観光バスは快晴の空のもと、チチェン・イツァ遺跡の正門の方にやってきて、停まった。
楽しみねえ、あなたもそうでしょ、とウキウキしている米国人女性に話し掛けられ、レイラはええと答えて微笑んだ。
にわか観光ツアーの一員となった四人は、集団の最後尾について、ゲートをくぐり、説明を聞いた。三世はひょいと、全景図になっているガラスに入った模型を眺める。
チチェン・イツァは大きく分けて二つの時代に構築された遺跡だ。目的地は、新チチェンと言われるグループに属している。
「入って、道なりにまっすぐ行くとあるんだ」
「そうよ」
模型を見もしないで答える。
やがて一同は、ガイドに導かれて外へ出ると、昼なお緑の影の濃い道を辿って進み始めた。
木々の影の上に、知っている建造物の中ではエジプトのピラミッドが一番近いか、という建物が見えてきた。
「あれがそう?」
ええ、とレイラが答えようとした時、
「奴らだ」
次元が低く鋭い声で言った。
石で出来た巨大な三角錐の下に、地元のゲリラみたいな汚い格好の男が多数、うろんな目でこちらを見ている。そして、その後ろに。
ワインレッドのスーツ。色の薄い金髪、不思議な色の目と真っ赤な唇。ジャクリーヌ・ナトラだ。
レイラははっとしたが勿論、凝視するようなマネはしない。さもこれからの行程に興味津々という顔でさりげなく視線をよそに避けた。
落ち着いて。私はジェシカ。そう呼ばれたら返事をするだけ。レイラというのは今は別の誰かの名。
しかし、
「いたわ。あの女よ」
その言葉を一同は確かに聞いた。
次の瞬間、男たちがこちらに向かって駆け寄ってくる。悲鳴が上がった。
「逃げろ」
三世は低く叫んだ。レイラは一瞬、来た方向に下がろうとし、男たちが銃を構えたのを見て、
あの連中は、私との間にいるものは、なんであろうと躊躇なく撃つ。何の関係もない一般人、女でも子供でも老人でも。命乞いなど耳を貸す間もないだろう。
真っ直ぐ逃げたら全員撃たれる。
彼女は咄嗟に左方向へ走り出した。
しかしそれはまた、レイラ一人が標的になるということでもあった。
ちゃ、と音がする。とてもレイラは見る余裕がなかったが、三世たちは見た。連中は何故か銃を代えて、レイラに狙いをつけた。
撃つ。
それまでに影のように銃の弾道の先にしのびよっていた五右衛門が、瞬間、佩いた刀を抜き放ち弾をはじいた。
きぃーーーん!歯にしみるような音がする。幾たびも幾たびも空気を震わせて刀は声を上げた。
ルパンと次元は逃げ惑う一般客の隙から、男たちの数を減らしていった。
「レイラは」
「あの柱群の方へ逃げた」
カスティーリョの向かって左方には、戦士の神殿と、その隣りに千柱の間と呼ばれる、等間隔に白い、高い円柱が何本も聳え立っている遺跡があった。その中に駆け込むと、素早く陰に隠れ、自分も銃を抜いた。
どうして?
