「氷と、水?」
竜馬が聞き返した。少年はうなずく。
「地球と同じくらいの大きさの、彗星です。コアを除いた大部分が水で構成されていて、表面の僅か数キロの厚みを、氷が覆っているんです」
「水星って太陽系の一番内側を回ってる星じゃなかったっけ」
武蔵が首をかしげた。少年が生真面目に訂正する。
「そのスイセイではありません」
「そのくらいは俺でもわかるぜ。ハレーとか、…ハレーとかの、あれだろ」
「そうです」
どうだ、と胸を張った竜馬だったが、すぐに、ん?となって、
「待てよ。彗星だと?あれって、何年ごとだかにやってこねえか」
「はい」
うなずく。
「巨大な楕円軌道を描いて、定期的に巡ってくる星です」
「嘘つけぇ、こんなろくでもねえほうき星なんざ来たことねえぞ」
「公転周期が約3000年なんです」
「…さんぜんねん?」
武蔵がひえーと甲高い声を上げた。
「3000年ごとに、やってきてたのか、あの星。…3000年って、何年くらいだろうな。ああ3000年か。い、いいくにつくろう鎌倉幕府…のもっともっと前か?」
少年はちょっと遠慮がちに微笑んでうなずいてから、
「地球の歴史における突然の天候の変化による大洪水や氷河期は、あの星との接触とその度合いの違いによってもたらされたものだろう、と言う博士も居ました」
「大洪水で人類が滅びるたぐいの神話は世界中にあるからな。その記憶の名残かも知れんな」
「ちょっと、その頃生きてなかったから、ぴんとこねえが…」
竜馬は少しの間ぼんやりと首をひねっていたが、
「大昔にも何回かやってきて、そのたびぶつかっていったのか?」
「完全に衝突したことはない筈だ。ニアミス程度だろうな。多分今回も」
隼人が口を挟む。少年ははいといって、
「ですが、他の惑星と…今回は地球ですが…最接近の時点前後数時間は、重力が干渉し合って弱まります。とてつもない質量の水を、僅かな氷の膜で覆っている訳ですから、星が蓄え捕らえている水と氷は、引っ張られて耐え切れず移動します」
「つまり、地球めがけて降ってくる訳か」
武蔵が首をすくめた。
「どのくらいの量なんだろうな」
「今度の接近による推定量は、200京トンと計算されていますけど」
「つまり、…どのくらいだ?琵琶湖、何杯分…」
さっきからやたら個人的なものさしを引き合いにしている。
「とにかく、陸地は水没だな。水没。知らなかったぜ、星が接近してくるっていうから、燃える隕石とかがこうぶんぶん飛んで来てよ、マグマが地の底からぐわーっとなるんだと思ってたら、水没か」
そこまでまだぼんやりした口調でぶつぶつ言っていた竜馬だったが、最後にははあんと声を上げた。
「わかったぞ。水没なら、俺たちよりはトカゲの奴らの方が、順応しやすいだろうな。なにせウロコのあるヤツらだし」
「水の中の方が、温度変化が少ないしな」
「大雨が降って大洪水になって人類が滅びるんなら別にオッケーって訳だな。なんだよ、人間が絶滅して水だらけであちこちぽこぽこ山が顔出してるような地球をトカゲ野郎たちが泳ぎ回ってるのか?考えたくない図だぜ」
と言いながら想像している。その挙句が、
「空はやっぱり青いんだろうなあ。…海も青くてな」
「海底に死体が山ほど沈んでてな」
「やめろ。気色悪い」
馬鹿まるだし、みたいな会話を、ようやく鼻が開通した天馬博士が軽蔑の眼差しでフンと言ってから、もう一度鼻にハンカチを押し当ててみた。まだ血が付く。
「野蛮人め」
いまいましげに呟いたところに、
「で」
隼人が促すように左手を博士に向け、
「あなたのつくった装置というのは、接近してくる水の星をなんとかする力が本当にあるんですか」
「実験室の中では成功した。スケールが変化しようと関係はない」
胸をそびやかして、
「本来科学とはそういうものだ」
「それはそうでしょうね」
隼人が無表情に同意した。あとの二人はむかっとしたようだが、それに対しては何も言わず、
「彼が持っていた箱というやつですね」
言ってから目で、自分たちが入って来たドアのそばにおいてある黒い立方体をなぞり、
「どんな機能です?」
「決まってるだろう。あの星をぼかーんとぶっ壊すくらいの爆弾だ」
これは博士の言葉ではない。隼人はちょっとうつむいた。天馬博士は皮肉な調子で、
「ゲッターロボに搭乗するのには、平均ほどの知能も必要ないようだ。それにしても、今までこんな連中が地球を守っていたのだとは知らなかった。知らない方がいいこともこの世にはあるものだな」
「なんだと」
怒り出す男をちらと見てから、隼人は、
「おそれいります」
どう思っているのか判別不可能な口調で慇懃につぶやいた。少し不気味に思ったのか、博士はもう一度鼻血を拭いてから、
「あれだけの質量と体積をこの距離で破壊したら、衝突と同じくらいの影響があるだろう。全くの消滅というものはことのほか難しいのだ」
「じゃあどうするんだよ」
「強制的に収縮させる」
「しゅう」
「しゅく…」
怒っていた男と、あーあという顔で眺めていた男が、半分ずつ言って、二人ともウの口の形で止まった。
「一時的になら、空間の歪みをつくりだしてその内部で圧縮させることが出来る。そして正常に復元しようとするエネルギーを利用して、遠く離れた座標に移動させる」
隼人が低くなにか呟いた。どうやら驚嘆の呟きのようだった。
「…つまり?」
驚嘆できない二人が顔を見合わせる。
「ゴムのボールをぎゅっと押し縮めてから、遠くに弾き飛ばすようなものだ」
隼人が言った。
「はあ、なるほど」
なるほどと言いながら、
「飛んでった先で、火星にぶつかったとか、金星にぶつかったとか、しねえのか?」
「ピンボールじゃないんだぞ。もっともっと遠くでなければ意味がない」
「そうだ。机上計算では銀河系の中心の対称、ざっと56000光年先まで移動する筈だ」
「へえー」
へえーと言いながら、
「それって、冥王星のはずれから、どのくらい…」
「馬鹿め。今はな、海王星の方が遠くにいるんだ」
「えー?だってよ、すいきんちかもくどってんかいめいって」
「今はめいかいなんだよ」
「へえー」
感心しているのと、威張っているのに対して、
「冥王星からも海王星からも、ずーっとずーっと先だ」
辛抱強く隼人が言った。なんだか段々言葉の選び方まで、子供電話相談室みたいになってきた。
