五人は夜の中を疾走した。
 すぐ側にDIOが潜んでいるこの街を、夜の間にウロウロするなど危険極まりないことなのだが、そんなことも言っていられない。
 なんだなんだ、という顔をしている現地の人々を突き飛ばし、押しやり、怒鳴られ、すみませんと言ったり怒鳴り返したりしながら、走り続ける。
 イギーが行く手の角を曲がって随分あってからやっとその角に辿り着く。と、はるか彼方でイギーがするどく吼えた声が聞こえた。
 早くしろと言っているのだろう。
 花京院は法皇を宙に飛ばした。緑色の光の線を描いて、イギーの居る方向へその身を解きながら伸ばして行く。花京院のもう一つの視界に、イギーが『こちら』をちらりと見てから再び走り出したのが映った。
 「次の角を右へ。そこからずっとまっすぐです」
 走りながら中継する。
 「いつどこから敵が襲ってきても不思議はない。花京院、そろそろ法皇を戻せ」
 ジョセフが後ろを走りながら忠告した。わかってます、と叫び返して、
 「気はつけています。でもこの道の先にあるのはもう、」
 言いかけて、えっと叫ぶ。皆が一斉に花京院を見た。
 「なんだ。どうした」
 「何だあれは?スタンド?…違う、実体だ、本物の」
 何の話をしているんだと言おうとしながらも、どうやら自分たちがちょっとした広さのある空間、広場に向かっていることは、全員が把握していた。
 娘たちはそこに居るのか?
 彼女たちだけでということはないだろう。恐らくは、敵もいる。敵というのは、すなわち。
 全員がざざと音を立ててその空間に飛び出した。既に先に着いていたイギーが、何かに向かって激しく吼えかけている。
 それを見上げて一同は「?」という顔になった。
 空中に、真っ黒い箱のようなものが浮いている。
 「なんだ、あれは」
 「実体です。何かの金属か、鉱物みたいです」
 さっきからそれを『見て』いたらしい花京院が言った。イギーが更に強く吼えた。それどころじゃないんだよという吼え方だ。
 「イギー、」
 誰かが言いかけて顔を引き締め身構える。
 ずっと先の闇の中に誰か立ってこちらを見ている。いつからいたのか気づかなかった。気配を殺しているというよりは最初から生気の、精気のない存在ゆえに感知できなかったという方が合っていそうだ。
 間合いを詰めようとしたその呼吸で、
 「動くな」
 陰々滅々とした声が一同を制した。
 「!」という表情が、各々の差異はあれど全員の顔によぎった。そして、
 「もしや、あの娘たちが中に居るのか?どちらが?」
 第一の疑問に、男が、
 「二人ともだ。故にほとんど余裕はないな。空間的にも、時間的にもな」
 答えたことで、
 「貴様がバルサックか?」
 第二の疑問を発する。
 男は、憂鬱そうに吐き捨てた。
 「ああ。…そう、だ」
 そのあと長く、長く息をついてから、
 「お前らが、ジョースターか。揃って、遠いところまでご苦労なことだ。ご苦労といえば、この娘らも本当にご苦労なことだったな。遠い異国まで旅をして、その果てに窒息死か」
 ふ、ふとため息のように笑いかけて、突然悲鳴を上げた。
 苦悶している。その顔のあたりに、火脹れが出来て行くのを見て、
 中に閉じ込められた娘が、内部から炎を発しているのだ、
 とわかった。次の瞬間、花京院が叫んだ。
 「皆、跳弾は避けて下さい。エメラルド・スプラッシュ」
 渾身の力を込めて緑の弾丸を集中させ、箱に食らわせた。
 甲高い音を立てて、次々と跳ね返ってくる。まともに当たったら実態の弾丸をくらうのと同じことになる。皆懸命に回避し、叩き落し、弾いた。
 「馬鹿が!…そんな威力も無い豆粒、…幾ら食らおうと解除などしないぞ!」
 男は苦痛を堪えて罵った。
 威力があろうとなかろうと、知ったことではない。
 あの距離では僕以外誰も届かない。僕の緑の弾丸以外、攻撃の手がない。
 そしてスタンドとは、精神で操るものだ。精神の強さがそのまま攻撃力になるのだ。
 「ならば、無駄とも限るまい!」
 低く吼えた。早くしないと。中の娘らが焼け死ぬか、窒息死する。
 おそらく、このまま閉じ込められてじわじわ死ぬよりは、最後まで抵抗する手段をとったのだ。姉が言い、妹が同意したのだろう。
 無駄死にさせるわけにはいかない。
 並みならぬ苦労を耐え忍び、ただ仇を討つために、自分たちの喜びの全てから顔を背けて、
 ここまで来たのに!
