傷つき、気を失っていた男がふと目を開けると、すぐそばに赤いワンピースの少女がいて、クレストグラフをかざし、今声の限りにさけんだ。
「フリーズ!」
と、すぐ側まで迫っていた四つ足の魔物が、一瞬にして現れた氷の槍に身体を貫かれ、絶叫して倒れた。
「あ、あんた…」
男のうめき声に気付いたリルカが、慌てて膝をつき手を貸しながら、
「おじさん、ここは危ないから、街の外へ出ていて。私たちがこいつらやっつけるから」
ぐい、と血を拭い、立ち上がる。向こうで、アシュレーの銃剣が発する銃声が響いている。その音の方へ、リルカは駆け出した。
「おい、お嬢ちゃん!」
しかし、赤いチェックの傘を携えた少女は、こちらを振り返らなかった。
プーカが巨大な亀に姿を変えたのが、遠くからでも見える。続いて空中の水分が一気に、奔流となって魔物たちをのみこんだ。
角を回り込むと、そこでティムが肩で息をしていた。しかし、杖をぎゅっと握った手にこめられた力は失せていない。
「ファイトだよ、あと一息だ」
鉛色の顔を上げ、リルカにうなずく。それから、唾を呑んで、新たな敵をにらみ据えた。
アシュレーは最前線で戦っている。体中傷だらけだ。肩口から、黒い炎が見え隠れしているのは、ロードブレイザーを呼び出しかけているせいだろう。
なるべくなら、あの姿にはさせたくない。
リルカは息を吸って、クレストグラフを掲げた。
「お嬢さんと、つまらないおふだは、もう用済みだよ」
聞き覚えのある声に、全身の血が凍りつく。声の方を見るより早く、銃声が響き渡った。銃弾はクレストグラフの半分をちぎりとばし、続いてリルカの胸に命中した。

「おぬし、なにをする気じゃ」
マリアベルは言ったが、どこかで予想していたのかもしれない。その声には驚きよりも呆れた響きがあった。
「わかっておるとは思うが、その身体で無理をすると、」
「わかっている」
「そうか」
互いにあっさりと遣り取りする。
ぎりぎりと音を立てながら身を起こし、髪を後ろへ流す。片目が、自分の左腕を見、それからホルストの方角の空を見た。
振り返る。さまざまな工具や機械類の中につくねんと座って、今こちらを見上げ、着膨れた肩をすくめてみせた相手に、
「ありがとう」
「ほ。おぬしから感謝の言葉を聞くとは。明日は嵐かの」
揶揄には取合わず、砂地を駆け出した。

「リルカ!」
絶叫しアシュレーが戻りかけ、ティムが杖を下ろし駆け寄ろうとする。銃弾がそれらを阻んだ。
歯噛みして振り仰ぐと、一段高くなった足場の上から、ジュデッカが二丁の拳銃で狙いをつけている。
「その子は、そのまんまほっといてもらおうか。近寄るなよ。脳天を貫かれたくなければね」
近寄らなかったところで、この男がこのまま立ち去るはずがない。一人ずつなぶり殺すに違いない。しかし、今リルカに駆け寄ったら、たちまち蜂の巣にされる。
「う、…う、…」
リルカのうめき声が聞こえる。アシュレーとティムの手に、背に、全身に脂汗が浮いた。早く手当てしないと死んでしまう!
「いい声だなあ。うっとりするよ…次はどいつにしようかな。やっぱり、人柱になりそこなったクソガキか。生け贄用に飼育された動物の血は何色なのかな」
く、く、くと嬉しそうな含み笑いをしながら、ティムの首のあたりに狙いをつけた。それをぎゅっと見返すティムの目には、先刻廃坑で会った時のような脅えは、なかった。怒りと闘志と、決して諦めないという意志とが、二つの目にあった。
すぐ側で傷ついて倒れているリルカの存在が、そうさせているのだった。
自分の傷を忘れて、人を気遣っていたリルカさん…ついさっきまで戦っていた相手の傷を。
僕も、リルカさんみたいになりたい。だったら、今ここで怖がって泣いてる場合じゃないんだ。なんとかしてこの場をくぐりぬけて、リルカさんを助けなければ。
「気にいらない…生意気な。ガキはぶたれて泣いてるのが本分だろうが」
ジュデッカの、整った美しい顔が、醜く歪んだ。引き金にかかった指が、何の躊躇もなく引かれ、
た。
銃声がこだまする。
アシュレーはとっさにティムの前へ飛び出し、ティムは思わず手で頭を庇った。
しかし、数秒後、二人はそろそろと顔を上げ、見合わせる。どちらも無傷だった。
ジュデッカを振り仰ぐと、片腕を、もう片方の腕で抑えている。拳銃は足元に落ちていた。
「おいおい、何の冗談だ」
皮肉っぽく笑いながらそう言って、振り返る。ジュデッカの背後から、長いマントと、長い髪の渡り鳥がゆっくりと姿をあらわした。
