かん高い声がした、と思った。拳で顔を拭って、顔を持ち上げ、そっちを見る。
赤いスカートを翻し、下方から、丘の上のこちらへ一心にこちらに走ってくる少女がいる。高い声で同じ言葉を繰り返しているようだ。ふと、こいつの名前なのかなと思ったが、どうしても聞き取れない。
少年が眠りから覚めるように首を振って、少女に気づくと、手を高く上げて、何か叫んだ。
近づくにつれ、娘がこの周辺で見たこともないほど上等の服を着ていることと、娘の顔が喜びで輝いていることがわかってくる。
少年の友がゆらりと立ち上がって、少女を出迎えるために前に出る。少女は真っ直ぐにかけてきて、少年の友の首っ玉にしがみつき、嬉しそうにけたけたと笑った。それから少年の顔を覗き込んで、楽しげに何やら話しかけ、…それから、竜馬に向き直って、何か言って、優雅にお辞儀をした。
「お」
中途半端な声をあげ、インディアンうそつかないのポーズをとり、それから少年を見て、
「誰だよ、この娘」
娘も、少年を見て、何か言う。このひとね?おうちにいるってきいたわ、ことばのわからない、おおきなおおきなひとが。
意味が通じないことは、オヤジ連中もこの娘も変わらないのだが、娘の声は丸く、まろやかで、なにやら人を幸せにしてくれる呪文のように聞こえる。
少年は嬉しそうに、楽しそうに話し続ける。その顔を見ただけで、この娘が非常に数少ない少年の味方のひとりだ、ということが竜馬にもわかった。
しばらく、青い目の二人の会話を眺めていたが、
「なんだ。カノジョか?」
もちろん意味のわからない二人は顔を見合わせ、揃って竜馬を見た。
「好きなコかって言ってんだよ。こう、ぎゅってしてチュッてして、んーって」
竜馬は自分で自分の体を抱き締める仕草をして、唇をとがらせ、下品なジェスチャーをしてから、二人を交互に指した。一拍置いてから、二人はかぁぁと赤くなり、娘は両手で頬を押さえ向こうを向いてしまった。少年は娘の手前もあるのか、なにやら抗議の声で訴えてくる。
「僕たちはそんなんじゃありませんとか言ってんのか?ちぇ、赤くなりやがって、マセガキが」
にやにや笑って喋っている内容は、なんとなく理解できるのだろう、少年は更に顔を赤くして拳を握り叫んでいる。少年の友は、加勢した方がいいのかな、という感じで、竜馬と少年を見比べたが、少年に必死さはあるが悲壮感はないようなので、やめておいた。
「次は力一杯美人のカノジョを描いて、プレゼントしろよ。それでカノジョのハートわしづかみだぜ。どんな宝石だとか花束より威力があるだろうぜ」
喋りながら、そのように動いてみせると、途中から戻って来ていた娘が、目を輝かせた。
あら、もう描いてもらったわ。本当に上手なのよ!わたし、すごく大事にしてるんだから。
勢い込んで、ほんの少し可愛く威張って、はきはきと、意味が通じないことなど意に介さず、身振り手振りを一生懸命つけて、話しかけてくる。すごく大事に、のところでぷくぷくした手を胸の前でぎゅっと抱き締めた。
「なんだ?え?ああ、もう作戦は実行済みなのか。なんだよお前、結構やることはちゃんとやってんだな。マメなやつだな」
小突かれて、今度は少年は真っ赤になって黙ってしまった。その前に出て娘がまだ喋っている。
今度、あなたにも見せてあげる。きっと驚くわ。
「え?くれるのか?まさかな。ああ、見せるだけなら見せてやるって言ってんだな。ケチだな。金持ちのくせに」
言いたい放題だ。しかし、少年の腕前を自分のことのように誇らしげに熱く伝えてくる娘を見るのは、決していやなものではない。