 花京院は攻撃に集中するため、跳ね返って自分に当たる弾はもはや避けない。びし、びしと服のあちこちが裂け、頬から血が噴き出る。しかしなおももう一歩前に出た。
 まともにはねかえってきた一発が、花京院の顔を直撃しそうになる。すんでのところで、割って入った星の白金の掌が、それを受け止めた。
 「無駄だと、言って…」
 しかし、今度の嘲りは全て言うことは出来なかった。
 内部からの熱と、外部からの弾丸の前に男は力尽き、解除した。黒いかたまりはもともとの砂利の姿に戻って、ばぁっと地面に広がった。
 中にいた二人の娘がどっと地に落ちる。素早く駆け寄ったポルナレフとアヴドゥルがそれぞれを受け止め、横たわらせる。
 「しっかりしろ!」
 「大丈夫か?目を開けろ二人とも」
 ほとんど失神している状態からなんとか戻ると、激しく咳き込む。二人ともびっしょり汗をかいて、ひどく消耗している。
 紫いろのくちびるを動かして、アーニャが呟いた。
 「…ジョースターさん…?」
 「そうじゃ!一体どうした。ヤツと出会ったのか?いつ、どうして」
 「…ごめんなさい。…昼間、手紙を受け取ったの。…あたし…ひとりで…行こうとして…」
 額にびっしりと浮かんだ汗を拭いてやりながら、ジョセフはくちびるを歪め、
 「あれほど言ったのに!まだわからなかったのか」
 「全く、愚かな娘だ」
 アヴドゥルにも低く叱責され、項垂れ、
 「ごめんなさい。…今なら、本当に済まないと…思うわ」
 一方、ポルナレフに支えられてミリアも目を開いた。
 「皆さん、…」
 「気がついたぜ!ああよかった。落ち着いて深呼吸しろ」
 「足元から…黒い壁が立ち上がって…取り囲まれて…あれは」
 「ヤツのスタンドだろうぜ」
 承太郎が呟いて、油断なく相手の様子を見ている。相手もダメージをくらっているが、まだまだ戦えそうだ。射程距離も、攻撃方法のバリエーションもわからない。強襲して押し潰してしまえ、というわけにはいかない。
 「実体だったところを見るとおそらく、足元や空中の塵や砂を瞬時に固めるか、分子の配列を変えて硬質化するスタンド、といったところでしょう。黄の節制に、近いか」
 花京院の声にミリアは顔を向けた。その白い頬から血が流れているのを見て、目を見開く。
 「お怪我を?」
 言いながら懸命に体を起こした。それを助けてやりながら、
 「大丈夫です。かすっただけですよ」
 「でも。…もしや、あの。私たちを助けようとなさって?」
 にこりと微笑む。
 「あなた方が、決して諦めていないのが、わかりましたから。なんとか、その心に応えたいと思っただけです」
 数秒後、ミリアの頬が上気し、目には涙を浮かべそうになったが、懸命に堪えた。
 よろ、よろと男が立ち上がった。承太郎とイギーが一歩前に出た。
 「良かった、良かった、か。…
 ここまで諦めずに頑張ってきて良かった。アナタタチと会えて良かった。
 下らない。
 DIOがこの地上に下り立てば、貴様らなど全て砂だ。塵だ。その時まであと僅かだ。戯けが」
 男は哄笑した。
 一同が驚愕した。姉妹には、彼らの驚きがぴんとは来なかったが、
 「…呼び捨てだと?DIOを?」
 「いや、ホル・ホースのような男も居た。肉の芽の支配がなければ、あるいは損得だけで部下になっている者もいるのかも知れません」
 「理屈としてはわかるが」
 「DIOの配下となっている者であれば、その恐ろしさは充分にわかっている筈です。…本人を前にしていないからといって、呼び捨てになどできないでしょう」
