目を覚ますと、まず最初にべたべたした自分の汗の感触が知覚される。そしてむせるような熱の匂い。
湿度何パーセントなのだろう。不快指数は限りなく、人間の限界に近い値まで上昇している気がする。
こういう種類の苦痛に耐えるのが、あまり得意な方ではないのだが、暑くてじめじめ続きがイヤなら配属先を変えてあげよう、と言ってもらえる状況にはない。なにしろ、
上体を起こし顔を手でぬぐう。ぬるりとした感触があった。
…国際警察機構の、なんだろう、ミツリン支部?ジャングル支部?があって、飛ばされたのだとしても、転属願いが受理される状況下ではない。そんな支部は聞いたことがないが。
相変わらずどことも連絡が取れない。朝、目を覚ますと必ずいじってみる、鉄扇子の通信機能は今朝も沈黙したままだ。
「地球は広いな」
声の方を見る。中条が入口のゴザを持ち上げて、外から入って来たところだった。中条と呉は、あの女が着ていたような布地を貰って、それを利用して服にしていた。呉は女と同じく頭から被るムームーのようにして腰を絞り、中条は一応前のあいたワイシャツのような形、下は着てきたズボンをそのまま穿いている。
慌てて鉄扇子を置いておはようございますと言いながら正座し、頭を下げる呉に、
「おはよう」
応えた顔がさっぱりしている。顔を洗ってきたのだろう。
「君も水を使うといい。洗ったように光っている」
「はい」
苦笑いして、呉も立ち上がった。地べたにムシロ一枚の上は寝心地がいいとは言えないし、食べられるものなら何でも食べる、量さえ多ければ満足するタイプでもない呉には、ここで目覚める数回の朝ごとに、なんだかやつれていくようだ。
嫌な味のゲップがこみあげてくる。
(気をしっかり持たないと駄目だ。ちょっと環境が変わって現状が把握できないだけで具合が悪くなっていては、世界紀行の番組に出ている女性レポーターにも劣る。長官の足手まといになるのだけは絶対に御免だ)
自分に言い聞かせながら、では失礼しますと頼もしげに見える笑顔を演出しつつ、外へ出た。と、夜が明けてそれ程経っていないだろうに、強烈な陽射しがどっと呉の頭に突き刺さって来て、思わずくらっときた。
あの日から幾日かが過ぎていた。相変わらず監視はついているが、どうやら二人が強行突破でもなんでもして村を出て行こうという気はないらしい、村の連中と意志の疎通をはかろうと思っているらしい、ということが伝わったらしく、やや緩やかなものに変わった。村の水場まで行って顔を洗う、くらいのことはさせてもらえるようになっていた。
湧いている水の回りには女たちがいて、皆こちらを見た。
皆、胸を隠すという考えがないようで、堂々と出している。下半身はまだ一応隠しているが。
最初の頃はかなり参ったな、困ったな、と目をうろうろさせていた呉だったが、しかしこういう文化なのだし、と自分に言い聞かせたらしい。今では特に取り乱すこともなく、しかし凝視することもなく、相手の顔だけ見て微笑みかけることにしている。
「おはようございます」
「おはようございます」
どこの国の言葉を覚えるのでも、これは最初に覚える、という挨拶をお互いにかわし合う。
呉は軽く頭を下げたが、この仕草は彼らの生活動作には無いらしく、何度目でも皆一様に、足元に何か落ちているのかと呉の足を見る。
「おはよう、ゴ」
甲高い声がして、一人の娘がとたたたと女たちの中から駆け出してきた。すっぱだかだ。そのまま、呉の体にばふんと抱きつく。呉の腹くらいまでしか背がない。
女たちは皆、呉に対して恭しく丁寧な態度を絶やさないが、同時に決して心安く気安く話しかけても来ない。どこかで警戒している。警戒というよりも、顔色をうかがうようなところがある。殿様や王様のご機嫌はいかがかと見上げている平民のようだ。
故に今も、なんということを、と息を呑むような困惑と、お互い目配せしあって「あの子をなんとかしろ」と言い合っているような焦燥が流れた。
その雰囲気が心地良くはないから、早いところ解きたいと思い、この子に手伝ってもらおうと、
