全員の注目を浴びて突っ立った幻夜だったが、何か叫んで外に駆け出してゆくという訳でもなく、
「村雨〜、」
表現しづらい口調でそれだけ呟き、結局同じ表情のまま、すーと腰を下ろした。アルベルトが文句を言おうとしたが吐き気がこみあげてきて口をおさえ、黙った。イワンが思わず背中をさすろうとしたが、要らんと怒鳴られた。
その日から、なにげなくさりげなく振る舞っているつもりの幻夜だったが、気がつくとそのことばかり考えていて、誰がなにを聞いてもお留守であった。
どうしよう。逢えないでいる間に万一、大作くんがパリのキザ男の毒牙にかかったら。
次に逢った時に、キザ男の側に寄り添って、
『すみませーん。やっぱり、逢いたい時に逢える人の方がいいんでー』
『いいから悪役は悪役同士くっついていろ。赤い仮面だとか直系だとか、美形はいくらでもいるんだろう?ああお前は本当はフケ専だったな。カワラザキか。ははははは』
『幻夜さんは、やっぱりお父さんタイプの人がいいんですね。やっぱりなあ。時々、なんだかヘンだなと思ったもの』
『お前の父親のことも狙ってたらしいぜ大作』
『ええっ、ひどい!まさか父さんにヘンなことしてなかったでしょうね!信じられません!人でなし!』
違う!勝手なことを吹き込むな、この前髪野郎!
額から怒りと焦りの汗がにじみ出る。口元から怒りと焦りのあぶくが吹き出てきて、カニのようだ。
廊下ですれ違う部下二人が頭を下げ、ふと視界に幻夜の手が入り、ぎょっとする。ぎゅうううー、と握り締めた拳によって、次の磐梯温泉第三セクタのっとり作戦の資料が、リボン状に開いている。
(ものすごい握力だ)
(そういう問題じゃないだろう)
部下が目配せし合っている後ろから、幻夜の様子を見ていた男が、少し考えて幻夜の後を追い、間をおいてからノックした。
ソファに身を沈めて、己のふがいなさと大作への愛しさと現状のもどかしさ、それから村雨への怒りと憎しみとをもてあましてのたくっていた幻夜は、イライラと怒鳴り返した。
「うるさい!入ってくるな!」
だがドアは無視して開いた。幻夜は目をむいて振り返り、
「入るなと言っているのが聞こえ…」
しかし、そこに立っていたのは情けないヒゲと白羽扇とアイボリーホワイト色スーツの中年男だった。
「これは随分とまた、ご機嫌斜めのようですな」
幻夜は驚いて立ち上がり、何でこの人が直々にこんな所に?と思いながら、さすがに同僚たちとは立場の違う相手に、出て行けと怒鳴ることは出来ない。
「こ、これは…失礼なことを」
いやいや、と手で相手を押しとどめてから、男は爪先を60度に開き片手を後ろへやり反り返り、ふわふわ扇子で顔をあおぐいつもの姿勢で、
「まあ、気持ちはわからぬでもない。さぞや気の揉める状態であろうと察するものだが」
中年男だというのに流し目が妙に妖しい。声もなにやら、催眠術者のような響きがあって、丁寧で優しげで頼もしく、聞いているとついついこの男の役に立ちたくなってくる声だ。ランクの低い者ならいくつか会話するだけで『なんなりと御命令を』とでも言い出すだろう。
それでなくても『頼もしい壮年』には弱いところのある幻夜は、わかっていただけて嬉しいですと言い出しそうになってから、踏み止まり、
