この頃では「東方、お前を負かす奴いたか」「仗助くん、指の調子はどう?」と声をかけられるのが常、という毎日だ。などと言っている間に、学校のゲーマーとはあらかた戦ってしまった。
「参ったな、駅前の方まで出てってあれか、ゲーセン巡ってスカウトするしかねーか。でもなあ、ゲーセンじゃまさかメガロドライブ繋げる画面はねーしよ」
ぶつぶつ言いながら考えている。下校途中だ。いつものように億泰と康一が左右から仗助を眺めている。
「レースゲームやってる奴の後ろから見ててか?『あんた上手だなあ。俺と戦ってみねーか?』つって相手が承諾したら『こっちに来てくれ』つって店からテレビのある所まで連れ出して…駄目だ。怪しすぎる。どう見ても変なひとさらいだ」
康一がねえと声をかけた。
「ポータブルテレビ持参したらいいんじゃないの?」
「げえっ、この上テレビまで持って歩くのかよ!…でもそれしかねーのかもな」
仗助はトホホとため息をついた。
「あんなの買ってられねーぞ。お前ら持ってねーか」
「俺はねえぞ」
「僕もない。あったけど壊れちゃって」
仗助が目を輝かせて、
「おいおい、俺にとっちゃ『壊れてる』なんて『汚れてる』ってくらいの意味しかねーだろが。よこせ。終わったら返すから」
そうだけどと康一は慌てて、
「壊れたから捨てちゃったんだよ」
仗助の顔が再びシブる。
「なんだよシラけるな。カケラとかよー、部品一個でいいから残ってねえか」
「ないよー。ごめん」
ちっちっち、と舌を鳴らした仗助の背後から、
『今不思議なことを言ったな、君は』
もはや今ではすぐ後ろにいる存在から突然声をかけられても、驚いて飛び上がるということはなくなっていた。一日中F−MEGAのソフトが尻ポケットに入っているので、結局一日中背後に立たれ続けている訳で、いいかげん慣れてしまった。
(何が)
『君はそんなに機械に強かったんですか?』
(ああ。まーな)
考えてみたら、仗助は自分の持っている不思議な力について、幽霊と話をしたことがなかったし、頭の中でもスタンドというものについて思いを巡らせたことがなかった。何だいそれは、と尋ねられても説明するのがあまりにも面倒くさいし(それに普通の人間が理解できるように説明できるとも思えないし)、幽霊との話題はもっぱらいかにF−MEGAの腕を上げ、効率良く体力をつけるかということに集中していたためだった。
今も、どうやってテレビモニターを手にいれるか、しかし重い割りに画面は小さいし、もっといい方法はないのか、という方向に彼の思考はすぐに流れていった。
「いっそのことゲーセンにキャンペーンポスター貼るかな。来たれ、レースゲームに秀でた者!東方仗助に勝ってハワイに行こう!とかよ」
「相手が勝ったらどうするの。仗助くんハワイに行かせられるの?」
「んな金あるわけねーだろ」
だよねえ、と康一が呟き、ありませんねと幽霊が言い、あったりまえだろと億泰がうなずいて、
「会費とりゃーいいだろ。お前の腕ならそう簡単に負けやしねえさ。お前に勝ったらハワイ、負けたら金を払うと。その金をプールしといて」
億泰がいひ、と笑った。
「ずーっと誰も勝たなかったら、その金で俺たちがハワイに行こうぜ」
「ええっ?」
『いいアイディアだ。行く時はF−MEGAのソフトを持っていって下さいね」
「話がズレてっぞ、億泰」
呆れ声で言ってから、
(何呑気なこと言ってんだよ、手前は。そもそも貯まった金でハワイなんぞ行ってたら、お前いつまで経っても成仏できねーだろーが)
幽霊は寂しげに笑って、
『もう十年も待ちましたからね。待つのは慣れたかな。ま、気を長くもっていきましょう。で、ハワイでゲーマーを探すとするか』
「おいおい」
思わず口に出して言ったが、特に不審がられはしなかった。この頃の仗助が妙なタイミングで独り言を言うことにも、友人たちは慣れてきていた。そもそも、仗助が何故こんなおかしなゲーム修行を始めたのか、とっくに尋ねていていい筈なのだが、何となく聞かないままで協力しているのだった。
協力だか茶々を入れるのだかわからないが。

家に戻ってみると朋子は出かけているらしくいなかった。
「どりゃ」
それだけ呟いて、当たり前のようにTVの前に座ると、持って歩いているメガロドライブを袋から取り出すとすっかり慣れた手つきで接続した。ほとんどもうなにも考えないまま無意識で繋いでいる。
尻からソフトを引き抜き、左手でコントローラを探しながら、がこんとセットし、電源を入れる。
『チェーガー♪』
何回聞いたかなあ、とふと思う。
今では仗助自身も、F−MEGAのAカーのコース1に限ってなら、学校のゲーマー相手に戦ってもそこそこ勝てる自信がある。どこで減速しどの程度にカーブし、どこら辺で加速を始めるか、指がいい加減覚えてしまった。コンピューター相手なら確実に勝てる。
