「あの子たちだわ」
村の入口で今か今かと帰りを待っていた村人たちは、子供たちの声を聞いて、はっと顔を見合わせた。
「お母さーん」
「ママー」
 小さな丘になっている坂の上から、転がるように子供たちが姿を現した。
母親たちは思わず走り出た。次々に走ってくるわが子を胸に抱きしめて、泣き出す。
「ディム!」
「ママ、ママ、わーん」
がくがくになった膝で駆け寄って、フレアは、まだ小さな息子をひしと抱きしめた。
「どんなに心配したか。ああ、無事でよかった。無事で」
「ママ、ティアお姉ちゃんが助けてくれたの」
そう言えばティアは、とフレアが叫んで振り返ったところに、全身傷だらけでぐったりしているティアを抱えた大男が到着した。
「ティア!」
全員が叫んで駆け寄り、あまりの姿に声を飲む。大男はそれらを見渡して、大音響で呼ばわった。
「村長、それから教会関係者と魔術師はいるか」
「わしが村長、兼魔術師ですが」
「わ、わたしが一応僧侶です」
老人と、ひょろひょろした初老の男が出てきた。
二人を見て、
「大至急、お前たちの使える中で最上位の回復呪文をとなえてくれ。その前に、毒は抜けるか」
「ポイゾナはわたしが心得ております」
僧侶が慌てて言った。
「よし。そっちが先だ」
「はい、あの、ですが」
ティアに向かって手をかざし毒を抜いている僧侶をちらと見てから、村長は言いにくそうに、
「わしらでは、エストが精一杯です」
「エスリトも無理か」
「はい」
ぎり、と奥歯を噛んでから、
「アレインまで術者を探しに行く暇はない。いい。お前たちで出来る限りの回復をしてくれ」
「わかりました」
村長と僧侶は顔を見合わせ、二人同時に手をかざし、強く念じた。
「エスト!」
二人の手で囲まれた所が、緑色のドームのようになって、ティアを包み込んだ。後から後から出血していた右肩の血が止まった。目には見えなかったが、折れていた骨も修復されたし、全身の小さな傷は癒えた。
しかし、二人がいくら気張っても、ある程度以上の怪我は治らないし、意識も戻らなかった。
「ふうーむ、ふーむ、もう駄目じゃ」
「申し訳あ、りません、はあはあ」
二人ともその場にへたりこんだ。体力の全てを魔法力に変えたらしい。ほとんど地面に這っている。
「しっかりしなよ。そんなので、ティアは大丈夫なのかい」
老婆が叱咤した。フレアは青ざめた顔で村長と僧侶を見、ティアの顔を見てから、ハイデッカを見上げた。
うなずいて、
「緊急を要するような出血は止まった。エストで治せるのはここまでだ。後はティアの自然治癒力に任せるしかない」
「私が看病します」
「頼む。とりあえず、ティアの家へ運ぼう」
そう言って、もう一度ティアの体を抱き上げたハイデッカに、一人の母親が、
「あの、あなたが子供たちとティアを助けて下さったのですか?」
「違う」
思わず声に力がこもる。
「俺が駆けつけた時には、ティアが全ての敵を倒した後だった。ティアが一人で子供たちを守ったのだ。こんな怪我を負いながら、一人で戦い抜いたのだ」
ハイデッカの剣幕に皆おし黙り、興奮して真っ赤になった顔をまじまじと見た。それに気づいて、慌ててわめいた。
「道を開けろ。ティアを運ぶ」
村人が体を引いてできた道を、大股で歩いて行く後ろ姿を見送りながら、
「あの人、ティアとどういう付き合いなのかね」
「時々ティアに会いに来ていた人だよね?確か北の方にあるバウンド何とかって国の戦士らしいけどね」
「随分前に、ガイさんとここへ来たのが最初だったよな」
情報も娯楽も少ない辺鄙な村では、隠そうとしてもしなくても、ちょっと見慣れない人間はたちまち噂の種になるのだった。
「でも、子供たちが無事で本当に良かったよ」
一人の老婆が言い、皆いっせいにうなずき、
「ティアのおかげだな。あの子がいなかったらどうなっていたか」
「本当にティアはいい子だよ。いろいろ辛かったろうに」
皆再びうなずく。それから、
「誰かいい人でも現われて、あの子を幸せにしてやってくれないかねえ」
