道を登りきると、いきなり、目の前にあの白いデコレーションケーキみたいな建物がどーんと姿を現した。
やたらけばけばしく、ごてごてしていて、それはそれでいいのだが、なんだか、その割にひっそりしている。
まるで、完成間際で施主が破産してほったらかしになったバブル期のリゾートホテルみたいだ。
「やっ…てるのよね?」
いつの間にか先頭になっていた銀鈴が、誰にともなくきいた。
「入ってみればわかるよ」
楊志が言って、自動ドアの前に立った。開かないかも、という予感を裏切って、ドアはちゃんと開いた。
おお開いた、と思いながら数歩中に入った、途端だった。
「いらっしゃいませ」
「わあ!」
思わず楊志が大声を上げて飛び退った。すぐ、横に、男が立っていた。頭を下げたまま上げてこないのは、きちんとお辞儀をしている接客係なのでございます、ということなのだろうが…
「びっくりさせるなよ。なんだい、ここの人か」
「いらっしゃいませ」
もう一度同じことを繰り返し、ゆっくり顔を上げた。妙に顔色が悪く見えるが、ごく普通の中年男だ。接客係なのだろうに、にこりともしていない。
「フロントへどうぞ。あちらでございます」
言われた方をみないっせいに見た。妙に暗い、穴倉のようなカウンターに、男が一人立って、待っていた。薄暗がりの中に目が二つ光っている。
「なんか…」
結局何も言わず楊志はチケットを揃えたものを持って、歩み寄った。
他の連中もぞろぞろ中に入って、吹き抜けの大きなロビーで上を見上げたり、窓の外に広がる景色を見たりした。
見回しても、この二人以外には、スタッフも他の客も見えない。
「なんだか、」
銀鈴が呟き、一清と目を見合わせ、やはり黙った。戴宗と鉄牛は疲れた〜と言いながら背中合わせにへたりこんでいるが、体のどこかが緊張しているのが見るとわかる。
大作だけが後ろの方で、わあ、大きいシャンデリアですねえ!と明るく叫んでいる。その声を聞きながら、
おかしいと思う何がある訳でもないのだが、大作以外の全員が妙なものを感じているのは、やはりエキスパートのカンなのだろうか、と呉は思った。おそらく、建物の中のどこからか、狙っている存在が居るのだ。
「九人なんだけど部屋はどうなるんだい」
「お二人ずつが三部屋、あとはお三人様で一部屋でございます」
「一人一部屋じゃないのかい」
「申し訳ございません。シーズン中ですので、混み合っておりまして…」
そう呟いて慇懃に頭を下げるが、なんだか、釈然としない。この施設が混み合っているようには、どうも感じられないのだった。
しかしここでモメても仕方ないので、わかったよと答えた目の前に、鍵をぞろりと四本出される。受け取って、振り返り、
「集合だよ。部屋割りどうする」
即座に呉が前に出た。
「私は長官と二人部屋にしてください」
皆驚いてその顔を見た。なんとまあ思い切った。皆の前で大胆な。これからは積極姿勢でガンガン押していくのか呉先生。
「あらまあ」みたいに自分を見ている一同は気にかけず、呉は手を出した。
「鍵をください。それとも駄目な理由があるのか」
「あいや、別に、駄目な理由なんて。皆、いいよな?」
無論のこと。いいですよもちろん。どうぞどうぞ。末永くお幸せに。
口々に同様のことを言い、フクザツな笑顔で呉を見、中条を見た。すると中条が驚いた顔をしている(ほとんどわからないのだが)ので、へえ本当に呉先生からのゴーゴーアプローチかあ、と意外に思う。逆ならわかるのだが。この鍵は私がもらっておく、来たまえ呉先生、ちょっとしておきたい話があるから。と言って連れていってしまうとか。
幻夜はまた別のフクザツな顔で呉を見ている。今はすっかりその中年に御執心なのだな呉学究。いや、あなたが好きなら文句をつける気はないけれども。でもあなたがそう簡単にくら替えするとは思わなかった。いや、ずっとあなたに独り身を通せと言うのはわたしのわがままだろうが。わたしはわたしでこうやってる訳だし。でもあなたにはいつまでもなんというかこう、黒衣の未亡人みたいに貞淑にひっそりと。そこをわたしが時々訪れて慰めてあげるとか。そういうのもいいなと今更のように思うのだがどうだろうか。
