日が落ちた。
 さすがにくたびれ果てた男たちが狭苦しい部屋でぐったりと床にへばっている頃、アーニャはひとり、部屋を抜け出して、外へ出ていた。
 あたりはとっぷりと暮れて、闇が支配する世界になっている。足早に、町外れの広場といわれたところに向かって、進んで行く。
 あたしったら、なにをしているんだろう、と思う気持ちは、充分すぎるほど彼女の中にあった。
 あんなに何度も、ジョースターさんに念を押されたのに。
 一人では踏み込むな。奴らは繋がっている。君らの仇の先には、DIOがいる。
 ヤツはとんでもない存在なんじゃ。
 DIOはおそろしい男よ。
 ジョセフと、ミリアの声が、まるで自分を非難するように同時に耳の中に響いて、アーニャは強く首を振った。
 聞こえてるわ。そんなに何回も言われなくたって。あたしにだって耳はついてるし、1分前のことさえ忘れるニワトリじゃないのだ。思慮は浅くて分別はなく、顔と体だけみたいに随分言われたけれど、あたしはそんなにバカじゃない。
 でも。
 なにもかもから顔を背けるようにして、ぐんぐん歩いているので、気が付けば目的地までもうあと少しだ。
 大きな通りから脇道にそれようとした。この狭く暗い道を抜ければすぐそこだ。入った途端、何かにつまづいて転びそうになり、慌てて踏み止まってから、自分がけつまづいたものに目をやって、驚きの声を上げた。
 ボストンテリアがくるりと8の字を描いてから、立ち止まり、じっと自分を見ている。
 「イギー!あんた、ついてきたの?」
 しっぽをぱたぱた、と二回ほど振る。お愛想ではなく、そうだよ、という意思表示だ。
 「何で?あたしが抜け出したこと、どうしてわかったの?」
 言いながら近寄り、どうしよう、と言いながらイギーを抱え上げる。ぶらん、とぶら下がりながら、横柄な顔で、アーニャを見ている。
 胸に抱えて、そして思い出す。昼間自分がこうしてイギーを抱えている時に受け取ったのだ、あの手紙を。
 「そうか。あんた、ホテルに戻った時あたしの傍にいて、手紙を受け取るのを見てたんだものね」
 しっぽが二度振られる。そうだよ。
 「それで?あたしを監視してたの?」
 せわしく振られる。監視とは人聞きが悪いな。なにやらよからぬことを考えてるようだから、傍に居てみようかな?と思っただけのことだ。思わず俺をおっことすくらい驚いた内容の手紙だったのに、そのことを、ジョースターたちにはともかく、妹にも言わないってのは、ちょっと解せないからな。
 アーニャは、困ったわね、と言いながら、意味もなくイギーをくるくると撫で回し、しばらく躊躇していたが、
 「とにかく、あたしは行かなきゃならないの。あんたはいいから、戻ってて頂戴。このこと、誰にも言っちゃダメよ」
 まあ、俺が何か言うとしても、ニンゲンの言葉は喋れないけどな。
 イギーの屁理屈は勿論アーニャにはとどかないが、なんだかこの犬が横を向いて口笛を吹いているような感じがぬぐえず、あんもう、と地面を片足で踏みつけ、
 「ねえちょっと、聞いてる?素直に戻って、大人しくしてろって言ってんのよ」
 ここではっきり、イギーは「さあ?」という雰囲気を、犬にしては雄弁すぎるその目に映してみせた。
 アーニャはまあ!と呆れた怒り声をあげ、
 「なんなのよあんたは!わからず屋!言う事を聞きなさい!」