今日もいい調子だ。タタタタスタートも調子よく出られた。カーブも最小の動作で曲がる、第4、第5、第6コーナーを曲がる。当然のように先にトンネルにも入ったし、さてキャノン砲もそろそろ、次、次、来た。避ける。避ける。トンネルを出る。二倍のスピードですっ飛ぶ。
「あれか。誰か腕のいいやつスカウトしてきて、そいつを鍛えて、でそいつとやるってのはどうだ?」
『自分で育てた相手に勝って、満足するのかな』
「しろよ」
『は。…あ』
幽霊が苦笑し、最後の方は本当のため息になった。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「うぉい。誰だ、こんな昼間に?集金屋かな。俺持ってねーぞ」
ぼやきながら立ち上がる。ソフトが本体にささったままなので、幽霊はその場に正座して仗助を見送った。この頃では、仗助が便所や風呂に入る時でなければあまりこういう構図はない。
画面の中では操縦者の居なくなった28番の車がコースアウトして大破した。コンピューターの車はずっと後ろに居たようだ。
仗助くんも、随分上手くなったな。
幽霊は画面を見ながら微笑した。最初はどうなることかと思ったっけ。ゲームが好きにも関わらずあんなにヘタではなあ。ゲームに全然興味が無いのならいざ知らず。
そういえば、彼も、ゲームには全然興味がなかったっけ…
ふと、昔のことを思い出した時。
玄関の方から、あれぇ、なんだ、どうしたんスか?何か用でも?という仗助の声に続いて、
こちらを通る用があったからな。お前に借りていた杜王町の資料を返しに寄った。
低い、男の声がした。
………
幽霊は、すーと立ち上がった。今のは。今の声は。
記憶にある声とは少し違う。回転数がほんの少し違う感じだ。しかし、同一人物のものとしてもいいくらいに、似通っている。そうだ丁度、あの声の主が、十年くらい歳をとった、そんな感じの声だ…
仗助が続けて言った声が聞こえた。
ああ、いつだって良かったのに。とにかく、どうぞ。
いや、いい。
そういわねーで上がってって下さいよジョータローさん。今おふくろいねーし。
ジョータロー
じょうたろう
承太郎
幽霊の顔はもともと白かったし、血の気といってもそもそも既に血が通っていないのだから血の気が引くということもあり得ない。多分、生きていた時の感覚が、消えないで持ち越されていりるのだろう。今、幽霊の顔は蒼白だった。
仗助は目の前で、むうという顔で立っている男に、さあさあ上がって、と促した。相手は三和土にいるのに、それでも自分ととんとんくらいだ。実際、でかい人だと思う。
「もらいものなんスけど、旨いコーヒー豆あるんですよ。飲んでって下さい」
再三のお誘いに、相手はやっと靴を脱ぐと、上がった。みしと音がした。
あーゲーム出しっぱなしだな、と思いながら「こっち来て下さい」と言って、仗助はさっきまで居た居間に入り、
「すいませんちらかってて。ソファに座ってて」
くださいと言いかけて、その部屋に居る男の顔が目に入り、びっくりする。
もう今では見慣れた学ランの幽霊が、呆然として突っ立っている。仗助の後ろから入ってきた男の顔を、じっとじっと凝視しているのだった。
こいつの顔にあるのは、なんと言う名前の感情なのだろう?
一言で言えば、『信じられない』といったところだろうが…
ただひたすらな驚きの中に、深い感慨がある。ただ、すっごく嬉しいとか、カンゲキーとかいうのですらないようだ。一体どんな相手に会えば、こんな顔をするだろうか。考えてみても思いつくものではなかった。
(おい、どうしたんだよお前)
心で呼びかけるが返事がない。無言でただじっと、相手よりかなり高い位置にある顔を、見上げている。
「えー、と。ソファに座っててください。コーヒー煎れてきます」
「ああ」
答えて、上衣を脱ぎ、帽子を脱いだ男から、それらを受け取ってコート掛けにかけるため廊下へ戻ってゆきながら、
(おい!)
心で強く怒鳴った。
相手は、ゆっくりと顔を仗助に向けた。視線はそれでも男にくぎづけのままで、最後にやっと仗助の顔へやって来て、
『…何だい』
まるで今目が覚めたような様子でそう言う。
(なんだいはこっちだ。なに承太郎さんの顔ジロジロ見てんだよ)
『え』
すー、と手を持ち上げて、口元を拭う。それから、頬をさすって、ああ、と気の無い言葉を発し、意味の不明な笑みを浮かべ、
『いや。この人があんまり、ハンサムなので、見とれました』
(なに気味わりぃこと言ってんだ?)
『気味悪くはないでしょう。いい男は男から見てもいい男だというだけのことです』
それからまた不思議な笑顔をつくって見せた。
何なんだ、こいつ?
