大聖堂に入って、エルシドの一団が再び感動のどよめきを上げ、すでに着席していたバウンドキングダムの人間をちょっと驚かせたが、田舎の人々が目という目に感激、と貼り付けて辺りを見渡して手を取合い、息を弾ませているのを見れば、多少の優越感と好感を持って迎えることも出来るというものだ。世話役のメイド長によって、手際よく一向は右側の座席へ誘導され、着席した。
ガイとアーティは固辞したが、結局は、それでは我らの気がおさまらず式に滞りが生じます、という哀願に似た勧誘により、前の方の席に座らせられた。
「お二人には最上の席をと、隊長に言い付かっておりますゆえ」
やれやれと言いながら移動してゆくと、
「あら、ガイ」
「アーティさん、こっち」
すでに着席していたジェシィとヒルダが、小さく手を振った。
「なんだお前ら、ちゃっかりこんなところに」
「私たちだって結構ですって言ったのよ。でも無理矢理座らせられたの」
「こんなところでもみあって、式が台無しになっちゃ、ティアとハイデッカさんに悪いじゃない」
「まあ、お前ら二人がそれぞれ暴れれば、祭壇のひとつやふたつ軽く」
「ガイ?」
咳払いして、なんでもない、と呟いた。
「こんにちは、ジェシィさん、ヒルダさん」
アーティが低く言って、軽く会釈した。
「こんにちはアーティ様。いよいよですね」
「ええ」
「あら、ミルカは?」
「後ろの方で、エルシドの子供たちと一緒に座っています」
「そうなんですか。…あの子も、すっかり打ち解けたのね」
「そうね、最初の頃はずうっとアーティ様のマントにしがみついていたのにね」
女たちが、可笑しそうに、また嬉しそうに笑う。
「エルフも、人間もねえってことだな」
ずっと前、アーティが口にした言葉を、もう一度ガイが言った。

王族の一団が、聖歌隊の合唱に迎えられて、貴賓席に姿を現した。
さすがに威風堂々としていて、今度はエルシドの連中も歓声を上げるという訳にはいかず、バウンドキングダムの人間に習って、へっぴり腰で頭を下げた。目だけは、必死で上げているので、そこの一行だけ深海魚の群れのようだった。
「あ、さっきの子だ」
誰か子供が叫んだ声が、いかずちのような威力でもって辺りに反響する。王の後ろに肩をいからせて歩を進めていたアレクは、ぎょっとして、思わず王を見上げそうになったが、なんとか堪えて更に胸を張った。だが、それでは終わらなかった。
「あ、ほんとだー」
「え、どこ」
「ほらあそこ。王様の後ろにくっついてる子」
「あんな襟だっけ」
つぶやいたミルカに、更にでかい声で、
「そうだよう。さっきあの子がひっくり返った時、ミルカが助け起こしてあげてたじゃん。見たでしょう」
いかずちは響き渡り続け、さすがにエルシドの大人たちは自分たちも一緒にはしゃぐことはせず、静かにしなさい、とあまり権威のない制止を、ふらふらやっている。
王はちょっと黙ってから、ちらとアレクを見た。お付きの連中は青ざめているが、王妃はくすくす笑っている。
「なにかあったのか、アレク」
「はい、先程多少…」
「ふむ」
それきり王は、叱ることも更に尋ねることもせず、うなずいて顔を戻した。
アレクは真っ赤になって突っ立っている。他にどうしようがあろう。ぐっと奥歯を噛んで、堪える。そちらを見たら、更になにか声が飛んでくると思いながらも、どうしてもエルシドの子供たちの方を見てしまう。
ミルカが、ちょっと首を傾げて、自分を見ているのとぶつかった。

