召喚


誰かが泣いている。
自分は何とかそれを慰めようとしているのだが、思うような言葉が見つからないでいる。それどころか、満足に口がきけない。
「…う、…うう、…」といった意味のないうめき声が辛うじて出るだけだ。
無力感が四方から波のように打ち寄せる中、早くしないと間に合わない、という思いがせりあがってきて、呂律の回らない、重くはれぼったい舌を懸命に操る努力を続ける。
気が急く。間に合わない。何にか、わからないが。そして、
何故だか、諦めてはいけないような気がするのだ。
諦めた瞬間、そこで何もかもが終わるような気がするのだ―――

悲鳴を上げて飛び起きる、という類の夢ではないので、ただぐったりと目を開けた。
じめじめした熱い空気が自分を押し包んでいる。全然寝た気がしない。疲労感の中でゆっくりと瞬きをした。
ここのところ、こういう目覚めが続いている。故に夜ぐっすり眠れず、つい昼休みなどとろとろするが、それも同じ上映内容で、倦怠感を増しただけで身を起こす。今もそうだった。
泣いているのは誰なのだろう。今更、あの頃のファルメールを慰めようと努力する夢をみるとも思えない。勿論、今では笑顔で思い出せる、などという訳では決してないが、ある程度には、ある形では、自分の中に整理され仕舞われている事柄だ。ほいほいと引き出して眺める気にはなれず、かといって二度と引き出せないほど奥に仕舞いこむこともできない荷物ではあったが。
今、この時になって、わざわざ自分の無意識がくまのぬいぐるみを抱いた娘を連れてきて、毎晩自分の目の前で泣かせる、というのは考えにくいことなのだ。
それに、自分が夢の中で慰めようとしていた相手は、
「正直、男か女かもわからないし、歳もはっきりしないし」
声が疲れている。無理に咳をして、仮眠室を出た。
そうだ、相手の姿は何故だか覚えていない。ただ、ひどく絶望して泣いている。そのことだけがわかるのだ。
衣服を整えて外に出ると、とたんに真夏の強い光にまともに殴りつけられて、くらっと来る。
「呉先生、大丈夫ですか」
外で、同僚たちと話をしていた部下のひとりがこちらを見て、声をかけた。
「大丈夫だ。ちょっと。寝すぎて、寝ぼけた」
「嘘ばっかり。なんだか疲労困憊って感じですよ。まだもう少し、部屋の方でお休み下さい」
「いや、もう寝られない、暑いし」
なんだか自分の言葉が舌足らずで、寝起きの幼い子供のようだと思う。本当に寝ぼけているのか?しっかりしなければ。
しかし。
同じ夢をみるようになってから次第に、あの夢に出てきて泣いている誰かが、起きた後も自分の中にまだ居残っているような感じがするようになってきた。
その度合いが、徐々に強まっているような気がするのだ。
単なる、夢ではないのかも知れない。自分がつくりだした悔恨や不安ではなく、別の、外から来たものなのだろうか。
少しく、恐怖を覚える。振り払って逃げたい気持ちを抱く。しかしまた、もっと相手の気配が強まれば、相手の正体がわかるのではないか?という好奇心もある。誰なのか。何故泣いているのか。
何故自分が『早くしないと間に合わない』と思っているのか。
間に合わないと…どうなるというのだろう?
