閃光が消えた。
閉じていた目を開け、素早く身を立て直して、四方を見回す。
そこは、やや広い、四角い部屋の真ん中だった。ごつごつした石が敷き詰められ、積まれ、四隅はなんとなく湿っているように色が濃い。天井ははるか上だ。
すぐに襲いかかってくる敵がいないことを見て取ってから、ハイデッカは側にいる二人に目を移した。二人とも頭を抱え小さくなって転がっている。
「おい、お前たち」
声を掛けると、二人ともびくっと震えてから、そっと顔を上げた。
二人の目には、先刻、わけのわからない光に捕まる寸前、群集の中から走り出て駆け寄ってきた、背の高いがっちりした体躯の戦士が、憮然とした表情で自分たちを見ているのが映った。しかし、さっき見た時と、何か違う。何が違うのか?
それはすぐにわかった。戦士は、下半身の簡単な肌着以外、何も身に付けていなかった。つまり、寝て起きた時のような格好をしているのだった。
「なあに、あんた。何でそんな」
笑いながら言いかけて、はっとし、続いて悲鳴を上げた。自分もスリップ一枚だった。
「うるさい、騒ぐな。一枚着ていただけでも良かったと思え」
「一体、」
男はさすがに悲鳴は上げなかったが、黙って自分のパンツ一丁の姿を見ている。パンツを、というより貧弱な自分の肉体を見ているようだ。
ハイデッカは苦々しく、男に向き直った。
「とんでもないことをしてくれたな、男」
声に込められた怒りに、反射的に脅えてから、男はなんとか空威張りの表情に戻って、自分よりずっと上背のあるハイデッカをにらみつけた。
「俺が…何をしたって?俺はただ、あの街の奴等への腹いせに、ちょっとびっくりさせてやろうとしただけだ。あんたこそ、こんな所につれてきてどうする気だ」
「あんたがここに連れてきたの?ここはどこなのよ。早く元の場所に戻して」
「ここに連れてきたのはこいつだ」
説明するのも億劫そうに、そこでため息をつきかけて、なんとかそれを堪え、
「ここはいにしえの洞窟の地下1階だ。こいつがさっき、あんまり洞窟の入口に近づいてしまったために、中に入ってしまったのだ。
いにしえの洞窟のことを、知らんのか、お前ら」
男は黙って首を振り、それからそれが女のような動作だと思って、口を開き、精一杯虚勢を張って言った。
「知らないね」
女は眉にしわを寄せ、それから眉間にしわが刻まれるのを恐れてか慌てて伸ばし、
「あたしここの酒場に来て間がないのよ。いにしえの洞窟って、さっきのアレでしょ?あの変な穴はなにって聞いても、みんな薄笑いを浮かべてバカみたいにそっぽ向いて、教えてくれなかったの。だからわからないわ」
「そうか」
そこで、ついに耐え切れず、息を吐いた。絶望と焦燥のため息だった。
しかし、彼の心は、男と女には全然伝わらなかった。
「ちょっと、勿体つけてないで、早く戻してって言ってるでしょ。第一なんでこんな格好してんのよ。あんたが脱がせたの?冗談じゃないわ、出口はどこ?地下1階なら、上へ上がる階段があるんでしょ?どこよ」
たたみかける女の言葉を、途中からは顔を上げて、聞いていた。覚悟を決めなければならない。
どの道、方法は一つしかないのだ。こいつらが承諾しようとしまいと、その道を選ぶしかないのだから。
ぐっと拳を握る。その握力が、以前の…数分前の、半分以下に落ちていることを、奥歯を噛み締めて思い知ってから、拳と口を開いた。
「落ち着いて聞け。いいか。黙って最後まで聞け」
女は再び眉にしわを寄せ、今度はのばさなかった。ハイデッカの声の重さに、今ようやく気づいたらしい。男は空威張りの顔の下に、小心で脆弱な本性を覗かせながら、二人を見比べている。
「お前の問いにすべて答えると、現在我々が置かれている状況全ての説明になるだろう。…
今すぐ、地上へ戻ることは、出来ない。
この洞窟へ入った時には、所持している一切の武器、防具、道具、会得している魔法を失う。今俺たちが身につけているのは、防御力という観点においてゼロとみなされる衣服だけだ。ついでに言っておくと、瞬発力持久力といった体力の全ては、成人前くらいまでに戻る。
そして、ここにあるのは、全て下へ向かう階段のみだ。上へは行けない。故に、地下1階ではあるが、地上への階段というものは存在しない。つまり…厳密な意味で、出口はない」
ハイデッカは口を閉じた。しかし男も、女も、何も言い返さず、黙ってハイデッカを見ている。まだ続きがあると思って待っているのか、現状のあまりの悲惨さに声も出ないのか、それともただ呆然としているのか?
