愛と呪いのバカンス


テレビは連日、海や山でリゾートに興じる人々の様子を映し出している。各地の幹線道路は渋滞、海辺は芋の子を洗うよう、というナレーションもなにやら浮かれ気分に聞こえる。
だが、勿論、この施設の中にいる人間たちにとって、リゾートなど無縁のものであった。
「あぁっくそ、暑い!なんでこんなに暑いんだちきしょーめ」
戴宗が口汚なく罵る。
「エアコンが壊れたんだ。文句を言うんじゃないよ」
「今、鋭意修理中なので、あとしばらくお待ち下さい」
楊志が言い捨て、呉が申し訳なさそうにぼそぼそと言う。
「エアコンが壊れた、ね。はいはい。今直してると。…あぁ、貧乏エレジーだねえ」
訳のわからないことをつぶやき、最後にトホホホと泣きながら、ばたばたとウチワをばたつかせたが、生憎熱風しか来ない。おえっとえずいて、やめた。
「暑いのは戴宗さんだけじゃないんですよ。本当に我慢が足りないんだから」
「左様。心頭を滅却すれば火もまた涼しかろうて」
うるせぇ!と今度は銀鈴と一清にかみつく。
「ガマンしたら涼しくなるってのか!それに心頭滅却したら、死んじまうだろ!」
「兄貴、怒鳴ると余計暑いですぜ」
一同、暑さのため無礼講ということで、ずいぶん大胆な格好になっている。戴宗は上半身ハダカだし、鉄牛にいたっては海水パンツ姿だ。銀鈴や楊志も、なかなかのコスチュームになっているのだが、こう暑くては劣情をかきたてるのすら億劫だという訳か、男性陣からはヒューという口笛一吹きすら起こらない。
辛うじて、一清と呉学人だけが頑張っているといった様子だが、一清はひそかに冷えピタシートを貼っているし、呉も人から見えない机の下で、裾をたくしあげている。もう少し暑くなったら、タライに水をはって足を入れようかな…と思っているところに、
「呉先生、エアコンのことなんだが」
中条に呼ばれて、はいっと返事をする。中条はさすがに海水パンツだとか上半身ハダカではない。セビロを脱いでワイシャツネクタイ姿、袖を捲っているので肘がむきだしだ。この御姿も実は結構好きなので、暑いけどちょっと嬉しい、と呉は思いつつ、
「あと少しで直ると報告を受けましたが」
「うん。だがやはり、かなり旧式なので、設定温度と外気の差がちょっと開くとすぐに壊れるようになってきた」
「そうですね。今月はこれで三回目です」
「思い切って、新しいのを買わないか」
左手に持っていたのはエアコンのカタログだった。呉は、むうーという顔になって、
「各室に一台ずつですか?一体何台に」
「違う。中央でまとめて管理できるタイプのやつだ」
呉の顔がいよいよ歪んだ。
「高いですよ」
それは『高いけどいいんですか?』ではなく『高いから無理ですよ』の言い方だった。
「しかし、すぐに壊れるのでは、同じことじゃないか」
「修理なら、出来る人間がここには沢山いますし、つまりタダで直せる訳ですから…」
「壊れる度に、修理に人員がさかれることの方が問題じゃないかね」
「まあ、それはそうですが」
一度見てくれ、と言いながら呉の前に新しいエアコンのカタログを並べてゆく。しぶしぶとカラー刷りの写真を眺めてゆくうち、呉も、はあとため息をついて、
「いいですねえ、これなんか。タイマーがついてますよ」
「いいだろう」
相手がのってきたので中条がよしよしと身を乗り出して、
「これなら当番の人間が、つくまで暑かったり寒かったりつらい思いをしなくても済むし」
「あっでもこっちの方がエコノミータイプです。これならすごく安い。買える…あ、ゼロが隠れていた」
とやっているのを、皆寂しげな顔で眺めている。