「すげえな。そんな遠くまで、げしげしぶつかりながらふっとんで行くのかあ。近所迷惑だな」
「だから、物理的に移動していくわけじゃない」
「どうやって」
「…そうだな。…言ってみれば、四次元空間を、ワープして」
途端に、竜馬と武蔵がげらげら笑い出した。
「何だよ。マンガか?四次元だってよ、ムサシ」
「俺たちがバカだと思って言いたいこと言ってるぞ。ワープってのはあれか、宇宙船艦がこうくねくねして消えるやつ」
隼人は憮然とした顔で、
「…貴様らにわかる言葉で言ったつもりだったんだが。…もういい。しかし、」
ゆっくりと視線で博士をなぞり、
「敷島博士でもまだ制御不可能で、実験に失敗して研究員を何人か消したり、裏返しにしたりしているんだが。それを完成させたとは」
ふっと息をつく。
「天才、と呼んで憚らないのは、確かなようだ」
「当然だ」
嬉しそうでもなくあっさり返して、
「幸い表面に着陸できるタイプの星だ。ならば動力源と一連の操作入力を兼ねたものが装置を運んで星まで行って、作動させればいい。ただそれだけだ」
吐き捨てる。隼人が博士を見てから少年を見た。
少年は徐々に怯えた顔になってゆきながら、視線をそらす。
これから、交わされる会話の内容は想像がつく。
果たして、竜馬が険しい声で、
「動力源とナントカを兼ねたものとは何だ」
隼人が何かいうより先に、天馬博士が呆れた声で、
「ここまで言ってまだわからないのか。あれに決まっているだろう」
そう言って少年を顎でしゃくった。
「なに…」
「貴様らがやけに気に入ったらしい、ロボットだ」
竜馬と武蔵がさっと少年を見たのが、そちらを見ていない少年からも見えた。隼人は今はこっちを見ていない。博士を見ている。
「…あいつが?」
「…星まで、行って、…その、装置を、動かす、のか?」
武蔵は呆然としたまま、竜馬はイライラと笑い出して、
「そんなこと出来るわけねえだろ。どうやって。…自前の宇宙船にでも乗ってくのか」
天馬博士の目に嘲笑が浮かんだ。
「こいつは貴様らに、ロケット噴射装置を直してくれと頼まなかったか?」
ものを言わず博士を見返した二人の目に、
『ロケット噴射に切り変わらないのは、直りますか』
『なに?なんだって?お前ロボットじゃなくてロケットだったのか?』
すがるような目でそう尋ねた少年と、ロケットってもんは、と得意そうに教えてやっている自分たちの記憶が映った。
そりゃ、…そう言ったけれども。確か、月だかどこだかで作業したとか、聞いた気もするけど。
でもそのことと、目の前の子供がナマミで、宇宙に飛んでいく姿は、とても結びつかない。
「そいつはロケット噴射で宇宙空間を移動できる。月へは五回、火星にも一度行っている。人間が宇宙服を着てよたよた這ったり跳んだりして挙句事故を起こすよりは、確実に迅速に作業が行える。自前で判断し動く有能な探査機だ」
誉めてくれている。
お父さんが僕を。
少年はそう思った。しかし、もちろん、今では全然嬉しくはない。むしろ逆だ。
最初は嬉しかった。誇らしかった。でも、人間の子供がそうであるように、僕も学習能力というものがある。
そして僕は、お父さんが僕を誉めてくれることが何より嬉しいと思うように、それと同時に。
その言葉は機械の性能に対してであり、息子としてではなく。誉めるその裏で深く深く失望しほとんど憎悪していることを、辛いと思うように、
つくられているので。
他の誰よりも、お父さんが僕を誉めてくれるのは、嬉しい。だからこそ、その誉め言葉は、誰のどんなひどい言葉よりも、僕にダメージを与える。
少年の顔が無表情になってゆく。登録されていないほどの、感情は、顔の表情では表せないので…
「お前」
自分への呼びかけに顔を向ける。
二人が、目を真ん丸くして、つくづく、というように、
「すげえなあ。本当に、自力で、月まで行けるのか?」
はあ〜、と嘆息する。武蔵が、興味津々という顔で、
「なあ、月から見た地球って、本当に丸いのか?」
「お前、何ねむたいこと言ってやがるんだ。地球は丸いに決まってるだろ」
「でもよ、お前自分で、足の下の地球が丸いなんて思うかぁ?俺は思わねえぞ」
「…それは…まあ、そうだな。言われてみれば」
うんうんと二人は納得し合い、再び少年に、
「どうなんだ」
少年は『予想外の質問をされた』ことをあらわすために、目をぱちぱちさせてから、
「丸かったです」
記憶の中にある、NASAが公開しているものとは角度の違う、彼自身が見た映像を蘇らせながらただそう言った。
二人は再び、はぁ〜と息をついて、
「すげえなあ」
「羨ましいぜ。そんなもん見られる奴滅多にいねえぞ」
「全くだ」
感心しきりで、顔を見合わせうなずき、もう一度感心した顔で少年を見る。
少年の口元に、笑みが浮かび、それから、眉が泣きそうに垂れた。なんだか、乱調だ。自分の中にない感情ばかり、喚起されるものだから、表情をつくる伝達部分が、おかしくなってくる。そのうちに、本当に壊れてしまうかも知れない。…別に、いいけど、と少年は思った。
ディフォルトで登録されている顔の表情なんて、僕の気持ちの何も表しはしない。
そんな構図を、隼人はただ静かに微笑して見守っていたが。
武蔵がふんふんと感心しながら、
「そうかあ。じゃあ、お前、星を縮めてすっとばして戻ってくる、つもりなんだな」
少年の眉が上がる。
何も返さないうちに、すぐに続けて竜馬が、
「ちっとばかりあぶねえ橋だな。それで俺たちに言わなかったんだな?やろうとしてることをよ。止められると思って」
気ぃ回しやがってよ、ガキのくせに、と口をとがらせてから、
「止めねえさ。お前なら、なんとかなる、だろ?なにしろ、日本で…いや、地球で一番のロボットなんだからな?いや、一番はゲッターだな。お前は二番目だ」
そうだな、と武蔵も納得している。
「あのな。その…、これが終わったらよ」
竜馬はなんだか、照れくさそうに、最初はもごもごと、途中から早口で言って、
「この仕事終わったら、お前いいから、そのう。早乙女研究所来い。もう電池抜く必要はねえや。お前なら、ムサシよりよっぽど使い道があるしよ」
使い道、というのは、本来なら、それこそ道具そのものに使う言葉なのだが、
竜馬が決してそういう意図で言ったのではないことは、何故だかわかった。何故なのだろう?
