『ジャイアントロボ』
「そこで止まれ」
背後の声に制止される。岩棚を飛び移ろうとしていた足がたたらを踏んだ。
急いで振り返る。そこに立っていた相手を見て、大作は正直目を疑った。
まだ幼いと言えるような娘だ。自分より年下だ。背も自分より低いし、相手を何らかの言葉で表現しようと思ったら、「娘」だとか「少女」よりは「子供」だろう、どう見ても。
短い髪は大作と同じくらいだ。なんだか薄汚れているらしい顔は、夕闇が迫っている時間のためはっきりと見分けられない。服も粗末で、ひどく地味だ。色が抜けていて、背後に広がる灰色の夕闇と鉛色の海に、悲しくマッチしている。
漁場荒らしでも捕まえてやろうと、張り切ってはりこんでいた村娘なのだろうか?
大作は自分がびっくりして海に落ちそうになったことが恥ずかしく、肩をいからせて、
「君はだれ…」
「草間大作だな」
大作の言葉を無視して尋ねる。いや、語尾が上がっていない、知っていて一応確認したという言い方だ。
年下のチビに呼び捨てにされ、はっきりと侮られて、かっとなる。その顔を見据えたまま、
「GR1の操縦者だな」
付け加えた。
このことで、完全に相手が、一般人でないことがわかった。そして、どうやら、味方でもないようだ。
「お前みたいなチビに」
そんな偉そうな口をきかれる筋合いはないんだ。
今度こそ怒鳴りつけようとした時、相手が左手を持ち上げた。見てはっとする。
手の上で炎が上がっている。燃えている何かを手に乗せているのではない。手の上に炎を作り出しているのだ。
めらめらと燃え盛る炎に照らされて、陰になっていた娘の顔が浮かび上がった。
確かに、薄汚れている。しかし、
迫る闇にも負けないような、目の力だ。
尋常な強さでない。大作より幼い年頃の子供の目ではないし、いくら苛酷な自然の傍らとは言っても、当たり前の日常を送っている人間の目でもない。
じっと睨み据えるその輝きは、術師か、と疑わせるような、威圧的な力に満ちていた。
炎そのもののような眼差しに捕らえられて、大作は半ば呆然と、その顔を見つめていた。
可愛い、のではない。もちろん、美しいのでもない。しかしなんだろう。つい、見惚れてしまう。力というものへの純粋な憧れというものがあったら、それと同じ色合いの、同じ響きの、感嘆であったろう。
自分より、年下の、子供なのに。
まるで、自分の三倍、生きているような顔だ。
「GR1は、お前の言うことしか聞かないそうだな。父親が、GR1を操る力を作って、お前に持たせたそうだな」
まだ幼い声で、まるきり子供の声で、表情のない声で、まっすぐに自分に向かって、
何かを、投げつけてくる。
「お前は、BF団か」
大作の言葉を無視して、
「それで、お前は、何が出来るのだ」
何かを、投げつけてくる。もろに、正面から、顔面に向かって。
大作の顎が上がる。息を吸い込んだ。はねかえし、より大きいダメージを返してやろうと思う。しかし、何も出てこない。
それは、いつからか、常に自分に向かって問い掛けてきた、重くにがくくるしい問いそのものであったからだった。
だが、他人に、そして初めて出会った見知らぬ相手に、しかもどんな場合でも最年少であった自分よりも、更に年下の子供に、真正面からぶつけられて、素直に『うんそうだね僕も疑問なんだ』と小首を傾げて返せることではない。
怒りは大作の顔を赤らめさせ、屈辱は青ざめさせる。鬱血したような色の唇を震わせたが、
「お、お前に、そんなこと聞かれる筋合いはない」
結局は自分でも情けないと思うようなことしか言えない。
それを聞いた相手が、侮蔑と嘲笑を返してくるだろうと思った。なんだ、得物もないのか、無能者が何を威張っている。お前はそれでも国際警察機構の一員といえるのか。恥ずかしくないのか。
しかし、相手の表情には、そういった感情の動きは映らなかった。ただ、大作の顔をじろじろと眺めながら、
「そういう訳にもいかない。今から私は、お前を拉致しなければならないのだ」
えっと聞き返したくなるような内容を平然と口にし、炎をあげていない方の手で大作の腕時計を指さす。まだ小さな、子供の手だ。