どうやら、その全部だったらしい。その後少し経って、引き絞るような悲鳴を、女が上げた。
「冗談じゃないわよ。それで?どうやったら出られるの?まさか、まさか、二度と…」
それ以上言うのは恐ろしくて出来なかったらしく、自分の口を覆って、目だけでハイデッカに訴えている。二度と出られないんじゃないでしょうね?
「楽勝で出られるとは、俺は言えん。下手すれば、」
「言わないで」
顔を覆ってしまった。泣き出すのかと思ったが、すぐに、激しい感情を両眼に込めて、ハイデッカに詰め寄った。
「どうすれば出られるのよ!それだけ言って、今すぐ!」
「地下20階より下で、天への祈り、という像が、宝箱に入っていることがある。それを宙に掲げ念じれば、戻れる」
「地下…20階?」
喜びと、絶望が、女の顔をさまざまに塗り替えた。女の耳には、壁の向こうを這っている、なにか、厭な音が聞こえているのだろう。なにかは正確にはわからなくても、大体なにかはわかる。あれがうろうろしている中を、地下20階まで降りるのか?
「なんてこと…そんな、ひどすぎる…他には、ないのね、他に助かる方法…」
うめき声は一本調子に流れた。独り言のようにも、ハイデッカに尋ねているようにも聞こえて、少し考えたが、
「ない」
律義に、残酷に、答えてやった。
不意に、女が男に駆け寄って、思い切り顔を張った。男は避けることは出来ず、すさまじい一発を食らって、鼻血を吹いた。容赦なく二発目がヒットする。続いて三発目。
「その辺で、やめておいてやれ」
億劫そうに呟いて、七発目を放とうとした手首を後ろから掴む。しかし、女とは思えない力で振り払われ、結局七発目は、男の顔に見舞われた。それをくらった所で、男は後ろへひっくり返って、後頭部を打った。女は上に馬乗りになって、新たな七発セットに取り掛かり始めた。
重い平手打ちの音を聞きながら、ハイデッカは自分の掌を見た。
俺の手が振り払われた。女の動きを止めることができないほど、力が落ちているのか。
無論、女の力とて、かなり落ちているはずなのだ。しかし、火事場の馬鹿力というやつなのだろう。ものすごい怒りが、女の力を桁外れに上昇させているのだ。よくあることだ。多分。
結構、女に力で負けたことが、ハイデッカにはショックだった。何とか自分を奮い立たせ、気持ちを落ち着けてから、腹に力を込めて、
「もう止めろと言っているんだ」
今度は、掴んだ手首は外されなかった。女も殴り疲れたところだったのだろう。案外大人しく、殴るのを止めて、ふらふら立ち上がった。床に倒れた男の顔は、先刻から見ると2倍くらいに腫れ上がって、鼻と口から血が流れていたが、可哀相だとはさすがに思わなかった。
「あんたのせいよ…あんたのせいだわ。どうしてくれるのよ」
最後は涙でぐじゃぐじゃになっている。
「今すぐ戻して!あんたが連れてきたんでしょう。あんたが戻しなさいよ。早く」
出来ないって言ってるじゃないか、とか何とか、強がったことを言うのかと思いきや、男は何も言わない。見ると、人間離れした顔で、めそめそ泣いていた。
うんざりする。泣きたいのはこっちだ。
「いい加減にして立て。何とかして地上に戻るぞ」
少し、周囲を見ようと思い、部屋の出口の方へ行こうとすると、女が叫んだ。
「ちょっと待って、ねえ!ここ、ここから、なんとかして上へ行けないの?あの天井の向こうは地上なんでしょう?ここが一番地上に近いんでしょう?ここから離れるのは厭よ」
「いくら近くても、戻れないなら、同じことだろう」
「あたしたちが洞窟の中に入っちゃったこと、皆見てたのよ!助けにきてくれるわよ、きっと!もうすぐあの天井に穴が空いて、縄かなんか下ろしてくれるわよ。あたしここを動かないわよ」