 「俺もそう思うぜ。納得できねーな」
 男はのけぞっていた首をがくりと戻して、一同を見渡し、
 「そんなに不思議か。私が…
 でぃお、と口にするのが」
 ふん、と笑った。ふ、ふ、と笑ってから、
 「DIOは勿論、この世の王だ。…全ての人間を支配し、自分の足の下に踏みつける権利のあるただ一人の存在だ。そのことには異論などない。…
 だが、その力をもたらしてやったのは、この私だ。この私なのだ」
 貧相な胸を張り、誇らしげに叫ぶ。ひび割れた声があたりに響いた。
 「どういう意味だ」
 ジョセフが脂汗を流しながら尋ねる。なんだろう?とてつもなく胸が重苦しい。自分たちがなにか、巨大な真実の側に居る気がする。そしてこの感覚は、最近もあった。いつだったか…
 「知れたことだ。DIOに、世界を、支配する、その力はこの私が与えてやったのだ。
 あのちっぽけな島の遺跡に、あんな力の源が埋まっていると…気づくのは私だけだと…思っていたのに…物好きな考古学かぶれの、鍛冶屋めが」
 姉妹がびくんとなった。
 「父さんの、ことを言っているのね」
 「そうだ。貴様らの父親がウロチョロして邪魔で仕方が無かった。あの偉大な力は、この私にこそ発見されるのを待っているというのに。…
 たかが田舎の鍛冶屋風情が、どうこうできるような力ではなかったのだ。身の程知らずが…」
 アーニャの体が飛び出してゆきそうになるのを、アヴドゥルががっちりとつかまえた。
 「やがて力は自らを私の前に差し出した。私の意志に寄って力となることを望んだのだ。
 『進化の秘法』は我にこそ許された力。
 己の意志次第で、炎も風も水も土も動かし、従わせる力を持つ影を、己から生む力。
 私こそがそれを、もたらすことを許された身なのだ」
 「黙れ!」
 アーニャが絶叫した。
 「おまえのその手前勝手な理屈で父さんを殺したのね!?この」
 「アーニャ」
 ジョセフの手が腕を掴み、すまないが少しの間こらえてくれと呟いてから、
 「貴様が言っているのは、もしや。
 スタンドを発現させる力のことを指しているのか」
 「幽波紋。…  それが名づけられた名だったな、あの力あるヴィジョンの」
 うっとりと宙に、なにかを抱えるような手つきで、影の薄い男は微笑んだ。
 「そうだ。
 私が選んだ者が、
 遺跡に眠っていたあの矢が選んだ者が、
 その力を得る。
 私はその権利を持つ者なのだ」
 なんてことを、と誰かがつぶやいたのが、皆の耳に届いた。全くもってその通りだと、それ以外の言葉はないと、一同は胸で深く重く、うなずいた。
 DIOの上に、スタンド能力をもたらした。
 …この世の破滅へのスィッチを押すことの、具体的な作業として、それより相応しいことが、他にあるだろうか。
 滅ぼされ死の世界となった海に打ち寄せる波のような、音の無い、索莫とした絶望が、一同の胸にひたひたとこみ上げ、そしてそれは怒りの炎となった。
 「愚か者というなら、間違いなく一番か二番というところだ」
 「全くだぜ。てめえでてめえの首を絞めるのは勝手だけどな、他の人類全員を巻き添えにしないでもらいたかったな」
 「せめてその身で、後悔というものを知って貰おうか」
 ミリアが自分の側を立ち上がった男たちを見上げ、そして素早く後ろを振り返り、姉に、
 「姉さん」
 「ええ」
 アーニャは一回強く目をつぶり、それからぎゅっとジョセフを見上げると、
 「ジョースターさんたち、お願い。聞いて」
 叫んだ。
 二人の姉妹は助け合いながら立ち上がった。手を貸そうとしたのを断り、なんとか足を踏みしめ、