「それで、GR1を呼ばれては困るし、その時計が壊れても困る。お前に死なれるのも困る。ただでさえお前に関する任務は、条件が多くて厄介なのだ」
「任務…」
「任務だ。私の主人から下された命令だ。その遂行は絶対だ。お前に隠しダマの武器や攻撃方法があるのなら、今のうちに言え」
言える訳が無い、そんなものはないのだから。しかし、そのまま素直に言うわけにもいかない。さも、これも作戦だという顔を頑張ってつくりながら、
「さあ、何かな?ふん、隠しダマなら教えてやる筈がないだろ。大体、戦うつもりでいる相手に『お前の得意技は何だ』って聞くなんて、お前、実は自信が」
挑発していいのか、どうなのか。これが正解なのか。大作にはわからない。何もわからない。
炎も風も水も生み出せない、目で他人を操ることも出来ない、口先で相手をかわす術も知らない。
立ち往生してしまった大作を見ていた相手が、もうセリフは終わりかと判断したのか、喋りだす。
「戦うつもりはない。抵抗を封じて気絶させるだけだ。ただ、咄嗟にお前の隠しダマを使われると、反射的に殺してしまうかも知れない。そうなったら」
首を振る。
「任務失敗ということになるから」
徹底的だ。
戦う相手とすら見なしていない。ヒミツの攻撃方法があろうと、そんなことは歯牙にもかけていない。ただ、急に使われるとつい殺しちゃうかも知れないと言うのだ。なおも加えて、
大作の命が失われるということは、この子にとって、自分の任務失敗以上の意味はないのだ。
自分より、年下の、子供に。
こうまで軽く扱われることに、大作はただうちのめされた。そしてなにより、『自分の認識は誤りだった。草間大作侮るべからず』と思わせることが、決して出来ない、という現実に、ただひたすらにうちのめされた。
「さあ早く言え。お前の隠している得意技はなんだ。さあ」
幼い声で催促される。炎がめらめらと燃え上がり始めたのを、大作は怯えた目で見る。他に何も出来ない。
なにひとつできない。
その時、
「大作!」
絶叫が上がる、大作は声の方を見た。子供は視線を動かさない。ただ大作を見ている。
その位置に、片手斧がめりこむ寸前、ふっと背後に跳んだ。斧は鎖で回収され、ごつい男の手に戻って行った。
ぱしんと受けとめて、鉄牛が大作の前に立ちはだかる。
「野郎、BF団の手先だな。待ちやがれ!」
最後に怒鳴った言葉の通り、相手は大作を見たままどんどん、岩棚を背後へ背後へと移動してゆく。
「でぇい!」
鉄牛が斧を投げた、その時相手がすっと手をあげた。途端に、龍の口から吐かれるような紅蓮の炎が舌を伸ばし、斧を飲み込もうとした。
のまれる間際で手繰り寄せ、構え直す。
しかし相手はすでに、辺りから姿を消していた。
汚い手で額の汗をぬぐい、大作に向き直る。
「ケガはねえか、大作」
「ありません」
小さな声で答える。
「奴等、もしや大作を狙うんじゃねえかって兄貴が見破ってな。俺が戻ってきたんだ。無事で良かったぜ」
助けてもらった。ありがとうございますといわなければならない。だが言葉が出ない。
あんな小さな子から、守ってもらったのだ。僕は。
一回奥歯を噛み締めてから、口を開いた。だがそれは感謝ではなく、
「…あんな小さな子なのに、BF団の一味だって、どうしてすぐに、わかったんですか?」
「え?」
鉄牛は相手の問いに戸惑い、どうしてって…と考えて、
「そりゃ、手から炎が出てたしよ。それに…あのガキの年の頃には、俺ももう国際警察機構に入ってたからな」
首をかしげて、
「それが何だ?」
大作は返事をしなかった。
『ジョジョの奇妙な冒険』
足を止める。
ガラス越しに見えるのは、白金でつくられた星だった。
12月の冷たい風が足元から吹き上がってきて、彼の緩やかに流れる前髪を乱した。左手で押さえ、その後解けたマフラーを直しながら、彼の目はずっとそれに注がれていた。
少し、考える。
それから、照れたように斜め上を見上げ、くすりと笑い、おもむろに店に入った。
「いらっしゃいませ」