「やだねえ。天下の静かなる中条が、なんとかエアコンを買ってもらおうと説得にあたってよ。タイマーだと。フツー常識だろう」
「そんなこと言ってて、もし呉先生がOKしたら一番喜ぶのはあんただろうが」
「そりゃそうだけどよ。あのシブチン先生がうんて言うもんか。どうせすぐ現実に返って、『やっぱり直して使いましょう。あと三年はもたせましょう』なんて言うに決まってら」
鉄牛が手拭いで体をあちこち拭いて、隅っこのバケツで絞り、また拭きながら、
「皆でぱーっと、どこぞへバッカンスにでも行きたいですねえ」
「バカンスか。いいなあ。恋のバカンス。避暑地の出来事。ひと夏の経験」
戴宗が夢見る少年の顔になってから、
「無理だな。エアコンも買えねぇてのに」
すぐにくたびれはてた大人の顔になり、砂を噛むような口調で吐き捨てた。
それに苦笑したり呆れたりしながらも、全員、切ない気持ちで居ることは同じだ。銀鈴がちらと呉を見ると、うーとうなりながら頭を抱えて、机に突っ伏している。『いいなあ、新しいエアコン。メカ好きの私の心を震わせるものばかりだ。だが、今月これを買ってしまったらあとは皆、涼しい部屋で水飲んで暮らすのか』とか考えているのだろう。それを見守る中条の顔も苦しげだ。頭上にフキダシが見える。わたしは君につらい選択を迫っているのだな。済まない。だが…私は君を信じている。信じているぞ呉先生。
ちょっと馬鹿らしく、やっぱりものがなしくなって、銀鈴はそっと息をついた。
その時。
「あのう」
小さな声がして、皆そっちを見た。どこも暑いので通路もナニも開けっ放しになっているのだが、その一つに大作が姿を見せていた。
Tシャツに短パンだ。いつもとあまり違っては見えない。
「おう、大作、どうした。言っとくが暑いです、は言うなよ」
「言いません」
笑っている。額には汗が浮いているが、元気そうな笑顔だ。やっぱりコドモは暑さに強い、と全員が思った。
まあ皆に聞かせるんだけど、一応は、といった感じで、
「呉先生」
「ん、何だい」
苦悩を一時中断して大作を見るが、眉間にまだシワが残っている。
「実は。幻夜さんから、僕に、バカンスに来ないかって、お誘いが来まして」
なにぃー、と戴宗がすっとんだ声を上げた。
「駄目だ!駄目だぞ大作!あの野郎何がバカンスだ!バカンスにかこつけてナニをする気かわかったもんじゃない。駄目だ。少年が男とバカンスなんて」
それって普通別に構わないのでは、と思いながらも、要するにバカンスにひっかかっているのだな、と全員わかっているので、誰も何も言わない。
呉は、ちょっと問題かな、相手はBF団なのに。でもまあ大作一人くらい涼しい思いをしてくるのもいいか、人は一人でも減った方がまだ室内の気温が下がるし、と思いやりとせこい打算のあいまった表情で、
「まあ、いいか。行ってきなさい。彼が迎えに来てくれるのかな?待ち合わせるのなら私が送っていこう」
何言ってんだよちょっと待てシブチン先生、ダメだぞ大作!と戴宗が怒鳴る。それをちらっと困った顔で見てから、大作は、
「それでですね」
短パンのポケットから、チケットのようなものを出して、トランプの手札みたいに扇状に広げて、
「皆さんの分も入ってたんです。無料優待券…」
「よし、行こう。大作一人じゃ心配だ」
間髪を入れず、の見本のようなタイミングで、戴宗が手のひらを返した。

「えーと、場所はどこだって?」
「これを見ると、嵯峨マリンビーチセンターって書いてありますけど」
「…船で30分ばかり沖に出た島にあると。そんなものあったか?誰か知っておるか」
全員首を振る。銀鈴も一枚、もらって裏の案内文を眺め、
