うっそうと繁る、人間の立ち入りを拒む緑の檻が、延々と続いている。
今はカノンが先頭をつとめ、道とも呼べない道を進んでゆく。いつ、敵と出くわさないとも限らないので、あまり派手に枝葉を払うわけにもいかない。カノンの体に押しのけられて撓んだ枝が、少し後ろにいたリルカをやや強く打った。
「きゃ」
「済まん。大丈夫か」
反射的に謝ったカノンに、慌てて手を振って、
「平気。びっくりしただけ」
そう言った途端、後ろのティムが転んだ。泥だらけになりながらこっちも慌てて立とうとして、また転ぶ。ティム、落ち着くのダ、というプーカの声援が虚しい。
「ちょっと、ティム、あんまり騒がないでよ」
「すみません」
謝りながらも、大分疲労しているのが顔に表れている。決して自分からは疲れたと言わない少年の、泥で汚れた頬と濁ってきた目を注視してから、
「もう少し行くと、辺りを見晴らせる崖の上に出る筈だ。そこで少し休もう」
「あ、それ覚えてる。何とか降りられるって感じの道が彫ってあるんだよね。ティム、一人で降りられる?」
疑わしげな問いに、憤然と顔を上げて、
「大丈夫ですよ!」
「そおお?そんなヘロヘロで?」
「大丈夫ですってば。少し休めばすぐに、」
「悪いが」
カノンの声に込められた緊迫感が、休憩前のせいか少し軽くなった二人の口を、ぴしゃりと閉じた。
「休んでいる暇はなさそうだ」
二人はそれぞれ左右から回りこんで、カノンの前方を覗き込んだ。ちょうど今、話に出ていた『辺りを見晴らせる崖の上』に出たというところだ。ここからだと右手の方、昔何かに使われていたという施設の方で、何かが動いているのが見える。
「何でしょう?やたら…大きな…」
「やだ。別に、疑ってた訳じゃないけど、本とにこんなとこで何かしてる奴がいるんだ。って、どうせあいつらしかいないよね、こんなとこでごそごそやってるのなんて」
緊張と不安で、片方は口数が減り、もう片方は増える。
片方しかない目を細めて、得体の知れない何ものかの動向を窺っていたが、やがてマントを翻し、崖っぷちに近づいていきながら、低く呟いた。
「あの建物の床下にでも、未探査の土産でもあったか」
二人は顔を見合わせ、
「…知ってる?あれ」
「何でしょうね」
互いに首を振り、
「カノンは知ってるの?」
「昔、スレイハイム軍の器材置場になっていたらしい。えらく遠い倉庫だが、なにせ緑の檻とモンスターに守られているからな。セキュリティは万全といったところだろう」
ティムのことをからかったリルカにしても、元気のストックは大分減っている。ふらふら足を踏み出したら下まで落ちそうだ。注意しながら崖を伝ってゆく。
「そりゃ、茂みを縫ってモンスターとやりあってまでちょっとよさげなアームなんて欲しくもないけどさ…それにしたってスレイハイムからは遠すぎるよ。帰りはどうするの」
「ふねに…乗って、行くんじゃ…ないんですか。僕たちみたいに」
今ようやく下まで降りたティムがそう言いながら、必死で駆けてきた。リルカも負けじと早足になりながら、
「ふねぇ?ここまではるばる来て弾込めしてアーム抱えて、で船乗ってスレイハイムまで帰るの?なんか…違うよ」
「それには答えられる」
言いざま、カノンが二人の体を抱きとめ、ざっと大木の陰にうずくまった。弾む息を飲み込んだ時、目の前を軍靴が行きすぎた。ゲート側の見張りにいくらしく、オデッサの制服を着た男は、三人に気づかず行ってしまった。
腕の中の二人を下ろしてやりながら、
「ここにあるのが、『帰ってゆく行為』だけで、その軌跡上のものに対して脅威となれるのであれば、それで十分だ」
「どういう意味」
顎でしゃくる。そっと覗いて、今度こそリルカは声を上げそうになった。
さっきから、耳にしていた音は、今見ているものがたてているエンジン音なのだ。何故気づかなかったのだろう?鈍色をした、古めかしい戦車は、バルキサスとまではいかないが、十分すぎるほど巨大だった。灰色の建築物の半地下の格納庫から今さっき出てきたらしい。
