸びる赤い糸はあまりに異様だった。だが、
 「よう。前の家の方、行ってきたのか」
 「ああ」
 「あー、トレパン忘れた。宮野さ、前のガッコのジャージとかもってないの」
 「そんなんいつまでも持って歩かないって」
 普通に会話している宮野と、他の生徒の様子を見てみると、どうもこの糸を不審に思っているのは自分だけのようだ。
 誰も不審に思っていない。誰も見えていない。
 まさか。
 (スタンド?)
 だとしたら、宮野のスタンドだろうか。わざと見えていないふりをして、こっちの反応をうかがっているのか。
 どこかで、僕がスタンド使いだということを知って、確かめようとしているのか。もしそうなら、びっくりしたり騒いだりするのは得策ではない。
 花京院は曖昧な表情をそろそろと伏せて、そっと赤い線を観察した。
 毛糸のように見える。そんなに太くはない。宮野の小指で蝶結びになっている。
 教室から出て行ったあの先はどこに続いているのだろうと思い、宮野が向こうを向いて喋っているのを確かめてから、花京院は窓から外を見てみた。
 下を見下ろし、そして凍りついた。
 はるか下の地上、校舎の出口から、校門まで、そして外へと、長く赤い糸が延々とのびているのだった。
 (宮野が学校までたどって来た道のりなのか)
 なにげなく教室を出て、隣りのクラスにいく。一番端で一番後ろの席の不良は今日は来ていて、F1雑誌を眺めていた。
 素早く傍に行って、声を低め、
 「承太郎」
 「なんだ。教科書忘れたのか」
 「窓から、下を見てくれ」
 承太郎は不審げに眉を寄せてから、言われたようにした。そして、
 「あの赤いのは何だ?」
 低い声で呟いた。それを聞いて、
 「君にも見えるんだな」
 「見えるぜ」
 よかった、と胸に安堵が込み上げた。
 「どうやら他の連中には見えないようだな」
 上から眺めながら承太郎が言った。
 「足元に伸びてる赤い線に、誰も何の反応も見せないようだからな」
 「僕にも見えて君にも見える。他の連中には見えないらしい。となるとスタンドじゃないか?」
 ふん、と面白くもなさそうに唸り声を上げてから、
 「あの糸の先はどうなってるんだ」
 「学校の中に入っている方の先端は、僕のクラスに入ってきていて、僕の斜め前の男の左手小指に結ばれている」
 承太郎は黙ったまま、再び眉をしかめた。
 「門から外に出ている方はわからない。でも、おそらくその糸が結んである男の、動いた軌跡なんだと思う」
 「そいつのスタンドか?…しかし、」
 花京院を見て、
 「目的と能力は何だ。何故こんな形で発現してみせてる」
 「どちらも不明です」
 「だろうな」
 席につきながら、
 「疑われないようにしながら観察するしかねえな。気をつけろよ」
 「はい」
 こっちのクラスの教師が入ってきたので、花京院は急いで自分の教室に戻った。朝のホームルームが始まるところだった。
 赤い糸はさっきより広い範囲で床に這っている。宮野がうろついた通りに糸がついてまわったせいだろう。不自然な動きに見えないよう気をつけながら、踏まないように越えて自分の席についた。
 自分の机の脇にも赤い線が数本走っている。宮野が左手で頭をばりばりと掻き、その動きで糸がふわっと宙を舞って、花京院の顔に当たりそうになり、思わず避けてしまった。
 (駄目だ。もっとさりげなくしていないと)
 肝に銘じ、チラと宮野を見る。頭を掻いていた左手で今は頬杖をついている。その小指から長く糸が伸びている。
 休み時間になると皆立って外に走り出ていったり、友人の机に行って話したりしている。皆あの糸を踏んづけているが、誰もなんともないようだ。
 「なぁ、遠距離の彼女どうしてた」
 彼女をやたら羨ましがっている男が宮野に話しかけている声が聞こえた。
 「えー。そりゃ、やたら嬉しがってたさ」
 「ちっきっしょー。実は浮気とかしてんじゃねーのか、彼女」
 「やだねえ、ひがんじゃって」
 ケラケラと笑われて激昂している。地団駄を踏んでいる足が赤い糸をぎゅっぎゅっと踏みにじっている。
 (これがスタンドだとすると、どういう能力だろう)
 他のものを見ている振りをしながらその糸を観察する。見れば見るほどただの毛糸だ。
 (黄の節制のようなタイプなら、普通の人間でも触れることが出来るが)
 そうではないのははっきりしている。足元にこれだけ這っている赤い糸に誰一人反応しないはずがない。
 黄の節制よりはむしろ法皇に近いだろう。解けて、遠くまで行ける。自分が触れているものの情報を集められる。
 それだけだろうか?他には?