「おはよう、ネイ」
呉はそう言って娘の頭をくるくると撫でた。
「あのね、あのね、私、ゴに$%#&*@」
途中から言葉の意味がわからなくなった。しかし娘は夢中でまくしたてている。手を広げて一生懸命だ。
「ちょっと、待っておくれ。まだ、わからないよ」
苦笑してそう言ったが、娘は、
「わかる。大丈夫。だって$%#&*@」
「違う違う、私が、ネイの言っているコトが、わからないと言って…」
「じゃ、早く、わかる。$%#&で&*@で$%#&*@」
参ったなあ、と片手で顔を覆う。女たちの間から、くすくすと笑い声が起こった。それを聞いて、あ、うけてる…と思う。嬉しくなる。
てっへへへ、とフキダシが付きそうな笑顔で、女達を見渡した。と、女達は波が引くようにすすすと後じさりしていった。
へこんだ呉の首っ玉に娘がわしっと飛びついてぶら下がる。容赦ないものすごい力で、首がぐぎりと鳴り、呉はスジがおかしくなりかけた。
「私と、話してる!ちゃんと、こっち見る!」
「ご、ごめん」
情けない声で謝った。どうも、強引なタイプの女には、歳は関係なく弱い。ふと、銀鈴のことを思い出した。今ごろどうしているだろう。私が行方不明になったことを聞いているだろうか。
と、引いていた女達が更に二つに別れた。それで出来た道を、向こうからこちらへ歩いてくるのは、あの女だった。ここに来て最初にであった女。言葉を教えてくれている女。
独り、なにもかもわかっている表情と、だからこそ絶望しきっている目をした女を、他の女達はなんともいえない顔で避けた。呉に対するそれと似ている。畏怖と警戒、また同時に、嫌悪と排他で染まった目で、女を見ながら、場所を開ける。
女は静かに水の近くまできて、ネイにぶら下がられて閉口している呉を見た。
「おはようございます。レイ」
女達が強張った顔を見合わせる中、あの女は、目でうなずいてみせた。

「あのロボットは、どこからやって来るのですか?」
レイは静かな暗い顔に疑問を浮かべた。
「ろぼっと」
「あ。あの、建物を破壊していた、人型の…」
「△△△のことか」
その単語は、決まった仕組みで動くものというような意味らしかった。発音もやや似ているので、からくり、と言い換えることにして、
「その、からくり、はどこから」
「向こう側からだ」
「何の、向こう側ですか」
レイの顔に懸念が射した。
「どういう意味かわからない。向こう側は向こう側だ」
呉はなんと説明したらいいのかわからず、ええと、ええとと呟き、中条が、
「何者かが、送り込んでくるのかね?」
「やつらが送り込んでくるのだ」
「やつらとは?」
「向こう側のやつらだ」
埒が明かない。呉はうつむき、中条は天井を見た。
二人は、単語を覚え文法を覚えながら、少し、ここの言語に明るくなると、今ここの状況について使える言葉を駆使して尋ねる。その繰り返しだった。
「いつから、来ているのですか」
「朝から、昼から、夜から。いつからでも」
「いえ、そういう意味ではなくて。えーっと、どのくらい前から襲って来ているのですか?」
「来たら、すぐに襲う。襲うちょっと前に来る」
「いえ、そうではなくて」
「呉先生、時間に関するたぐいのことは、もう少し後にしよう。無理をしても誤解を生じるだけだ」
「はあ」
呉はため息をついて諦めた。
「この君等が集まって生きている場所の周りには、木が沢山生えている場所があるね」
村や集落、森という言葉を使う代わりに、そんなふうに確認する。相手はうなづいた。わかってくれた、と気を良くして、
「それは、どこまで続いているのかな」
「終わりまでだ」
「…終わりとは、どこのことだろう」
「終わりとは終わるところだ。わからないのか」
「空間に関する質問も、まだ無理のようです」
「うん」
中条も長い息をついた。
外から悲鳴が聞こえてくる。二人は急いで外へ走り出た。ゴゴゴ、ばきばきとあのロボットが木々を押し倒しながら現れた。
「気をつけろ」
「はい」
二人は左右に散り、各々急いで倒してゆく。人びとに近づきすぎたところで倒しても、一定時間経っても爆発する。被害が拡大してしまう。