という所に落ち着くところまでが、ティアに関しての話題のワンセットなので、こんな非常事態の後ではあったが、まとめのように誰かがそう言った。
その寸前までハイデッカの話をしていただろうに、どういう訳だか、誰かいい人という枠に彼をあてはめてみようとする村人は、誰もいなかった。
つくづく、主役には縁のない星回りなのだろう。

ティアの包帯を替えてから、フレアは玄関のドアを開けた。
「いいですよ」
「おお、すまんな」
どすどす入って来かけて、慌ててそっと歩く。ハイデッカのそんな姿を、フレアは微笑んで眺めた。
『この人、本当にティアのことが好きなんだわ』
ほとんど日参して、ティアの様子を見に来るのだ。決して暇だから来ている訳ではなく、忙しい合間を縫って来ていることは、来る時間がまちまちなことや、汚れた服装を見ればわかる。雨が降ってもずぶ濡れになってやって来る。一日中時間が取れなかった時は夜に来る。だが、誤解を招いてはいかんと言って、窓から中を覗いていた。
『この人を、ティアが受け入れたら、どんなにいいだろう。この人なら、きっとティアを幸せにしてくれる』
そう思いながら、勿論、気安く口にしてはならないことだとはわかっていた。フレアは、この村に住む誰よりも、ティアの慕情を知っていた。どんなにひたむきにマキシムを想っていたか、その心に自分で終止符をうって戻ってきた、賢明で潔くだからこそこの上なく辛い決断を、しっかりと理解していた。
 軽々しくこの男をたきつけたり、ティアにどう、あの人?などと言うには、あまりに問題は微妙だった。
第一、ティアはまだ眠ったままだ。まず彼女の容態の方が心配なのだ。
「まだ目をさまさないのか」
「ええ。でも、怪我の方は随分よくなりました。怪我が治ってきているのだから大丈夫だと思うわ」
「うん。そうだな」
自分を納得させるように何度もそうだそうだと繰り返しているハイデッカに、
「じゃあ、ちょっと家のことをしてきますから、彼女の様子を見ていて貰えますか?」
「ああ。構わない」
「お願いしますね」
フレアは軽く会釈すると、外へ出て行った。それを見送ってから、いつものように、ベッドのすぐ側に置いてある椅子を、少し離れた位置へ運んで、座った。
規則正しい寝息と、色つやのいい顔を確認して、にこりとする。額に巻かれた包帯の様子からいっても、怪我が治ってきているのは確かだ。おそらく、彼女のいうように、近々目を覚ますだろう。そして遠くない将来、すっかり元気になるに違いない。
毎日思うことを、今日もまた思って、ハイデッカは腕組をした。
隊長、毎日どちらへいらっしゃるのです?
もう少し剣の相手をしてはくれぬのか。何か用事があるのか?
やけに忙しそうですな。いつ見てもここを先途と飛び回っておられる。
不思議そうな問いが、ここの所ずっとハイデッカの周囲で渦巻いている。いちいち答えるのも煩わしく、うるさいとわめく訳にもいかない。少しいらいらする。だが、勿論ここに日参するのを止める気はない。
ティアが意識を取り戻したのを見届けるまでのことなのだ。それまでは、心配で、来ないではいられない。
つい、そこまで言葉にして考えてから、急に誰かに見られているような気がして、慌てて回りを見回した。
誰かが見ていた。
ベッドの上に横たわって、ハイデッカの方へ顔を傾け、柔らかい茶色の瞳でティアが彼を見ていた。
ぽかんと口を開けて、その目を見返す。
ティアは、一度ゆっくりと目を閉じ、それから再びゆっくりと目を開いて、その後瞬きをして、微笑んだ。
 胸をいっぱいにつまらせながら、ハイデッカは間の抜けた問いをした。
「…何がおかしい」
「だって、訓練の監督をしてるみたいなんですもの」
かすれた、細い声でそう言って、ティアはくすくす笑った。その笑い声は、彼の心臓と、胃の腑と、魂を揺さぶった。腹の中に、喜びをぎゅうぎゅうにつめられたような気分で、じっとしていられず、思わず立ち上がった。
「ティア。ティア、ああ。気がついたのか。良かった」
