爬虫類人は、宇宙から降り注ぐゲッター線に追われるようにして、地上の覇者の座を降りた。
代わってよちよちと地表を這い出した哺乳類、そして人類を怨み呪いながら、いつの日か再び復活することを誓い、長く深い、沈黙の時代に入った。
しかし。
中には、ゲッター線、太陽のエネルギーの影響の極力少ない世界で、独自の生活を続けていった爬虫人類も、ごく僅かではあったが、居た。
「すっげぇ船だなあ」
これで何度目だろう、感に堪えない、といった口調で武蔵はため息まじりにそう言うと、きょろきょろと眺め回す。
片手には大きな皿、もう片手にはフォークを持っている。皿の上には山のような料理が乗っていて、武蔵がちょっと仰け反ったり振り返ったりするたびに皿が傾いで、溢れ落ちそうだ。
「そんなにすげぇか?いつだったか三人まとめて捕まって監禁されたアメリカの空母の方が、もっとでっかいぞ」
トリのもも肉をむしゃむしゃと食いながら、竜馬が言い、ホネをぽいとその辺に置いて、あぶらでテラテラ光っている指を舐めた。武蔵ははぁとため息をついて、
「雰囲気ってのが違うだろ。ロマンのねえやつだな全く」
「何がロマンだ。マロンて顔しやがって」
「マロンか。栗だな。栗な。うめえよなあ。栗飯。栗モナカ。あと、なんだっけ、洋風の菓子で、甘くて甘くて一個丸ごと」
うっとりしてくる武蔵の手が傾いで、料理がこぼれそうになる。
「マロングラッセか」
呟いてから隼人が、武蔵に『料理がこぼれるぞ』と告げた。
「おっとっと、あぶねえ。もぐもぐ。なんか、時化てきたのかな」
確かに、さっきまでより、足の下が不安定になってきた気がする。太平洋フェリーよりは揺れないといっても、海に浮かぶ船であることには変わりない。
こぼれかけたのを慌ててすすっている武蔵に、
「袖が料理につくぞ。お前もういいからタスキがけして食え」
「そう、だな。その、ほうが」
もぐもぐ言っている武蔵も、呆れて見ている竜馬も、紋付羽織袴姿だ。二人とも日本武道をやっているので、腰の位置が決まっていて、なかなかにサマになっている。オウ、マーベラス、などと声を掛けられている。
グラスを片手にしている隼人だけがタキシードだ。こっちはいつも黒ばっかり、の普段とあまり変わらないが、勿論、外人にも引けをとらない長身とその上のクールで端整な顔は、行き違うご婦人を振り向かせている。
笑いさざめきながら、そこここでバーや、カジノで楽しんでいる外人たちの、宝石をちりばめたドレスや、豪華なアクセサリーがきらきら光っているのを、まぶしそうに目をぱちぱちさせ眺めてから、
「まあしっかし、気張ってるなあ。これって特別なパーティなのか?」
「いや、特に今日だけ特別ってことではないようだな。単にお祭り騒ぎが好きなんだろう」
「ふーん」
竜馬は今度は冷野菜と鮭のゼリー寄せ、を二つぽいぽいと取って、タワーのように立っている小皿に乗せると、
「ほれ」
隼人に寄越す。グラスをその辺のテーブルに置いて、それを受け取った。グラスの水面が、ゆらりゆらりと傾いでいる。
「それ、美味いぞ。…なんかあっちの方にゲッターの像があったぞ。何だろうと思ったら食い物で作ってあってよ。すげー手間ヒマと金がかかってるとか言ってたな」
「お祭り騒ぎ同様、ゲッターも非常に好きだそうだが、本当らしいな」
苦笑する。とほほ、という感じの笑い方だった。
「幾つって言った?」
「王子か?16とか聞いたな」
「へええ」
感心したようなバカにしたような声を出して、竜馬は自分の分の料理を手づかみで口に放り込んだ。
その横で、隼人は取ってもらった料理を食べた。なるほど結構いけると思う。冷凍の鮭でないのは確かだ。