店員たちがいっせいに声をかけ、軽くお辞儀をする。きちんとした店のようだ。それまで椅子にかけてぺちゃくちゃ喋っていたり、早すぎるお茶の時間にしたりしていたのではないことは、伝わってくる。しかし、たとえあまり質のよくない店だったとしても、店員たちはおそらく一人残らず、開けていた口を閉じていただろう。あるいはぽかんと開けているか。
一番近くにいた店員が、そういう顔になりそうなのを職業意識でおさえつけながら、近づいてきた。しかし、ぱっちり開いた目に、『なんてかっこいい人だろう』という感嘆が、溢れている。
なんだかよくまわらなくなった口で、
「なにかお探しでしょうか?」
「あの、一番左端のピアスを、見せてもらえますか」
そう言って微笑した、白い端整な美貌に、正直見惚れない女は、この世にそうはいないだろう。本人は、その手の表現で賛美されるのを、嫌うけれども。
相手が緊張しながらガラスケースの中に手を突っ込んでいるのを大人しく眺めながら、
クリスマスに、男が男にプレゼントは、あまりしないと思う。普通男女のカップル、家族、それから女の子同士だ。
…気色悪いと思われるだろうか。
特に、深い意味があるわけではない。彼の他には、あまり見える者のいない影に、ちょいと贈り物を、と季節柄ロマンチックに思ってみただけだ。
深刻な顔で、こういうものは受け取れないと呟いたり、強ばった顔で苦笑したりしないで、シャレで受け取ってくれるといいんだが。
そうやっている相手を想像して笑いそうになったところに、こちらでございますかと言って髪の短い店員はそれを差し出された。
足を止める。
何かに似ていると思った。だから足が止まったのだが、止まった瞬間には何に似ているのか気付いていた。
「おい、どうした」
「先に行っててくれ」
一緒にいた集団に言って、それに近づく。
瑪瑙か?瑠璃か?トルコ石?なんだかわからない。キラキラと光沢のある、美しい碧色をしている。
心の中でうなずくと、店に入る。目の前でむちうちになりそうな角度で自分を見上げている、髪の短い店員に、
「これを見せてくれ」
「かしこまりました」
呪文のようにぎこちなく言って、店員は大急ぎでガラスケースを開けた。
「こちらでよろしいですか」
「ん」
つまみあげ、光にすかし、掌の上で転がし重さを確かめる。彼に選んでもらえたのを嬉しがっているように、きらりと緑色の光を返した。
目で、輪の直径を測る。細すぎる。当たり前だ。
「空条くん、ごめん、明日のことなんだけど」
先に行っていようとした一行の中から里絵が一人戻って来て、店に入って来て声をかけた。あまり着飾ることに金をかけない、どちらかというと地味なタイプの女だが、几帳面で根気強い性格なので、彼は里絵の収集したデータを誰のものより信用していた。
その手をちらと見て、掴む。
「えっ」
リスみたいな黒目の比率の大きな目が、眼鏡の奥で仰天している。その里絵の指をつくづくと眺める。それから、
「中指…いや、親指か?三園」
「はい」
「指を貸せ。こいつの親指にはまるのは何号だ」
店員に、里絵の指をつきつける。店員はオーの字の口になっていたが、おずおずと、
「お客様、親指にはその指輪はちょっと…」
「実際にこいつが親指にはめる訳じゃない。単に大きさだけ見て、合いそうなのを見せてくれ」
「…あ、はい」
店員はサンプル用の指輪をつまみだして、里絵の親指にはめた。はまらない。
その上の号数でなんとかはまった。
「きついか」
「ちょうどいい」
「じゃあそれをくれ」
「は…はい」
店員は里絵の顔を見ながら、よろしいでしょうか、と言った。里絵はうんうんとうなずき、次にぶんぶんと首を振って、
「あ、あ、あげるのは私じゃなくて別の人。その人の中指だか薬指だかが私の親指だっていう話で。私はその、サンプル帳」
おかしな発音になっている。店員ははあ、と呟いて、男に少々お待ち下さいと言い、包装に取り掛かった。
この人(私)がもんのすごく華奢な指というならともかく…女にしては随分太い指の人にあげるんだこと。
店員と里絵の頭の中は合致していた。しかし、男は別段何もコメントするつもりはないらしい。