「早く、ここから出て。離れて」
まだ、ややたどたどしい言葉でそう怒鳴る。言われなくても皆、声を上げつつもどこか慣れた感じで、一斉に逃げて行く。
(なんだか力が入らない…)
決して、ある一定以下にはならない気温と、不慣れな食事、合わない水、人々の奇妙な態度と何よりも置かれた状況が全く掴めない不安など、ストレスを構築する材料には事欠かない。
倒れたりしたらダメだ。役立たずだと思われる。あてにできないどころか足手まといになるなんて、絶対に御免だ。
ここに来てからずっと自分に言い聞かせている文章を再び口の中で唱え、腹に力をこめ、鉄の扇子を構え、振るい続ける。
前回よりは数が少なく、今回は被害者をほとんど出さずに倒すことが出来た。中条が汚れた額を指で拭ってふと見ると、呉が向こうの方で杭に縋って肩で息をしている。
「………」
声をかけようとしたが、やめた。
自分が声をかけること。呉先生、大丈夫かねとねぎらうこと。それは、あの男をかえって消耗させる。もうへばりそうで二つ折りになっている体を無理矢理真っ直ぐにして、やや乱れた髪で、ええ別になんともありません、まだまだ平気ですと言うのだろう。次の瞬間もどしそうな顔色で。
倒れる寸前まで、倒れそうですとは言わないだろう。早いところ、なんとかしなければならない、と思いながら、足元に突き立っているロボットの残骸を、ぐいと持ち上げた。
なんだろう?と呉は思う。
今の疲労とストレスで目の前がくるくるだ。何かにつかまっていないと膝をつきそうだ。早く復帰しなければ。後ろから長官が『呉先生、大丈夫かね』と声をかけてくる前に。
その、油の皮膜のような渦巻き模様の意識野の奥で、自分は何かに気づいている。
なんだろう。
何に気づいたのだろう?
振り上げる腕。殴ろうと迫ってくる腕。ロボットの、からくりの腕。
腕自体がどこか変だったろうか?あるいはその動きが?もとより、いびつなシズマで動くことも、木で出来ていることも、変には違いない。それはわかっている、その上で、
何かに似ている。
そうだ。そう思ったのだ。
呆然として、ゆっくりと腰を伸ばした。あの動きが、何かに似ていると思ったのだ。
上から振り下ろす。強引に。力強く。何だろう?
ここまで出ている。喉のところ。一回咳をしたら出そうだ。出…
「ゴ」
後ろから弱々しい声がかけられた。途端にごくんと飲んでしまって、それは胃の中に落ちて行った。呉は無理に咳き込んでみたが、出そうもない。諦めて振り返る。
ネイがよろよろと出てきた。あっと声を上げて駆け寄る。
膝の上に怪我をしていた。呉がかけつけるのと同時に、手の中に倒れた。
「ネイ!大丈夫か」
「痛い。痛い。痛く無くして。早く。ゴ」
ここが国際警察機構の、どこかの支部の近くだったら。それがジャングル支部だろうとなんだろうと。薬くらいあるだろう。痛みを和らげることくらいできるだろう。
しかし今はそんなものは、そんな方法は無い。どんな菌がいるかわからない水で傷を洗って、
「これを」
後ろに居たレイが差し出した、得体の知れない草をすり潰したくさいものを塗りこみ、布切れで縛ってやるくらいしか出来ない。
「………」
呉は黙って受け取り、その、せめてやれることを誠心誠意を込めて行った。
早くなんとかしないと。
中条が、呉の姿を見ながら思ったのと同じことを、呉も強く思いながら、布を留める。もう、気分が悪いのはどこかにとんでいた。
ネイはずっと苦しがって、うめき叫んでいたが、涙は流さなかった。
治療を終えて、頭を撫でてやりながら、
「よく我慢したね。偉いな」
「なに。何を言っている」
「泣かなかっただろう?痛いのに」
ネイは眉をしかめて、
「泣いても泣かなくても痛い。今も痛い。泣くのと痛いの、関係あるのか」
「いや」
普通は苦しい時や悲しい時には泣くものじゃないか、と主張するのも何だかおかしい。泣くことで痛みが和らぐわけでもない、故にわざわざ泣かない、とするこの子は、
むしろお前さんより大人なのじゃないか?