もっとよく見ようと身を乗り出したリルカの目に、今建物の中から出てきて、戦車の方へ向かうひとりの女が映った。
「調子はどう?数年、火が入ってなかったようだけど、ちゃんと動くの?」
冷ややかで、威厳があり、媚などかけらもないのに、なお強烈に色気のある声。聞き覚えがある。目に眩しい、長く流れる豪奢な黄金の髪、抜けるように白い肌、表情のない、いや表情を殺した緑の目。
「あの女…」
「…コキュートスの」
少女と少年は、ひびわれたくちびるで、ひびわれた声で呟いた。
あの時、
あそこで、
我々を冷たい冷たいまなざしで見ていた女。
あの女は今も、あの時と同じ、冷たい冷たい目で戦車を見遣り、部下に命じ、したくもないけどといった様子で、戦車に乗り込んでゆくのに…
あのひとがもういないのに。
何故、あの女はああしているのだ?
おかしい。不条理だ。
「え?…そう。いいわ、このままグリーン・ヘルを出ましょう。その先の入り江から海へ出ればいいから」
「海へ出る…水陸両用なのか、あの図体で…なんだと?」
呟きの最後が焦燥に変わった。ひときわ大きくなったエンジン音を轟かせて、何という名なのか、戦車は進行方向を定めると、ゆっくりと進み始めた。じゃりじゃり、ばきばきと耳障りな音を立てて、岩も繁みも粉砕してゆく。
まだ呆然と、戦車を眺めている二人を、声で叱り飛ばす。
「おい!目を覚ませ!あれがどこへ向かっているのか、わからないのか?」
「えっ」
カノンの片目がひきつれた。
「森を出て入り江に向かうと言ったろう!まさに進路上に」
「セボック村!」
リルカが悲鳴を上げ、ティムがおろおろと続ける。
「メリルさん…ラッシュ…村のひとたち、それから」
ブラッドさんのお友達。
「あいつらが、わざわざ村を迂回してくれると思うのか?あんなちっぽけな村、そのへんの岩やなにかと同じに踏み潰されて終わりだ。急げ!なんとしても戦車より先に村について、皆を避難させなければ」
「ここじゃオーブも使えない。早く森を出ようよ」
三人は戦車と少し軸をずらして、懸命に森の中を駆けた。疲れた、などと言っていられる状況ではない。
勿論、全速力のカノンと、後の二人が同じスピードの訳がない。次第に遅れ始めるが、待ってはいられない。一度だけちらと振り向いた。リルカが先に行って、というように手を振ったのへ、懐のオーブを取り出して投げた。すばやくキャッチした彼女に、
「お前たちは森を出たら、すぐにそれでセボックへ行って、事情を説明していろ。お前たちから話した方が話が通じるだろう」
「わかった」
頷いて、自分は速度を上げた。
ざ、と音を立てて枝を蹴り、ジャンプして着地する。森を抜けた。そのまま、左にあるこんもりとした小山を回りこむと、村が見えてくる筈だ。
食虫植物が進化したようなモンスターがずるずると近づいてくるが、構っている暇はない。左手を飛ばすと、あっという間に半分に千切れて、地面にいやな臭いの液体を撒いた。後ろで、繁みががさがさいっている。リルカたちならともかく、スレイハイムの戦車だったら、と思った時、
「ほら、頑張れ、休むのは後だよ!」
「はいっ」
話し声に続いて、よろよろと子供たちが森を抜けてきた。カノンは振り返って、
「あと少しだ。急げ!」
声をかけ、走り出した。
「先に行って待ってるから!ティム、セボックへ飛ぶよ。イメージして」
「はい」
二人はぎゅっと目を閉じる。今は火急だ、テレポート用品は苦手などと言っている場合ではない。そして、失敗するわけにもいかない。ここで離島なんてところに飛んでいたら、村の人たちが戦車に踏み潰される。
ちゃんとセボックへ行かせて、お願い。お願いって誰に…そんなことどうでもいい。
あのひとが大好きな人たちを助けるんだから!
