湯船の中、湯気でよく見えないが、数メートル先のあたりに、女の子がいる。
金髪と濃い灰色の目をしている、外国人の小さな女の子は、じっと大作と、その手のオモチャを見比べている。
まだ小学校に入っていないくらいに見える。
「あれ…やっぱりこっちが女風呂!?…違うよね。小さいからお父さんと一緒にこっちに入ったのかな」
小さいとはいえやっぱり女の子だし、自分だってまだ子供だけど男なのでこういう状況は非常に気まずい。
「ね、ねえ、君、お父さんか誰かと…」
それ
女の子が繰り返す。
どうやって遊ぶの
「あ、うん」
持ち上げてねじを巻き、湯の上に置いた。と、ジャイアントロボが両手両足を風車のように回しながら、ぱたぱたぱたぱたと泳ぎ始めた。
女の子のはしゃいだ甲高い笑い声が、ガラスが割れる音のように湯船の中に響き渡り、大作は笑うのと、顔をしかめるのとが同時だった。
ものすごい声だな、喜んでるみたいだからいいけど…でもやっぱり、このオモチャで遊ぶのは、このくらいの歳の子だよね。僕ってやっぱりちょっと子供っぽいんだな。
お互いハダカで向き合っている気まずさが解消されたことで少し、強張っていた肩が落ちた。
そっち
「え」
そっちも
女の子は苛立ったように怒鳴った。大作は慌ててもう片方のねじも巻いた。
大怪球は底部に開いた小さな穴から出たスクリューが回る。球形に対しての推進力としてはあまりバランスがよくないので、飛んだり跳ねたり沈んだりする。まあ、わざと狙ったのだろう。
女の子は今度もけたたましい笑い声をたてた。耳がキーンとなる。
思わず手で耳をふさぎそうになりながら、
「ねえ、君の、おうちの人は」
もっと遊ぶ。ね、もっと遊ぼう
女の子は大きな声で叫んだ。
あたしがいいっていうまで遊ぶのよ。ね?いいでしょ?
くらりとする。湯にあたったのだろうか。なんだか、世界が、自分の足元めがけて落ちてくるようだ。あるいは、砂時計の、ちょうど砂が落ちる地点…
大作は思わず手で顔を覆って、後ろの壁によりかかった。
予想に反して、壁は生暖かかった。妙に柔らかい。大作の体を包み込んでくるような感触だ。
何で風呂場の壁が柔らかいんだ。そんなことあるわけないじゃないか…息までしているようだ。
ねえ、いいでしょ?
女の子が苛立ってきつい声を上げた。
「い…」
いいよと答えようとした。ほとんどそう答えかけながら、途切れがちな声で辛うじて抵抗する。
「いや…でも、…どこにい…だろう、ゲン…探さないと…いけないひとが…」
いいじゃない。あたしと遊ぼうよ
「ダメだよ」
強く叫んだ。そうだ、ダメだ。考えてみると随分前からちゃんと姿を見ていない。追いかけてここまで来たら居ないのだ。早く見つけなければ、という思いが、どういう訳だかやたら強くこみ上げてくる。
じゃあ、あたしがその人つれてくる。そしたら一緒に遊んで。ね。
再び強く詰め寄られて、まだ駄目だと言う理由が見つからず、大作は困った。なんだか、うんと言ってはいけないような、気がするのだった。目の前でじっと自分の、うんという答えを待っている女の子の、
目がなんだか、
駄目だ
その声が、さっき頭を洗っている時にとなりにいた誰かの声だと気づくのと、ぐうっと足が重くなり吐きそうになるのが同時だった。
女の子が隣りを見た。誰も立っていない空間を見据えて、
なんでえ?
そいつが探したいのは、ゲンヤってやつだ
声は、姿を見せないまま、優しい口調で続けた。
な、駄目だろ?ゲンヤってヤツは、苦しめて苦しめて、苦しめて苦しめて苦しめて苦しめてやらなきゃいけないんだよ?