 「あいつは、あたしたち二人にやらせて欲しいの」
 「…でもよ、そんな状態で…」
 口ごもるポルナレフに、きゅっと口の端を持ち上げて微笑みかけると、
 「そう言ってくれるって思ったの。助けてくれようとするって。だから、手は借りたくないって思って、あんなマネをしたのよ。挙句、妹も危険にさらして、皆に助けてもらって、言うことじゃないとは思うわ。
 でもお願いよ、あたしたち、この日のために、この時のために」
 まだダメージの残る、潤んだ目を見張って言う。
 「今まで、二人で助け合って頑張ってきたの」
 ミリアの胸に驚きと、涙がこみあげてきた。
 姉さんが。
 あたしたちと言ってくれた。二人で助け合ってと言ってくれた。
 まだ嬉し泣きするのは早い、全くもって早い。でも。
 「ジョースターさん、どうするんだ」
 口を尖らせているポルナレフがちろりとジョセフを見た。腕組みをして、娘らを見比べる。
 その二対の目に込められた思いを見て取る。
 おのれをこの地に立たせてきた支えは、復讐といういびつな杖だった。それを、自らの手で火にくべてこそ、真実初めての、自分たちの一歩を踏み出せるのだろう。
 それを取り上げ、どんな座り心地の良い椅子を用意してやっても、それは二度とこの娘らを立ち上がらせることにはならない。
 危険が、真実命の危険が伴うのだとしてもだ。
 「わかった」
 ジョセフがきっぱりと言った。
 男たちの顔に、であろうなという気持ちと、やはりどうしても懸念が過ぎり、娘らの目には喜びと興奮と緊張がみなぎった。
 ジョセフはなおも、言葉をついだ。
 「君等がどんな状況に陥ろうとも、手は出さん。いいな」
 「ジョースターさん」
 アーニャが叫び、その手をとってぎゅっと握り、
 「有難う。その言葉が、今までで一番嬉しいわ。…あたしたちの気持ちを、こうまで理解してくれる人たちに出会えるとは、思っていなかった」
 「しょーがねーな。…俺は不服だけどな」
 「気をつけろ。今ひとつ相手の攻撃がわかっていないのだから」
 ポルナレフがぼやき、アヴドゥルが言う。各々にアーニャはうなずいた。
 「頑張って」
 花京院が言い、ミリアがその頬の傷を見つめてはいとはっきり答えた。承太郎とイギーはちらりと二人を見ただけで、一歩、後ろに下がった。
 まだしゃんとしていない体で、二人が前に出てくるのを、男は眺めていたが、やがて呆れたように笑い、
 「…盾になってやろうという人間がこれだけいるのに、わざわざ。…そんなに、私に殺されたいのか。…
 つくづく、」
 「黙れ、人殺し」
 今度のアーニャの声は、激昂していなかった。静かで平坦で、ひどく落ち着いていた。
 太陽の激しさで、叫び怒り感情を発散させ続けていた娘が、今は月のように静かだ。その背を、妹は見つめた。
 「おまえに追いつくために、あたしと妹は、ずっとずっと辛くて惨めな思いを舐め続けてきたわ。
 でも、今はもうそんなことどうでもいい。それが終わる時が来たんだから。
 行くわよ、ミリア」
 「ええ姉さん」
 アーニャの手の上にボァ、と炎が上がる。ひゅっと腰を捻る。一瞬にして、炎は数え切れない程の数にわかれ、雨のように男目掛けて襲い掛かった。
 その迅さは男には思いがけなかったものだったらしく、うなり声を上げて手で顔を庇う。足元から瞬時に立ち上がった黒い壁に炎はぶちあたり、ひゅぅというような音を無数にたてながら散る。
 いつまでも防御している訳にはいかない、男は隙を見てその壁の後ろから娘らを伺った。