不吉な感触が背中を撫で、ぞくりとする。炎天下だというのに、思わずぶるっと震えていた。
なんだか不安定な相手の様子をずっと見ていたらしい部下たちは、眉間にシワをよせる。さっきと同じ男が、
「呉先生。一度支部にお帰りになって、健康診断を受けられた方が良いのではありませんか」
「そんなことをしている暇はないよ」
苦笑した顔を向けて相手の心配を押し返した。
「ただでさえ、調査が遅れているのに」
「ええーっだって仕方がないですよ。突然のシズマの故障でさっぱり、動いてくれませんでしたからね、我が愛しのマシン連中が。全くもって生意気な奴らだ」
「お前がさぼってばっかりいるから、シズマがそれを真似て変なクセがついたんじゃないのか、陽」
他の一人が言う。周りや、呉もそうだそうだと言って笑った。
『陽』という名の、名前の通り陽気で楽天的なムードメーカー的なその部下は汗を腕で拭いながら首をすくめて、おっと、と声を上げた。
「そうでした。つい先ほど、やっとこ直ったんですよ。これでようやく調査も進みますよ、先生」
「そうか。よかった」
素直に安堵の声を上げる。ちょうどそこに現場から戻ってきた男が、半身泥につかったような格好で手を上げ、
「まずは水の吸い上げですね。すっかり溜まっちまいましたよ。いやいや、暑いは雨は多いは湧き水は多いは、植物には有難いだろうけど、発掘調査には泣きたくなるような土地だね」
「悪いですね」
「先生が謝ることじゃねえですよ」
皆で笑ってから、なんとなく互いの顔を見合わせ、
「じゃあひとつ、また頑張ってみますか」
「宜しく」
呉はそのまま現場へ向かい、巨大な穴になっている縁から中を覗いた。
黄土色の土は黒い年輪のような地層を見せながら、広い範囲で数メートルほど掘り返されているが、泥水が溜まっていて沼みたいになっている。早速ポンプで汲み上げ作業に取り掛かっていて、直径30cmほどのチューブが三本、化け物ミミズみたいにのたくりながら水を吸い上げている。
モーターの音がやかましい。
ひどくやかましいのに、ふと気付くとその音のことを意識しなくなる。「それはそれとして」とでもいう精神状態になる。その、騒音の中に閉じ込められたまま、呉は、世界にはいろいろなオーパーツがあるけれども、シズマドライブがその仲間入りをするとは思わなかったな、とぼんやり考えた。

素人学者が趣味で地面を掘り返しているうちに、スコップの先に失われた文明の端部が触れるということは結構、起こる得るものだ。大掛かりな機材を投資し人海戦術で大地を片端から掘り返していけば必ず当たるというものでもなく、案外遺跡は自らを発掘する人間を選ぶ、のかもしれない。呉がそう言ったら、
「科学者さんにしてはロマンチストですねえ」
そう言って、この遺蹟に突き当たった素人学者は嬉しそうに笑っていた。もう白髪の老人だったが、頑健な体と子供っぽい精神を持っていて、どことなく雰囲気や背景がシュリーマンに似ている。違うのは、シュリーマンは実業家だったが彼は小学校の教師だということだった。公務で得た収入で、夏季の休暇を発掘に当てていた。
「老衰で死ぬ前に巡り会えて良かったですよ。光栄です」
そう言って本心から喜んでいる。
と、ここで終わるのであれば、呉はこのことを新聞やTVニュースで知るだけだっただろう。彼の言葉も片隅のコラムか何かで読み、無欲こそが古代のドアを開ける鍵、とでも呟いて終わったことだろう。だが、
どういう訳だか、その遺蹟の中から、どう見てもこれはシズマドライブだろうと思われるものが発掘されて、問題はややこしくなった。勿論、粗悪なガラス材が使われているからすぐに割れただろうと思われるし、受け側との接続部分も鋳造技術が未熟で、現在使われているものとは比較にならない。しかし、蒸発してもう何も残っていないが、明らかに内部で物質の科学反応を利用してエネルギーを得ていると思われるシステムは、やはりシズマドライブで、それを使っていたと思われる乗り物らしきものも発見された。周囲に残された什器類、武器の発達段階と比較して、明らかに不自然だ。什器とは丸太から切り出したような棚やら土をこねてこさえた壷であり、武器というのは石を加工してつくられた剣だか斧のようなものだったからだ。
シズマドライブに関することであれば、某国際組織に話が行き、そしてその中であれば知る人ぞ知るシズマの年若き権威に白羽の矢が…という流れで、本来国際警察機構の任務の範疇には入っていないが、土掘り部隊が編まれて老学者の代わりに掘ることになり、呉は目下赤道直下の小島に居るのだった。
機械の故障やら、突然の季節外れの長雨に阻まれて、当初の予定を大分オーバーしている。もう何日、ここでうだっているだろうか。
そしてそれはとりもなおさず、あの奇妙な夢に浸食されていっている日数でもあるのだが。
「呉先生」
後ろから話し掛けられ振り返ると陽だった。すっかり日に焼けて現地人化している顔で走って来る。大きな目玉だけが白い。