それは三世たちにとっても疑問だった。自分たちを狙い始めた銃口の前から木々の後ろに逃げながら、
「ちっくしょ、なんでああもあっさりバレたんだ」
ボディチェックも指紋検査もあったものではない。見て、居た、と言われるのでは、変装の意味もなにもない。
「女社長はレイラを見分ける方法を知ってるのか?」
半身乗り出して撃つ。すばやく戻る。
まるで、その呟きに答えるように、
「右。もっと右の柱よ。あと五本向こう」
カスティーリョの石段の上に立って、大声で指示している。
「…見分けるとかいうレベルじゃねえな」
「暗闇を逃げ回っても場所がわかりそうだ。探知機でも持たされたか?」
「どんな探知機だ。あの女、ただ見て怒鳴ってるぞ」
男たちがレイラを追って石の柱の中へ入っていく。と、柱の裏から白刃がひらめいて倒された。
「五右衛門が食い止めてる間に、なんとかしねえと、ちっとまずいな」
一呼吸でパラベラム弾のカートリッヂを交換する。
「何をぐずぐずしているの?遠ざかって行くわ。早く!」
「し、しかし」
「クロフトの雇った手下がいるというわけ?役に立たないわね、おまえたちは」
ナトラに軽くため息をつかれ、男たちは打ちひしがれた。
ナトラは背後を見て、
「頼むわ。右端から五本目。今はあの、先端が欠けている柱の後ろにいるわ。次は多分、左の柱に移るわ。ただし、」
目が陰惨に光る。
「殺さないで」
「かしこまりました」
わざとらしく丁寧に呟いて、銃を抜き、素早く前に出てゆく。
レイラは呼吸を整え、敵がどこまで迫っているか背で探る。さっきから悲鳴が上がっているのは、多分、五右衛門さんが食い止めてくれているのだろう。
しかし、ここで大人しくじっと膝を抱えている訳にも行かない。
来た早々、目論見はめちゃくちゃになってしまったが、なんとか挽回しないと。
いつものように、大丈夫、やれる、と自分に言い、うんとうなずいて、
レイラは敵からなるべく離れるため、タイミングを計って柱の陰を出ようとした。
その瞬間、
どごぉぉぉん!
すさまじい重量が宙を裂く音が辺りに響き渡った。
衝撃で思わず体勢を崩しながらルパンは千柱の間の方向を見、
次元は千柱の間の入り口に立って、今銃を撃った男を見、
五右衛門は膝を突いた体勢から起き上がって背後を見た。
そしてレイラは、
その場から背後に飛ばされ、後ろの柱に激突して地面に崩れおち、がっくりと首を折っていた。
「レイラ」
口の中で言い、懐の七つ道具の何かをつかみ出す。煙幕か。とにかくレイラのところに行かなければならない。
しかし、その前に、声が響き渡った。
「動くなよ、三人の男」
ナトラの後ろにいる、ウェスタンカーニバルみたいな格好の男が、銃口をまだレイラに向けたまま、
「変なまねをしてみな。今度こそ確実に、あのお嬢さんの臓物を、生贄の祭壇にぶちまけるよ」
レイラ。
三世はもう一度口の中で呟いた。
撃たれたのか。気絶しているだけか。どっちだ。
ナトラが他の部下に顎をしゃくる。
「クロフトを運んでおいで。ついでに、カタナを振り回す雇われ人も連れてくるのよ」
「そっちも。大人しくここに来い」
カウボーイが牛に言うみたいに、二人に向かって声を投げる。
ち、と三世が舌打ちをする。その顔を次元が見ると、目は屈辱に燃えているが、口元は冷笑を刻んでいた。いや、逆の順に言うべきかな、と思いながら、
「しゃーねえな」
「ま、後から挽回といこうや。なんでか知らないが、今すぐ殺す気はねぇようだし。生きてりゃなんとでもなる」
言い置いて、両手を上に上げると、油断なく身構え、出て行った。
カウボーイの格好をした男―――ピエルははずっと、レイラに狙いをつけたままで、今ちらりと次元を見た。目に、優越感と、勝利の喜びがありありと浮かんでいる。それを訝しげに一瞥してから、