 「どっちかっていうと、お前の方が浮気すんじゃねーの?バレー部のコにやたら声かけてるとか聞いたぞ」
 「変な噂流すなよー。そんなんじゃねーよ」
 言いながらもニヤニヤ笑っている。まるきりの嘘でもないようだ。
 「なんだよお前、彼女が居るのに別口かよ。サイテーだサイテー」
 また激昂している。ほとんどコントと化していて、皆もはや笑っている。
 (あのチャラいフラフラした明るい男が、一体何の目的でこの赤い糸を学校中に敷き詰めているんだろう)
 一緒になってぼんやりと笑った表情をつくりながら、花京院は考えた。

 「おい」
 教室のドアから外に出たところで声をかけられる。目の前に立っていたのは承太郎だった。下校時間を過ぎ、もう教室にもあまり人は居ない。
 承太郎を見、それから目で背後の教室を示す。相手はうなずいて、
 「すげーことになってるな」
 ぼそりと呟いた。うん、と自分も低い声で言う。床は赤い糸だらけだ。決して、精神が安定する眺めではない。
 赤い糸は数本、ドアから外に出ていっている。朝ここに来た時のもの、トイレなどに出入りした時のものと、それからさっき出て行った時のものだろう。
 承太郎が首をひねり、
 「お前、法皇をこんなにのばせるか?」
 「無理だよ」
 「こいつは無尽蔵に延びるようだな」
 「よほど、そのことに秀でているんでしょうね。となると、パワーの点では非力だと思うけれども」
 「パワーはな。だが、思いもつかねー能力がありそうだ」
 延々とのびている赤い線を見ていると、その言葉にはうなずかざるを得ない。
 その糸をたどるようにして、二人は歩いていった。廊下を進み、階段をおりてゆく。そのまま3-Bの下駄箱へいくのかと思ったらその手前で逸れていった。
 ちらと視線を合わせ、
 「ところで、承太郎」
 「なんだ」
 なにげない感じを演出しながら、そっちに行ってみた。全然なにげなくないなと思ったが、とりあえず、
 「大学はどこを受けるとか、もう考えてるのか」
 「ああ」
 承太郎は関西の某国立大学の名を言った。花京院は驚きの声を上げて、
 「偶然だな。僕もそこが第一希望なんだ。機械工学で有名な教授が居てね」
 「ほう。そうか」
 「同じ大学に通えるといいな」
 「なんなら、部屋代半分ずつ出し合って同居てのはどうだ。広い部屋に住める」
 「今はやりのシェアか。いいですね。やろう。と言っておいて片方が落ちたら目も当てられないけれど」
 「双方、努力だな」
 お互い、どこまで本気で喋っているのか全くわからない。「なにげない会話」というものを繰り広げながら、目と意識は赤い糸を追っている。
 行く先でまた糸が道を折れた。そして話し声がする。
 再び目を見交わして、壁に寄り、角に近づいた。その辺りで、
 (この声は、宮野だ)
 花京院が気付いた。
 声は熱心に、誰かに向かって語りかけている。
 「一緒にカラオケでも行かない?あのほら、友だちと一緒でもいいからさ」
 「あたし、カラオケはあんまりー」
 「じゃさ、遊園地とかどう。童心に返って、ワーキャー騒ぐと」
 「童心ってなにそれ」
 相手がウケて笑ったので宮野も嬉しそうに笑っている。
 「ね、今度の日曜とかどう。バレーの試合ある?」
 「えっと、今週はないかな。やすみー」
 「じゃ、どう?どう?」
 「んー、考えとく」
 「わかった。絶対いくって言ってね」
 「なにそれ」
 言いながらまた笑う。宮野も笑う。
 謎の赤い糸を紡ぐスタンド使いがこっそりと、あるいはわざと我々をおびきよせて、なにやら作戦発動か…と思ったが、
 (ただの、熱心な、ナンパの現場のようだ)