メリルと、ラッシュが、嬉しそうにこちらへ、リルカの後ろに立っている巨大な男のもとへ走ってくる姿を思い描いた時、足の下がすっと消えた。
目を開ける。いつも、村の入り口で暇そうに弾込めをしている男が、きょとんとした顔でこちらを見ている。
「あれ?あんたら、時々来る…どうして」
男の声は、二つの声に遮られた。片方はリルカの、
「おじさん、早く逃げないと!戦車が来て村がめちゃめちゃになるよ」
そして、リルカの声の後半から重なった、
「どうしたの、二人とも、その格好!」
横手の小屋から出てきた娘のものだった。二人は娘を見、それから自分たちを見た。確かに、あの人食いのような森をなりふり構わず突破してきたから、至る所大小さまざまな傷だらけだったし、髪も服も泥と樹液でまだらになって固まっている。
「ひどいわね…手当てしないと。何があったの?」
柔らかな栗色の髪と、春の空のような瞳をした娘の心配そうな声に、もどかしく首を振って、
「私たちはどうでもいいの!メリルさん、お願い、早く皆を避難させて!」
「避難?」
「オデッサが来るの、戦車で!でっかいやつなの!村なんか一発で跡形もなくなる!」
「えっ」
メリルの顔色が失せた。
「お願い、早く、逃げるように皆に行って!」
「戦車はグリーンヘルの方から来ます。逆のほうに、できるだけ早く!」
「は、はい」
弾込め男がおろおろと立ち上がった。
村は大騒ぎになった。身一つで飛び出して行く者はまだしも、たとえ逃げて無事でも、戻ってきた時には何一つ無くなっているだろうという予想に、意地汚くなる者もいて、さしてない荷物の取捨にまごついたりしている。
「そんなことやってる場合じゃないのに!頼むから早く逃げてよ!」
でもねえ、と言っている女に、もう一声何か怒鳴ろうとしたリルカの背に、
「まだ逃げてないのか?」
カノンの声が飛んだ。今着いたらしい。
「ごめん、あと少し。おばさん、自分が死んじゃったらなんにもならないんだよ!」
「そんなこといったってさ、じゃああたしの持ち物もあんたらが弁償してくれるのかい?村も建て直してくれるのかい?あんたたちの親玉は」
「きぃー!知らないよ!おばさん自分でアーヴィングさんに頼んでみな!顔もいいし気前もいいからおばさんの風呂敷の中身くらい何とかしてくれるんじゃないの?いいから早く逃げてよ!」
「風呂敷じゃないよ、鞄だよ。これだって本皮の立派なやつで」
「うるさーい!行けったら行け!」
顔中口にして怒鳴った時、
「リルカさん、すみません」
ティムの声がした。慌てて走っていく。メリルと、村長が、車椅子に座った男を左右から抱え上げながら家から出てきたところだった。そばで、ラッシュが前になり後になりしている。
空ろな表情、空ろな目。車椅子の男は、今自分が置かれている状況について、何も感じていないらしい。
ティムとリルカも手を貸したが、あまり大した力にはなれない。二人を下がらせて、カノンが手を入れて持ち上げた。すっと軽くなって、メリルと村長はよろめいた。
「あ、あの、有難うございます。あなたは?」
「あたしはカノンだ、あの子達と同じARMS。あとは村には誰もいないな?」
「はい、このお人で最後ですじゃ」
村長の言葉にメリルもうなずいて、それから、
「あの」
何か言いかけた。リルカと、ティムがびくりとする。その時、
遠くから、地響きと、キャタピラの禍々しい音が近づいてくるのが、全員にわかった。ラッシュが吠え出した。
「来た」
リルカはだっと駆け出して、村の入り口から戦車の方を窺った。そしてすぐに、
「大砲撃つ気だ!」
砲塔が少しずつ持ち上がって、次に村のほうへ水平に移動し始める。