そんなことをする奴が、あの街に一人でもいたか、と思う。しかし、そのことは言わず、
「ここは、地下1階とは言ったが、言わば別空間なのだ。地面を掘ったらその下に居るような、理路整然とした造りではないのだ。だったらとっくに地上への抜け穴ができているはずだろう」
「なによあんた、さっきから!諦めろばっかり言うのね!あたしが死ねばいいと思ってるの?」
「そうだ。俺たちが苦しんでいるのを見るのが楽しいんだろう」
めそめそ泣きながら男が加勢する。
馬鹿馬鹿しくて、何も言う気になれない。もう、何もかも投げ出したくなる。だが、それはできない。こんな所で死ぬ訳にはいかないのだ。
あの時はあいつらが居た。歴戦の猛者が二人と、女だてらに鞭と長剣を扱い、もし魔法を拾えたならそのほとんど全てを使いこなせる奴が一人。そして、この俺。
あの四人でも、最後の頃はギリギリだった。戻った時は四人とも半死半生だった。
今は、俺一人なのだ。果たして、戻れるのだろうか?
しかし、その問いは頭から追い出した。考えてみたところで、わかる訳がない。ただ死力を尽くすのみだ。
「何でもいいから、立て。生きて地上に戻りたいなら、前進するしかないんだ」
それから随分経ってから、女と、男は、肩を落とし鉛色の顔色をしながら、ハイデッカの前に立った。
「よし、俺はハイデッカだ。貴様は」
「ル、ルーイ…」
男が、涙をのみこみながら答えた。
「ルーイか。お前は?」
「あたしはララよ」
女の方がまだしっかりしている。恨みがましい目つきで、二人の男をかわるがわる睨み付けている。
「うむ。ララ、ルーイ。なんとしてでも地上へ戻る。いいか、腹をくくれ。地下20階の天への祈りを見つけるまで、決して諦めるな。わかったな」
少しきつく、言い渡す。
「わかってるわ。当たり前じゃない。しっかり守ってちょうだいよ」
女が噛み付いた。男は返事をしない。
「わかっている」
答えて、向き直ろうとし、気づいた。かたくかたく握り締めた、自分の右手。中にあって息づいているものは、青い宝箱に入っていた秘石だ。
ふ、と息をついて、一度目を閉じた。ティアの、汚れない、温かい笑顔が、いっぱいに広がって、自分を励ましてくれているように思えた。
大丈夫だ。必ず戻る。俺は、君と約束した。決して死なない。
目を開けて、女を見た。化粧のはげた、脅えと怒りで震える顔に、
「これを貸しておいてやる」
突然、何か手渡されて、女はびっくりした。文句を言いかけて、自分の手のひらの上で輝いている青い宝石の美しさに声を失う。
「綺麗…なに、これ」
「人魚の秘石というのだ。持っているだけで、飛躍的に防御力が上がり、敵の水攻撃を無効化する。IPが溜まると…いや、いい」
間抜けな部下の問い掛けが耳元に蘇る。あいつはあの後、どうしたのだろうか。
ララは石の美しさに夢中だ。さっきまで出口がないと泣き喚いていたことなど忘れたかのようだ。と、石が一回きらっと輝いて、透明な、薄い薄いヴェールのような輝きが、女の体を包み込んだ。
「わあ、何、今の」
「水の力で張るバリアーのようなものだ。それで物理攻撃も、魔法攻撃も防ぐ」
「よこせ!」
突然ルーイが叫んで、女に飛び掛かった。
「何すんのよ!」
「うるさい」
突き飛ばして石を奪い取る。しかし、その瞬間、石からあふれていた輝きは消え失せ、ただの綺麗な宝石に戻ってしまった。
「言っておくがな、その石は女しか装備できない。お前が今のようなことを考えても無駄だぞ」
ハイデッカは妙に静かに言って、呆然としている男の手から、石をもぎ取った。ハイデッカが殴るまでもなく、女のビンタが再び炸裂した。頬を押さえて向こうを向いているルーイに、