このやや古風な趣の、しかし相当でっかいゴージャスな客船は、地中海に面した小国のものであった。特に地下鉱脈がある訳でもなく、勿論原油が湧く訳でもなく、王制が敷かれ特産物は花とワインという、おとぎ話が好きな観光客を呼ぶ…にしても目玉がもうひとつ、という感じの国だ。まあ平和で、清貧に甘んじる、南欧の一部分ちょっと拝借してます、みたいな国だったのだ、………数年前までは。
年老いた王には、王子が一人いる。もう駄目か、という年になってから出来た独り息子であり後継ぎでもあるので、王も国民も生まれた時は狂喜乱舞であった。お祭りは実に一ヶ月続いた。
王は息子を溺愛し、大事に大事に可愛がり、彼専門の侍従と召使いと家庭教師を何ダースもめしかかえ、彼のために税金を取り立てて精一杯豪華な遊園地をつくった。
欲しがれば星でも取ってやろうという状態で育った王子は、素直で、優しく、そして単純な性格であった。何を欲しても与えられるので、逆に大して我儘も言わないが、願ってそれが叶わない経験がないので、想像力に欠けていた。
彼はどういう訳か日本のアニメやゲームが大好きで、彼のライブラリーにはジャパニメーションのビデオがぞろりと並び、全種類のゲーム機とゲームソフトが各々一部屋を与えられていた。
15の誕生日を迎えた日に、彼は『これからはITの時代だ。日本を手本にして精密機器や科学技術の分野に進出しよう。その為の研究機関や教育機関をつくって、外国から教師を呼び、マルチな人材を育成しよう』と、結局一体何がしたいんだと言いたくなる宣言を打ち立てた。王は立派に成長した息子の姿が、涙でうるんで見えないまま、すぐに国家プロジェクトを組むことを提案した。
国民は『へ?』という気分であったが、若い王子のやる気と王の「みなで王子を守り立ててやってくれ」演説に、まあいいか、ということになった。一概につきあいのいい国民であった。
『自由になるおもちゃの大きさが桁外れの規模』の子供が、何故突然そんな傍迷惑な遊びを始めたか、というと。
実はその頃彼は、日本が世界に誇る合体マシンの存在を知り、その映像を見て一発でファンになってしまったのだった。
かっこいい。大きい。強い。速い。
初めて新幹線が走ったのを見た日本人のように、王子はそのマシン、ゲッターロボに心酔した。
「なにかゲッターロボの役にたつような研究成果を出したいんだ。頑張っておくれ」
ファンの一念でもって尻を叩く王子に応え、彼のプロジェクトは、一から研究を始め、なんと半年後に特殊コーティング材の開発に成功した。一定の温度では液体で、無論どんな形状の部分にも塗装でき、常温では固体になって相当の衝撃、温度変化、加えて放射線にすら一定時間耐える。なおも、同時に開発されたβ液を上から塗布するとそのコーティング液がすぐさま分解され剥離可能になる、というしろものであった。
ラブレターのような研究報告書をどっさり送りつけられ、早乙女博士は目を白黒させた。序文の『この日を目指して一心に努力を重ねて参りました。この書類を貴殿に送付できる喜びで、胸が打ち震えペンを持つ手の痙攣を抑えることが出来ません』だのといった文章はともかく、内容には見るものがあったので、採用させてもらうことにした。ちなみにこれが、王子のプロジェクトのとったパテント第一号だった。
それ以降、発明好き王子じるしの特許はじわじわと数を重ね、彼の国は奇妙に裕福になっていった。
皆さんで是非ともわが国にいらして戴きたい、国をあげて歓迎いたしますという招待状はずーっとずーっと絶え間なく送られ続けていたのだが、そうほいほいと出かけるヒマもなく、一通目を受け取ってから随分時間が経ってしまった。ちょっとまずいなと思ったのか、