「助かった」
男が言う。里絵は口を横にひっぱってにーと笑って、
「どういたしまして。でも、ぶっつけで指輪を買うのは、危険だと思うよ。それにいくらなんでも太くないかなあ?」
「緩かったら中指にする。万一きつかったら小指にする。どうしても駄目ならチェーンに通す」
「…とにかくインスピレーションがわいたんですな、この指輪見て」
「そうだ」
あっさり言うんだもんね。しかし、まずいよこの状況は。遠くから見たら、まるで私が空条くんに指輪を買ってもらってるみたいじゃないか。弓子や由梨の耳に入ったら私は殺されるよ。いや、今だって見てよ、外の連中ガラスに張り付いてこっちをじろじろ見ているじゃないの。あの集団が空条ファンクラブの連中にチクったら、私の命は風前のともしびだ…
ま、ほんのちょっとだけ、私も、夢をみたしな。いい夢みたぜ。ふっ。
「お待たせいたしました」
綺麗な小さな包みを受け取って、男は満足げにうなずくと、ちらと微笑した。
たとえ空条フリークでなくっても、この顔には魂を抜かれる。女なら誰でも。
どこぞへ行きそうな魂を慌てて捕まえながら、里絵は思った。店員の魂は既に抜けたらしく、ぼぇーっと見惚れている。
それにしても今日は一体なんだろう。かっこいい人がアクセサリーを買いに来る特異日なんだろうか。
それぞれのかっこよさでかっこいいけれども、と髪が短くかつ語彙が乏しい店員は『かっこいい』を連発しながら思った。
こんなかっこいいひとたちからクリスマスにプレゼントを貰うひとはどんなひとだろう。
足を止める。
ドアが開いている。一瞬、棒立ちになってから、慌てて中へ入った。
マヌケな泥棒かと思ったが、そう広くない玄関に、見覚えの有る靴があった。なんだと思いながら後ろ手にドアを閉める。それとほぼ同時に、承太郎の部屋の戸が開いた。
「よう」
「早いな。珍しいですね」
「今日はな」
言いながら、台所へ行って、手にしている万年筆の先を水道の下へ持って行く。つまらせたのだろうが、ズボラなことをする、と花京院は思った。
ちらとカレンダーを見る。24日はクリスマスイブであることに加え、金曜日だった。ハナキンという言葉があるが、花京院にも承太郎にもあまり縁のないものだった。
予定はどうなっているのだろう。その日一日会わない、なんてことになったら、無理にでも会って渡すしかないだろう。いいや、5分くらい体をあけてもらって、渡しに行こう。
「承太郎、」
「24日。5分でいい。あいてるか。なんだ?」
ぽかんと口を開け、相手の顔を見た。何だ、今のは。
「…ええと、その」
「いつまでも馬鹿面してんじゃねえ。俺の問いに答えるでも、お前の問いを先に言うでも、どっちでもいい。早くしろ」
花京院は無意識に、ポケットをさぐりかけ、意識してそれをやめた。
「…あいてます」
「そうか。研究室にいるんだな?」
「そうだね」
「わかった。ちょっと行く」
淡々と話を進め、進めきったところで、おもむろに、
「で、お前の問いは何だ」
「それがその…全く同じだったもので」
「何?」
「君の問いと」
瞬間、承太郎は花京院を見たまま顔を止めていたが、すぐに視線は外され、
「なら、いいな」
そっけなく言うと、ぶんぶんと万年筆を振り出した。慌てて駆け寄る。
「インクが飛び散る!」
「詰っててどうしようもねえんだ」
「僕がやるから、貸してくれ」
「そうか?」
ぽいと万年筆をあずけて、自分の部屋へ引き上げてしまう。全くもう、と聞こえるように文句を言いながら、
馬鹿だなあ。
何を、こんなに喜んでいるんだろう?と思った。
『ルパン三世』
闇の中を、黒い影が動いていく。まるで、闇に溶けて流れているようななめらかな動きで、全く無駄がなく、人間ではないように素早い。優雅でさえある。
影は、手摺や足場があるかのように壁を登ると、定期的に豪奢な館を照らし出すサーチライトを裂け、ひらりと屋敷の中に入った。
「キミ。ゼニガー君。本当に、来るのか、そのなんとかいう泥棒は」
これで何十回目だろう、と銭形は思ったが、そうは言わず、ごつい指でセブンスターをつまみだし、口に咥え、