「オフロってどこにあるんでしょうね、幻夜さん」
「大浴場は2階、露天風呂と《世界のフロ》は4階だ。プールは屋上」
すっかりチェック済みの知識を即座に口にしながら、そうだ。呉があの中年を守ろうと決意するその何倍かで、わたしはこの少年を守ろうと思っているのだ。それから楽しい思い出をつくらねばならない。一緒にフロ。夜の浜辺でムーディな雰囲気に…
『綺麗な星空ですね』
『ああ。でも、もっと綺麗なものをわたしは知っている。君の瞳だ』
『幻夜さん…今夜の僕をあなたに…あ、あげ…』
「幻夜さん、鼻血出てますよ」
「どうせそこのぼっちゃん方は同室に決まってんだろ。ほらよ」
楊志が鍵を投げてよこす。当然だ、と言いながら鼻血を拭っていない方の手で受け止める。戴宗はおいおい楊志、とむつけたが、とりあってもらえない。
「あたしと銀鈴が同室で、あとの三人は一部屋だね。なんだ、部屋割り考える必要なんかなかったな」
あっはっはと笑う。あとの三人がどへーという顔になって、
「ま、こんなところだろうと覚悟はしておったが。こやつらと三人か…普段と大して変わらん」
「銀鈴と俺って訳には…いかねえだろうなあ。いかねえ?いかねえか。へ。ふへへ」
「大作、ヘンなことされそうになったら蹴ったぐって逃げて来いよ。わかったな。いや、ロボを呼んでそいつを握ってもらえ。ぎゅっぎゅーって」
大作は困ったような恥ずかしいような笑顔で、憮然とした表情の幻夜をちらと見た。
自分たちの部屋に入る。赤いカーペットにあちこち焼け焦げがある。前に使った人間が歩きタバコでもしたのか。その点をのぞけば、思ったより大きい。外観はともかく、室内の装飾までが真っ白に塗られているのはちょっと珍しいと思った。普通もう少し無難で落ち着く色にするものだが。
こんなに純粋な白で柱も家具も天井も塗られているのは精神病院くらいだろう…
ふとそう思ってから、精神病院では逆か、と思った。人を白一色の部屋にとじこめておくと気が狂うというのだ。確か。
荷物を部屋のすみの小さなテーブルに置いて、ふとベッドが二つ並んでいるのを見て急にどぎまぎする。そりゃあ二つならんでいるだろう、二人部屋なんだから。二人部屋なのにベッドが一つしかなかったらもっと問題だろう。
どぎまぎ、を見透かしたように、後ろから手が伸びて肩を包んだ。
「ひゃっ」
「おかしな声を上げないでくれ。呉先生」
「はっ、はひ?」
「嬉しかったよ。君からあんなふうに態度で示してくれるとは思わなかった。本当に嬉しい」
どんどん自分の懐に抱いていきながらじりじりとベッドに向かって行軍を開始した中条に、
「ちょ、ちょっと、待って下さい長官」
「待たない。夕食まで時間はたっぷりあるしフロは後からでもいいだろう」
「長官!」
「呉先生…」
「違いますって。ちょっと話を聞いて下さい。長官。話。私の。とぁー!」
腹を立て、奇声を上げて背後に倒れ巴投げを打つと、中条は宙を飛んでベッドの上に落ち、バウンドして一回転した。呉はがばと床の上にひれ伏して、
「申し訳ございません!お怪我は!つ、つい。あの、こう、すっと入ってしまって」
見ると中条はベッドに座って、くすくす笑っている。
「見事だ。柔道一直線か。いや柔道賛歌か。まあなんでもいいが、さて。話を聞こう。何か危険が迫っているのか?」
ぱか、と口が開いて、ぱくぱく、と開け閉めしてから、
「どうしてご存知なのです」
眉間のつるを指で押して位置を直し、
「さっき戴宗君たちがおかしなことになった時、君は『誰かに襲われたのか』と聞いた。いくら戦いが習い性になっているとしても、一見浮かれて迷子になった連中に対して使う言葉としては、少し唐突ではないか?その後『皆でかたまった方がいい』と言った。この後また同じような異変が、多分起こるだろうから、と言っているように聞こえた」
そこで、呉の顔をうかがうように見て、
「船の上では昔の兄弟分と、何やら顔を寄せ合って密談をしていたし」
言い方にトゲがあるが呉は無視した。
「それで、何かあるとわかったのですか」
中条はにやりと笑ったが、それは妙に寂しげでもあった。
