「ピエルの兄貴、ここにいらしたんですかい」
嬉しそうなダミ声が聞こえたが、男は磨いている銃から視線を上げることなく、ただ片頬で笑ってみせた。そのため咥えている細身のシガレットがちょっと動き、たちのぼる煙が乱れた。
ごく普通のありふれた一室だ。ピエルと呼ばれた男の個室というわけでもないらしい。ダミ声の主はいそいそという擬音が出そうな様子で近づいてきて、
「兄貴は銃は何をお使いなんで?」
尋ねられたが、芝居がかった様子で肩をすくめてみせただけで、手を止めない。ダミ声はしつこく食い下がって、
「やっぱり兄貴ほどのお方となると、銃もトクチュウものなんでしょうねえ?」
「いいや。ごく普通の、量産タイプさ」
やっとここで応えた声は、仕草や銃を磨く手つき(小指がピンと上がっているし、レースのハンカチか何かで銃を拭いているようだ)とまるでセットになっているかのように、気障で、鼻にかかった、スカシ声だった。聞く人間によっては、一発殴りたくなるような声とも言えるかも知れない。
しかし、ダミ声の主は、返事をしてもらえたというだけで嬉しくてたまらないらしく、そいつぁたまげた!と大袈裟に声を張り上げ、
「やっぱり、達人は道具を選ばないってコトでしょうかねえ。兄貴の手にかかると、そこいらの三下や俺がぶら下げてるような拳銃だって、カミワザを見せるにゃ充分なんでしょうね」
相手のあまりに手放しな賞賛ぶりに、男は苦笑し、目を上げた。
目の前には、まだ二十代なのだろうが、やけに荒れた肌に青く見える不精ひげを生やしたチンピラが突っ立って、手をもみ合わせている。髪の手入れなど数年前にしたきりなのだろうか、ぼさぼさだ。奥まった目がやたら卑しく、狡い印象を与えるし、色の悪い口びるがまくれあがってにたにた笑っている。とにかく、『パシリ』『ネズミのような』『上の命令で、右から左へ』のあたりの形容しかされない、風貌だし、実際そういう立場だ。
「えらい持ち上げようじゃないの。お前さんの雇い主の、ナトラ様のご命令なのかい。今度の件で新しく雇った銃使いを、良く働くようにいい気分にさせてろって言われて来たのかい?」
全部言わないうちにダミ声に遮られた。
「とんでもない!これはナトラとは関係ないんでさ。ただ俺が、兄貴のことを」
「おいおい、お前。ええとラーセンとかいったな。ナトラだって?呼び捨てかい」
「俺の名前を覚えててくだすったんですかい、カンゲキでさぁ」
ラーセンというらしい男の、色の悪い顔が嬉しげに朱に染まった。
「そういう問題じゃないんだけどな。いいのかい。そんな口のききかたをして」
「いやあ、俺はもともとはした金でこき使われてただけなんですよ。まあ、あの女の顔を見た途端、ポーッとなっちまったてのはありますけどね」
ぼさぼさの頭を汚い手で掻いてから、
「でも今は違いますぜ。いやあ、あんなにすげえ早撃ち見たのは初めてだ。ジッサイのところ、俺は兄貴に惚れちまったんでさ」
熱っぽい眼差しをびしばしと照射されて、ピエルはおいおい、と再び気のない牽制を口にし、
「どうせならブルネットのカワイコちゃんに言われたいねえ、そういうことは」
「ブルネットでもカワイコちゃんでもなくて悪いですがねえ。俺は本気なんですよ兄貴」
「なんだ。他に憧れの対象が出来たんで、魔女のかけた魔法が解けたって訳かい?」
冗談のつもりで言ったのだが、相手は汚いごつい手を胸の前で揉み合わせ、色の悪いくたびれた顔を赤らめて身をよじり、照れながら、
「そうなんでさ。俺はそうなんだと思ってますぜ。兄貴は俺にかかった魔法を解いてくだすった王子ってことなんでさ」
そこまで言われてはさすがにそれ以上愛想のいい返事をする気はなく、なんとでも取れるような仕草で肩を上げて、再び銃を磨く作業に戻った。
やれやれと思う。こいつみたいなならず者どもが、片端からあの女社長にはのぼせあがって、言いつけならなんでもやる気になってるてのは、俺に言い寄ってくるのと同じくらい、ヘンといえばヘンな話なんだがね。俺はああいう、上から見くだす顎の角度に慣れてるタイプってのには、食指が動かないんだがな。今しばらくは俺の雇い主だから、初対面の時には『目の覚めるようなブロンドにワインレッドのスーツがお似合いですね、マドモアゼル』と的のしぼれていない中途半端なお世辞を言って、手にキスはしたが。
