家庭教師の友人


 「お前が家庭教師?」
 朝の食卓で承太郎が訊き返した。
 「はい」
 頷きながら、承太郎の分のコーヒーを、前に置いてやる。秋も大分深まって、熱いコーヒーが美味しい季節になってきた。
 「担当教官から、なんとかやってみてくれないかということで」
 ちらと目を上げてからコーヒーを一口啜ると、
 「何かひっかかる言い方だな」
 「気づきましたか」
 苦笑し、自分もカップを持ち上げ、
 「多少問題のある子らしいです」
 「どんなふうにだ」
 「大学生にもひけをとらないくらい頭がいいけれども、自分より頭の悪い相手を見下してバカにするところがあるとか」
 「ろくなもんじゃねーな」
 バッサリ切り捨て、不愉快そうに唇をゆがめて、
 「引き受けたのか?」
 「ええ」
 チッという顔をされ、首をすくめる。何故僕が食卓で同居人に責められなければならないのだろう、と思いながら口をちょっと尖らす。
 「歳はいくつだ」
 「13だったかな」
 「フン」
 多分何歳でも気に入らないのだろう。
 「つまんねーこと抜かしやがったら、ぶん殴って辞めてこい」
 「はははは」
 あんまりな言い方に思わず笑ってしまった。だが承太郎は別に笑うようなことを言った気はなかったようで、怪訝な眉をして、
 「何が可笑しい」
 「いや、君なら本当にそうするんだろうな」
 「するぜ」
 音が出る程きっぱりと言われて、またちょっと笑い、
 「明快だ。いいですね」
 しかし自分にはちょっと取れない道だと思う。でもまあ、あんまりなことをずけずけねちねち言ってよこす子供だったら、ちょっと承太郎になったつもりで「やかましい!うっとおしいぞ」なんて言ってみようかなとチラリ思ったが、
 「言い慣れなくて舌を噛むか、言いながら照れくさくて笑ってしまうかのどちらかだな」
 自己分析し、冷める前にコーヒーを飲んだ。


 チャイムを鳴らし、室内からエントランスドアを開けてもらって入る。家庭教師の相手は、大学からあまり遠くない、高層マンションのかなり上階に住んでいた。エレベーターが滑らかに上っていく。
 ゴージャスな廊下を歩いて、でかい玄関ドアの前に立つ。
 「お邪魔します」
 ドアが開き、中に入って、そこで待っている少年を見ると何度目でもちょっとびっくりする。相手は金髪に青い目をした、それは可愛らしい顔立ちの美少年なのだ。目もとと眉がきゅっと吊り気味で、花のような唇にばら色の頬。白いブラウスシャツに半ズボン、その下からすんなりとした白い脚が伸びている。よく言われる「天使のような」という形容にぴったりの容姿だ。
 (ある種の外人は真面目に天使に見えるけど、しかし可愛い子だなあ)
 思わずまじまじと見てしまう。自分を見るそんな視線はもうすっかり慣れっこらしく、相手はフンという冷笑を浮かべて、
 「いつまでも突っ立ってないで、中に入ったらいいんじゃあないのか?」
 気取った声の、滑らかなクイーンズイングリッシュでえらく小生意気なことを言って来た。思わず苦笑してしまう。
 「これはどうもありがとう。では失礼して」
 花京院は室内に入り、子供部屋まで少年と共に行った。子供が使うには随分と巨大な机に少年がつき、その隣に座る。
 「ではこの前の続きから。テキスト…」
 「15ページ目だ、カキョーイン先生」
 つんと澄ました声で言ってよこす。
 「そうだったね。ティオ君」
 相手の名を口に乗せ、ふと、初対面の時相手が名乗った声を思い出した。
 『あなたがカキョーイン先生か。僕はティオ・プラントーだ』
 なんかどっかできいたことのあるような名前だなと思いながら微笑みかけ、
 『ティオ君か。親御さんは外国にいるということだけど』
 『ああそうだ。親なんて居なくてもひとりでやっていけるからな』
 ふん!と顔を上げて威張っている。
 相手がごてごての衣装を着て、頭にでっかい王冠をかぶって、ふかふかのソファに埋まってふんぞりかえっている王子様のように見える。ある種の人間、たとえば承太郎、は猛烈にムカッと来る態度なのかも知れないが、花京院はあまりそうはならなかった。
 『週に2日、君に日本語と歴史を教えに来ます。火曜と金曜の午後4時からでいいかな』
 『ああいいとも。代わりに数学を教えてあげようか?』
 『結構だよ』
 小生意気というよりやはりクソ生意気な相手に花京院は正直に苦笑した。その顔をやや斜交いに眺め、
 『では宜しく頼む、カキョーイン先生』
 『こちらこそ宜しく、ティオ君』
 握手した手はなめらかで白く、瞳は湖のように青くて、花京院はちょっと倒錯的な気分になったものだった。
 それから数回、白亜の宮殿を訪れ、王子様のお相手をさせていただいたわけだが、
 「じゃあ次のページ。ティオ君、読めるかな」