「お前たち、ちょっと行ってこい。国賓扱いはやめてくれるよう頼んだ。ただの外国人招待客としてちょいちょいとパーティに出て、料理を食べて、王子にお辞儀して来い。うるさくてかなわん。だがあんまり断り続けるのも、一国の王子をないがしろにしているようだし」
早乙女博士に呼び出され、三人並んでそう言い渡されたのが一週間前の事だ。
面倒くせえな、ちっと舌打ちしたのが竜馬、まあこれも営業活動ですかと呟いたのが隼人、料理だ御馳走だきゃっほうとはしゃいだのが武蔵だった。
一応は正装をということで、各々その手の格好をし、目下白亜の城ならぬ豪華客船の上で、御馳走を食べ疲れているところなのだ。
「いいからよ、さっさと王子様とやらに会って帰ろうぜ。俺ぁこういうとこは苦手だ」
ばりばりと頭をかき回す竜馬を、通りかかった中年紳士とまだ若いドレスの女性がくすくす笑いながら見ていった。
「なんだよ。見るなこっち」
「ま、遊んでる暇に、いつやつらが襲ってこないとも限らないからな。明日か…遅くとも明後日には退散させてもらおう」
「えーっもう帰っちゃうのか?まだ食い物がこーんなに残ってるのによ」
向こうのテーブルにとりついていた武蔵が不満げにうなる。バカか、みたいに竜馬が目を剥いて、
「お前これ全部食う気でいるのか」
「おう」
にたにたと笑う。歯の隙間から魚のホネが突き出した。
「つきあってらんねえ。お前一人で食ってろ。俺たちは帰る」
「そう言うなって。うまいぞこれ。食うか?」
「いらねえ」
と、その時、あたりがざわめいた。なんだ?と思う間もなく、広間の外人たちの群れがきれいに二つに分かれ、その向こうからものものしい大時代な衣装の兵士を従えた、青年が近づいてきた。
くるくるパーマをあてた黒い髪は、なにやら昔懐かしい感じだ。マーク・レスター初来日、という感じか。男なのに前髪がきれいに揃っている、その下に、黒目がちの大きな黒い瞳が、感激に打ち震えて三人を見ている。色白で上品な顔立ちだ。紅潮した頬と、きゅっと結んだ唇はきれいなバラ色をしている。健康状態はいいようだと隼人は思った。
白いサテン地の服に金で縫い取りが複雑な模様を描き、肩から床まで長く深紅のマントをひきずっている。銅をでかいバックルのベルト(宝石が輝いている)で締め付けた、長めの上衣の下からタイツの足がすらりと伸びている。勺でも持って居そうだが、それはなかった。その代わりのように、くるくるパーマの上には、略式だが黄金色の王冠がのっかっていた。
(冠か。真面目にかぶってる奴は初めてみるな)
竜馬は相手の頭の上をしばらく眺めていたが、隣りの男がナントカ語で喋りだしたので目を王子の顔に移した。
「度重なるお招きに預かり光栄に存じます。お言葉に甘えて参上いたしました、殿下」
きちんと腰を折ってお辞儀する一人に、王子は目を輝かせて、
「そのようなお言葉を頂戴してはもったいない。ようこそおいで下さった、ゲッターチームの方々。あなたが神隼人さんですね」
驚いたことに日本語だ。しかも初対面でいきなりフルネームで呼ばれ、隼人は戸惑ったが、
「そうですが」
「ジャガー号を操縦する、IQ300とも言われる天才なのでしょう?お会いできて本当に嬉しいです」
ほとんど目がハート型だ。一歩前に出て隼人の手を取る。王子は160cmくらいだろう。斜め下からひたと見上げてこられて、隼人はちょっと閉口するが、顔には出さないで微笑んでやってから、隣りを示して、
「こっちが…」
王子は即座に答えた。
「流竜馬さんでしょう?イーグル号の操縦者で空手の達人の」
「お、おう」
竜馬は目をぱちくりさせ、懐手で胸をぽりぽり掻いた。