「決め手はさっきの行動だがね。君から、私と二人部屋にしてくれと全員の前で言うなど、なにか君が自分自身に対して立派な言い訳になる目的でもない限り、決してやりはしないことだろうからな。たとえば、部下として上司を守る、などのね」
「それは…その通りです…」
なんとなく、きまり悪く、うつむいた。床の上にぺたりと座ったままでいる相手に、
「いいのだ。君が義務感でそうしたのだとしても、怒ったり嘆いたりするのは筋違いだ」
「義務感だなんて、そんな。それは違います」
慌てて首を振り顔を上げる呉の、いつのまにかすぐ側に中条がいて、床に膝をつき、
「義務感じゃないとしたら、何だろうな?それを期待してしまう私は、身勝手かな」
「長官…ってちょっと、待って下さいっ」
なにかにかこつけては肩に手を回し押し倒そうとする相手を押し返して、
「とにかく、おっしゃる通りです。エマ…幻夜は大作くんにしか券を贈っていないそうです。それ以外のものは多分、悪意の第三者が同封したのだろうと。おびき出されてやって来たところを、多分襲ってくるのではないかと、思われます」
「幻夜は心当たりはあると言ったのか」
「同僚あたりじゃないかと言っていましたが、それほど確信がある訳でもなさそうです」
「ふん」
いつの間にか二人は床に向かい合って座って喋っていた。その構図のマヌケさにちょっと笑ってから、
「皆にはまだ言ってないようだな」
「はい。大作くんの耳には入れない方がいいかと思いまして。彼は幻夜が全力で守るそうですし」
中条の口元に、皮肉げでない笑みが浮かんだ。それを見ながら、
「島へ行かないでおく、という選択もあったのですが…あの状況でしたから、選びませんでした。間違っていたでしょうか」
「まあ、それが普通なのだろうが、生憎支部内は普通でない状態だったからな。いいよ。気にしなくとも」
「ありがとうございます」
下らないことだがOKをもらえてほっとする。
「とにかく、なるべく早めに皆に伝えておこう。それにしても」
「はい?」
「幻夜は、本当に大作君のことを大切に思っているのだな」
その言葉は、何故か呉の胸を衝いた。その通りだし、誰かがそう言ってくれれば嬉しいに決まっている。そうなんですよと身を乗り出して言いたくなる筈なのだ、それなのに。
なんだか泣きたくなってきて困惑する。自分で自分に首をかしげ、鼻の脇にシワが寄りそうなのを堪えながら、はいと言った呉の顔をつくづく眺めて、
「君も、私のことを全力で守ってくれようとしたのだな。…義務感からではなく」
すと顔を近づけ、しかし一定以上の距離は保ったまま、
「今はそれでよしとするよ」
黒メガネの奥で見えない目が笑っている。
それ以上近づいてこないので、また投げ技をかけようとしても、かけられない、と呉は思いながら、ちょっと鼻をこすった。
「さあっ温泉の前に一勝負だよ銀鈴、行こう!」
はりきって楊志が出て行くのを、慌てて銀鈴が追って廊下に出た。
「ちょっと、待って、ハンカチ忘れ…きゃ」
スリッパを踏んで転びそうになり、慌てて部屋に戻ると、廊下に出直したが、もう楊志の姿はなかった。
「もう。早いわよ。さっきは一清さんも過去のアベレージはいくつとか怒鳴りながら走っていったし…結局なんだかんだ言ってみーんな楽しみなのね」
笑ってしまいながら、長い廊下をエレベータの方へ歩いていって、
「えっ?」
思わず声を上げた。廊下の彼方に、タバコを咥えて、立っている、背の高い男の姿があった。村雨だ。トレンチコートはさすがに着ていない。ストライプのシャツにズボンだ。
「…健二さん?どうして?」
任務でこっちに、しかもこんなところに来るなんて、全然聞いていない。もしかすると北京支部に用事があって来て、そこで私たちの行き先を聞いて自分もやってきたのかも知れない。
きっとそうだ、と思いながら、足を速めた。
「健二さん!」
声をかけたその瞬間、村雨は角をくるりと曲がってしまった。
「健二さんったら!ねえ!待って」
相手を呼びながら走り、えっ、と思った。
あのシャツは、二人でいる時に敵の襲撃を受けて、もちろん撃退したけれど燃えてしまった筈だ。替えはない。だってあれは私がプレゼントしたものだもの。