 言いながら相手を見る。花京院は気づいていなかったが、花京院が彼を見るまで、ティオ少年は密かに花京院のことを見ていたのだが、この時さっと視線を逸らし、
 「誰に向かって言っているのだ。このくらい読めて当然だ」
 フン!と顎を上げ、えへんえへん!と咳をして、
 「にちようビに、ボクわ、きょうかいへ、ゆきました」
 読み始めた。頬は心なしかうっすらとバラ色になっている。
 「…とちゅうで、イヌに、さんぽを、し…さ、せている、コバヤシさんと、あいましタ」
 「はいよろしい。上手に読めたね、ちゃんと予習しておいてくれたのかな」
 「このくらい、わざわざ予習なんかしなくたって僕には読める」
 ふんふん!と顔を上げまくる。しかし、ところどころうすーく振り仮名がふってある箇所があるし、よく見ると何度かページを繰った跡がある。明らかに予習している。
 (でも、そうは言えないんだな)
 普通は、ボク予習しておいたよ先生!えらいでしょ!褒めてよ!と言うところなのだろうが、この子はそんなことは出来やしないのだ。頑張って予習しておいたなんて、認められるものかッ!このティオが!というところだろうか。
 花京院はもう少しで笑ってしまいそうになったが、ぐっと堪え、感心した顔をキープしながら、「ふうん」なんて呟いてみせた。やはり花京院は気づいていないが、白い顔がそうっとこっちを見て、それからじーっと見つめている。
 授業の後、紅茶とマカロンを楽しみながら、
 「ああそうだ。ティオ君、最初に言っておくのを忘れたけれど、何か予定がある日は事前に言ってくれればいいからね」
 少年はちょっとまごついた表情になった。相手が何を言っているのかわからない、という顔をするのは、自分がバカであることをさらしているようで恥ずかしくて出来ない。しかし、すらすらと相手の言葉に「そんなことは決まっているだろう?」と反応することも出来ない。
 相手の困惑を読み取って、花京院はさりげなく言葉を継いだ。
 「友達と野球をするとか遊園地に遊びに行く約束とか、するだろ?そういう日は、僕の授業の時間をずらすとか、日付を変えるとかするから。たまにはお休みにしてもいいし」
 そこまで言った時、少年の白い顔に様々な感情が入り乱れた。何を言っているのか理解できて「なんだ、そういうことか」という納得、遊園地に遊びに行くだって?そんな幼稚なことをこのティオがすると思ってるのか?という虚勢、それから、
 「そんなことする必要はない」
 慌てた大声に、花京院はちょっとびっくりしたが、あんまり驚くと相手が余計にうろたえるだろうから、ごく普通に、
 「そんなことって?」
 「だから、授業を休みにする必要なんかないって言っているんだ」
 イライラと、
 「僕をいくつだと思っているんだ、カキョーイン先生。遊園地でコーヒーカップを回してはしゃいでるような子供じゃあないんだぞ」
 ふん!と顔を背けられる。
 「そうかい?遊園地は何歳になってもそれなりに楽しいところだと思うんだが。とにかく、何か予定がある時には遠慮なく言ってくれ」
 「だから、そんな予定なんかないから、授業を休みにする必要は」
 ないって言ってるんだ、と言おうとしたが、自分があんまりムキになっていることに気づいて、途中でもぐもぐと飲み込んだ。
 「わかった。君が僕の授業を熱心に受けてくれて僕も嬉しいよ」
 そうフォローすると、少年は一瞬花京院の顔を見てから慌てて目を逸らし、急いで紅茶を飲んで、熱かったのかもがき苦しんで飲み下し、
 「せ。先生は、未だに、遊園地で遊んだりするのか?もうおとななのに」
 「そうだなあ、さすがに遊園地で遊ぼう!と連れ立って出かけはしないかな。ただもしも行って遊ぶ機会があったら、結構本気で遊ぶとは思うよ」
 正直にそんなことを言う花京院をまたちらっと見て、
 「先生は」
 「うん?」
 「一緒に、遊びに行こうと誘う友達は、沢山いるのか」
 「うーん」
 困った声を出し、その声と同じ色合いの笑みを浮かべ、
 「あまり居ないな。僕はそう友達の多い方ではないだろう」
 「そうなのか」
 その声はなんだか嬉しそうだった。
 「まあ僕もそうだな。同年代の子供は皆、幼稚で、とても一緒に何かする相手としては、選べない」
 ふんふーん!と顔を上げ、
 「映画なんかも、周囲の子らが見たがるような映画は、子供っぽくてしょうがない。僕が観たいと思うような映画には、連中はついて来られないしな」
 「そうかい」
 花京院は苦笑した。その顔をちらちら見て、
 「よかったら、今度、カキョーイン先生と映画を観に行ってもいいかなと思っているのだが」
 と言いたかったらしいが大部分はむにゃむにゃと口の中で飲み込んでしまった。
 「え、なんだい?」
 「何でもない!」
 ぷいっと向こうを向いてしまうと、かしかしと音を立ててマカロンを噛み砕いた。


 「どうだ、生意気なガキとのつきあいは」
