「ほらみんな、頑張って。もう一息よ」
「でもあんまり焦ると、手抜きになるわ。一回休まない?」
「そうねえ。じゃ、お茶にしようか」
ウェディングドレス部隊は、実に久々の休憩を取った。ティアも勿論その一員だが、他にもしなければならない打ち合わせなどがあって、どうしてもフレアたちに任せることが多かった。その御礼も兼ねて、お茶とケーキを振る舞っている。
「ウェディングドレスを縫うのって、あたし初めてだわ。緊張するわね」
「あら、どうして?普通のドレスより生地が多いくらいじゃない?」
「もう。これだから既婚者はいやよね。ウェディングドレスに対する思い入れってものが全然なくなってるんだから」
けらけら笑っている間に、どんどんケーキが減ってゆく。
「ティアってウェスト細いわねえ。縫ってて、腕の部分と間違えたのかと思ったわ」
「ちょっとそれは大袈裟よ」
「そんなことないって。あんたの場合は腰回りと間違えるだろうけど」
げらげら。ティアもつい笑ってしまう。一人が尋ねた。
「そう言えばティア、怪我はもうすっかりいいの?」
「ええ。もう治ったわ。痛みも残ってないし、大丈夫」
「あの時は本当にお世話になったわね」
一人の主婦がしみじみと言った。リムルの母親だった。
「あの子たちが助かったのは、ティアのお陰だわ。ティアがいてくれなかったらと思うとぞっとする。それ以上にティアに万一のことがなくて、本当によかった」
「そうよ」
「もしそんなことになってたら、あたしたちどうしていいかわからないわ」
 「御免なさいね。こんなに細い体のティアをあんな目に遭わせて」
なんとなく皆の目に涙が浮かんでくる。ティアはうろたえて、
「もう済んだことなんだから。ね?皆、そんな顔しないで」
皆疲れているせいか、どうしてもうつむいていってしまう。誰かがはなをすすった。困り切ってティアはフレアを見たが、彼女さえもハンカチを取り出している。なんとか座を明るくしようと、
「でも、悪いことばかりじゃないのよ。あの事件でハイデッカとのことが進んだんだし」
言った途端、皆の目がぱーっと輝き出す。
「そうなの?そうなのよねやっぱり」
「あの時のハイデッカさんたら。今思うとティアのこと、あんなにして運んできたんだものね」
「ねえねえティア、なんていってプロポーズされたの?教えて」
「そういえばそういうこと、全然聞いてなかったわよね」
涙もハンカチもどこへやら、何杯目かのお茶を飲み干して、皆がたがたと椅子をひいて、餌をねだるつばめのように顔を寄せてくる。
「え、ええ。あの」
困りながら、同時に嬉しい。人に聞くことはあっても、聞かれたことはなかった。照れくさくて、何を言っても恥ずかしいけれど、幸せの実感が胸の中いっぱいになってゆく。世の娘たちはみんな、この気持ちを胸に温めて人の妻になるのだろう。
「ねえ、プロポーズの言葉だってば」
「え、ええと、お…俺の妻になってくれ、って」
照れて小さくなっていくティアの声は、女たちのきゃーっという歓声にかき消された。皆ここぞとばかりに握りこぶしをつくってきゃーきゃー言っている。
「いいわあー、男らしくて率直で。あのひとらしいわね」
「そうそう。君のスープを飲ませてくれだの、俺の老後を見てくれだのってひねりは馬鹿よね」
「はー、くらくらするわ。しびれちゃう」
それほどしびれるような言葉でもないのだが、皆すっかりきゃーきゃーモードに入っているので、なんでもすてきに聞こえるらしい。
「ねえ、それでティアはすぐOKしたの?焦らしたの?」
「馬鹿ねえ、ティアがそんなことする訳ないじゃない。即よね」
「ん、でも」
ティアはちょっと言い淀んだが、
「ちょっとまだ、マキシムのことが残ってて。二つ返事とは行かなかったの」
皆の顔に一様に、懐かしさと苦さと、悲しさが入り交じった表情が浮かんだ。
マキシム。