「おう!それがいいや。お前ならゲッターとも友達になれるぞ。…って、おいリョウ!なんだよ、その言い草は。お前だってなあ、陰でなんて言われてるか知ってるのか」
「何だ」
「教えねえ」
「何だよ。言え」
掴み合っている二人を見つめる、少年の顔が、どんどん泣き出しそうになってゆく。
泣いちゃダメだ。
悲しそうな顔をしてはいけない。
こんな時、人間は無理矢理笑うものだ。そう教えられた。彼の知識の中にある、人間ドラマを描いた文学でも、映画でも、皆みんなそう言っている。人間は辛いのを悲しいのを押し殺してけなげに笑うものだと。
それが出来ないのは人間ではないかのように。
そんなことは僕には出来ない。
どんなにそうしたいと思っても、僕にはそうする自由がない。
お父さんなら言うだろう。
『お前はただの道具なんだぞ。そんな自由を持たせる、何のメリットがあるというんだ』
僕は人間じゃないから、嘘がつけない。
少年はあふれてくる涙を手で覆った。止まれ。耐えろ。
止まれ!
涙は止まらなかった。
「おい、どうした。何泣いてる?」
竜馬の戸惑った声が手で覆った闇の向こうから聞こえる。
「何か泣くようなこと言ったかよ。おい泣くな、バカ」
「ああ、なんか、わかったぞ」
武蔵がぽんと手を打った音が聞こえる。
「きっと、嬉し泣きだな。だろ?」
少年は顔を手で覆ったまま、うなずいた。これは、嘘ではない。…嬉しいからこそ。この人たちの言葉が、本当に嬉しいからこそ、
こんなにも胸がはりさけそうなのだ。
竜馬のほっとした声がした。
「なんだよ。そうか。泣くほど嬉しいってか?嬉しい時は泣くもんじゃねえ、笑うもんだぜ。バカだな全く、ロボットのくせに」
ロボットのくせにって。
言ってるのに。違うのだ。なぜ、こんなに、温かく聞こえるのだろう?
今までお父さんに何回も何回も言われた、同じ言葉と、どこが違うっていうんだろう?
ピー、と鋭い発信音がした。全員がはっとする。少年が顔を上げた。
三人のリストウォッチが発する音だった。隼人が冷静に呟いた。
「敵が近づいているようだ」
「ははん、こいつの居所を突き止めたって訳だな。地球にいるうちになんとかしようって腹だぜ、トカゲ野郎め」
竜馬が舌なめずりして吼えてから、
「おい!」
はっとする。手が伸びてきて、少年は肩を掴まれていた。
目の前に、竜馬の顔があった。強い強い意志、激しい炎のような瞳が、少年を真正面から見つめている。
少年がその顔を見返すと、竜馬は一回視線を外して、天馬博士をにらみつけた。
「てめえなら直せるんだろ。こいつのその、ロケット噴射を。直してやれ」
博士の顔が歪んだ。
「貴様に偉そうな口をきかれる筋合いはない。言うまでもなく、それを創った者としてやるべきことを」
「黙れ」
声で、相手をたたッ斬るような勢いで顔面をひっぱたく。
「余計な事を言うな。てめえはこいつに一回持たせたものを取り上げて捨てたんだ。もうこいつに向かって一言だって知ったような口をきくな。
ただ俺たち全員、黙ってこいつがしようとしてることの手伝いをする。てめえはその中の一人にすぎねえんだ」
火のような面罵を、少年はしびれたようになって聞いていた。
激昂し、言い返そうとしながら、天馬博士の顔に、残酷な笑みが浮かんだ。
この、一人で熱くなってるバカに、教えてやろうじゃないか。この事実を知ったら、偉そうに人を侮辱したその口から、嘘だと言ってくれ、程度しか返せないだろう。
しかし、声を出す前に、息が止まる程の激痛が喉をしめあげた。竜馬からも武蔵からも見えない角度で、隼人が天馬博士の脇腹に、指をくいこませていた。氷のような顔のまま。
竜馬は何も気づかないまま、ばっと少年に向き直った。
「お前。
「あのクソ野郎に足を直してもらったら、行くとこ行って、することしろ。俺たちは、トカゲ野郎を食い止める。お前の邪魔をさせねえようにな。ちっ、今回は脇役だぜ、天下のゲッターロボが太刀持ちかよ」
にやり、と笑う。獣じみた笑顔なのだが、奥底に、根底に、泣きたい程の優しさがあって、
少年の心、彼にココロと言われるものがあるのかどうか、彼自身も知らないけれど、そこのところをぎゅっと、包まれる。
「お前にしか出来ねえことがあるってのは、羨ましいぜ。頑張れよ」
「…竜馬さん」
少年の目から知らず、再び涙が溢れた。
「よお」
武蔵がにかぁ、と笑って、竜馬とは反対側の肩を掴んだ。その笑顔は真っ直ぐでどこまでも底なしに明るい。日輪のようだ。
「さっきの話、本とだ。早乙女研究所来いよ。大丈夫だ、うちは機械好きな連中ばっかしだ、機械オタクの集まりだ。お前ならきっと大歓迎だぞ。ああでも敷島博士んとこ行ったら大喜びで分解されるかもな」
ぶるぶる、と頭を振って、
「嘘だ。大丈夫だ。俺が守ってやるから!えーっと、星ちぢめてふっとばすのってどのくらいかかるんだ?」
少年は歯を食い縛ってから、
「わかりません、…」
かろうじてそう言った。武蔵はふうんとうなって、
「まあそうだろうな。いいや、トカゲ連中と戦いながら、お前を待ってるよ。あの星が無くなったら、お前が帰ってくるんだと思えばいいんだもんな。空、ずっと見てるからな。
地球に戻ってきたら必ず、まっすぐうちに来いよ。いいな?」
でっかい口を開けて詰め寄る。
「武蔵さん」
しゃくりあげる少年に、
「返事!」
武蔵が怒鳴った。柔道部主将に促されて、少年は叫んだ。
「はい!」
手で涙を拭う。拭いながら、はっきりと叫んだ。
「必ず戻ってきます」
「よっし!」
二人は両側からばしん!と肩を叩いて、くるりと背を向けると、部屋を駆け出して行った。
涙が止まらない。
どうして自分が泣いているのかわからないままに、少年はただ涙を流した。けれど、この涙は、元気に、自分の名がないのだと言って流した涙とは違う、とそれだけを思った。
「お前は、いつからウソがつけるようになったのだ?」
天馬博士が驚いたような、どこかイラついた感触の声を出した。
「誰かが改造したのか?こちらの許可も無く勝手に…しかし、ロボットにウソをつかせるというのは、存外に難しい筈だが。どこの科学者なのだか…」
ウソじゃない。僕はウソなんかついていない。
胸で叫び、声に出して言おうとしたが、その前に博士が隼人に向かって、
「とにかく、あのえらそうなバカどもは、本当に、なにも理解していないのだな」