村雨の皮肉っぽい声が聞こえるようだ。うるさいな、と口元をぎゅっと引き締め、
「そうだね」
もう一度頭を撫でてやって、
「ネイが正しいな。私はダメなんだ。何かして気持ちが乱れると、つい泣いてしまうんだよ」
よくわからないと言われて、噛み砕いて繰り返す。
ネイは痛いのと不思議なのとでまだ眉をしかめたまま、
「ゴは変だ」
ずばり言われて、今度は思わず苦笑した。

「あのからくりは、どこからやって来るのですか?」
「森の向こうからだ。そこには、我らと同じように集団で生活している者達がいる」
新たな決意のもと努力した二人は、大分意思の疎通が図れるようになった。
ただ、相変わらず湿度も気温も高く、呉は更にやつれている。
「そいつらが送り込んでくるということですか?」
「そうだ」
「いつから?」
呉は、またこういう「いつ」だとか「から」だとかいう言葉には、とんちんかんな返事が来るだろうなと思いながら、つい聞いたのだが、やけにすんなりと相手は理解した。そしてその答えを聞いて呆気にとられた。
「最初に来た時のことは、私も知らない。あまりに幼かったので記憶していない」
「………」
思わず中条と顔を見合わせる。
「それは、あなたがまだ、ネイよりも小さかった頃から、ずぅっとあれの襲撃が続いているということですか?」
「そうだ」
その言葉の意味が最初はよく理解できず、ぼーとしてから、じわじわと恐ろしくなってくる。
ひょっとしたら30年近くも。
ああやって、不定期に。
森の向こうの何者かが、できそこないのシズマの殺人人形を、送り込み続けているのか?
「待って下さい。30年前?」
そんな頃に、シズマドライブはまだ存在しない。
「シズマドライブに類するものを、発明した人間がいたということかな。そしてそれを、あの人形に用いたのだ」
恐怖にかられて呉は叫んだ。
「何のために」
「我らを殺すためだ」
決まっている、という顔をされて、なんと言ったらいいのか考え込む。隣りの中条が、
「この村の人間を皆殺しにして、この場所を乗っ取る、といった類の目的のためにかね?」
「違うだろう」
レイは首を振った。
「お前が今言ったようなことを、考えているのであれば、もうとっくに終わっている筈だ」
なかなかわかっている、と中条は思った。確かにそうだ。場所を奪う。秘められた宝を、資源を奪う。村人を奴隷にする。そういった目的のためなら、そんなに長い時間の間、じわじわとちびちびと建造物を壊し、村人の数を減らしてゆくというのは、おかしい。
そうだ。まるで、
中条が手で口を隠しその下で呟いた。
村が全滅しない程度に、ゆっくり、殺しているようだ。
「からくりが、やってくるようになったのは、その頃からだが、向こうの奴等とは、もっとずっと昔から、戦ってきていたらしい。どのくらい昔からなのかは、私は知らない。一番の年寄りも知らない」
「永年敵対する、二つの…部族という、ところですか」
「そうだな。そして片方は数十年前に、シズマの類似品のような動力源を手に入れて、攻撃に使うようになった。…としても、少し」
「そうですね」
変だと思う。先祖代々の仇敵なのであれば、なおのことかさにかかって攻め込んで来そうなものだ。
「あなた方から出向いて攻撃を仕掛けるということは、しないのですか?」
「昔はしたそうだ」
一回、自分の手を見てから、
「からくりがやってくるようになってからは、手も足も出ない。あれと戦う方法など誰も知らない」
「戦う道具はないんですか。私で言えば、この鉄の扇子に当たるような」