「いろいろと耳に入っているのでしょうな。お恥ずかしい限りです。だが私は本気だ。真剣に草間大作を想っているのだ。それは誓える、天に。地に」
父上にと言いそうになって、かろうじてやめた。
ふわふわ扇子男は、同じことを主張した大作を冷笑した村雨とは違って、思い遣りを込めてうなずいてやり、
「誰かを愛するという気持ちは素晴らしいものですぞ。さながら、いかなる時にも胸の中で輝く星を手に入れるが如くに」
幻夜は思わず息を吸い込み、感動と共に吐き出した。こういうのを聞きたかったのだ。同僚連中から聞けるのは、ままごとは幼稚園でやれだの、大怪球に乗ると変態菌に感染するから絶対乗らないだのといった心無い罵声ばかりだった。それら全てが愛の試練だと思ってきた幻夜だったが、やはりこういった、彼のポエジーな心情にマッチしたグーなセンスのセンテンスをもらえると、かなり、慰められる。
「ありがとうございます」
思わず本気で感謝した幻夜に、鷹揚に微笑んでやる中年男の、目が驚く程冷たいことに、幻夜はやはり気付かなかった。
「ところで、これからどうする気でいるのかな」
「どうするとは…」
聞き返した幻夜に、驚いた風に眉を上げてみせ、わざとらしく失笑しながら、
「よもや、このまま放っておくつもりではあるまい?聞けば、パリの諜報部員はなかなかに腕のたつ男とか。そちらの方面にも」
最後の方は扇子の陰で含み笑う。どちらの方面なのか、幻夜は勝手に読みとって、さっと蒼褪めた。
「貴君の大事な大事な一等星が、どこぞの与太者の手によって流れ星になって堕ちてゆかないかと、心配していたのではないのですかな」
既に幻夜の頭の中では、大作が悲鳴を上げながらくるくると回りつつ夜空の中を落下していく姿が映像化されていた。バックには巨大な村雨が、いやらしい笑い方をしてそれを眺めている。大作のネクタイがほどけかけている。
(だ、大作くん!…)
「違うのなら結構。年寄りがとんだでしゃばりを口にしていたようだ。忘れていただきましょう。では」
くるりと背を向けたところへ、
「待って下さい」
悲鳴を上げた。それは最初から予想していたらしく、くるりと向こうを向いたそのままの勢いでくるりとこちらへ戻ってきて、
「何か御用がおありか」
「私だって、どうにかしたいと思っているのです!でもどうしたらいいのか。一旦、こういう取り決めにすると自分で決めた以上、大作くんが国警周期の間にのこのこ押しかけていくのはそれを破ることになるし、何より大作くんに『しつこい』と思われそうだし、しかしそんな呑気なことを言っていていいものやら」
一生懸命手を広げて訴える。いつの間にか『大作くん』呼ばわりしていることに気づいて、急に恥ずかしくなり、口ごもった。
と、相手は幻夜の心を読んだように、柔和に(見える顔で)笑って、
「何も恥ずかしがる必要はありませんよ。苦悩する必要もない。立派な解決策がある」
「解決策?」
幻夜はきょとんとした。言葉の意味がわからない。
「貴君がBF団の幻夜として、国警の草間大作の様子を見にゆく立派な口実があるだろう、と申しておるのだ」
「…そんな手があるのですか」
目が輝く。
「お、教えて下さい!」
ひれ伏さんばかりに願われて、ふわふわ扇子で優雅に顔を扇ぎながら、低く低く笑った。
「簡単なこと。BF団は慈善団体ではありません。お忘れか?