あなたの名を言うと、こんなにたくさんの人たちが、同じ表情であなたを想う。
ガイも、アーティさんも、ハイデッカも。
皆それぞれ、自分が知っているあなたの横顔を思い出して、同じ表情になる。
きっと私もだろう、とティアは思った。それから、テーブルに突っ伏して泣いていた頃の私からしてみたら、嘘みたいだと思った。
「ハイデッカさんて、マキシムを知ってるのよね。一緒に戦ったんでしょ?」
うなずく。
「ティアの気持ちは、知らなかったの?そのう、マキシムのこと、好きだってこと」
「知ってたわ。私が諦めて、パーセライトを立ち去る時、最後に話したのがあの人だったんだもの」
「そう…」
噂好きだが、決して出歯亀でも、不謹慎でも無遠慮でもない女たちは、うんうんと納得して、きゃーきゃーの方向を変えた。
「バウンドキングダムの王様にはご挨拶してきたんでしょ?ねえ、ティアの結婚式には勿論参列なさるわよね」
「なに考えてんの。王様ってもうおじいさんよ」
「あんたこそ何考えてんのよ。ただ単に王室の方々が見たいだけじゃないの」
「可愛らしい王子様がいるのよ。見たいわあ」
「この前お話ししたわよ」
ティアが微笑んで言った。
「えー、本当?ねえ、ティアも王子様づきの指南役になるって本当なの?この前お城の人が言ってたけど」
「王子様には、そう命じられたけれどね」
「すごおーい。王宮に住むのねえ?」
「お城じゃなくて、城下町になるわ」
「なんでもいいって。遊びに行っていいでしょ?」
「あたしもいくー」
「あたしもー」
すっかりただの子供と化した女たちが、でっかい口を開けて叫んでいるところへ、
「ティア!アーティさんだよ」
子供が駆けてきた。きゃーっという歓声がわきおこった。脅えた顔をしている子供に、詰め寄って、
「どこどこ、どこにいらっしゃったの?早く言って頂戴」
「やだ、こんなくたびれた顔してる。アーティさまになんて思われるか」
身勝手なことを言っている女たちを引き連れてティアは広場まで来た。ミルカもいて、向こうで子どもたちと何やら話して笑っている。
しわしわの顔に満面の笑みを湛えた老婆たちに取り巻かれて、笑顔でなにか話していたアーティが、優雅にお辞儀をして、
「今日は、ティアさん」
「いらっしゃいアーティさん。どうなさったんですか」
「言伝を頼まれました。ハイデッカに」
苦笑する。
「ことづて…なんですか?」
「用事が出来て、数日留守にするけれども、心配しないように、とのことでした」
「まあ」
目を丸くして、
「それは…わかりました、ありがとうございます。でもわざわざアーティさんに」
言いかけて、向こうで嬉しそうに子供たちと話しているミルカと、自分の背後で子犬のように群がっている若い娘たちに気づいた。
「わざわざアーティさんに来ていただいた、んですね」
「ええ。ミルカは…別に、もう一人で来させてもいいのですがね」
くす、と笑った。その顔に女たちがため息をつく。無言の願いを感じ取って、ティアは皆の気持ちを代弁した。
「あの、お茶を飲んでいって下さいませんか。丁度、一休みしていたところなんです」
「そうですか」
「ええ。是非、寄ってらして下さい」
微笑し、うなずいた。女たちがきゃっと言って浮き足立った。アーティは後ろを振り返って、
「ミルカ、どうします。一緒にお茶をごちそうになりますか?皆さんと遊んでいますか」
「ええと、ポポロの家にいくって、今言ってたんです」
「じゃあ後でおちあいましょう」
「はい」
よし、いこう、と子供たちが叫んで、走り出した。
「それでは、お邪魔いたします」
「どうぞ」
女たちは、先程の子供たちのように一斉に走り出した。ティアの家にどかどか入っていく。セッティングのやり直しといったところだろう。続いて、中から悲鳴と怒号が響いてきた。
そこ、ぴんと張って!たるんでるわ。え、ここ?違うわよこっちよ。落ちる!危ない!ちょっと、お湯がないわよ!