 「言うことを聞かないわからず屋は、ここにもいるわよ」
 突然耳慣れた声がそう言うのを耳にして、びくんと震える。慌てて振り返った。昼間と同じように、その胸からイギーがぽんと飛び降りた。
 背後に、ミリアが立っていた。
 咄嗟に、何と言葉を発して良いのかわからず、アーニャはただ赤い唇を開いて、相手の顔を見つめた。
 妹は怒りと悲しみの入り混じった静かな表情で、じっと姉を見つめ返していたが、やがて、
 「そう。ホテルに戻った時、手紙を受け取ったのね?」
 さっき、アーニャがイギーに向って言った言葉をそのまま繰り返す。
 「バルサックからの手紙なのね?」
 「ミリア…」
 「そうなのね?」
 大声ではないのに、心臓に直接響くような声で問い掛けられ、思わずうなずいた。
 そう、と呟く妹の顔は蒼白だ。
 のろのろと、平淡な呟きが聞こえてくる。
 「変だと思ったわ。私は一日中姉さんと一緒に探し回ったのに、私が気づかなくて姉さんだけが気づいた何かがあったのかって思ったわ。
 それから、もし何かあったなら、姉さんが私に教えてくれないわけが無いと思い直したわ。…
 変なふうに疑って悪かったと思ったのよ。それなのに」
 そこまできて、ミリアの目にぎゅうっと悔しさがこみあげた。
 「ひどいわ」
 かすれた声で言った。
 かぶりを振る。アーニャの長い髪が揺れた。
 「違うのよ、ミリア。待って」
 「何が違うの?」
 短い言葉だが、よく砥がれた短刀のように、うろたえた姉の言葉を切り裂いて打ち消した。
 「ここまでずっと二人で頑張ってきたのに。二人で父さんの仇を討とうってどんな時でも一緒に、頑張ってきたのに。そう思っていたのは私だけだったの?
 肝腎な時に私は何も教えてもらえなくて、爪弾きにされるの?」
 「待ちなさいったら」
 強く叫んだ。
 「ヤツから手紙を受け取った時に、最初に思ったのは、あんたにこのことを教えなきゃってことだったわ!」
 相手は首を振ってそのことを否定しながら、
 「だったら、どうして」
 「でもね、その時あんたがこっちに向かってきたのよ、カキョーインに一生懸命なにか話し掛けながら、あんたは本当に幸せそうだったの」
 ミリアの頬があっという間に真っ赤に燃え上がり、しかしごまかされてなるかとばかりに、懸命に、
 「そんなこと関係ないわ!」
 「あたしの見た事もないような、嬉しそうな顔だったのよ。本当よ。そのあんたの手を掴んで、今夜は殺し合いになるわなんて、いえなかったのよ」
 「言い訳よ」
 「そうよ。言い訳よ」
 一方的に言い負かされている状況に、いつまでも大人しく打ちひしがれていられる性格ではない姉は、開き直った。キッと顔を上げて、
 「でもあたしはあんたの姉さんよ。頼りなくてあてにならないかも知れないけど、あんたのことを心配してるって点は、誰にも負けないわ」
 「そんなことわかってるわ。私のことを心配してくれる人間なんて、この世に姉さんしかいないもの。でも」
 しかめた眉が悲しげな角度になってゆく。
 「頼りないって言ったら、私の方がずっと頼りないわ。いざ戦いになった時のことを考えたら、姉さんの方が私をあてにできないって思うかも知れない。でも、父さんの仇討ちのことだけは、私を仲間はずれにしないで。父さんは私にとっても父さんなのよ。わかるでしょう」