大作の喉がひぐっと鳴った。
女の子はうふふふと笑った。天使のような笑顔だった。
あ、そうかあ。そうだよね。苦しめて苦しめて苦しめて、
そう。苦しめて苦しめて
声をそろえた。
苦しめて苦しめて苦しめて
「やめてくれ!」
大作の悲鳴が、きっかけの合図だったように、ぴったり重なった声で、
死ぬより苦しい目に遭わせてやらなきゃ
そして、耳を聾する甲高い笑い声が、浴室にわんわんと響き渡った。
「やめろ!やめろー!」
しかし、二人とも大作の絶叫など聞こえないように、きんきんと笑い続ける。大作はかっとなって、女の子の肩に手を伸ばし、掴んで、
「やめろったら!何言ってる…」
びくっとなって手を引っ込める。声を飲んだ。つめたい。血が通ってないようだ。そして、一瞬だったが、手触りが。
ずるりと滑ったような。
ビニールの上に、皮を敷いて、それをすべらせたような。
女の子は笑い続けながら、大作の顔を見上げた。
目が。
目が、だんだん、
白目の部分がしぼんできて…黒目の部分が濁ってきて、
顔が。焼け爛れてゆく。
でも、あんたはね、殺してもいいんだよ
言葉の接続が合っていない。…大作は首を振った。
なんで、けたけた笑った後で続ける言葉が、それなんだ?
だってあんたが殺されたら、ゲンヤは苦しむでしょ?そうでしょ?ねえ、そうでしょう?
声が割れてゆく。大きく大きくハウリングしてゆく。
だから、殺してもいいんだ。でも会わせてやらない。あんたがゲンヤと会うのはね、
うふふふふと笑う。天使のような笑い声だ。爛れ落ちていく黒い顔で。
あんたが、もう少しで死ぬ時か、死んだ後。ね。
ね、ともう一度強調される。うんと、言ってしまいそうだ、頭がくらくらする…
殺す前に、もう一度遊んでよ。ねえ、そのおもちゃ、動かしてよ
「どうして…」
怒りともどかしさはどんどん大きくなってゆくのに、それに比例して体から力が抜けてゆく。
「どうして幻夜さんを苦しめるんだ」
ばかねえ。そんなこと当たり前じゃない。シタコトノムクイはうけなくちゃいけないからよ
多分、そのフレーズはもっと年長の人間が言っているのを、丸暗記したのだろうという、イントネーションで、その証拠に、
「幻夜さんが何をした報いだっていうんだ」
ナニヲシタムクイじゃないわ。シタコトノムクイよ。だから、苦しまないといけないのよ
ゲンヤってBF団なんでしょ
突然、今まで、たどたどしい口調で喋って来たのが、急に滑らかになった。この子にとって、オモチャ、やおやつ、やくまさん、と同じ頻度、同じ身近さに、BF団という言葉があるのだろう。
「BF団?…なんでそれが」
もういい
声が、静かに遮った。
他の人間たちも、そいつを探して騒ぎ出した。中に、ゲンヤを苦しめるのに使える奴がいる。ここに連れてくる
そう?でも、
女の子は黒く縮んだ顔の上に残念そうな、片方残った目で、大作と玩具を見ている。もう片方の目は、もう無い。眼窩だけが黒い。
もうちょっとだけ遊んじゃだめ?
しかたないな、リサは。他のやつらを連れてくるまでの間だよ
やったあ
女の子がはしゃいで飛び跳ねる。大作の膝から力が抜けて、湯船の中に沈んだ。もう湯は今や水のように冷たかった。
なにしてるの。立って、そのおもちゃ動かしてよ。
この場合、
どうするのが正解なんだろう、
立ち上がってこの子を振り切って、幻夜さんや、皆を探しに行くべきなのか。
言われた通りにおもちゃを動かしてやって、隙を伺ってこの子をなんとかするべきなのか。
なんとか、といったって。
この子は多分、生きた人間じゃない、とさっきの指の感触を思い出して、体を震わせた。
普通の相手なら、ロープで縛ったり、うまくやれるかわからないけど当て身をくらわしたり、できるだろうけど。
この子を縛ろうとしたら、ずるって、ずれるかも知れない、…皮が。
大作は恐怖と絶望と戦いながら、必死で身を立て直した。
そして、ねじを巻き、希望に満ちた目で自分の手元を見ている女の子の前に、そっとおもちゃを浮かべた。ぱたぱたぱたぱた、と張り切って泳ぎ出したジャイアントロボを見て、女の子は再び笑い声を立て、後を追いかけ出した。
大作は、かたかたと震えながら、ゆっくり尋ねた。
「さっきの…声のひと、いなくなったの?」
もういない。ゲンヤの前で一人ずつ殺すのよ。あんたは最後