それからもう一つ、貴君の愛車には、お父上譲りの強力な拡声器がついているでしょう」
「えっ?」
「思わず、他の車が動きを止めてしまうくらいの、威力のある、ね」
幻夜の目が見開かれた。
にっこり笑う。
「それをも上回る力で、貴君のもとへやって来られるのは、あの少年だけだ。何故なのか。無論、愛の力ゆえですな」
そんなことを言ったら普通は自分に照れるか、嫌気がさすものだが、この男はしゃあしゃあと言いのめして、ん?という角度で幻夜の顔を覗き込んだ。
幻夜は今では相手の胸のあたりに目を落とし、口を少し開けて、考え込んでいた。どうしよう、という字が、白い顔にでかでかと書かれているのを、相手は優しい笑顔と、なにやら人でないような、なんとなく白イタチを思わせる目で眺めている。
こんなことをしたら大作くんはわたしに幻滅するのではないだろうか。幻夜だけに幻滅、なんてバカなことを言ってる場合ではない。
だって君が心配だったから、と言って、それで納得してくれるだろうか。
「そんなにあの少年の心証が気になるのですか?」
呆れたような、冷笑と憫笑の混ざったような笑い方をして、
「アルベルトどのなどが言っておられるように、貴君はすっかり彼の尻に敷かれているのですな。いやいや、どちらかというと飼い犬の方が近い。手なづけられたペットという訳か。コイというご命令がないと側にもよっていけないと、まあそういう訳な…」
「やります」
憤然と言い返した相手に、にっこり笑いかけ、近づいて行く。
「きっとそう言うと思っていました。貴君の愛は本物でしょうな?」
「勿論です」
「それを見せていただきたい」
す、と開いた男の目が、不思議な色になっている。

「次の作戦はわたしが指揮をとる」
作戦会議を行っている部屋に入ってきていきなりそう言い放った男に、皆げんなりした。が、それを顔に出すことは、やはり一人くらいしか許されていない。
許されている一人が他の奴らの分もという訳ではなく心底げんなりしているせいだろうが、ものすごくげんなりした顔をしてみせて、
「何を張り切っているのか知らんが、迷惑だ。貴様が首を突っ込んでくるとろくな結果にならん。この次だ。この次、お前一人で好きなようにやれ。今回は自分の部屋で茶でも飲んでいろ」
鉄板で上から押し付けているような、平たい声で言った。感情を込め出すとわやになるからだろう。
「いや、わたしがやる」
「あんまり勝手なことばかり言うと許さんぞ。貴様はいいからフヌケになってぼーっとしていろ。その方がその方がずーっとずーっとありがたいわ」
段々ゲキしてきたアルベルトをぎゅっと睨んで、
「フヌケになってぼーっとしていては、大事なものを奪われてしまう。そうなるくらいなら多少幻滅されても構うものか。密やかで慎ましい文通の時代は終わったのだ」
「何を訳のわからないことで自分を励ましているのか知らんが」
「とにかく」
凛とした声で言い放つ。力強いよく通る声で、きっぱりと、
「貴殿は大人しくわたしの下に入れ。これは貴殿よりも上の決定だ」
アルベルトのこめかみにむくーっと血管がふくれあがり、片方しかない黒目がきゅーっと小さくなった。
「私よりも上だと?ほう。一体誰のことを言っているのか、私にはわからんな。私より上の存在なら、ビッグファイア様おひとりしかおられないと思うのだが。ひょっとするとビッグファイア様のご命令なのか?」
の、筈がないと知っていながら、そういう言い方をして、相手の顔を眺め回し、
「そうならそうと言ってくれ。ならば私もお尋ねせねばなるまい、何故そんな無体でむちゃくちゃでケッタイなご命令を下されるのか」
「ビッグファイア様ではない。ご承知のように」
うるさそうに払って、
「貴殿が何かご不満があることだけは承った。あとは四の五の言わないでいただこう」
アルベルトの嫌味を一方的に無視して、ずかずかとメインの位置までやってくると、ばん!とテーブルを叩いて、
