「おう、どこ行くんでえ、大作」
頭上はるかな高みから、鉄牛の声が降ってきた。仰ぎ見ると、眩しい陽光が目に飛び込んできて、思わず目を閉じ、叫んだ。
「ロボの整備を手伝ってきまあす」
「そうか。転ぶなよ」
「はーい」
いつものように、元気いっぱいに答えて、勢いよく駆け出してゆく。短い髪が小刻みに揺れながら遠ざかってゆくのを、鉄牛はやれやれという笑顔で見送った。
「相変わらずロボ、ロボか。あいつも、フツーのガキみたいに楽しめるものなんか、ロボ以外にねえからなあ」
「でも大作くんは本当にロボを大事にしてますよ。たとえロボットでも、大作くんの気持ちは伝わっていると思います」
一緒に壊れた砲台を修理していた隊員が、汗を拭いながら言う。
「ま、キカイ担当の人間は、ことさらキカイを擬人化するところがありますけれども」
「なんにしても、大事にして悪いことなんざねえやな」
「そうですね」
腕まくりをして、こっちも汗を拭って、
「さあて、やっちまおうぜ。なんだ。ここを曲げればいいのか」
「ちょっと待ってください。そこを曲げられたら困ります」
その頃、大作は小高い丘を越えて、ロボが格納されている場所まであと少し、というところまで来ていた。そこで、声をかけられた。
「きみ」
「はい」
素直に返事をして、声の主を見た。見慣れない青年が立っている。かなりの上背を純白のスーツに包み、黒い髪を背まで長く流している。男らしい、端正な顔立ちに、穏やかな微笑を浮かべている。思わず、自分も笑顔を返して、
「なんですか?」
一方、青年の目には、大きな目をキラキラ輝かせ、まだ治りきっていないらしい火傷にバンソウコウをはり、全身から無邪気さと天真爛漫さを発散している、半ズボンの少年が映っていた。赤いネクタイをきちんと結んでいるのが、可愛らしい。
「解く時は、もっと可愛らしいだろうな」
「はい?」
「いや、なんでもない。君は、草間大作くんだね」
「えっ…はい、そうですけど、あなたは?」
突然名を言われて、びっくりしたらしい。しかし、大きく見開いた目には、不審さはなかった。ただ、驚きだけが映っている。
むやみやたらと人を疑う性癖はないらしい。素直で、純真で、真っ直ぐで、実にいい子だ。手が震えてくるのを堪えて、さらににこやかに、
「わたしはね、君のお父さんを知っている者なんだ」
「えっ、父さんを?」
大作の声が跳ね上がった。
「うん。草間博士には本当にお世話になった。ぜひ一度、博士のご子息に会ってみたいと思っていたのでね。こうして会いに来たんだよ」
「そうですか、…ありがとうございます。ええと、あの」
「幻夜だよ」
「はい。ありがとうございます、ゲンヤさん」
「君のことは、小さい頃の写真でしか見たことがなかったけれど、すぐわかった。立派に成長したね。博士も安心していらっしゃることだろう」
そんなこと、ないです、と小さな声で言って、赤くなり、もじもじと笑う。その笑顔の愛らしさに、思わず倒れそうになったが、これまた堪えて、
「じゃあ、君も忙しいだろうから、これで失礼することにしよう。元気で頑張ってくれ」
右手を上げて立ち去ろうとする。案の定、大作は慌てて近寄ってきて、
「あの、待ってください。もう少し、父さんの話を聞かせてくれませんか」
「ん…わたしはいいけれど、君は大丈夫なのかい?」
「大丈夫です!もう少しだけ、お願いします、ゲンヤさん」
今では目の前まで近寄っていて、幻夜の胸のあたりから懇願するようなすがるような目で見上げてくる。たよりなげな口元、上気した頬、つぶらな瞳。右手で左手のすることを抑え、左足で右足のしたがることを抑えつつ、上品な笑顔の鉄仮面をかぶったまま、幻夜はうなずいた。
「君さえいいなら、いいよ」
「ありがとうございます!」
「それじゃあ、ちょっと座れるところに行こうか。すぐ近くだから」
「あの…」
大作はちょっと迷ったが、父の話がきける魅力には到底抗えない。思い切りよくうなずいて、こっちだ、と導かれるままに、道に停めてあるしつこく純白の車に乗り込んだ。