おもちゃを追い回しながら、ごく当たり前のことのように言われ、大作はまた倒れそうになったが、堪えて、
「あの人、誰?」
女の子は屈託なく、同じ調子で言った。
おにいちゃんよ
「君のおにいさん?」
そうよ。おにいちゃんは体がすっかり燃えちゃったの。だから体がないのよ
(そうか、君は燃え残ったってわけだ。ふうん)
気が変になりそうだ。
泣き出しそうだ。でも、泣いたら多分、もう立ち直れないだろう。ただ泣くことしか出来なくなるだろう。必死で、とんでゆきそうな理性を引き止めて、
「君、リサっていうの?」
そうよ
「おにいさんの…名前は、なんていうの?」
マーチン。マートって呼ばれてるけど
「君たち、どこの国のひと?」
うるさいなあ。ほら、止まっちゃったじゃない
声を荒げてから、女の子があーと言った。
パパだ
見ると、ロボが、両手をバンザイにしてうつ伏せでぷかぷか浮いている。
大作はぞっとして、反射的にロボを拾い上げ、必死でねじを巻いた。恐怖と寒さで体がガタガタ震える。ロボは勇ましく泳ぎ始め、女の子は再び喜んだ。
この子がロボに飽きたら。
『もういいわ。じゃ、あんたを殺すわね』
そう言って僕に向き直るんだろう。
この状況は、たとえ本物のロボを呼んでも、打開できるとは思えない。
「大作ぅー!返事しろー!」
「大作よう!」
がらがらがら、引き戸を開け、うっそうと緑の木々の繁る風呂の中をうろうろして叫ぶ男達、
「草間大作、どこだー!」
ぼこぼこと泡の吹き出る湯船を半狂乱で漕いでまわっている白スーツ男などさまざまだ。
「大作くーん!」
「大作ー!」
もしかしたら女風呂におびき出されているかも、ということで、銀鈴と楊志はそれぞれ各女性用の風呂を探しまわったが、やはりいない。
すっかりしめっぽくなった姿で二人はおちあい、いた?いないわ。そっちもね?ああ。とやってから、
「それにしても、完全に変だね。どこの風呂も、誰も入ってないよ」
「そうね。廊下も、ロビーも、脱衣所も、浴場も誰もいないなんて」
「そういや、ここの奴等もグルなんだろうな。いっちょ締め上げてみるか」
ばきばきと指を鳴らした楊志に、
「無駄だぞ」
下から上がって来た一清が言った。
「そう思ってフロントへ行ってみたのだが、誰もいない」
「ふん、正体を表し始めたってことかい」
「ということは、いよいよ大作くんが危ないわ」
その言葉には、二人とも沈黙で同意するしかない。
一方、2階の風呂場に向かった中条と呉は、中に入り、一通り見て回ってから、
「誰もいないな」
「そうですね」
大浴場は森閑と静まり返っている。人っ子ひとりいない。こちらはごく普通の大きな風呂でしかないので、隠れるような場所もない。
呉が再び首をかしげるのを見て、
「何か疑問があるのかね」
「はい。…何か聞いたことがあるのです。なんだろう」
呉は洗い場の真ん中で足を止め、少しうつむいて考え込んだ。
「さっきの、BF団への招待券の話か」
「はい。…レジャーセンター。…BF団の…」
嵯峨マリンビーチ、と呉がつぶやいた。
「嵯峨マリン…サガマリンビーチ」
呉の顔がゆっくりと上がってきた。
「そうかも知れない。いやきっとそうだ」
「わかったのか」
「はい長官。峨眉です」
「なに?」
眉をひそめる。呉は相手の顔を見て、
「建物の名前はアルファベットでGABIだった筈ですが。峨眉山にあったレジャーホテルなんです」
「…私も聞いたことがある気がする。…だが何故それが突然出てくるんだ?」
「アナグラムです。サガマリンビーチをばらばらにすると、ガビという言葉が入っていますね?それから」
口の中でつぶやいてみて、
「残りは?」
「リサと」
呉は二秒後に、
「マーチンです」
「その人名は何だ」
「はっきり思い出せないんですが、もしかすると、ホテルの」
うるさい
背後から声がした。二人がはっとして振り返った時、湯船の中の湯が、どぉと立ち上がって、襲い掛かってきた。
避ける間もなく、二人は飲み込まれた。水中だというのに、どういうわけか、声が聞こえてくる。
お前はゲンヤの気持ちが強く向いているやつだから、連れてゆく。ゲンヤを苦しめるのに使えるから
湯の中で、呉が大きく目を見開いた。
二人くらい殺して、並べておく。それからゲンヤの前で、最後のひとり。これは、あの子だな
(大作くんもお前がさらったのか?今どこにいる!)