それは、一人まだ残っている男、さっき事実を告げようとしたのを阻止した男だけは、知っているのだろうと踏んで喋っている、ことを表していた。
少年は涙を流したまま振り返って隼人を見た。隼人は黙ったまま、ただ少年を見ていた。
静かな顔だ。少年も知っている、能面というものに似ている。感情を表にあらわしていない顔を、喩えるのによく使われるものだということも、知っている。
けれども。
「ええ。
あいつらは、本心から思ったことを、彼に告げていました。何も気づいてません」
そっけないように呟いたその奥に、深い痛みがあるのが見えた。少年へのものだということは、わかった。
不思議だ。
この人たちは、言葉を使わないのに、あるいはいつも言われているのと同じ言葉を使うのに、そこに在る本当の気持ちが僕にはわかる。
ロボットの、僕に。
ゲッターロボを動かしてるせいかも知れないな、と思う。三人がひとつになるんだって聞いた。三人がひとつになって、初めてゲッターロボは動くのだと聞いたから。
その時には、きっと、言葉で説明なんかしなくても、お互いの。そして、
「自分たちが操縦するゲッターロボの…ロボットの、気持ちがわかるんですね、きっと」
気がついたらそう口にして言っていた。
「そうかも知れない」
隼人はそう言って、ほんの少し微笑んだ。
「ロボットの気持ちだと?何の寝言だ?」
あざ笑い、なおも言葉を続けようとした博士に、
「お忘れか。先ほど、私の同僚があなたに宣告していた筈ですが?余計なことを彼に向かって一言も言うなと。
私も、あなたにその内容を守らせる事に関しては、奴の代理者として努めようと思うものですが」
感情の含まれない口調でことさら事務的に言い渡す。博士の顔に、怯えと動揺と口惜しさとが浮かんだが、敢えてこの、よく砥がれた刃物のような男に逆らうことはせず、
「君もさっさと連中の後を追え。爬虫人類が迫って来ているんだろう」
「すぐ行きます。では博士、」
「わかっている。こいつの足を直してやる。それは…」
どうしても何か憎まれ口を続けそうになって、いまいましげに唇を歪めてのみ込み、腹いせのように、
「すぐに直せる。あの星に着くまでもてばいいんだからな。どうせ片道の行程だ」
そう少年の顔に向かって吐き捨てた。
その時、
「なんで?」

竜馬と武蔵は廊下をつっきり、階段を飛び降りて外へ出た。広い中庭には、ゲットマシンが三機、主を待っていた。
彼らは一度研究所に戻り、ゲットマシンでここに来ていたのだった。その方が結果的に速いから、という理由だったが、敵が迫っているとなるとその判断が正解だったと心底思う。
「元気。レーダーに写ってるか、どっちから来る」
わめきながらコクピットに乗り込み、
「あれ?いねえぞ」
「なんだって?」
一緒にゲットマシンに乗ってきて、戻ってくるまでちょっと待ってろと言い残しておいた元気が、いなくなっている。
「あいつ勝手にどこに言ったんだ?」
さあ、と言いかけて、二人は顔を見合わせ、
「まさか」
屋敷の、さっき自分たちがいた部屋の方を見上げた。

少年は目を見開いた。
竜馬たちが出て行ったドアがゆっくり、大きく開く。その陰から、彼が知っている少年が、顔を出した。
「元気くん」
元気は目を真ん丸く見開いて、少年を見つめている。
「…聞いていたのか。いつから」
隼人が低く呟いた。
元気が一回項垂れる。首をすくめる、と言う方が近い。
「ごめんなさい。だって、どうしても、気になってさ…あんな、びしょびしょのカッコで、何にも言わないで出て行っちゃったんだもん。
何があったのか心配だったんだ。リョウさんたち、何か隠してるのがわかるし。だからこっそり、ついてきたんだ」
それから、元気は顔を上げ、なおも、少年を見つめる。
ロボットだってわかって、驚いてるのかな、と少年は思った。なんていえばいいんだろう。隠してるのはこれだったんだよ。言わなくてごめん。心配してくれたのにね。でもいろいろ事情があって。言って、驚かせたり怖がらせたりする、必要ないかと思って。でも…
「片道の行程って、なんで?」
まるで非難するように、元気が言った。それは少年にではなく博士に向かって発していた。
「誰だ、君は」
うるさそうに、物憂げに、博士は呟いた。この年頃の少年を見ると、どんな時でも、博士の胸は重く湿っぽく塞ぐ。それから相手のどこかに、失われた息子の何かを、無意識に探す。
「僕は早乙女元気。早乙女博士の子供だよ。ねえ、片道ってどういう意味」
息子と同じ、真っ直ぐなものの言い方を、この頃よく痛む胃の一部で味わい、ふと博士の表情が和んで、口を開くと、
「そのままの意味だよ。行ったきりさ。行くだけという意味だ」
優しく丁寧な口調で、残酷な内容を告げた。
「…なんで行くだけなの。帰ってくる分はなんで要らないの」
「帰ってこられないからだよ」
「どうして!」
元気は絶叫した。それから、かぶりをふるような問い掛けるような中途半端な仕草をしながら、少年を見、その後隼人を見上げた。
隼人が一回、顎をひくようにしてうなずいて、
「星の上にいて、作動させるんだ。圧縮されてゆく物質のすさまじい重力に捕らえられた状態から、逃れることは出来ない」
元気の口が開かれたが声は無かった。
「じゃあ…」
ささやくようになってしまった声を必死で絞り出す。
「どうなるの」
「星と一緒に、銀河の彼方まで運ばれていくだけだ」
天馬博士がそう答えた。
元気はしばらく呆然と隼人の顔を見ていたが、相手が否定しないのを十二分に感じ取ってから、もう一度少年を見た。
少年は口元に微笑を浮かべ、眉を垂れた表情で、元気を見返していた。涙がいっぱいに目に溜まっている。
元気の眉間が震えてから、
「いやだよ!なんで、そんなのってないよ、ねえ!なんとかならないの?」
「ならないんだよ」
天馬博士がすぐに返したが、元気はかぶりを振って、
「ひどいよ。なんで。そんな…」
最後は泣き出した。子供の泣き声をしみじみと聞きながら、
「元気君といったね。君も、このロボットが気に入ってくれていたようだな。こんな半端ものだが、製作者としては、嬉しい限りだ。是非、次こそは完璧なトビオを創ってみせるからね。そうしたら、その子と今度こそ友達になってやっておくれ」
博士が本心から嬉しそうに言った。隼人は、この男何かしてやろうかな、と思ったが、たとえ首がねじきれる程ひねってやったところで、自分がそんなことをされるような事を言い、したなどとは決して気づかないのだ、と思うと、虚しくなってやめた。と、