「しかし、押しの強い女だな。お前ら二人では、見るからにかかぁ天下ってやつだな。尻に敷かれるんだろうなあ」
つまらない心配までしてやっている。
「まあ、持参金はたんまり持ってきそうだから、いい思いができそうだな。それで良しとするか?」
そんなことは、もちろん、これっぱかしも、二人の友情や淡いこいごころには縁のないものだと知った上で、竜馬はそんな嫌なことをわざわざ、言ってみせた。大人の悪趣味というやつである。
日が傾き、西の空がその身を茜のヴェールで包む頃、三人と一匹はゆっくりと歩いていた。
もっぱら、娘がはしゃいで、少年と竜馬とに均等に喋り続けている。少年はにこにこと、言葉少なにあいずちを打ち、竜馬は身振りで聞き返し、誤解し、わけをわからなくさせ、諦めさせ…なんとか通じて、うなずかせ、笑わせ、等々だ。
少年はとても幸福な気持ちだった。この二人が、心を通わせ合って、そして少年の絵がうまいことで同意し合っている姿は、なんとも言えず少年を幸せにする。
歩きながらちらと、途中の繁みを見た。
そこから入った先、かなり細い、ほとんどけもの道の向こうに、それはそれは美しい花の咲く泉があって…そこは少年の秘密の場所であった。この場所のことは、娘にも言っていない。そしてそこはまさに、この巨人が突然あらわれた場所でもあった。
この二人に、あの場所のことを教えようかなと思った。この二人ならあの泉を、あの花を、きっときれいだと思ってくれるだろうから。こんな楽しいひとときをくれた、御礼に。…ほとんど、口にしかけて、
…でも、このひと、こんなに大きいから、あの繁みをぬけるのは大変かも知れないな。あの時も、二人で一生懸命運んで、最後の頃は三人共枝でひっかいて傷だらけになったもの。
それに、
少年は知らず、くちびるを噛んでいた。この不思議な男が、あらわれた場所に、つれてゆくのはなんとなく…
怖かった。
激しい怒鳴り声に、娘と少年はびくりとすくみあがった。
聞き覚えがある、と竜馬は思った。この、人を不愉快にする高圧的な、…たかだか田舎の地主だってことで、こんなに威張るどんな理由になるのだろうってくらいにそっくり返った、
アタマの中でハエだかアブだかが飛び回ってる気分にさせられる口調は。
娘が最初にやってきた方向、そしてさっきまで少年がせっせと描いていた家の方から、男がずかずかと近づいてきた。やはり、初日に少年をいたぶっていたあの男だ。
男の目が少年と竜馬を捕らえ、憎々しげに睨みつけると、怒鳴った。
娘がぶんぶんと首を振って、甲高い声で叫び返す。抗議と否定と、憤怒の声。
そうだ、と竜馬は思った。こうでなくっちゃいけない。この女はホネがある。しかし、娘が更に強く叫んだところで、少年がそっと首を振って、娘を制した。
それから、ぺこりと男に首を下げて、何か言った。…何と言ったのでも、関係はない、その声に謝罪の色が見えているだけで充分だ。
「おい、何謝ってんだ?おい、ガキ!」
竜馬が徐々に怒鳴りだす。このクソガキは…
手前がしてもいないことで謝ろうてのが、俺には理解できない。だから、腹が立つのだ。
竜馬が少年に詰問しようとしている間に、男は手を伸ばすと素早く娘の手首を掴んで、引き寄せた。娘はいやがったが、強く引かれて、それ以上抵抗も出来ない。
「何だ手前、誘拐魔か!?手を離せ!」
しかし、少年が竜馬を止めた。信じられないことだが、首を振って、両手で竜馬を押し留めて、後ろの男に、
なおも、すみませんという仕草をした。
男は怒りと嘲笑がまざったような表情で何か吐き捨て、それから再び怒りの顔で怒鳴り、ぐいぐいと娘を引いて歩き出した。娘はとうとう泣き出しながら、何ごとか叫び続けている。