「本当にあんたは、根性の腐ったクソ野郎ね。ふん、いいからこいつを置いて、あたしたちだけで行きましょうよ。ここに逃げ込んできたんでしょ。なら出られない方がいいんじゃないの?」
罵られて、ルーイは再度肩をひくつかせ始めた。
「もういい。止めろ。体力は温存しろ」
「べーだ。馬鹿…それにしても綺麗な石。これあたしにくれるのね?有難う」
「やるんじゃない。貸すんだ。地上に戻るまでの間だけだ」
「えー、そんなこと言わないでさ、頂戴。こんなに綺麗な石初めて見たんだもの。嬉しい」
うっとりと、あるかなしかの光に、秘石をかざして見蕩れている。
突然男が耳障りな大声でわめいた。
「このブタ女!宝石が貰えるなら、地下墓場でも嬉しがれるんだな。どうせお前はその石を持ったまま、魔物に食われるんだからな。ざまあみろ」
「何だって?誰のせいでこんなことになったと思ってるのよ。そんな口がきける立場なの?」
怒鳴り返しながら、魔物に食われる、というフレーズに女はかなり動揺した。青ざめて、何か言い募りかけ、やめて、それから不安そうにハイデッカを見た。
「うるせえ、女め!女なんてのはどいつもこいつも、金目のものさえ貰えりゃ嬉しがって尻を振って付いていく馬鹿な動物だ。ふん、なんだよ。文句があるのか?俺の女だけは違うとでも言うつもりかよ。馬鹿め、お前がこのまま二度と出てこなきゃ、お前の女はあっさり他の男とくっついちまうんだ。お前のことなんぞきれいさっぱり忘れて、生娘みたいな顔でよ、お前の下じきになって声を上げてたことなんかまるきり知らない顔で」
ごん、と音がした。
ハイデッカの一撃をくらった男が、壁に激突した音だった。いや、ハイデッカの一撃が当たった音の方かも知れない。どちらにしても、男は左右で眼球の向きを変え、何も言わなくなった。
ララは手で口を覆って、その光景を見つめていた。秘石だけは、もう片方の手でしっかり握っていたが。
床に長くなった男を、ハイデッカは担ぎ上げながら、
「いつまで経っても出発できそうにないからな。黙らせた。戦力になりそうもないし、丁度いい」
平坦に呟いて、一回揺すりあげると、すたすたと出口に向かい、ララを振り返って、
「行くぞ」
「う、うん」
慌ててハイデッカの後に追いついた。
扉を開ける。その部屋は、今迄居た部屋よりずっと広く、向こう側の壁際には宝箱が点在し、そして魔物の姿もあった。さっきからずりずりといっていたのは、あの巨大なイモリが這う音だったのだろう。
「いやだ…ねえ、倒せる?倒せるわよね?」
脅えたララの声に、
「大丈夫だ。こちらから出向いて倒してくるから、お前はこいつを見ながらここに居ろ」
どさりとルーイの体が下ろされる。
「いやよ、他の奴が来たらどうするのよ」
「大丈夫だ。回り込ませるようなことはせん。じっとしてろ」
言い捨てて、だっと駆け出す。数匹の魔物はハイデッカに気づいて、ずるずると向きを変える。悲鳴を上げそうになって堪え、なるべくルーイの陰になるようにしながら、成り行きを見守った。
息を吸って止め、力を全て肘にのせ、相手の急所に叩き込む。武器がない時の戦い方も、無論日々常に鍛練している。ちょっとばかりパラメータが下がったくらいで、こんな雑魚にはてこずらない。あっと言う間に数匹全てを片づけて、戻ってきた。
「あんた…強いんじゃない。なあんだ、大丈夫ね。地下20階まで、軽いんでしょ?」
「そううまくいけばいいんだが」
渋い顔で言って、ルーイの体を再び担ぎ上げ、歩き出す。ララは後を追う。
宝箱を開けてみると、中にはなめし皮の鎧と、ドレスが入っていた。
「良かった!あんまり可愛くないけど、素肌剥き出しでいるよりはずっとマシよね」