心で怒鳴ったことに、返事が来た。
あの子なら風呂場でリサと遊んでる
(風呂?…)
お前たちには場所がわからないだろう
声が笑った。
短い、短いほんのわずかな時間に、呉の中で記憶が、光の速さで流れた。
呉の、手首を掴もうと中条が手を伸ばしたが、
「うわ!」
呉は高々と掴み上げられ、湯ごと、壁に吸い込まれていった。
床に落ち、即座に立ち上がって飛び掛かろうとした中条に向かって、
「地下です!風呂は。峨眉のホテルはそうでし」
た、と言いながら、呉は壁に消え、残った湯がびしゃあと床に叩き付けられ跳ね返った。
中条はずぶぬれのまま廊下へ飛び出し、飛ぶように階段に向かい、すぐさま下へ…
向かおうとし、ほんの、一億分の一秒ほど迷ってから、きびすを返し、階段を蹴って上へむかった。
上で悲鳴と叫び声、「銀鈴!」という声が聞こえ、その階に中条がたどりつくと、楊志と一清が愕然と廊下に突っ立っていた。
「銀鈴君が消えたのか」
二人は白い表情で振り返り、
「は、はい、突然…どういう仕組なんだか、そこの壁のクロス紙が剥がれて、銀鈴をぐるぐる巻きにしたと思ったら、すーって壁にめりこんで」
「本当に、『あっ』と言う間も無かった」
「では、あとは本人だ。本人の前に二人と言っていたな…冗談ではない。幻夜はまだ上か」
「幻夜?あっと、はい。まだ上です」
と、言っているそこに、上の部隊がばらばらと降りて来た。
「ちきしょう、大作どころか人っこひとりいねえぞ」
「やっぱり、このタテモノは変ですぜ兄貴」
「草間大作ー!どこだー!」
最後の絶叫はすでに、喉が嗄れきって、ガラガラだ。一人二部合唱になっている。そして三人とも、じっとりべとべとになっている。
中条は自分から駆け寄った。「幻夜」
「なんだ」
乱れてもつれてぐじゃぐじゃの髪をうっとおしそうに後ろへはねて、いらいらと睨み付ける。まだ何か言おうとするのを無視して、
「地下だ。急げ。でないと今ここにいない三人のうち、最悪二人が殺される」
全員が無言で目を剥いた。何故、と尋ねる人間はいなかった。次の瞬間、怒涛の勢いで、全員が下へ降った。
吹っ飛ぶような速度で下へ移動しながら、誰かが、
「でも、この建物に地下は無い筈ですが」
「ここにはなくても、あった建物があるらしい、そして全てはそこから派生しているようなのだ」
果たして。
気がつくと、そこは既に、一階を過ぎていた。
どこかで、重く単調な機械の音がしている。
「…ボイラーの音だ」
誰かが呟き、恐怖で顔を歪める。
「湯を沸かしているのか」
「地下に、風呂があるからだろう」
低く中条が言って足が床を踏んだ。長い真っ直ぐな廊下に出て、一方を見ると、廊下の果てに扉がある。反対側を振り返るとそっちも同じ形だが…
「こっちだ」
片方の扉が、ボウと明るんでいるのが見えた。扉にとりついて引き開け、脱衣所を突っ切って浴場へのガラス戸を思い切り開ける。
そこは。
どこからともなくやってくる、いやな、黄色い光がたちこめる大浴場だった。その真ん中に。
湯に掴まれて、空中に吊るされている呉、壁紙にぐるぐる巻きにされ、息も絶え絶えになっている銀鈴、それから、
ただ、ハダカで立っている大作がいた。顔が真っ青だ。
「呉先生!」
「銀鈴!」
「大作!」
皆口々に叫び、助けに…と前に出た途端、見えない高圧電線に触れたように、全員ふっとんだ。壁や床に叩き付けられ、声を上げる。
かん高い笑い声が響き渡って、顔を上げると、大作の後ろからひょいと、小さな女の子が姿を見せた。
けれど。
顔は崩れ、声は割れている。片方残った目が、黄色い光を灯して、嬉しそうに歪んだ。
面白いね。おもちゃみたい。一人くらい殺してもいい?ね、いい?