女たちの叫び声がおさまるまで、二人は家の外に立って、待つことにした。ティアが困って、もじもじしながら、
「すみません、あのう、エルフの里って、私お邪魔したことないんですけど、もっとすごく静かなんですってね。落ち着いた神秘的な雰囲気で。あ、当たり前ですよね」
「え?まあ、静かかも知れませんね」
「考えてみたらアーティさんは、エルフの中で一番偉い方なのに、言伝だの、寄っていけだの、ちょっと気安いですよね。御免なさい。ガイたちと一緒に旅をしていたってことで、なんとなく私とも一緒に冒険したみたいな、あのう、気持ちがあって…」
「そうですよ」
アーティは穏やかに微笑し、軽く軽く戒めるような調子で、
「私は、あの旅に関わった人全員で旅をしたのだと思っています。ガイと、セレナさんと、ハイデッカと、レクサスさん、私。みんな、あなたとマキシムがこの村を出た時から始まった旅に、次々に参加したのです」
それから、目を閉じて、水色の瞳を向ける。
「わたしたち全員は、あの旅の仲間ですよ」
ティアの頬が薄紅に染まった。何か言いかけて、唇を開き、閉じて、うつむいた。
「違いますか」
「いえ、違いません」
じんとした胸を抱えて、佇んでいるティアに、
「ティア、浮気しちゃ駄目だよ。ハイデッカさんに叱られるよ」
誰かが軽口をたたいて、笑って行った。
「もう!そんなんじゃないわよ!」
「ティアさん、用意ができたそうですよ」
見ると、ドアのところから、女たちがおずおずと笑顔をみせて、ティアとアーティを見比べている。つい笑ってしまいながら、
「じゃあ、どうぞ、アーティさん」
「お邪魔します」
どうぞどうぞと、女たちが合唱した。

まだ歳若い一兵卒は、ふわあ、と間の抜けた声を上げて、辺りを見渡した。生まれてこのかた、バウンドキングダムから出たこともないのに、突然東の大陸の更に東、ほとんど世界の果てと思われるところまで連れて来られたのだから、意味のあることを言えという方が無理かも知れない。打ち寄せる波や、髪を乱す風さえも異国のものだ。
そんな彼の動揺には構わず、ハイデッカはすたすたと慣れた様子で、島に一つだけある集落の方へ歩き出した。慌てて後を追う。
「た、隊長、ここは」
「さっき教えただろうが。通称質流れ島だ。正式名称は俺も知らん」
「い、いえ、」
結局、何が聞きたい訳でもない兵は、口ごもってしまった。
しかし、隊長は、どんなところでも行ったことがあるんだなあ。そりゃ、隊長だからかも知れないけど、歳が俺の倍って訳じゃないのに。すごいなあ。
微笑ましく頼りない兵はいつものように感激して、はぐれたら大変とばかりにハイデッカの後ろにぴったりついて、きょろきょろしながら集落へ入った。
あまり大きくはない集落だ。どこの大きな街からも遠く離れているためかそれほど流通が盛んというわけでもなさそうだ。しかし、そこにいる連中の目には妙に静かなふてぶてしさがこもっていて、一応は城の兵である男が、年下の物売りの子供にさえ気圧される。
ハイデッカはまっすぐに村の一番奥まで進んだ。小汚い物置に毛の生えたような小屋に入っていく。続いて中へ入って、兵は顔を歪めた。獣くさかった。
「ようお越しに。探し物はなにかね」
自分も何かを探しながら、乞食のような風体の老人が、小屋の奥から、一応という感じでそう言った。
「人魚の秘石という名がついていた石を探している。売ったのは一年ほど前、アレインでだった。売り値は5000G」
老人は笑いながら振り向いて、
「なんと要領のいい。ここの常連さんかね。よろしい、今調べてやるよ。前金で100000Gだ」 懐から金を取り出したハイデッカに、兵は仰天して、
