五人


 「ーーーっ!」
 声にならない絶叫を上げて、闇の中飛び起きる。
 ベッドの上で荒い息を幾度も繰り返し、目をこんなに見開くが、室内は真っ暗なのでなにも見えない。そのことが、つい今しがたまで彼の脳内を占めていた悪夢の続きのようで、彼は不安と恐怖でうめき声を上げそうになった口元をかたく引き締めた。しかし抑えきることは出来ず小さく震えている。
 「ポルナレフ」
 びくりと震え、振り返る。
 真っ暗な室内の、もう一つのベッドの方から投げられた声と共に、小さな灯りが点いた。
 今夜同室になった花京院が、上体を起こし、こちらを見ていた。ベッドサイドの灯りに浮かび上がる白い顔と、それから頭上に輝いていた緑色の法皇が今消えたのを見た。こちらの様子によっては法皇で部屋の照明を点けようとしたのか、電話をかけようとしたのか。
 「大丈夫か」
 「悪ぃ。起こしちまったか」
 軽く笑って言い、そのまま笑いに紛らせてごまかし「寝てくれ」と言おうとしたのだが、声はひどく掠れていてそれきり止まってしまった。なんとか言葉をつなぐか、それとも一旦起きてシャワーでも浴びるか、と迷った時、
 「うなされていましたよ」
 そうか。…そうだろう。今もまだあの、不吉で禍々しい夢魔の感触が、血管の中をうごめきながら流れているようだ。
 頭を強く振る。
 口の中が乾いている。額には汗が浮いているのに、体はひどく冷えていた。
 自分の肘をきつく掴んで言葉を探しているポルナレフに、
 「あの時の夢だったのか?」
 ひどく静かな声でそう尋ねる。ポルナレフは目を動かして、花京院を見た。なぜわかる、とほとんど聞こえない声でつぶやいた。仄かな灯りに照らされた茶色の目が、ふと微笑して、
 「今まで幾度か、君と同室になった時、今と同じようにうなされて飛び起きていたからな。
 その時は僕は寝たふりをしていたが」
 目が驚愕に見開かれる。
 「その度君は、闇の中に誰かを探して、それから…
 それから、夢だったことに気がついて、ベッドにもぐって…声を殺して泣いていた」
 ポルナレフの頬は羞恥で朱く染まり、なんだてめえこの!のようなことを言おうとしたが、今夜はどうしたことか言葉が何も出てこない。ただ赤くなって憤慨して、歯噛みして「!!!!」と拳を握るだけだ。
 花京院はその顔を見て、うつむくとほんの少し笑ってから、顔を上げ、
 「ポルナレフ。
 君に、アヴドゥルさんが生きていたことを隠していて、すまなかった」
 突然改まってそう言った。
 「あの時、正直僕は君に対して腹を立てていた。君の重く苦しい事情はわかっていたけれど、自分の復讐がすべてで、そのために君を心から案じてくれた友をあんな形で失って―――いたかも知れないってことを、少しはキツく骨身にしみて味わってもらおうと思った」
 でも、と言葉を継いでからまた少しうつむく。
 脳裏には、あのいくつかの夜のポルナレフの姿が思い出されていた。時々は無声の悲鳴、時々は言葉が零れていた。逃げろ。危ない。背中を刺されるぞ。銃弾がそこまで。来るな。来るなアヴドゥル。
 死なないでくれ。
 フランス語は涙でちぎれて消えた。
 昼間は全く何事もなかったように、明るく元気に、軽く、調子よく、強引に、口笛をふいてハンドルを握っていた。悲しみや悔いはこれっぽっちも見せたことがなかった。
 だからこそ本当に、
 「君がどんなに苦しみ、悲しんでるのかを思い知った」
 そんなことぁねーって、と言葉で割り込もうかとしたが、やはり声は出なかった。
 「何度も思ったよ。教えてやろうかって。アヴドゥルさんは実は生きていて、もう大分傷も回復したそうだ。もうすぐ潜水艦を用意して、僕らに合流する予定になってる。あと少しの辛抱だ。
 そう言ってやったら君はどんなに安堵するだろう。どんなに喜ぶだろうか。もう苦しまなくて済むって知ったら、どんなに楽になれるだろうか」
 「全くだぜ」
 この言葉は口から出た。心底からそう思っていたからだ。
 「うん」
 微笑んでうなずき、
 「何故言わなかったのかな。結局、言わないまま、再会してしまった」
 声を立てて笑う。ポルナレフは今度こそ腹を立て、ガバァと起き上がって側まで行く。そのまま殴ろうとした。だが、その前に、
 「でも、再会できたら君はもうあの悪夢を見なくて済むと思っていたんだが、人間はそう簡単ではないみたいだな」
 ポルナレフの汗と、まだ僅かに震えている手を指で優雅に示した。思わず棒立ちになり、
 「…ああ」
 低く息をつく。
 目の前にあの背中がある。自分をかばい、押しのけ、敵スタンドに向かって身構える。その背と、自分の間には水たまりがあって、そこから出てくる刃に背を刺され、前方から飛んでくる銃弾に額を撃ち抜かれる、この背の持ち主は。
 そのことを自分は知っている。わかっているのに、自分はなにもできない。動けない。声も出ない。ただその背に向かって手を伸ばし、自分にしてくれたようにかばったり、押しのけたりしようと思うのに、なにもできない。
 なにもできないのにどうなるかわかっていて、目を見開いてただ見ている。鮮血が飛び散り鈍いイヤな嫌な音が響き渡り、その背が崩れ落ちていく。なぜなのか、向うを向いているのに、顔が見えてくる。顔が。その額に、透明の弾丸が、めりこんでいく。驚いている顔が、次第に、死んだ顔に変わっていく。沼に落ちるように、闇にのまれていく…
 思わず両手で顔を覆った。
 「確かめて来るといい」
 不意に花京院の声がした。
 「なにを…」
 「決まってるだろう。アヴドゥルさんが生きているってことをです」
 短く笑って、
 「今まではそれが出来なかった。でもこれからは出来る。それが、今までの悪夢と違うところだ。
 でしょう。違いますか?」
 「…偉そうに、得意そうに、言いやがって」
 「事実なのだから仕方がない」
 済まして言って、勢いよくベッドから出ると、ポルナレフの腕を掴んで引っ張り、
 「さあ早く早く」
 「ちょっと、おい、待てって」
 ぐいぐいと廊下に出てしまった。バタン。ドアが背後で閉まった。
 「ちょっと、待てって、おい。見ろ、この恰好」
 上半身ハダカで下は寝間着、頭はぐしゃぐしゃ、汗と涙で顔はドロドロだ。人の部屋に訪問する姿ではない。このありさまで言うとしたら「水が出ないんだ。洗面器一杯分恵んでくれ」がいいところだ。
 「そりゃあこんな時刻なんだから、スーツは着てないでしょう。でもまだ深夜というほどでもない」
 「絶対に寝てるぞ」
 「大丈夫です」
 しゃあしゃあと言ってのけポルナレフを引っ張って廊下をどんどん歩いていく。そういう自分もストライプの寝間着姿だ。
 強引な相手に閉口しながら、
 (でも)
 あの夢をみた時いつも、花京院に言われたように、室内の暗闇の中にあの男を探して、それから、
    なにやってるんだ俺は。あいつはもう何日も何日も前に死んだじゃないか。
    あいつは俺のために死んだのだ。
    もう、どこにも居やしない
 そのことにはたと気づいて、次の瞬間途方もない寂寥と絶望に苛まれて、血の出るほど歯を噛みしめ、声を殺してただ泣くしかなかった。
 でも、今は、あいつが生きてるってことを確かめることが出来る。
 今向かっている部屋にはあいつが居て、こんな夜更けに叩き起こされて不満そうな顔で俺をイライラ睨みつけるのだ。
 そう考えてみると、真実、大声で叫びながら駆け出したい衝動にかられ、一瞬びくっと痙攣してしまった。