 そう判断を下すほかはない会話内容であった。見ると、承太郎の顔には全く何の表情もなかった。特に何か感想を抱く程度でもなかったのだろう。
 あのクラスメートなら「彼女がいるくせになにをやっとるか」と激昂して地団駄を踏む現場ではあろうが、花京院にとっては(承太郎にとっても)なんのコメントをする気にもならない。
 一体なにをどこからどう考えていけばいいんだ、と頭をかかえた時だった。
 「イツッ」
 宮野の声が上がった。悲鳴というか、苦痛の声だった。
 「え、なに?どうしたの」
 「あっなんでもない。ちょっとぶつけたかなんかしたの」
 なんでもない、と繰り返され、そう?と言ってから、
 「じゃあまたね」
 軽やかな靴音が遠ざかってゆく。それを追って宮野の、「またね!まったねー!」という浮かれたような必死なような叫び声が響き渡る。
 その後、フヒヒ、フヒヒのような笑い声がこっちに近づいてきて、数秒後、宮野が角を曲がって姿を現した。
 「わあっ」
 まさか角の向こうに男二人が立っているとは予想もしていなかったのだろう、寸前までのデレデレした笑い顔が驚愕にひきつり、それからすぐ片方がよく知っている男だと気付いて、
 「なんだ伊集院か。あーびっくりした。なんでこんなとこにいるの」
 それから承太郎を見上げ、でっけー、と呟いてから、
 「あ。ジョージョーサン。だよね?」
 そう花京院に訊いてきた。「JOJOだよ」と訂正してやると、そうそう伸ばさないんだった、と言って、
 「伊集院とJOJOサンが並んで何してんの」
 「うん」
 お前の左手の赤い糸を辿ってここに来た、と胸で返してから、
 「今の声、バレー部の子?」
 質問を取り返してすりかえた。相手はコロリとすりかえられて、「えーっ聴かれちゃった?聴いちゃった?いやだなーこのエッチ野郎」と喜んでいる。
 今この男がやっている全てが演技であろうか。そのくらいの演技力のあるやつはいくらでもいるだろうが、
 と、再び顔を歪ませて、
 「…ツツ」
 うめき声を上げた。
 「どうしたんだ」
 「なんかしらねえけど」
 手を持ち上げ、花京院に見せながら、
 「左手の小指が、やたら痛いんだ」
 それを見て花京院は声を上げそうになった。
 宮野の左手の小指に、赤い糸ががっちり食い込んでいる。
 糸はそれ自身が指にギリギリと巻きついていっているようだ。血が出ていないのが不思議にすら思える。
 「宮野」
 思わず声を上げたが、次になんといったらいいのかわからない。ためらってから、
 「いつから、痛むんだ」
 「え。いつだろうな。…先週は別に痛くなくて…土日で、転校前に住んでたとこにいって、前のガッコの連中と遊んで、ミチヨと会って、駅で別れて」
 そうだ、と声が出た。
 「帰りの電車の中からだ。痺れるみたいな、しめつけるみたいな」
 そうだろう。このまま締め付け続けられたら、指の感覚なんかなくなって、悪くすると後遺症がのこる。
 後遺症がのこるくらいならまだいいが。
 「どうやら、こいつのスタンドじゃねえようだな」
 承太郎がつぶやいたのを聞いて、前かがみになって指を見ていた花京院の背がのびた。
 目を上げて花京院を見た宮野の顔を見て、そうだと思う。
 演技ではない。自分の身に起こっている、全くわけのわからない苦痛に、苛立ちと恐怖が入り混じってあらわれている。
 「宮野。…これからちょっと、つきあってくれないか」
 「え?」
 「頼む」
 花京院の静かだが緊迫した表情に、あ、ああ、とうめくように言い、顎を突いてうなずいた。
 次に花京院は承太郎を見た。承太郎もうなずいて、