大僧正が、ゆっくりと姿を現し、祭壇の上へ立ち、一同を祝福するために手を掲げた。
式が始まることを示す所作だ。

扉の前に立ち、深く息を吸い、止め、そして胸を張った。
「隊長、入場です」
脇に立った部下に促され、うなずく。部下二人は彼の左右で顔を見合わせ、うなずき合い、扉を左右から開いた。中で奏でられているパイプオルガンの讃美歌が、ハイデッカを迎えた。
ゆっくりと歩を踏み出す。
左右に分かれた、自分とティアの結婚を祝うために集まった人々の真ん中を、ハイデッカはひとり、ゆっくりと歩き続けた。そして、祭壇の前まで来て、後ろへ向き直った。
「わあー」
子供の、ため息と歓声のごちゃまぜになったような声が、一同の感想を代弁していた。
185を越す上背、逞しく堂々とした体躯を、漆黒の衛兵隊服に包んでいる。黄金の獅子の縫い取りが、他の兵より大きいことと、肩章の形が違うのは、彼が隊長であることを示していた。そのどちらにも負けないだけの威圧感と重厚感が、全身からたちのぼっている。日に焼けた精悍な顔立ち、ひきしまった口元、深く力強い緑の瞳。実際、男でも女でも、今このハイデッカに見惚れない人間は、いないだろう。
「いや、エルフでもだな」
「はい?」
「うん。磨けばなかなか、見られる野郎だったんだと思ってよ」
「そうですね。大変、魅力的です」
いつもはハイデッカを馬鹿にして笑っているバウンドキングダムの女たちも、今日ばかりは勝手が違うらしく、顔を上気させて口をもぐもぐさせている。
視界の中に、見知った顔が並んでいる。ずっと昔から知り合いの顔もあれば、つい最近ティアを通じて知り合った顔もある。虚空島戦で、死線を共にくぐった男もいれば、わずかに時空をずらして共に戦った男もいる。それらどの顔にも、一人ずつ、言葉をかけたいと思ったが、
それは後にしよう。その前に、あの娘を迎えなければならないから。
讃美歌がいったん終わり、別の曲にうつる。
自分が入ってきた入口が再び開いた。
自分を見ていた全ての人間の目が、自分と同じように、入口に立った娘を見た。

純白の花。
あるいは、雪でつくった花。
その心のように清廉な空色の髪を結い上げ、その心のように白いドレスと、白いヴェールに包まれ、プリフィアのブーケを持ち、立っている娘は、まさしく彼女自身が一輪の花のようだった。
彼女の後ろには、フレアがいて、涙を拭きながらそっと肩に触れ、
「さあ、ハイデッカさんのところへ行くのよ、ティア」
「ええ。…ありがとう、フレア」
本来ならば、ここには彼女の父か、母がいて、ハイデッカの手へ彼女を届ける筈だ。しかし、そのどちらも彼女にはいない。ティアはひとりで、自分の足で、ハイデッカに向かって歩き出した。
近づいてくる。
あの娘が。
あのひとが。
自分に向かって。
ハイデッカの緑の瞳が、興奮と感慨で強く強く輝き、ひきしめられた口元と、純白の手袋をぎゅっと握り締めた手が震えている。
ティアの、柔らかい、心和ませる優しい茶色の瞳が、ただひたすらハイデッカを映して、今、あふれてきそうになった涙を、懸命に堪えた。
目の前まで来て、足を止める。
沢山の人々の前で、ハイデッカとティアは、互いの目の前にあって、互いを見つめた。
なんと、可憐で、清楚で、いや。かつて考えたどんな誉め言葉も、今ここで俺を見上げている娘の、美しさの前では意味がない。
このひとが私を変えてくれた。こんな私を、ただ暗く湿った所にある椅子に座って、思い出を繰り返し数えているだけの私を、太陽の光の下へ連れ出してくれた。いや、この人自身が太陽だ、
私にとっては。
ぽろり、と涙がティアの瞳からこぼれ、ちょうど手を上げて、ティアの頬に触れようとしていたハイデッカの手ではじけた。ハイデッカの手は、ティアの頬に触れ、包み込み、そっとそっと仰向かせ、そしてハイデッカは、自分の心を留めておけなくなったのか、一度苦しそうに眉をしかめ、目を閉じ、それから無理矢理目を開き、ふるえるくちびるをなんとか笑みのかたちにして、
「愛している」
低く、深く、言った。
そして、ハイデッカは身をかがめ、顔を傾けて、ティアの唇に、くちづけをした。
長いながい時のあと、唇を離したハイデッカの胸に、ティアは涙を流しながら、そっと顔を伏せた。その細い肩を両手でつつんで、ハイデッカは微笑んだ。
式次第を、まるきり無視して、やることをやってしまった二人だったが、どこからも文句や野次はなかった。皆、うっとりと、あるいは感動に胸を濡らし、うんうんとうなずき、二人の姿を見つめていた。
やや手持ち無沙汰な大僧正が、苦笑しながら、二人がすることをしてしまうのを、黙って待っている。