「クレーンの方チェック済みました。それから急なお話ですが、支部長がいらっしゃるそうです」
「長官が?」
驚いて相手に向き直る。
「何故」
「はあ。オーストラリアの方に御出でになるそのついでに、ちょっと寄る、ということでした。進捗状況をじかに見ておきたい、とか…まずいですね。全然進んでませんよ」
さっきまでは仕方ありませんよー、と呑気な口調で言っていたが、さすがにこういう事態になっては呑気に笑っていられない。どうしましょう、と共犯者を見る目つきで呉を見る。
苦笑いを浮かべて見せ、
「仕方ないだろう。遊んでいた訳ではないのだから。正直にこれこれこういう障害があって、さっぱりやってません、と言うしかない」
「一列に並んで、説教でしょうかね。うへえ、おっかないなあ」
相手の言った光景を想像して、ぷっと笑う。
「なんだ、説教って。宿題を忘れて立たされてる子供じゃないんだから」
その後も、後ろ手に組んで我々一人一人をじろじろ睨みつけながらコツコツ靴音を立て、右左右左に歩きながら『君らに迅速な作業を期待した私が間違っていたのかね』なんて叱り付ける男の姿を想像して、呉はついくすくす笑い続けた。
なんだか、体温が上がってくるような、足の裏が地面から離脱するような高揚感が、胃の中からぽかぽかとあがってくる。
あの方がお見えになる。…
「何が可笑しいんです、呉先生」
「いや、長官というのは、そういう、教育者の立場に当てはめると似合うかなと思って」
「はあ?支部長をですか?ああ、うーん、そうかも知れませんけどね」
自分も想像してみてから、
「呉先生より俺の方が、支部長とは長いですよね。それでですかねえ」
「ん。まあ、私は長官の下に来てまだ数ヶ月だけれど。それでとは何が?」
「呉先生が支部長に対して、あんまりその、怖がってないっていうか」
「怖がる?」
「苦手でないっていうか、話すのが億劫でないっていうか。それだけですごいなと思って。だって支部長って、怖いじゃないですか?」
「怖い…」
その言葉で、呉の心の泉の底から、ゆっくりと何かが浮かび上がってきた。

確かに、あの方は怖い方だ。恐ろしい方、だ。
多分、国際警察機構の誰よりも。
それは、呉はわかっていた。別に、敵を八つ裂きにしたとか、何人もの敵を皆殺しにしたとか、拷問にかけて口を割らせた挙句云々、を目の前で見せられた訳ではない。勿論、それに類することを、彼なら無言で躊躇無くやる、だろうなとは思うのだが。そのたぐいの『無情さ』『非情さ』とは、重なっているようで、また少し違う恐ろしさを、
彼の上司は持っている。
加えて、その内側を、いつも完璧に隠している。詐欺師が人当たりのいい笑顔で内側の黒い思惑を隠しているとか、偽善者が柔和な笑顔で内側の利己主義を隠しているとか、そんな生易しいものではない。そんな可愛らしいものではない。そんな、わかりやすい裏と表ではない。ではあの沈黙は一体どんな暗黒を隠しているのだろう?
『部下を並べて己の偉大さを熱く語る自己満足』『己の権威と支配力を皆に知らしめる口調、身振り、目つき』に代表されるものとは、およそ対極の位置にいる静けさが、いつもそのひとの背にはある。あの背の向こうで、あの静けさの向こうであの方が対峙しているものは一体なんだろう?
呉は、彼から自分に与えられる端的で的確な短い指示、というものは耳にしても、君は何をやっとるのかねバカかね君は、の類は聞いたことがない。それは自分が有能だから、などと間抜けな自信など、とても持つ気にはなれなかった。
もし、部下である自分に心から失望しても、あの方の態度は一切変わらないだろう。侮蔑やあてこすりや、これみよがしなため息などで、私の胃や心臓を苛むようなまねはなさらないだろう。もしかしたら、一方的に辞令を押し付けてよその部署にまわす、ということすらないかも知れない。ずっといつまでも、あの方の下に居て、普通に会話をし…任務について、
けれどあの方の内側で、私は既に切られているのだ。二度と期待されない。私に裏切られないだけの嵩の、仕事しか、与えられない。
そして私は誰にも迷惑をかけず、ただ『自分は結構ヤる』と思い込んで一生を過ごすのだ。
「…怖いな」
思わず呟いていた。でしょう、と相手が納得している。
相手の納得している怖さとは、多分違うだろうなと思ったが、それを説明はしなかった。
そして。
『己の権威と支配力を皆に知らしめる目つき』どころか、あの方の目さえ、滅多に見ることがない。自分の苛立ちや焦燥など、誰かに伝える必要がどこにある、と思っているかのようだ。それはつまり、自分を誰がどう思っていても一切構わない、のと同じだ。
ふと、呉の胸がなにやら、重苦しく、それでいて透明になる。
あの日のことを思い出したのだった。
任務の報告をしていた呉に、質問し、考え、指示をしてから、
ああそれから。君の
はい?