「海の近くのレジャー施設って感じね。いろんなおフロが楽しめます?ああ、なるほど…」
銀鈴の頭にはある種の宿泊施設が浮かんだ。カラオケもボーリングも卓球もゲームセンターもあって、浴衣を着た人間が射的で遊んでるようなやつだ。
優待券、と真っ赤なハンコが押してある枚数を数えて、楊志がつぶやいた。
「ぴったり人数分だね」
「ね、皆で行きましょう。ね?行きましょうよ」
大作としては、やはり、暑さでうだっている所員たちを置いて、一人幻夜の所へ遊びに行っても、どうしても後ろめたいし、思い切り楽しむことは出来ないのだろう。
「ようっし、わかった。わかったぞ大作ぅ」
「あんたはもういいからひっこんでな。…こういうのは、敵と密かに癒着、てことになるんですか?」
「うーん」
呉が困惑しながら、考え考え、
「捜査対象から目こぼすとか、金品の受諾とかいうこととは、ちょっと違うのではないかと…しかし、これは金券と言えないこともないし…大作君一人ならともかく、我々全員となると問題が」
中条は、『夕食はバイキングです。ドリンク飲み放題』と書かれた券をちょっと眺めて、
「黙っていればわかるまい」
いっきなりぶんなげるような事を言った。呉が驚いて見上げる脇で、大作はわーい!と叫んで飛び跳ね、その隣りで戴宗と鉄牛が泣きながらバンザイをしている。
「皆でおフロですよ、戴宗さん、鉄牛さん!」
「おお!フロだな大作!オモチャ持っていっていいぞ。ネジまく奴あるだろ。パタパタジャイアントロボとかよ」
「夜はバイキングか。食うぞ〜〜〜北京ダックにエビチリにローストビーフに…タッパー持っていくかな!」
後の面々はヤレヤレと笑っている。本当にいいのかなあ、という疑問は、ヤレヤレと笑う組の全員の心にはあるのだが、『暑くてもうなんでもいい』がその上からかぶさっている。
長官でも、「えいやー」になってしまうことがあるんだなあ、と呉はぼんやり思った。中条が、二人部屋に呉と同室になるには、と画策を始めたことなどもちろん気付いていない。

数日後の早朝、一同はフェリー埠頭の端の方にぞろりと立っていた。
ふわあ、とあくびをした楊志が、
「本当にここでいいのかい?」
「はい。ここです」
声が小さいのは、港の関係者が、「いったいなんだあれは」という目つきでじろじろ、こっちを眺めて仲間内でなにやら話したり、笑ったりしているからだった。
「早く来やがれ。こっちはもう行く気まんまんなんだ」
戴宗が浮き輪を腰にはめてでかい声を出した。すでに赤白縞々水着だ。ちょっと、あんまり大声で…と数人が止めに入った時、
「あ」
海の彼方に、白く輝くものが見え、見る間にそれは大きくなってきた。
そんじょそこらの小金持ちでは買えないだろうと思われる、超豪華クルーザーであった。船体の横に、美しき幻の夜と書かれていて、何故かこっちが赤面してしまう。
船は優雅に港につき、中から白いスーツの男が姿を見せた。
「幻夜さん!」
大作が大声で叫んで、とたたたと船の方へ駆け寄る。幻夜は、ひとことでいうと複雑な顔をしていた。というのは…
大作に向かっては、満面の笑みで迎えたいのだが、その後ろにいる面々に対しては、ちょっと戸惑っている、という二つの感情が、目を微笑ませ口元をへの字にするという結果になっている。それでも、片手を上げて、
「やあ、草間大作」
「お招き有難うございます!すみません、券贈っていただいて」
「いや、君の喜ぶ顔が見たかったから、それは別に礼を言われることではないんだが…」
「でも、国警の他の皆さんも来られるなんて!僕、本当に嬉しいです」
幻夜の顔がいよいよ歪んだ。