はしゃぎながらドレスを着て、ふと気づくと、ハイデッカは上半身裸のままで、扉の向こうを探っている。えっ、と思って見ると、気絶しているルーイが体に合わないでかい鎧を着て、相変わらず目を回している。
「ちょっと、あんた、どうして着ないのよ」
「ここらの敵なら大丈夫だ。次に防具が出てきたら俺が着る」
戻ってきて、そう言うと、ルーイを担ぎ上げ、歩き出した。
次の部屋にも、数匹の魔物と、宝箱が一個あった。戸口にララとルーイを置いて、魔物を全滅させると、ついでに宝箱を開けている。ララは慌てて、ルーイをぶん投げると、駆け寄った。
「なに?何かいいもの入ってた?」
ハイデッカが取り出したのは、やはり皮の兜だった。
「なあんだ。あたしには無理だわ、重いし大きいし、前が見えなくなるもの」
「そうだな」
兜を持って、気絶しているルーイのところへいくと、それを無造作にかぶせてやる。ぐらぐらと首が揺れた。後ろから見ていたララが、口を尖らせて、
「ねえ、それ、あんただってかぶれるんじゃないの?」
「え?ああ、うん。いい」
あ行の練習のような唸り声を上げただけで、ハイデッカは再び、重装備になってきた男を担ぎ上げると、次の部屋を目指した。右の二の腕から、血が一筋流れているのを見て、ララはちょっと驚いてから、回りを見回した。しかし勿論、血を拭ったり傷に巻く布がある筈がない。
「ねえ、痛くないの」
「何がだ」
「それ…」
そっと指差す。指差されたところを見て、ああ、という顔をする。
「このくらいならエストも要らん。大丈夫だ」
あっさり、首を振って、向こうを向いてしまう。
「なによ、心配してやったのに」
聞こえないくらい小さな声で、ララは呟いた。ただ心配しただけで、傷に巻く布を作るために自分の服を裂かなかったと思う気持ちが、声のボリュームを落としたらしい。
次の部屋には、ふたつのものが存在した。一つは手足が生えて歩き回っているキノコ、もう一つは下へ向かって口を開けた階段だった。
「あれ…地下2階への階段なの?」
「そうだ」
キノコに蹴りを入れ、粉砕する。最後に撒き散らす胞子を吸わないように気をつけながら戻ってきて、
「もうこの階には何もない。降りるぞ」
やはり、どうしても躊躇した。ここが地面に一番近い場所、と思う気持ちが、決心を鈍らせる。
「降りるしかないの?」
「さっき説明しただろうが。忘れたのか」
「忘れないわよ、たかだか数十分前のことじゃない」
わめいてからあっと思う。地下1階をうろつくだけで数十分が過ぎた。一体、地下20階にたどりつく頃には、どのくらいの時間が経っているのだろう。食料も水もないのに。
「大丈夫だ」
ララの、徐々に恐慌に陥りかけていく表情で、何を考えているのかを見て取ったらしい。自分でも、数分前に疑いかけたことを、保証してやる。半ば無理矢理にだが。
「俺がなんとかする」
気休めを言わないで、と言おうとして、なぜだかそれは止めた。俯いて、震えてくる唇を無理に噛み締めて、なんとかうなづく。 ハイデッカは、ルーイを担ぎ、ララを従えて、階下へ降りた。
足が、地下2階のフロアを踏んだ途端、厭なものが背中を撫でて消えた。振り返ると、たった今降りた階段がきれいさっぱり消滅している。
張り裂けそうな目で、階段のあった場所と、穴も何もない天井を見つめているララに、
「あいつらを倒してくるから、ルーイを見ていろ」
慌てて振り返る。そこには、上に居たのと色が違う、変に黄色いムカデが、耳障りな鳴き声を上げていた。上の奴より強いということは、ララも知っていた。
お願いよ。軽々と倒して。上の奴の時と同じか、もっと簡単に倒して頂戴。ここはまだ地下2階なんだから!間違っても苦戦なんかしないで!