前身、というかバシュタールの件については、
息をのんだ呉にいやと首を振って、
上から聞いている。『私は事情を知っている』という事だけ認知しておいてくれればいい。
ただそれだけ言って、忙しく、他の誰かを呼び留め廊下へ出ていってしまったのだった。…
―――勿論、
詮索好きで訓戒好きな上司に、彼の過去や、昔の事について、
てことは、博士は冤罪ってことか。こいつは大事件だ。したり顔で賞なんかもらってるシズマ博士たちはとんだ人殺しって訳だね。
あるいは、
いつまでも過去に拘っていてはいけない。キミは今では国際警察機構の一員なのだから、その自覚を持って、よりよい未来を目指し、うんぬん、
などと勝手に納得されたりしたり顔で尻を叩かれたりするのは絶対に御免だった。
辛かっただろうね悲しかったろうね、などと慰めて欲しいだの、一緒に泣いて理不尽だと怒って欲しいだのと、決して願ってはいなかった。むしろ、そのことについては触れて欲しくない、後から真実を知った遅すぎる人間たちが、今から触れていじりまわしたところで何ひとつ償われないのだから。そう思って、いたのだ。
彼の上司はまさにその通りの反応で、ある意味有難いと言えるものだった。
殊更大仰に部屋に呼びつけて、面接官のように正面から切り出すのでなく、まるで…ついでのように。ついでに言う程度のことのように。
呉にとって決してそんなものではない、折に触れ尚も彼を内側へ引きずり込もうとする事であるのは、わかっていて、敢えて、
私は知っているから。
そうとだけだけ告げる。内容には触れないで。ここから先は、もうそのことを伏せて話す必要はない、それだけの事として扱ってみせる。
それは彼のとって優しさだろうか。そうかも知れない。呉が自らの口で言ったのではない、言いたくはない過去について、土足で踏み込まない、それは上司としての思い遣りかも知れない。
そういった態度で、彼の凄絶な過去をきちんと、かつあっさりと、感情を交えず認識してもらったのは初めてだったので、嬉しいと思う。とても嬉しいと思うので、不幸癖のついた男はふと、他の可能性も思ってしまう。
もしかしたら、そんなものではなく。
他者に己の内側を見せないように。黒いガラスの向こうの目を、人に明かさないように。
他者が自分をどう思っていても構わないように。
他人の内側にも一切興味がないのだろうか。
興味を持つ、ほどの位置にも、新しく来た一風変わった経歴の部下の内側は、値しないのだろうか?
ハンコをつかれて回ってきた報告書と、報告書を持ってきた部下は、『情報が書かれてある』という意味で同じようなもの、なのだろうか、
あの方にとっては。
自分が不遜なことを考えているとはわかっている。この上何を要求するつもりなのだか。それだけだ、と言って背を向けている肩に手をかけて、振り向かせようとでもいうのか、わざわざ。
あの方が興味を持って見る対象になりたいのか?