やめて、どうしてそんなひどいことばかりいうの?私が行ったのよ!私が会いたいから会いにいったのよ。
「待て、この野郎!」
だが、少年が必死ですがりついている。正直、こんな細い腕などひねりあげて数メートル先まで飛ばすのも造作ない。しかし実際、こんなにも細い腕をひねり上げて、数メートル先まで飛ばすことを、躊躇無くやれる人間はあまりいない。
男も、今にも竜馬が追いついてきてぶん殴られるのではないかと思っているらしく、必死の小走りだ。そのまま、少年がスケッチしていた屋敷の門に入っていくと、金髪の婦人が待っていて、男の手から娘をうけとると、顔を覗き込んでなにか話し掛けている。娘は泣き通しだ。そのまま、三人は屋敷に入っていった。最後に、娘がちらとこっちを見たのが見えた。
あのオヤジの娘だったのか、と竜馬はここでやっと気づき、…黙った。
しばらく、二人の間に沈黙があった。
今では、少年は竜馬にすがりついて止めるのをやめていた。やはり黙って、足元を見ている。
「てめえは」
竜馬の声が震えている。少年の肩がびくりとはねた。
「何なんだ?あいつの親でも殺したのか?あいつだけじゃない、隣りの家の親父もだ、その隣りの家のババアもだ!てめえ以外の全部の人間に、お前はなにか返せない程の借りでもあるのかよ」
声高な怒鳴り声ではなかった。やりきれなさともどかしさに、むしろ低くかすれている。だが言語としての意味を持たないその響きは、直接の竜馬の心を伝えてきて、少年はさらにうつむいた。
「お前のことが大好きな娘があんなやり方でひっぱっていかれるのに、お前はそいつに向かって怒るでなく逆らうでなく、謝るのか?何を謝るんだ?アナタのお情けや許可が無ければ生きていけない人間だってことをか?」
怒鳴っているうちに、自分の怒鳴り声にあおられてゆくタイプだと、人に言われるし、自分でもそう思う。だが何故なのか、今の竜馬の中は、火のような炎のような強い怒りで炙られながら、それが普段のように直接の言葉や態度に直結しない。
それが決して、この少年への同情や、憐憫がそうさせているのではないと、それだけは強く思いながら、
「そうやってな、アタマ低くしてうずくまって、時々顔を上げて絵を描いて、その絵がどんなにうまくったって…そんなの、ニンゲンじゃねえぞ」
しかし、説教は好きじゃない。されるのはもちろん真っ平だし、聞くしかなくて聞いている相手にやらかすのも大嫌いだ。
それでやめにしたが、それでも、消化しきれない苦い塊が胃にある気分で、ため息をつきそうになり、ぐいとのみこんだ。
ジェスチャーやふざけてでなく、本当に心から出るため息をつくのも、竜馬は嫌いだった。
少年の友が、この前とは違って、竜馬に牙をむくでなく、少年と同じように項垂れ、じっと立っている。
黙ったまま帰路についた。さっきまではとても和やかで、楽しかったのに、どんどん暮れて行く空の悲しい蒼色も手伝って、すっかり重苦しいのろのろとした歩みになってしまっている。
しかし、この前とはやはり違って、竜馬は悪かったなほら明るくなろうぜ、という働きかけをせず、黙って歩き続けている。じゃあこいつが俺の言うように、あの地主やら隣り近所の住人に対して、思い切り不満や怒りをぶつけて、だ。それは俺の言うニンゲンの生き方なんだろう。で、家や村を追い出されて、そのあとこいつはどうやって生きていくのか。…
俺が言ったことは、『せめてニンゲンの誇りを持って死ね』って内容じゃないのか?
しかし、それをなくして生きてゆく毎日と、ひいては人生は、果たして、『死ぬよりは、マシ』ってところから一歩でも出ていると言えるのか?