「何言ってるんだよ、おじさん!」
元気が怒鳴った。涙を流した顔が、烈火のごとく怒っている。
「ユーキ君は一人しかいないんだよ?」
割れたその声にこもった力で、少年の目の涙が揺れた。
「今日やってきて、ちょっとだけど一緒に遊んで話をして、それで…僕らのために、そんなひどい仕事を、当たり前みたいに…やってくれようって…」
涙で言葉がどんどん崩れてゆきながら、懸命に歯をくいしばる。涙と汗とハナとがまざりあって、元気の真っ赤な顔を流れた。
「他のどんな子とも違うよ。おじさんがユーキ君と同じロボットを何人つくったってその全部と違う。たった一人しかいないよ!」
揺れた少年の涙は頬を滑った。
元気は少年のそばによたよたと寄り、目の前まで来て、
「………」
だだだと涙を流した。少年は労るように、そっと、低い声で、
「ありがとう」
元気はただ首を振った。
「ごめんね、ロボットだってこと黙ってて。びっくりしたでしょ」
「びっくりしたよ。でも別にいいよそれは。さっき言ってたことの意味、お父さんとか、『トビオ君』がどうとか。あれ多分、わかったし」
少年はうん、ごめんねともう一度言った。元気はじれったそうに、
「それはだからもういいけど、あっちはだめだよ。絶対だめ。あんまりだよ」
えぐえぐと肩を震わせる。ネコのように何度も顔を拭う拳は、ぬらぬら光っている。
「地球のためになんでユーキ君一人がギセイになるの。そういうのって一番嫌いだよ。大嫌いだよ!」
天馬博士は泣きじゃくっている元気を、なんだかくたびれたみたいに眺めていたが、
「元気君。君が言う、ユーキクンというのは、一体何だね」
元気は博士をにらみつけて怒鳴った。
「この子の名前だよ!僕が考えたんだ」
「ナマエ?」
なんだかおかしな発音でそう聞き返した。ナマエというものが出てくる場面が違うとでもいうようだ。
「まあ、愛用のカップやぬいぐるみに、ナマエをつけて嬉しそうに呼んでいる女性や子供もいるからな」
独り言を呟く。あれと同じなのだろうが。
「そうか。ナマエをね。ほう」
優しげにいなす相手に、元気は怒りでぶるぶる震えるが、ぎゃふんと言わせる言葉などそうそう思いつかない。真っ赤な顔で拳を震わせている元気に、
「元気君が名前をつけるくらい気に入ってくれたのに悪いが、そろそろ時間がない。足を直さないといけないんだよ。さあ、ちょっと出てくれるかい」
「おじさん!待って。違うよ。おじさんは間違ってるよ」
「元気くん」
目の前の少年が首を振った。
「僕はね、地球のためにギセイになるんじゃないよ。僕が。僕自身がね、好きだと思う何人かのために行くんだ。僕に、名前をつけてくれた元気くんの、ために」
元気が甲高い声を上げた。
「ユーキ君」
「もういい早く来い。おい、あの子供を早く連れて行け。ここも戦闘に巻き込まれるんだろう」
天馬博士がイライラと隼人に向かって言った。その顔を一瞥して、わかってますと口の中で言い、二人の子供に近づいた。
元気は泣きながら首を振り続けている。少年は、隼人を見上げた。静かに、
「本当に。本当に、ありがとうございました。僕、皆さんに会えて、」
二つの瞳に、限りない感謝と紛れもない喜びが、星のように輝いている。
「生まれて来て良かったと思います」
隼人は、
どうしても堪えきれなくて、一回目を閉じた。それから、
目を開き、少年の顔を、真っ直ぐに見つめて、うなずいた。力一杯握っていた拳をほどいて、手を伸ばし、元気の肩を掴んだ。
「元気、行くぞ」
「やだよ!やだ!絶対いやだ。やだよ」
地団太を踏んで、隼人の手を振りほどこうとする元気に、
「元気くん。…僕、さっきも竜馬さんと武蔵さんに、言ったけど」
にっこり笑う。
「きっと戻ってくるから。そして、早乙女研究所に行くよ」
「本当?」
元気のぬらぬらの顔に、ぱぁっと希望が陽光のように射した。
「それは不可能だ」
ぴしりと博士が言い放った。元気がびくりとする。
「距離と方向を正確に定められるわけではないんだ。移動した先からどちらにどれだけ行けば地球があるのか不明だし、どんなに少なく見積もっても56000光年は離れているんだぞ。お前が光速で移動できても56000年後の地球に戻ってこられるだけだ。そんなことは不可能だがな。
第一、圧縮される過程で、お前ごとき簡単にバラバラに壊れてしまうだろう。いや、部品ひとつ残るまい。ブラックホールに突入するのと同じことなんだぞ」
途中から元気の顔から光が消え、バラバラに、の辺りで再び泣き出した。隼人が、無言で前に出ようとするのを、少年は片手で抑えて、
「わかってます」
「それは当然わかっているだろうな。ならば何故戻ってくる、などと嘘がつけるのだ。それがわからんのだ」
「それでも、僕が戻ろうと思うからです」
少年はすっかり落ち着いた口調で返した。
「方法はあるのかとか、どれだけの時間が経つかとか、何より僕が銀河の彼方で原形をとどめているか、知りません。可能性はゼロに限りなく近いかも知れません。
でも今ここにいる僕は戻ろうと思ってます。僕が戻るのを待っていてくれる人たちのところに。
それだけです」
それきり、博士には背を向け、隼人に、
「すみませんが、爬虫人類の方、宜しくお願いします」
「ああ」
それから、元気の手をぎゅっと握る。
普通の友達より、その手は硬いけれども。
「元気でね、元気くん。あれ?」
「それ、研究所でしょっちゅう言われるよ」
涙を拭いている元気に言われ、そうかあ、と笑った。
元気も、どうしても涙の方へ行こうとする自分を、懸命に笑顔にして、
「きっと、戻って来てね。約束だよ」
「うん」
欠片の迷いもなくそう言い切って、少年は元気の手を放した。

やっぱり走っている途中で泣き出した元気と、隼人が外へ出ると、竜馬と武蔵はそれぞれのゲットマシンに搭乗して、待っていた。
「遅いぞ!そこまでトカゲどもが来てるってのによ」
「やっぱりお前、こっそり覗き見してたんだな。全く油断もスキも…何泣いてんだ?」
「いいから、さっさと出ろ。そろそろ奴等が来るぞ」
隼人に怒鳴られてムキーッとなった竜馬が、
「それはこっちのセリフだ!なに威張ってやがる、この」
「元気、俺んとこ乗るかぁ?」
武蔵が大声で聞いたが、元気は首を振って、
「いい。ハヤトさんの方に乗る」
ジャガーに乗り込んでしまった。何も知らない武蔵に、あれから何があったんだだの、あいつが帰ってきたら今度こそいい友達になれるだのと言われ続けたら、とても、黙っていられる自信がない。
