「兄さん、ハイデッカさんとどこまで行ってたの?あれから全然帰ってこないんだもん、心配したじゃない」
プラチナブロンドを柔らかくカールさせた先をはねさせて、ヒルダがぷんぷん怒っている。
「悪かったよ。あいつが突然爆弾発言しやがったからよ。いろいろ行くところが出来て…」
全部言わないうちに、玄関のドアがばあんと開いて、
「ガイが帰ってきたんですって?」
怒髪天を突くといった様子の、一応ガイの恋人が仁王立ちになっていた。
歴戦の勇者も、百戦錬磨のつわものも、この女の前ではどうにも腰がひけてしまう。
「ジ、ジェシィ。あ、あのな、いまヒルダにも説明しようと思ってたんだけど」
「聞かせてもらおうじゃないの。ひとが腕によりをかけて作った夕食の途中でふらりといなくなって数日帰ってこなかった真っ当な理由ってのを」
怒りのあまり声が笑っている。
「お、怒るな」
「無理な注文だわ。何をどうしても怒らないでいられないわ。あと数秒であんためがけて何か投げそうだわ」
「待て。聞け。あのな、ティアが結婚するんだよ」
二人の娘はえっと叫んで、顔を見合わせた。ラッキイ。矛先が逸れたぞ。
「誰と。ねえ兄さん、誰と」
「だからさ。ふっふっふ。誰だと思う」
「早く教えなさいよ。何か投げるわよ」
怒りの余韻をひいているジェシィの怒鳴り声に押されて、
「ハイデッカだよ」
焦らすつもりだったのだが、あっさり教えてしまった。どうもいけない。受け身になっている。
「えー、ハイデッカさんと?」
ヒルダがすっとんきょうな声を上げる。別にあの男だなんて信じられないという響きではないようだ。やはり組み合せの妙だろうか。
「ほんとなの、ガイ」
ジェシィがやっとまともな質問をしてくる。ものを投げるのはやめたようだ。
「ああ。あいつが突然ティアと結婚するって言い出したんだ。で思わずアーティのところへ連れていって、いろいろ話を聞いてな」
さりげなく、自分としてもああするしかなかったのだということを訴える。その気持ちを知ってか知らずか、二人とも真剣に聞いている。
「どうやら半端な気持ちじゃないらしいてのがわかったから、エルシドへ行ってプロポーズしたんだよ。その場でOKってことになって」
「いやーん、ドラマチック」
ヒルダが目を輝かせている。手を組んでうっとりしている。
「詳しい日程が決まったら知らせるって言ってたぜ。結婚式にはお前たちも着飾って参加してくれってよ」
「やーん、嬉しい。パーティね。ねえ、ドレス新調していい、兄さん」
「ああ、いいとも」
この場ではこう言わざるを得ない。きゃぴきゃぴ喜んでいる妹から、傍らの恋人へ目を動かすと、ジェシィは静かに微笑んでいた。
とても大人で、女の顔で、ガイはどきりとした。
 静かな声でジェシィが呟いた。
「ティア、OKしたのね。ハイデッカの申し出を」
「…ああ。勿論、考えに考えてだけどな。大丈夫、あいつなら大丈夫さ」
「ティアには幸せになって欲しいわ。心からそう思うわ」
少し大きな声で言って、にっこり笑ってから、
「許してあげるわ。その代わりクラメントへ連れていって。どういうことかわかるわよね」
「う」
「あー、私もー」
げんなりしながら、わかったわかったと言って、二人の女を見比べた。
女てのは基本的に丈夫だよな。体も心も、多少のダメージを受けてもなんとか回復しちまうもんな。実際、男の方が弱い気がする。

ノックの音で、誰かすぐにわかる。
「開いてるわよ」
明るい声に誘われたように扉が開くと、ハイデッカが偉そうに立っている。その後ろには子供たちが群れて、ぶらさがったりよじのぼったりしている。
くせの強い髪が風に吹かれてあっちこっちへ立っている。
「いらっしゃい、ハイデッカ」
自分を見上げる娘の、あまりの愛らしさ、可憐さに、ハイデッカは目眩がして、倒れそうになった。
「ど、どうしたの?大丈夫?」
 慌てて貸した手を取って、ひしと己の胸に抱きしめる。
「君は、なんて可愛いんだ。俺の心臓は、君への愛しさに堪えられん」
子供たちがいっせいにヒューヒュー言う。大喜びだ。この手のタイプはこの村にはいなかったので、ここぞとばかりにヒューヒュー心を満足させている。