…ルガー・ブラックホーク。
その手の銃を見遣った時、ナトラの部下たちがレイラを左右から腕を取って、引き摺りながら連れてきた。三世の片目が僅かにひきつった。
三世と次元の銃は奪われ、それで一発ずつ殴られた。ぐらりとなった体を支えている間に、手を後ろで縛られる。変装用のマスクも、この時剥ぎ取られた。
ナトラはつかつかとレイラに寄って行って、片手で髪をつかみ顔を上げさせると、変装のための小道具をむしりとり、やおら平手打ちを見舞った。青空の下、乾いた音が幾度も響き渡る。
やがて、小さく呻き声を上げて、レイラは目を開けた。頬が腫れ、口元からは血が出ている。今の平手打ちのせいか、先刻ふっとばされたたきつけられたせいか。しかし、体を見ると撃たれてはいないようだ。
大した腕だ、と次元は淡々と思った。
あの距離で、柱を出る寸前に柱を撃ち、その衝撃で背後の柱に打ちつけ気絶させる。相当な衝撃のある銃だ、撃つのが精一杯という奴だっていくらでもいる。
遅かったら彼女に当たって即死だ。
それは避けたかったらしいのは、今ならわかるが…
なんで、俺たちを殺さないんだろうな、と三世は思った。動いたらレイラを殺すぞ、というのが俺たちへの牽制らしいのはわかったが、もうそれも終わった。
どす、ごき、と不気味な音が響いているのは、五右衛門が殴られ蹴られているためだ。幾人も目の前で殺されたため、ただでさえ危ない連中の箍が多少外れてしまったらしい。地べたに放り出された仕込みが、白っぽくほこりにまみれている。
レイラが小さく咳込んでから、
「…どうする気」
かすれた気で尋ねた。その声に怯えがないことを感じたのか、ナトラは憎々しげな顔になってから、ゆっくりと笑った。人間のする笑顔ではない。たとえ『毒々しい笑いを浮かべる』というト書きの通りにしているのだとしても、人間にはこんな顔は出来ないような笑い方だった。
「勿論、あけるのよ。莫大な力への鍵をね」
「拒否するわ」
きっぱりと言い放つ。即座に、再び平手打ちの音が響いた。もう一度。もう一度。
やれやれという顔になったカウボーイが、すぐそばでうっとりと自分を見つめている、ヒゲのそりのこしの青い下品な顔立ちの小物に、
「あの女、止めた方がいいんじゃないの。せっかく生かしとけって言われてそうしたのに、自分で殺しちゃわない?」
「へ、へい。ピエルの兄貴。ご命令とあらば」
「俺は別に、そうしろってお前さんに命じてるわけじゃないよ」
「そんなことおっしゃらないで下さい兄貴」
ラーセンが身悶えている間にもずっと頬を打たれ続け、今がくりと顔が折れた。
ピエルはあーあ、と気のない様子で呟いて、もういいと付け加えた。
「生意気なことを言う余裕も権利も、お前には与えない。お前はただの道具よ。扉を開けるためのね!」
ナトラが叫んだ。
俯いたレイラがかすかに顔を上げる。口元からは今ははっきり血が流れていて、目は細くあけられ、ナトラを睨みつけている。
レイラを狙った時にのみ、銃を換えたのは多分、麻酔弾か弛緩弾か何かと換えたんだろう、と思い当たり、
「あまり刺激すんなよ、レイラ」
三世が軽い口調で言った。
「このご婦人は気が立ってる。君を殺すまいと思っていてもついついその『殺せない事情』を乗り越えてしまいかねないからね」
これは牽制だった。その事情というものにナトラが意識を戻し、レイラの頬を殴ることより優先させるべき問題に頭をもってゆかせるためだ。
ナトラは氷のような、…それでいてねじきれる寸前まで熱されよじられた鉄芯のような目で三世を見遣り、
「そんなバカな真似はしないわ。お前は生かしておく。お前は道具なのだから。壊れないように使うわ。使い終わるまではね」
口の端を上げた。裂けて、耳まで届きそうだと三世は思った。