「まだ何か言いたいことはあるか」
あったとしても聞く耳もたんぞ、という雰囲気に、一同は無言で頭を下げながら、あなただけが頼りなのですもっと頑張って下さいという目で、ちろりと一人を見た。その視線に応えようという訳ではなくやっぱり本気で腹立たしいからなのだろうが、アルベルトは口をでっかく開けて文句を言おうとした。
「わたし自らうってでる」
その鼻先に、出鼻をくじく勢いで言い放つ。そのまま、口を開けて、こちらをものすごい目で見ているアルベルトを、同じ視線で睨み返した。間に入ったら、心臓が止まって死ぬかも知れない、と眺めている連中は思った。

「なんだろうなあ。やっぱりわからないな」
首をかしげながら独り言を言う。
ここは大作の個室だった。なんとなく統一感のない部屋だ。いろんな人間がいろんな場所で買ったお土産を、無自覚に孫を可愛がる祖父母のようにくれるからだろう。首がぼよよーんとゆれる人形や、木登りするブタや、水時計や、ペナントや、大きい人形の胴体が開いて中にひとまわり小さい人形が入っていて開けると…の無限ミクロ化人形(どうやらオロシャの人形らしい)などが、困ったように並んでいる。
机の上にあの丸い円盤を置いて、さっきから何度も幻夜のホログラフを再生しているのだが、やはり、全文解読はできなかった。というよりほとんど、何を言っているのかわからない。
しかし、いまいましいことだが、やはり声が切れた直後の部分は、村雨が言ったように『北極星』と言っているようだ。
「何か、やだな」
小声で文句を言う。聞いている筈がないのだが、『そいつは残念だな、大作坊や』とでも皮肉っぽい声が聞こえてきそうだ。
「あんな人のことはいいんだってば」
幻夜は、今では無声の部分だった。優しい、熱っぽい様子で、一生懸命何か話している。
その視線や身振り手振りの情熱と、結局何を言っているのか伝わらない沈黙とが、思うようにならない自分と幻夜の現実を象徴しているようで、大作はひどく寂しくなった。
「幻夜さん、何て言ってるんです?」
話し掛けても返事はない。目は合っているのに。にこり、と笑って次の瞬間消えてしまった。
大作は少しの間、ただの部屋の空気に戻ったその辺りを見ていたが、再びスィッチを入れた。
幻夜が再び現れて、椅子に座って自分を見ている大作の、頭頂部のあたりを見つめている。大作は少し腰を浮かしたりして調整したが、なかなか目が合わないでいるうちに、喋りだした。
『草間大作。この声を聞いていてくれるだろうか』
「聞いてます」
少し間があって、
『ホログラフの映写機を小型化してつくってみた。これは第一作目だ。あまり長時間作動しない。でも、やはりこれは君に送ろうと思う。そうは逢えないけれど、その代わりだ』
「すごいや。自分でこんなのつくるなんて、尊敬しちゃいます。どうやって作っ…」
『暫く、逢っていないな。元気だろうか』
大作の言葉を勿論、無視して幻夜はきっちりと話し続ける。
「幻夜さん、まだ僕が話してる途中です。どうやって作ったんですか?作り方教えて下さい。今度は僕が」
しかし、幻夜はそれらすべてを無視してどんどんセリフを続けていく。
『万一病気にでもなったら、多分呉学究が何とかして教えてくれていると思うが、やはり心配だ。君のことだから、幻夜さんには知らせないで下さいなんて言いそうだ』
大作は黙ってしまい、うつむいた。それに構わず言葉が続いて、
『君を知ってから、本当に夜が美しいと思えるようになった』
僕の言うことに応えてください。
僕が文句を言っても怒っても泣いても、何も言ってもらえないなんて。
これは単なる録画だ。
『…君と一緒に見る星を知ってから、一人で見る星がとても侘しくなった』
「僕もです」
そう言っても、なら嬉しいよとは言ってくれない。本当かい?とも言ってくれない。
「こんなの、逢えない代わりになりませんよ、幻夜さん」