 承太郎が憎たらしいことを言って来た。花京院は眉をしかめながら口元は笑って、
 「まあなんとか。多少は王子様に気に入っていただけたのかな、とは思います」
 「何が王子だ」
 その後ろに「ケッ」が付きそうな勢いだ。
 とある午後、ふたりは買い物と各種払い込み類のため並んで歩いていた。
 「あとは最後に一番重い洗剤類を買って終わりだな」
 「ああそうだ。ふう、ちょっと疲れたな」
 「ちょっと休むか」
 「いや。頑張って家まで帰ってしまおう。部屋でゆっくり休みたい」
 「了解した」
 言って、歩き出そうとしてから、花京院がちょっと首をすくめ、肩をすぼめるようにした仕草を目に留めた。
 昼過ぎから急激に気温が下がってきている。なんとなく雪の匂いがするくらいだ。
 「えっ」
 思わず花京院が驚いた声を上げた。背後からマフラーがくるりと自分の首に巻かれたのだった。見ると前をゆくでかい男の首にあった、濃紺のマフラーがなくなっている。
 「承太郎、君が寒いだろう」
 「いい」
 それだけ言い、先に立ってすたすた行ってしまう。「承太郎っ」と言いながら追いかけるが足が速くて追いつけない。マフラーを返されないように速度を上げているのだろう。
 「わかった、わかった、借りておきます。待ってくれ」
 そう言うとようやくスピードダウンした。花京院は思わず笑ってしまいながらやっと追いついて、
 「午後から急に寒くなったな」
 「今夜は雪になるかも知れねーな」
 「そうですね」
 話しながらずれ落ちてきたマフラーを巻き直し、微笑んで、
 「ありがとう」
 それに対しての返事はやはりなかったが、片方の肩がちらっとだけそびやかされた。その動きを後ろから眺めて、花京院はもう少し笑った。
 そして、花京院は気づかなかったが、今の一連を、通りを隔てた位置からじっと立ち尽くして凝視している存在があった。


 いつものように白亜の宮殿を訪れ、「お邪魔します」と言って部屋に上がり、
 (おや)
 花京院は奇異に思った。
 ティオ少年の表情が明らかに硬い。いつもつんつんしてはいるが、この頃では「この子は自分に対して気持ちを開いてくれてきている」と確かに感じ取れるものがあったのだ。それが今日は違う。完全に心に壁が出来ている。目を合わせてくれないし、受け答えもひどく短く、そっけない。
 (どうしたんだろう?僕は彼に何かしただろうか?)
 考えてみたが、前回の授業の終わりに、顔を逸らして「じゃ、また次の回に。カキョーイン先生」と気取って言いながら、ほっぺを薄赤くしてこちらを見ていた様子が最後だ。特に彼を傷つけたり、腹を立てさせるようなことはしていないし言っていないと思う。
 どうしたものだろう。何かしたか訊いてみるべきだろうか。しかし何と言って。僕は君のご機嫌を損なうようなことをしましたかと訊くのか?
 困惑しながら、妙な空気のまま授業をし、
 「…さて、一休みしようか」
 とりあえずそう言って、さて何としたものか、と思った時だった。
 「カキョーイン先生」
 硬い声がした。慌てて振り返る。
 王子様がこちらを見ないまま、
 「見て欲しいものがあるのだが、いいか」
 「えっ…ああ、勿論だ」
 なんだ。何か悩みごとがあって、気持ちが塞いでいたのか。それでそのことを僕に相談したいと。
 少しだけ安堵し、少年の傍に行くと椅子に座った。
 少年はしばらくテーブルの上を見つめていたが、やがて携帯電話を取り出し、置いた。画面にはカメラで撮った写真が映っている。
 「見せてもらうよ」
 「ああ」
 許可をもらってから取り上げて写真を観る。そこには、少し遠景で撮った、ひとりの青年の姿が映っていた。
 年の頃は花京院と同じくらいだろうか。髪が黒いが顔立ちを見ると外国人のようだ。端整で綺麗な横顔のライン、太く濃い眉、穏やかで温かみのある、しかし意志の強いまなざしが見て取れる。
 「かっこいい人だな。男の目から見ても」
 感想を述べると、少年がチラッと視線を上げてからすぐにまた逸らした。
 「で、このハンサムな人がどうしたんだ」
 「どうもしない。ただ駅前の広間で見かけただけだ」
 「あ、ああ、そう、それで、」
 …だから?という顔を傾げている花京院に、
 「僕はもう一度その男に会ってみたい」
 「えっ?」
 思わず身を乗り出した花京院から、顔をさらに背けて、
 「どこの誰かもわからない。探しようがない。でも、僕はその男に会ってみたいんだ」
 「ふうん」
 途方に暮れた響きの声を上げ、その画像をじっと見つめている花京院の顔が映った鏡を、少年は密かに見ていた。


 「もう一度会いたい、か」
 呟きながら花京院は帰りの道を歩いていた。冷たい風が吹き付けて身をすくめる。
 偶然行き合わせて、顔を一回見ただけのどこかの誰か。その顔に魅せられて、思わず写真を撮った。それきり人混みに紛れて消えてしまった。