「僕の気持ちを、本当に考えてくださってるんだなって、思いました。僕、今までよりもっと、…幻夜さんが…」
ぽっと赤くなって、うつむいてもじもじしている。幻夜は、これはこのままにしておいた方がいいのだとようやく理解して、
「当たり前だろう。わたしはいつだって、君にとって最善を考えている」
「嬉しいです」
もじもじもじ。ぽっ。のの字のの字。
「暑苦しい!あとは中でやれ。乗るぞ。いいんだろ」
戴宗がガナる。幻夜はいきなりむっとした顔になったが、
「どうぞ。あ、待て。草間大作が先頭だ」
「へいへい。ほら、早く乗れ大作」
「はぁい」
のびてきたタラップに、ぽいと飛び乗る。たたたと駆けて行って、幻夜の前まで来ると、嬉しくて嬉しくてといった笑顔を見せ、
「一緒にオフロ入りましょうね」
幻夜はとっさに片手で顔を隠しながら、ああいいともと言った。鼻血が噴き出てきたのだった。
次々に乗り込んでゆく。邪魔するぜー。厄介になるよ。でっけぇなあ!お前個人の船かこれ。さすがは、BF団というところか…あいや、失言。
銀鈴も真っ白いサマードレスを着、大きなつばの帽子を被ってにこにこ乗ってくる。
「大作くんのお陰で、わたしも役得だわ、兄さん」
「うん」
しょっぱい顔でうなずいてから、どうしようかなという顔になったが、銀鈴は大作くん、あれイルカかしら。えっどこですか?などと言いながら向こうへ行ってしまった。
最後の二人、ことに片方はさすがに、格が違うので(こんな馬鹿みたいなシチュエイションではあっても)幻夜はある意味居ずまいを正して、軽く目礼した。
「世話になる」
あっさりそれだけ言って、中条は乗ってきた。半袖の白いシャツは肌の浅黒さを強調している。その後ろから、最後の一人の呉が笑顔で乗ってきた。こちらは例によって例の服装だ。
「またソレか」
「君もだろう。まあでも宿泊地についたら着替える。さすがに」
苦笑した呉に、顔を近づけて、
「呉学究、ちょっといいか」
「なんだ?」
二人はちょっと一同から離れた。低い声で、幻夜が、
「何故あなたたちまで来たのだ?」
「えっ…君が呼んでくれたのじゃないか。大作くんは君から招待券をもらったと言ってみせてくれたぞ。人数分あった」
「わたしは草間大作の分しか送っていない」
「なんだって」
大声を出しそうになって慌てて口をおさえた。
「当たり前だろう。島で海で温泉でよろしくやろうと思っているのに、どうして邪魔な保護者連中まで呼ばなければならんのだ」
臆面もなく言い放たれていっそすがすがしい。呉は思わずふふと笑ってしまってから、
「全くその通りだ。するとどういうことなんだ?君以外の人間が、我々の分まで入れてくれたということか?」
「だろうな。わたしが送った封書を途中で開けて、他の人間の券も入れたのだ。これは多分、罠だな」
「なるほど。我々が夏休み気分でのこのこやってくるのを待ち構えている、という訳だな」
顎に手をやって考え込む。幻夜もうなずいて、
「おそらくわたしの同僚あたりが考えたことだろう。わたしとしては草間大作に被害が及ばないよう全力をあげるし、彼が助けてやってくれと言うならあなたがたを助けるにやぶさかではないが」
「イヤイヤ助けなくてもいい。が、事前にわかっただけでもマシだ。ありがとう。十分注意しよう」
「罠があるとわかっているのに行くのか」
幻夜が信じられないみたいに声をあげ、こっちも慌てて口をおさえた。彼としては、『わかった我々は行くのを止めよう』と言って船を降りると思ったらしい。
「君には申し訳ないんだが、エマニエル」
彼だけがする呼び方で相手を呼んで、