「やめろ…皆を…幻夜さんを…」
そう言った途端、大作がまるで見えない巨大なビーカーの中にいるように、足元から水が現れ、ぐんぐんと水位を上げて行く。大作は懸命に見えない壁に背を押し付けるが、水の柱はあっという間に膝をなめた。
「草間大作!」
幻夜が絶叫した直後、
来たか
戴宗と、楊志と一清がびくっとした。この声は、恐怖のボウリングのオーナーだ。
「誰だ!三人を放せ」
幻夜が怒鳴った。
駄目だ
くすくすと笑う。
お前の前で殺すんだから。二人くらい殺してからお前を呼ぼうと思ったのにそいつのせいで
呉が体を締め付けられて声を上げた。
場所がばれてしまったな。どうして知ってたんだろうな
「峨眉、のホ、ホテル、知っているか、エマニエル」
呉が、懸命に叫んだ。しかし声はつぶれている。
「ガビ?知らん、何だそれは」
こっちはガラガラ声で怒鳴り返す。
「知らない、のか?び、BF、団が、潜航艇、を利用する、ための拠点、ちょうどいい場所、にあったので…の、の、乗っ取ったのだ」
「いつの話だ」
「た、確か…5年ほど、前」
「私はその頃は中近東にいた」
悲鳴のような声になる。「そのホテル乗っ取り事件が何だというんだ」
「持ち主、は、たしか、アメリカ人、だった。これに賭けるつもりで財産を、つ、つぎこんだホテルをがぼがぼがぼ、乗っ取られてがぼがぼ」
自分を締め付けている水が顔を覆う。必死で顔を背けて、
「さんざんもがいて借金が膨れるだけ、膨れた、がぼ、ところで自殺した。河に身を投げて。
妻は…早くに亡くしていて…子供らは行方不明、げほげほ。げほげほげほ」
「だから、それが、何だと聞いているんだ」
お前は馬鹿だな
声が怒りのあまり笑った。
復讐だ。BF団のやつらは全員、苦しめて苦しめて苦しめてから殺してやる
そうよ
女の子がけたけたと笑った。
もっともっとひどい目に遭わせてやるんだから
「あなたね?」
銀鈴が途切れがちな声を絞り出した。
「私に…幻を見せて…おびき出して、殺そうと…したのは」
そうよ。あんたが一番逢いたいと思ってる人を見せてやったのよ。あんた、喜んで飛んできたわね。あのまま落っこちて死ぬと思ったのに
銀鈴の顔が歪んだ。悔しさと、恐怖と、幼い娘がそんなことを言っている姿に。
「俺たちに死ぬまでボウリングをやらせようとしたのは、声の奴、お前だな」
「俺と兄貴を迷子にして殺そうとしたのはどっちだ」
戴宗と鉄牛が怒鳴り、
「私に呉先生への殺意を植え付けて殺させようとしたのも、お前たちか」
中条が低い声で言った。呉は私に本心じゃないことを言わせたのも、としつこく言おうとしたが、水が口に入ってきて「がぼげべ」としか言えなかった。
そうだ。お前たちはどういう順番で殺してもよかったから
ゲンヤは最後、ゲンヤが一番心を向けてる相手はゲンヤの直前
それ以外は罠をしかけておいたところに足を突っ込んだ時転ぶみたいなものかな
「…俺たちまでここに呼んだのは…」
お前たちはBF団のやつとつながってるじゃないか
そんな奴らは同罪だ
そうよ。ドーザイよ
女の子の叫び声に幻夜はかっとなり、次に大作をおろおろと見つめ、再びきっとなって怒鳴った。
「何だ?わたしがBF団だからその復讐だって?冗談じゃない、私はそんなホテルのことは知らん。誰がやったのかも知らん。そんなことでどうしてわたしが」
BF団の一員なんだろ、それだけで十分だ
そうよ
うふふふと女の子が嬉しそうに言った。
パパの仇を討つのよ。パパをあんな目に遭わせた奴らは一人残らず殺してやる。あの時居なくたってBF団なら同じだわ
幻夜が愕然として女の子を見た。
ひどく似通ったフレーズを聞いたことがある。自分の口から。
…自殺したというホテルの持ち主の、子供たちなのか。
「お前たちは、…死んだのか、その後」
住まわせてもらっていた倉庫が火事になったんだ。でももう、そんなことはどうでもいい
しなくちゃいけないことをしているだけだ。終わるまで、きっとやり通す。BF団の最後の一人が死ぬまで。BF団と関係のあるやつもみんなみんな殺す