「隊長、払われるのですか?あんな法外な値段を!冗談じゃありません、おいじじい、」
「騒ぐな。払うだけのことはあるんだ。世界中を、一年前に売った石を探して歩いてみろ。百万Gかかっても見つからん」
「は、あ?」
兵はきょとんとし、老人は感心したように幾度もうなずいて、
「あんたはよくわかっとる。きょうび、珍しいおひとだな。わしらの存在の有り難さがわかってないそこのアンチャンみたいな馬鹿ばかりじゃ」
「なんだと!…あのう、隊長、ここは一体」
「いいから黙ってろ!お前が口を挟むと話が進まん」
ハイデッカはいらいらして、怒鳴った。気は長い方ではない。あまり、この新兵との相性は、いいとは言えないだろう。
しかし、しゅんとしてしまった兵を見たら、ティアに、そんなに怒っては駄目、と言われたような気がして、咳払いをすると、
「仕方のない奴だな。いいか、ここはな、過去において自分が売っぱらったものが、今現在世界のどこにあるか調べてくれる所なのだ」
「えーっ?そんなことわかるんですかあ?どうやって?」
「どうやってかは知らん」
「ええー…嘘でしょう。なんで、こんな田舎にいて、そんなことわかるんですかあ」
「…」
だが兵は、ハイデッカの思い遣りを自分で蹴飛ばすようなことばかり言って、結局再び怒鳴られ、店から追い出された。
「うっひっひ、お馬鹿な部下を持つと隊長さんも苦労するね」
「お前の知ったことじゃない」
「全くもってその通りだ」
老人は笑いながら、よれよれの札束を丁寧に数えた。二度、数え直してから、とんとんと揃えて、
「きっちり100000G。確かに。では見てみようか」
金をしまった金庫の隣りに無造作に置いてある、やたら分厚い、立派な河の装丁の古い本を取り出すと、どっすんと音を立てて机の上に置いた。
細心の注意を払って、老人は、そっとそっとページを指で探る。うっすらと額に汗が滲むころになって、老人は目を開けた。同時に、あっけなく、どこぞのページが口を開けた。
「あったね。ふう」
ページの上に顔を乗り出して、眺めながら、
「ははあ、あの益体もない厄介な洞窟で手にいれた石だね」
「そうだ」
これまた正式名称は知らないが、通称古えの洞窟と呼ばれている場所を言っているのだと、ハイデッカにはぴんときた。この世に洞窟が幾つ存在するのか知らないが、あそこ以上に厄介な洞窟は、存在しないだろう。
「成る程ね。やっぱり、その手の助平心を持ってる奴が必要とする場所で、必要とされるってことだろうな」
「すると」
「勘のいい隊長さんだね」
「グルベリックにあるのか」
老人はうなずきながら首を傾げるという、変な仕種をして、
「青い宝箱に入ってるもんなら、自分が見つけ出したものじゃなくても持ち込めると思い込んで買って、いざ入ってみたら持ち込めなかったんで、腹を立てて、洞窟を抜けてきてから叩き売ったのか、それとも…」
老人の続きの言葉を、聞きたいわけではなかったが、ハイデッカは黙って相手を見た。
ひやりとする笑顔になってみせて、老人は続けた。
「いつまで経っても戻ってこなかったから、宿代を踏み倒された親父が質に入れた荷物の中にあったのか、知らないがね」
憮然として、低く、
「感謝する」
「いやなに。隊長さん、あんた、あのくされ洞窟に入って出てきた人なのかね」
「やむを得ない事情で入ったのだ。二度と入らん」
「それがいいね。今生きていられることが素晴らしい奇跡なんだって、ちゃんと理解しているんなら、間違っても変な気は起こさない方がいいね」
「俺は近々結婚するのだ。これから、ひとりの娘を幸せにしてやらねばならんのだ」