式が終わり、皆が外で待っている。そこへ、ハイデッカとティアが、照れくさい顔で、姿を現した。
「おめでとう、ハイデッカ隊長!」
「ハイデッカのにいちゃん、ティアねえちゃん、おめでとう!」
「ティア、綺麗よ!よかったわねえ」
「こっち向いて、こっち」
皆が口々に叫び、手にした紙ふぶきや、紙テープや、七色の穀物や、ありとあらゆるものを祝福とともに投げた。
きゃ、と小さく叫んだティアをすばやく庇って、抱き上げる。
「きゃあ、ハイデッカさん、やるぅ」
「いいぞう」
ハイデッカは大声で笑って、叫んだ。
「俺とティアは結婚したぞ!ティア、君は俺のものだ。俺の全ては君のものだぞ!」
女たちの歓声が響き渡った。
ティアは真っ赤になったが、ぐっと飲みこむと、
「そうよ、ハイデッカ」
叫び返し、やはり恥ずかしくて、顔を伏せた。そんな相手を愛しそうに抱えて、じっとしていられないのか、走り出した。皆げらげら笑いながらついていく。
ミルカも、歓声を上げて他の子達と一緒に走ってゆく。その姿を、微笑んで見送ったアーティは、人々の先頭で力一杯愛を叫んでいる男に、視線を移した。
人の一生は、エルフより遥かに短い。…
そのことを、幾度目かに思った。
わたしが、椅子に座って、ひとしきりなにかを考えて顔を上げた時、その時あの二人は、あんなふうには走ってみせてはくれなくなっているだろう。
ミルカも、すぐに気づくだろう、皆と一緒にいつまでも走っていたいと思っても、今はあんなに仲のいい友達が、あるいは自分に淡い淡い恋心を寄せてくれる男の子たちが、ふと見ると大人になり、そして自分と同じような娘を持つのだ、そうなるまでは露の去る間にも等しい、我々にとっては。
それでも、とアーティは、ふらつくことなく、拳をつくるでなく、微笑みの端で、おのれを押し留めた。
わたしは、あのひとたちに出会えて良かった。たとえ時の女神が、忘却という優しい手で彼女の苦痛を拭い、同時にわたしを時の河の中州に置き去り、目の前を彼らが舟でゆるやかに過ぎて行くのを見送るしかないのだとしても。河を止める魔法が、わたしにとって呪禁の術であって、決して手に入らない、それこそいにしえの洞窟の奥底にあるという宝石に等しいとしても。
この苦痛も、わたしにとって、眠たい停滞の奥に閃き渡る宝玉の輝きだ。
辛いということを、
アーティは目をとじかけ、やめて、尚もはしゃぎまわる人々へ向けた。
わたしは知らなかった。カレンの死も、エスエリクトの崩壊も、本当の意味でわたしを苦しめることはなかった。所詮、ものの形が変わっただけのこと、と思っていたし、それがエルフにとってはごく自然なことだったから。
この一枚絵が、瞬く間に失われてゆくと思うだけで、わたしは身を切られるようにつらいと思う。
こんなにもつらく、同時に温かい思いを。
凍てついた大地に、プリフィアの花を芽吹かせるような、あふれる涙のように温かい思いを、
わたしの胸に落としてくれた、
彼らは。
それから、ようやく目を閉じた。柔らかい光が透ける瞼の裏に、アーティは戦友の顔を描いていた。あなたに会えた時から、わたしには眩すぎるランプが灯った。胸の中に。
走り続けはしゃぎ続ける男が、自分のすぐ側をかすめていったのを笑いながら見送り、全くハイデッカさんたら、ねえ、と言いながら、後ろにいる恋人の顔を見て、
そしてジェシィは愕然とした。
見てるか、マキシム。お前が多分、何番目かに心残りだったろうあの長い髪と健気な魂を持つ娘は、今日、あの馬鹿野郎のものになった。
お前がいたら。
いや、お前がいても。―――
結局は、考えるだけ無駄だし、あいつらが幸せになることに、これっぽっちも違いはない。
それにしても、なんていい天気なんだろう。お前が晴らせたのか?
今は、天にいるお前が。
いつか、俺がお前をなくした苦痛を、苦痛だと表現できる日が来ても―――
それでも、俺のこの、胸の空洞は決して埋まらないだろう。言うまい。決して言わないし、おもてには出すまい。あそこでああやって幸せになってゆく奴等にとって、
お前は、行く手を照らすランプだ。あいつらの未来を、照らしてやってくれ、力の限り。…
微笑んで、後ろに手を組んで、二人を見ているガイの頬を、滂沱と涙が流れていた。
しかし、そのことに、ガイ自身は気がついていないらしい。
あまりにも異様で、あまりにも孤独な恋人の顔を、ジェシィは息をとめて見つめ続けていた。他に、何一つできなかった。

それから三日間、天が二人の結婚を祝福しているかのような、美しい晴天が続いた。

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