 懸命に叫ぶ相手の妹の気持ちは、勿論、よくわかっている。
 一旦は昂然と上げて相手を言い負かそうとした姉だったが、自分が間違っているのも、妹の気持ちもわかるから、結局はしおれてしまって、
 「…二人しかいないのに、仲間はずれにはできないわよ。仲間はずれって、もっと人数が多い時に使う言葉なんでしょ?」
 そんな拗ねたものいいをした。
 妹の顔に、少しあってからようやく泣き笑いが浮かんでくる。
 「そうよ、姉さん」
 そんな相手に、姉も口を尖らせてふふ、と笑ってみせる。
 「ごめんね」
 「ううん。それより」
 姉の気が変わらないうちにと、慌てて目に浮かんだ涙を拭って、
 「その手紙、見せて頂戴」
 「ああ、これよ」
 やたらがさがさ言う紙を引っぱり出し、手渡した。この通りは薄暗い。ミリアは明るい方へ紙面をなんとか向けて、その不吉な文言の書かれた紙をじっと見つめた。
 「どう?やつよね?あたしはそう思ったんだけど」
 こんな故郷から遠い街で、あたしたちに向かって鍛冶屋の娘、なんて呼びかける相手はやつしかいない筈だ。
 ミリアはなおも数秒、そのままでいたが、顔を姉に向けて、
 「バルサックの書いたものだわ」
 きっぱりと断言した。
 この子がそう言うなら絶対にそうだ、といつものようにアーニャは確信した。
 「よかった。やっぱりあんたに見せて、あんたに保証してもらうと安心するわ。見せてよかったわ」
 アーニャは相手の心情を慮って言葉を選ぶようなことはしない。故に、ずけずけとしたそのものいいに随分傷つけられもするけれども、口にする気持ちが本心からなのだということだけは確かなので、姉が本気でそう思っていることに、ミリアはほっとした。
 ほっとすると同時に、勝手に隠してこそこそ出かけたくせに、今更、と腹も立つが、そのことは勿論口にしなかった。
 ただし、このことは言わなければならない。
 「姉さん、これではっきりしたわ」
 「なにが?」
 「バルサックと、あのDIOという男は本当に繋がっているということがよ」
 当たり前じゃない、という気持ちが妹の目に映っている。口調に込めたりはしない。意識してそんなものは消している。いつもそうだ。相手の軽率さ浅はかさを具体的な言葉はもちろん口調でさえ非難したりはしない、しかし、慎ましやかで控えめなその眼差しに、何故わからないのだという驚きが見えるのだ。
 それを見るとあたしは、イライラする。妹が正しいのはわかっている。この子はいつも正しい。あたしは浅はかで間違っている。だったらそう言葉に出して言われた方が、ずっとずっとすっきりするのに。
 「姉さん」
 認めろ、と声が追いすがってくる。
 アーニャは仕方なくのろのろと口を開いた。
 「そうかしら」
 「そうでしょう?だって、私たちがDIOと出会い、依頼を聞いて、ジョースターさんたちと会って、仲間になって行動を共にした、その日のうちにバルサックから接触してきたのよ!今まで何の手がかりもないまま幾日経ったと思うの?それがこんな急に!まるでDIOって端に書いてある紐をひっぱったら、その紐の向こう端にバルサックって書いてあったみたいじゃないの!」
 うるさいわね。いつもはむっつり黙って人の顔色ばかり見ているくせに、こういう時ばかり。小理屈を得々として。あたしに講釈を垂れるのはそんなに気分がいい?