「『なんとかいう泥棒』程度ならいざ知らず、相手がルパン三世であるなら、必ず来ます。ついでに私は、ゼニガタです」
うなるような声に、相手はなにか口篭って、落ち窪んだ目で銭形をちろちろ見た。
全く、ルパンだ銭形だと何回言ったら覚えるのだろうか。いや、覚える気がないのだろうと銭形は思い返した。この男は、実際、自分の大事な大事な巨大ルビーのこと以外、何の興味もないように見える。
銭形が絶対に着られないような上等の服も、靴も、魅力が全く感じられない。ただの成金にしか見えない。
「あれが盗まれたら、もう私はおしまいだ。破滅だ、本当に大丈夫なんだろうな」
(ルビーのしもべって感じだな、こうなると)
銭形は冷ややかに相手を一瞥すると、
「無論です。私だって驚きましたからな。私設であんなもんをつけとるとは」
「あんなもん?」
「あンなご大層な身分照会の装置が金庫の前についてるとは、ヤツだって知らないだろうってことですよ」
にやりと笑う。なんだか正義の味方側の表情に見えない笑顔だった。
相手はなんだか、夢遊病者みたいな顔でぼーっと銭形を見返していたが、やがてその顔のままぶつぶつとうめきだした。
「あ、ああ。…そう、そうだ。あの扉は、私にしか開けられない。そうだ。私でなければ開かない。私の指紋、掌紋、眼紋、大丈夫だ。声紋、盲腸の傷跡の形状、歯並び、それから…なんとかいう泥棒だろうが、軍隊だろうが、戦車だろうが開けられないのだ。大丈夫。ルビーは無事だ。大丈夫大丈夫」
その顔を、イヤそうに眺めてから、
「ですから、金庫から一番遠いこの部屋であなたを監視する方が、ルビーを守る早道だってわけですよ。あなたは不安がってそのへんをうろうろして、ヤツに後頭部を強打されて気絶したりしないでいただきたい。それがなによりの捜査協力です。わかりましたかな」
しかし相手は返事をせず、大丈夫大丈夫と呟き続け、小さい円を短い歩幅で描き続けている。
横目でそれを眺めながら、
まあ確かに、この成金の身体的な、ありとあらゆる情報を入手しなければ、あの金庫の前に聳えているブ厚い扉は開かない。事前に入手しておける量ではない。全ての情報を手に入れようとしたら、それこそこの男自身を引きずって行くしかないだろう。やつのことだ、もうすでに館内に忍び込んでいるかも知れないが、
「金庫を開けたかったら、この部屋に来るしかないぞ、ルパン」
低く呟いて再びニヤリと、妙にケモノじみた笑いを浮かべた。
すたん、と廊下の上に下り立つ。私邸の見張りがはっとする間もなく、ムチのようにしなり、また棍棒のように打撃力のある拳が、相手の声を封じ、意識を奪う。
ぐずぐずとくずおれた男の腕を掴んで、ゆっくりと床に這わせ、ふふんと微笑み、そのまま進む。
金庫室の前、一見すると銀色の壁みたいな扉の前に立ち、振り返り、
「さて、準備はいい?」
それに対し、
「はい」
答えた声の主は、前に出ると、ぱこんと小さな音をたてて、扉に張り付いた操作盤をオンにした。
『アンロックのための照会を開始します。指定位置にお立ち下さい』
緊張した様子で、一回喉をごくりといわせると、床に描かれた十字のマークの上に立つ。
『お名前と本年の年齢をどうぞ』
息を吸い込み、とめて、開くのを、隣りにたった男は、黙って見守っている。
ちょっと震えているが、よく通るきっぱりした声が響き渡った。
「マリー・ヴールジェ。16歳」
ぴー、と音がして、第一レベルクリア、とデジタルな声があっさり続いた。
うう、とうめきだした声に銭形は不振げに顔を向けた。胸を押さえて膝をついている。
「どうしたんです」
「いや、…なんでもない。…この頃、胸が苦しくて…」
ぜえぜえと息をしている。確かに、病人みたいな顔色だし、肌はかさかさで枯れ葉みたいだ。
署で見せられたこの男の資料と比べると、随分と人相が違う、と疑問に思いながら、
「あんた、もういいですから、そこで横になってなさい」
いつのまにか『あなた』が『あんた』になっている。
よろよろと起き上がった相手をやれやれという顔で見ながら、