隣り近所の大人たちは、ぽかんと口を開け、数秒たってから各々にやにやしたり羨ましがったり呆れたりしている。フレアも腹をかかえて笑っている。
ティアは言葉もなく赤面している。邪険に振りほどく気はないが、嬉しがって手を預けている気もない。
「あ、あのね、ハイデッカ。う、嬉しいんだけど、恥ずかしいから、もう」
ハイデッカは回りを見渡し、かしましい子供たちや興味津々の大人たちの顔に気づいて、
「あんなもの気にするな。カボチャだと思え。茄子でもいい」
言ってから、ちょっと考え、
「まあ、君はそうもいくまいな。やむを得ん。我慢する」
名残惜しげに手を離した。が、すぐに顔が明るくなって、
「これから暇か」
「えっ?ええ、大丈夫だけど」
「では、俺と一緒に城まで来てくれないか。国王と王子に、俺の妻となる女性を紹介しなくてはならんのだ」
妻、という言葉に、ティアが一瞬息を呑んだ。恥じらいと喜びに頬が染まって、
「ええ、いいわ」
ややうつむいて答えた。
ハイデッカの顔が感激でわなわなと震え、それからもう一度手を取って、
「ああ。君が俺の妻になるのだな。自分で言って感動しているのだから世話はないが」
自分でつっこんでいる。観察していた回りは大爆笑だ。
「しかし、笑かしてくれるよね、あのにいちゃんは」
「気持ちいいくらいティアに惚れてるね」
おおむね好意的な意見が交わされる中、ティアは戸締りをして外へ出た。ようやく笑い収まったフレアに、ばつの悪い顔で、
「じゃあ、バウンドキングダムへ行ってくるわね」
「行ってらっしゃい。どうせなら今夜は彼のお部屋に泊めてもらったら?」
「それは出来ん。ティアは嫁入り前の娘なのだからな。変な噂でもたっては」
きりりっと言うハイデッカに皆あきれる。
「今以上に噂にはならないと思うよ。なんていってもティア姉ちゃんの旦那さんになる人の性格が一番の噂だからね」 年長の男の子が遠慮なく言う。
 ハイデッカは、うろたえたり怒ったりせず、子供の顔を真っ直ぐに見て、
「いいか、坊主。男は妻になる女の名誉は己の名にかけて守らねばならんのだ。妻になる女の命は、己の命を以て守らねばならん。覚えておけ」
そう言い放つと、片手でティアの肩を抱き、もう片手でスィングウィングを取り出すと、空高く投げ、
「バウンドキングダム!」
力強く叫んだ。次の瞬間、二人の姿は消えていた。
ちょっと的外れだが、妙に感動的な気分が皆の胸に流れていた。なんとなく、互いに顔を見合わせ、困った顔で笑い合った。

砂漠の中に聳える巨大な城の前に、二人は降り立った。砂地が草原に変わり始める辺りには、薄紅色の花が咲いている。こちらの方が、エルシドより先に春が来るのだ。
「よし、ついた。まず昼食を取ろう。その後で謁見を」
言いながらティアの顔を見て、ハイデッカははっとした。ティアが悲しげに自分をにらみつけている。
「ど、どうした?俺が何かしたのか、ティア」
 ティアはきゅっと唇を引き締めてから、硬い声で、
「もう忘れたの?私とした約束」
「約束?」
忘れる筈がない。この俺がティアとした約束を忘れる筈がないではないか、と思いながら、自分をにらんでいる顔を前にすると、焦って思い出せない。
「もちろん覚えているとも。しかし、何だ。あの、どんな約束だったか、言ってくれるともっと覚えているのだが」
わけのわからない言いぐさに、ティアは叫んだ。
「忘れたのね?大したことだと思っていなかったのね?これを約束してくれたから、結婚する決心がついたのに!」
考え込み、あっと声を上げる。それから、さっきの自分の台詞を思い返し、やっと納得してから、ティアの顔を見た。
 「あれか。あれは、その」
 「言ったじゃない。絶対死なないって。私は、私のためであってもあなたに死なれたくないのに」
 「わかっている。無論だ。しかし、俺にとって君は、」
 「いや」
 ぷいと向こうをむいてしまった。ティアが珍しく依怙地になっている。困った。いちいち文句をつけるなと怒鳴る気などないが、この場合なんと言えば機嫌を直してくれるだろう。
城門の警備に当たっている兵が二人、かなり遠方ではあったが、顔を見合わせて何だろうというように話し合っているのが見える。