 でも、もう一度会ってみたいと思った。その気持ちは決して消えることなく、胸の中に在り続ける。まるで、泉の底深く沈んで輝く宝石のように。
 「何の詩を語ってるんだ、僕は」
 自分につっこみを入れつつも、その気持ちはわかる、と思う。まあ、相手が年上の青年ではなく、可憐な少女や、長髪長身の美女であった方が据わりはいいだろうが、たとえ据わりが悪かろうとなんだろうと、一旦囚われた恋慕の情には、嘘はつけない。ただもうひたすらに、もう一度会いたいと思ってしまうのみだ。
 「理解がいいな、僕も」
 さっきから一人で呟いたり一人つっこみばかりやっている。要するにちょっと困惑し、混乱しているのだろう。
 (しかし、探し出せるものかな)
 それは改めて考えてみなくても随分とハードな事だ。名前も住所も歳も、所属している団体関係一切わからない。わかっているのは顔だけ。どこの検索エンジンや名簿屋で探せばいいのだろう。
 警察に行ってこの顔知りませんか、と言ったところで犯罪者でもなければわからないだろう。万一わかっても、どこそこに住むトム・スミスさんだよ、と教えてくれるはずがない。
 顔以外にひとつだけわかっているのは、この日付のこの時刻に、駅前の広場に居たことがあるという情報だけだ。
 つまり、同じ時刻に再び駅前広場に来ることがあるかも知れない、という可能性はあるわけだ。えらくまた細々としたものではあるが。
 (もしこの時彼が駅から電車に乗ってこの街を去ったのなら、もう二度と現れないぞ)
 しかし画像を見るとラフなジャケットのようだ。ちらりと見える襟元はVネックのセーターにシャツ。多分違う。この街を旅立つ恰好ではない。と思う。きっとまだこの街のどこかに居る。再び駅を使うこともあるだろう、写真を撮ったのは平日の夕方だったらしいから、案外毎日同じ時刻に通るかも知れない。
 そこまで来て立ち止まった。自分は何を考えているのだろうか。
 「僕は、あの子がもう一度会いたいと思っている黒髪の青年を、何とかして探し出そうと思っているのか」
 言葉にして言ってみて、どうやらそうらしいと確認した。
 あの少年は、
 心を奪われて思わず撮った写真の青年を花京院に見せ、そして、もう一度会ってみたいと言い、そして、そこで終わりなのだ。それから先の、だからどうだという部分がない。
 でも、勿論、口にはしないが、僕に探して欲しいのだろう。
 そう言葉にしてはっきりと依頼する気はない。それがあまりに無理な願いだからという気持ちのためか、そう頼んでしまうことで自分の気持ちがハッキリしてしまうのが恥ずかしいからか、それはわからない。しかし、本当を言えばそうして欲しいのだ。
 そして、あの写真を見せて、自分の気持ちを告白する相手は、週に2回やってくる家庭教師しかいないのだ。
 自分しかあの子の心の訴えを聞いてやれる人間がいない、という考えに辿り着くと、花京院はどうしても無謀な探索に足を踏み出すしかないのだった。


 写真が撮られた時刻の、30分ほど前から、花京院は駅前の広場に立っていた。
 本当を言えば法皇で探したい。しかし、山ほどの人々が行き交っている。中にはスタンド使いも居るかも知れない。なんだか、スタンド使いというものは引き合うようだし。法皇で探し回るのはちょっとやめておいた方がいいだろう。というわけで肉眼で人の顔を延々と観察し続ける。あまりにもじろじろ見ていると変に思われて難癖をつけられる。そんなことをやっている間に黒髪のハンサムが行き過ぎるかも知れない。
 で、自動販売機の傍らに立ち、手元の手帳を熱心に見ている振りをしながら、上目使いで人々の顔を眺め続けている。
 そのまま1時間半、花京院刑事は張り込みを続けた。
 だが、予想通り、黒髪の容疑者は姿を現さなかった。
 何の容疑者かというと、
 「少年の心を奪った、恋泥棒の容疑者かな」
 呟いてから、
 「寒いことを言うものだ」
 棒読みでもう一言付け加え、今日は諦めるかと思いながらも、背を向けた瞬間に通りそうでしばらく躊躇したが、結局諦めて帰路につく。辺りは真っ暗になっていて、花京院の体は冷え切っていた。
 電車のホームへ上がる途中も、周囲の顔を見続けている。こうしている間も、ちょうど今自分の斜め後ろを反対方向へ歩いているのではないかと疑惑がわいてきて、何度か振り返った。
 帰宅して、昨日炊いたご飯と昨日作った味噌汁を食べる。おかずは最後に寄ったコンビニで買ったから揚げだ。正直、凝った料理をつくる気はもう無い。
 レンジの時間が長すぎて灼熱になっているから揚げを食べ、舌を一発で火傷しながら、承太郎が今忙しい時期で助かった、と思った。承太郎はここ1か月ほど大学に泊まりこみに近い。夕飯当番制も今のところは解除中だ。