カノンは素早く男の体を抱え上げた。
「逃げろ!」
皆脱兎のごとく走った。リルカが後ろを振り返った時、妙に甲高い音がした、次の瞬間。
大音響と、すさまじい衝撃に、吹っ飛ばされる。悲鳴が上がった。リルカは宙を飛んで、地面に叩き付けられた。息が止まる。
一番近くにいたらしいティムがよろよろ寄ってくる。
「リルカさん、しっかり」
「やだな…私、やられたの?手足ついてる?首、もげてない?」
「大丈夫みたいですけど」
「村から、少し外して撃ったらしいな」
カノンの声が上のほうから聞こえて顔を上げた。男を抱えたまま立って、戦車の方を見ている。まだ吹き荒れる爆風に、みどりの黒髪が激しく踊っている。
「え、なに?どういうこと?」
「要するに…逃げる気のある奴は、これで逃げろということなんだろう」
無用の殺生はしない、という訳か、お優しいことだ。踏み潰す建物の中に人間がいる状況は、ジュデッカなら大喜びだろうが。
戦車がふた筋の茶色い道をつくりながら、村の側まで来て、停まった。
乗り込み口が開いて、あの女が姿を現した。やや遠くまで逃げてこちらを見ている、荷物をかかえた一団と、駆ければ十数歩の距離にいる数人の男女を見比べる。
リルカと、ティムの真っ青な顔を眺め、すと目を細めた。
「また会ったわね。いつもながら、よく気がつくわ、私たちの動向に。どうやって知ったのかしら?」
そして薄く微笑む。カノンは女を見たまま、そっと男を地面に降ろし、すぐ後ろにいるメリルに、頼むと囁いた。女はすぐにカノンの動きを注視し、足元にうずくまる男に目を向けた。ふっと、女の眉間に訝しげな表情が差した。それを見た時、カノンは、何かに近づいたような気がした。だが、それがどういう意味なのかは、自分でもわからず、もどかしくて奥歯を噛んだ。
女の視線に怯えたのか、メリルが必死で男を庇ってずるずる引き摺りながら、遠ざかろうとした。村長も慌てて手を貸す。つまらなそうな表情になって、今度はカノンを見た。さっきからずっと自分を凝視している片目に、
「ジュデッカが使っている渡り鳥が、何故そこにいて…いえ、いいわ」
疲れたような息をついて、
「誰が、何を考えつこうが、私たちの計画とその実行には何の影響もないんですもの。誰が誰と、結びつこうとも…誰があなたたちに助力を申し出、共に戦うことになろうともね。そのことは、」
リルカとティムをかわるがわる眺め、哀れむように微笑し、
「あなたたちはよくわかっている筈ね。この前の、砂漠の工場で、あの男…」
そこまで言った時、リルカがだっと駆け出していた。
「やめろ、止まれ!リルカ!」
カノンが絶叫し、自分も駆け出す。リルカは走りながら、胸ポケットのクレストグラフを手繰り、指先で選び出すと、ずっと止めていた息に、念を込めた。
(メリルさんのまえであのひとのことを言わせる訳にはいかない)
これで倒せるとは思っていなかった。ただ、女の口を閉じさせたかった。
女は透きとおる、冷たく美しい水色の瞳で、リルカの懸命な行動を眺めていた。避けようとも、迎え撃とうともせず、黙って見ている。すぐ、側まで迫った時、朱の唇が小さく開いて、
「あの男が何も出来ず死んだことで、それを思い知った筈」
「フ、レ、イィィィィム」
相手の言葉を打ち消そうと、声の限りに絶叫した。だが、リルカのクレストグラフが声に応える前に、女の後ろに控えていた機銃隊が、無造作に銃を構えて、ろくに狙いもつけずに引き金を引いた。それは、狙う必要もないほど、リルカが銃口に囲まれているためだった。
とっさに、カノンがリルカの前に出て庇った。
ぎゃああん、ぎいぃん、というような、歯に沁みるような金属音が響き渡った。だが、彼女の生身の部分は勿論、血も神経も通っている。