「ティア」
後ろからそっと、彼女の手に触れる。振り払おうとして、やめた。
「すまん。忘れた訳ではない。いかな死線からでも、君のもとへ戻る覚悟の核となった誓いだ。忘れる筈はない」
「御免なさい」
うなだれた陰から、小さな声で、
「つい、怒って騒いじゃって。あなたの勤めている仕事場で」
「そんなことを気にすることはない」
手を握ったまま、
「これから先はずっと一緒なのだから、言いたいことはどんな事でも言ってくれ。怒ってもいい。ただ泣くのはいかん。泣くときは言うように」
つい笑い出してしまった。
笑いながら振り向くと、ハイデッカはほっとした顔をして自分を見ていた。
「御免なさい。あなたが本気で約束してくれたことはわかってるの。ちょっと駄々をこねただけ。さあ、お城へ行きましょう」
「おお、行こう行こう。そうしよう」
大声で叫んで、肩に手を回すと、意気揚々と城門に向かって前進を始めた。
兵はきちんと敬礼して、よく通る声で叫んだ。
「お帰りなさい、ハイデッカ隊長!」
「異常ありません!」
「御苦労」
威張って通り過ぎる。ティアも、何度か顔を見たことがある兵たちだった。あ、この娘は、という表情になった二人に会釈をして、入っていった。
「虚空島の戦いの時」
「マキシム殿と同郷の」
後ろで話している声が微かに聞こえて来る。
 屋外練習場も兼ねている石造りの中庭を歩きながら、
 「君と初めて出会ったのはここだったな」
「そうね。随分昔のことみたいな気がするけど、本当はそんなに経っている訳じゃないのね」
マキシムは真っ直ぐにハイデッカを見据え、その隣りではセレナが突き通すような目付きで斜に構えていた。その二人の後ろに、疲労と困惑と焦燥で髪も乱れがちなまだ幼いと言えるような少女が、手持ち無沙汰に立っていた。
あの時の俺は、まさかこの娘を妻にするとは、想像もしなかった。
「あの時は、まさかこの巨大な戦士と結婚することになるとは思ってもみなかったわ」
二人で同じことを考えていたのだ、と思うと、何やら嬉しくなる。ハイデッカはやたらに何度もうなずき、
「俺もだった」
「でも、そうなるのね」
「その通りだ」
思いきり大声で言ったので、その辺りにいた男たちが皆振り返った。
「隊長、お戻りでしたか」
「ああ。午後の修練は少し遅れる。それまで自分たちだけでやっていろ」
「わかりました」
信じられない体力と剛腕と少し足りない頭で知られた隊長が、小柄な可愛らしい女性をエスコートしている変な姿を、皆はぼんやりと見送っている。
「ちょっと待ってくれ」
倉庫の前でティアに言い、ハイデッカは首をつっこんで、
「おやじ、いるか」
「いますよ、隊長。スィングウィングでしょ。はい」
頭の禿げ上がった中年男が、丈の長いエプロンのようなものをつけて、羽を持って出てくると、それを手渡した。ティアを、おやという目で見て、
「ようこそいらっしゃい。隊長のお連れさんで?」
「そうだ」
「こんにちは。ティアといいます」
「いい名前だろう」
何故だか、ハイデッカが威張っている。親父はくくっと笑って、
「この人は変な人でね、ティアさん。懐にいくつもいくつもスィングウィングを持ってないと気がすまないんですよ。店でも開けそうなくらいなんだ」
「いついかなる所にでも、真っ先に飛んでいけるのが、戦士としての心得だ」
ふん、と鼻息荒く言って、
「邪魔したな。行こう、ティア」
「はい。それじゃ、失礼します」
親父はにこにこと手を振った。並んで歩きながら、
「もう、あんな思いは御免だからな」
「ハイデッカ」
傷つき、ふらふらになりながら懸命に戦っているティアの姿が見えるのに、己はこんな遠くを馬鹿みたいに走っている。
いや、馬や鹿のように走れるならいいのだ。まるっきり小豚だ。猪だ。イタチだハリネズミだ。
もしもあの時、俺が間に合わないためにティアを死なせていたとしたら、と思っただけで恐怖が背を濡らす。あんな思いは二度と御免だ。
 「何かあったら、地上の果てからでも、誰より先に君の元へ駆けつける。それが俺の何よりも強い決意なのだ」
「ハイデッカ」