「我々ももうのっぴきならないところまで追い込まれているのだ。今からバカンスを中止にしてあのエアコンの壊れた建物に戻ると言い出したら、多分私は殺されるだろう。いい。行く。大作くんがいないところで皆に私から言おう。大作くんは君が責任を持って守り、楽しい思いをさせてやってくれ」
だからそんなことは当然だ、と言い返してから、眉間にしわをよせ、
「命の危険と引き換えにしてまで…」
「命の危険を冒しながらでも、快適なひとときに浸れればそれで構わないのだ、我々は」
「…どっちが悪の秘密結社だかわからないことを言うな」
幻夜はひきつった顔で呟き、
「死んでも知らんぞ」
最後に吐き捨て、操縦室の方へ行った。と、中条が二人を見比べている。こめかみには青筋が脈々ともりあがって、なにやら山脈のようだ。それ以外は全くの無表情である。
船は来た時同様、優雅に、すべるように海へ出た。港関係者はなんだか呆然として見送っている。変な、ヘタレ集団だと思ったら、いっきなり超豪華船につーれられてー、いーっちゃった。…何だったんだろう。
青い海の中、白い道がつくられてゆく。風が心地良い。
大作は操縦している幻夜のそばにいったり、銀鈴に何か教えに来たりしている。他の面々は「生き返ったようだ」と言いながらカモメにえびせんを投げたり、自分で食ったりしている。
潮風に袖をなびかせながら、呉はふと、
そうだ。そういうことなら、この陰謀を画策した人間はきっと長官の命を真っ先に狙ってくるだろう。誰を狙うより確実に。何故なら彼は九大天王の静かなる中条なのだから。
一応、ランクとしては同じあたりにいるのであろう戴宗のことなんか全然思い出さず、絶対そうだと確信した。
私がお守りしなくては。身を捨ててでも。
ぎゅっと拳をつくった。

やがて行く手に、さほど大きくない島が見えて来た。ひときわ目立つ、真っ白いお城のような建物が、崖の上に眩しく輝いている。
「あれか。なんだか安っぽいな」
「ウェディングケーキ入刀用のハリボテみたいだね」
「この手のレジャーセンターは普通ああだろう。あれでこそ正統派のレジャーセンターだ」
一清がきっぱりと言い放って片手で拝んだ。はあ、そういうもんかね、と言ってから、
「まあなんでもいいやな。ハリボテだろうがぺかぺかだろうが、ウチの建物よりはずっとずうっと立派だ。比較にならねぇや」
笑えないことを言ってがはははと笑った。
クルーザーが接岸する。どどどと降りていった先頭グループが、先行ってるぞ!待って下さい兄貴ぃ!とわめきながら、海辺から崖の上の建物へ通じる急な細い階段を見つけ出し、「あれだな」と叫んだ。青々とした緑が鬱蒼とかぶさっている階段の入口から、二人はどんどん上がっていってしまった。
銀鈴があたりを見渡し、
「必要なとこだけ整備したって感じね」
「自然が残ってていいじゃないか」
「それはそうね」
うなずいて、自分の荷物を持つと、身軽に飛び降りた。真っ白いサンダルが二三歩進んでから、後ろを振り返る。大作…と思ったのだが、本人は幻夜にくっついて嬉しそうに話している。それを優しく見守っている兄の顔を見て、まあいいか、と微笑み、先に行くことにした。
楊志は棒の先に荷物をくくりつけている。それをよいしょとかついで、上を仰ぎ見、
「あの連中、もう着いたんじゃないのかい」
「優待券を振り回して、部屋に案内しろとわめいておるかも知れんな」
一清は風呂敷包みを斜めに背負って、前で結んでいる。
「うわ。恥ずかしいね。もしそんなことをしてたら他人のフリをしよう」
後発隊もぞろぞろとその道を追って行く。三人の国警、幻夜と大作を後ろから眺める形で、中条と呉はしんがりについた。