「カノン!」
「カノンさん…」
二人は相手の名を呼び、同時にはっとした。それから、アシュレーはさりげなく立ち位置を変え、ティムはそっとその陰に隠れ、杖を握り締め、オードリュークの碑板を胸に抱え念じた。
はやく、迅く、来てくれ。
何気ない風を装いながら、二人が懸命に祈っているのに気付かず、
「まだ生きていたのか。ち、余計なことを。犬同士傷をなめ合ったというところか。で、今お前は何故ここにいるのかな?まさか、あいつらを助けにきたんじゃあるまいな?ついこの前まで『あたしの得物だ』『あたしが禍を祓う』のって大騒ぎしていた相手を」
にやにや笑いを浮かべ、底意地の悪い口真似をしながら、油断なく相手の様子を見て取っている。大丈夫だ、こいつはポンコツだ。変な根性を出してここまで這って来たようだが、実のところは立っているのがやっと、というところだろう。
青ざめた顔が、僅かに微笑したようだ。
「お前は、勝てると踏むと、お喋りになるようだな」
低い静かな声には、アシュレーたちに襲いかかって来た時のような気負いや、自分が裏切られたと知った時の激情の一切がなかった。ちょっと皮肉っぽい、水のように鎮まった、冷静な声だった。
ジュデッカのこめかみに青筋が立つ。
「な、に、を、偉そうに人語を語ってるんだ?この」
続きを言おうとした口を真似て、カノンが声を放つ。
「いぬのぶんざいで、か?お前はお喋りだが、語彙はやや乏しいようだな」
「…、…、」
目の色がすうっと薄くなる。眼鏡の反射で見えなくなった目は、今はおそらく黒目などなくなっているだろう。痙攣しながら反り返ってゆく両手を、やや眠たげにさえ見える片方の瞳で、カノンは黙って眺めている。
目にも、留まらない速度で、ジュデッカは銃を拾った。拾い上げた、時には引鉄をしぼっていた。
アシュレーが息を呑んだ。今までのどの戦いより速い。
そして、カノンは、ジュデッカの弾より速かった。
蹴りが、腹と顔に入って、ジュデッカが吹っ飛んだ。再び手から銃が飛ぶ。地に叩きつけられ、二・三転する。
「やった、カノン、…あっ」
歓声はすぐに驚愕に変わった。見事に、ジュデッカの攻撃をかわして蹴りを放ったカノンの身体が、ぐらりと傾いで、膝をついたからだ。
「く、…く、」
立とうとしているらしいが、かなわない。その間に、
「…人間暗機も、耐久年数が過ぎては、…ただの粗大ゴミだな…」
せせら笑いながら、ジュデッカが立ち上がった。しかし、どうやらこれ以上やりあう力は彼にも残ってはいないらしく、腹を抑えしばらく俯いた後、
「まあ…いいさ。ホルストで…欲しいものは手に入ったし、炭坑のクズどもも掃除できた。…ゴキブリ一家は、相変わらず…息をつないだようだが…」
ちらと視線を投げた。隠そうとしても隠せない、オードリュークの真っ白い光が、街の全てを包むほどの勢いで迸り、その後リルカの肩が動いたのを、苦々しくにらむ。ティムがばっと身を返して、油断なく火の石版を抱きかかえた。うっとおしげに、
「ああ、わかった。英雄ごっこはそこの壊れた玩具とやってくれ。どっち道、お前らは僕がたたき壊してあげるよ。いや、引きちぎってあげる、かな」
カノンが、苦痛を堪えながら、にやにや笑って、
「…お前は、負け惜しみを言う時も、饒舌のようだ」
「うるさい」
力任せに蹴った石は、カノンの肩をかすめて、地に落ちた。そこでようやく我に返り、自嘲の笑いに変わる。
「いけない。これじゃまるでカイーナだ…僕は別に、頭領にベッドで慰めてもらう趣味はない」
首を振り、手に付いた血をハンカチで拭って、ポケットに突っ込む。片手で前髪を払って、カノンと、下のARMSを眺める。
その顔はいつもの、微笑すら浮かべて人を殺す気違いの美貌に戻っていた。
「失礼」
ごくそっけなく、それだけ呟くと、足をひきずり気味に、街と反対側の斜面を、下っていった。
数刻、誰も動かなかった。動いた途端に、あの男がこっそり置いていった底意地の悪いトラップでも発動しそうな気がしたのだった。最初に口を開いたのは、
「…ねえ、ティム…」
はっとして、ティムは杖を落としかけ、ムア・ガルトの石版は本当に落としてしまった。慌てて拾いながら、
「リルカさん、気がついたんですか」
よいしょ、と言いながら上体を起こす。地べたに倒れ伏したせいで、服は土埃ですっかり色が変わっている。
「うん。オードリューク呼んでくれたんでしょ?なんとなくわかった…」
立ち上がろうとするリルカに手を貸して、自分も立ち上がり、それからアシュレーと、カノンの方を見遣った。