 真正面から空気で出来た白刃がふっ飛んできて、危うく避けたが、それは男の額を切り裂いた。声をあげ、噴き出す血を手でおさえ、
 「この…」
 罵りながら逃げようとした先には巨大な炎のカタマリを抱えたアーニャが自分に向かって駆け寄ってくる。すぐ後ろに妹も追随する。一気に勝負に出ようというのだ。
 剛い。そして迅い。
 故郷の村で、姉妹でキャアキャア言って遊んでいた時とは、別人のようだ。
 「艱難がおのれらを珠にしたとでも言いたいか。…」
 ざっと地面に手を突いた。
 ミリアがはっとした。咄嗟に空気の刃を飛ばす。姉の足に当てて転ばせる。
 「きゃあ!」
 「姉さん、あぶない」
 絶叫して姉の前に出た。そこに、地面から噴き上がった小さな、砂の塊が、一斉に襲い掛かってきた。
 まさしく、無数の銃口から放たれた、鉛の弾丸と同じだ。
 砂塵がまきあがり辺りはいっとき、視界を奪われる。皆激しく咳込みながら、その中から響き渡る悲痛な姉の悲鳴に、無理に目を見開く。
 「ミリア!」
 妹は姉の前にがっくりと倒れ伏し、身動きもしない。全身から血が流れ出している。
 「しっかりして、ミリア!」
 叫んで抱え上げたが返事がない。
 「姉を庇って…死んだか?…」
 男はまだダラダラと額から流れる血をもう一度拭って膝を突き、もう一度地面に触れる。
 地面から再び、小さな砂つぶを固めた弾丸が宙に浮かび上がってゆく。
 「一人ずつ、というところだな、父親、妹。最後はお前だ」
 一定の高さで弾丸は止まり、次にアーニャに向かって吹っ飛んで来た。アーニャが手を翳す。目の前に炎が吹き出て、防御の壁となった。弾丸はその炎に止められ、とけおちる。
 「ジョースターさん、まだ黙って見てんのかよ!このままだと」
 「待て。ポルナレフ」
 「いつまで待ってろって言うんだ!二人とも死んじまうまでか!」
 「まだだ」
 まだって、と噛み付こうとした男に、アヴドゥルがはっきりと力強い声で言い放った。
 「まだ二人とも負けていない」
 「そうです。見て」
 花京院が声で示した。
 アーニャの炎は。
 威力は、正直あまりないように見える。初めてアヴドゥルと戦った時や、先刻怒りに任せて真っ白い炎の花を頭上に咲かせていたものと比べると、強さも激しさも、落ちるように思われる。
 しかし、決して消えることなく、そして、
 ゆっくりと、ゆっくりと、確実に大きくなってゆくのが、誰の目にもわかった。
 何故だ、と男は仰け反った。必死で弾丸を叩き込み続けているが、こちらの方が根負けしそうだ。
 何故だ。まだダメージも残っているし、今さっきだって全ての弾を妹が受けた訳ではない、姉だってそこかしこに傷をつくって、血も出ているのに…
 男の目に、炎に向かってかざされる、もう一本の腕が映った。
 地面に倒れているミリアが、姉の炎に、空気を送り込んでいる。額からは血が流れ、起き上がることも出来ない様子なのに、その意志は決して潰えず、姉の炎に力を増し加えてゆく。
 その目が、自分を見たのがわかった。憎しみで睨みつけているのではない。ただひどく真っ直ぐに、
 父さんの仇。
 ぐぅっと炎は大きくなり、まるで大きな大きな風船のように、姉の手の先からふと離れ、ゆっくりと男めがけて、放たれた。
 投げつける勢いはない。本当に、糸の先にある風船が手繰られているような速度で、男の方にゆるゆると近づいていく。
 男はついに弾丸を飛ばすのを止め、壁を作って自分を守った。姉妹が自分の方へ駆け寄ってくるか、と思ったが、二人はその場を動かず、じっと見ている。