登って行くのは結構キツい。角度がかなり急だ。本当に、下から上へ道を通しただけ、という感じだ。無論、この程度の道でひーひー言う人間はこの場にはいない。大作はお子様パワーでカバーしている。
頭上から真夏の光が射してくるのを、まぶしそうに見上げてから、
「あれ?」
呉がつぶやいた。
「何だ」
「後ろから、声が聞こえたような」
「後ろ?我々が列の最後だろう」
言いながら二人は振り返り、そしてえっと声を上げた。
大分下の方に、地面にへばりながら、懸命に手を伸ばしてひっかいている戴宗と鉄牛の変わり果てた姿があった。
さっきの会話の、『罠』という言葉が呉の頭をかすめる。
「二人とも、一体どうしたんです!誰かに襲われたのですか?」
叫びながら駆け寄り、抱え起こしながら、なんかヘンだ、と思った。
「い、いや…違う。でも、何が、なんだか、」
「み、み、みず…」
泡を吹いている。衰弱しきって、脱水症状の一歩手前だ。持っていた水を頭から二人にかけてやりながら、中条が、
「しかし、君らは先頭きって走っていったのじゃなかったか?」
「あっそうだ。そうですよ。何故わたしたちの後から現れるんです」
「そ、それが」
受け取った水をごっぷごっぷと飲み干してから、戴宗が息をついて、
「登っても登っても、さっぱり終点につかねえんだ。下から見た時はすぐだったのになあ、なんて言ってたんだけどよ」
「どんなに頑張っても着かねえんでさ。持ってた水は飲んじまって。だんだんフラフラになってきて…もう駄目って時に、上の方で誰か話してる声がしたから、必死で声を上げたんです」
「アレを聞きつけてくれなかったら、俺たちゃいずれヒボシになったな」
大袈裟な、とつい笑った呉に、二人は口からツバ飛ばしてわめいた。
「真面目にヒボシだ!」
「だ、だって…たかだか、何分くらいですか。国警のエキスパートともあろう者が、ちょっと道に迷ったくらいで」
道に迷った?…
そうなんだろうけど…でも、俺たちは一度も下りの段なんか通らなかったぞ。それとも、錯覚でも生じさせる場所なのかなあ。磁気が乱れてるとか。俺たちはヒコーキじゃないんだが。
たかだか何分か。何分か?随分なげぇこと、この道をさすらってた気がするけどなあ。そう、数時間は歩いて、走ってたと思うぞ。気分的なものなんだろうか。
二人が首をひねっているのを立ち上がって見下ろし、呉はあるものに目を留めた。
二人とも皮膚が真っ赤だ。…日に焼けたのだ。ついさっき飛び出していって、こんなにこんがりローストになるだろうか。
もしかしたら誰かに幻術でもかけられたのだろうか。それで、果ての無い炎天下の道を何時間も歩いたと思い込み、その強い思い込みが自分の肉体にも変化を起こして、ついには死に至ると。
そういう敵の罠かも知れない。
「おーい、そこで何やってんだあ」
「置いていっちゃいますよう」
上の方から、楊志と大作の声がした。
「今行きます」
怒鳴り返し、見ると、中条が二人を立たせ、歩けるかと尋ねている。お、おお、大丈夫です。平気でさ。水飲んだら回復しました。
「行きましょう。皆でかたまった方がいい」
そう言って先に立ち、歩き出した。もしかしたら我々もいつの間にか目くらましにかかっていて、いつまで経っても前の連中に追いつかないのでは、と一瞬不安になったが、それは杞憂に終わり、すぐに大作と幻夜の背が見えてきた。
大作のTシャツはバックプリントで、大怪球の絵が描いてある。それを見て、呉が少し明るい笑顔になった。


[UP:2002/6/21]
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