実際、マダムと呼びかける方が合っている年齢に見えたがな。化粧で隠してはいたが存外シワはあったし…
マドモアゼルだのマダムだのという呼び方にしても、その本名とも思えない名前、通り名か自称か知らないが、ピエルという名前にしても、フランス人か、フランス系か、とにかくその辺りの国籍や風貌を表現する気ではいるのだろう。しかし、どういう訳だか、彼はテンガロンハットにフリンジのついた皮のジャケットとパンツ、長いブーツを身につけている。どう見てもウェスタン村でスタントをしている男にしか見えない。結果、男は何を主張したいのかよくわからない姿になっている。
本物のカウボーイでもない証拠に、顔や手などの肌が妙に色白だ。鷲鼻の、高い鼻梁の下、薄い唇の上を焦茶のヒゲが覆っている。参ったなという表情の目は、不似合いなほど綺麗な青をしている。
そっとそばに来て隣りに座り、暫く銃を磨く手つきを惚れ惚れと眺めていたが、
「それにしても兄貴、あの銃の腕は誰か師匠について習ったもんなんですかい?あっその方がそういうカッコウをなさっておられたとか?」
そう聞かれた途端、ピエルという男の顔がぎゅっと険しくなった。
「お前、銃は素人だな」
「へっ?え、ええ、兄貴にくらべたらとんと…単に銃のひとつも使えなきゃ生きていけないんで覚えたってえだけのもんですが」
「だろうな。銃使いは銃の師の名なんざ死んでも言わない。その名だけでそいつの腕や癖がどんなものだか、わかる奴にはある程度わかってしまうからさ。命取りだろうが。ええ?」
最後の声が低くなった。ピエルに睨みつけられ、ラーセンは怯えた動物の目になり、
「す、すみません、兄貴、何も本気で聞きたかったわけじゃないんで…」
「だったら余計なことを聞くもんじゃないな」
「へい、すみません」
これ以上ここにいると余計に嫌われるばっかりだと思ったのか、ラーセンは尻込みするような姿勢でそっと立ち上がると、その場を立ち去ろうとした。
「ラーセン」
呼び止められ、喜びと怯えの入り混じった顔で振り返り、即座にへいと返事をする。
ピエルは磨いている銃を見てまま、姿勢を動かさないで、
「なぜ、この俺に、ナトラの白羽の矢が立ったのか知ってるかい」
「そりゃあ決まってまさ」
ラーセンの顔が上気した。
「兄貴こそが世界一のガンマンだって、ナトラの調査報告で上がってきたからでさ。銃のことなら、兄貴に頼むのが誰よりカクジツだってこってす」
返事をしないピエルの頬に、複雑な笑みが浮かんでいるのを、ラーセンは見ていた。どちらかというと否定的な、こちらの言う事を嘲笑っている表情だ。どうしてだ、と切なくなる。焦る。兄貴の腕は世界一だ。絶対にそうなのに、なぜそう言ってるのをそのまま信じてくれないのか。
「ホントウでさ、兄貴は」
「ああ、ああわかったよ。ありがとうラーセン。もうお行き」
ことさら優しげな口調に溶けてゆきながら、指先で促す。
「なんでお疑いになるんです?兄貴はご自分を世界一のガンマンだとお思いになっていらっしゃらないんで?」
それは間違いだと続けようとしたのだが、その前に、
「黙りなよ。素人に褒めちぎられるのは程度を超すと不愉快になるんだ。もういいから行けって」
その言葉に傷ついた表情になったラーセンだったが、やがてしおしおとその場を後にした。
銃を磨いていた手を止め、深く俯いた。でかい帽子の影が、手元を暗くする。
どこから見ても、ウェスタン村のタレントのような格好。どこから見てもうさんくさいガンマンのまがいもの。自分がどうしてこんなコスチュームでいるのか、この頃では忘れてきた。こてこての、チャールズ・ブロンソンだのジョン・ウェインの外見をなぞることで自分自身に、自分をそういうものとして暗示をかけようとしたのかも知れない。最初の頃、デビューの頃は。
いや、何より、『西部のガンマン風』の殺し屋、マカロニウェスタンならぬ、バゲット?ウェスタンは顧客に覚えてもらうための自己PR、販促用ポスターのようなものだった。