「そしてこちらが巴武蔵さん。ベアー号の操縦者で柔道の有段者で大ぐらい」
ぶー、とずっこけてから、違いねえけど、がははは、と武蔵は大口を開けて笑った。
「我々の事を全て御存知なのですか?それは…その、光栄です」
「いいえ、当然です。なにしろ、あのゲッターチームの方々なのですから」
ほう、とため息をついてから、目から星を飛ばしつつ、三人を順番に眺めている。ほとんど憧れのスターに逢えたファンだ。実際そうなのだろうが。
なんかシリがこそばゆい。悪い気はしないけど、居心地が悪いのも確かだ。
「早乙女博士が決して大仰にしないでくれ、とおっしゃるので、あなた方を主賓として迎えることこそしませんでしたが、僕の気持ちとしてはこのパーティも船も乗客もあなた方のために用意したとご承知ください」
隼人はあーあと思った。この辺がまだ子供なのだ。しかし日本贔屓の王子はなかなか流暢にずーっと日本語で喋っているので、周りの乗客には意味が通じないらしく、皆一様に礼儀正しい微笑のままだ。意味がわかったらその微笑もひきつることだろう。
日本のアニメで勉強したんだろうか?と思いつつ、遠回しに『そろそろ帰りたいんだよ』という旨を伝えようと、
「お言葉は大変有難く頂戴しておきます。ですが我々もあまり時間に余裕がございませんので、明日にはおいとまを…」
言いかけたところに再度詰め寄られる。
「いけません!明日などとはとんでもない。あなた方にはゆっくり、我が国で歓待を受けていただきます。スケジュールも出来ておりますので。少なくとも半月先まではここで」
「おい、冗談じゃねえぞこのクソガ…」
言いかけた竜馬の口に隼人がにんじんスティックを束にして突っ込んで黙らせた。
「お気持ちは誠に有難いのですが」
「ご承諾いただけて嬉しい。こころゆくまでおくつろぎください。おおそうだ、あなた方に是非観ていただきたいものがあるのです。こちらです、さあ」
全然わかっていない王子様に促されて、営業部長は内心つくづくとため息をついた。
ゲッターの皆さんが来たらこれもそれもあれもどれもみーんな見せて驚かせて感動させよう、と心待ちにしていたのだろう。下手に権力のある子供に好かれるとなかなかに大変だ。
今すぐに、帰るったら帰る、と言い張るのは大人のすることではないし、王子の斜め後ろに張りついている二人は、王子付きの護衛なのだから、多分日本語は特訓させられただろう。さっき、竜馬がヘタなことを口走った時、顔に赤みが挿していたし。
少し間を置いてから、帰らせてくれと言うしかないだろう、本当に日本から『今、襲撃されてる』なんて連絡が入ってからでは遅い。
今は仕方ない、つきあうかと最後のため息を飲み込んで、
「おい、行くぞ」
後の二人に言う。竜馬はさっきつっこまれたにんじんをぼりぼり食いながら、武蔵はやはり謁見中だというのにこっそり食っていた料理を反芻しながら、おうと応えた。
連れて来られたのは甲板の上だった。時間が経つにつれ本当に時化てきたらしく、ゆらありゆらありと視界が傾ぐ。そこには驚く程巨大な氷の立像が立っていた。
「…ゲッターだ」
なるほど、ゲッター1、2、3がフルセットで並んで立っている。現実には有り得ない眺めだ。
今はこの辺は春から夏への過渡期だし、もう随分溶けている。いつから用意したのか知らないが、またえらい金と手間隙を…と思う。
「さっき料理でゲッターこさえてたけど、今度は氷か」
「ナントカでゲッターをつくるのが好きなのかな。フィギュアとか全部持ってるんだろうぜ」
竜馬と武蔵がぼそぼそ話している。
王子が、感嘆の声を待ちながら、誇らしげに自分を見上げる。隼人は営業スマイルで、