せめて、自分の背で自分の生活を背負えるような歳になるまでは、ニンゲンらしさなんて語ってないで、息を潜めてていいけど、その後は…てのが一番現実的な助言なんだろうか。
「現実的だってよ」
思わず吐き捨てる。この俺が。一番似合わないことを考えている。この俺が世渡りについて考えてやるなんて、滑稽もいいところだ。だったら空手のひとつも教えてやる方がよっぽど意味がある。
うぉん、と友が少年を呼んだ。
それまで、竜馬同様、自分の中と自分の足だけ見ていた少年が我に返り、友を見遣った。
もう随分暗くなってしまった道端に、友は鼻先で何かを示している。なんだい、というように少年は話しかけ、側に寄り、かがみこんだ。
真っ赤な服を着た人形が落ちている。共衣でつくった帽子とリボン、陶器の肌、寝かせたり起こしたりすると、青い青い瞳を閉じたり開いたりする。ここいらの子供が持てるシロモノではないことは、一目瞭然だ。
てことは、と竜馬はふと、通り過ぎて少し経った、あの村一番のお屋敷の方を振り返った。
「さっきの娘のかな。…お前のカノジョのだろう」
竜馬の仕草と言い方で、何を口にしたのかわかったらしい。少年はうなずいて、人形の埃を払ってやり、もときた道を引き返しはじめた。竜馬と少年の友は、黙って後をついてゆく。
門のところまで行って、そっと覗きこんだ。窓という窓にはあふれんばかりの灯がともっていて、眩しさに少年は目をしばたたかせ、それから、どうしよう、というように人形を見、屋敷を見、少しうつむいた。
その背を、竜馬は黙って見ていた。『いいから正面からドアを叩いて人形を渡してやれ』とたきつけたり、少年の手から人形を奪ってどかどか侵入して、ドアをばんばん叩くとかいったことは、しようとはしなかった。
少年は結局、そっと裏に回って、窓枠の一つに、中からも見えるような位置で人形を置くと、そろそろと戻ってきた。
そのまま、無言で家路につく。ここを出た時の倍疲れた気分で、質素な夕食を終え、声を掛け合わないまま各々寝台に入った。
何だろう。
野生の動物が遥か彼方から迫り来る危険を察知するように、流竜馬は闇の中なにかを感じて、がばと身を起こした。
床に足をつく。無意識に怪我をしていない方の足で踏み出し、ドアにとびつくと思い切り開けた。少年の友は既に側に立ってきている。
あけたドアから顔を突き出し、目を見開く。
遠く丘の上、風車小屋が紅蓮の炎に包まれている。
家の中に顔を戻し、怒鳴った。
「起きろ、ガキ!火事だ!」
少年は飛び起き、一瞬ぼうっとしてから、すぐに起き上がって走ってきた。竜馬の見たものを少年も見て、絶句する。
「お前はここいらの連中を叩き起こして連れて来い。俺じゃ話が通じねえ」
そう言い捨てて、水を汲む桶ひとつ持って走り出した。その相手にも話は通じないのだが、この場合少年が取れる行動といったらそれ、くらいしかないので、迷う必要はなかった。少年は隣り近所を駆け回って叫んだ。少年の友も懸命に吼え続ける。
竜馬が風車小屋の下まで来た時には、ぼんぼんと音をたて、巨大な赤い塔と化していた。辺りの空気がせわしくうずをまき、あおられ、狂ったように動いている。竜馬の長い髪が乱れまくった。
「文字通り、太陽の塔だな」
風車小屋の持ち主にも、日本の芸術家にも腹を立てられそうなことを呟いてから、中に入る扉を蹴り壊して入った。見上げると遥か上にある駆動部分が燃え盛っていて、大きな歯車が今落下してきたのを避けてから、