しかしどう見ても自分は本物のガンマンには見えないということに気づいた頃には、今更やめられない拘りにまでなっていた。『やめようと思ってもやめられないもの』は、そのまま自分の弱さを表しているようで、不快なので、あくまで自分で選択してこの格好をし続けているのだと言い聞かせている。
今は、世界一のガンマンだ。自分から売り込まなくたって、いくらでも依頼は来る。
世界一のガンマン。誰に頼むより確実。あのナトラでさえ俺を選んだ……
「違うだろうが。世界一の方には、声を掛け様がないからだろう」
ピエルの頬が歪む。屈辱と苦さと、またそんな感情に見舞われている自分を嘲笑しているようでもある。
「俺様は、ナンバーツーって訳ね。スペアってとこ?もう、慣れてしまったけどねえ。…こう何回も、味わわせられては」
ただ、もういい加減、飽きた。もう、そろそろ、腹の底から、俺様が世界一の銃使い、と自他共に認めたいところだ。この、コスチュームのためにも。
ハンフリー・ボガードあたりを気取ったナンバーワンには、そろそろ退場願おう。
「1がなくなれば、2が1ってことだからねえ?」
ふふんと最後に、無理矢理に笑いをとってつけてから、
ピエルの腕が持ち上がり手の中の銃が正面のドアに狙いをつけていた。その一連の動きは、部屋に誰かいて隣りで見ていたとしても、目に留まらなかっただろう。それほどの迅さだった。

「行くよ。明日」
あまりにも何気なく言うので、ドライブか映画にでも?と聞きたくなるほどだ。
食事の皿から顔を上げて、レイラはまじまじと相手の顔を見た。
「どうやって?」
「ふふん」
三世は嬉しそうに笑って、
「真正面から」
背後から、数枚の書類をぱらりと机の上に出した。見たことの無い男女が写っている。
一枚の証明書にはこう書いてあった。メキシコユカタン半島、歴史と文化の旅七泊八日オプショナルツアー、メンバー:ジェシカ・ラング。
「フィービー・ケイツの方がよかったかな。知ってる?」
「一応は」
「ま、エリザベス・テイラーまで行っちゃうと、さすがに『あれ?』って思われるからね」
レイラは呆気に取られたが、それは僅か数秒のことで、すぐにやや暗い鳶色の落ち着いた目の色に戻って、自分とは似ても似つかない女の顔を眺め、
「私がこの写真の女性になるんですか?」
「メイク・アップは俺がやってあげるよ勿論」
「見破られたりしないのかしら」
「君は俺の変装を見たことないんだな。ならしょうがないけどね」
自信たっぷりに言う男は、ひらりひらりと銀のスプーンでスウプを、飲んでいるわけではないが、それにしても軽々とした手つきで、食器が触れ合う音が全然しない。特技と言えるほどだ。
「ナトラの連中、レイラを追っかけるのはやめて、待ち構えることにしたみたいだね。今日調べてわかったんだけどチチェン・イツァにやってくる観光客や学術関係者を片っ端からチェックしてる連中がいるらしいんだよ。勿論ナトラの奴ららしいけどね。…
だったら堂々とツアー客として入ってやろうじゃん?」
「女社長は、レイラの最終目的地を知ってたってのか?」
「そう」
完成した輪は見たことがないのだから、裏に羽の生えたヘビの紋章があることなど、ナトラは知らない筈だが、と次元は思ったが、同時に、知っていて当然な気も何故かする。
「どうも、『女社長は何でもお見通し』って決まりに納得しすぎてねえか、俺たちは」
「言えてるな」
三世が苦笑した。
「それにしても、私を探している検閲をこっそり抜けるのは、初めてだわ」
レイラがさすがに複雑な声で言った。
「あっはっは。俺なんかソレって日常茶飯事だよ」
「ああ、そうでしょうね。…慣れるものかしら」
「ものだよ」
あっさり言う。レイラはなんだかスープがまずくなったみたいに、ずずと吸い込んだ。
「だが、面倒くさくなって遺蹟を訪れる人間なら観光客だろうとグリーンピースだろうと地球防衛軍だろうと構わず全員拉致して、輪を探す腹積もりになったらどうする」
手を止めて尋ねる次元に首を振って、
「そこまではしないだろ」
「何故そう言いきれる」