「殿下は我々以上にゲッターロボに対して愛着をお持ちのようですね」
「お気に召していただけましたか?わが国の職人を集めて彫らせました。なかなかにうまく彫れているでしょう?」
確かによく出来ている。ゲッター2のバランスのわるーい感じなどもよく表れているし…
と、隼人が思った時。
横波がどおっと来た。勿論横波一発ででんぐり返る船ではないが、甲板上の氷の巨人たちが、ぐらりときた。ただでさえ氷が溶けかけているし、ゲッター2はバランスが悪い。あーどうしようかなーという感じで、ゆら〜りと仰け反り始めた。
「ああっ!ゲッターが!」
王子が悲鳴を上げて、両手を突き出し、ゲッター2を助けに駆け出した。と、溶けて流れ出した水に足を取られて転倒する。そのまますすすーと滑った。
「殿下!」
お付きたちが絶叫する。ひっくり返った王子の上にゲッター2が倒れ掛かってきた。
咄嗟に。
「うぉりゃあ!」
気合一発入れて竜馬が宙を跳び、氷の像に蹴りを入れた。氷のゲッター2は胴で真っ二つに折れた。
「ああっ!ゲッターが!」
さっきとそっくり同じ悲鳴を上げて、王子は遮二無二立ち上がった。
「殿下、危ない、お動きなされるな」
お付きたちは声を上げたが、体重が浮いた瞬間、再び横波が来て、やはりすっ転び、…そこに、今度は、もともと座った姿勢のゲッター3がどーっと滑ってきた。
「わーっ!」
大小さまざまな悲鳴の中、王子はゲッター3にどつかれて宙を飛び、甲板の防止落下手摺を越えて海に落ちた。
真っ暗な時化の海に落下した白い服は、あっという間に見えなくなった。皆、手摺に取りすがって悲鳴を上げる。
「殿下ーーー!」
「お返事を、殿下ーーー!」
「殿下をお救いしろ!早く飛び込め!」
大混乱の中隼人が怒鳴った。
「まず船を止めろ」
「えっ?」
「早くしろ!殿下がどんどん後方になるぞ」
はっと気づいて、止めろ!早く!と絶叫の伝令が飛ぶ。
「さっさと投光機を用意して海面を照らせ。船の後部から、浮きになるものを出来る限り広範囲に撒け。あとは…探索に出るしかないだろうな」
淡々と言ってから、自分も手摺から下を見る。
海面は真っ黒だ。何も見えない。
「まあでも、今は水温もそんなに低くないし、大丈夫じゃねえの?」
武蔵がのほほんと言う。
「そうだよな。もともと陸の近くを遊覧してたんだしよ。俺ならここから岸まで泳げるぞ多分」
竜馬もそう言う。相変わらず懐に手を入れて袴姿で立っていると、どう見ても咸臨丸に乗った勝海舟だ。日本の夜明けだ、とか言い出しそうだ。
と、この時。
ずーっと、でんかー!でんかー!と手摺から身を乗り出して絶叫していた老人が落ちそうになった。隼人が後ろから掴んで引き戻した。
白いヒゲやかなりの高齢、相当いい身なりを見ても、侍従長とかその辺りなのだろう老人は、よろよろと後ろに下がり、膝をつき、やがてむせび泣き出した。
「落ち着いて下さい。きっと大丈夫だ。本当にそれほど水温は低くないし、少し浮かんでいればすぐに助けの者が見つける」
あまり心のこもっていない励ましを口にしたが、老人は激しく首を振って、何事か強い口調で泣き叫んだ。
それを聞いた隼人が、えっ…という顔になった。
「何だよ。何ていってんだこのじいさん」
和服の二人に尋ねられ、隼人はそっちを見ると、
「王子は泳げないそうだ」
二人はどへーという顔になった。
まあ一応礼儀だし、という感じで、三人も捜索隊に加わった。王子を海に突き落としたのがゲッターの氷像だ、というのは、別段三人にとっては何の関係も無い話なのだが、どうも、周囲の視線が痛い気がする。
それに、どいつもこいつも、王子を心配しているのは確かなのだが、今ひとつ頼りにならない奴ばっかりだ。各々半径数メートルの中をぐるぐるぐるぐる回って喉を限りに叫んでいる、といった感じだ。