幻夜はやはり優しく、自分を見つめている。立って、近づくと、再び目が合った。
大作はちょっと周りを見た。誰か見物人がいる筈がないのだが。
ドキドキする。恥ずかしい。かなり恥ずかしいのだが、ちょっとだけ、ふざけてやるだけだから、と言い訳しながら、大作はもう一歩近づいた。
背伸びをする。にこやかに喋り続けている幻夜の唇に、目を閉じて、ちゅ、としようとした。
途端ずるっとなって、前にのめった。そこにあって広く強く大作を支え、それから抱きしめてくれるはずの胸に、顔から突っ込んでいき、つきぬけて、二三歩おとととと前に出てから、床に膝をついた。
顔を上げて振り返ると、幻夜の背が見えた。
広く強く、大作を支えてくれるはずの背だ。しかし、今そこにあるのは、厚みのあるカキワリに過ぎない。
目の前に居ない大作に向かって、熱心に話したり、あせって機械をいじっている姿は、なんだかどんどん悲しい気持ちにさせてゆく。
ほとんど泣きたい気持ちだ。
『草間大作。君は、ほっ』
がー。
沈黙が訪れた。
「幻夜さんてば!」
腹立たしくて、悔しくて、泣きそうになり、ここで泣くのはまるで女の子だ、と踏みとどまった。涙になりかけたのを懸命に手でこすって、床の上に座りなおし、幻夜の背を眺め続けた。
ふ、と姿が消えた。…
何でこういう形でしか逢えないんだろう。
ロミオとジュリエットってこういう感じなのかなあ。
年端のいかない少年でも知っている有名な、ロマンチックな悲劇を思い起こす。
敵対する一族同士である二人が、惹かれあい、最後は二人で死んでしまう。
縁起でもない。ぷるぷると首を振り、僕らは違う、僕らは大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
「弱気になったら駄目だ。よし、僕も何かこういうのを幻夜さんに送ろう。単なる録画だって、やっぱり嬉しいもの。…でも僕はホログラフなんて作れないからなあ」
しかし、そういう目標が出来ると、前向きな気持ちになれて、大作は久し振りに口元に笑みをつくった。
コンコン。
ノックの音がした。はぁい、と返事をするとドアが開いて、
「まだおねんねしてなかったようだな。そりゃそうだったな」
村雨が立っていた。せっかく口元に出来た笑みが消え去る。
「…何の御用ですか」
「そんな顔をするなよ。俺だって来たくて来た訳じゃない。ほら」
村雨は両手に、マグカップを持っていたが、その片方を差し出した。はあ、と言いながら近づき、中を覗く。中身はどうやらポタージュ・スープのようだ。
自分を疑惑の眼差しで見上げる大作に、
「毒は入ってないぞ。銀鈴が作ったんだ。お前に持っていってやれとさ。言ったんだぜ、俺では大作がイヤそうな顔になるだろうってな、ああ丁度今のお前みたいな顔だ」
一瞬、ますますむすぅとした顔になって、慌てて我慢する。村雨はくくと笑ってから、
「だからこそだってあいつは言ってな。俺とお前に仲直りして欲しいんだとさ。仲直りもなにも、仲たがいした覚えすら俺にはないんだが」
「ええ、全くその通りですね」
かたーい声で言い返す。村雨は今度ははっは、と声を上げて笑い、
「とにかく、受け取ってくれ。これはお前の分だから」
受け取りやすいように、熱い胴の部分をもって、取っ手を差し出す。それを見て少し慌てて手を伸ばし、受け取った。
ここで、入り口の所で二人突っ立っていることに大作は気づいて、気は進まないのだが、
「中へどうぞ」
「入れてくれるのか。じゃあ、遠慮なくお邪魔するか」
自分のカップを持って、中に入ってくる。大作はドアを閉めてから、
「好きなところにかけて下さい」
「そうさせてもらってるよ」
村雨は机にむかって座る形の椅子にかけていた。さっきまで大作が座っていた場所だ。
大作の部屋の、机と椅子のセットは、他の連中のものと違って学習机っぽい。実際、教科書や参考書が立って並んでいる。高さがバラバラで、村雨はちょっと不愉快そうな顔になったが、よく見ると各教科の教科書・参考書類・ノートが組になっているのだった。一回でワンセット引き出せるようになっているのだろう。