仗助は眉間にシワが寄ってきたが、相手が示している奇妙な態度の背景を、仗助に解るように説明してくれるとも思えないので、ふんと鼻を鳴らして、居間から出て行った。
幽霊は仗助を見送ってから、ゆっくり視線を戻した。黒の上下とごつい時計、相変わらずの長躯。短い髪、太い眉、強い顎。静かな眼差し。
幽霊が隣りに居た頃と何も変わらず、そしてまたあの剛さのままで年輪を重ねた男が今、幽霊の目の前を通っていく。その横顔を間近に見て、
『大人の男になったんだなあ』
親戚の伯父さんでも言わないような事を感慨深く呟いて、幽霊は後を追った。ソフトはすぐそこにあるから、もう少し近づける。
男は、くつろぎすぎるでなく緊張するでないごく自然な様子でソファに座り、ちょっと考えてから手帳を出してページを繰った。
あの頃よりも落ち着いたな。当たり前か。十年ひと昔と言うのだから。
でも、一番奥底の部分が変わっていないのは、見ればわかる。面倒くさい、という意味の言葉を口にしながら、激闘の渦中というのに水のように落ち着いたものごしで、戦いの意志を拳に込め背後に立ち上がる青い戦士に込める、その姿が見えるようだ。その姿が、何の違和感もなく、目の前の男に重なる。
星の白金は調子いいかい。久し振りに見たいな。無理だろうが。
それにしても、君にこんなところで再会できるとは思わなかったよ。あれからどうしていたんだ?結婚はしたのかな。どんな仕事をしているんだろう。海洋冒険家や生物学者になったのかな。その日暮らしではないらしいのは、身なりを見ればわかるが。
幽霊は心で話し続けながら、相手の姿をただ、ひたすら見つめている。
何故この町にいるんだ?仗助くんは君の何なんだ?ああ、そう思ってみると彼は君に似ているかも知れないな。性格は全然違うけれど。でも、「ちぇっしょーがねーな」って感じで、相手のために骨を折ってくれる所は似ていると言えるんだろう。
てことは、彼もひょっとしたらスタンド使い?血が繋がっていたら誰しもがスタンド使いってことはないけれどね。僕の親戚にはこんな力を持った人間はいなかったし。
承太郎。
幽霊の唇に一回微笑みが浮かび、消え、
君と話がしたい。
でも。
学生服。長い前髪、整った白い顔は年齢より大人びているけれど、ツヤとハリがあって、まだ少年の年齢だということをあらわしている。ずっとこのまま止まっている。いつまでたってもこの服を着ているコドモのままだ。彼はもう死んだ人間なのだ。彼の声は相手には聞こえない。
唇にもう一度微笑みが浮かんだ。
まあいいか。君の元気な姿が見られて、こんなに嬉しいことはないよ。
ふと涙ぐみそうになって、ちょっと、指で鼻をこする。
空条承太郎は、目の前に立って自分を見つめている、学生服を着た幽霊がいることなど、全然気づいていない様子で、今手帳をしまった。

かちゃかちゃと入り口で音がして、二人は同時に顔をそっちへ向けた。仗助がなんだかむっとした顔で、お盆を掲げて入ってきた。じろじろ幽霊を見ながら、
「お待たせしました」
言葉は承太郎へ向けて言うので、承太郎にはなんだかおかしな風に見えた。
「ミルクと砂糖使いますか」
「いや」
言葉少なく断ると、自分の前に置かれたアイボリーホワイトのカップを持ち上げた。ホテル用の肉厚のシンプルなカップだ。
「もらうぞ」
「どーぞどーぞ。結構いけますよ。俺勝手に一人で飲んでおふくろに怒られてますけどね」
「いいのか?」
これ、というようにカップを示されて、慌てて首を振る。
「構いませんって!何言ってんスか。承太郎さんなら勿論オッケーすよ」
ちらと笑って一口ふくむ。ほお、というように眉の辺りが明るくなる。
「旨いな」
「でしょう?」
嬉しそうに言う。承太郎に旨いと言ってもらえたのが実際とても嬉しいようだ。ほっぺたがうっすらと赤い。
もう一口飲んでいる相手を満足げに眺め、…それまで忘れていたことを思い出して、仗助はそっちへ視線を移した。
幽霊は予想に反して仗助を見ていた。なんだかこっちもえらく嬉しそうににこにこしている。
(なんだよ)
『いや。君は』
しかしそれ以降の、
承太郎が喜ぶと嬉しいんだなあ。承太郎を敬愛しているんだね。それがわかる。
それは言わず、
『いいやつだ。ますます君が好きになった』
(なんだってんだ。ブキミな奴だな。さっきからお前、ヘンだぞ。承太郎さんがハンサムだの俺がいい奴で好きだのって)
『気にしないでくれ。人類愛強化月間なんだ』
やっぱりヘンな奴だ、と首をひねっている仗助に目を留めて、
「どうした?」
尋ねられ、いえいえ何でもないっす、と首を振りながら、ちゃっかり煎れて来た自分の分のコーヒーをすする。
ヘンな奴だ、と承太郎も仗助と同じ顔になっているのがおかしくて、幽霊は一人でくすくす笑っている。それを睨みつけた仗助に、承太郎が、
「あの画面は」
声が指した方を振り返る。TVの画面で賑やかに車がふっ飛んでいる。
「あーすみません出しっぱなしで。ちょっと今事情があってゲームの腕磨かないといけないんで」
言いながら、なんだかコドモっぽいこと言ってるよなー俺、と思った。
あまり他では、『もう高校生なのに』『いい歳して』のたぐいのことを思って恥じることはないのだが、どうもこの迫力のある年上の甥の前に出ると、もーちょっと頼れるタイプになるべきじゃねーのか俺、という気になる。
なんだか、見覚えがある、と承太郎は思っていた。自分がテレビゲームの画面など見た事はまずない筈なのだが?