変だと思うのと、角を曲がり惰性で前に出た足が宙を踏むのが同時だった。
「!」
落下する。とっさに手を伸ばし、今まで自分がいた床の端につかまった。見回すと、エレベータのケージが来ていないのに、扉が開いていて、自分は縁から足を踏み外して落ちたのだった。
(何なの?これ)
混乱しながらも、とにかく上へ上がろうとした。このくらいのことは日常茶飯事だ、特に必死にならなくても
簡単に出来る。
エレベータの扉が、左右からがーと閉じて来た。少し焦って、えいと上がろうとした時。
「!!」
扉が急に速度を上げて閉まり、銀鈴の手をはさんだ。普通センサーがあって何かはさんだら開いてゆくものなのだが、どういうことなのか、扉は意志があるようにぐいぐい閉まろうとする。銀鈴が苦痛の声を上げた。
怒りをこめて見上げた目に、誰かの手が、そっと扉の隙間から入ってきたのが映った。
「…!?」
小さな手だ、それはそうだろう、銀鈴より細い手でないと扉の隙間からは入らない。子供だろう。
その手が、そっと銀鈴の指に触れると、一本一本外そうとするのを、銀鈴は大きく見開いた目で、見つめた。
手は、しばらくそうやっていたが、なかなか銀鈴が落ちないことに苛立ったように、突然こぶしを握ると、銀鈴の指を上からがんがんと叩き始めた。
「いや」
状況のあまりの不気味さに、銀鈴が思わず声を上げた。
「やめて!やめなさい!」
声を限りに怒鳴りつけた。と、
また、誰かの手が、細い扉の隙間から今度は無理むり入ってきて、扉をこじあけ、
「銀鈴!なにやってんだ!」
鉄牛だった。手を伸ばし手首を掴むと、ぐんと力を入れる。あっさりと、銀鈴の細い体は引っ張り上げられた。背後で、扉ががしん、と閉まった音がした。
「怪我はねぇか?手は」
もう片方の手でそっとさする。赤くなって擦れた痕があるが、骨は痛めていないようだ。
「大丈夫みたい。ありがとう、助かったわ」
なんとか礼を言いながら、左右を見渡す。誰もいない。
「それにしてもよ、どうやっておっこちたんだ、こんなところに?通りかかったらなんだかエレベーターががっつんがっつん言っててよ、なんだろうって覗き込んだらお前が…俺が小銭財布を取りに部屋に戻らなかったら、誰も気付かなかったぞ」
「コゼニサイフって、なに…ああコインゲームでもするのね。別にいいけど…鉄牛、ここに来た時、誰か近くにいなかった?」
「いやあ?誰も。誰かって誰だ?そいつに落とされたのか?」
「そういう訳じゃないんだけど」
村雨健二か、あるいは、小さな手の主。
しかし、見ていないのなら、わざわざ言うこともないだろう。
「ううん、いいわ。何だったのか私もよくわからないんだけど」
立ち上がって、履いていたスリッパがない事に気付いた。落ちたんだな、と思うと、今起こったことが夢ではなかったのだと改めて恐怖が蘇ってくる。
乱れた髪を直して、自分を疑惑の眼差しで見ている鉄牛に、行きましょうと言ったが、目的地までエレベータに乗っていく気にはなれなかった。
「ったく、どこまで行ったんだ鉄牛のヤツ」
「銀鈴もなかなか来ないねえ」
「もういい、我らで始めてしまおう」
「張り切ってんなあ、公孫勝」
きらんと奥まった目が光る。「まいぼーるを持って来られなかったのが、つくづく残念」
人は見かけに、と言いながら、戴宗はボーリングの受付カウンターへ行って、
「おーい。ワンゲーム頼む」
「はい」
すー、と引き寄せられるように、汚い作業着のようなものを着た男が奥からやってきた。
「おひとり700円、三名様ですから2,100円です」
「高ぇな。ま、こういうところだからしょうがねぇか。ほら」
「こちらがスコア表です。お使いください」
「お、ありがとよ」
三人は貸しシューズに履き替えた。浴衣姿にボーリング用シューズは合わない。楊志はあの頭に、裾の下ににょっきりでたスネ、そしてあの靴で、木こりか山賊のようだ。
「それにしても」
きゅっきゅと靴を板で鳴らしながら左右を見回し、一清が、
「とにかく、我々以外の客と会わんな」
レーンは誰もいない。BGMにビーチボーイズの曲がにぎやかに流れているのが、やけに耳につく。