うつむき、苦悩する。今では、単純に、俺は関係なーいと叫ぶことは出来なくなっていた。
年の離れた、兄と妹。幼い妹にだけは、優しい兄。兄を慕う妹。
幻夜には、『この兄と妹の、その思いがどれだけ真剣で切実なものかは、誰よりもよくわかる』のだった。
しかし、苦悩しているヒマもないことを思い、顔を上げ、
「…ならわたしが責めを負う。三人は、草間大作は放してやってくれ。頼む」
二人がけたたましく笑い出した。女の子のきんきん声が響き渡る。
どんなにパパが頼むって言ってもきいてくれなかったくせに。あんなに頼むって言ったのに。
今更頼むだなんて
誰が
返事のように、大作をとりかこむ水位の上昇率がぐんと高くなった。もう胸まで来ている。
「幻夜さん」
幻夜は絶叫した。
「やめろ!やめてくれ!頼む」
うふふふ、と女の子が笑った。くるくると回りながら、
いい気味。ああ、いい気持ち
「やめて…ちょうだい、駄目よ…そんなこと、復讐、だなんて、あなたの…お父さんは」
願っていない、と銀鈴は霞む意識の中で言おうとしたが、女の子は濁った片目をぐいと向けて、
ばかねえ。パパはしんじゃったのよ。皆しんじゃわないと、つりあいがとれないのよ。わかった?
「無駄だ、銀鈴」
一清が低く言った、
「その娘には、『幼い娘なら持っているはずの憐憫の情』などというものは無い。もう、幼い娘ではない。かつて、幼い娘でいたことがあったモノだ」
大作が咳込んだ。水位が喉を過ぎ、必死で立ち泳ぎをしてみる大作の口から喉へ入り始めた。
「大作!」
皆が再び近づこうとするが、やはりどうしても跳ね返されてしまう。声が笑った。
駄目だ
その場所で、そいつがおぼれている姿を見ていろ
大作の口からごぼりと大きな気泡が出た時だった。
淡い、透き通るような緑色の光が、全てを圧倒して風呂の中に閃き渡った。全員の顔が緑色に照らされる。
「これは」
誰かが呟いた。見たことがある。ただし、こちらの方の、ではない、もう片方の…
もう片方、の娘が唇をふるわせた。
(にいさん)
光の中心にいる幻夜の姿が、ゆら、と揺れたと思った次の瞬間、光の糸になって消えた。と、同時に。
大作の体は、何者かに抱え上げられ、顔が空中に出た。大作は咳込みながら、一体何が起こったのかと下を見た。
そこに幻夜が居て、大作の腰の辺りを掴んで、体を高く持ち上げてくれていた。
「幻夜さん」
「もう大丈夫だ」
そう言う幻夜の周囲の水は、しかしもちろん止まるわけでもなく、どんどん上昇してゆく。
ヘンな力を持ってるんだな
びっくりしちゃったね
きょとんとして見上げる、女の子を見据え、それから空中に向かって、
「殺すなら殺せ。…わたしはこの場をもう動かない。構わん。殺すがいい。…わたしが死ねば、お前たちの復讐は遂げられたことになる筈だ。…この連中は解放しろ」
皆えっと言い、次に怒鳴り出した。
「幻夜、大作を連れて、もう一度テレポートしろ」
「そうだ。後からいくらでも背中さすってやる。救心飲んで寝てればいい。今は早く脱出しろ」
しかし、幻夜は首を振った。
「いいのだ」
なにかを決意した声の色に、皆黙る。
激情を押し殺した声が続けて、
「思えば同じ理屈同じ論理のもとに、同じ復讐をしようとしているわたしだ。…それがわが身に降りかかった時だけは別だ、などと言い張るのは無意味だろう。…
何よりも」
激情が、ほんの少しこぼれ出した。
「くさま…だいさく、大作くん、大作くんを救うために死ねるのなら、構わない。…父上には申し訳ないけれど、向こうで謝ろう」
「幻夜さん、イヤです、やめて下さい」
大作が泣きながら叫んだ。
その顔を見つめながら、少し、息を整えていたが、一度強く息をついてから、
「わたしは死んでも絶対にこの腕をおろさない。わたしが死んだらわたしを踏み台にしてくれ」