どさ、と音がして、五右衛門が地面に蹴られて倒れた。
「お前たち、そろそろおよし」
へい、と答えて、それまで五右衛門を足蹴にしていた連中が動きを止める。それから少しあってから五右衛門が身じろぎし、辛うじて体を持ち上げた。三世が声を投げた。
「骨、やったか?」
「…いや」
低く低く呟いて、のろのろと上体を上げる。手を肋骨の下あたりに這わせてみている。顔はもうずたずたで、冷たい二枚目が台無しだ。
と、ぐいと後ろ手に引かれ、きりきり縛り上げられる。呼吸が鼻血のせいでうまく出来なくて、息苦しそうだ。
「口でイキしろ」
なんとも嬉しくないアドバイスをしている。
「ん、そうだな。これだ」
三人の武器を回収したラーセンから、それらを受け取って、次元のS&W製の銃を取り、左手で持ってみて、ピエルはちゃ、と次元に狙いをつけた。
「存外に軽いもんだな」
がちりと激鉄を起こす。
「こいつでやられたら、ぶちまけるどころじゃすまないだろうねえ。背中はめちゃくちゃだ。…てめえの銃で撃ち殺されるて気分は、どうだ?」
次元は無言で相手を見返している。ピエルのすぐ後ろにいるラーセンが、やけに熱っぽい視線でピエルを舐めるように見つめ、今舌でくちびるをなめた。
「なんとか言えよ、ナンバーワン」
目がきゅっと大きくなった。
「次元、なんか言ってやんな。撃つぞこいつ。ミス・ナトラみたいには冷静じゃなさそうだ」
三世が今度はこっちに声をかける。忙しいよ全く、とぶつくさ言っている。…しかしこいつ、次元に対して並みならぬ含みを持ってやがるみてえだな。ナンバーワンて呼んだあたりで、おおよその察しはつくが。バカな奴だ。1がいなくなりゃ自動的に2が1だとでも言うんだろうが、
2はどこまでいっても2だ。別の奴が1になるだけだ。1になれない理由を1が居るからだとぬかす自称2は、実は2ですら無い…
その顔をちらと見てから、次元は仕方なさそうに、
「一発であの世に行けるてのは、ある意味いいことだと思うが」
「そうかい」
人差し指を一回はずし、再びかける。関節の角度がきつくなった。
まずい、と三世が眉を上げた時、
「ムシュウ。やめて頂戴。そいつらにも使い道があるわ。あなたに好きにしていいと言った覚えはないわよ」
背後から声をかけられた。
永く、永く感じられる時間の果て、ピエルの指がようやく引鉄からはずれた。
「ウィ、マドモアゼル」
低く呟いたその声を聞いて、たとえこの後何がどうなろうと、今のセリフを言ってくれたことだけは、感謝しないといけない、と三世は思った。…たとえ、どんな使い道のために、生かしておいてくださったのだとしてもね、ミス・ナトラ。
なんとか一人で歩けるか、という状態のレイラと五右衛門、それからルパンと次元は促され、銃口で小突かれながら、カスティーリョの長い長い石段を登り始めた。
そばにきた時、三世はレイラを見た。レイラはすっかり腫れあがった顔で、鼻と口から血を流していたが、三世を見ると、しっかり注視してきた。目の力は失われていない。
嬉しくなっちまうね、と三世はフランス語で呟いた。
「建築基準法も何も無い時代に建てられたんだね、これは」
思わずへらず口をたたきたくなってしまうような急な階段だ。
照りつける陽光の強さに思わず足を踏み外しそうになる。そうしたらはるか下の地面まで転がり落ちるだろう。「殺したらまずい」とは思っていても、ナトラの連中が助けてくれると、あまり期待もできない。
連中も登るのにかなり必死だが、逃げ出せる状態でもない。ちらと見上げた、先頭のナトラの、スカートの中がちらと見えた。あまり、嬉しくも無い、と三世は思った。お年の割には、いいプロポーションなのだろうけれども。