「火の車か」
こういう場合になると下らない冗談をいいたくなる質らしい。だがすぐにとってかえして、すぐそばにあった水場で水を汲もうとしたところに、少年が村人たちと走ってきた。
皆真っ青な顔を、火の照り返しで真っ赤にして、呆然と見上げている。
「ぐずぐずすんな、おら!ポンプもホースもねぇんだろうが!全員で消すしかねぇんだ!並べ!ガキ、こいつら並ばせろ!」
ここから、あそこまで、ずーっと、ならぶ、というジェスチャーで、皆あっと思ったらしい。手にした桶をぼんぼん置いて、走って行く。
「ようやくアタマ回ったようだな。いくぞ」
怒鳴ってから、竜馬は『水汲み用ロボット』が考案されたら、モデルになるだろう、という勢いで、次々と桶に水を満たし、次々に手渡していった。最初こそまごついていたが、皆必死なので、だんだんリズムにのってくる。
いいペースになってきた所で、
「次からお前汲め。俺は後ろへまわる」
怒鳴って、隣りに居た比較的若い男に空の桶を押し付け、自分は風車小屋の中へすっとんで行った。最後尾の男が、熱と落下物との恐怖と戦いながら、懸命なへっぴり腰で水をかけている。
「貸せ!」
水の入った桶をさらうと、竜馬はもう一つ上の梁に片手で飛びつき、無理やりよじ登った。更にもう一つ。もう火のすぐ側で、息も苦しいほどだ。
ざぁ!と水をかける。下に空の桶を投げる。悲鳴が上がった。
「お前、もう一つ上まで上がれ!」
来い、という仕草は解ったのだろう。男は泣きそうな顔で、登ろうとしたが、水桶を持ったまま上がるのは難しいらしく、もがいている。
竜馬はすばやく下までおりると、男の左手から水桶をさらい、再度上がり、水をかける。それを、幾度も、幾度も、幾度も繰り返す。
木とわらが燃えてるので、まだよかった、とこの場合あまりに場違いなことを竜馬は途中からふと思った。これが…ポリウレタンだのポリエチレンだのポリ…ポリプロピレンだの…ポリ、ポリペプチド…
ポリシリーズをいくつも、架空の名前まで思い浮かべ、列挙しながら、水をかけ、降りて桶を受け取り、のぼって、水をかけ、降りて、
風車小屋の火事から、遥かな東の地平へと、空を染める光源がバトンタッチされそうな頃、ようやく、竜馬の手は、それきり桶を受け取ろうとしなくなった。そして、
…ポリポリ、とかだったら、今ごろ俺は死んでたな、煙で。
長い長い長い文を締めくくった。
全員、汗と水と泥とでできた人形のようになって、ぼうーと風車小屋を見上げている。まだ、夜明けには間があるが、黒よりは青と呼べるようになってきた空に、煙と、人々の絶望がほそくほそくたちのぼってゆく。
竜馬は知らなかったが、村人が今年収穫した小麦は、ここで挽かれるのを待っていたのだった。ほぼ全部が台無しになっている。つまり、今年は無収穫、ということだ。
誰かが代表のように、低い声を出した。
なんてことだ、か神よ、かどうしてこんな、か。
竜馬は手の甲で額をぬぐった。拭われる額も拭う手も、ぬるぬるして臭くて、気持ち悪いことこの上ない。見ると、少年と友が側に来ていて、やはり煤と煙で汚れきった顔と、真っ赤になった目で、そっと微笑みかけた。
「…お前も、ご苦労だったな」
そう声を掛けると、少年はとても嬉しそうに笑った。あんなふうな雰囲気になってしまっていたのを、気にしていたのだろう。