ともすると悲鳴を上げて泣き出しそうになる気持ちを、懸命に堪えながら、ララはしっかりと石を握り締め、掲げ持っていた。

門のすぐ外の広場に、降って涌いた兵を見て、門番は目を丸くした。
「おい、お前、どうした?何があったんだ」
「た、た、たい、たい、たい」
口をぱくぱくさせながら、兵はもつれる足で城の中へ駆け込んだ。大変だ、と言いたいのか、隊長が、と言いたいのか、自分でもわからない。誰に報告したらいいのか。こんな一兵卒が王にまみえるなど不可能だ。誰に報告すればいいのだろう。それを誰に聞けばいいのだろう。いつもは何でも隊長に聞いている。隊長が居ない時は、どうすればいいのか…
どん、と誰かにぶつかった。兵は簡単に跳ね返って、地面に転がった。
「おっと、御免よ。大丈夫かい」
ぶつかった相手は、別段ふらつきもしないで、近づいてくると手を貸してくれた。その手にすがって、相手の顔を見る。
ガイが、不思議そうな顔で、兵を見ていた。
「何だよ、ひでえ顔色だな」
「どうしました。怪我でもなさったのですか、その方」
静かな声がして、ガイの後ろから、すらりとしたマント姿が現れた。
「ガイさんと…あなたは、アーティさんですね?辺境一の戦士で…エルフの里の長で…隊長と、お友達の…」
「お友達はよかったな。まあくされ縁てやつだな」
磊落にわらった顔に、隊長と通じるものを見て、兵は泣き出した。
「おいおい、兵隊さんよ、どうしたんだ。しっかりしてくれよ」
びっくりして、助け起こす。上体を起こした姿勢で、兵はおんおん泣きながら、必死で叫んだ。
「お願いです、お二人とも、隊長を、隊長を助けて下さい」
「隊長?」
「ハイデッカに何があったんだ」
二人の声に緊張がある。兵の乱れ方の中に、ただならぬものを感じ取ったらしい。
「隊長が、事故で…いにしえの洞窟というところに、入ってしまったんです」
「なんだと」
今度こそ、ガイの声が割れた。
アーティは何も言わないが、顔が青ざめていく。二人の様子に、いよいよ兵の絶望は深くなってゆく。この、四狂神さえ倒した、地上で一番強い二人の男がこんな風になるようなところに、隊長は行ってしまわれたのだ。
「どうしたら、いいでしょう。王に報告して、軍隊を出してもらいましょうか」
ガイとアーティが居てくれるなら、王に謁見も可能だろう。そう思って兵は尋ねた。
ガイは素早く回りを見た。中庭には誰もいない。門番がずっと向こうで、首を傾げながら覗き込んでいるだけだ。
「それはしなくていい。と言うより…騎兵や戦車で、なんとかできる問題じゃないんだ。ただ心配をかけるだけだから」
兵は脅えた顔でガイを凝視している。
「詳しい説明をしてくれ。なんだってあいつは、そんな馬鹿な真似をしでかしたんだ」
「ガイ、どこか別の場所で話しましょう」
アーティに言われ、そうだな、と答えてから、
「よし、手っ取り早く、現場へ行こうじゃないか。アーティ、頼む」
「わかりました」
アーティは手を延べた。その手を掴み、もう片方の手で、すぐに座ってしまいそうな兵の肩を掴んで、
「しっかりしろ。今からいにしえの洞窟の側へ行くから」
「は、はい」
涙を拭いながら、兵は辛うじて返事をした。ガイがうなづいてやった時、
「スィング」
アーティの小さな声がした。
ふ、と回りが廻って、転びそうになった。慌てた時には、ついさっきまで居た洞窟の前に、立っていた。兵は脅えて入口から離れた。
「間違いないな?ここから中へ入っちまったんだな?」
「そうです。入ったというか…そこの奥から、光がやってきて、男と女のひとを捕まえて、」
「何?ハイデッカの奴じゃないのか」
「ええ、どこかの誰かだったんです。消える寸前隊長が駆け寄って、で三人一緒に消えてしまって」
ガイはアーティと顔を見合わせ、それから兵に向き直った。
「何があったのか、説明してくれ」
「はい」
兵は小さく息を整えてから、自分の知る限りのことを話した。