車が走り出してから、最初に気がつかなければならないことにようやく気がついて、しかしそれがまだ相手への疑惑には結びつかない顔で、華麗にハンドルを操っている青年に、
「あのう、そういえば、父さんとはいつどこで知り合ったんですか?それに、僕がここにいることを、どうやって知ったんです?」
青年は、横顔に穏やかな微苦笑を浮かべた。その貌は、裏に隠している下品な欲望とひきくらべると、全くもって嘘か冗談のようにノーブルで気品があり、大作は思わず見とれた。
「後で答えてあげるよ。ちょっと待ってくれるかな」
「はい」
「すぐだからね。これ、飲みたまえ」
渡されたのは、よく冷えた清涼飲料水だった。今日はかなり蒸す。大作の額にも、汗がにじんでいた。
「いただきます」
お行儀よく言って、しゅぽ、と音を立てて開け、思い切り喉に流し込んだ。なめらかな、まだ喉仏のない白い喉が上下するのを、幻夜はあやしい目つきで見つめながら、器用にハンドルをきった。
「おいしいです」
「それはよかった」
相手の笑顔に、幾度目かに笑い返して、続きを飲み干した。中身のなくなった缶を膝の上でかかえて、ふうと息をついた。喉に、冷たく気持ちのいい感覚が残っている。
まだ見覚えのある外の景色と、優雅な幻夜の運転技術を交互に見比べているうち、どうしたことかひどく眠くなってきた。
うつらうつら、まぶたが落ちかけては何とか開けていようと努力している大作に、幻夜の優しい笑い声が、
「眠そうだね、大作くん」
「ごめんなさい…なんだか、急に…変だな、夕べだってちゃんと、呉先生に言われてる時間には寝たのに…」
「今日は暑いからね。いいよ、ついたら起こしてあげるから」
「すみません、ゲン…ヤ…さ…」
そう言ったのを最後に、大作の首はことりと胸の上に落ちて、寝息を立て始めた。長い睫毛が、まるく赤い頬に影を落としている。
幻夜はそっと手を伸ばして、跳ねた前髪に触れた。それから、髪を撫でた。大作は何の反応もない。ぐっすり眠ってしまったらしい。
「ゆっくりおやすみ、大作くん。目が覚めたら、また話をしよう。それから…ほかのことも」
低く、甘く、いやらしく囁いて、幻夜は顔を近づけると、小さく開いたくちびるのごく側に、キスをした。子供っぽいひなたの匂いがして、ちょっと高めの体温が、幻夜の唇に残った。

「大作君が行方不明?」
相手の言葉を繰り返して、中条長官は目の前で青ざめている男の顔を見た。
「はい、長官」
「いつからだ」
「昼前に、鉄牛が最上部の砲台から、大作君がロボの整備に行くと言って格納庫の方へ走っていく姿を見たのが、最後です」
男の後ろで、鉄牛がうなずいている。
「あの時は別に、いつもと同じでしたぜ。例の調子で、ロボの整備を手伝ってきまーすって」
「大作自身には、別段変化はなかったってこったな」
戴宗が顎を撫でながら呟く。
「コールサインは」
「ずっと送っていますが、応答がありません。いや、切られています」
「すると、第三者の介入があったのかな」
「おそらくは」
うつむいてから顔を上げ、
「目下全力で探索をしておりますが、なにぶん手がかりが皆無なので」
「うむ」
唸るように返事をして、両手を組み、
「大作君を誘拐して、益のある者とすれば、BF団しか考えられないが」
「でも、どうやってさらっていったんでしょう?相手がBF団等不審な人物であれば大作君自身から緊急信号が入る筈ですし、無理やり気絶させられたのであればロボになんらかの反応があってしかるべきです。それに」
一同が、呉学人の言葉に促されるように、GR1の方を見た。虚空を、ただ静かに見つめている。小さなあるじから命令されるか、あるいはあるじに危機が迫らない限り、いつまでもこうして待ち続けているガーディアンの姿だった。
「今も、大作君の身に危険はないようです。それがむしろ不思議なのです。誘拐してすでに数時間、一体何を」
「あれじゃねえか。大作を宥めすかして、BF団の手先にしようって作戦じゃねえのか」
「ご馳走くわせて、いい服着せてですかい兄貴。…いいなあ」
思わず漏れた言葉に、楊志がくってかかる。
「なに馬鹿なこと言ってんだよ、鉄牛」
「すんません姐さん」
小さくなって謝る。