「ぐうっ」
声を上げる。辺りに血しぶきが撒かれた。
「カノン!ヒー…フレイ…ああ、お願い、しっかり…ヒール!ヒー…」
「可哀想、ね。…でも」
涙を堪えながら必死でカノンを支え、回復魔法を叫ぶリルカの瞳に、そっとため息をついて、目を伏せた後、もう一度自分を眺める女の白い顔が映った。
「邪魔は、させないわ」
白い指が、そっと、二人を撃つ様に背後に命じた。丸く、黒い、意志のない銃口がずらりと並んで、リルカとカノンに向かって銃弾を吐き出そうとした。
メリルが、悲鳴が上げた。誰もが、それは二人の娘の危険に対してだと、思った。敵も、味方も。
しかし、そうではなかった。彼女は、どうしよう、どうしたらいいんだろう、と思いながら、自分の右側の髪が突然、ものすごい熱に炙られて舞い上がったのを感じ、そっちを見た。そしてそこに、石版を抱いて一心不乱に祈り続ける華奢な少年と、さっきまでは小犬ほどの―――初めて出会った時のラッシュくらいか―――大きさだった、奇妙な紫色の動物が、巨大な深紅の幻獣に変化した姿を見た。そして、
この場合やはり、彼女は悲鳴を上げた。
彼女の悲鳴も、おくればせながら彼女の悲鳴の本当の理由に気づいた人々の叫び声も凌駕して、プーカだった炎のガーディアンは高く遠く雄叫びを上げ、天空高く舞い上がると、大きく開けた嘴から紅蓮の炎を吐いた。炎は、リルカとカノンを越え、戦車とその前に立つオデッサたちに襲い掛かった。戦い慣れた兵とはいえ、ガーディアンの炎に平気でいられる訳はない。反射的に逃げ出す者、めくらめっぽう銃を乱射する者、大混乱に陥った。
「落ち着きなさい!」
女は自分も火傷を負いながら叫んだが、あまり効果は上がらなかった。ち、と舌打ちして、細い細いワイヤーを手繰り、ガーディアンと共鳴できる少年を打ち倒そうとした。
「アンテノーラ様、戦車が爆発します」
部下が絶叫する。あれだけの熱量の炎だ、当然と言えば当然かも知れない、と妙に白々と考えてから、
「総員退避」
そっけなく、やや投げやりな調子でそう叫ぶと、身を翻した。
「カノン…しっかりして…戦車が爆発するって…」
リルカの悲痛な声に、うっすらと目を開け、それから大きく目を見開き、
「わかった。…逃げるぞ」
しかし、どっと膝が落ちて地に付く。リルカが懸命に支えようとしているが、もう持たない。駄目だ。
歯をくいしばって、後ろの戦車をリルカがにらみ付けた時だった。
さあっと、真っ白く冷たい風が、リルカの頬を撫でた。
振り返ってティムを見る。彼の方の上には、今は純白の獣が浮かんでいた。たてがみも、爪も尻尾も全てが白の色をしている。瞳だけが、雪原にのぼる月のような蒼だ。雪のガーディアン、アルスレートは、大きく胸を膨らませ、続いて何もかも凍りつくほどの冷気と、真っ白な雪あらしを見舞った。
今にも臨界点を越えようとしていた、赤黒く熔けかけた戦車はたちまちのうちに冷やされ、金属が悲鳴を上げる。オイルも燃料もねっとりと固体化して、機能を失ってゆく。火のついた服を脱ぎ捨てていた兵たちは、今度は寒さのために絶叫した。
冷気と雪は、来た時と同じく、唐突に去った。
ふぅっと、紫の小さな生き物に戻ったプーカは、すぐに小さな主にむかって叫んだ。
「ティム!しっかりするのダ!」
その声に応えることなく、全ての力を使い果たした幼いゾア・プリーストは、糸を切られた人形のように、膝から崩れ落ち、地に倒れた。メリルが慌てて助け起こすのが、遠目にもわかった。
「ティム…がんばったね。助かったよ」
リルカは涙ぐみながら、まだ残っている魔法力の全てを、回復魔法に変換し、カノンに使った。