昼前の鍛練を終えて、弁当を食べていたら、隊長が来て、手が空いているのはお前だけかと尋ね、そうですと答えたら俺の伴をしろと言われた。一人で済むことだが、単独行動は禁じられているから、一応お前を万が一の時の目付け役に連れて行くと。(実際、そうなった訳だけれども)
最初に、質流れ党とかいうところに連れて行かれた。党というけれども別に組織でやっている感じはしなかった。
「それは質流れ島でしょう。シマの字を入れるんですよ」
あ、そうでしたか。道理で変だと思いました。
そこでとんでもない額の金を払って(多分、あれは隊長の所持する金の大部分だと思う。いくら隊長でもそれほど大金の給料が払えるほど、バウンドキングダムは裕福ではないし、隊長は金を貯め込むタイプの方ではなかったので)にんぎょのひせきというものの有りかを探ってもらっていた。
「人魚の秘石だと?」
ガイには、聞き覚えのある名前だった。きれいなもんだなあ。でも、男は嫌いみたいだぜ。相手にしてくれねえや。
はは、だってそれは人魚の石だ、人魚には男はいないんじゃないのか。
え?いるだろう?下半身が魚の男…やっぱりいないか。
「そいつは、確かアレインで」
ええ、隊長もそうおっしゃっておいででした。一年ほど前アレインで売ったって。それが今あるのがグル、ええと、グルグル…
「グルベリックだな」
そうです。そこにあるって。なんでわかるんだか知りませんけど。で、ここに来て、あのう、ここがグルベリックなんですか?はあ、そうですか。で、隊長は店を廻って、にんぎょのひせきはないかって尋ねて。あっ、で店の親父が贋物売りつけようとしたんですけど、隊長はお見事に贋物だって見破られて。気分良かったですよ。でちゃんと本物を買って、鑑定もなさるんですかって聞いたら、
「他の石に関しては、ガラスもダイヤも区別はつかん。本物かどうかわかるのはこの石だけだ」
でも、店主が出してきた石とは全く同じだったんですよ。絶対謙遜ですよ。
「これだけは、絶対に、いつどこで手にしても、本物と見分けなければならないからな」
つまり、買い戻すのを前提に売ったってことですよね。そのくらいは俺にもわかりますよ。
ガイは思い出していた。
この先の山には、水属性の敵が出る。攻撃重視でいかなければならない、時間がないのだ。防御して、水のIPを溜めている暇があったら、炎属性の剣で切りかかる方を取ろう。
そう決めて、炎の槍と、フレイムソードを買った。引き換えに売ったのが、滅多に手に入らない、いにしえの洞窟の奥でのみ手に入る、不思議な綺麗な水の石だった。
「あいつの願いをかなえるのは、俺しかいないのだ。…今では」
買い戻してくれってことが、願いなんでしょうか?そんなに大事な石なら、どうして売ってしまったのかなって、思いましたけど。何か事情があったんでしょうか。
あいつって誰でしょうかね。どうして、隊長しかいないんでしょう。今ではって…どういう意味なんでしょうね。
「ガイ」
アーティは呟いたが、何か問い掛けたのではなかった。ガイも答えず、黙って立っていた。
そして、急になにやら争いごとが起こったということ。知らない男が、知らない女に刃物を押し付けて、じりじり逃げていった先に、あの洞窟が口を開けていたということ。
男と女が穴に連れて行かれる間際、隊長が駆け寄って、一緒に消えてしまったということ。
「この洞窟は何なんですか?誰になんて尋ねても、あんたも吹っ飛ばされるよだの、教えるとあんたが泣き出すから教えないだのっていわれるんです」
再び涙を目に浮かべながら、兵はそう結んだ。

ガイは、暫く、ハイデッカが消えた洞窟を見ていたが、やがて兵に、
「悪いけど、あんた、その争いごとを起こしたって男のことを知ってる奴を探して、連れてきてくれ。頼む」
「は、はい」
兵は急いで、街の方へ走っていった。ガイさんも俺に洞窟の秘密を教えてくれない。俺が泣き出すと思っているんだろうか?実際もう泣いているから、偉そうなことは言えないが。