言わずもがなのことをわざわざ言って、
「そんな人間が、最も縁のない場所だろう」
挑むように、老人を睨み付けたのは、
「ほほう。それはそれは…おめでたいことだね」
笑った相手が、やめろと言いながら、その裏で行けと言っているように聞こえたためなのか、実際これから当の洞窟の目と鼻の先へ行かなければならないためなのか、
それとも、結婚式の日よりも更に近い未来に迫った、己のとんでもない受難を予感したためなのか、本人にも、誰にもわからなかった。

まだ歳若い一兵卒は、ふわあ、と間の抜けた声を上げて、辺りを見渡した。つまり、質流れ島についた時と全く同じ動作をした。
大きな島ではあるだろうが、人が住んでいるのは、一ヶ所しかない。それも同じだ。全体に、剣呑な空気が流れているのも、共通している。街の入り口に立って、兵はふと山のふもとに口を開けている洞窟を見やった。どこにでもある、何の特徴もない黒い穴だが、兵は何故か、冷たい刃物を自分の手の届かない部分にそっと当てられたような恐怖を感じて、思わず声を上げていた。
街の中には、民家と思われる建物はなかった。何を売っているのかわからない看板の店が立ち並ぶ中、一番大きく目を引くのが、酒樽の積み上がった上に、チップ&ビルズという文字に夜光塗料が塗りたくられた店だった。酒場兼カジノなのだろう。いささかはげた夜光塗料は、昼の光の下で見ると、やけに汚らしく見えた。
兵はそっと割れた窓ガラスから中を見た。昼間から酔っ払って笑いこけている男たちが見える。ここでは昼も夜もないのかも知れない。
「随分、すさんだところですね。さっきの村の方がまだマシです」
「一攫千金というか、楽をして大金を掴もうという考えの奴しか、ここにはいない。そのために自分の命さえ失うかも知れんのに、あくせく働くよりはその方がいいのだ。放っておけ。自分の人生にも向き合えない臆病者たちだ」
「はいっ」
そう言われたことで、お前は違う、と言ってもらえたような気がして、兵は他愛もなく嬉しくなって、うきうきと歩き出した。歩き出してから、
そのために自分の命さえ失うかも知れないって、一体なんのことだろう?
かなり遅れて、その異様なフレーズに気づいた。それから、一攫千金て、ここでは金でも採れるのだろうか、と思った。口にしていたら、いよいよハイデッカの顔が落胆に歪むところだったろう。
ハイデッカは何件かの店に入り、人魚の秘石があるかと質問した。相手は振幅の差は有れど、皆びっくりした顔になってから、一様に悔しそうな顔になり、ないと答えた。この街のどこの店で売っているのか、聞いたところで答える訳がないから、それだけ聞くとハイデッカは店を出た。
細い路地を入ってすぐの店で、それ以上質問する必要がなくなった。
「おっほ、お客さん、どこで聞きつけなさったね。お耳の速い。本物さ。相手の水攻撃を半分にし、IPが溜まれば激烈な攻撃も仕掛けられる。神秘と美の石だ」
べらべらとまくしたてる男のすきをついて、兵が、あのうIPってなんですか、と間抜けな質問をさしはさんでくる。ハイデッカのこめかみに十字路が出来かけた。
「見せてくれ」
「ようがす。ほれ、じっくり見ておくんなさいよ。一生に数度もおがめない美しさだ。これなら竜宮の姫に送るにはぴったりの贈り物ですよ。お客さんの乙姫様にでもおくんなさいよ」
なおも続く口上を無視し、後ろを向くと、日光に透かし見た。
店の主人はにやにやしながらその様子を見て、でくのぼうめ、鑑定のできる風体には決して見えないよ。格好つけるんじゃない。馬鹿め。綺麗なガラス玉がお前にはお似合いだ…
「これは贋物だ」