そそくさとジャガーに乗り込み、予備のシートに座ると、しっかりと体を固定した。歯を食い縛る。
泣くことなんかないんだ。戻ってくるんだもの。そう言ったもの。そう胸で叫び続けて、目をぎゅっと閉じた。
隼人は元気のほうを見ずに、全スイッチを入れてゆく。途中でヴンと音がして他の二機のパイロットが、目の前に写った。三人共私服のままだが、スーツを着ているヒマなどもう無い。
既にレーダーの光が黄色から赤に変わり、cautionという文字が表れ、警戒音が鳴る。そして、無数といえるような機影が、不気味に点滅している。
「いよいよおいでなすったぜ。何がなんでもここであいつを足止めするつもりだな」
竜馬がにやにやと笑いながらそう言い、ぺろりと口の端を舐めた。
「うひょーなんだ、何機いるんだ?いち、にい、…すごくいっぱいだな」
古代人の数の数え方みたいなことを言ってから、武蔵ががはははと笑い、
「全機投入ってやつか?」
「多分な。最終決戦て感じだな。どっち道あいつが行けなきゃ、地球はおしまいだ。きやがれ、片っ端からあの世に送ってやる」
ドウ、と火を吹いて三機が宙に舞い上がった。東の空の彼方から、浮塵子のような敵の戦闘機が、やってくるのが見えた。
竜馬が吼えた。
「いくぞ、野郎ども」
「おう」
間髪入れず武蔵が怒鳴り、
「初っ端から飛ばすなよ」
隼人が呟いて、旋回する。
「やかましい!全開で行ってやる。あいつが戻ってくるまでずーっと全開だ。文句あるか。チェェエエェエンジゲッタアアア」
一秒後、レバーが軋むほどの勢いで、三本が同時に押し込まれた。
「ワン!」
閃光と衝撃音が辺り一体を切り裂いてひらめいた。
操縦者の情熱そのままの真っ赤な巨人が今顔をあげ、金色の眼を開く。
ぶぁ、と天空に深紅の翼を広げた、そこに早くも、敵の一機目が光弾をはなちながら近づいてきた。
「ダブル・トマホォオオオク」
顔中でわめく。これからの修羅場が嬉しくてたまらない、といった声だ。
左右に舞い上がった、巨大な斧の柄を、位置を確かめることすらせずに巨人の腕がむずと掴む。竜馬が操縦桿をぎゅうううと引く。
「ブーメラン!」
一対の巨人の斧は、耳を聾する音を立てながら砂色の閃光と化し、敵の先兵の一団を切り裂いた。

どぉん、ずしん、という音がする。
人間には聞こえないだろう。ここは地下に作られたシェルターだ。たとえ核が爆発しても、この部屋では何も感じないかもしれない。
室内にはさっきからずっと機械音だけが響いている。少年は台の上に横たわって、天井を見ていた。
竜馬さんたちが戦っているのだと思った。僕の盾になってくれているのだ。
この部屋に入ってから初めて、天馬博士が口を開いた。
「ゲッターロボがどれほどのものか知らないが、おそらく敵は総攻撃態勢で来るのだろう。そうはもつまい。さあ」
白衣の袖を伸ばしながら、
「終わった」
「はい」
応えて、少年は台から降りる。そして、
初めて竜馬たちと出逢った時から来ていた、服を脱ぎだした。畳み、台の上に置く。
平均的な小学生高学年といった体つきの、上半身裸の少年は、博士に向き直ると、
「お世話になりました」
「いいから、早く行け」
一回背を向けてから、肩越しにこちらを見る。目に苦痛の色があった。
「…どうして。…
どうして、お前は、トビオになれなかったのだ?何が悪かったのだ。わからない。それがわからないうちは…
何度、創っても、お前と同じことになる」
「誰も」
少年はゆっくりと首を振った。
「誰かの代わりにはなれないんです」
博士の顔が歪んだ。かっとなって叫ぶ。
「お前は少なくとも、トビオの代わりとしてつくったのだ。お前はトビオになれなかったがな」
しかし、少年は変わらずに静かなまま、もう一度首を振って、
「誰も、自分のほかにはなれません。…
天馬博士」
自分を名前で呼ぶ相手に、驚きで思わず顎を上げる。いつも、この気に障る弱々しい声で、お父さん、と自分を呼んでいた、ロボットが…
「僕は、あなたの息子にはなれませんでした。でも、僕を生んでくれたのはあなたです。それに変わりはありません。
そして元気君は、僕に名前をくれました。親は、子供に名前を贈るのでしょう?
だから元気君は、僕のお父さんでもあります」
にっこりと笑う。
博士には、今の、彼の表情がわからなかった。喜び?諦め?それとも覚悟?一体この、静かで奥底まで日が当たっているような笑顔をつくっている感情は、何なのだ。
「僕は、あなたの息子にはなれなかったけれど。人間には、なれなかったけれど。…
僕が、人の子供であることだけは、確かです。だって」
裸の胸を張る。誇らしげに。
「人間から、僕は生まれたんですから。そのことだけは、絶対に、本当のことです」
何も言わない天馬博士に、ゆっくりと頭を下げ、顔をあげ、
そして少年は背を向けると、脱出口に向かって歩き出した。もう振り向かなかった。

「おい!」
武蔵が叫んだ。竜馬と隼人、それから元気が顔を向けた。
屋敷の裏の、地下からの出口から。
一筋の光のように、あの少年が、しっかりと箱を抱えて、天空目掛けて飛び出したところだった。
脚部から、白い炎を噴き出して、真っ直ぐに、天を目指して飛んでゆく。
天に放たれた希望の矢のように。
『あれだ、追え!捕獲しろ。いや、いい、撃墜しろ!』
敵の指令が耳障りに響き渡る。戦闘機もメカザウルスも一斉にざわざわとせわしなく向きを変え、追撃にかかった。
だがとても追いつけない。それほどのスピードだった。ならばと、ミサイルが雨あられと少年を追う。
「てめえらの相手は俺様だ!」
回り込む。激情そのままに、壊れんばかりにスイッチを押す。
「ゲッタービーーーーーム!」
敵機が爆発した。連爆する。
「あっ」
元気が絶叫する。少年が一発、避けそこなった。宙で跳ね飛ばされかけ…もちこたえ、体勢を整えて、それから再び飛んで行く。
「無事、か。ああ驚いた」
武蔵が汗を拭った。やけにぬるつくと思ったら血が出ていた。
「冷や冷やさせやがって。馬鹿め。さっさと行っちまえ」
そんなことを言いながら、竜馬はふんと笑い、いよいよ張り切って、敵の攻撃の中に突っ込んでゆく。
少年の姿はまたたくうちに小さく小さくなり、それから、肉眼で見えなくなった。
『今ならまだ間にあう。さっさとゲッターロボを倒して、後を追え』