 これからはしばらくカップ麺やコンビニ弁当生活だなと思いながら最後の一口を飲み込み、舌を冷やすため水を口に含み、茶碗を洗うために流しへ向かう。しかし、人の顔を探すというのは思いのほか疲れるものなのだ、とよくよく思い知った。洗面所で自分の顔を見ると、まぶたが三重になっていた。ぼそぼそと、
 「顔認証システムは偉大なんだな」
 それ以後も時間の取れる日には駅へ行き、打ち寄せる人の波を観察し続けた。
 季節はどんどん冬へ向かっている。ある日の探索中にはとうとう雪が降って来た。冬用のコートを出し、手袋も出し、完全防備で探索を続ける。
 しかし、つれないハンサムはなかなか現れてくれなかった。


 「では今日の授業はこれで終わりにするよ」
 テキストを閉じる花京院は、近くで見るとやけに疲れて見える。無論、連日の探索のためだが、もちろんそんなことは少年に言う気はない。
 もし見つかったら、ティオ君に何と言おう。実はあれからずっと探していてやっと見つけたんだ。会ってくれるそうだよ…いやちょっと待て、そのハンサムと話をつけなければならないじゃないか。『あなたに会いたいと言っている美少年がいるのですが話をしてくれますか?』どうみても怪しい。怪しすぎる。暗くて狭いところに連れて行って何かする気まんまんだ。決してそういう者ではないと、どうしたら信じてもらえるだろうか。
 まだ見つかってもいないのに気が早い。でも、見つかる前に考えておかないといけないな。
 そんなことをあれこれ考えている花京院の顔を、少年は黙って眺めている。うしろめたさと、確かな悦びの入り混じった、複雑な表情だった。


 ようやく忙しさにもひと段落ついた辺りで、駅前で呑むか、という話をしているのを聞きながら、承太郎は机の上を整理している。
 「そういえばお前聞いたことあるか。駅前に謎のハンサムが居るって話」
 「なんだそれ」
 「俺もなんだかわからないけどそういう噂なんだよ」
 「謎のハンサムってどの辺が謎なんだ。ところで会費は幾ら?」
 「えーと、4500円だな」
 「空条、4500円だって」
 ああ、と返事をしてサイフをさぐった。
 ぞろぞろと駅前の居酒屋を目指して歩いていく。と、
 「あ。あれじゃないか、謎のハンサムって」
 「どれだよ」
 さっきの2人が話しているのは聞こえたが、承太郎は特に何も注意を払わずに歩いていた。が、
 「あれ?なんかあの人見たことあるんだけど。誰だっけな。確か、誰だかの知り合いで。って、違う違う。空条」
 呼ばれたので承太郎は振り返った。
 喋っていた相手は承太郎の背後の方向を見て、手で示し、
 「あのハンサム、空条のルームメイトだろう」
 承太郎は再度振り返った。
 自動販売機コーナーの脇で、厚いコートに身をくるみ、寒さのためか顔色は真っ白で、対照的に鼻の頭を真っ赤にしてじっと立っているのは、ここしばらく会っていない承太郎の同居人だった。
 さすがの承太郎も少し驚いた顔でその様子を眺めたが、やがてその人物に向かって近づいて行き、
 「花京院」
 かけられた声に驚いて顔を向け、それから目を見開いて、
 「承太郎!」
 ひどく嬉しそうに笑って近づいてきた。
 「久し振りだね、元気かい」
 「お前、顔が真っ白だぞ」
 「僕は色白なんです」
 「バカなこと言ってんじゃねー」
 触ってはみないが、多分温度なんか感じないくらいに冷えているだろう。間近で見るとわかる。
 「いつからそうやってる。いや、お前こんなところで何やってんだ」
 「いや…あの、いろいろあって」
 久々に再会できて喜んでしまったが、承太郎の顔には、久々の再会の喜びや、意外な場所での出会いに驚いているといったことよりも、何かしらの怒りが湧き上がってきているようだ。
 「何がいろいろだ。さっさと説明しろ」
 怒りの色がどんどん増してくる。花京院は正直慌て、どうやって宥めたらいいのか、それ以前に何故相手が怒っていくのかわからず、混乱しながら、
 「いや、本当にいろいろあって。今度ゆっくり説明します。ほら、君の学部の人たちが待っていますよ」
 いかにもこの場を取り繕うといった相手のものいいに、チッという顔で睨みつけて、
 「飲み会が終わったら部屋に戻る。その時聞かせろ」
 「はい。わかりました」
 銃を突き付けられたみたいに手を上げて、さあ、と促す。承太郎は不満そうに一瞥をくれてから、他の連中に合流した。
 ドギマギしてその背を見送ってから、もう少し捜索をし、今日も見つけられず、帰路についた。冷えた部屋に暖房を入れ、ついでに風呂を沸かして入った。
 それから数時間後、玄関をあけて承太郎が帰宅した。
 「お帰り承太郎」
 花京院の部屋のドアがあいて、スェットやら丹前やらいろいろ着込んだ上に、室内で毛糸の帽子をかぶった花京院が顔を出した。どことなく緊張している。
 「部屋にいろ。俺が行く」
 「うん」