 アーニャは嫌そうにため息をついた。その顔を怪訝そうに見やる相手を見ないで、
 「そうね。あんたの言う通りでしょうよ」
 「だったら姉さん」
 ミリアがもう一歩詰め寄った。
 「この手紙のことを、ジョースターさんたちに教えなくちゃ」
 アーニャの顔がはっきり、しかめられた。
 ついさっきまで、そうしなければいけないと思いつつも、顔をそむけてきたことを目の前に突きつけられて、撥ね付けることもできないが、ほいほいと承諾する気にもなれない。
 「逆に言えば、バルサックを追いかければDIOにたどりつくということなんだもの。これは大きな手がかりだわ」
 でしょう?と言ったが相手は返事をしない。
 「姉さん、どうしたの?戻りましょうよ。どうせ私に気づかれたんだから、いいでしょう?」
 「いやよ」
 ついに、その言葉を叫んだ姉を、妹は絶句して見返した。
 なぜ。目だけがそう尋ねている。
 その聡明な、間違ったことのないまっすぐな、ゆえにうっとおしい目をぎゅっと見返して、
 「あのひとたちに教えたら、きっとバルサックからDIOの居所を知ろうとするわ」
 「それは、」
 当たり前じゃない?そのためにこそ…
 妹の困惑が腹立たしい。
 「あのひとたちはバルサックがDIOの居所を喋るまでは、あたしに手出しをさせまいとするわ。もしかしたらわざと逃がして、DIOの館まで案内させようとするかも知れない。あたしはそんなことは我慢ならないのよ!」
 荒く、荒く悲鳴のような怒号が響き渡る。
 「そんなことはないわ!忘れたの?ジョースターさんのスタンド能力は、人の頭の中を読み取れるって言っていたじゃないの!バルサックを捕まえて、ジョースターさんがスタンド…」
 「すっかり、このチカラのことを、すらすらと呼ぶようになったのね、その名前で」
 意地の悪い言い方に胸が冷える。
 変なところでつっかかってくる。何が気に入らないのだ。
 「いいわ。そうね。ジョースターさんのチカラでヤツの頭の中を見て。知りたい情報を得て。で、戦うのはキミだからといって、あたしの前に奴をぽんと放り出して?よたよた立ち上がったヤツとさあ戦いなさいって言うの?あのひとたちが?
 きっと手を貸してくれようって言い出すわ。女の子だけで勝てやしないって。お互い様だDIOと戦う時には加勢してくれればいいって言って。
 あたしはそんなのは御免よ。ポルナレフは妹の仇を討つのに、アヴドゥルやカキョーインのチカラを借りたかもしれない。そしてそれを今頃、苦く後悔してるんだわ。
 あたしは嫌よ!父さんの仇はあたしが討つわ!誰にも手出しさせない」
 「姉さん」
 ミリアの声は重く苦く潰れていた。
 この相手を説得することの億劫さは、今に始まったことではない。いくら理路整然と説いてみせても、ヘソを曲げた姉は、必死に積み上げた積み木を、その美しい足で一蹴する。あたしが気に入らないのよ、の一言で。
 しかし、今度の件は、仕方のない姉さん、と言って諦める訳にはいかない。
 命にかかわることだ。
 そのことを、ジョースターにくどくど言われなくても充分にわかっている娘は、一回息を吸って止めた。
 二人のやりとりを、さっきからずっと眺めているイギーは、
 やれやれ。なんだろうなこの、女ポルナレフみたいなやつは。自分の憎しみにがんじがらめになって、何も見えなくなっちまっている。
 我を忘れて突っ込んでいったら、出口の無い袋小路ってことに、ならないといいけどな?
 それにしてもご苦労だな、妹は、と、無い肩をすくめてみせる。
 ずぅっと、こうやってきたんだろうがな。世の中には、慣れることと、慣れることのできないことがある。
 耳栓をしてわめきつづける姉に、ニンゲンの言葉を聞かせるのは、果たしてどっちなんだろうな。
 イギーの同情に励まされたわけではないだろうが、ミリアが口を開いた。静かに、ゆっくりと。激する姉を宥めるかのようだ。
 「ジョースターさんたちは、そんなことはしないわ」
 「そんなことってなによ」
 「仇討ちを、手助けという名目でもって邪魔することよ」
 簡潔に言って、首を振る。