そう言って微笑んだ顔は、僕のことを考えてくれて、とっても嬉しいです、と大作が言った時と同じ、静かで優しい笑顔だった。大作は懸命にもがいて、幻夜の腕を逃れようとしたが、幻夜はがっちり捕まえていて、びくともしなかった。水位が上がり、幻夜の口に、そして鼻に到達した時、一瞬眉をしかめ、
「やるならやれ。幽霊などに負けるものか。わたしは、わたしの愛を貫いて死ねれば本望だ」
叫んだ後、すぐに静かな表情に戻って、目を閉じ、
一回、目を開けて大作に微笑みかけ、すぐに目を閉じた。
幻夜の顔が水面下に沈んだ。ゆらりと髪がひろがり、顎が上がる。皆騒然となる中、
「幻夜さん!!」
大作の絶叫が響き渡って、―――そして、何かとてつもなく大きなものが崩れる音が響き渡った。
耳がバカになっている。…なによりも、自分たちは何かの下敷きになっている筈だと思いながら、そろそろと、目を開けた。
そして、絶句する。
そこは、もう何年も前に使われなくなったと思しき、巨大な風呂場だった。
タイルにはひびが走り、鏡は割れている。湯船の中には何かの器具や、ベニヤ板がゴミ捨て場のように投げこまれ、勿論水は一滴もない。
天井の照明は無く、配線だけがぷらぷらと下がっている。故に、かなり暗かった。
そのがらんとした空間に、めいめいの場所で、へたりこんでいる。…銀鈴の側には鉄牛が居て、呉の隣りには中条が居るけれども。
一同の真ん中で、幻夜だけが気絶して、大の字になっている。いや、腕だけは頭上に高々と上げたカッコウで、気を失っている。その側で、大作がハダカでわんわん泣きながら、幻夜さん、幻夜さんと叫んでいる。
大作の泣き声で少しずつ皆の意識が戻ってきた。互いの顔を見合い、
「…夢か?」
「違うだろう」
「そうだね。現実だ」
「立てるかね」
「はい、どこも…」
「銀鈴、しっかりしろ」
「もう大丈夫。なんともないわ」
それから、
「大作、とりあえず服着ろ。持ってきてやるから」
そう、戴宗が言った。
また襲ってこないとも限らない、と用心しながら、できるだけ早く、一同は階上を目指した。気絶している幻夜は鉄牛がおんぶした。
行く先々の設備はもうすっかりはげたりはがれたり、ここから人が去って久しいのだということがどこを見てもわかる。ついさっきまでは、と思いながらも一階まで来た。やぶれたレースのカーテンがすっかりねずみ色になり、イスやテーブルがさかさになってうずたかく積み上がっているロビーを通り、外へ出た。鍵がかかっていたので悪いが一枚ガラスをこわした。
外へ出るともう夕方だった。美しい茜色の光に照らされた、白亜の廃墟を見上げ、
「やっぱりこれ、つぶれたリゾートホテルだったんだね」
「あの子達の親のものと、似たような経緯を経た建物なのかも知れんな」
「最初に見た印象は当たってたのね。…ごてごてしてるのに、妙にひっそり…」
呟いて、銀鈴が見ると、幻夜はまだ気絶している。すぐそばで、大作が涙をこらえながら、でもしゃくり上げている。
大丈夫だ大作、ただ気を失ってるだけだからよ、と鉄牛に言われうなずいたが、またしゃくり上げた。
「どうして、」
ため息をつく。
「あの子達、許してくれたのかしら。…情なんか、本当に無くしてたみたいなのに」
「多分なあ」
戴宗が地面にあぐらをかいたカッコウで、ふうと肩を落とし、
「ああやって死ぬことを、幻夜のヤツが心から満足してたからじゃねえかな。それはあいつらの望む、BF団員の死に方、じゃねえだろ?」
ちょっと考え、
「どうせ死ぬしかねえんなら、せめて大作のためになって、じゃねえんだ。…『大作のためになって死ぬ』ことを、あの時は本気で望んだんじゃねえのかな、あのにいちゃん」
「そんなキャラかねえ?」
楊志が首をかしげる。
「いや、もちろん、生きていろいろ楽しいことや不埒なことをやらかしてずーっと楽しんでいきたいとは思ってるだろうさ。…でもな、こう、心のすみっこのすみっこ辺りでだな。…自分はBF団だし」
呉が歯をくいしばったので顎のラインが変わった。