 「辿ってくしかねえな」
 短くそう言い、足元の赤い糸を示した。

 三人は校門を出て、そのまま道沿いに歩き出した。先頭は承太郎、すぐ後ろに花京院が居て、宮野を庇っている。
 「痛むか」
 「今はそうでもないな。…考えてみると、やたらイテェ時と、そうでもない時がある」
 「どんな時に痛む?」
 「そんなのわかんねえよ」
 悲鳴のような声が返ってきた。そうだろうなと思いながら小指を見る。糸は、今は確かにさっきのように食い込んではいないようだ。
 「法皇で、外してみようか」
 呟いたが、前にいるでかい男が「やめとけ」と言った。
 「スタンド攻撃は、しない方がいい。カンだがな」
 それはわかるのだ。この、無言でひたすら宮野の跡をつけ、静かに食い込んでいる糸を、無理矢理ちぎろうとすることが、作戦としてはもっともやるべきでないだろう、ということは、ちゃんとした理由を列挙できなくても充分わかる。
 (もしちぎれなかったら、宮野の指が飛ぶだろう)
 糸は大通りに出て、そのまま東に進む。歩き続け、十数分後、三人は駅の前に居た。糸は中に向かって延びている。
 「あっ」
 宮野が声を上げたので二人は振り返り、それから視線を追った。切符売り場のあたりに、髪をポニーテールにしスラリとした肢体の娘が友だちとはしゃいでいた。
 「なんだー、今日練習無かったのか。言ってくれればいいのに。つれない~」
 一人でまくしたててハァハァいっている。どうやらさっきアタックしていた相手らしい。
 しかしその途端、浮かれた声は「ウッ」といううめき声に変わった。案の定、小指に糸が食い込んでいる。キリキリという音が聞こえるようだ。
 苦痛の顔の後ろに、女の子に声をかけてデレついている顔が思い出されて、
 (もしや)
 「宮野、あの子が好きなのか」
 「え、ああ。う」
 うんと言おうとしたのだが、苦痛が強くなって声が止まった。
 花京院は一回躊躇したが、
 (宮野、ごめん、我慢してくれ)
 「お前、前住んでた所に、彼女がいるのに、他の子が、好きになったのか」
 何かを確かめるように区切って尋ねる花京院の顔を承太郎は見て、それから宮野の様子に目を移した。
 「なんだよ、おまえまで、説教、する、気…」
 顔をしかめる。どんどんきつくなる痛みに、目には涙が浮かんでいる。
 「いいから答えろ。そうなのか。
 前の彼女を捨てて、新しい子とつきあう気でいるのか」
 白い額に汗が浮いている。
 反対に宮野の顔は赤く上気している。その顔で、
 「だって、ミチヨって暗いんだよ。そこそこ可愛いと思って声かけたけど、ちっとも喋らないし、陰気でさっぱり盛り上がらないし。この前会って改めてわかった、俺はああいうタイプは苦手だ。俺はもう」
 あっつ、つ…とうめく。
 「引越しちゃったんだよ?新しいところで彼女だってできるさ。いつまでも前の、暗い女にこだわってられないだろ!」
 あまり痛くて腹が立って、強く言い切った。
 次の瞬間、激痛に声も出ず、その場にしゃがみこんだ。花京院は思わず法皇の手を赤い糸にかけた。
 「おい」
 後ろから声がした。声が指す方を見る。
 駅の、改札の向こうから、他の客に混ざって、ひとりの女子生徒がやってきた。
 赤い糸を手繰り、巻き取りながら、近づいてくる。
 赤い糸は彼女の手の中で、もはやザイルのような太さになっていた。
 真っ赤な、太い縄を紡ぎながら、近づいてくる。
 色白で、きれいな黒髪だが、前髪が目の上にかぶさっていて、薄暗がりからじっとこっちを見ている目は氷のようだった。
 「ミチヨ」
 宮野が顔を更にゆがめ、ちらっとバレー部の子の方を見た。途端に痛みが増して、顔をゆがめ、