「あの、大丈夫ですか、」
「僕は。でもカノンは大丈夫じゃなさそうだ」
アシュレーが言い終わったところで、ゆっくりとカノンの身体が、地面に横倒しになった。三人は無言のまま、彼女のもとへ急いだ。

ひどく温かい空気に包まれている。
なんだろう、と思う。あたしが今感じているものは、一体何だ。
目を開けた。見たことのない天井が見えた。
「気が付いたよ」
「そうか。まあ、気もつくわな。わらわの治療は完璧じゃ」
聞き覚えのある、二人の声がした方へ、顔を倒すと、案の定リルカがほっとした顔で、マリアベルが面白くもなさそうな様子でこちらを見ていた。
「…ここは、ヴァレリアシャトーか」
「そうじゃ。あの道楽貴族、機械いじりが趣味で良かったの。でなければおぬしを抱えてギルドグラードの道場破りでもせねばならなかったであろう」
「道場って何の?」
「機械道場のじゃ。なんでもよろしい。お前はいちいちうるさいぞ」
ぼかんと音がした。何かの器具で頭を叩かれたらしい。あいたたー…といいながら頭を抱えてうつむいている。
「なんじゃ、大袈裟な」
「普通、叩かないよ、人の頭、それで」
「そうか?見かけによらずヤワなのじゃな」
信じらんないよ、とわめいている声を聞きながら、カノンは我知らず、微笑んでいた。自覚なしに、心につられて、表情が変わったのは、本当に久し振りのことだった。いや、
こんな柔らかな変化は、もしかしたら生まれて初めてのことかも知れない。
「さて、ちぃと身体を起こしてみい」
無言で、声に従い、作業台の上に上体を起こした。予想に反して、ずっとずっと以前から共生してきた、身体を締め付けるようなあの嫌な痛みは、消えていた。
驚いた表情を読んで、マリアベルは思いきり満足げに反り返った。
「どうじゃ?身が軽いであろ?痛みもない筈じゃがの」
「確かに。お前がやったのか?」
「無礼者。わらわでなくて誰がやれるというのじゃ、ん?これだけガタのきたシルエットを、新品同様にチューニングしおおせるなど、そこらの大陸を鉦と太鼓で探し回っても見つかる技術者ではないわ」
「しかし、謙遜てのを知らない人だね」
ぼそりと言ったリルカの頭を、これまた勢いよく殴る。あうっと叫んで、今度は小さくうずくまった。
「要らぬことを言う口じゃ。愚か者め」
ふん、と鼻を覆った布越しに荒い息をついたマリアベルに、
「こんな感覚は、本当に久し振りだ。感謝する」
「ほ、ほ。やはり明日は嵐じゃな。ま、お前があの体で戦って、完全に壊れる前にもう一度わらわの治療を受けられたのは僥倖であったが、情けは人の為ならず、というところかの?」
からかうような口調に、カノンは一回視線を下げたが、やがて上げ、片目をリルカに向けた。リルカは、頭をさすりながら、どぎまぎした顔で、カノンの視線を受け止めている。
やがて、リルカの顔を見つめたまま、うなずいて、
「そうだな。あたしには、関係のない誰かのことだと思っていたが、それをこの子が見せてくれた。あたしのために」
「えっ?えっ?なんのこと?」
だがカノンは、それきり首を振って、黙った。
「ね、ねえ、変なことじゃないよね?私変なもの見せたの?」
カノンはもう一度、首を振った。そのくちびるには、先刻と同じ、柔らかな優しい微笑がのぞいていた。その笑顔に気付いて、リルカも笑顔になった。
きれいな人だ。強くて寂しくて、でも微笑めばやっぱりこんなに綺麗な人だ。
戦ったり、怪我させ合ったりしたけど、この人を死なせちゃったりしなくて、本当によかった。私たち、間に合ったんだ。
少しおかしな単語は、彼女自身は自覚していなかったが、姉と、それからブラッドのことを、暗に思い出していたからだった。
ノックが、ぎこちなく2回あった。
「何の用じゃ」
「アシュレーだけど、入っていいかな」
マリアベルがちらとカノンを見た。いいのか?という視線に、うなずく。
「いいぞ。入れ」
ドアが開き、アシュレーが首だけ入れた。
「カノンは…どうかなと…思って。あ、カノン、気がついたのか」
「ああ」
言葉はそれだけだが、彼女の表情が明らかに、戦っていた時とどこか違うことにアシュレーも気付いて、良かった、と返してから、
「もし、体の方が良ければ、ちょっと来てくれないか?アーヴィングが…あ、いや、ARMSの、ええと総指揮をしている、この館の主で、」
「アーヴィング・フォルド・ヴァレリア卿だろう。知っている。会うのか?」
「…あ、うん」
「わかった」