無我夢中で登っている。いや、時折レイラを見下ろすのを忘れない。ちゃんと居るか。ついてきているか。あたしのためにある扉を、開けるためだけの道具…
レイラはふらふらだ。情け容赦なく何発殴られたかわからない。しかし、歯を食い縛って登り続けている。ぐらりと傾いで頭からカドにぶつかり、声を上げた。手を縛られているので顔を庇うこともできない。
銃口でぐいぐい小突かれ、なんとか立ち上がる。
次元はすぐ後ろで、じっと自分を凝視しながら登ってくるピエルの、暗く黒い殺意を浴びせ続けられて、
「気の毒なこった」
小さく呟いて足に力をこめた。
「なんか言ったか」
「やりたい相手が目の前にいてやれないっていうのは、さぞかし腸の煮えることだろうぜ」
「やりたい相手がいるんならとっととやらないとなぁ」
「おめえの言ってるのと意味が違う」
「だろうな」
相変わらず軽口を叩きながら、更に背後をみると、五右衛門がほとんど雑巾のようになって、石段を登っている。周囲に、ナトラの手下の一人がしつこくひっついて、蹴ったり小突いたりしながら登るのを手伝っている。服は観光客用に変装した洋服のままだ。
「防弾チョッキとか、それがムリなら刺し子の胴着でも着てくりゃよかったな。でなけりゃもう少しダメージが少なくて済んだだろうによ」
「そろそろ着くぞ」
「ん」
次元に言われた通り、ようやくピラミッドの頂点に来ていた。
頂上は屋根のある神殿に入っていく形になっている。中は薄暗く、縞模様に光が差し込んでくる。
中央にヒスイの目をもつ赤いジャガー像と、生贄の心臓を置いたと言われているチャックモールの像があった。よく見ると、心臓を置く場所に、丸い窪みがあった。
「ほどいておやり」
命じられて、部下の一人がレイラの手首にくいこんでいた縄を解いた。赤黒く痕になっている。しびれて、感覚がない。
「さあ、クロフト。輪を出して、そこに嵌めるのよ」
レイラは動かなかった。ナトラはつかつかと近寄ると、思い切り頬を打った。つつ、と足がもつれて、地面に倒れた。
「手間を取らせないで。お前の腕をねじ切ってでも、輪を嵌めさせるわよ」
「レイラ。やってやんな」
三世がのんびりした声をかける。声の方をちらと見る。三世は、な、とウィンクを投げる。
その顔を数秒見つめてから、のろのろと起き上がると、バックパックから輪を取り出すと、じっと見つめた。
その様子を、ナトラは憎々しげに、睨み据えている。目に、金色の火が燃えているようだ。
レイラの、腫れてふさがり気味の目に悔しげな、悲しげな色が点ってから、
ぐい、と輪を穿たれた穴に嵌めた。
数秒の後。
か、と音がするほどの勢いで、光が迸った。一同は思わず地面に伏せ、真っ白になった視界に我を失う。
「ナトラさま!」
「落ち着くのよ。大丈夫。これは扉を開くための光なのだから」
思わずレイラと三世がナトラを見た。
勝ち誇った顔で微笑む。
「外へ出なさい」
促され、外へ出ると、どういう仕掛けなのだろう、屋根の上で目もくらむような発光体が輝いている。その光は太陽を圧し、カスティーリョ全体をまばゆく照らし出している。
「ここはククルカンの神殿。ケツァルコアトルを祀った神殿よ。翼のある蛇の神。でもこの神殿には翼に当たる部分がない…どういう仕組みかは、おまえは知っているでしょうね、クロフト」
発音しづらそうな口を開いて、
「…夏至の太陽が射す時のみ、頂上の修飾の影が伸びて、翼の形になると…」
「御名答。テストなら満点ね?」
ナトラの指が頭上を指す。
「あの光は、自然界の太陽の射さない角度でこの神殿を照らす。輪によって生まれた太陽だわ。
あの光によってのみ、生まれ出でる扉があるの」
「なんですって」
思わず発したレイラの声に答えるように、
「ナトラさま!こちらへ」
部下の絶叫が響いた。
南方の面の中段あたりまで、夏至にはこの神殿に翼を与えるその飾から伸びた影が落ち、そこに、