今度こそ、しっかりと目を開き、自分を見つめているリルカの顔に向き直り、それから何か寒い、と思った。だが体のあちこちには灼熱感も残っていて、なんだかおかしい。生身の部分と機械の部分がうまくかみあっていない感じだ。
「…やつらは?」
「もう使い物にならないもん、戦車も武器も。…皆バラバラに逃げてったよ。あの女ももういない。…」
「なにがあった…といっても、あれしかないだろうな」
呟いて、自分も、さっきまでリルカが見守っていた方向へ顔を向ける。ティムは完全に気を失っているらしく、メリルとプーカと村長が騒いでいる声だけが聞こえる。
あいつも、段々立派な戦士になってきたな。…
胸の中で呟いて、ふと目を戻すと、リルカが涙を流したまま、自分を見つめていた。
「どうした?どこか撃たれたのか?」
以前も、自分の傷をおしてカノンを治療したことを思い出し、少し慌てて尋ねた。首を振り、もう一度振って、
「ごめん。私のせい。止められたのに、無茶につっこんだから…」
あとは声にならず、うつむいて泣き声を堪え、涙だけ流している。
そっと、姿勢を変えてみる。機能しない部分があってぶっ倒れるということはなさそうだ。自分の体を支えていた右手をそっと持ち上げ、震えている肩にぽんと置く。
「お前がああした理由はわかる。気にするな」
それだけ言って、そのまま暫く肩をゆっくりと叩いてやる。ずいぶん経ってから、こくりと一回頷いて、涙を拭くと、顔をあげ、
「私が無茶して、カノンに怪我までさせたのに、…でも無駄だったかな。聞こえちゃったかな、あの女の言葉。メリルさんに」
「それも、気にするな。…といっても、気にしないではいられないだろうが」
ふっと息をついて、
「あの男にかかわった者全てが、それぞれのかかわり方に応じて、背負っていかなければならないのだ。…お前一人で、何もかも背負おうとしても、」
無駄だと言い掛け、すんでのところで、
「無理だ」
言葉を変えた。それから、奥歯をかみしめて、そろそろと膝に力を入れる。リルカは慌てて手を貸し、一緒にゆっくりと立ち上がった。
「平気?どこか、」
「どこも、平気だ」
相手の言葉を並び替えて保障してやる。思ったより、体の損害は少ないようだ。しかし、やはりゆっくりゆっくり、歩を進め、ティムたちの方へ近づいていった。
「誰も怪我はないか?」
「はい、皆さんのお陰です。でも、ティム君が目を開けないの」
メリルが泣き出しそうな声で答える。
「どれ」
カノンはそっと、メリルと反対側に膝をつき、脈をとり、心臓の鼓動と呼吸を確かめた。やや乱れていて頼りない。プーカを見上げ、
「体力と精神力の全てを、お前の共鳴のために使いきった、と思っていいのか?」
「いいのダ。今までこんなに極端な使い方をしたことがないのダ」
「だろうな。あんな短期間に、あれだけ強大な力を持つガーディアンを二体続けて呼ぶのは、かなりの負担だったろう」
メリルが怯えた表情、リルカが眉をひそめた顔で、
「大丈夫…」
「なの?」
うなずいて、
「早いところ、ヴァレリアシャトーで治療し、ゆっくり休ませてやろう」
「うん」
カノンはざっとあたりを見渡したが、最初に撃った威嚇射撃で、村の北端の馬小屋の壁が崩れたくらいで、大した損害はないようだ。
「入り口でくたばってる鉄クズは、あとでヴァレリアと相談して処分しに来る。とりあえずティムを連れて、一度戻る。いいな?」
「はい。本当に、本当にありがとうございました。リルカさんも」
「ううん、…皆無事でよかった…」
語尾が頼りなくなる。しかし、続けて、尋ねる勇気は起こらない。
―――メリルさん、あの女が言ったこと、聞こえた?