彼の台詞は、さっきの件の言い訳みたいではあったが、ティアはやはり嬉しかった。ふっと、自分の腕にティアが寄り添ったのを感じて、黙って肩に手をまわした。
食堂で、その日のランチというやつを頼む。
「はい、ハイデッカさん。いつものように大盛り。こちらは並で」
「有難う」
「まあ食ってみてくれ。この辺の獣は身がしまっていて結構うまいんだ。おい、グラスで二杯くれ」
「はいはい」
城内の女中と兵士の世話係を兼ねている女が、忙しく立ち働きながら、
「誰だっけ、ハイデッカの連れている女の子。見たことあるような気がするんだけど」
「それより、ハイデッカの顔よ。でれでれ嬉しそうに」
「あんなのいつものことじゃない。新入りの子に話しかける時はいつもあんなものよ」
「いつもより度合が違うわよ」
そんな会話を瞬時に交わして離れて行く。
ハイデッカがティアを連れて謁見の間へ行くまでに、隊長が見覚えのある女の子(誰なのか覚えている人間もいたが)をかいがいしく世話しているが、あれはつまりどういうことなのだろう、という下地が、城内に出来上がった。その仕上げのように、二人は国王と王妃と王子と、大勢の大臣が居並ぶ前に進み出、ひざまづいた。
「国王陛下、王妃様並びに殿下におわせられては、御機嫌麗しく」
「改まって何事かの、ハイデッカ。そちらのお嬢さんは、」
はい、と答え、ちらりと顔を上げ、
「お久しぶりでございます。わたくし、」
言いかける間もなく、アレク王子がぴょんと座を飛び降りて、
「ティアではないか。エルシドのティアであろう?父上、母上、マキシム殿とともにこの城へ参られた方です」
「これこれ、軽々しく飛び回るものではない。無論、わしも覚えておるとも。久方ぶりじゃな。あの時はそなたにも本当に世話になった」
「そうでしたね。よくお出でになられました」
恭しく腰を折り、
「もったいないお言葉に存じます」
「そんなにかしこまることはない。ともに戦った仲間ではないか。面を上げよ。元気そうだな」
こっちが元気いっぱいという調子で、王子が明るく叫ぶ。やや甲高い、歳よりも子どもっぽい声が、明るく天井の高い室内に響きわたる。
あの頃からあまり変わっていない。柔らかくカールした金髪、女の子のように大きくてぱっちりした青い目、やたら仰々しい王族の衣裳は借り着のようだ。相変わらず可愛らしい、バウンドキングダム全体に愛されている王子だ。
ティアは思わずにっこりした。
「貴方様も、お元気そうでなによりでございます、アレク王子」
「うむ。よく参られた」
思いきり威張って言う。あまり可愛いくて、ティアはもう少しで笑い出すところだった。
「ゆっくりなさってゆかれよ。…ところで、なにか話があるのか、ハイデッカ。神妙な顔で先ほどから頑張っているが」
「は、実はお話ししたき事がございます。わたしとこのティアは、」
 ごく、と喉が鳴った。
 「結婚いたしたく、お許しを戴きに参りました」
「まことか」
国王と王子の声が重なり、大臣たちが顔を見合わせる。
「おお、そうか。そういうことであったか。許すも許さぬもない。これはめでたい。心より祝いを述べさせてもらうぞ」
国王が大声で言った。
「国を上げての祝いじゃ。式の日取りも決めねばのう。さあ、これから忙しくなるぞ、皆の者」
まことに、と大臣達が揃って声を上げ、一番前にいたジョセフが一歩二人に近づき、代表のように、
「おめでとうございます、ハイデッカ殿、ティア様」
祝辞を述べた。
二人の顔にぱあっと笑みがはかれた。許さんと言われるとは思っていなかったが、やはり緊張はしていた。皆から祝いの言葉を告げられて、ようやく安心した。
「有難うございます」
ティアがそう言った時、
「ハイデッカ」
情けなく震える声が響いて、皆ははっと声の主を見た。
座から飛び降りた場所にたったまま、王子が泣きだしそうな顔でハイデッカを見つめている。
祝辞の声がたちまち止む。王と王妃は驚いて、それぞれ何か叱る言葉を言いかけたが、ハイデッカは恭しくそれを押しとどめ、王子に向き直り、
「いかがなされました、王子」
青い、まん丸いビー玉のような目に、ゆるゆると涙が浮かんでくる。