「動く石があります!」
「不思議だ…今まで石という石は全て調べたというのに」
一人の部下が呟いた。ナトラは艶然と微笑んで、
「その時が来たからよ。扉を開ける輪。輪をもった存在。それを、この神殿はとてつもなく昔から待っていたのよ。己を開く者がやってくるその時をね」
中に戻ると、がちり、と音をたてて輪を台座から外した。しかし、発光は相変わらず続いている。
輪をくるりと撫でてから、レイラを見遣る。
レイラもナトラを見た。
「それは私のことなのよ。お前はただの道具。ここまで輪を運んできた、…そう。仕組みのひとつ。歯車の一個だわ」
うふふと笑う。
レイラはじっと相手を見つめたまま、何も言わない。
「もう少し、生き長らえて、私のために回ってもらうわよ。さあ、お行き」
小突かれ、石段を踏み外しそうになる。その手首を掴み、背中に捻り上げて、
「もう一度縛って」
優雅に部下に命じた。
一同はその石の部分まで降り、ごとごとと石をずらした。中には斜め下に延びる通路がある。
「通路っていうか、この角度からいくと、一方通行気味だな」
「ベルトコンベアーか」
「どこまで運ばれていくのかね」
「どこでも、まずはお前たちに行ってもらうわよ。これを持っていってちょうだい」
インカム式の通信機を耳と口に装着され、銃口に促される。へいへいと言いながら入り口に立つ。
「こういう要員のために生かされてたわけね。先の見えない一番のりは部下にやらせないと。お優しいボスだ」
ナトラは眉をひそめて苦笑し、
「そんなことのためじゃないわ。まあいいわ。早く入って」
「へいへい」
もう一度言って入ろうとする。レイラが素早く前に立って、
「待って。私が先に入るわ」
「レイラ」
「お願い。レディファーストっていうでしょ」
自分のせいで、男三人をとんでもない目に遭わせていることに、呵責を感じているようだ。それが必死な口調にあらわれている。
「レディファーストってのはこういう時には使わないよ」
「いいから、俺たちに先にいかせな」
珍しく次元がそう言った。しかしレイラは首を振って、それきりものも言わずにその通路に滑り込んで行ってしまった。
「レイラ!」
「あああ、せっかちさんなんだから。待てって。俺らも行くからさ」
ひょい、と三世が飛び込み、すぐさま次元が後を追う。五右衛門が、一回咳をしてから、滑り込んだ。
恐怖の滑り台は、そう長くはなかった。一瞬体が浮いて、宙に投げ出される。床まで遥かな距離だったらどうしようと思ったが、心配はいらなかった。石の床はすぐそこにあって、レイラはなんとか転ばずに下り立つことができた。
「レーイラー」
後ろから自分を追ってくる声がする。レイラは素早く避けて、
「ここよ!すぐに床があるわ」
「ほいさ」
「おっと」
三世と次元が穴からぽんぽんと飛び降り、一拍置いてから五右衛門が滑り込んできた。
レイラは五右衛門に駆け寄り、
「大丈夫?怪我をしたの?」
「いや、大事無い。心配は無用だ」
さっきより大分しっかりした口調で応じている。顔にかぶさる蓬髪が血と砂でかたまっている。それを悔しそうに見るレイラも、女の子とは思えないような形相だ。
それを見返して、五右衛門はちょっと苦笑いを見せた。
『どう?着いたの?』
促され、三世は辺りを見渡しながら、
「着いたよ。言わば、迷宮の入り口って感じの部屋だな」
応えた。
そこは正方形の石の部屋だった。一面の壁の上方だけに、今滑り込んできた穴が口を開け、四面にそれぞれ扉がある。部屋の中央になにやら石盤がはまっていて、マヤ文字が並んでいる。
入って来た穴から光が差し込んで、それを照らしている。
「なんか、読め、って言ってるみたいだな」
「言ってるんだろうぜ」