 承太郎は自室で着替えて、自分の飲み物を作って花京院の部屋に行った。
 「ようこそ。そこに座って」
 承太郎用の座布団に座って相手を見ると、疲労と寒さで随分とひどい顔になっている。その顔を睨み据えて、
 「飲み屋で同輩が喋ってたが、お前、ここの所毎日のように駅前に居るそうだな」
 えっという顔になる。
 「ばれていたのか」
 「謎のハンサムが連日駅に立っているって噂になってるそうだ」
 「はは」
 短くて乾いた笑い声を立てて頬を撫でる。ここのところろくなものを食べていないせいもあるのか肌は荒れていて指の腹にざりざりした感触があった。承太郎がその顔をじろじろ見て、
 「顔がいいと目立つってことだな」
 なんとなく皮肉な口ぶりにムッとしてから、
 「きみ程ではないけれどね。…実は、僕も、謎のハンサムを探していたんです」
 なんだと?という顔をしてこっちを見ているが、何も言わない。無言の圧力でもって、さて全部説明してもらおうか、という様子だ。
 花京院は仕方なく、ここ暫くの自分の日課について説明した。
 話し終わった後の承太郎の顔は苦々しいの一言だった。
 「で、お前は、そのガキが一目惚れしたどこぞの色男を連日肉眼で探し回ってるわけか」
 「うん、まあ」
 「この寒空に数時間、寒風吹きさらす広場に突っ立ってるのか」
 「承太郎」
 花京院が一回、唇を引き結んでから、
 「これは僕が勝手にやっていることだ。彼がやってくれと言ったんじゃない」
 「お前にその事情を話せば、お前が『今自分が探してる』なんて言わずに探しまくるのは、そのガキだって承知してるだろう。その上でお前に」
 「承太郎」
 再び相手を呼ぶ。怒鳴ってはいない。むしろ低い。しかし今度の声には怒りと、強い制止があった。
 「彼が何を意図していようと関係ない。それに、君にそんなことを言われたくない」
 強張った、自制している声だ。そして実は惑っていて、だがそれを押し殺している声だ。
 張りつめた白い顔を、承太郎は正面からにらみつけている。一瞬承太郎の目がびくりと痙攣した。花京院の顔は微動だにしない。
 そのまま長い長い数秒か、十数秒があり、承太郎が眉をしかめて、
 「そうか。
 わかった」
 その言葉にどうしようもなく、花京院の心が動揺した。
 別に僕がバカなことをしようと、承太郎自身に何か迷惑がかかるわけでもない。承太郎はただ僕を案じてくれたのだ。僕のために憤ってくれているのだ。
 が、しかしここで「いや、承太郎、別に僕はそんなつもりで」だの「君の気持ちは嬉しいんだ、本当だよ」と言う気はない。その覚悟でやっていたことだし、承太郎の怒りを今はねつけたのだ。今更言い訳や前言撤回する気はない。
 承太郎は飲み物を飲み干すと、立ち上がって部屋を出ていった。怒りにまかせた足取りではないし、これ見よがしに手荒くドアを閉めたりはしないが、ドアがしまる音を聴いた時自分がダメージを受けたのを感じた。
 ぐっと口を結んでそれに耐え、そして、せめて心の中で謝った。
 (すまない。ありがとう)
 自分で選んだ道で、自分で納得してやっていることだとは言っても、承太郎とこんな雰囲気になるのは不本意だ。せめて良い結果が出るといい。それも出来るだけ早く。
 絶対に、そんなに都合よくはいかないだろうな、と呟いて、ため息をのみこんだ。


 すっかり日が暮れるのが早くなった。連日同じ時刻くらいまで粘っているので、それが身に沁みて実感される。
 なんだか頭が重い。目が熱い。嫌な予感がする。この後僕の身にやってくるものは、ひょっとして頭痛悪寒発熱だろうか。
 いや、気のせいだ。大丈夫だ。僕はこう見えて結構丈夫なのだ。あの旅でだって具合が悪くなったり、腹を下したりしたことはない。砂漠で皆に「花京院がおかしくなった」と思われたことはあったが、あれは皆の誤解だし。
 そう自分に言い聞かせているそばから、ビュウと冷たい風が吹いて、ぞくっと震えた。まずい。この背骨を冷たい手でつままれたような感覚はかなりデンジャーだ。もう時間の問題かも知れない。
 マフラーに顎をうずめて寒さに震え、不意に無力感に苛まれる。
 僕のしていることは間違いなんだろうか。
 あんなにきっぱりと言い放って、自分で選んだ道のつもりだった。それならそれでいいのだと胸を張った。
 実は、正しいことと間違いなことは、案外はっきりわかれているのかも知れない。僕は間違いなことを精一杯頑張ってやっているのだろうか。
 その結果がこの背骨の震えだろうか。
 花京院の充血した目が力なく伏せられそうになった、その時だった。
 「!」
 声にならない絶叫が迸る。
 自分の視界の中に、ここしばらく脳裏に焼き付いて離れない横顔が映り込んでいる。黒い髪、太い眉、穏やかで温かみがあってその中にも毅然とした光を宿した目………