「せいぜい、木を束ねて結ったものや、尖った石くらいしか、ない」
「『金属』という言葉は、ここではないのかな」
中条が呟き、そういえば聞いていないと思いながら、
「言葉がないということは生活の中に無い、ということかも知れませんね」
「おそらくそうだろう」
言い合いながら、二人とも、あの壊れたからくりの中にでろりと埋まっていた、シズマ管もどきを思った。
ひどく拙いものではあったが、接続部分は確かに金属だ。
「向こうの連中とやらは、金属の加工技術とシズマに類する力を持っている。…で、こちらは」
額にかかる髪を梳き上げ、
「木と石か。確かに、手も足も出ないだろうな」
「酷いです。このままずっと、あのからくりがやってきては逃げて、幾人か殺されて、しかし全滅はしないという状態で居るなんて、そんな」
呉が首を振って、両者に向かって訴えかけた。むごたらしい。気色が悪い。生理的に不快だ。ここに暮らしている人間たちにとっては、そんなものじゃないだろう。運が悪けりゃ、死ぬだけさなどと言っていられることではない。
呉の叫びに対し、中条が何か言いかけた。「全くだ」か、「そうだな」か、「落ち着き給え」か、あるいはもしかすると、「我々の関知することではない」か。
しかしその全ての前に、レイが口を開いた。
「だから」
顔に射す影が濃くなる。
初めて、あの石盤の上で、この顔を見た時と同じ表情になってゆきながら、
「私は、お前たちを△△△した」
「え?」
その両眼に、深く暗い闇を湛えて、レイは言った。
「私はこの村を救うために、お前たちを、△△△したのだ」
何と言ったのかわからず、呉は聞き返した。そうしながら、背筋がぞくぞくとあわ立ってくるのを感じる。何か、とてつもなく、巨大な、
人知を超えたものの秤が、自分をはかって、どこかに置こうとしている…
「わからないか。
わかっても、わからなくても、もう、○○○は叶わない。済まないと謝っても、償うすべはない。故に、それもすまい」
呉の足元がどんどん崩れて行く思いだ。言葉がわからないままに、相手の絶望の深さだけがわかる。大声で泣き出しそうだ。トイレが近くなるようだ。一体何をされたのだ、私と長官は。何がもう出来ないって?
そんなふうに開き直られても、困る。謝っても無駄だから謝らない、なんて、子供のケンカならともかく、そんな、
蒼褪めた、ものすごい表情で言われても、いいですよ別にとは、言えない。とても言えない。とても。
言葉の出ないまま、かすかに震える体で立ち尽くしている呉の、脇から、
「少し、特殊な言葉のようだ。祭儀的というか」
あと30秒で被弾しますと言われた時も、こんなふうな声だったと思う。
全くの、事務的な口調で、淡々と、
「初めて会った時、宮司や禰宜のような立場に、彼女は居るように思ったが、それで正しいのだろうな」
「あの、長官、何を」
倒れそうな体と心を必死で支えながら、青いような声で尋ねられ、うんと応じ、
「彼女の使った言葉だ。多分、≪召喚≫のような意味だと思う。他の言葉と、考え合わせてみると」
「召喚」
思わず繰り返す。それは、≪惨殺≫だとか、≪拷問≫だとか、≪虐殺≫という言葉のような、言うだけで心の一部が縮まるようなものではなかったが、
「それから、次の言葉は、≪帰還≫だと思う」
締めくくりとしてそう言って、それきり口を開かず、ただレイの顔を見ている。レイはずっと黙って、中条を見返している。
二人を見比べ、突っ立ったままの呉は、
「お前たちを召喚した?」
思い返し、そう言ってみる。
「もう、帰還は叶わない…」
もう帰れない?