「そういうポリシーもありか」
「なんですか?」
「いや」
曖昧な返事をして、一口自分のスープを飲んだ。
「それにしても、いろんなものがあるな、お前の部屋は」
「皆さんがくれるんです」
「この、あー…土着の人形みたいなのは、誰だ」
コシミノをつけヤリをもち仮面をつけている。仮面はやたら精巧だし妙にでかい。30cmくらいはある。ちょっと、迫力だ。夜中に見たらいやーな感じだろう。
「それは戴宗さんです」
「あいつか」
苦笑と納得の入り混じった声だ。
「呪いはとってもらってきたから大丈夫だって言ってました」
「ついてない、じゃなくてとってもらってきた、てのがいいな」
「でも、そのくらい力のある人形なんですって。ぞんざいに扱うなって厳しく言われたんで、ちゃんと毎日磨いてます」
なるほど側には科学ぞうきんが四角く折っておいてある。
「…オンゴロとダスキンか…」
「なんですか?」
「いや。昔からその土地に伝わるものには、本当に信じられないような力があるからな」
村雨さんが言うのにはちょっと合わない感じの言葉だ、と大作は思った。あまり、過去の伝説や風習や因縁を拝んだり崇めたりするタイプには見えない。
「意外そうな顔だな」
「はい、いえ」
「俺はいつだって真実の味方だ。本当に存在するものであれば受け入れる。今回だって、常識じゃ信じられないようなブツを持ってここに来たんだからな」
「え?どんなものですって?」
聞き返しながら、気がついて、
「そういえば村雨さん、どうしてこっちに来たのか聞いてなかったですけど…」
「本当の目的地は梁山泊だ。あそこで解析してもらうために来たんだが…北京支部にはロボがいるからな、お前さんのそいつで始動するロボットが」
そいつ、と指さされた先に、子供がするにはでかい時計が輝いている。
「音声認識のシステム上に何か、共通するものがあるのかどうか確かめたいって点があったからまずこっちに来たんだ」
「???なんですって?何をいってるのかさっぱりわかりません」
「そりゃそうだろう。わからないように言ってるんだから」
「ふざけないでください」
本気で怒ったらしい大作に、だが村雨は涼しい顔で、
「明日になったら皆と一緒に教えてやるよ。一応は、お前さんもここの一員だからな。それに今夜は、お前は他にかかりきりのことがあるだろう」
もう一口スープを飲んでから手を伸ばして、そばの小さな丸い椅子に乗っている、丸い円盤をちょいとつつく。
「ちょっとヌケてるけど愛しい幻夜さんが、ボクになんてメッセージをよこしたのか、解明しないとな」
「触らないで下さい!」
「壊しゃしないさ」
「勝手にいじらないで下さいって言ってるんです!」
しかしもうスィッチを入れてしまった。再び、ぼあと幻夜が現れて、今度は村雨の目を見つめた。村雨は大作より座高が高いから、座った状態のこの位置で、丁度目があうらしい。
ひたむきに情熱を込めた眼差しの幻夜と、真面目な顔だがどこか冷笑しているように見える村雨とが、ひたと視線を合わせて、見つめ合う。
それを見た大作は、なんとも言えない気持ちになった。カッとするのと、焦るのと、気持ち悪いのと、やっぱり焦るのとが混ざり合ったような気分だ。
「そこは僕の席です!」
『草間大作。この声を聞いていてくれるだろうか』
二人の声が重なり合った。
村雨は目を大作の方へ動かし、
「怒るなよ。別に俺は幻夜に熱烈に見つめられても嬉しくない。第一これは、単なる録画じゃないか」
さっきまで自分も、実際逢って話す代わりにはならない、単なる録画だと思っていたのだろうに、面と向かってそう言われると、ものすごくひどいことを言われたように、腹が立ち、また傷ついた。顔が歪む。