くっきりと、ことさら大発見という様子でもなしに言い捨てて、カウンターに放る。
「いくらきれいでもガラス玉だ。いらん。本物はどこだ、店主」
「う、あ、」
あまりのことに、口がきけない。さっきまでの奔流のようなおしゃべりはどこへいったものか、口は空しく開いたりしまったりするだけだ。兵は呆然として、ハイデッカの横顔を見詰めている。
「間違えたのだな?店主。でなければ、俺を謀ろうとしたのか?贋物と知った上で売ろうとしたのか?どうなのだ」
徐々に、口調に凄みが増してくる。それについて店主の顔色が、どんどん鉛色になってゆく。
「ま、間違えたのでございます!謀ろうなどと、滅相もない!間違えたのでございますよ!いま、今すぐ、ほ、本物を」
「で、あろうな。そうだろうと思っていた」
にやりと笑って、店主の慌て振りを眺めている。大慌てで棚の下をさらうと、似たような石を探し出し、捧げ持った。
「こっこここれでございます」
「今度こそ本物だろうな」
「神に誓って」
「そんなものに誓わなくてもいい。貴様の首に誓え」
吐き捨てて、さっきと同じように、水色に透き通る石を、日光に透かした。
ハイデッカの緑の瞳の中に、水色の波が揺れる。さざなみが寄せて返し、小さな雫が宙に舞って、きらきらと落ちる。
ティアの濡れた髪が、風に吹かれたなら、きっとこんな風に…
「うむ。本物だ」
店主の顎ががく、と落ちた。兵の口が、段々開いていく。兵はさっき放られたガラス玉を拾い上げて、ハイデッカの手の石と見比べた。
色も、大きさも、輝きも、なにもかも同じだ。なにもかも。どこが違うのか?兵には、蟻二匹を見分けるのと同じに思えた。
「よかったな、店主。今度、違っていたら、少々厄介だったぞ」
物騒なことを言い、がっはっはと高笑いする。鉛色の店主は、はあ、とかすれた声で呟き、おそらく永い商売人生活の中で一番、正当な値打ちに近い値段を口にした。この上でふっかける度胸はなかったと見える。
ばらばらと硬貨をカウンターの上に重ね、
「多い分はとっておけ。邪魔した」
さっと踵を返して出て行く。兵は二三秒、ぼうーと見送っていたが、はっとして後を追った。
「ちょっとあんた、それ」
呼び止められて、自分の手のガラス玉に気がつく。振り返ると、
「これか。俺に売ってくれ。値段は」
ぽんと、硬貨を放った。
「こんなもんだろう。なにしろこれはガラス玉なんだからな」
苦虫をかみつぶした顔の店主に、兵は厭な笑い方をしてみせて、走り出た。
少し先をゆくハイデッカの背に追いついて、興奮しきった声を上げる。
「隊長!宝石の鑑定もなさるなんて、もう感激です!素晴らしい!おれには同じにしか見えませんよ!いや、俺もう、感動しちまった」
「鑑定なんぞ出来んぞ」
「何をおっしゃいます。現に今だって、鑑定家顔負けだったじゃないですか。店主のやついい気味だったなあ。あれは絶対わざと贋物を売りつけようとしたんですよ」
「他の石に関しては、ガラスもダイヤも区別はつかん。本物かどうかわかるのはこの石だけだ」
手の上で輝く石を指し示す。
「この石だけ?」
「そうだ」
仕方ない。売るしかないよ、皆。
「これだけは、絶対に、いつどこで手にしても、本物と見分けなければならないからな」
お前に頼む。いつか、必ず、買い戻す。いつか、何もかもが終わったら、これを、
見つめる瞳。意志と情熱と、深い思いやりと温かさに輝く黒い瞳が、俺を映して、
この宝石のような色の髪をした娘に、やってくれ。頼む。
「約束したのだ。必ずかなえてやるとな」
たとえ彼女が望んだ形でなくても、男は、昔も今も変わらない温かさで、水色の輝きのことを思っているのだ。水のような純粋で汚れない魂の娘を。