リモコンの電源を押して、TVを切ったつもりだったのだが、間違ってボリュームを押してしまった。その時、今までデモやリプレイを映していた画面が、一回真っ暗になってからタイトルに戻って、
『エフ・メガァァァッ!』
ひときわ大音響で絶叫され、仗助が慌ててすみませんうるさくてとわめきながら電源を切ろうとした。
「えふめが?」
承太郎さんの口で言われると、新種のカメかなんかみてーだな、と思う。えふ亀。違うか。
馬鹿なことをちらと考えながら音を下げたところに、
「…一対一の、レースのゲームか」
低く呟き、それから相手がそうだなというように見上げるので、頷き、
「そうですよ。承太郎さん、やったことあるんですか?これすげー古いやつっすけど」
「いや、俺はやったことがない。…後ろで見ていた」
「ああ、そうなんすか」
軽く受け答えしている仗助の声を聞きながら、幽霊は胸がつまる思いだった。君は多分、あの時のことを言っているのだろうな。僕の後ろで、僕がダービィーと闘っているのを、見ていた時のことを。
覚えていてくれたのか。
「確か、トンネルが出てきたな。真っ暗な」
「そうですそうです。よく覚えてますね」
「何故レースカーで走るのに、真っ暗な上に砲台まであるトンネルの中を行かなければならないのか、疑問だったが」
「それは…その、あれっすよ。スリルを増すため」
「そうか」
なんかアホらしい会話だと思う。見ると幽霊が笑っている。
しっしっ、と幽霊を払ってから、廃墟のような背景の中をすっ飛んでいるレースの映像を眺めている承太郎に視線を移し、
「あっそうだ、承太郎さん、俺と対戦しませんか」
「ゲームか」
「そっすよ」
俺はゲームは、と言いかけた相手にぶんぶんと首を振って、
「シロートかも知れないっすけど、承太郎さんはジュンノーセーとか舞台度胸とかあっから、きっと一周するうちに上達しますって」
一回だけ、一回だけっすから、ね、とでかい男におねだりされ、やれやれと呟いてから、
「コーヒー代がわりか」
戸惑ったような呆れたような声で言い立ち上がった。
やったラッキー、とはしゃぎながら仗助はどこからか座布団を引っぱり出してきて、ゲーム機の前に置くと、
「ここどうぞ。ここ」
ばふばふと叩いている。承太郎はその上に無造作に座り、コントローラーを持った。
ああ確かにこういう形をしていた、と思う。これは、自分もホームランを打ったり、ボールを投げたりした時に使ったので、手が覚えている。
仗助は別に、承太郎が練習台になり得るかとか、ましてやいつもいつも一方的にプレッシャーをかけられている相手をせめて自分の(一応)得意分野で負かしてスカッとしよう、などと思っている訳ではなかった。ただ単に、『あの』承太郎さんとTVゲームをする、そのシチュエイションにはしゃいでいるというだけだった、のだが。
『仗助くん』
隣りから声をかけられてそっちを見る。いつの間にか幽霊がやってきて、正座している。
(なんだよ)
『僕にやらせてくれないか』
(えっ?でもよ、ああは言ったけど承太郎さんはTVゲームに関しては得意じゃねーから、多分俺だって負けねえ程度だと思うぜー。お前の試合相手にはあんまり、今ひとつっつーか)
『それはわかっている。でも頼む』
なんでわかってんだ、とは思ったが、相手がやたら真剣なので(まあ、この幽霊は真剣な顔のままで相手をバカにするようなことを言う性格なのはわかっているが)、
(いいけどよ。別に)
幽霊の目が感謝で輝いた。深々と頭を下げる。
『ありがとう。恩に着ます』
(んなもん着なくていいから、俺のカッコであんまりバカなことしでかして承太郎さんにケーベツされないようにしろよ)
『もちろんだ。これ以上軽蔑されないようにするから』
(これ以上ってのは余計だ)
「おい、仗助」
さっきから横の方を見て口をもぐもぐさせている変な男を見ていたが、なかなか戻ってこないのでそう声をかけた。その瞬間、仗助がかくんとのけぞった。
なんだ?と思う中、次にがっくりとうつむいた仗助が顔を戻し、自分を振り返った。
無論、別の人間の顔になっていた訳ではない。仗助が、ただ自分を見ているだけだ。…妙に見慣れない、なんだか、ひどく大人びた表情で。
じょうすけ?ともう一度声を掛けようとして―――
何か、ずっと昔に見たっきりの懐かしい何かを、ものすごく久し振りに見た気がした。丁度、このTVゲームの画面のように。
何だろう、と承太郎はほとんど焦るようなやけつくような思いで、考えた。けれどわからない。
第一、今ここにいるのは仗助なのだ。懐かしいもなにも、少し前に出会ってちょいちょい見ている若造の顔に、何の感慨が浮かぶというのだろう?