「今までナトラが欲しがっているものを手に入れるのに使ったのは、マスコミになんのパイプも持たない単独冒険家や、日の当たるところに出たらたちまちブタ箱入りの、ちょいとネジの緩んだイカレた野郎どもだ。まあ、そいつを上手に操って、大学の研究室や国家が編成した探索隊にも負けない成果を上げてるんだけが…
チチェン・イツァの来訪者誘拐、身包み剥いでいくのは地元ゲリラかはたまた、なんて騒ぎにするつもりは、まあ、ないんじゃないかな?とりあえず、力とやらを手に入れるまでは、ね」
にこりとレイラを見て、
「とにかく、ナトラってのは、目下見えてることの他に何かある。まあ、それが何なのかわかるまでは、出来ればこっちも動きたくはないんだけど…そんなことを言ってられる状況でもないしね」
頷いて、
「解ったわ」
きっぱり言い放って、きりよくスープを飲み終えた。その時、
「今晩は。ちょっと失礼するわよ」
甘くちょっぴり冷ややかな、耳触りの良い声がして、長身の女が、先日五右衛門が入ってきたドアに姿を見せた。長い褐色の髪、艶惑的な黒い瞳、形のいい紅い唇。何にも増して目をひくのは、あっさりしたシャツとスカートにも関わらず自己主張してやまない抜群のプロポーションと、目に心地よい身のこなしであった。これほど魅力的な女性というのは、今まで見たことがない、とレイラは単純に冷静に判断した。
「よ、不二子くん。久し振りだね」
三世が愛想よく言って鼻の下を伸ばし、じろじろと相手の体を眺め回した。わざとだというのがわかっているらしく、不二子と呼ばれた女は厭そうに苦笑して、ふと、
「今日はお客様がいらしたの?あら、あなたレイラ・クロフト嬢じゃないの?」
「ええ」
「さっすが不二子くん、なんでも知ってるねえ。そうだよ。レイラ、こちらは」
三世の示した指の合図にうなずいて、形のいい唇が微笑みながら、
「峰不二子というの。ルパンさんとは古い御馴染み。時々味方でたまに敵。…よろしく、レイラさん。ところで、何故ここに?」
「ルパンさんに頼みたいことがあって来たんです」
「ふうん」
「不二子。金にはならねえから、聞いても無駄だぜ」
次元が食事を終えて煙草をくわえながら笑っている。
「厭な言い方をするわねえ。ひとが始終そればっかり言ってるみたいじゃないの。あら」
部屋の隅でさっきから置物のように動かない男に気づいて、
「五右衛門さんもいたの?二人が出張るなんて、結構大きい話なんじゃない」
「おっきいよ。危険がね」
「相手は誰」
「謎の多い美人だよ。峰不二子ほどじゃないけどね。ああ、君ならなにか知ってるかな?ジャクリーヌ・ナトラのことを」
不二子の目が三世を少しの間見て、それからレイラを見た。
「なあに。随分危ないことやってるのね」
「だから、そう言ってるだろ」
「ジャクリーヌのためなら、喜んで自分から串刺しになった男どもが数ダースはいるわ。人心掌握、なんてものじゃない。催眠暗示も外科手術もしてないらしいのにね。どんな魔法かしら」
レイラが首を傾げる。
「ちょっと、あなたに似てるわ」
呟いた。不二子は目を丸くして、
「私が、ジャクリーヌと?」
「顔じゃありません。人を惹きつける力というのかしら。感じが似ているんです」
「かもな。君のためなら串刺しでも蜂の巣になってもかまわない男どもが、両手両足じゃ足りないくらいはいるんだろ」
「知らないわよ」
三世の茶々にふん、と鼻を鳴らしてから、
「あなた、ジャクリーヌに会ったことがあるの?」
「ええ。仕事を依頼されたわ」
「あなたは、彼女をどう思ったの?」
「魅力的な女なのだろうと思いましたけど。男でも女でも、ある種の人間を虜にする力があると感じたわ」
真面目な口調にちょっと笑って、
「あなたは虜にならなかったの?」
レイラの顔に苦笑に近い表情があらわれた。
「誰かのファンクラブに入会している暇はないので」
この子が、何もかもを捨てて夢中になるような相手は、どんな奴なんだろうか、と次元は思った。果たしてそんな相手がこの世に存在するものかどうかもわからないが。
「じゃあ、ジャクリーヌの取り巻き連中も見たのね?」
「ええ。頭の悪い、人を平気で殺せるタイプの男ばかり、よくこれだけいるなと思ったわ」