懸命に、宝石の輝きを、目に焼き付ける自分が見えた。覗き込んだ時、これと同じ感慨が、俺の胸を満たす石。…いつどこで取り戻しても、わかるように。
脂汗をにじませて石を見つめ続けるハイデッカを、男は、感謝と友情を込めた眼差しで、見つめていた。
石の輝きを、心の中の決して消えない部分に焼き付けてから、ハイデッカは男にうなずいた。その時、炎の槍を携えた女が、向こうから、
早く、引き換えの石を渡せってうるさいのよ。持ってきて。
夫を呼ぶ妻に、今いくと答え、最後にもう一度、ハイデッカにうなずきかけたのは、何だったのか。何だったとしても、
今はもう、石を探せるのは、俺しかいない。石を見分けるのも、俺しかいない。
今では、
「あいつの願いをかなえるのは、俺しかいないのだ。…今では」

「隊長、あのう、」
兵の不安そうな声に、我に返った。ぶつぶつ言いながらぼんやり石を見つめていたらしい。咳払いをして、
「うむ。何でもない。さて、戻るか」
「…はい」
兵は中途半端に、顎を突き出すようにしてうなずいた。
その時、向こうの通りで、大勢の叫び声と、ガラスの割れる音がした。
声に混じる切迫したものを感じ取って、ハイデッカは一瞬後に駆け出した。兵も慌てて後を追った。
裏通りから表へ出る。どうやら酒場で何かあったらしい。角を曲がって、あっと思った。
一人の男が、女を片腕に抱え込んで、じりじり下がっていく。もう片方の手には短刀が握られ、女の首筋に刃先が押し付けられていた。
「ま、待て。落ち着け」
「話をしよう。なあ、あんた、話を聞けよ」
「うるさい」
男が絶叫した。理性がどこかへ行っている声に、ハイデッカはふっと口元を引き締めた。
「どいつもこいつも馬鹿にしやがって…そんなこと最初からわかってる!恥をしのんで買い戻しに来たのに…畜生!」
「わかったわかった、誰もお前を笑いやしない。お前の辛い気持はよくわかるよ。わかるからこそ笑ったんだよ。なあ」
「そうだ。俺たちも質屋にかけあってやるよ、だからその剣を置け」
皆はひきつる顔をなんとか笑いの形にしながら、懸命に宥めているが、男の耳には入らないようだ。それに、
「離してよ、この馬鹿!あたしが何をしたのよぉ!離してってば!」
腕の中でもがく女の存在が、余計に男を興奮させていく。
しかし男はあまり腕力に秀でたタイプには見えず、体格のいい女が暴れると、押え込むのには苦労するようだ。人質にするには少々不適当な相手だったらしい。男がちょっと皆から視線を外した隙をついて、一人が飛び掛かろうとした。しかし男に気づかれてしまった。
「来るな!殺すぞ!」
絶叫し、ぐいと刃に力を込めた。刃先は女の頬に食い込み、一筋血が流れた。女が悲鳴を上げた。
追いつめられた男は、女をひきずって、街から出ていく。皆遠巻きにしながら、同じ距離を保ちつつ、ついていく。他にどうしようもない。男の方にしても、街から出た所で島自体がさして大きくもなく、逃げ込む森がある訳でもない。唯一の港は街の中だ。男の目が必死に辺りをさ迷い、そして洞窟の入口を見た。
入ったら、ある意味、死ぬよりつらい目に遭う、洞窟に、男は向かっていった。
「おい、あいつ、いにしえの洞窟へ行くぞ!」
「馬鹿が!おい、止めろ、誰か!やめろ、あんた!やめんか」
皆が追う足音が高くなり、男は更に必死で逃げ出した。洞窟の入口まであと少しだ。男の靴と、無理矢理走らされている女の靴が、回りより一段高くなった石の段に赤く描かれた紋章を踏んで、通過した。