思いやりだか無関心だかで向ける背ではなく…こちらに向き直れと?そんなことをあの方に要求するのか?とんでもない。
そんな。子供が愛を強要するみたいな、と打ち消しながら、呉の奥底には、もしそれがかなったら、どんなだろう、という思いが確かにあった。
そうなのだ。
あのバシュタールで全てが潰え、後はただファルメールのための橋のような人生、もう二度とあんなにも懸命に誰かの為に己の力を振るいたいと思うことなど、ないだろう。いや、有り得ないと思って来たのだが。
気がついたら、
呉はあの男の背を目で追っていた。
中条という名の、上司の背を。
………
「呉ぉ先生!」
はっとする。目の前に相手の顔があって、目をむき出していた。
「なに魂飛ばしてなさるんです。しっかりして下さい」
「あっと、悪い。ちょっと、考え事を…」
「本当に大丈夫なんですか?なんだかここのところ呉先生よく眠れないみたいだし、心配なんですよ」
「ああ、いつものはそうなんだが、今のは大丈夫だ」
なんだかいよいよ不安が募りそうな言葉を口走っている。しかし、今自分が没頭していた考えを口にすることは恥ずかしくて出来ないので、本当に大丈夫だからと強調してから、
「長官がいらっしゃるのならお迎えの準備をしないと。全員並んで怒られるにしても」
「あっ、そうでした」
二人はばたばたと仮設小屋の方へ走り出した。

それから半日後、土堀り部隊はやや広けた場所に一列に整列して、夕陽の中バラバラと下りてくるヘリコプターの巻き起こす風にあおられまくりながら、じっと耐えていた。
誰かが、ふざけたのか真面目にか地面に描いた、Hの記号の上に、銀色のヘリコプターは見事着地する。
ばん、と戸が開いて、中から、男が一人降りてきた。
皆から一歩前に出た位置の呉がさっと緊張し、うやうやしく頭を下げる。深々と、相手への恭順のしるしのように。まだ上げない。まだだ。俯いた視界に、男の靴が入る。
ハネが回っているかなりうるさい音が、この時ようやく消えた。向こう側から運転手が降りた音がした。
ここで顔を上げる。
中条がすぐそこにいて、呉を見ている。黒のジャケットを小脇に抱え、もう片方の手にアタッシュケースを下げている。ネクタイは深い緑だ。
逆光の中、筋肉の乗った上半身からぎゅうっと引き締まった腰へのラインが、すっきりとカーブを描いている。男性の目から見ても実に魅力的だと思う。
何を惚れぼれと眺めているのだろう。気がついて顔に血がのぼる。声を、懸命に平静に保って、絞り出す。
「遠いところをわざわざ御出でいただき、恐縮です、長官」
「ご苦労様だな、呉先生」
低く、強く、深い、男性的な声音が耳に入り、思わず浮付いたように呉の顎が上がった。
久し振りに聞く、この声で名前を呼ばれると、なんというかこう、ジェットコースターでひゅってなった時のように…
訳のわからない言葉が切れ切れに呉の中で踊る。奥歯でぎゅっと自分自身を噛み締めてから、
「とんでもない。長官こそお疲れでしょう」
「いや。現場を見たい。今日は一見するだけでいい。案内してくれるかね」
「かしこまりました」
中条がこちらに近づいて来て、全員、腰から後ろに下がりつつ、頭を下げる。陽が、ひときわ深々と頭を下げている。
怒られるのは明日に日延べだろうか、それとも今日中に?と思っているのだろう。それでも、中条が行き過ぎた後でこそっと頭をもたげた時は、やや緊張感が解かれていた。
さっきは、おっかないと言っていた陽を笑った呉だったが、いざこうなってみると緊張感で全身がちがちだ。しかもまだまだ、緊張を解く訳にいかない。というよりこれからが勝負だ。呉は腹に力を込めて、中条の一歩ほど後ろに控え、それでなんですが、お知らせしました通りシズマドライブが故障しまして、いえ点検の不足ではないのですが、とじわじわ言い訳にかかった。
がんばれー、呉先生ー、と無責任な無声の応援がかかる。

午後からずっと汲み上げていた成果があって、底に沈んでいた水はすっかり干上がっていた。
周囲に、『一応はやってんです』といわんばかりに、品評会みたいにショベルカーや汲み上げポンプが並んでいるのがわざとらしい。
その、視覚効果に影響を受けているとは思えない男が、淡々と質問する。
「シズマドライブらしきものはどの辺から出土したのかね」
「はっ。あの、二層目の東端にどうやら倉庫のような場所として使っていたらしい箇所がありまして、そこから出ました」
「全体量ではどのくらい出た」
「は、あのう、ひとつ出たところで雨が降りまして、直後にショベルカーが止まりまして、その後」
「出たものの年代測定は?」
「は…あの、シズマの修理にかかりきりでして…実は」
「まだわからないのか?」
「…はい」
返事がない。うわーと思う。相手を見られない。
中条が少し下に下りた。呉がそそくさと後に続く。
大分薄闇が広がってきているが、一番低いところに何かの柱跡のようなものが見える。えらくくっきりときれいに丸く台座が切り彫られ、等間隔に穴が穿たれている。
「あれは何だ?」
「は…まだわかっていません、なにぶんシズマが、そのう。これから調査します。なんとなく宗教儀式を行った場所のようにも…」
尻すぼみになりながら説明のような思い付きのようなことを言う。特に舌打ちするでもがっかりするでもなく、そうか、と言われると、たらたらと何かの液が身体から出てくるようだ。ほとんどガマだ。
…今軽く息をつかれた気がする。ため息だろうか。ため息なのだろうか。
「正確なところがわかったら教えてくれ」
「はっ!」
せめて、やる気だけはあるところを、という勢いで返事をする。非常に情けない。
後ろから、すみませんーお一人に任せちゃって呉先生ーという無声の謝罪がやってくるのが首の後ろあたりに感じられる。
居心地の悪いことこの上ない。早く暗くなればいいのに。そうしたら長官、もう暗いのでと言って屋内にご案内して…
あれ。そういえば今日はもうこんな時間だし、ひょっとして長官は今夜はここにお泊りだろうか?