 「済まんなあ、寝た後だったろう」
 「いえ、まだ寝ていませんでしたよ」
 「ああ」
 それが嘘でない証拠に、アヴドゥルも承太郎も部屋着のままで、顔も寝ぼけてはいなかった。
 もらった湯の入っている洗面器を抱えながら、ジョセフは二人を見比べ、
 「話でもしとったのか」
 「ええ。わたしが抜けていた間の、敵との戦いについてなど」
 「あっはっは」
 ジョセフが笑い出した。どの場面をとっさに思い出して笑ったのか?という顔の承太郎と、ただ単に不思議そうに微笑んでいるアヴドゥルの前でしばし笑ってから、
 「死ぬかと思ったぞ」
 しかし、どの場面でも死にそうであったので、まだ特定できない。
 「『恋人』ですか?今聞きましたが」
 「おお、あいつにも苦しんだぞ。承太郎も一人でひどい目に遭ったしのう。ひどい目というか、恥ずかしい目に」
 「そうなんですか?」
 アヴドゥルが承太郎の顔を見た。
 「聞いとらんかったのか」
 「ええ。承太郎からは、花京院が倒したということしか」
 承太郎がムッとした口調で、
 「余計なことを言うなじじい」
 「おお、こりゃ悪かった」
 全然悪かったと思っていない。
 と、ドアが小さくノックされた。ん?と顔を向け、
 「ワシの他にも真夜中の来訪者があるとは」
 「誰だ」
 「僕です」
 花京院の声がした。
 「おお、なんじゃ。ワシの部屋のように湯が出なくなったのか」
 言いながらジョセフがドアのところまで行き、開けてやった。
 「夜分にすみません」
 にこにこしている。恰好は愛用パジャマだ。
 「どうした」
 「はい。実はポルナレフが」
 「ポルナレフ?」
 「確かめたいことがあるんだそうです。さあ、こっちへ」
 「引っ張るなよお前は。強引だな全く」
 その後破れかぶれの様子で、口をとがらせた顔をドアの隙間から覗かせた。が、目は床ばかり見ている。
 「何を確かめるんじゃ」
 「あの、それは。えーと。いや、別に俺は」
 もぐもぐと黙ってしまう。そのままじりじりと後退してゆく。
 「ポルナレフ?」
 その声にはっとして動きが止まる。そのまま固まっているポルナレフの前に、
 「どうした?」
 アヴドゥルがやってきて声をかけた。
 床を見ていた目をじりじりと上げ、そして自分よりやや上の位置の目を見返す。
 あの顔がある。
 しかし額には穴が開かないし、驚愕しながら闇にのまれてもゆかない。
 その顔をただ黙ってじっと見つめる。
 アヴドゥルも、ジョセフも、承太郎も花京院も何も言わず、黙って立っている。
 随分あってから、掠れた声が、
 「お前がやられて死ぬ夢をみた。何度も」
 アヴドゥルはうなずいてやった。
 「その度に飛び起きて、お前を探したけど、お前はどこにも居なかった。それで、お前はもう死んじまったんだって気づいて、そのたびに」
 俯く。奥歯を噛んで、また黙る。
 沈黙が静かに降る。
 しばらくあってから、
 「今もその夢を見て飛び起きた。そうしたら花京院のやつが、これからは生きてることを確かめられるじゃないですかって言って、確かめに行きましょうってけしかけやがって、無理やり急き立てて」
 なすりつけられた男は後ろ手に手を組んですまして立っている。
 「…で、来たんだけどよ」
 「そうか」
 声が温かい。ポルナレフが目を上げると、アヴドゥルが手を広げて、
 「見ろ。おれは生きているぞ」
 そしてニッと笑った。
 ポルナレフの顔に、喜びとつらさが同時にこみ上げ、光となって両眼にともった。
 その額をぺしぺし!と叩いてやって、
 「また夢を見たら、その度に確かめればいい。おれが生きているということを。それを繰り返してるうちに、きっとみなくなるだろう」
 「ああ」
 大きくうなずく。
 「そうだよな。きっとそうだ」
 「ああ。そうだ」
 「あの、じゃあ、」
 再びもじもじし始める相手に、またぺしぺしやって、
 「何度でも来ていいぞ。許可する」
 「なんだよ許可って、偉そうに」
 文句を言ってからへへへと笑い、ちょっと泣いて、拳で涙をぬぐう。
 その様子を、他の面々は黙って眺めていたが、やがてジョセフがフフと笑い、口を開いた。