「いや、楊志、あり得ないことじゃねえぞ。なんて言っても大作はまだ子供だ。呉先生が不思議がっていたが、12の子供を言いくるめて誘拐するなんて、容易いことだろうが」
「でもあんた、いくらなんでもご馳走食わされたくらいで、大作がBF団に寝返るわけがないよ」
「そうだわ」
突然、ずっと黙っていた銀鈴が口を開いた。
「大作くんが、ロボを悪事の手伝いに使うなんてありえないわ。お父様の大切な形見のロボを」
その懸命な口調に、呉学人がつらそうな表情になった。
「呉先生」
不意に呼ばれて、慌てて振り返る。
「は、何でしょう長官」
日に焼けた顔に、黒メガネをかけているので、表情がよくわからない。しかしたとえそれをはずしても、この男の内心を看破することは容易ではないだろう。あまりに強大な破壊力を持つゆえの、強大な自制心なのか、敵にも味方にも畏怖と敬意さえ込めて、この男の通り名は呼ばれていた。
今も、何を思うのかわからない口調で、
「わたしも、銀鈴君の意見が正しいとは思う。しかしなにぶん大作君はロボと一緒に居てはじめて力を発揮できる。ロボから遠く引き離され、もしあの通信機を取り上げられたとすれば、ただのか弱い子供に過ぎない。敵が、戴宗君の言うような目的と、作戦でいてくれるのならまだいいが」
「はい」
「ロボが、大作君を助けようと動き出してからでは手遅れだ。全力で大作君を探し出してくれ、諸君」
「はい!」
全員が叫んだ。
長官がその場を去り、鉄牛がぼそぼそと、
「大作のやつ、今ごろどうしてるんだかなあ」
なんだかんだ言って心配している。戴宗がその肩をぱんぱん叩いて、
「大丈夫、大丈夫だって鉄牛。そう心配すんな」
「べ、別にそんな心配してる訳じゃありませんぜ兄貴、俺はただ、その」
つい出てしまった本音を慌ててごまかす男には、皆とりあわず、
「きっとすぐに、不埒な誘拐犯の居所がわかるよ。そうしたらあたしら全員でわーっと行って、大作をひっさらって、行きがけの駄賃にクソ球っころやガラクタロボットをぶっ壊してやりゃ済むことさ」
「そうよ鉄牛。大作くんは絶対無事よ」
自分に言い聞かせているような相手の口ぶりに、それ以上逆らうこともできず、鉄牛はすとんと肩を落とし、
「そう、そうだな、銀鈴。きっとそうだ」
「ええ」
強くうなずいてから、銀鈴はこわばった笑顔をつくった。

ん、と小さくうめいて、それからゆっくり目を開ける。
見慣れないものが見えている。天蓋、というのか、アンティークなベッドについている、レースのたっぷり垂れた、言うなれば『お姫様のベッドの必需品』というやつだ。
そんなものがついたベッドで寝たことはない。少なくとも、これを見ながら眠りについた覚えはない。
数秒後、大作は起き上がろうとした。しかし、血管の中に水銀でも流れているような億劫さが、それを阻んだ。
「目が覚めたかい」
落ち着いた、穏やかな温かい声の方へ、大作はなんとか顔を向けた。
見覚えのある長い髪の青年が、微笑していた。
「ゲンヤ、さん」
幻夜は心から嬉しそうな笑顔になった。
「そうだよ。覚えていてくれたんだね」
「あの…ここはどこですか?僕は、眠っちゃったんですね?どのくらい」
寝ていたんだろう、といいながら時計を見ようとして、大作ははっとした。
腕時計がない。
パニックになりかけた大作に、
「ここにあるよ」
相変わらず、優しく言って、幻夜は左手を開いて見せた。
大作の腕時計が乗っていた。
一瞬、どういう顔をすればいいのかわからなくなる。大作は言葉を探しながら、必死で上体を起こそうとした。
「大丈夫かい?」
「…返してください」
「もちろん返すよ」
にこにこうなずいてから、幻夜は、今やっとベッドの上に起き上がった大作に、
「もちろん、返す。これは大切な、君のお父上の草間博士の形見なのだからね。ただ…
その前に、わたしの話を聞いて欲しい。全部聞いてくれたら返すよ。いいかな」
この時には、大作にも、この青年が、単に父を知っているというだけではないということがわかっていた。
大作の目の色をじっと見てとってから、幻夜は静かに、