そうなのだろうか。なんだか聞くのが憚られる。そうなら、精一杯きれいなお湯を使っていただいて、それからせめて新品のシーツをかけたベッドを用意して…ああ、こういうおもてなし方面に心を砕くしかないのが情けない。
「呉先生」
「はっはい」
飛び上がって返事をする。中条は、底の丸い台座を見つめている。また何か聞かれるのか。わかっていないことを聞かれるのか。うう、と思う。自分は長官の中でどのくらい切られているだろう今現在。首はまだ繋がっているだろうか。ぷらぷらか。
「気のせいか」
「何でしょう」
「光っていないか?」
「はっ」
身を乗り出す。
丸い台座に穿たれた穴が、確かに、ぼうと光って見える。夜に光る虫や、コケ類のような色合いと光り方だ。そう思って、
「夜光塗料でも塗ってあるのではないでしょうか」
「ん」
そうかも知れないが、とそれにしても、が混ざったようなごく短い呟きの直後だった。
突然地響きが襲ってきた。何の前触れもなく、まるで、
何かのスイッチが入ったような揺れ方だ。
緩やかな傾斜地に立っていた中条と呉は、突き飛ばされるようにして底に滑り下りた。たたらを踏んで、中条が踏みとどまり、後ろから転がるようにしてやってきた呉の片方の二の腕を掴んでとめてやった。
「すっすみません」
呉は謝った。中条はそれに対していや、と言おうとした。他の面々は穴に落ちないようにしゃがみながらお二人とも大丈夫ですかと言おうとした。
そして各々は別のものを見て驚愕した。
中条は。
なんだかさっきから光っているように見えた、等間隔の穴が、順番にはっきりと光を増していくのを見ていた。1、2、3…12。12の穴。一つずつ点灯してゆく光が告げるものは何なのか。全て点灯したらどうなるのか。
呉は。
悲鳴を聞いて振り返り、皆がこっちを見てわめいている中、一番前に居た陽が、たまりかねたのか、あるいは足を踏み外したかして、呉と中条のいる台座めがけて転がってきたのを見ていた。声を上げて手を伸ばす。相手の手を掴んだ。
そして他の面々は、
突然足元を容赦なく揺さぶる激しい揺れに、向こう側に停めてあったショベルカー同士がぶつかり合い、一番手前の一台が、こらえきれないというように縁から身を乗り出し、中条と呉のいる台座の上に落ちてゆくのを見ていた。
「逃げて下さい!」
「危ない!」
悲鳴と怒号の中、穴の光が全部点灯した。
どぉと光がそのまま天に延びた。
あまりの眩しさに全員目を閉じて突っ伏す。ただ悲鳴だけを上げ続けた。
どのくらいの時間、それが続いたのかわからないが、唐突にそれが終わって、全員がそろそろと目を開けた時、台座の上には誰も居なくなっていた。

[UP:2003/02/06]


長官が呉先生の前身についてどんな風に知ったかというのは私の中にもいろいろあって、これはその一つです。大捏造です。
多分長い話になると思います…宜しくおつきあいのほどを。


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