 喜びは大きすぎて、体の中に収まりきらず、口から飛び出した。そんな相手の様子に、ベッドの中で、小さくうなずいて、
「あの時、聞こえたような気がしたの。…あなたの声が。そう思った時、すっかり忘れていた魔法を思い出せたの。…
あなたが、助けてくれたのね」
ハイデッカは、もどかしげに、ぶんぶんと首を振って否定した。
「違う」
ティアの目が訝しげにかげった。
「君は、傷つきながら、たった一人であのモンスター全てを倒した。俺は一匹も倒していない。あの子たちが助かったのは、すべて君の力だ」
情熱に輝く緑の目が、少し離れた距離をものともせずに、ティアに注がれている。ハイデッカは強くまっすぐに言った。
「俺は、君を尊敬する」
ティアの心臓が熱くなった。その温度の血が体を巡って、頬も唇も指先も薔薇色に染まった。傷ついた場所も治癒するほどの温かい血が、彼女の全身をめぐった。
なんだか、恥ずかしくて、誇らしくて嬉しくて、照れくさくて、
泣いてしまいそうだ。
「いやだわ、ハイデッカ」
更に小さな声で言って、毛布に顔を埋めた。
そんな彼女を、ハイデッカはじっと見おろしていた。
抱きしめたくてたまらなかった。手をとって、自分の心臓に押し当てたかった。小さな柔らかい顔を、自分の胸にかかえこんで、自分の心臓の音を聞いて欲しいと思った。
愛しくて愛しくてどうにもならない気持ちが、あとからあとからわきだしてくる。止めようがない。
一歩、近づいた時、玄関が開いて、フレアが入ってきた。
「どうかしたの。…あら、ティア!気がついたのね?」
「フレア、」
真っ赤な顔の、目だけを出して、こちらを向いた彼女に、
「御礼を言ってね、ハイデッカさんに。毎日、看病してくれたのよ」
「本当?…」
「いや、あの。その。ええと、気がついてよかった。それではまた」
きびすを返して、外へ走り出ようとした途端、頭をいやというほどドアに打ち付けた。ごーん、という音が響きわたって、外にいた老婆が地震かと叫んだのが聞こえた。
二人は吹き出した。フレアの笑い声と、待ってと呼び止めるティアの声を後ろに聞きながら、ハイデッカは走った。走りながらそっとひたいに触ってみると、頭骸の形が変わっていると言えるほどのタンコブができていた。

「その後、二度ほど見舞いに行ったが、すっかり良くなって、今では普通通りの生活に戻っているようだ」
「ふうん」
つぶやいたきり、ガイもアーティも、黙りこくって何事か考えている。
アーティの方が先に黙考からさめて、隣りでまだテーブルの木目を凝視しているガイの横顔を見た。
しばらくたってから、
「あのティアがね。…
ブロンズブレストと、カッターウィップか」
ガイはしみじみと呟いた。
セレナが仲間になった後、どこかの宿で、ティアが夜一人で懸命に鞭の練習をしている姿を見た。
可愛らしい顔を必死の形相にして、何度も何度も新しい鞭を振り下ろす。
 「きゃっ」
 悲鳴を上げて手を押さえた。切ったな、と思って近寄っていく。
 「カッターウィップは扱いが難しいんだよな」
こちらを振り返った顔は青ざめて、息を切らしている。血を止めてやろうとして、似たような傷がいくつもあるのに気がついた。
この鞭を手にしてから、ずっと練習していたのだ。
相手のひたむきさに、鼻の奥がつんときて困りながら、手早く止血してやった。ティアは大人しく手当を受けている。そうやっていると、まだ幼い少女のように見えた。
 ガイは努めて明るい声で、
「付加価値の大きいものほど使いこなすのは大変なのさ」
「そうよね。そういうものだわ」
 怪我をしていない方の手で汗を拭う。鞭を拾い上げて、ガイはひゅと腰を捻って、鞭をしならせた。彼女が思っていたよりずっと遠くの、石の柱がくだけちったのを見て、ティアが息をのんだ。
 「なにしろ刃の鞭だからな。でも、うまく使いこなせれば今までよりずっと戦力が上がるぜ」
 ぱっと顔が輝いた。いきせききって、叫んだ。
「戦力があがるわよね。戦いが楽になるのよね。マキシムの」