どうしよう、どうしよう、と口元が震えている。我慢できなくなって、声を出したら、それはひどく頼りなくか細いものになった。
「ここを去って行ってしまうのか?」
ああ、なんだ、そういうことか、という表情が、誰の顔にも浮かんだ。
ハイデッカは微笑んで、一度目を閉じた。これほど王子が自分を失いたくないと思っていることが、とても嬉しかった。目を開け、力強い口調で、
「王子。ハイデッカは、どこへも参りません。今まで通り、この国で衛兵隊長を勤めさせていただきます」
「本当か?しかし、ティアはエルシドの家があるであろう」
 王子の顔が、嬉しさと疑いでまだらになっている。
「お許しいただければ、わたくしもこの国の住人にさせていただこうと思っておりましたが、殿下」
ティアはにっこり笑った。ハイデッカにこんなに篤い信望をよせ、同時に私のことも考えてくれている王子が、ますます好きになった。
「ハイデッカはこの国と殿下にとって、なくてならない男ですわ。わたくしは、そう思っておりますが」
「その通りじゃ。だが、ティアはここに住んでよいのか」
「わたくしもバウンドキングダムが大好きですわ」
王子はちょっともじもじして、これはもしかすると大丈夫なのだろうか、という表情になった。ティアがうなずいたのを見て、次にハイデッカを見る。彼はいつもと同じ、太陽のような笑顔を見せて、
「これからは、ティアも王子の指南役につきますぞ。こう見えてもなかなかどうして戦える娘ですからな。うむ、わたしよりも厳しい教師かも知れません」
「あら、ハイデッカったら」
「おおそうか。それは嬉しいぞ。一日も早くそなたの鞭さばきを見せてくれ、ティア」
はしゃぐ王子に、困った顔で笑ってしまう。
「よいな。これからはそなたとハイデッカ両者とも、僕に武器の指導をすることじゃ。わかったな」
威張って言い渡す王子に、二人は顔を見合わせ、次に深々と頭を垂れ、
「かしこまりました、殿下」
声を揃えた。
皆、今度こそほっとして、再度口々に祝辞を述べる。
「やれやれ、アレクも何やかやと」
「王子はハイデッカ殿に心酔しておられますからな。やはり心配であらせられたのでしょう」
国王とジョセフがぼそぼそやっている。
「父上もジョセフもうるさいですぞ。僕はただ、ちょっと気になった点を確かめただけで」
顔を赤らめて王子が怒鳴った。王はわかったわかったと手を振り、ジョセフは失礼いたしましたと言って頭を下げた。
傍らで王妃がくすくす笑っている。

「ティア」
廊下にいる時後ろから小声で呼ばれ、驚いて振り向くと、角からそっと王子が顔を出して、手招きしている。ティアはハイデッカの方を見た。何やら部下に取り巻かれて、もみくちゃになっている。
そっと王子の方へ行った。その手を掴んで、王子は駆け出した。星の数ほどある来賓室のひとつに、そっと入って扉を閉める。
「よし、誰も来ないな」
ひらひらのレースのついたハンカチで額を拭ってから、きちんとティアの手を取りエスコートして、ソファに座らせた。その辺りは次期国王としての教育の賜物であろうか。
 ティアの向い側に座って、こほんと咳をしてから、
「先ほどは失礼した。取り乱してしまって」
一人前の大人の口調で言った。
「いいえ。殿下が、ハイデッカを大切にお思い下さり、わたくしを気遣って下さっておられるのが、とても嬉しゅうございましたわ。有難うございます」
「いやなに」
偉そうに言ってから、急に子供っぽい顔になって、
「ハイデッカには、まだまだ沢山習いたいことがあるし、離れたくないのだ。こんなこと誰にも言えぬ。ハイデッカの妻になるティアだから言うのだぞ。そなたならわかってくれると思うから」
「殿下…わかります。ハイデッカは幸せですわ。殿下にこんなに慕われて」
幼い王子は嬉しそうに顔を赤らめて、ちょっと考えてから、
「そなたとハイデッカは、あの時に知り合ったのだろう?」
「左様でございます。わたくしどもがガデスを追ってこの国へ参りました時に、初めて彼と殿下にお会い致しました」
「あの頃から結婚しようと決めていたのか?」
びっくりして首を振り、
「いいえ」
答えてから笑ってしまった。そんな相手を見て、