台からすとんと降り立つ。アシュレーとリルカは目をぱちぱちさせてから見合わせ、マリアベルはくつくつと笑っている。
「ほら。いつまでもこの狭い部屋に何人もつまっておらんで、会議室でも懺悔室でも早いとこ行け」
「はい」
二人と背を連ねて部屋を出て行くカノンを見送りながら、マリアベルはまだ、ひとりで笑っていた。
(人間暗機、シルエット。人の姿を借りながら人でないという意味では、むしろわらわに近いものかと思っておったが…)
リルカに見せた笑顔を、ふと思い、肩をすくめ、
「弱いくせに強がり、強くあろうと上を向き続ける…あやつ、十二分に人間よの」

会議室には、ティムがちょこんと端っこに座り、中央の言わば議長席に、アーヴィングが座っていた。
「来たかね。座り給え」
静かに促され、カノンは席についた。灰色がかった銀髪を、長く腰まで流し、端整な顔立ちに似つかわしい穏やかで深みのある声が、
「諸君―――この度の一連の任務、御苦労だった。ホルストは壊滅状態だが、諸君らの努力によって失われずに済んだ市民の命も少なくなかった。それになによりも、我々はここに強力な援軍を得ることが出来た。…
君の力を貸してくれるかね、禍祓いのカノン」
声音の静かさに似合わない、どっしりした威圧感のある声に、カノンは真正面から向き直り、
「あたしは、お前たちと馴れ合う気はない」
静かに、きっぱりと応える。
「仲間だの何のと言って、一日の反省会をするメンバーに加えようというのならお門違いだ。あたしはただ、アシュレーの中にいるロードブレイザーが、暴走してこの地上に出てくるというその時、この手で狩る。 その瞬間のためにのみ、お前たちと行動を共にする。…」
言葉が終わった。
そして、アーヴィングは、静かに微笑した。
「それでいい。…いいな?ARMSの諸君」
「うん」
「はい」
リルカとティムは心から納得はしていない顔だが、承諾することだけは決意していたらしく、急いで応えた。アシュレーはうなずいてから、
「うかうかしてられないな。中途半端にアクセスしてたら、ロードブレイザーごと斬られてしまう」
そして、笑った。アーヴィングもうなずき、
「ここに、5人目のARMSを得たことを、喜ばしく思う。
…では、次の任務まで、少しでも休んでいてくれ」
一同は頭を下げ、めいめいがカノンに、ぎこちなく愛想笑いを浮かべ、笑いかけてから、出ていった。
最後に、椅子を立ち、出て行こうとした背に、
「久し振りだな」
さっきとは少し違う声音がした。予想していたらしく、驚きもせずに、背のまま、
「そうだな。よもや、このような形で会おうとは思わなかった」
「何にしても、君が協力してくれるのは有難い。感謝する」
「言っておくが、」
片手を上げる。立っている時は、勿論片手しか上げられない。そんなことをしたら倒れるからだ。結果、座っていても、両手を同時に動かすという動作は、無意識にも反射的にも、取らなくなっている。
両手を上へあげる、という行為は、おそらく彼はこの先生涯することがないだろう。
「君の口上は先程聞いた。わかっている。それで結構だ。
それにしても、」
珍しく、歯を見せて笑い、
「変わっていないな。こだわりすぎてはいないか?アイシャ・ベルナデット」
からかう口調の中に、ほんの少し、黒い刺が含まれているのを、カノンは感じ取っていたが、それに対して何故かやはりカッとなってくってかかる、という行動を取ろうとは思わなかった。自分の変化には気付き、しかし何に因るものなのかはわからない状態なのだった。
「ベルナデットの名は捨てた。呼ばれてみると…奇妙な感じさえする」
妙に素直に、そう口にして、それから、顔を相手に向け、
「ここにいるのは…どういう訳だかARMSとかいうお前の私設軍隊に名を連ねるはめとなったのは、禍祓いのカノンだ。もう、役にも立たないその名は忘れてもらって結構だ」
言い切って、背を向け、部屋を出ていった。
四角い、扉を独りじっと見つめていた男は、それから長い長い息をつき、
「役にも、立たない、…か。実際、英雄の末裔などという呼び名は、役に立つどころかややこしい枷に過ぎなかった。お前は生身と過去を捨て、私は半身を失い…
そうだな。こだわっているのは私の方だった」
ひどく歪んだ笑顔だった。もし、そこに妹がいたら、泣き出していたかも知れないと思われるほどの、冷たく孤独な笑い方だった。


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