仗助にというより自分に対して尋ねる。
「どうしたんだ?」
相手はふ、と目だけで笑った。仗助のしない顔だ。何カッコつけて、すましてるんだ?と思う。
「なんでもありません。やりましょうか、承太郎、サン」
静かな柔らかい口調だが、声は仗助なので、やはり仗助が気取っているようにしか聞こえない。
承太郎がまだどこか腑に落ちない様子ながら、それに応じた。
「ああ」
承太郎の目が僕を見ている。承太郎が僕の声を聞いて答えている。正確には僕をではなく、仗助くんをだが。
この際、これで満足しよう。充分だ。
「車を選んでください」
「お前は?」
「ぼ…オレ、はAカーを」
ほとんど考えず、
「俺もそれでいい」
「カーナンバーを入れて下さい」
承太郎は、今度はちょっと考えてから、ぴ、ぴと入力する。
28、と入れられた車がゆっくり回転しているのを見て、体の中にいる仗助が、
『おい、承太郎さんが28って入れちまったぞ』
「…何故、この番号を?」
そう尋ねられ、承太郎はああと言って、
「ジャン・アレジの、かなり昔のカーナンバーだ。今年は何番だったか。…嬉しそうだな。アレジが好きか」
「勿論ですよ。まだ引退してなかったんですね。嬉しいな。あの頃は若造で無茶な走りをしてよくプロストをイライラさせていたっけな」
『おいーーーっ!?』
「あ」
仗助の絶叫に思わず声を出し、承太郎を見ると、『怪訝』と書いた顔をしている。
「…随分昔のF1に詳しいな。プロストとフェラーリ、といったら十年くらい前だ。お前はまだ5・6歳じゃないのか」
「えーっと、最近急に目覚めまして。ごく最近」
その割には本気で懐かしんでいる口調に聞こえたが、と思ったが、それ以上追及はせず、
「お前の番号は」
「そうですね。…じゃあ」
15、と入れそうになって、危うく止める。28と入れた承太郎は、あの時ダービィーが入れた番号も覚えているだろう。何か他の番号、と焦って咄嗟に99、と入れた。
「何故99なんだ?」
「ええと、クうじょう、キュウたろう、なんてね」
相手の顔の『怪訝』が濃くなる。昔その名を使ったひっかけを、自分がやったような気がするが…
仗助が知っている筈がない。ただの偶然か?誰しもが思いつく下らない冗談ではあるかも知れないが。
「あっすみません、単なる冗談です。気を悪くしないで下さい」
『おい、お前』
体の中で仗助が声をかけてきた。今度は、慌てているというのでなく、疑惑のためやけに低くゆっくりだ。
『なんでお前が承太郎さんの名字知ってんだ?』
「ああ。ええー、と」
(さっき君がコーヒーを煎れている間に、彼がチェックしている手帳に書いてありました)
『…本当か?…それ、じろじろのぞいて見てたのか?』
(他にすることもなかったので)
『ふーん』
一応、という感じで引き下がりながら、
『なんか変だな。とにかくあんまりはじけんなよ』
一言釘をさした。すみません、と大人しく謝り、ちょっと咳き込んでから、
「コースの希望は?」
「あの真っ暗なトンネルがあるやつでいい」
「1ですね」
どこかで、だろうなと思う。
ぴ。全ての選択が終わり、二台の色違いのAカーがスタートラインについた。
『両者位置ニツキマシタッ!』
タタタタ、と軽い音がする。幽霊の入った仗助の親指が素早くボタンを連打する音だ。
『あのよー、そんなことしなくっても勝つんじゃねーの?完膚なきまでにってやつ?いい性格だなジッサイ』
仗助がいやそうな声を出した。それはそうだろう。この後、得意なゲームでめったやたらと張りきりまくって大人を負かした子供、と思われるのは自分なのだ。
妙に低く緊張した様子の、幽霊の返事があった。
(手抜きをするのは彼に失礼です。彼はそう簡単に負ける男ではない。油断をしたり、勝手な思いやりで手加減するのは危険だ)
『それはその通りだけどよ、なんでお前が知ってんだ』
(彼の顔を見ればわかる。そういう顔をしている)
『かお〜?』
だんだん言い訳も苦しくなってきた、と思ったその時、
「仗助」
話し掛けられ、はいと返事をして相手の顔を見た。スタート三秒前。
端整な男らしい顔が、無表情に、
「どのボタンで前に進むんだ?」
そういえばそれさえ言ってなかったか、と指を伸ばし、これです、と示した。
「これか」
『スタート!』
絶叫と共に承太郎がぐっと押した。途端、だひゅうううん、と承太郎の車がスタートした。
「あ」
『おいおい、置いていかれてっぞゲーマー!』
仗助が慌てたような可笑しいような声を張り上げる。幽霊はぐっと歯を噛み締めてさっきまで連打していたボタンをただ押した。幽霊の車がスタートした。
「カーブは…方向キーだな」
「そうです」
言ってから、
「コースアウトするとそこで終わりですので気を付けて」
「わかった」
カーブが来た。承太郎はぐいと方向キーを入れた。曲がったーと思ったらぐるうりと一回転した。
「いつまでも押していると曲がり続けますよ」
言いながら追い越した。
「なるほど」
呟いて、向いている前方目掛けて再び走り出した。再びカーブ。このくらいか、と言いながら押して、戻す。今度は足りなかったようで、曲がりきれず道から飛び出しそうになる。瞬間的にボタンから指を離し減速しながら更に方向キーを入れる。辛うじて外へは出ず、よろよろと道の端ぎりぎりで回ってから再び走り出した。
次のカーブだ。今度は角度が前よりきつい。減速する。曲がりきった、よし、と加速する。と、次のカーブが目の前に来ていた。
「!」
『おっとっと、どっこいしょ、みてーだなぁ』
仗助が承太郎の走りっぷりを評して言っている。
『やっぱりいくら承太郎さんでも、そんないきなりプロゲーマーに勝てって言われたって無理だろ。あんまシャカリキになんなよ。後で俺の心証が悪くなるし』
(うるさいっ)
心で怒鳴られて仗助は目をぱちくりさせる。
『…なんだよ、いきなりえらそうになってよ』
(君は気づかないのか。一回カーブを曲がるたびに着実に腕が上がっているじゃないか。承太郎の底力はこんなもんじゃない)
『あのよ、カーブ一回曲がるだけで腕なんてそう簡単に上がるもんじゃ…』