次元が呟いた時、ふっと暗くなった。ナトラの部下たちと、ナトラ本人がその穴から滑り込んできたのだった。部屋はたちまちいっぱいになった。
「へえ、扉が四つもある。次はどこへ行けばいいんですかね、兄貴」
「さあね。俺にはあの顔のカタマリの文字は読めないよ」
二人の話し声を聞きながら、
「さあ、クロフト。次はどこへ行けばいいのかしらね?」
ナトラが微笑みながら尋ねた。
「次の部屋へ行くための道筋は、あなたが解いて示して頂戴。そして、その扉を開く役は、あなたの雇った男たちにやってもらうわ」
ほえ、と三世が呟いた。
ナトラの、口の端がつりあがる。
「あなたの推理が間違っていたら、おそらく彼らは遺跡のカラクリに飲み込まれて、生贄の泉に沈むことになるでしょうね。そのことをようく覚悟して、考えて頂戴ね」
レイラの頬がひきつった。おびえではなく、相手の言うなりにされている現状への憤りのためだと見て取ったが、
「だいじょぶだいじょぶ、気を楽にね。テイクイットイージィー」
三世がかるーく声をかけてやった。レイラは眉をしかめた顔でそれへちょっとうなずいてから、部屋の真ん中の石盤の前に立った。
マヤ文字が並んでいる。
丁寧に一生懸命読んでから、顔を上げて四方を見渡す。
「なんて書いてあんの?」
「一種の詩みたいだけど」
首を傾げ、
『我は生まれ我はまた育ち、衰退し滅び去る
我は幾度でも滅び去り また生まれいでる
我が生まれいでし門を叩け』
「なんだそりゃ」
「もしかしたら…」
考え込んでいるレイラに、
「そうそう、言い忘れたわ。考える時間は三分。それ以上過ぎたら、一人ずつ強制的にあの扉のどれかを開けさせるからね」
ナトラは楽しげに言い放った。
「扉は四つ、人間は三人。全員外れていたら残る一つが正解ということだもの。ちゃんとわかるでしょう、正解のルートが。それでもいいのよ」
レイラはもはやナトラを見ていない。しかし続けて、
「そうされたくなかったら、早いところ正解の扉を見つけるのね」
「どいて」
肩で相手を突くようにしてレイラはナトラが立ちはだかっていた扉の下に立ち、その上を見た。
丸い鏡のような形のレリーフが嵌っている。
塞がったような目でそれを見つめ、それから次の扉の下に行く。そこも同様だ。しかし、さっきと違うところがある。
レイラはうなずいた。
「わかったわ。ここよ。この扉」
確信に満ちた声が部屋に響いた。
「そ、そうなの?」
三世がへっぴり腰で尋ねる。次元と五右衛門は無言で近寄ってきた。
「そう。きっとここだわ。生まれ、育ち、衰退し、滅びるのは太陽のことよ。
生まれいでし門というのは東のこと」
「東って、あっちじゃないの?」
顎で左方をしゃくる。レイラは首を振って、
「マヤには方角に色が定まっているの。見て。扉の上についている丸い枠の中に、それぞれ別の色の石が使われているでしょう?」
言われて見て回ると、確かにそうだ。
「東は血の色。生命の赤の色よ。だからここだわ」
言うが早いか、レイラは足をあげ、扉を蹴った。
わあっという悲鳴のような声が上がったが、扉は向こうへ向かって開き、そしてそこには長く暗く、下方へ向かって続いている通路が待っていた。
「…正解、だったみたいだね?」
「正解よ」
きっぱりうなずいて、自ら先頭を切って入っていく。
「待てって。俺が先に行くよ」
「いいのよ」
「今度は、滑り落ちるって感じじゃないね。…と、段になってる。こりゃ長そうだな」
なにやら楽しげな響きのある声に、レイラはちょっとあきれた顔になり、かすかに笑った。
「何をしているの。後を追うのよ」
度肝を抜かれた感の一同は、ナトラの声に押されて、慌てて歩き出した。
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