 壁に、炎の玉が当たった。途端に弾ける、というようなことはない。しかし、
 愚鈍にぼんやりとたゆたってから、ゆっくりと、再び壁にすりよってくる。
 決して消えない。
 驚愕と恐怖の声が男の口を割った。
 炎の玉は、壁もろとも、男を取り囲み、地面に倒れ伏させ、押しつぶした。

 遠くから自分を呼んでいる声がする。
 なら、これは姉の声に決まっている。ひどく心配で、気がかりで、そのためになんだか怒っているように聞こえる、姉の声。
 本当に、姉さんはおせっかい焼きで、干渉ばっかりする。私が一人では何も出来ないと思っているんだから…
 ミリアは目を開けた。
 「ミリア!」
 目の前には案の定姉の顔があって、心底ほっとしている。顔のあちこちにバンソウコウがはってあって、なんとなく煤けている。汚れではなくて火傷なのだろう。顔が薄黒い。
 「姉さんが火傷なんて…なんだか変ね」
 ぼんやり呟くと、何言ってるのよ心配かけて!と叫ばれた。
 「私、助かったの…?」
 「あんた、咄嗟に空気で自分を防御したらしいわ。それで弾の威力が殺がれたんだろうって」
 なかなかやるわね、と言いながらもまだ、自分も泣き出しそうな笑顔だ。でしょう?と姉にだけは叩ける軽口をくちにしてから、
 「ここは、どこ?」
 「病院よ。あの後すぐ、あんたとあたしをここに担ぎ込んで、ジョースターさんたちは」
 息を吸い込む。肩が上がった。
 「夜明けと共に、DIOの館へ向かったわ。
 バルサックがこときれる前に、その居場所をなんとかジョースターさんが引き出したの。奴の頭から」
 ミリアの目がじっとアーニャを見つめた。
 自分を見詰める姉の顔が、ボウと滲む。涙を流している妹を見つめて、姉はかぶりをふった。
 「バカね。何故泣くのよ。大丈夫よ。あのひとたちなら、きっとDIOを倒すわ」
 姉の手がそっと頭を撫でる。
 ―――姉が、バルサックを倒したそのことについて、何も言わない。
 もう何年も、その名は呪いを引き摺り憎しみに彩られて、姉の口から迸り続けてきた。倒せるその日が来たら、歓喜でどうにかなってしまうのではないか。その名を哄笑と嘲笑で口に出来るのなら、そのまま気がふれても構わないとまで、姉は言っていた。
 それなのに。
 その日が来たのに、姉さんは。
 私が泣いているのが、嬉し泣きだなんて、思ってもみないようだ。
 ああ本当に、私は何故泣いているのだろう。
 これが、自分の中に備わっている、ひとよりも確実に鋭い予知の力によるものでないことを、
 そのことを無意識に読み取って、姉が宿敵を倒したことを忘れるほどの懸命さで自分を慰めているのでないことを、ミリアは絶叫したいほどの強さで祈った。
 「あんたの大好きなカキョーインが伝えてくれって言ってたわ。
 あなたの意志の強さに敬服しますって。次は、僕の番だって言ってたわ」
 ミリアは涙を止めようと思ったが、どうしても止めることが出来ず、ただ目を閉じて、ひたすらその祈りを続けた。
 どうか無事で、と。

[UP:2004/04/16]

 …シリキレてますが、この娘たちの話としては、これで終わりなので。
 に、しても、3部メンバーの存在が希薄な話になってしまった。彼らは『姉妹の話の、ゲスト』なんだと思って下さい。
 妙に長くなりました。おつきあいいただいてどうもありがとうございました。

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