(君は8回スウィングしただけで次にホームランが打てるか)
一瞬、何の話かわからなくて無言になる。
(8回、バットを振ってみて、次に僕と同程度のゲーマーからホームランを打つんだぞ。そのくらいの吸収力があると言ってるんだ)
『…何のたとえ話してんだ、お前は』
(もういい。気が散る)
幽霊はそう言い捨ててから、正確には、打ったんだそうだが、と律儀に訂正し、目の前に迫ったトンネルに突っ込んだ。
的確なテクニックでさまざまに襲い掛かる障害を、ほとんど意識さえせずに避けてゆく。仗助の肉体は今では、幽霊の思うがままに反応し対応するまでになっている。うん、いい体になった、とまた変な感心の仕方をしてから、
ふと、隣りから、視線が、画面半分の境界線を越えて、幽霊の走行画面の方にまで来ているのを感じた。僕の方なんて見ているとクラッシュするのに、と心配をしてやりながら、トンネルから出る。
ほぼ同時に承太郎がトンネルに入った。どーん、とスピード二倍ですっとびながら、ああは言ったけれど正直このトンネルを出ては来ないだろうな、とどこかで思っているのも確かだった。
何しろ八箇所のカーブと地雷原とキャノン砲だ。…承太郎じゃないが、なんでレースカーのコース上にわざわざこんなものが、というよりなんでわざわざこんな所を選んで走るんだ、と言いたくなるような設備てんこもりなのだ。ある程度チャレンジした人間でもそうそうミスらずに出られるところではない。
最大850km/h、の加速が終わる、と思いながらちらと承太郎の画面を見てそろそろ壁にぶつかっているかな、と…
「えっ」
思わず声を出す。
半分は真っ暗い画面だ。トンネルの中だからだ。今にも紅蓮の炎がまきおこって、幽霊側の画面に『YOU WIN』と出るのではないか?と思うのだが…出ない。つまり、承太郎がクラッシュせず走り続けているという意味だ。
「何故」
口走り、次に、承太郎のすぐ上に浮かび上がっている懐かしい姿を見上げた。
星の白金が、承太郎と二人羽織をするような位置で、画面を見据えている。ぎゅ、とカーブを曲がった。かおぉぉおん、とカーブした音が響いた。
懐かしがっている場合ではない。星の白金が、さっきの隣りの運転を見ていたのだ。そして覚えていたのだ、入って何秒でどの程度のカーブか。どの程度のカーブの時キー操作はどうすればいいかは、承太郎がトンネル前で練習し会得している。
幽霊がしてみせたのと、リプレイ画面のように全く同じ動作で地雷原を避け、一呼吸置いてぎゅっと方向キーを入れる。キャノン砲の光で承太郎の車が一瞬浮かび上がった。
続いて、ひゅうっと画面全体が明るくなる。承太郎がトンネルを無事に出たのだ。
『おい!』
体の中の声に突き飛ばされはっとする。自分の方が道から外れそうになっていた。あやうく戻る。スピンしてぎりぎりで止まった。画面の車からは白煙が上がっている。芸コマだ。
初めてのミスだ、と思った。承太郎の上達ぶりを見ていて自分の操作がお留守になってしまった。
そんな相手を冷やかすでもなく、ただ黙々と走っている承太郎をちょっと見てから、再びスタートした。
やはりな。さすがだよ君は。
幽霊の入った仗助がにやりと笑う。こうでなくてはいけない。君は相変わらず君のままだ。それが本当に嬉しい。

しかし。
三周目を疾走しながら、幽霊はまたちらりと隣りの男を見た。
いくら、承太郎が目覚ましい上達の仕方を披露しても、今これだけの差がついていて、その差は決して埋まらない。いや、開く一方だ。幽霊が先にトンネルに入れるのだから、一時の倍の加速が許されるのは幽霊だけだ。
この差を僕が失敗して帳消しにしてしまう、ということは有り得ない。
つまり…今この時点で、僕の勝ちは決定しているということだ。
それから、馬鹿だな、と思う。それはわかっていることではないか。いくら承太郎侮るべからず、と言っていても、この僕を負かしてしまう事態にまでなるとは、本気では思っていなかっただろうに。
僕は彼に負けたかったんだろうか?
そんなことはない。最初から負けを望んで勝負する趣味などはない。
そうだ、ただ彼とこうして懐かしいレースゲームをする、そんな夢のような機会を、心から楽しみたかっただけなんだ。多分そうだ。
それも、もうすぐ終わりそうだけれど。もう少しこうしていたいんだが。もう少しだけ。
幽霊はふっとオセンチになった。
隣りの男が、中に別人が入っていて、感傷的な気分になりながらそれは別として土屋圭市ばりのドリフトをきめている、ことなど全く気付かず、ただ承太郎は黙々と三周目を走っている。
一周目とは別人のような上達ぶりだ。
ほとんど無駄のない動きで闇のトンネルを抜ける、外に出た。そして。
「おい、なんだこれは」
「なんです」
呼ばれて、くすんと鼻を鳴らしてから承太郎の画面を見て、
「どあ!?」
彼には似つかわしくない絶叫を上げた。
承太郎の車がどういう訳か金色になっている。そして、スピードメーターが、850km/hと出ている。バグか?と幽霊は一瞬思った。何かの条件が揃って、二位でトンネルを出た車にも加速の権利が与えられたのかも知れない。色は…随分ハデなバグりようだが。長い滞空時間が過ぎ、がくんと地面に着地したが、
「スピードが落ちない」
幽霊が再び悲鳴のような声を上げた。金ぴかの28番Aカーは普段の二倍の速度のまますっとび続けている。
「操作が…ちっと…キツイな」
呟きながらそのくせやたらめったら的確に、仗助だったら10秒ともつまい、というスピード感の中で操作し続けている。
「な、何でこんな」
言いかけてはっとする。
ずっと前に一回聞いたきりの噂の裏技だ。
F−MEGAの1コースで二周した時点で、ラップタイムを10秒以上の差で縮め、なおかつ三周目のトンネルを出た時点で対戦相手との差が半周以上だと、スペシャルカーに進化するとかいう…
もとより、最初からこれ以上縮まりませんというタイトな走りしかしない幽霊には、そんなリスクを背負ってまで挑戦してみる技でもないので、見たことがなかったのだが。
…もしや彼はこのことを知っていたのか?