それが、古い言葉で帰還や脱出を意味する紋章であることに、男は気づかなかったが、ほんの前まで来てやっと、洞窟の奥から吐き出されてくる瘴気のような気配に当てられて、足を止めた。
中は単なる闇ではない。そのことだけ、なんとか辛うじて気づいて、躊躇した。だが、自分がとんでもない力のすぐ側まで来ていることに、気づくには、遅すぎた。
洞窟の闇の彼方から、光がやってきた。
「まずい!洞窟が開くぞ」
「馬鹿、逃げろ!」
「駄目だ。もう間に合わない」
光は、意志があるかのように、男と、人質の女の体を掴んだ。街の連中が口々に、絶望と諦めの声を上げた。
「やだ、なにこれ!いやあ、助けて」
女が悲鳴を上げた。
「くそっ」
思わず、ハイデッカは飛び出していた。ティアの、安らかな、優しい笑顔、涙をいっぱいに溜めて、なんとか微笑みながら自分を見つめている顔、ちょっと拗ねてみせて、でもやっぱり笑ってしまう、愛しくて愛しくてたまらない顔が、ハイデッカの内側で大切な宝石のように輝いた。
今生きていられることが素晴らしい奇跡なんだって、ちゃんと理解しているんなら、間違っても変な気は起こさない方がいいね。
今でははるか遠くの、質流れ島のじじいの言葉に、絶望的な返事を胸で叫ぶ。
誰が好き好んで、こんな事に、首を突っ込むものか!だが止むを得んのだ!
「隊長!」
兵の絶叫が耳に届いた時、ハイデッカの手は、恐怖と驚愕で歪んだ男の二の腕を、しっかり掴んでいた。次の瞬間、視界が真っ白になる。暴力的な、圧倒的な力が、三人の体を圧し包んだ。皆、あまりのまぶしさに目を覆った。
どのくらいたってからか、光が去り、皆が手を下ろした時には、三人の姿も消えていた。後には、知らぬ顔の洞窟の入口が、黒々と口を開けているだけだった。
「た…隊長」
兵が、ふらふらと近寄ろうとするのを、回りが慌てて引き止める。
「馬鹿、あんたまで吹っ飛ばされたらどうするんだよ」
「吹っ飛ばされ…」
その単語に兵は脅え、喉を鳴らして、
「隊長は、一体どこへ行かれたんだ」
「あんた、あの洞窟のことを知らないのか?」
「知らない」
今では子供のようになってしまった兵に、連中はため息をつき、
「そうかい。知らないのか」
「知らないなら仕方ないね。あいつだって、もし噂だけでも聞いていたら、まさか逃げる先にあそこは選ばないさ」
顔を見合わせながら、三々五々散ろうとしている人々に向かって、兵は叫んだ。と、言うよりも、今の兵に出来ることは、うろたえて叫ぶことだけだった。
「教えてくれ。一体何なんだ?隊長は、どこへ行ってしまったんだ」
「教えたくないね。あんた泣き出すだろうから」
「あんたがパニック起こして暴れだしても、相手はしてやれないからな」
その返事で、兵は既にパニックになりかけた。一人が、気の毒そうな、半分笑うような調子で、
「しかしまあ、あんたの上官も、何を考えていたんだか。一生分の貧乏籤を引いちまおうとでもしたのかね。どうなんだろうね。真似はできんな。したくもない」
そう言ったのを最後に、街の連中はぞろぞろと戻って行ってしまった。
去っていく背中のいくつかをおろおろと追いかけ、しかしなんと質問したらいいのかわからず、それに真実を知らされるのが恐ろしく、何も出来ないでいる間にその場に置いてけぼりにされた兵は、暫く泣きそうな顔で立っていたが、やがて大急ぎで懐に入っていたスィングウィングを宙に投げて、情けない声で叫んだ。
「バウンドキングダムゥ!」
兵の、泣き出しそうなかすれ声が、街に入って行く人々の耳に、ごく僅かに届いた。

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