「じゃあ、いつ決めたのだ?」
「ついこの前ですわ」
 「急に、結婚したいくらい好きになったのか」
 「以前から好きでしたわ。でも結婚に踏み切ったのは最近ということです」
突っ込んだ質問なのだが、素直に答えている。
王子は、また少し黙ってから、
「ハイデッカの、どこに一番惹かれたのだ?」 まだ子供の王子の口から出るのには、少々古風な言葉を使った。それは妙に厳粛で、ロマンチックな響きがあった。
マキシムを愛していた私を、あんなにも深く愛してくれたところです、
とはまさか言えない。それに、そのことは、一番の核にとても近いことではあったが、実は一番の核ではない気がした。
ティアは少し目線を下げて、真剣に考えた。笑顔。大きな器。磊落さ。強さに裏打ちされた優しさ。どれもが、わたしを引き上げてくれた。うつむいて座っている椅子から立たせてくれた。そのどれかだろうか?それとも、別の何かだろうか。
頭が痛くなるほど考えたが、答えは出なかった。涙目になって王子を見ると、考えている間中ティアを見つめていたらしい。どぎまぎしてちょっと上目遣いになったが、気を取り直して、ティアを見つめ直した。
「殿下、」
ため息をついて、
「申し訳ありませんが、わかりません。わたくしに言えるのは、」
もう一度息をついて、微笑みながら、
「あのひとの全てが、私を変えてくれたのです。ですから」
「ハイデッカの全てということか?」
「そう…ですが、」
王子はなあんだという顔をして、
「ならば、そうではないか」
最上級を尋ねておいて、どれもみーんな、という言い方を許すのは、子供だからなのだろうが、ティアはほっとした。
「僕も、ハイデッカの妻となる女が、そなたであったことが嬉しいぞ。魔物と戦う勇気を持ち、なおそんなにも優しく美しい。うむ」
「殿下、お口がお上手ですわ」
「何を申すか。本当の気持ちを言っておるのだ」
赤面し、ムキになって叫ぶ。
「マキシム殿とご結婚なさったセレナ殿も大変美しいひとであったが、そなたも負けず劣らずきれいだ。その、ええと、違う風にきれいなのだ。無論、顔かたちのことだけではない。あの頃からそう思っておったぞ」
一瞬、息をのんだ。それから、何も知らないが故に公正な判断者である王子を、切なく微笑んで見つめた。
「お誉め戴き、大変嬉しく思います」
「うむ。マキシム殿は、セレナ殿の美しさを、ハイデッカはティアの美しさを一番に愛でたのだな。人というのはそれぞれであるからな」
全くもって、その通りだ。彼の言葉に対して、付け足したり省いたりする部分は全くない。
歳より幼い、やや頼りない所のあるこの王子が、誰よりも正確に真実を掴んでいる。
そこに気づき、認めるのに、私はなんと長い道のりを経たことか。…
涙ぐみそうになって、えっへんと威張ってみせて、
「そうなんですわ、殿下。ハイデッカはわたくしを選んでくれましたの。わたくしもあのひとを選びました。マキシムではなく」
強く言いきった。語調の強さに、王子は目を丸くして、大人しく聞いている。
「お互いの選んだ相手が一致して、本当に良かったと思いますわ。殿下も、いつかお互いに選び合うような美しい姫と、幸せに御成り下さいね」
「うむ、そう思っておる」
赤面してやや小声でそう言ってから、ちょっとため息をついて、
「これを言うのが一番辛いから、誰も言わぬ。そう思うから僕も言えないで来たのだが」
ため息を途中で止めて、その息で、
「マキシム殿とセレナ殿がおられたら、どんなにか喜んで祝福なさったであろう。その姿が見られぬのが残念でならん」
マキシムと、セレナが、心からの笑顔を見せて、拍手してくれている姿が、脳裏に浮かんだ。
不思議だ。ハイデッカと結婚することを決めてから、一度も想像したことがなかった。
ティアは、その映像を、慈しむように描き続けた。
「ティア」
王子がはっと声を呑んだ。
ティアの閉じた目から、涙があふれて、静かに伝い、膝の上の手に落ちた。
 動転し、うろたえ、手を振り回して王子は叫んだ。
「すまん。僕はなんと心ないことを言ってしまったのだろう。済まない。許してくれ、どうか」
「違うのです、殿下」