ただ走っても勝てないと踏んで、賭けに出たのか?
一周目のド素人ぶりは最初から計算済みの演技だったのか?
「承太郎!君はこのゲーム、やりこんでいるなッ!」
思わず怒鳴ってから、慌てて、
「すみません。承太郎サン、あなたこのゲーム前からご存知でしたね?」
答える必要はない、と言ってニヤリと笑うかな、とふと思ったが、承太郎はそれどころでない様子で今までの二倍の加速世界の中で四苦八苦しながら、
「何のことだ」
それだけ言って、乗り出していた身を少しそらした。
『なにチンタラ走ってんだ!承太郎さんが追いつくぞ!』
今まで妙に大人しくしていた仗助に叱咤される。言われるまでもなく、後方の金ぴか28番がとんでもない勢いで迫ってくるのが、画面から、感覚から伝わってくる。
(と言われても僕の車はこれ以上速くならないんだ)
『だから最初からもっと気合入れて負かしとけって言ったろうがよ!口だけだなおめーは!』
(そんなシャカリキになるなと言ったのは君だろう。僕は最初から、承太郎相手に手抜きは危険だと言っていたはずだ)
『今更泣き言を言うな!なんだ、エラソーに、僕にかなう相手なんているのかねェ〜はっはぁ〜んとかなんとか言ってやがったクセしてよ』
「僕はそんなバカ丸出しみたいな喋り方はしないッ」
『おいおめー、口に出して喋ってっぞ!』
「あ」
隣りで錯乱状態の仗助のことを、ふと疑問に思わない訳ではなかったが、承太郎も正直いっぱいいっぱいだ。バンピーな場所ではあやうく飛び出しかけてかろうじて踏み止まり、脇の下に汗が流れるのを感じる。ちらちらと行く手の道の上に、スタート時に見たっきりの99番の後ろ姿が見えて来た。
『やべぇっ!マジで来た!おい、急げ!』
(ひとの頭の中で叫ぶな)
『もともと俺の頭だ!』
トンネルをすっ飛ぶ。今は自分も同じ速度だ。1mでも遠くまで進んでおきたい気分だ。
(どうせなら今ここで僕をふっとばしてとなりのコースまで送ってくれ!)
『馬鹿か。そんなことできるわけねーだろ』
(できるんだ。僕がやったんだから)
『ほんとかよー。フカシじゃねーのか』
(君とはもう口をきかん)
こめかみに汗をにじませながら、懸命に操作する。どん、と地面に着地し、速度が通常のMAXまで落ちて行く。
はっきり、各々の画面に、お互いの姿が映りこんできた。
きついカーブを連続して抜けてゆく。これを抜けたらもうゴールは目の前だ。
後ろから、承太郎の金色の28番が、迫ってくる。
行く手に、仗助(幽霊)の99番が近づいてくる。
隣り合っているお互いの顔は見ない。もう無言のまま、両者ともフルスロットルだ。
ふっと幽霊の車が道の片側に寄った。吸い込まれるように、その開いた道を、承太郎の車が駆け抜けてゆこうとした。
瞬間、幽霊の車が承太郎の前にす!と入った。
身を呈してブロックしたのだ。
(抜かせるか)
うなるような幽霊の心の叫びに、仗助は無い拳を握り締め、
このまま後ろからどつかれながらでも、ゴールはすぐそこだ。行け。いっちまえ!