「君が眠る前に、尋ねていた質問があったね。あれにまず答えよう。何故、あの時答えられなかったか、今君はうすうす気づいているようだが。
草間博士を知っているのは、彼がGR1を、BF団のためにつくったことがあったからだ」
大作の顔がすうと青ざめた。
他に、ありえる答えなど、そうはないことはわかっていても、やはりショックだった。
「君があそこにいるのを知っていたのは、今まで幾度か、我々の計画を、GR1を従えた君につぶされてきたからだ」
大作の唇が震えた。
「じゃあ」
「そう」
幻夜はゆっくり目を閉じ、しばしのちふっと大作を見据えて、
「わたしはBF団のA級エージェントだ」
どのくらいの間か、二人はお互いの顔を見つめていた。先に、大作が、前髪の下に目を伏せて、
「だから、僕を、さらったのか。こんな、手の込んだやりかたで」
声が、涙にくずれそうになるのを懸命に堪える。
「父さんの名前まで使って」
「あれは本当だ」
顔を上げる。怒りと悔しさと、悲しみに涙ぐむ目に、幻夜の、ひどく苦しげな顔が見えた。
「草間博士が、どんなに一人息子を大切に思っていたかは、私にはよくわかる。大事な大事な息子にあんな重い荷物を持たせ、たった一人で戦いの中に出してやらねばならなくなって、どれほど心残りだったか」
「やめろ!みんな、お前たちのせいじゃないか!」
「その通りだ」
幻夜はもう笑ってはいなかった。
「我々は敵同士だ。それぞれの意志と信念でもって反対の道を歩むものだ。そのことに違いはないが、わたしには」
低く息をついた。その息の残りで、
「君の気持ちがわかるのだ。同じ、父の遺言と遺産を受け継いだ者として」
大作の表情が動いた。
「大怪球…あれは父だ。わたしにとって父そのものだ。世界中に後ろ指をさされ、疎まれ、憎まれて死んだ父なのだ。
あの操縦席にひとり座っていると、父の最期の声が聞こえてくる。頼む。私の遺志を継いでくれ。頼めるのは息子のお前ただひとりだと」
目を閉じる。そのまま、静かに言葉を継ぐ。
「わたしにとって、父の遺言は絶対だ。それを遂げることの他に、何を考えるべきだというのか?わたししか、父の無念を晴らす人間はいないのだから。わたしがくじけたら、そこで父の意志は無に帰す。そんなことができるか?
馬鹿げていると、幾人に、幾度言われたかわからない。…しかし、やめるわけにはいかないのだ。父の」
深く深く息をはき、
「父の願いを、果たさねば」
しばらく経ってから、ゆっくりと幻夜の口元に微笑がのぼった。
「君が叫んでいるのを聞いたよ。幾度もね。
父さんの残してくれたロボで、僕がお前たちを倒すんだと。同僚たちは小うるさいとくさしていたが、わたしには、君の必死さが、懸命さが、まるで自分の痛みのように伝わってきたのだよ。多分、
君の辛さが本当に理解できるのは、…いや、やめておこう」
首を振る。
「いっときの、つまらない感傷なんだろう。君の辛さを少しでも減らしてやりたいなど、わたしが言うのは不遜だったな」
ベッドに近づき、腕時計を差し出す。
「それだけだった。本当に。信じてくれなくてもいい。仲間をよびたまえ。外まで、わたしが責任を持って連れて行ってあげるから」
見ると、大作の目から、涙があふれている。こぼれるのをなんとかこらえていたようだが、堪えきれないらしい。今、手の甲に隠れるようにして、泣き出した。
腕時計を受け取ろうとしない。その手首に、手際よく腕時計を巻いてやって、低く笑う。
「君には、やはり少し大きすぎるようだね」
「だって、もともとは父さんの」
あとは言葉にならない。その頭を、そっと撫でた。大作がつっぱねないのを確認してから、幻夜はベッドに座った。
頭を撫でていた手を、そっと肩にまわし、本当に時間をかけて、抱き寄せる。しゃくりあげる大作の頬が、幻夜のスーツの胸に触れた。顔を上げ、幻夜の顔を見る。
とんでもない下心を見事に隠し切った、限りない優しさと、切なさと、温かさに満ちたまなざしが、大作を包み込んでいた。

[UP:2001/11/10]
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