 「何しに来たんだよ」
 かすれる声で言った。
 あの縄で、宮野を縛りに来たのだ、
 花京院は身動きも出来ず、その見慣れない制服を見つめた。
 この子がスタンド使いだったのだ。能力は―――
 「ユウくん、わたしのこと、捨てるの?」
 低い低い声が色のない唇からもれてくる。胸が塞ぐような声だ。
 「わたしのこと忘れて、新しい所で、新しい彼女つくるの?そんなこと絶対しないって言ったよね?」
 「ミ…」
 キリキリキリキリと糸が絞まってゆく。
 「やめろ、ミチヨさん」
 花京院が強く言った。
 「糸を解け」
 娘の目が花京院に移った。冷え切った湖のような色合いに、胸の底まで冷える思いで、見返す。
 「あなた、わたしの糸が見えるの?」
 「見える。宮野の小指に絡まって、ちぎろうとしている」
 「わたしがしてるんじゃないの」
 娘は目を細めたが、それ以外表情がないので、笑ったようにも悲しんだようにも見えた。
 「ユウくんが、わたしから離れようとすると、糸はどんどんからまっていくの。はっきりした形になって、強くなって、決して離れまいとするの。
 わたしが自分でやってるんじゃないの」
 (宮野が離れようとすると)
 バレー部の女子のことで浮かれていた姿を思い出す。必死で話しかけて、オーケーを取り付けようと一生懸命になって、心はもうすっかり目の前の娘に向いている。
 以前つきあっていた地味で暗い子のことなんかもう忘れている。
 「これでユウくんをつなげば、どこも向かないよね」
 娘は目の前まで来た。なにかを捧げるようにして宮野に見せる。苦痛に喘ぐ本人には何も見えないが、そこには赤い、太い縄があった。
 「ユウくん。好きよ」
 恋心を告げている声には全く聞こえない。
 「わたしのこと」
 縄を、宮野の首にかけようとする。
 「好きだよね」

 「女。やめろ」
 どっしりした声に肩をつかまれて、娘はふらりと揺れ、それから声の主を見上げた。
 あまりの身長差と、かぶさる前髪のため、娘の目がやたら白く光って見える。
 承太郎が、いまいましいような、憂鬱なような表情で、彼女を見下ろしている。
 「お前が巻きつけてる糸をほどけ」
 「だから、これは、わたしがやってるんじゃなくて」
 「お前がやってるんだ」
 真正面からばしっと叩く音が聞こえるようだった。
 「お前の意識か無意識かは知らん。こいつがよそ見をすると自動的に絞まるてのも、嘘じゃねえだろう。
 だが、やっぱりお前がやってるんだ」
 言葉もなく、学ランを着た巨人の顔を見つめ、その声にさらされて、娘は立ち尽くしていたが、弱々しく首を振って、
 「わたし、ユウくんが好きなの」
 「こいつはてめーが好きじゃねえんだ」
 あまりのどストレートなお言葉に、花京院は棒をのんで突っ立っている。
 承太郎はぎゅっと眉をしかめ、もう一言、
 「てめーだってわかってるだろうが」
 がくんと娘の頭が振れた。
 あ、キレるかも、と花京院は身構えたが、娘はふらふらと二歩ほど下がって、そこでがくりとうつむいた。そのままじっとしている。
 どのくらいか経ってから、承太郎の声が、
 「てめーの意思でほどけ。俺にちぎらせるな」
 うつむいたまま、またしばらく立っていたが、不意にかぶりを振って、がばと顔を上げ、
 「イヤよ。イヤ。ユウくんはわたしの彼よ。他の女になんかわたさない。絶対イヤ!イヤったらイヤ!!」
 今までの無表情がどこかへ消えうせ、鬼のような形相で叫び出した。声は割れ、身が竦むような響きだった。
 承太郎の目がぎゅっと見開かれて、

 「馬鹿野郎。ほどけ」