ゴールのゲートが迫る。
瞬間、承太郎の手の中のコントローラーを、星の白金の指が掴んだ。
十字キーをぐりぐりぐりぐりとものすごい勢いで回す。承太郎の金ぴかカーが850km/hの勢いで回転し、幽霊の車をコース脇にふっとばした。

どぉーん。
大音響と共に幽霊の車が爆発した。
承太郎の画面には、YOU WINという文字が金ピカに縁取られたスペシャルな字体でくるくると、スペシャルな出方をした。
自分の車もくるくる回りながらそのままゴールを通り抜ける。大歓声と拍手喝采のSEがやんやと起こった。
「………」
承太郎は少しあってからコントローラーを膝に下ろし、ふ、と小さく息をついた。それから。
コントローラーを持ったまま、隣りで微動だにしない仗助を見て、
「おい」
特に嬉しそうでも、得意げでもない調子で、ただ『コイツ動かないぞ』というだけの口調で声をかけた。
仗助はゆっくりと、顔を落とし、はあと息をつく。
それから、口を開く。
「…方向キーを、回転させるように押すテクニックというのは…」
「ああ」
ちょっと指で額を撫でた。汗を拭ったらしい。
「以前見たことがあったのを、瞬間思い出した」
「そうですか」
僕がやったのをですか。
「承太郎、サンは、このゲームの裏技を知ってたんですか?それで、わざと一周目、のろのろ走ったんですか」
「?…裏技って何だ」
かくんとなってから、そうだろうなと思う。
承太郎はそういう姑息な小器用なことはしないだろう(僕と違って)。それでも、自分でチャンスの状況を引き込むのだ。それだけの運がある。その上で、そのチャンスを最大限に利用できる力があるのだ。
そう思ってから、不意に再びうつむいた。肩が震えている。くすくす、くすくすとしのび笑いをしていたのが、のけぞって笑い出した。それから、ふうと落ち着いて、
「参りました。全く、あなたにはお手上げです。かなわない。なにをやっても」
ちょっと、照れくさそうに言うと、指で、前髪のあたりをくるんと巻きつける。仗助の髪は立派な、一本芯の通ったリーゼントなので、指に巻きつくことはなく、結果ただ宙を巻いている。一体なにを巻きつけているのか。
その仕草に、承太郎が「あれは…」という顔になる、その時仗助は再び顔を上げて、また目だけで笑った。
「でも、本当に満足しました。すっきりしましたよ」
やたらと爽やかな口調でさばさばとそう言って、右手を差し出した。
半ば呆然とした顔で、その手を思わず握り返した承太郎に、
「やれやれです」
ちょっと澄まして、そう言い、
直後、どた!と背後に倒れた。
承太郎は手を握ったまま、相手の顔の上に身を乗り出した。
仗助は目を見開いて天井を見ている。しかし、どうも、意識がなくなっているようだ。
「仗助!」
声を掛けて肩を揺さぶったが反応が無い。
画面ではリプレイで、承太郎のくるくるゴールが映っている。

真っ白い意識の中、あの男がゆらりと自分の側を離れてゆくのを感じて、仗助は声を上げた。
おい!
しかしそれは音声にならないので、はなはだ心許なく、ちゃんと相手に伝わっているのか不安だったが、今ではもう姿も見えない幽霊が返事をした。
仗助くん。僕だ。
ひょっとして成仏するのか?お前、負けたじゃねーかよ。それなのになんでだ。
自分が焦っているのがわかる。相手ははははと例の調子で笑って、
要するに、心の底からあのゲームで闘って満足できればよかったんですね。僕は今本当に満足だ。だからもう行きます。
勝手なことばっか言うな!おい、お前、
仗助は必死で、心で叫んだ。
途中から変だと思ったんだ。お前昔からの承太郎さんの知り合いなんだろう?そうだな?
…いくら君がとろくても、わかってしまいますよね。
なんだその言い草は!
すみません。
笑っている。もっと文句を言ってやろうとか、承太郎との関係を聞こう、とか思ったが、言葉が出ないうちに、
本当にお世話になりました。心から感謝します。君は本当に優しくて強い男です。ゲームの腕はそれほどでもないけれど。
おいっ!
ありがとう。
ふっ、と体が浮き上がったような感覚のあと、今度こそなにもわからなくなった。

仗助はその後、意識を取り戻したがこれまでにない疲労困憊状態で、入院こそしなかったがちょっと寝込んだ。
意識が戻った時点で、仗助は、自分の中に居た幽霊のことを、一切忘れていた。
ここのところ億泰や康一を巻き込んで、学校中のゲーマー相手にレースゲームで戦ったり、体力づくりのためと称して毎晩のように恥ずかしいランニングを行っていたということ自体は覚えているのだが、『何のためにそんなことをしていたのか』という目的は、いくら頭をひねっても思い出せなかった。
あとには、メガロドライブと十本のソフト、それからやけに体力のついた体と、F−MEGAというゲームのコース1がやたらめったら上手になったゲームの腕が、ただ残った。それからもう一つ、制服のズボンの尻ポケットが、やけにひっぱられてたるんだ形、になった。

仗助の狂乱の裏にあった事情など知る由もない承太郎は、その後のある日机の上で書類を整理しながら、ふと写真たての古い写真に目を留めた。
今では懐かしい形の学生服、緩く流れる前髪と、白い顔。怜悧な微笑。
「そう言えばTVゲームをやったのは、あの時以来だったな」
呟いた。
前髪を巻きつけるくせのある、長い指が、写真に写っている。

間違えて、国立大学の入試問題を数学の期末テストとして出してしまったのに、一人だけ全問正解だった生徒がいて、教師は驚き、
『東方仗助はああ見えて天才なのだ』『いや、カンニングだ』『カンニングしたって無理だろう』等ずいぶんもめたのだが、本人に聞いても『そういや、いつのまにか期末終わってたなぁ』と言う体たらくなので、結局それきりになった。

[UP:2003/5/1]

花京院は最初から全部承知の上で仗助の側にいた、という考えもあってそれはそれで切なくてイイですが、こういうことにしました。
仗助くん、毎度のことながら承太郎さんになつきすぎだ(笑)
倍の加速の権利、の解釈が間違ってるかも知れないけどカンベンしてね。
あと、原作のF−MEGAにはこんな裏ワザはないでしょうから本気にしないでね。

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