 黒髪の青年は「今日は随分冷えるなあ。生憎手袋を忘れてしまったぞ。どこに置いてきたろう」と思いながらふと何か荒々しい息遣いや物音が近づいてくる気がして、目をやった。そしてびっくり仰天した。
 なにやらダバダバと暴れながら特徴的な髪を振り乱して、自分に向かって駆け寄ってくる男がいて、青年は一瞬どういう対処をすべきか考えたがわからず、ただ目を白黒させて突っ立っていた。その腕を掴んで、相手は口をぱくぱくさせ、何かを懸命に訴えようとしているが、言葉が出ないでいるようだ。とにかく相手は疲労困憊の様子で、何をするんだ!なんだキミは!なんて言って突き飛ばす気にはなれない。
 「エ、エ、エクスキューズミー」
 途端にげほげほと咳が出る。あんまり急いた呼吸をしたのが引き金になったらしい。この咳はもういけない。風邪確定だ。
 でも、もういいのだ、見つかったんだから。
 黒髪の青年はくすっと笑って、花京院の腕を下から支えるようにして、
 「一体どうしたんですカ?」
 少しクセがあるが、きれいな日本語で話しかけてきた。
 探し求めた顔の主は、今自分の背をさすってくれている。懸命に呼吸を整え、強く咳をして、
 「突然すみません。僕は花京院典明と言います。唐突に何事だと思われるでしょうが、どうか僕の話を聞いてもらえませんか」
 込められるだけの誠意を込めて言った。相手の目にはさっきから継続している驚きと、また面白がっている表情が映ってキラキラ光っている。弱っている花京院には眩しすぎる輝きだった。
 「いいですよ、カキョーインさン。僕はジョーダン・ジョージアーといいまス。友達にはジョジョって呼ばれてマす」
 はきはきと言われて、花京院も微笑んだ。写真を見て、なんとなく持った印象そのままの男らしい。良かった。こんな穏やかな顔で胸の中は真っ黒とかいったら、この先は長かった。
 「自動販売機で、≪あたたかい≫と書かれた飲み物でモ買いませんカ」
 相手からそんなことを言ってくれる。いいですねと同意し、長いことその隣の場所を温めてきた自販機で、ガコンガコンとお茶を購入する。青年は一口飲んで、ふーアッタカイと笑う。眩しい笑顔が嬉しくて、
 「日本語がお上手ですね。日本は長いんですか?」
 思わずそんなことを訊いていた。相手はニコニコして、
 「いいエ。大学に通うために来たのデ、まだ3年目です」
 「え、じゃあ、僕と同じ歳か」
 思わずそう言っていた。
 「Oh!そうですか。タメというのですよネ」
 「あはは」
 思わず笑ってしまった。くたびれた声で笑っている花京院の笑顔に、相手は相変わらずニコニコと、
 「あなたはジッカから通っているのですカ?」
 「ジッカ?…ああ、実家か。いいえ。僕は友人と2人で暮らしています」
 なんだかこっちも翻訳口調になってしまう。
 「いいですね!Roommate。うらやましいデス。憧れまス。僕は一人暮らしです。あ、でも」
 ちょっと思い出し笑いをして、ポケットを探りながら、
 「近くに、ちょっと困った親戚は居ますけれども」
 「困った親戚ですか?」
 「はい」
 見せてくれた画面には、花京院にはやけに見覚えのある、金髪碧眼の美少年が映っていた。
 「とても可愛いでしょう?見かけは天使で、中身は悪魔デス。そこまでは行かないかな?少しレベルの下がる悪魔はなんと言うのでしょうカ」
 花京院は呆然と画面を見ていたが、口だけが動いて、
 「小悪魔じゃないでしょうか」
 助言した。相手はああナルホドと合点がいき、
 「小悪魔のいとこでス」
 花京院はまだ動けないでいる。一体どこから手をつければいいのだろう、と痺れた頭の片隅で考えた。


 その夜承太郎が部屋に戻ったのは、夜の9時くらいだった。玄関に花京院の靴があるが、台所にもトイレや浴室にも気配がない。
 ということは、と思いながら花京院の部屋のドアを叩こうとし、ふと何か聞こえた気がしてその場で止まり、そっとドアを開けてみた。
 ドアから顔を入れると、花京院はベッドで寝ていた。真っ赤になってやや膨れた頬としわしわの目蓋がマスクの隙間から見えている。一目で「風邪をひいて、寝込んだ」とわかる顔だ。
 ぷー、ぷー、と言いながら眠っている。時折げほげほげほと言って目を覚まし、またすぐぷーぷー言いながら眠りに落ちる。
 承太郎は「あーあー」という目つきになり、その状態でしばらく相手の顔を眺めていたが、やがてまた台所へ戻り、残ったご飯で卵おかゆを作った。
 それからまた花京院の部屋に戻り、『腹が減ったら知らせろ』と書いたメモを、赤ら顔の傍に置いて引き上げた。


 数日後、大学のとある教室で、3人の人間が一堂に会していた。
 2人の青年は黙って、真ん中にいる少年を見ている。少年は俯いている。
 青年は花京院と、あの日見つけた黒髪の外国人だ。青年は実のところ花京院と同じ大学の生徒であった。