「そいつらがジャクリーヌに忠誠を誓ってるんだから、厄介よ。頭悪いから言葉の説得には応じないしね」
「らしいですね」
薄く、レイラは笑った。
25の娘のする笑顔ではないな、とその場にいた連中は思った。海千山千、いや万くらいのキャリアのある不二子ならともかく…
「なによ、失礼ね」
「別に年増だなんて言ってる訳じゃないよ。経験がかなり豊富だって言ってるだけで」
「それで充分でしょ」
「どうも、失礼しました」
下らない軽口を叩いている男を横目で眺めながら、
「で、なあに。ナトラと、ナトラの雇った連中と、何を競い合ってるの?」
興味の湧いてきたらしい相手にちょっとシブイ顔になって、
「あんまり言いたくないな」
「ここまで言っておいて勿体つけないでよ」
「だから、君とは縁がないんだよ。遺跡に、はめ込み式のスイッチに、莫大な力とマヤの滅亡だ。興味涌くか?」
「マヤって、相当量の翡翠が採れるところなのよね。パレンケの碑文の神殿からこーんな大きな翡翠の面が発掘されたんだけど、盗まれたのよ。あなたじゃないでしょうね?」
三人はげっそりした顔になった。それを見て唇を尖らせてから、学のあるところを見せましょうという訳か、ちょっと気取った声で、
「それからマヤでは、数学や天文学が相当高度だったの。ゼロの概念も持ってたし、閏も参入した正確な暦も持ってたわ。ああでも逆にそれに囚われていたって話も聞いたけど」
「たとえば?」
突然、表情のない声で、三世が尋ねた。目は不二子を見ていない。
「んー、生命っていうのは最初に暦によって運命が決まってるって思い込んでたみたい。最初に持たされた運命は自分では変えられないし、決められた時がめぐってくれば滅びるしかない、って」
「ふうん。最初に持たされた運命、ね」
ゆっくりと、三世は呟いた。
その発音の奇妙さに、レイラは眉をひそめて、三世の顔を見た。
「何を考えているの、ルパンさん?」
「いや、大したことじゃない。それに、五右衛門に時々言われるからな。想像に頼りすぎると」
「碌なことがない?」
「そう」
薄く笑ってから、
「それからね、これからはルパンでいいよ。いちいち、『さん』を付けて呼んでると、次の、後ろからナトラの連中が狙っているわよ、が遅れたせいで死ぬかも知れないからね」
馬鹿らしい台詞に、レイラは呆れてから、微笑して、
「そうね。そうします」
「おいおい、冗談で言ったんだよ」
笑い出して、
「ま、君に呼び捨てにしてもらえるなら、いいけどねそれで。今一回呼んでみてくんない?」
恥ずかしげもなくそう言って正面からレイラの顔を覗き込む強い目の男、
「ナトラの連中も、お前の名は知ってるだろうさ。何度でも呼んでくれるんじゃねえか。ぶっ殺す、って後ろに続けてな」
低く、苦笑まじりに茶々を入れてやって、肩をすくめる男、
それから、何も言わず、特になんの感情も表にあらわさず、ただ長い指で、自分の鋭角な顎をなぞっただけの男。
誰も、脅えてはいない。そして、侮ってもいない。ただ、正確に把握し乗り切る自信を持っているだけのことだ。三人とも、これから待ち構える危険が、どれほどのものなのか、しっかり理解している。
何故だか、レイラはふとそのことを思った。
「あらまあ、御苦労さんだこと。今回は野次馬になっといて正解みたいね、次元さん」
「だろ」
目を丸くしている不二子と、短くやりとりして、次元はこの日何十本目かのタバコを、ぎゅっと灰皿に押し付けた。

真円の月を見上げる。
あまり、女の子っぽいロマンチックな想像は、レイラはしない人間だったが、月を見ると、いつも思うのだった。
あの月は、マヤの繁栄も、滅亡も、この翡翠の輪の辿ってきた道全ても見てきたのだと。
やっとのことで這い出た毒蜘蛛の洞穴の出口や、銃撃戦の果て生きた人間が一人もいなくなったクルーザーなど、とても社交界にデビューする筈だった娘がいるはずもなかった場所で、レイラはいつも独りで月を見てきた。
どこで見ても月は綺麗だと、レイラは思った。
そして、月に呟く。
『見ていて。この輪を、あなたが知っている輪の故郷に、戻してみせるから』
夜風が、一筋乱れたレイラの髪で遊んでから、流れていった。
「不思議な娘だな」