 声の大きさというよりは、声の発する圧倒的な迫力に、その場に居た半径何メートルかの人間が圧されて飛んだ。
 無論、娘もふっ飛ばされ、支えようとした花京院もろとも地面にぶっ倒れた。ゴキィンという音がした。
 「あいたた」
 花京院がうめきながら身を起こすと、宮野が左右を見渡し、「あれ…?」と言っている。まだ顔は真っ赤で、汗まみれだが、苦痛の表情はなくなっている。
 「宮野。指は」
 「痛くない」
 見ると、糸は消えていた。ということは、と思いながら、自分が支えている腕の中の娘を見ると、倒れた弾みで頭を強打したらしく、白目を剥いて気絶していた。




 JOJOが駅でどこかの学校の女を怒鳴りつけた、という話は、一応生徒たちの口にのぼったが、特に目新しいところもなく「どうせJOJOに言い寄って追い払われたんだろう」と勝手な解釈までセットでついて、すぐに忘れ去られた。
 宮野はあの小指の痛みと、前の彼女とを結びつけて考えることはせず、JOJOサンが一喝してくれたので俺を諦めたのだと思い込み、軽薄に承太郎に感謝して殴られた。ついでにバレー部の子にも最後の最後に「え~だってわたし、彼氏いるし」と言われて終わった。で、次の相手を探してフラフラしている。
 「君があまりにもはっきり言うんで、びびりましたよ」
 「知らん」
 帰り道、並んで歩きながら二人で話している。
 「遠まわしに言ったところで聞くような相手じゃねーだろう」
 「そうですねえ」
 あの時の形相を思い出してちょっと身震いしてから、
 「宮野はほっとしてたけど、ミチヨさん本当に諦めたのかな」
 「知らん」
 再び蹴散らされる。つくづく、他人の恋愛沙汰に興味がないのだ。
 でも、と花京院は首をかしげて、
 「あの長く長く延びた糸を思い出すとね。そんな簡単に途切れる執念とも思えないんだ。改めて、糸の端を小指に結ぼうとやって来るんじゃ…」
 そこまで言って言葉をのんだ。
 なんだ?と問い、そして承太郎も気付いた。
 自分たちが下りていた、学校前の長い坂の下から、あの娘が上がってくる。
 手には何か赤いものを持っている。なんだろうと思ったがもう少し近づいたところでわかった。
 あの赤い毛糸で編んだマフラーだった。
 娘も、立ち尽くして自分を見ている花京院と承太郎に気付いた。
 相変わらず表情のない白い顔がこっちを見つめて、徐々に徐々に近づいてくる。
 やっぱり諦められなくて、宮野に渡しにきたのか。呪いのマフラーを?他の子に言い寄ると首を締め上げるマフラーを。
 そう思った花京院だったが、近づいてくるにつれ、娘がじっと承太郎を見ていることに気付いた。
 背筋が凍りつく。
 (まさか)
 はじめてわたしを叱ってくれたあなたが、好きになったの。なんて言うんじゃないだろうな?
 「もし、そうだったら」
 この先を想像もしたくない。いや、承太郎なら、なんとか打ち負かすだろうか。恋情と嫉妬で強くなる呪縛のスタンドを。
 「デーボって、こういう感じなんでしょうか」
 「だろうぜ」
 真っ黒い長い髪、切りそろえた前髪が揺れている。その下に覗く表情のない目を見返しつつ、二人は迎撃体制に入った。ほとんどスタンド戦のようだ。

[UP:2010/11/18]


 どっちなのかはご想像にお任せしますということで
 最初は実際にスタンド戦だったのですが(赤い糸で締め上げてくるのをこらえて、スプラッシュとか)気が塞ぐのでやめました。
 デーボというか、由花子さんか?(笑)


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