「明日の朝になったら一度はあんたにあの扉を開けてもらわなきゃならない。大丈夫なんですか、そんな様子で」
「…大丈夫だ。…万一無理なら、娘にやらせて、私は…後ろで座って見ているから」
その言葉に銭形は飛び上がった。
「娘?」
「私と、…あとは娘も、開けることができる。…言ってなかったかな」
銭形は絶叫した。
「聞いていない!おい、あんたの娘はどこだ!」
「部屋だろう。…娘が、私を裏切ることは…あり得ない。心配しなくても…」
「何故そう言い切れるんだ」
顔が縦に伸びたような形相で怒鳴る銭形の顔を苦しげに、怪訝そうに睨み返して、
「娘は私を愛しているからだ」
「うひゃあ。これはでっかい。きれいなもんだな」
照明の光に燃えるようなルビーをかざし、嬉しそうに笑ってから、傍らの娘に、
「本当にいいのかい。これ持ってッちまって」
「ええ」
きっぱり言い切って、男をまっすぐ見返す。輝くような金髪は、どちらかというと北欧系のようだ。早死にしたっていうおかあさんはあっちの人なのかな、と男は思った。ほっそりした体を、シンプルなブラウスとスカートに包んでいて、修道院帰りみたいに見える。
色が白く、瞳は悲しいくらい綺麗なスミレ色をしている。実際、この巨大なルビーより、魅力的な宝石だ。
あまりおとうさんには似てないな。似てなくてよかったね。
今度は余計な感想を胸で呟き、
「君が手引きしたって知ったら、君のおとうさんは怒るなんてもんじゃないだろ?」
「そうでしょうね。でもいいんです」
「ほんとに?」
こくん、と頷いて、ちょっとあってから、
「そのルビーを手に入れてから、父は人が変わってしまいました。ルビーのことしか考えなくなった。食事もとらないし眠らないし、私の言うことにも耳を貸さない」
きれいな瞳に、うっすらと涙が浮かんで、紫の宝石はゆらゆらとたゆたった。
「私の知っている父ではなくなってしまった」
涙がこぼれおちる前に手でぬぐい、
「それは呪いのルビーです。父は手放した方がいいんです。持っていって下さい」
そこまできっぱり言って、もう一度涙をぬぐった。
男は紅くなった二つの瞳を眺め、それから紅い宝石を眺めて、
「呪いのルビーか。ま、そういった力を持った石ってのは、あるけどな。これもそうなのかもな」
「でも、あなたは大丈夫でしょう?」
真っ直ぐ見つめられて、男は目をぱちくりさせた。
「ルビーの呪いは、父みたいな惨めで苦しい半生の後で、やっとあの石を手にした人間にしか、効かないわ」
その言い方は、父親を貶めているようにも、誇っているようにも聞こえて、男は複雑な笑みを見せると、
「それじゃま、呪いのきかない人生を送ってる俺が、もらってくね」
ウィンクを投げた。
ゆりあさまがくださったお題「妙齢の美人」でございました。
一言コメント。
ゲッターロボは山咲さんの話を書きかけましたがやめた。今書いてる連載が妙齢の美人(?)だし。
ジャイアントロボ。最初は電撃のローザでやろうと思ったんですが。妙齢かどうか微妙ばりばりばり(後ろから電撃が)この子について実は随分前からいろいろ、考えています。前と後がだらだらとある。で、いずれ本編で書いてみたいです。SSの意味がねえ〜!
ジョジョ。捏造大学時代。二人は共同生活をしているんだけど、お互い忙しくて全然顔を見ていないのでありました。部屋の間取りまで考えたわ(笑)このあと承太郎は一人でアメリカに勉強に行ってしまうの。ってどんどん語ってるし。第一、お題から遠いよ。まあ一応キーパーソンてことで許して。なんか今回の話は、友情とアレの境スレスレって感じがして汗をかきました。そんなつもりはないんですが。
ルパン。『ゼロ』て漫画に、呪いのムアッジンルビーの話が載っていたな。書いてから思い出した。
妙齢の美人っていうよりは生意気小娘大アバレ、みたいな話ばかりになった。小池栄子みたいなダイナマイツを出そう!と思ってたのに。そのうち改めて考えてみます。お粗末さまでした。
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