手漕ぎボートひとつもらって、三人はずーっと探しながら次第に港の近くまで来た。
もう夜明けも近い。幻想的で美しいすみれ色が、東の空をほのぼのと染めている。
ぎぃ、ぎぃとオールを漕ぐ音、ちゃぷ、ちゃぷと波が打ち寄せる音を聞いていると、
「なんかこううっとりしてくるなあ」
武蔵が船べりにもたれてむにゃむにゃ言っている。結局自分がタスキがけしてオールを漕いでいる竜馬は、これからオランダ行きの商船にでも密航しようとしている長崎武士のようだ。
「うっとりしてねえであのバカ王子を探せ。…って言っても隼人、随分経ったぞ。もうやばいんじゃねえか?」
ボートの船尾にいて辺りを見ているタキシードの男はボウタイをといた格好で煙草を吸っている。こっちは朝帰りのジゴロのようだ。
「せめて、30分くらい浮いていられるのだったらな。お招きに預かってついでに葬儀にも出るはめになるのか」
ひどいことをしらっとして呟いてから、
「お前、そのバカ王子というのを口癖にするなよ。あの国の連中の前で出たら面倒なことになるぞ」
「なんだよ面倒なことって。バカだからバカって…」
「わかったわかった。死者に鞭打つようなことは言うな」
「お前ら二人して、ひでえなあ」
そういって武蔵があはははと笑った。
大きく回りこむと、港が切れた先に浜が見えてきた。上の方に緑の丘があって、教会が立っているのが見える。
「待て」
隼人が鋭く叫び、
「竜馬、早く岸に近づけ。それ以上回り込むな」
「うお」
唸りながら、急旋回して、舳先を変えると、ぐいぐいと速度を上げて漕ぐ。
「なんだ?何かいたのか?」
「お前ら、静かにしろよ。そっと接近してみる」
港のはずれの、一番端にボートをつなぐと、三人は上陸した。さっき隼人が何か見たらしい浜辺に、上の教会の方に一旦上がってから、そっと降りていった。
海への道はきれいな緑の森になっている。まっしろい石だたみが足の裏に心地良い。
木が終わる、最後のところに立って、三人は海の方を伺った。
砂浜に打ち寄せられたような格好で、誰か倒れている。ここからでは顔はよく見えないが、あの大時代な格好はどう考えても王子だろう。ずぶ濡れで膨らんだ上に砂まみれで、きなこ餅みたいだと武蔵は思ったし、こんなところまで流されたのか?やしの実みてえな野郎だ、と思った竜馬だが、とにかくそれどころではない。
多分その王子、の隣りに、なにやら面妖な生き物が横座りになっている。
ざらざらした表皮はウロコなのだろうか、玉虫色というのか様々に色を変えてきらきら輝いている。全身そのウロコに覆われていて、毛はどこにも一本も生えていない。頭頂部がちょっと尖っている。ビリケンみたいだ。顔は…
顎が張り、エラが張り、唇がでかくて分厚くて口角がきゅ、と上がっている。目は小さくて丸いのが二つある。その青い目で、王子をじっと見ている。鼻の穴というよりは空気穴のようなものが二つ、でかい口の上にあいている。…ウツボ、の辺りの言葉が脳裏に浮かぶ。額に小さいアンテナのようなものが出ているから、もしかするとあれで照らすのかも知れない。するとアンコウか。
腰から下は、すーとすぼまって、尾鰭がぴちぴちと左右に波をはねかしている。尾鰭には貝がいくつも、ちょうど耳たぶのピアスみたいにはさまっていた。まあ、むしろ、顔にふさわしい下半身と言えるだろう。というのは、ふさわしくないものもついているからだ。
何が一番「ヘンだ」だといったら、その魚顔の生き物の胴体の部分から、手が生えていることだろう。その手で、そっと王子の濡れた前髪をなでつけてやっている。その手だけが、唯一ウロコがなく、白くむっちりと肉感的だ。