 「あなた方の苦労の大きさは本当には想像できないだろうけれども、でも、それを乗り越えた心の強さを尊敬すると仰ってくださったわ、…カキョーインさんは」
 どうしても、その名を口に乗せると、頬は赤くなるけれども。胸はとどめることが出来ず轟くけれど。
 ミリアは懸命に言葉をつないだ。
 「どうしても自分たちの手で仇を討ちたいという気持ちを、わかってくださらない方々ではないわ、
 誠心誠意頼めば、きっと解って引いてくれる。そうしてくれるわ」
 「何故、わかるの、そんなことが」
 姉の言葉はまだ、炎を吹くいばらのようだ。触れるとそこが血を流し、火傷を負いそうだ。
 けれどミリアはそれを両手で掴んだ。
 「私達は何をしたの?自分たちの得たい情報を得るために、何の関係もないあの方たちを襲ったのよ。
 あの場で私達は、ジョースターさんたちに殺されたって文句は言えないことをしたのよ。
 それなのに『何か事情がありそうだ』と言ってそれを押し留め、話を聞いて、進むべき道の上に戻してくださったのよ。
 私達の薄っぺらい虚に対して、あの方たちはあんなにも実で返してくださったのよ?それをなおも裏切ろうっていうの?それこそ恩も何も知らない、卑怯者だわ」
 その全ては。
 この自分が引き起こしたことだ。
 そう言わない妹を、心底憎たらしいと思う。
 「私『たち』というのを、やめたらどう、ミリア」
 自分でも自分の声が毒に満ちていると感じた。
 「あんたは何もしてないでしょ。…間違ったことはなにも。裏切りも卑怯なことも、あんたは何一つしていないじゃないの」
 仇討ちのために、やつに近づくためにどうしてもしかたなくて手を伸ばす、汚らしいこと、しなければならないいやなことも何も、何一つ、しないくせに。
 姉はそう言いたいのだ。
 「だからなの?」
 ミリアの声は掠れている。
 「あたしに手出しをさせまいとする。あたしの前に。あたしが仇を討つ。誰にも手出しをさせない。
 姉さんはいつもそうね。バルサックから手紙が来たことさえ、私には教えてくれない。
 私が心配だから?だから、私は、手出しをさせてもらえないの?いつまで経ってもどこまでいっても私は、姉さんにとって、つれて行かないとぐずぐず言うから、仕方ないから、つれて歩くモノでしかないの?」
 見えない呪いの鎖でつながれているようだ。お互いを心配しあい、大事に思いながら、それでも、時に呪わしく思う。思うほかはないだろう。
 まだ、ろくに人生の喜びも知らないうちから。
 二人はただ一緒に、仇を追いかけて旅をしている。他に、今することはない。それをしないうちは、
 二人の人生は始まらない。
 『父の仇を倒して初めて、自分たちの人生が始まるのだ』。
 そう、イギーが思った時、
 「きょうだい喧嘩か」
 暗い、暗い声が、通りの向こうから聞こえた。
 ばっと同時に振り返る。
 影は黒く、不吉な形に切り抜かれ、ボウとそこに居た。
 「迎えに来てやったぞ、鍛冶屋の娘たち」
 「バルサック」
 姉妹の声が揃った。怒りと憎しみと焦燥と疑問と、ありとあらゆる感情をぶち込んでぐらぐら煮立たせたような声だ。
 「まだ生きていたのだな。…途中で死んでいたなら、その方が余程楽だったろうに」
 得意げにうそぶくのではなく、心底そう思うという口調に、アーニャはカァッと全身が燃え上がるように感じた。
 「黙れ!」
 同時に、ボッという爆音に近い音をたてて、かかげたその手の上に炎のかたまりが生まれ出た。
 「えらそうに…口をきくんじゃないわ。この…薄汚い人殺しが。よくも…よくも…
 よくも父さんを殺したわね!」
 これまでにない速さと強さで、炎がふくれあがっていく。
 まさしく、憎しみで咲く花だ。
 どんどん白く眩くなってゆく花に照らされた相手の顔を、ミリアとイギーは息をつめて見つめた。
 ミリアは確かに、バルサックだと思った。最後に見たのはもう随分昔のことのように思えるけれど、そうそう人相が変わるほどの昔ではない。そう、陰気で内省的な、今にも消えそうな灯りを思わせるあの顔。そげた頬、色の悪い薄い唇。これほど、不吉な顔ではなかったけれど。