 花京院の熱はなんとか下がり、まだ鼻声だし咳も出るがなんとか外出できるくらいに回復していた。
 「僕は、1か月ほど前から、逆方向の別のキャンパスの方へ行っていたんです。だから、花京院さんが僕を駅で探しても、絶対に見つからないと踏んで、駅付近で僕を探してくれなんて言ってきたのでしょう。先日は用事があってわざわざ駅に行ったのです」
 今日は青年は英語で話していた。少年もいるからだろう。その相手に向かって問いただす。
 「そうなのか、ティオ」
 少年はしばらくのちコクリとうなずいた。
 「ティオ」
 黒髪の青年の声が困惑と憤りで強まる。
 「何故、そんなことをしたんだ?」
 少年は黙っている。
 「黙っていないで、ちゃんと説明したまえ」
 声に怒りが加わる。
 どれくらいかの沈黙の後、少年がかすれた声で、
 「先生が、友達は居ないって言ったのに、誰かと仲良く歩いてるのを見て、悔しくて…先生が、僕のために頑張ってくれているところが、見たかったんだ」
 「何を勝手なこと」
 「わかってる」
 少年は遮って、
 「勝手なこと言ってるってわかってた。でも、カキョーイン先生がわざわざ、僕だけのために、つらい思いをしてくれてるのが、嬉しかったんだ。こっそり駅に行ってみたら、先生が隅っこの方に立って寒い思いをしながら頑張って探していて、それを見て僕はとても嬉しかった」
 逆ギレなのか何なのか、強気で言い張った。
 怒って、頭のひとつも叩くべきなんだろうか。個人的な感情がどうこうではなく、教育係を引き受けている人間として、この子の成長のため、君は頭を叩かれるようなことをしたんだと教え諭すべきだろうか。
 もちろん、腹は立つ。彼のためにと思えばこそ、あんな努力をしていたというのに。全部うそだったなんて。自分のいとこの写真を見せて「どこの誰かも知らないけど」などと。
 言われた自分は「探して欲しいんだな!」と思い込んで勝手に必死こいて、しばらくは駅を使わない人間を駅付近で探し回り、揚句の果てにひどい風邪を引き込んで寝込んで―――
 腹が立つよりは、正直、恥ずかしさの方が大きい。夕暮れ時必死で人波に目を凝らしている自分の姿を思い出すと、顔も体もカッと熱くなって、それでいて手足が冷たくなるような気分になる。
 僕にしか相談できる相手が居ないんだ、僕がなんとかしてあげたい、なんて思い込んで、
 彼の願いを叶えてやろうと、それはそれはもう頑張って…
 羞恥と情けなさが花京院の口を閉じさせる。責めたり叱ったり出来ず、咳が出てうまく喋れないことにして、黙っていた。
 と。
 バァン!とすさまじい音を立てて入り口のドアが開いた。3人とも仰天してそっちを見る。
 空条承太郎が、憤怒の表情で仁王立ちしている。怒りに燃え上がる碧の目が、少年を捉えると、鬼も泣き出しそうな形相でずんずん近づいてきて、
 「てめえか。ふざけたことしやがったクソガキは」
 雷鳴のような声に少年はすくみ上っているし、黒髪の青年も花京院も動きが止まっている。
 大きな手がぎゅうううーと拳の形に握られ、怒声から一転、地を這うように低い低い声が、
 「てめえみてーな野郎は殴られねえとわからねーようだな」
 「ごご、ご、ごめんなさい!」
 身の危険を感じた少年が懸命に叫んだが、承太郎はそのくらいで許してやる気はこれっぱかりもないようだ。拳を振り上げる。
 「じょ、じょ、承太郎、ちょ、っと、待って」
 慌てきっているのと咳が出るのとでうまく喋れない。懸命に承太郎の腕にぶら下がるようにして制止した。が、振り切ろうとする相手の力の強さは、いつだったか「早まるな承太郎!」と言って止めた時よりも上だ。あっさりと振り切られ、大慌てでまた飛びつく。
 「承太郎っ」
 「お前はひっこんでろ。一発殴らねえと気がすまねエッ」
 怒鳴られ、更に強く振り切られて、あえなく背後に転がった。手が付けられない。自分なんかプーさんのぬいぐるみにでもなったようだ。後頭部を打つ寸前、青年が驚きの表情で、転がっている自分を見ているのがちらっと見えた。
 でも。
 目の前にそびえている巨大な背の主が、自分のために、他で見たことがないほど激怒しているのを床から見上げていると、腹の辺りに言い難い悦びがこみ上げてくるのをおぼえる。あとからあとから溢れてきて止めようがない。
 そして、そこで恐怖に縮み上がっている少年の屈折した気持ちが、今わかった気がした。

[UP:2015/03/07]


 ゲスト2人は架空の人物です(笑)
 タイトルは承太郎のことです。承太郎は結構おとなで、実は分別のある人だけど、花京院の努力や名誉のために「こいつをコケにされて怒らずに居られるか!」でメタメタに怒る…のだと嬉しいな。という話でした。


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