どうしよう、と思いながら、カノンがティムを抱え上げるのに手を貸す。カノンは、一同から少し離れた場所で、何事もなかったかのように、自分の前の空間を見ているとも見ていないともつかない表情の男を、数秒見てから、
「じゃ、リルカ、行くぞ」
「うん。じ…じゃあね、メリルさん、村長さん、皆」
皆が半分呆然としたまま、感謝の言葉を投げてくる中、リルカはちらっとメリルの顔を見た。その表情を読み取れないまま、二人はテレポートした。

ティムはすぐさま医務室に運ばれ、強心剤を打たれ、点滴を打たれた。ガラス瓶の側にプーカが浮かんで、心配そうに見守っている。
トニーとスコットも親友が気絶状態で帰ってきたというので、大急ぎでかけつけてきた。目をかたくとじ、青白い顔で眠り続けているティムの様子に、かなり動揺した二人に、
「心配はいらん。怪我しとる訳でもないし、変な病気になっとるわけでもない。言ってみれば『死にそうなくらい疲れておる』というだけのことじゃ」
「なんだか、あんまり説得力のない保障だな」
「あの言葉で安心しろというのは、難しいものがありますね」
少年らが首をかしげ、マリアベルががあがあ怒り出した。リルカは肩をすくめ、そっと部屋を出た。
廊下で待っていたアシュレーが、寄ってくる。三人が出立する前よりは、落ち着いたらしい。
「ティムは大丈夫なのか?」
「うん。うんと疲れちゃったんだって。無理もないよ、続けざまにムア・ガルトとアルスレート呼んでたもん。…私のせいなんだ」
声と肩を落としたリルカに、強い声で、
「事情は聞いたよ。リルカのせいじゃない。オデッサと、三人で戦ってきてくれた、それだけのことだ」
「うん…」
それでもまだ力なくうつむいている彼女に、少しおどけた調子で、
「そんなことを言ったら、二日酔いで残ってた僕はどうすればいいんだ?皆が怪我して、頑張って戦ってる間、うーアタマいたいとか言いながら寝てた僕はさ」
やっと、くすりと笑った彼女に、アシュレーはほっとする。
「とにかく、リルカも少し休めよ。僕は充分休んだから」
まだ酒臭い息でそう言われて、いやいいよ、と言う気になれず、うなずいて、そこを離れた。
自分の部屋に戻る途中、上からのエレベータが止まって、カノンが下りて来た。
「ティムはどうだ?」
「まだ眠ってるみたい」
「そうか。まあ、ゆっくり休めば回復するだろう。鉄クズの処分は、今まで休んでいた分アシュレーに動いて貰う」
「そうだね」
頼りなく笑って、黙り、しかし行ってしまわないでそこに立っているリルカに、
「まだ悔やんでいるのか?お前らしくないな」
ううん、と首を振り、
「メリルさん…」
「あの娘か?何も聞いていなかったのではないのか。特に、そのことでショックを受けている様子でもなかったぞ」
リルカのために、そう推察してやる。
しかし、リルカはゆっくり首をかしげ、
「メリルさん、結局ね、私たちがあそこについて、帰るまで、
一度も、あのひとのことを聞かなかったの。…なんでいないのかって…今どこにいるからここにいないのかって」
カノンは口をつぐんだ。
「だから、気がついたんだなんては、言わないけど…」
何を言ってやればいいのか、カノンが探し出す前に、リルカは慌てて首を振って、
「ごめん!ごめん、ごめん。私なに言ってんだろ。忘れて。こんなこと言っても」
なんにもならないのに。
しかし、そう言ってしまうのはあまりに辛く、リルカはもう後ろを見ないで、どこかへ駆け去った。
そして、カノンは、何も言わないまま、相手の背を見送るしかなかった。

それから数日後、一同は、クアトリーの南の砂漠にある、百眼の棺という古代の遺跡に向かうよう、アーヴィングから命じられた。

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