「寝言は寝て言え」
いちいち言い返す竜馬の怒鳴り声を聴きながら、元気は、もう見えない少年の後ろ姿を、目の奥で追った。
頑張って。
そしてきっと戻って来て。待ってるからね。

地球時間で何日経ってからか。
少年は、星の上に立っていた。
見渡す限り、何も無い。ただ、光の無い氷の大地が、まっすぐに地平まで、多少の凹凸をつくりながら、続いているだけだ。
青く黒い氷の下の水は、見えない。真っ黒い水が、どこまでもどこまでも底なしに続いている。
頭上には、昼も夜も空も無く、ただ無限の宇宙が広がり、無数の星が輝いている。星の運行以外の変化は何もない。
宇宙の罪人を幽閉する星があったら、きっとこの星だろう。視界と気持ちを変化させる、何もない。何もだ。
しかし彼はそれを、サビシイと感じる気持ちは持っていなかった。持っていたら、あまりのその風景の寂寥感に、生きていられないだろう。
流刑の人間が最後に置いて行かれるのにふさわしい、風も大気もない星の上から、少年は最後に地球を見遣った。
この星が迫っている青い星。
(丸い…)
ふと、微笑んだ。信じられないかも知れないけど、やっぱり丸いですよ、二人とも。
自分が微笑んでいることが何となく嬉しくて、その気持ちのまま、箱を下ろした。
それにしても、よく飛んだなと思う。生まれてこの方こんな遠くまで、こんなに急いで飛んだことはない。こんな飛行距離は、彼をつくるときにも計算していなかったのだろう、この星に下りるための逆噴射が最後で、もはや飛べなくなっていた。もうその必要もないが。
装置を中心として圧縮する対象の規模、体積と質量、範囲等を入力する、ぴ、ぴという軽い音は、無論誰にも聞こえない。空気もないから音そのものがしないし、それを聞く者もいない。
それから、自分の胸を開ける。原子力エンジンから、チューブを伸ばす。装置に接続する。エネルギーもほとんどないなと思う。この装置を動かすので最後だ。
最後に何か言おうかと思いながら、言葉が見つからず、ただ装置を始動させた。
黙って、装置の振動を見つめている少年は、見ている人が居たら、途中で驚いただろう。突然驚愕の表情になり、装置にすがりつく。
出力が落ちている。
どうして?
計算違いで、エネルギーが足りないのか。原子力エンジンにトラブルか?地球で最後に一発、避けそこなったミサイルが、思わぬほどのダメージを与えていたのか?
思わぬって何だ、と少年は歯をくいしばる、表情をした。思わぬって。僕はロボットじゃないか。本当の意味で、思ってみない現象なんて、ないくせに。
「思ってもみなかった」だの「思いがけなく」だの、そんなこと、言ってられる場合じゃない。
どんどん、装置が停止に向かっているのがわかる。振動が低く軽くなってゆく。
どうしよう。
どうしたらいいんだ。
少年は泣いていなかった。本当にそれどころではない。ここでなんとかしなければ、
振り返る。どんどん近づいてくる、あの星には、彼の…
親と、友達がいるのに。
「動け!動けよ、頼むから!僕の力を全部あげるから!」
いくら力んでみたところで、それは装置に何の変化も起こさせない。
人の強い思いは、目に見えず、手で触われないが、さまざまな現象を引き起こすような力を持っているという。
僕のそれも、同じだと信じて、
信じて、やっとここまできたけれど…ダメなのだろうか?やっぱり?僕が、人でないから?
誰か助けて。力を貸して。
少年は真っ暗な宇宙に向かって絶叫した。
あの人たちを助けたいんだ。誰か。
誰か!

もう、ずっとずっと戦闘が続いていて、三人共疲労困憊の域を脱していて、ランナーズハイならぬバトルハイも通り越し、ほとんど無我の境地で戦い続けている。朦朧とした意識で、武器を振り、敵を屠り、オープンゲット…チェンジゲッター、えーと、4?ゲッターって4もあったっけ?なんでもいい、倒すんだ。敵を。
「うぁ?」
最初、寝ぼけたような声が上がったのを、あんまり長いこと戦ってるもんだから、本当に寝ちまったのかなと武蔵は思った。寝られるわけがねえけど、リョウのやつならな。戦闘中に寝た男。うん、ありえる…
だが、続いて、がくぅんとひっぱられ、自分が悲鳴を上げた。
「リョオッ!何してんだ!」
「リョウ」
隼人も叫んだ。声はすでにガラガラになっている。モニターに写っている顔はどれも汗と血でぐじゃぐじゃで、疲労で顔色がおかしい。それともあんまりコキ使われたせいで、ゲットマシンのモニタがおかしくなっているのか。多分その両方だろうが。
「知らねぇや!俺じゃねえっ」
わめいた竜馬はどろどろの顔で本気で焦っている。バカ、今はゲッター1だろうが、しっかりしろメイン操縦者、と武蔵の怒鳴り声が響いた。
「とにかく、俺じゃ、ねえんだ、ゲッターが、勝手に」
確かに。
誰も、操縦桿を握っていないのに、ゲッターロボが、向きを変えていく。
ゆっくりと、顔と、身体を、空のいずこかへ向ける。
腕を上げる。ぎゅと握った。そのまま、ゆっくり仰け反ってゆく。
「何をする気だ?」
誰へとも無く、誰かが思わず呟いた。と。
ゲッターロボは、天空に向かって、ゲッタービームを放った。
青空の彼方へ、光の橋がかかった。
数秒、放射し、それから、
「うわ!」
落下しかかり、大慌てで操縦桿を握る。今ではゲッターは、完全に竜馬の制御に戻っていた。さっそくという感じでとりつき群がってくる敵機と応戦しながら、
「な、何だったんだ、今の?」
「…使いすぎの誤動作かな。やべえな。そのうちやたらめったらゲッタービームぶちかますようになったりして」
そんなわけがあるか、と呟いた隼人も、訳がわからなかった。今までゲッターがこんな動きをしたことはなかったので。
動きが遅れるとか、レバーを入れても動かないというのならまだわかるが…向きを変えて空にゲッタービームを放つ?
しかしいくら考えてもその行動の意味などわからなかった。
ちら、と見た元気は、とうに意識をなくしている。しかし、下ろしてやるヒマも場所も無い。
あと少しか、どうか、俺も知らないが、頑張れ、と寝顔だか気絶した顔だかに、かすれた声で話し掛けた。
お前の友人が…その務めを果たすまで。
しかし返事はなかった。白目をむいているところを見ると、やはり安らかに眠っているというよりは気絶しているのかも知れない。

少年は顔を上げた。
地球から何かやってくる。
何だろう?エネルギーの、かたまりみたいなもの。…
僕の声が届いたのか?