「BF団員である自分と、大作が結ばれてラブラブハッピーなんてのは、結局今のままじゃ無理だ、とかな。…命を捨てるんならBF団だって目こぼししてくれるだろう。そうやって死んだら君は泣いてくれるかい。君には幸せになってもらいたいんだ。時々は思い出しておくれ。てな感じがよ。あいつの奥にはあるんじゃねえのかな」
戴宗はふざけて幻夜の真似をしたが、言っている中身は当たっているかも知れない、と銀鈴は思った。
お父さまの復讐と、大作くんへの愛と、BF団に所属している重さの中で、兄さんは、兄さんなりに、必死なのだろう。
「追い詰められたぎりぎりの所で表した捨て身の気持ちが、結果的に大作くんを救ったのね」
あの子達。…
建物を見上げる。一度死んだ者は、もう二度と死なない。…満足するまで、魂はこの世に留まり、またどうにかして復讐を続けるのだろうか。
さっきは、そんなことは駄目だって言ったけど、本当に、自分にはあの子たちを止める言葉を、持っているだろうか。
…あの子たちを心から否定することは、出来ないと、思っている自分がいる。やむを得ない。ある意味正当な。
銀鈴は強く眉をしかめた。何を考えているのだろう。
「銀鈴さん」
え、としかめた眉のまま大作を見た。大作は幻夜の傍らから銀鈴を見上げて、
「おもちゃ…」
「え?」
「パタパタジャイアントロボと、ゴーゴー大怪球です。…探したんですけど、見つからなかったんです」
「………」
何も言えないでいる銀鈴に、ちょっとためらってから、
「あの子が、持っていったんでしょうか」
しばらく、黙ってから、声を出したら、ひどく喉にからまった。
「そうね、きっと」
皆、何とも言えない顔で足元を見る。無理やりのように、大声で、
「ま、幻夜が目を覚ましたらさ、ごほうびのチューくらい、してやるんだな」
楊志があっはっはと笑い、戴宗の口が不満げにとんがる。大作は赤くなりながら、まだ涙をためた目で、こっくりとうなずいた。
それから一同は、廃墟だけが建つ殺風景な島から、燃えるような夕焼けをしばし、ぼーと見守った。
「さて、海水浴でも、すっか」
それからはぁとため息をつき、「他にすることがなくなったからな」
来た時から着ていた赤白水着が、むなしく夕日に照り映える中、戴宗は準備運動を始めた。長く伸びた影がひょろひょろ屈伸をしている。
「食い放題…フロ…」
急に思い出したらしく、鉄牛がへたへたと座り込んだ。他の連中も急に腹が減ってきて、その場に座り込んだ。
「エビチリ…ローストビーフ…」
「やれやれ、幻夜が目を覚ましたら、船で戻るのかい?またあのエアコンの壊れた支部に」
「それ以上言うな」
「スシ…テンプラ…茶碗蒸し…くくくくく」
ぐっと、手を握られて、呉はびっくりして隣りを見る。
中条が、落日の海を見たまま、
「幻夜については、正直、ケタクソ悪い男としか思っていなかったんだが」
「は」
「『幽霊などに負けてたまるか。わたしの愛を貫ければ本望だ』…今回は教えられた」
呉は頬が熱くなるのを感じた。
「私も、幽霊などには負けないよ、呉先生」
相変わらず顔をこちらへ向けないまま、ぎゅうと手を握られ、あいたたと顔をしかめてから笑い、はいと答えた。
後ろで、幻夜さん、と大作の声が聞こえ、ちらと見た。幻夜の白目がひく、と動いて、くけけ、とか訳のわからないことを言った。
[UP:2002/7/4]
温泉月間ジャイアントロボ編です。温泉ていうよりは、レジャーセンターね。まさかこんなに長くなるとは思わなかった。
ちょうどかまいたちの夜2が発売される〜と浮かれているので、このようなモノになりました。かまいたちは別にこういう話ではないでしょうが、気分的にね。あと、シャイニング入ってます。オーメンもか?八郎潟も入ってる(笑)
何よりも、火曜日の夜9:00です。地名は中国、幽霊は米国人、なのに、何故か日本語でアナグラム。それこそが何より片平な○さ的(笑)REDRUM、みたいな言葉を使いたかったのだが。まあ、これはこれで安っぽくていいか。
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