そんなことを考えているらしい兵の背を見送りながら、
「俺と、ハイデッカと、マキシムと、セレナでだった。…お前に出会う前に、この中に入ったことがあるんだ」
「何故」
「世話になった奴の娘が、呪いの首飾りをつけちまってな。そこらの神父の手には余る代物で…この中に、浄化の祈りってのが」
「ああ」
わかった、という顔で静かにうなずいた。
「命懸けだったよ、正直言ってな。もう駄目かって所で、女神が空へ向かって羽を広げてる像を見つけた。あの時は嬉しかったね。全員ずだぼろでここに戻ってきた」
円の中に、複雑な紋章が刻まれた、石段の上に立って、
「何があろうと二度と入らねえ、と俺が言った。俺には泣いてくれる女がいるんだからって。冗談でだぜ。…そうしたらハイデッカが、俺もだって言って、お前にはいねぇだろって、俺が言ったんだ。こころおきなく再チャレンジしてみろって…」
「ガイ、」
「そうしたら、野郎が、…今は知らないでいるだけで、俺にだっているんだと、わめいた。
マキシムが、その通りだと言っていた。妙に確信ありげに」
項垂れる。
暫く、自分の気持ちを整えてから、
「そこでな、手に入れたんだ。人魚の秘石ってのを。水属性の…ああ、お前にこんなことを説明する必要はなかったな。知ってんだろ?」
「知っています」
「炎属性の武器を買うために売ったんだ。…あいつってのは、多分マキシムのことだろう。ハイデッカが、マキシムにそんなことを頼まれてたなんてのは、初耳だ。あの石を買い戻そうとしてここに来て、そして災難に遭ったんだな」
「あの人が戻ってきます。誰か連れていますよ」
兵が、ふらふらと街から出てきた。面倒くさい、と顔に書いてある男が、後ろ手に手を組んで、ついてくる。
「連れてきました」
「ご苦労さん。あんた、今ちょっと話を聞いたんだけどな。どういう経緯で男は暴れ出したんだ」
「ああ。つまらない話だがな」
男は汚らしいバンダナで、汚い顔を拭き、余計汚くなりながら、
「あいつは、ここの店に、買い戻しに来たんだと。ええと、何だっけな。安っぽいアクセサリだ」
「安っぽいアクセサリ?」
「ああ。手前の女が、他の男に貰ったものらしい。腹を立てて、女が留守中に勝手に売って、男らしかったのはそこまでだったんだな。女が今日、余所の大陸から戻ってくるもんだから、それまでに買い戻そうという話だ」
話全体に匂う、やりきれない湿っぽさに、ガイは眉をしかめた。
「でも、売った金は呑んじまって、そのくせやっぱり返してくれときたもんで、皆で馬鹿にして笑ったんだよ。そうしたら、ぷちっといっちまって」
これ以上話すこともないのだろう。これだけの迷惑をかけたおおもとの解明にしては、あまりにあっさりと終わってしまった。
「そいつは、いにしえの洞窟のことを」
「知らなかったよ。決まってるじゃないか。あの洞窟に逃げ込むくらいなら、崖から飛び降りた方がまだ助かる確率が高いだろ」
否定しないガイとアーティに、兵は息を呑んだ。
その様子に気づいて、街の男は、
「なんだ、あんたまだ教えてもらってなかったのかい」
「ガイさん、アーティさん、お願いです。あの洞窟のことを教えて下さい。もう、泣いたりわめいたりしませんから。どうやらとてつもないところだってことだけ知って、おろおろしてるのはもういやです」
「わかった。教えてやる。ちっとだけ待っててくれ。…その、とばっちり食った女てのは」
「近頃、どこぞから流れてきた酒場の女給だよ。名前はなんだっけな。ラだか、サだか。忘れちまった。ただ一番近くにいて、一番でかい声で笑ったかな。そのくらいのことにしちゃ、」
男はもう一度兵を眺めて、
「しょわされるには、随分と重たいもんをしょわされたもんだ」

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