呆然と立ち上がり、一直線に彼目掛けて飛んでくる、その光を迎えるように手を広げ、見つめる。
これは…
「ゲッターエネルギー?…あのひとたちが?」
違う、と思った。これは別のなにかだ。何かの…意思だ、誰かの、
光に包まれながら彼は思った。
ゲッターロボだ。
同じロボットだから。きっと。
同じ気持ちで…自分の務めを、果たしている、ロボットだから、僕の、
声が聞こえたのかなと思う。
少年は閃光の中で目を閉じた。ほとんど停止していた装置が、再始動し、急激に振動を高めていく。
ゲッターロボが、僕に応えてくれたんだな。
彼とも、友達に、なれたのかな、なれたのかな?なれたね、
最後に少年はきっとと呟いた。

まだ雨が続いている。
迫り来る星が、一体いかなる奇跡によるものか、ある時を境に消滅した。世界はきちがいじみた歓喜と混乱の中でごった返し、いつになったら以前の生活に戻るのか到底わからない。
総力をあげて押し包み倒してしまおうとしたゲッターロボがどういう訳だか決して膝を折らず、人類水没計画が文字通り気泡に帰したことで、爬虫人類たちはやむをえず引き上げていった。千載一遇のチャンスだったのだろうが、同情してやる余裕はこちらにもない。
よくもまあ生き残った、というありさまの三人と元気、ぼろぼろのゲッターロボはなんとか研究所まで戻り、星が消えたと騒いでいる所員たちを尻目に、死ぬ程眠り、それから目を覚まし、再び死ぬ程眠った。
それから一週間も過ぎただろうか。
研究所の屋上で、明るい空からまだ降っている雨を見上げながら、
「まだ戻らねえのかなあ」
武蔵がぼやいた。
「確か、あのへんにあったよな、星。あっちの方見てればあいつが戻ってくるかな」
「だな」
竜馬もつまらなそうに鼻の上をこすってから、
「ま、宇宙は広いからな。いろいろ手間取ってんだろうぜ。きっとそのうち戻ってくるさ」
「だな」
今度は武蔵が言い、ちょっと笑顔になり、口笛を吹いた。
元気はここにはいない。自分の部屋だ。まだ、空を見ることは出来ないでいるようだ。
隼人もやることは山ほどあって、とてものんびり空を見上げるヒマはないらしい。その二人の分も、竜馬と武蔵は飽かず、空を見ている。
今日も多分明日も。

ヨコヤマさんが大騒ぎしている。大喜びして戻ってきたら、庭が掘り返されてめちゃくちゃになってるからだ。
別に、イノチ助かったんだからいいじゃん。別に。
娘は思ったが、ヨコヤマ一家はそうはいかないらしく、誰か何か見なかったかと騒ぎ立てる。誰も相手にはしなかったが、この辺で逃げ出さなかったのは娘とその祖母だけ、という噂をどこかで聞いてきたらしく、今日もやってきて、
「我々がいなくなったのをいいことに何かしたんじゃないのか。少なくとも何か知ってるだろう」
の意の内容をぎゃあぎゃあとまくしたてる。
バカかこいつ、と思いながら、娘はすっとぼけて、
「あたしは毎日家の中で泣きながらお祈りしてたもん。何も知らないよ」
およそお前のキャラじゃないだろうという事を言い、案の定ウソをつけと決め付けられたが、だからといって本当のことなど言うつもりはなかった。
言ったところで、今度はまた随分シュールなウソをつくもんだと言われるだけだ。
祖母は何も言わないで孫娘のあつかましい後ろ姿を、ちょっと笑いながら見ている。
他の家族はよれよれになって戻って来て、ずーっとふぬけのようになって居間に座っている。親の権威もなにもあったものではない。
疑惑のかたまりのヨコヤマ主人が仕方なく戻っていくのにあかんべーをしてから、自分も、
「まだ店もなんも動いてないけど、なんかちょっとかっぱらってくるよ。もう家になんにもないし腹へっちゃった」
言い置いて、家を出た。相変わらずつっかけとワンピースの格好だ。
まだ雨が降っている。こちらも口笛を吹きながら空を見上げる。
星、消えたってさ。バカみたいだな。死ぬのだ死ぬのだってさんざん脅しといて、実はウソでしたなんて、実際やったらフクロにされる。
まあ、助かったのは、嬉しいけどね。
声が聞こえて振り返ると、ヨコヤマ主人とヨコヤマ妻が二人で家の前で言い争っていた。この庭をどうするつもりだ、だろうか。だから文句ならあの変なコスプレ連中にいいなよ。おっと知らないんだっけ。
へへ、と笑ってから、娘は少年のことを思い出した。あの雨の一日のことを。
娘はあの日、本当の孤独ってものに、初めて触れた。そういう目をしている少年だった。
どうしてるんだろ。あの子、まだあんな顔してるのかな。あの時何をしようとしてたんだろ。
ちゃんとした目的って何だったんだろ。使えたのかな、あの箱、ちゃんと。
それから、
コスプレ連中の一人があの子に向かって言っていた言葉を思い出す。
黙れ。ロボットのくせに生意気な口をきくな。
「ロボット?」
娘は口に出して言ってみて、それから笑った。
やっぱりアレ、変なオタク集団なんだな。自分たちで劇かなんかやってたんだよ。星がやって来るってのにバカみたいだけど。
何故そう思うのか尋ねられたら娘は答えただろう。こともなげに当たり前のように肩をすくめて、
あの子がロボットの訳ないじゃん。
今現在のロボット工学の進歩や技術の向上について、娘はなにひとつ知らなかったが、たとえどれだけ教えられても、鼻から息を吐いて、
何にしろロボットってのはとにかく命令通りに働いてそれきり次の命令を待ってるんだろ。『お前はロボットみたいなやつだ』って悪口はそういうことだろ。
あの子はあたしを助けてくれたんだからね。自分がボコボコにされるのに。そんなヤツ、そこらじゅう探したっていないもんね。国道のスーパーにたむろってるバカなんか、あの子に比べりゃゴミみたいだよ。
あの子は人間の男の子なの。可愛い顔してたな。この際年下でもいいかな。
また来ないかなあの子。
多分、
天馬博士でも、娘を説得することは出来ないだろう。
雨でへんな分け目になった髪を元に戻しながら、娘は小止みになってきた雨にまばたきをした。

[UP:2003/1/31]

あとがきです。

人の子4へ ゲッターのページへ