一旦口を閉じてから、慌てて、
「みんなのためになるわよね。私一人で一匹倒せるくらいになれば」
「それはちょっと、」
無理じゃないかね、と言い掛けて、慌てて口をつぐむ。
 「まあ、ティアは、魔法が使えるからな。俺は魔法は駄目だし、君はマキシムよりも魔法力があるし」
 急いで言葉をすり替えたつもりだった。だが。
新しくパーティに加わった、強い目をしたパーセライト一の女戦士は、一流の剣の腕に加えて、魔法も使えるのだ。
しかも、ティアよりもはるかに強い魔法力を持っていた。
ティアの手が、ガイの手から鞭を取ったのを見て、
「おい、今すぐやると傷が開くぞ。今夜はもう止めた方が」
「大丈夫よ」
重くきっぱりと言って、再び鞭を構えた姿を見るに忍びなくて、ガイはその場を後にした。
あの夜の、張りつめた、追い詰められた横顔を思い出し、それから子供達を守るために傷だらけになって戦い、戦い抜いた彼女を想像してみた。
それから、意識を取り戻して、ハイデッカに笑いかけた彼女の姿を想像し、
俺は君を尊敬する。
ガイはハイデッカの顔を見た。相変わらず腕組をして、威張りくさって、しかしどこか不安げにこちらをにらみつけている、ガイよりもでかい男。
死んだと思った。戻ってこないのだと思った。マキシムのように。
しかし、こいつは戻ってきた。
同じくらいめちゃめちゃな戦場から。
 燃える天井、崩れゆく床。俺を、残った人間を、生きた世界へ突き飛ばして、俺の分もお前は生きろと叫ぶ、
 こいつも、マキシムも。
「なんだ。文句があるのか。俺のしたことで間違ったことなどないぞ」
 吠える相手に、静かに言った。
「お前は、馬鹿な分、頭がかるくて助かったのかも知れねえな」
アーティが、ひどく悲しそうに微笑んだ。誰の事を思っていたのか、わかったらしい。
「貴様、どうしても血を見ないとわからんようだな」
「うるせえよ」
吐き捨てて、それから台詞と一緒に自分の拘りも捨てて、この馬鹿な大男に任せてみようかと思う。
「ここで吠えてる暇があったら、エルシドへ行くのが先だろうが。言うこと言ってからにしろよ、偉そうな態度は」
「え?」
戸惑ってから、
「も、もちろん、言いにいくつもりでいたぞ。そうだ、お前がなんだかんだと難癖をつけてアー公の所に連れてきたんだろうが。俺は最初からティアに告白しに行くつもりだったんだ」
「だったらそれでいいじゃねえか。そうしろよ」
「するさ」
やれやれという顔でやりあう二人を見比べているアーティに、きっと顔を向けて、
ハイデッカは叫んだ。
「善は急げだ。アー公、今すぐ俺をエルシドまで運べ」
「これからですか?もう真夜中ですよ」
辟易して、押しとどめる。
「今行っても、ティアさんは恐らく眠っていますよ。起こしたら迷惑になりますし、明日にした方が」
うー、と唸ってから、
「じゃあ家を見るだけでいい!とにかくエルシドへ行きたいのだ!連れていけぇぇぇぇ」
「わかりましたわかりました」
まるで子供だと思いながら、背を押して、外へ連れ出す。見ると、ガイもにやにやしてついてくる。
「もしかしてあなたも行くんですか」
「面白そうじゃねえか」
「だから、どうせすぐに戻ってくることになりますよ」
「いいんだ。つきあう」
これだから、この連中は、全く人使いの荒い、とぶつぶつ言うアーティに、
「ぶつぶつ文句たれるエルフなんて、聞いたことないぞ」
 「やっぱりお前も人間に関わって、多少性格が歪んだな」
「変なこと言わないで下さい」
少なからず動揺している。無理やり気を鎮めて、月光を仰ぎ見た。月の力は、一番楽に、エルフの魔力を増幅してくれる。
「もっとわたしに寄って」
「おう」
二人が同時にアーティに近寄ったとき、ふわりとアーティの腕が宙を翻った。
「スィング!」
高く鋭い声と共に、三人は一瞬宙に浮き、すとんと降りた。その時にはもう、エルシドの入口に立っていた。

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