五右衛門が思っているであろうことを、代わりに言ってやる。それから次元は、違うか?というように、バルコニーの手摺に座っている男を見た。
相手の意図には気づいて、ちょっと頬を歪めてから、
「そうだな。今迄、会ったことのない魂の娘だ」
「魂はよかったな。でも、お前の言いたいことはわかる。俺も、そう思うからな」
気概というのだろうか。信念か?少し違う。別にあの娘は、己に自立した女の十ヶ条を課して、日々を送っているわけではない。言うなれば、魂の在り方という言い方が、一番近いのかも知れない。
「ずっと、ああやっているのだろうか」
五右衛門のつぶやきに、数秒、煙だけを返して、
「それは、過去か。未来か、どっちのことを疑問に思ってるんだ」
相手の顔を見て、それから、自分がどちらのつもりだったのか考えてみて、
「両方だ」
「ふん」
首をかしげて、
「過去はまあ、7・8年ほど前から、ああやってるらしい。未来は、俺は知らねえな。多分、ずうっとあのままじゃねえかとは思うが」
「俺もそう思う」
「そうあって欲しいみたいだな。ああいう娘がタイプか」
からかう口調に、五右衛門は奇妙に真摯に丁寧に、
「俺は別に、あの娘と恋仲になりたいと思ってはいない。ただ、世俗にまみれ、金や家柄に目の色を変えるような女になって欲しくないと願っているだけだ」
説明をした。
それを聞いて、自分が何故五右衛門にからむのか理解した。単に、自分が同じことを考えているからというだけのことだ。それからもうひとつ。
『あの娘には、意味もなく身体を投げ出すようなことは、して欲しくねえんだがな』
それから、レイラが護衛の代償に、何を三世に支払うのか、五右衛門が知ったら何と言うだろう、と思った。言うだけではない。どうするだろうか。
久びさに、血の雨が降ることになるかも知れないな。
そう思ってから、大した自信じゃねえか。もう終わった後の心配か。明日の今ごろ、蜂の巣になってるかも知れないのに。あるいは、ドスやらナイフやらで切り刻まれて、上半身と下半身が泣き別れに…
「まあ、あんまり丁寧に想像してみる必要はねえやな」
低く笑った。

美しい月が保証してくれたように、抜けるような青空が広がる朝だ。三世がにこにこして窓のところから振り返り、
「まあ今は乾期だけどね。幸先いいよね、レイラ?違った。ジェシカ?」
「そうですね。銃は水と相性が悪いので」
相変わらずきっちりした口調だが、レイラの声には聞こえない。自分でも居心地が悪いのか何度か咳き込んでいる。多分、解けば思いの外長いのであろう亜麻色の髪は三つ編みにされ、きりっとまとめられている。それは当然だが、しかし顔は、自分でも見たことの無い女になっていた。目の色さえ違う。何度、自分で鏡を見ても信じられなかった。
「声はね、襟元につけたチェンジャーでちょっぴりいじってるけど、あんまり変えると不自然だからね。今日は無口な女性でいてくれ。いつもそうかな。殊更、無口な女性でいてくれ」
「はい」
「そろそろ時間だな」
次元が呟いた。五右衛門が座っていた窓際の椅子から、無言で立ち上がった。
「どれ、そいじゃいくか」
最後に、三世が一回ぽんと胸の銃を服の上から叩いてみせた。男三人も、昨夜までずっと見てきたのとは別人の顔になっている。
自分の装備を手で確かめながら、ふと心を凝らした。
ナトラは来るか?
エジプトの谷間ふかく、目の奥に冷たく熱い水銀のような笑みを湛えて、自分を待っていた女は、
自分を殺して、完成した輪を奪い取るために、ずっとずっと自分を待っていたあの女は。
ずっと昔に失くした形見を取り戻したような目で、レイラの胸に輝く翠色の輪を見つめていた顔を思い出した時、
来る、と心がうなずいた。予感や推測ではない。確信だ。
「行くぞ、レイラ」
三世に呼ばれる。頷いた。

[UP:2003/5/11]


ピエル(本当はピエール)は別にウェスタンルックではございません本当は。あとラーセンもピエールになにやらな憧れ方もしてません。脚色でございます念のため。

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