しょうがねえな、とつい笑ってしまった時、激しい怒りの声が聞こえてきた。竜馬は首をめぐらせてそっちを見た。
あの地主男が、かんかんになって怒鳴っている。今やってきたのだろう。服は別段、汚れていなかった。
「馬鹿か。がっかりするてんならともかく、怒ってどうすんだよ。火に怒る気か?何でわしの小屋を燃やしたんだってか」
最後の辺りは嘲笑になっている。と、
少年の隣りに住む、あのやはり不愉快な中年男が、地主に駆け寄ると、熱心に叫びだした。そして、
少年を振り返ってから、何か男に告げた。
周囲がどよめく。竜馬は少年を見た。少年は真っ青になって、弱々しくかぶりを振っている。
地主は目をひんむいて、男に問い正し、相手が何度もうなずくと、今度は少年をにらみつけ、激しく詰問し始めた。
「おい、何だ?何言ってんだ、こいつら」
しかし少年は泣き出しそうな顔で、もぐもぐ言いながら首を必死で振っている。
ただならぬ事態だということはわかる。そして、この状況下で、連中がこいつを責め、こいつが必死で首を振っているということは…
「お前ら、まさか、こいつがやったとか言ってんじゃねえだろうな」
怒鳴り返す。中年男は一回びびってから、虚勢を張って、何度も少年を指差し、断定してみせた。
わしはちゃんとみたんですこいつがよるくらくなってからだんなのおやしきのうらをうろうろしてやがったのをあれはきっとおやしきにひをつけようとおもったけどできなかったからこんどはふうしゃごやにひをかけたんですぜ
地主が憎々しげに、どこか満足げにさえ見える顔で、うなづく。
そんなことだろうとおもった。むすめとのこうさいをきんじたからそのはらいせというわけだろう。とんでもないやつだ。
村人たちは顔を見合わせ、次第に、少年から離れはじめた。
「ふざけんじゃねえぞ!黙れ!こいつはまっすぐ家にかえってずっと寝てたんだからな!俺がちゃんと知ってる!」
竜馬は怒鳴ったが、無力といえばあまりに無力な弁護であった。そもそも弁護にすらなっていない。
少年は真っ青な顔をゆがめて、竜馬を見上げ、それから地主の前に出て必死でかぶりを振ったが、相手へさしのべた手を、男は思い切り払った。疲れきっていた少年は後ろに倒れた。
「何しやがる!」
かっとなって怒鳴り、前に出た。と、地主が、村人に向かって何かわめいた。村人は、あおられるようにして、手に手にその辺の燃えた木材などを持って、竜馬に向きなおった。
更に地主が何か怒鳴る。村人たちはじりじりと竜馬に迫ってくる。目に、憎しみの光がともっている。自分たちの一年分の苦労を灰にしたのは、あの二人だとでも告げられたのか、どうか。
先頭の一人が、木材をふりかぶって、竜馬におそいかかった。反射的に、蹴りで木材をふっとばした。男が反動で後ろに倒れ、村人たちがいっせいに怒りの声を上げ出した。
「待てって言ってんだろう!俺は何もしてねえ!ま、て!待てったら!」
しかし、村人たちは竜馬を取り囲むようにして、じりじり迫ってくる。少年は、さすがに殴られる対象にはされていない。必死で声を上げているが、誰一人少年をかえりみる者もいなかった。
油断無く身構えながら、内心、情けなさでいっぱいだった。
どうして、こんなことになったんだ?
火事だと思った。走って行って、消した。そして…地主野郎に放火犯にされ、村の連中にフクロにされかけている。…
俺がどこで何をしたのが悪いんだ?
俺がどこで何をしなかったのがまずいんだ?