 その後ジョセフは洗面器を抱え直し、
 「っと。すっかり遅くなった。ワシはこいつを貰いにきておったんだ」
 じゃあ明日の朝、と言い残して部屋に引き上げていった。ニコニコしている。
 「じゃあ僕も戻ります」
 花京院もニコニコ顔で、寝間着の裾を翻し廊下を戻っていく。背後で、
 「おいポルナレフ」
 承太郎が声をかけた。
 「部屋を交換しろ。いいな」
 そんな会話が聞こえ、しばらく行ってから花京院が振り返ると、承太郎が黙ってついて来ていた。
 承太郎の背後もうずっと後ろで、ドアの前でまだあの二人が向かい合って、何事か言い合っている。そのフレームを眺めてから、承太郎の顔にピントを合わせる。目が合う。
 承太郎はやはり微笑していた。その顔を見て花京院も更に笑う。嬉しくてたまらない、そしてまた嬉しすぎてつらいようなもののある笑顔だった。一歩間違えるとさっきのポルナレフのように泣いてしまいそうになる。だから花京院は、無理やり明るく、
 「寝る前にババ抜きでもしようか、承太郎」
 「二人でババ抜きか」
 「じゃあ、七並べ」
 「同じことじゃあないか?」
 「なら、ドタバタ」
 「なんだそれは」
 「知らないのかい」
 「知らねえな」
 「教えてあげますよ。でも君とやったら僕の手ごとテーブルが破壊されそうな気がするな」
 「なかなか面白そうじゃねえか。教えろ」
 バタン。花京院たちの部屋のドアが閉まった。



 ジョセフがフフと笑い、口を開いた。
 「やっと、五人揃ったのう」
 その言葉に、他の四人が一斉にジョセフを振り返った。そしてお互いの顔を見、それから、各々の表情で破顔した。

[UP:2014/08/07]


 ここにきて、3部のメンバーが一人ずつ失われてゆくことを思うと、つらくてならないのです。変だなあ。その苦しみはもうずっと昔に乗り越えた筈なのに。
 にこにこ動画で、承太郎がひとりあの旅のことを思い出している、なんて動画を観たせいだと思うんですが。
 そして、つらいからってこんな話を書いてつらさが解消されるわけでもないんですけれどもね。
 イギーまだ居なくてすまんが。
 わたしゃ3部のメンバー大好き、本当に好きだ。涙が出る。

 というわけで今まで打ってた話も、この気持ちの延長上みたいな話です。本編を踏まえた(アヴドゥルと花京院とイギーが旅の後は居ない)話は、ちょっと、考えられない。ひ弱ですみません。


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