 イギーは、その目が、アーニャの花を見ているのを見た。こいつこれが見えている。ってことは。
 こいつもスタンド使いだ。果たして、それはどんな能力だろう。
 心をハイにして、文字通りスタン・バイさせながら、まずいなと思う。こいつは十中八九、この姉妹の能力について知っているだろう。スタンド使い同士の戦いで、片方が相手の能力を知り、逆が否だというのは、ほぼ勝敗はついたようなものだ。
 しかもこいつの背後にはDIOがついている。準備期間はくさるほどあった。どこからどう攻めかかろうと、おそらく全て作戦は出来上がっていることだろう。
 なおも加えて、とイギーはダメ出しする。この女ポルナレフはすっかり憎しみと怒りでイッちまって、攻撃のことしか考えてない。相手が思いもよらない方向から襲撃してきたら、俺と妹はともかく、こいつは避けられるか?ノーという他はないだろう。
 イギーの懸念をよそに、というか、まさに、というか、アーニャの髪がばぁっと熱風で逆立って、
 「お前をこれ以上一秒だって生かしてなんかおかない。
 殺してやる。殺してやるわ。
 父さんが行ったのとは別のところへ行くがいい」
 絶叫し、駆け出した。
 「姉さん、待って」
 妹は懸命に叫び、それでも辺りの空気を手繰り寄せながら駆け寄った。なんだかよくない感じがする。その予感が強すぎて、妹は怒りに身を任せられないでいるのだ。
 半歩遅れてイギーが飛び出した、その鼻先で、
 「きゃあああ!」
 「姉さん!」
 二人の足元から上へ向って、二人を取り囲んだ形で、黒い壁のようなものが聳え立って行く。驚くようなスピードで、壁は上方へ成長してゆく。どういう仕掛けだろう?二人は黒い筒の中に閉じ込められ、どんどん見えなくなっていく。
 イギーは迷った。
 跳んで、二人のもとへいくべきか。
 それとも俺のザ・フールでどうにか出来るか?
 並みの人間よりはるかに冷静で状況判断力がある犬が、いや、どちらも違うと思った時、二人をとじこめた筒の上端がばしんとフタでもしたように閉じられた。二人は完全に、突然現れた筒の中に封じ込まれてしまった。
 イギーは一声吼えると、だっと地を蹴って、一心に駆け出した。
 その背を、重苦しい笑い声が追いかけてきた。
 「急いで、ジョースターたちを呼んでこい。…その頃には、娘らはこの筒の中で窒息死しているだろうがな…」

 真っ暗だ。全くの闇だ。これほどの暗黒というものは、普段そう味わうことはない。
 「姉さん」
 細い囁き声がすぐ傍で聞こえる。
 「閉じ込められたわ。材質がなんだかわからないけど、ほとんど隙間はないし」
 姉の声が思ったよりも冷静なのでほっとする。ほっとしている場合ではないのだが。なにしろ、
 「空気も通らないわね」
 「これじゃ、すぐに窒息するわ」
 浅い呼吸をしながら、お互いの手を握り合って、すぐそばにある筈の、見えない互いの目に、目を凝らした。

 「やれやれ、すっかり砂っぽくなっちまって、折角の色男が台無しだぜ。どれ、一発身支度をしてだ、アーニャちゃんとミリアちゃんにおやすみを一言だけでも」
 べらべら言いながら鏡に向かって立って、髪をいじったり顔をいじくったりしている男が、タフだ、と皆内心思った。
 どん!とドアが叩かれる。叩くというよりは、体当たりに近い。それも随分下の方の位置から聞こえた。
 「なんだぁ?」
 言いながらポルナレフが髪をとかしつつドアに向かい、開ける。途端にイギーが転がるように入って来た。
 「おわっと、なんだお前」
 イギーは激しく吼え、近づいて来て抱えあげようとしたアヴドゥルの手を避けると、袖にかみついて強く引いた。
 「何を言いたいんだ?ついてこいというのか?」
 そう言った途端口を放して駆け出す。
 「ちょっと待て、一体」
 言いかける後ろから、承太郎が、
 「あの女たちに何かあったんじゃねえのか」
 一拍後、全員が廊下に駆け出した。

[UP:2004/02/20]
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