「…なんだ、あれ」
かすれた声で囁く。
「さあなあ。新種のサカナか」
無意味なことを囁き返す。
「倒れてるの多分王子だろ?食おうとしてるのかな?」
「そうは見えないぞ。なんか、なでなでしてるし」
「食べる前に食べる相手をなでなでする奴もいるぞ」
隼人もちょっと、いやかなり驚いていたのだろう。つい『なでなで』などと言ってしまって、危うく咳込みかけたが、こらえた。
「いや、やっぱり違う。あいつ、もしかしたら」
武蔵が言いかけた時、背後の教会の方から話し声といくつかの靴音が聞こえてきて、はっとする。
それはここからまだいくらか距離のある、浜辺の生き物にも聞こえたらしく、慌ててびちびちと方向転換すると、のたくりながら水に入っていった。が、思うように動けないらしく、えらく苦労している。
一方、こちらでも、
「おい、どうする」
「どうするもなにも、こんなところで何してるだの、あそこで寝てる王子はなんだの、面倒なことになるに決まってるだろ」
「隠れた方が良さそうだな。木に登れ」
三人は大急ぎで各々木に登った。今の自分の格好を横で見ていたらまるっきり馬鹿みたいだと隼人は思い、ちょっと情けなかった。
三人の男が猟師に追われた小動物みたいに頭上にたかっていることも知らず、一団はその場へとやってきた。女ばかり数人で、皆尼僧の格好をしている。おっとりした顔の中年婦人たちなのだが。
その先頭にいる、一人だけ若く、非常に美しい青い瞳の娘が、声を上げた。
「見て!あそこに誰か倒れているわ!」
「えっ?あら、本当だわ」
誰かしら、まあ、高い身分の方みたいだわ!と騒ぎながら、王子の周りに群がり、介抱をはじめた。
王子が、ううん…とうなり、生きているわ!と喜んでいる女たちの声を聞きながら、三人はそろそろと木を滑り降り、抜き足差し足でその場を後にした。
(あのヘンなのも、逃げたようだな)
と武蔵は思った。
一晩探して見つからなかった王子が生還したというので国を上げて大喜びのお祭り騒ぎになった。どこへ言ってもハレルヤコーラスと紙吹雪とシュークリームの塔、で頭が変になりそうだ。
「まあ、ちょっと、帰りたいと言い出せる雰囲気じゃないな」
三人にあてがわれた、ゴージャスのかたまりみたいな、お城の中でも一番良い貴賓室の窓から、外の乱痴気騒ぎを見下ろしながら、今はタキシードを脱いで普通のワイシャツ姿になった男が言った。
「あーあ面倒くせえ」
こっちは羽織だけ脱いだ勝海舟がそう言い捨てて床にごろりと横になった。実に、50帖くらいありそうな部屋だ。
その側で、武蔵が腕組みしながら、
「なあ、やっぱり、思うんだけどよ」
「何を」
竜馬が聞いた。
「あの王子って泳げないんだろ?」
「らしいが」
隼人が答えた。
「じゃあ、…なんで助かったんだ?」
今度は二人とも返事をしない。
「やっぱり、あの時の、アレが、助けてやったってことかな」
自分で答えを言って、二人を見比べる。
「…そう、」
「だろうな」
二人がその答えを肯定した。
「アレって何だろうな?」
竜馬が顔をしかめて、
「わかる訳ないだろ。新種のサカナだ」
「でも、王子のこと、やたら大事そうになでてたよなあ。知能はあるんだろうな」
「知能も、手もあったな」
なんとなく、沈黙が訪れた。
「またかよ」という声が聞こえてきそうですけど(笑)
こういうの、昔からやたら考えておったんです。別に、寺山修司を目指している訳でもないが…
まあ全部が全部やる必要も、ないですけど、この話はやらせて下さい。
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