「この建物に入った時にあたしも変だなと思ったんだよ。どこがシーズン中だよってね」
「きっとフロに行ってるんだろ。晩飯になればイヤでも会うだろうさ、皆バイキングの席では敵同士だからな。俺は負けねぇぞ」
今からヘンに勢い込みながら、小さな机の上に紙を置いて、
「いっ…せい、よう、し、たいそうと」
言いながら名前を書き込んでいった。
「やっぱりなんだね、ラストは三連続ストライクだな。それでこそボーリングのシメってもんだ」
言い終わったとき、一清の準備体操も終わった。
「さあ、やろうぜ。おっさんファーストだ。ぎっくりやらかすなよー」
「ふん…ボールの軌跡を、いや奇跡を見てから言うがいい」
すちゃ。オンスを確かめることもなく、黒いタマをすっと指三本入れて取り、置いてあったダスキンできゅっと一拭きしてから、すすと歩み出、流れるようなフォームで投げた。足がちゃんとクロスし、左手がぴっと下方へ伸び、投じた右手がきゅっと上方へねじられている後ろ姿を見て、二人は「ほお」と口を開け、顔を見合わせ、「ふむ」とうなずいた。
ごろごろごろごろごろ…かっこん、かこん、かっこーーーん。
王冠のマークが誇らしげに点灯した。一清は上げた右手をぐっと握って、ぐっぐっと二回ひきつけた。
「ナイショッ」
「あんた、違うよ」
言いながら二人はぱちぱちと拍手した。一清は得意満面で戻ってくる。
「なんだ。山にこもってあんなことばっかりやってたのか」
「じゃあ樊端はもっと上手いのかね」
「かもな」
楊志がだんっと立ち上がり、
「ようし。あたしが使えるのが棒だけじゃないってところを、見せてやるよ」
「行け行けー」
「うぉりゃー」
豪快な掛け声。豪快なフォーム。投げているのはソフトボールだろうかビーチボールだろうか。
投げてからしばらく経って、…ひゅーううう、どっすーん!どすんどすん、どかーんどかーん。
「やった!ストライクだよ!」
喜ぶ楊志に、二人は手を叩きながら、
「そのうち、床に穴あくぞ」
「ボーリングではなく、砲丸投げだな」
「ぐだぐだ言ってないで、あんたもほおりな」
楊志が手を伸ばして、戴宗の襟首を掴むと、ほいっと投げた。おとと、と言いながらたたらを踏んで、見かけによらず軽いのを取って、指の先で回したりしてから、
「よっと」
ものすごい変則フォームで投げる。ぎゅーんと曲がったので二人が笑った時、ボールはきゅきゅきゅと音を立てそうなほどにカーブして、見事、なで肩の白いフィギュアを全員、なぎ倒した。
「やるねえ」
「ふむ。さすがは神行太保、一筋縄では行きそうもないて」
「ったりまえだろうが。これからこのレーンでは地獄を見るぜ」
戴宗は得意げに胸をそらした。
それからは大変にハイレベルな戦いが繰り広げられ、中山律子さんや須田開代子さんが見ていたら裸足で逃げ出すか、是非一戦をと願い出るか、ボーリング界の未来は明るいと安心するかのどれかであったろう。ストライク、ストライク、9ピン、スペア、ストライク。スプリット、おっと危ない、どっこいスペア。ライバルからの邪心のない拍手、流れる汗と白い歯。芽生える友情。
ピンの倒れる音で、ビーチボーイズも聞き取れない程だ。
「さあ、いよいよ最終ゲームだ。三連続ストライク、狙ってみるかな!」
「大口を叩くのは、まずはそれが達成されるところを見てからにせい」
一清はタマに魂こめました、とばかりに精神集中して、投げた。ストライク。
「ナイッス!畜生、やりやがる」
もう一投。美しい軌跡はもはや芸術であった。ストライク。
「いいよ、いいよ!そのまま行っちまいな!」
「言われずとも」
呟きながらタマを持ち上げ、きゅきゅっと拭いて、構え、すすっと前に出た。その時。
もうおわりじゃ、つまらない
誰かが、自分の、耳の後ろに居てささやいたと一清は思った。ぞわりと肌があわだち、投じる指がひきつった。
「あ、あ、あー」
戴宗と楊志の悲鳴、そして、ばらばらと倒れるピン、上のランプが七本、輝いた。
「惜しかったな!最後にちょっと力抜けたな。力入ったのか?どっちにしても惜しかった」