涙を流しながら微笑んだ。目を閉じたまま。
「悲しんでいるのではありません。勿論、あのひとがもういないことは、とても悲しいのですけれど、そのことはもう飽きるくらいしましたから」
くすり、と笑って目を開けた。赤くなった目からもうひとしずく、涙が落ちた。
「殿下がそう仰って下さって、何だか本当に、あのひとが私を祝福してくれている気がしたのです。とても実感できたのです。それは嬉しいのですわ」
それだけではない。もっともっと複雑な思いがあった。しかし、それをくどくど訴える気はなかった。何よりも、王子が見せてくれたあの映像は、とても晴れやかで、温かく少し寒い早春のような爽やかさがあった。その気持ちは口にすると粉々になりそうな気がしたから、黙っていた。
ハイデッカのいない所で泣いてしまった。知ったら怒るだろう。慌てて涙を拭いて、王子を見た。
王子はもどかしげな表情で仕方無しに微笑んだ。
その後、顔を扉の方へ向けた。廊下のかなたで誰かが叫ぶ声と、走り回る音が聞こえてきた。
「おられたか」
「いや」
かすかだが、そんなふうに聞こえる。ティアは腰を上げて、
「殿下がいらっしゃらないから、探しているんですわ。さ、早くおいで下さい。皆心配しています」
「つまらんなあ。せっかくティアと二人きりで話をしておるのに」
口を尖らせて、ソファの上でぎっこんぎっこんと船を漕ぐ。
そうやっているとまるっきりただの子供だ。苦笑してから、少し焦る。声が高くなってきたからだ。
「殿下、どうぞお戻り下さい。お願いですから」
「わかったわかった。では、ティア、またいつかこうして話をしよう」
「ええ、喜んで」
二人は顔を見合わせてにっこり笑った。その時だった。
「ティア!どこだ、ティア!」
大音響が轟き渡り、続いてどすどすと熊が全速力で走っている音が聞こえてきた。ティアはさっと赤面し、王子は面白そうにそれを眺めて、
「止めた。もう少し隠れていようではないか」
「いけません。早く行きましょう、騒ぎが大きくなるばかりです」
困っている外で、案の定男の怒鳴り声はどんどん大きくなる。
「ティア!返事をしてくれ、どこに行ったのだ!くそっ、さらわれたのかもしれんぞ!どこのどいつだ、見つけ次第ぶちのめしてやる。そんなことよりティアは」
「隊長、隊長、落ち着いて下さい」
「これが落ち着いていられるかあ」
ティアは我慢できなくなって扉を開いた。外へ出て声の方を見る。廊下のかなたで、二三人の部下の襟首をひきずりながら、お前らも探せとわめいている男に、
「ハイデッカ!」
全員がばっとこっちを見た。きまりわるくなって、思わず肩をすくめる。
ハイデッカの手からぼとぼと部下が落ちた。
「ティア!居たのか、良かった。心配したぞ」
どっと駆け寄って抱きしめる。部下の間からおおーというどよめきが起こった。ティアは恥ずかしくてたまらない。もがきながら腕を抜け出そうとするが、離すものではない。
「ハ、ハイデッカ。殿下の御前よ」
えっと言って顔を向けると、扉の前でにやにやしている王子がいた。
「ほほう。お前でもそんな声を出して走り回ることがあるのだなあ。初めて見たぞ、ハイデッカ」
「殿下、御人の悪いことを」
さすがにハイデッカも照れる。それからわっはっはと豪快に笑った。部下も許しが出たというわけか、全員が笑いだした。
それから、ハイデッカはティアの肩を抱いて、部下たちへ向け、
「見知っている者もおるだろうが、あらためて紹介する。俺の妻になるティアだ」
「よろしくお願いします」
頬を赤らめてお辞儀をする娘に、皆口々に歓迎と祝辞の叫び声を上げた。
「王子。探しましたぞ。全く」
ふうふう息をつきながらやってきたジョセフに、
「いいものだな、結婚は」
ジョセフは目を丸くした。まるで五十になってやっと妻を娶った男のような言い方をする。
「王子も、ご結婚なさりたいのですか」
「馬鹿だな。僕はまだ十二だぞ。それにな、結婚はお互いに選び合う相手としなければならんのだ。そう簡単に見つかるものではない」
「は、はあ」
突然、やたら説得力のある言葉で諭されてぽかんとする。

ティア07へ ティア05へ ゲームのページへ