考え付く前に、次の男がわめきながら襲い掛かってきた。同時に後ろからも。
こんなやつらに、やられる気はないが、まさか殺すわけにはいかないし…第一、全員のした後、俺はどうすりゃいいんだ?そして、ガキは。
「畜生、考えつかねえ!」
わめいて、次の一撃をかわした時だった。
「考えつかねえ時は、とりあえず、やることやっちまえよ」
声が聞こえた。
えっ!?と思う。
「その声は」
思わず上げた声に応えるように、村人の輪の後ろの数人が、宙を飛んだ。
後ろにも誰か敵がいる、と村人たちはパニックに陥った。もともと、戦ったり争ったりに向いている連中ではないのだ。その間隙をついて、更に数人を投げ飛ばしたその男は、すっと竜馬の前まで来た。
見慣れた男の顔だった。にやりと、歯をむいて笑うと、
「まったくよ、どこまで遊びに行ってんだ。探したぞ」
巴武蔵だった。
「…武蔵…」
思わず棒立ちになった竜馬の口から、感無量の声がこぼれだした。ほとんど泣きそうだったが、それは全身でこらえた。
その代わり、思い切り相手の頭を張った。
「いてぇ!」
「馬鹿野郎!さっさと探しに来い!全く!」
そんなことを言っても、竜馬が嬉しくて嬉しくてたまらないでいる、というのは一目瞭然だ。武蔵は声を上げて笑うと、
「大分寂しかったみたいだな。なんだ、甘えん坊め」
「なにを!こんな電話もねえド田舎に何十日ほっぽりだされたと思ってんだ!真面目に、ここにホネ埋めるしかねえのかと思ってたんだぞ!」
「そのことなんだがな」
喋りながらも、二人は油断無く周りの連中の出方を伺っている。突然現れた男と、知らない言葉で意思を伝え合っているのを、皆気味悪そうに見ている。
「ちっと、問題は複雑らしいんだ。とりあえず、俺が言えること言うぞ。お前がぶっとばされる前に戦ってたあいつな。どんどん、市街地に近づいていってるんだ。一刻を争う状態ってやつなんだなあ」
呑気な口調に竜馬は呆れ、舌打ちし、
「一刻を争うって言い方じゃねえぞ」
「ま、なんでもいいや。すぐに帰らないとまずいんだ。と言う訳で、帰るぞリョウ」
「ちょ、ちょっと待て。イーグルは」
なあんだという顔で、武蔵は今襲い掛かってきた村人をぶん投げてから、
「やっぱり見つけてなかったのか。俺たちはここに来てな、ゲッター線を探知してすぐに見つけた。あっちの、丘の向こうだな。壊れてたぞ。隼人がなおしてる」
「あの野郎も来てるのか」
「当たり前だろ。さあ行こうぜ。とっとと戻ってメカザウルス倒さねえと」
「あ、ああ」
なんだか、今まで数十日願い続けたことが、今目の前に差し出されているのは、嬉しいというほかはないのだが、
今自分がほいほいと戻っていったら、このガキはどうなるだろう?
どうやら放火犯の疑いをかけられ、村人とはこんな険悪な状況になり、たった一人ぼっちのこいつはどうなる。
「リョウ!なにやってんだ、戻るぞ」
気がつくと、武蔵は村人数人を更になぎたおし、村人ロードを製作して、そこを抜けようとしていた。
竜馬は迷ったが、
今はあいつを倒す方が先だ。まさか、こいつを全員でリンチにかけることはないだろう。とりあえず、あっちを倒してから、すぐに戻ってこよう。
そう決意した。そして、ばっと少年の側に駆け寄ると、肩を掴んだ。
少年は両眼に、絶望と悲しみの色をいっぱいにたたえて、竜馬を見上げている。その目をぎゅっとにらみつけるようにして、竜馬は叫んだ。
「すぐ、戻ってくる。すぐだ。待ってろ。すぐ戻ってくるから」
何度も繰り返しても、意味を知らない言葉は通じない。…
そのことを、竜馬はまだ学習していないようだが、たとえしていても、そうするほかはなかっただろう。
「わかったな?だから頑張ってろ。頑張って絵を描いてろ。すぐに戻ってくるから」
絵を描く、という仕草だけが、辛うじて伝わったらしい。しかし、だからといって、少年の表情が明るくなるどんな理由になるわけでもない、
このおおきなことばのつうじない、つよいつよいひとはいってしまうのだから。
またぼくはひとりぼっちなのだから。
あすからは。いや、きょうからは。
まだ、後ろ髪はこんなに引き摺られまくっているのだが、竜馬は歯をくいしばって、それをひきずりもどし、
「じゃあな」
一回、少年の肩を更に強く、痕がつくほどに掴んで、離すと、どけ!と怒鳴りながら、武蔵の後を追って走り出した。
村人の騒ぎ声が大きくなり、悲鳴が混じり、怒声と罵声の中、少年は座り込んでその広い背が遠ざかってゆくのをぼんやりと見送った。そばに、友がいる、その背を無意識に撫でながら。
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