「やれやれ、ってことはあたしは何ピン倒せば勝てるんだ?ありゃ。もしかして足りないか?」
二人が騒いでいるのを振り返って見られない。何だったんだ、今確かに聞いた、すぐ…後ろで。
「さてとスコアつけないとな。ストライクの、ストライクの、…あ、?」
いつの間にか。
戴宗が書き込んでいる、一番右端の一清の記録、右端だけ三つ並んでいる、これでおしまいの、ゲームの最後。
その、右側に、更にスコアを書く欄がある。どんどん、空欄が増えてゆく。
なんだこれ、どういうことなんだ。今ゲームが終わるところなのに、と思う気持ちがあるのに、
さあこれからゲームを始めるぞという気持ちが半ば無理やり、心に植え付けられてゆくのを感じる。戴宗は楊志を、そして一清を見た。三人の顔に、同じ動揺と、恐怖と、それから異様なやる気とが、狂気のようにこみあげてくる。
止めよう。何か変だ。戴宗はそう言おうとした。しかし、
「やっぱりなんだね、ラストは三連続ストライクだな。それでこそボーリングのシメってもんだ」
口から出たのはその言葉だった。そのことに戴宗の目には驚愕と絶望が映り、口元はゲームが始まる喜びで笑みをつくった。
そして、なにがなんだかわからないのに、どこかでわかった。これが契約なのだ。
これが達成されてこそのボーリングなのだ…
これが達成されないのに、どうしてやめられるだろう?
これが達成されないうちは…
『俺たちは、ここから出られない』
「さあ、やろうぜ。おっさんファーストだ。ぎっくりやらかすなよー」
一清も、自分たちを突然縛った、あまりにも無体な約束事がわかったのだろう。
「ふん…ボールの軌跡を、いや奇跡を見てから言うがいい」
混乱と、情熱とで、青ざめた顔でそう言い、そう言った自分に、やはり絶望した。
それから。
三人は、投げて、投げて、投げ続けた。最後の三投のために、力をとっておいた方がいいとわかっているのだが、どういうわけか、身内からやりたい、もっともっとやりたい、全力でという情熱と欲望がこみあげてきて、それが四肢を捕らえ、手抜きをさせないのだった。
「さあっがしがし行けぁ、楊志!」
「おうさ、あんた!」
叫ぶ、どちらの顔も苦痛で歪みながら、楽しくてしょうがないように見えるのだった。
永い永い時の果て、ようやく、いやとうとう、最後のチャレンジがやってきた。
一清は真っ青な顔で、タマをきつく抱え込むと、精神統一し、向かった。第一投。見事ストライク。
第二投。ストライク。
震える手を叱り、必死でかなたに並んだピンをにらみつけ、すすと前に出る。
またあの声がした。息遣いさえ、耳をかすめた、
もっとやろう
しかし、今度は一清は人相が変わるほど歯を喰いしばり、完璧な一投に成功した。かこーんかこんかこーん。ストライクだ。
「やったぞ!さすがは一清だ」
「すごい。完璧だよ、初めて見たよ」
大喜びしている二人、それから、ちぇっという誰かの舌打ち。今度も、一清は振り返れなかった。
声は続けた。
でも、まだ、二人いるから
「なに?」
思わず声に出して聞き返していた。
さんにんとも、さんれんぞくでないと
一清の口がかっと開いたが今度は声が出なかった。何かに呼ばれたように、楊志がぬうと立ち上がり、こちらへ近づいてくる。
目が落ち窪んで見える。
「よし、見てな!あたしも続くよ!」
しかし。
楊志の三投目、つつと前に出た瞬間、あっと叫んで転んだ。ボールはがこんがこん、と言いながらガーターになり、どこどこと流れていった。
何もないところで、まるで誰かに足でもひっかけられたように、転んだ彼女に、戴宗が甲高い笑い声を投げ、
「なにやってんだよ楊志!やれやれ、先が思いやられるぜ。なんたって、最後は三連続…」
またやらなければならないのだ。最初から。
苦痛の息が喉から漏れるのに、嬉しくて仕方ない。さあ、
ゲームの始まりだ。
[UP:2002/6/21]
どうやら二つで終わらないので一旦載せます。近日中に完結させます。
後日挿入。すみません、三連続ストライクの定義が間違ってますけど勘弁してね(笑)
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