「単なる録画じゃありません、これは幻夜さんがわざわざ僕のためにつくってくれた、大事な」
「大作」
村雨が、喋り続ける幻夜の優しい告白と自分を見つめる眼差しを無視して、それより大きい声で言った。
「この男と逢えなくて辛いか」
なんと答えるのも悔しくて、大作は黙って相手をにらみつけている。
「この男とどうにかなろうって決めた時に、普通のガールフレンドとのそれとは全然違うってことは十分予想できて、かつ覚悟していたものと思っていたんだがな」
いつものような口調だが、声に嘲笑はなかった。
笑われるより、もっと悔しく、大作は大声で怒鳴り返した。
「そのくらいわかってます」
「そうかい。…そうは思えなかったがな。お前がそういうなら、それでいいさ」
静かに言い切られる。言い捨てられたように感じる。大作ははっと口を開けた。違うぞお前は甘えてるそのアマちゃんの根性をここでたたき直してやると指をつきつけられたら、こんな風に動揺はしないのだろう。
大作は口をもぐもぐさせながら、それ以上何か言い返すこともならず、息を詰めて、村雨のズボンの裾のあたりを睨み続けている。
『草間大作、君は、ほっ』
がー。これで何度目だろう。大作はなんだかやりきれなくなり、強く目を閉じた。
「ほっ、きょくせいだ。…わたし、に、とって」
顔を上げる。村雨が幻夜を見つめて、正確には幻夜の口元あたりを見つめて、つっかえながら、言葉をついでいる。
「わかるんですか!?」
「なんとなくだ。多少は違っているだろう…たとえ、ほかの…なにが」
しかしここで、言葉を切り、不思議な微笑み方をした。眉間にしわをよせ、片頬で笑ったと言えば、バカにして鼻で笑った顔なのだが、決してそれでおしまいでない、何か優しいものもある笑顔なのだ。
それきり黙って笑い続けている村雨に、焦れて、
「何て言ってるんですか?何で黙ってるんですか?教えて下さい!」
「ああ、うん。…あんまり、ロマンチックなんで、驚いた。今どき居るんだな、こんな男が。女はこういうのに弱い、とは聞いたことがあるが、それにしても」
「そんなこといいから、続きを言って下さい!」
「続きか。えーと。草間大作、次に逢える時には笑顔を見せておくれ、とさ。以上」
その途端幻夜の姿が消えた。
「良かったな。次に逢える時には笑顔を見せてやればいいじゃないか」
「その前は何ですか?聞いてません。たとえ他の何が、なんだっていうんですか?」
村雨は曖昧な笑みを見せて、大作を見返した。この顔はいつもの意地悪く、人をからかう表情だ。ああこの顔では教えてくれる気はないのだと思うと、はらわたが煮えてくる。
「教えてくれないんですね」
「なんだ、俺の心を読んだのか。すごいな。読心術か」
悔しくて悔しくてたまらない。何か、この人をぎゃふんと言わせるような言葉が無いだろうか。
「教えてくれないんならもういいです。帰ってください!」
せいぜいそんな文句しかない。
「結局怒らせちまったな。じゃあ退散するか。あんまり夜更かししないで寝るんだぜ」
ははは、と笑いながら立ち上がり、空になったカップを、取っ手を指でひっかけてくるりと一回回して、部屋を横切って行った。大作は見送りもせず、カップを睨みつけて座っている。
「大作」
後ろから声をかけられ、肩越しに最低限だけ振り返ると、開いたドアのところから、村雨がこちらを見て、
「その手のセリフは、本人からじかに聞いてこそ、だ。いけすかない男に翻訳してもらってもしょうがないだろう」
ぷいと背を向ける。何を言われても『ああそうですね』などと納得する気はない。
村雨はやれやれという顔で肩をすくめた。その仕草はさすがパリッ子というところだった。

[UP:2002/10/20]


冗談系なのに長くなってすみません。こればっかり。また終わらなかった。後編じゃなくて、中編ですね。


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