「そんな」
反射的に叫び、首を振る。
「ちょ、ちょっと待ってください。しょ、召喚て、要するに、『呼び出した』ってことでしょう?目標物の座標位置を一瞬にして転移させるというのは…どういう仕組みかは知りませんが」
二人とも何も言わない。
「戦う術を持たないこの村の人たちを救うために、力を貸してくれというのであれば、なんとかしましょう。我々は国際警察機構の人間ですし。一方的な虐殺など、とても許せることではありません」
冷や汗が、ぬるりと顎で滑った。
どうして。
二人とも、返事をしてくれないのだ。
「ですが、目下の問題をなんとか解決できれば、それで…我々が戻ることに、問題はないでしょう、たとえその、あなたの力が一方通行で、呼んだきりで戻せないのだとしても」
そこまで言った時、レイが呉を見た。
『そうだ』と顔が言っている。その顔をやめろ、と怒鳴りつけたくなる。
「なんとか、連絡の取れる場所まで自力で行くことくらい出来ます。たとえここが絶海の孤島だとしても、」
ずっと沈黙したままの通信装置のことを思い出したが、無理にねじふせ、
「なんとかなる筈だ。あなたに帰してもらわなくても、自力で戻れます」
浅い呼吸を数回して、
「そうでしょう?」
しかし、やはり二人とも、何も言ってはくれなかった。

呉は村のはずれに立って、ぼんやりと森の方を見ている。
この森の向こうから。
壊れた人形がやってくる。
この村の人間を、ほどほどに、殺すために。
そいつらがやってくるという場所まで行けばいい。そこで、できそこないのシズマ工場で殺人人形を作っている人でなしどもをやっつける。
申し訳ありませんもうしません、と言えばまあ許してやるしかないだろう、これで何百年も続いた仲たがいはやめて、両者仲良く協力して暮らすのだぞと言い渡す。
ははー、とどちらもかしこまる。
なんだか子供向けのヒーローものか、勧善懲悪の時代劇のような筋書きだ。呉はひきつったような笑いを浮かべた。
とにかく、これでもうからくり人形に怯えて逃げ惑うこともなくなる。良かったね、と言う。ネイが、また来てねゴ、と例によって私を呼び捨てにして手を振って見送る。私と長官は、
…やってきた国警の連絡艇に乗って…
あるいは、手彫りのカヌーで?
この暑さだ。この植物、この湿度。この陽気。どう考えたって南極ではない。北極でもない。それだけわかっていれば、どこへだって『戻れる』だろう。
今は、受信機の調子が悪いだけだ。それが全てを悪い方に考えさせているだけだ。
だんだん心臓の鼓動が早くなっていく。落ち着け。落ち着け。
何に怯えているんだ。
「ゴ。どうしたの。立って寝ているの?」
そう言われて、自分がきつく目をつぶっていたことに気がつく。
声の方を見た。視界が滲んで、全体に青く暗いフィルターがかかっている中、ネイがじっとこちらを見ながら、近づいてくる。
はだかで、足にだけ包帯が巻いてある。なかなかセクシーだ、と無理やりのように思ってみた。
「足の具合はどうだい?」
「大丈夫。もうあんまり痛くない」
この娘とも大分、スムーズに話が通じるようになったな、と思う。ふと、聞いてみた。
「ねえ、ネイ」
「なに?」
「ネイは、私と、長官のことを、何て聞いているのだい?」
ネイは、子供が、自分が知っていることを大人に教えてやる時の、誇らしさと優越感いっぱいの顔で、
「レイが連れてきたの。からくりから私たちを助けるために」
「………」
全て、承知済みのことだったのか。こんな小さな子も、知っているのだ。知らなかったのは、連れて来られた私と長官だけで。
長官は、例によって落ち着き払っていたな、と思う。自分たちに、なんだかとてつもないものが迫っているようだというのに。
いつもは、あの落ち着きがとても心強く、こちらまで落ち着くようなのだが、今回は何故だろう。
同じ危機に、同じように見舞われているのに、なんだかひどく孤独感を覚える。
バカだなと自分を戒める。下らないことを言って独りで不安がってどうするのだ。
「ゴ。聞いている?」
「あっああ、聞いているよ」
慌てて答えた。ネイは疑わしそうに見ていたが、
「レイはね、嫌がってたの。でも、大人たちが皆でやれって言ったの」
「ふうん」
それは意外に思った。それでいて、納得できる気もした。
「レイは最後まで嫌がってた。でもレイにしか出来ないことだし」
「レイには、不思議な力があるのだね」
「不思議じゃないよ。レイにはその力が備わっているというだけだよ。ええとね、ニエを呼ぶ力」
呉の目が見開かれた。
「ニエって何だか私は知らないけど。大人がそう言っていたよ。ゴはゴで、チョーカンはチョーカンだよね。ニエじゃないよね。変だね」
ニエとは。
贄だろう。
私と長官は、この村を救うために、生贄として呼ばれたのか?
「ゴ。どうしたの?」
くるくるとした大きな目でこちらを見上げるその顔が、人を取って食らういきもののそれに見えて、呉は身体を震わせた。

[UP:2003/07/24]


この村のモデルは、ドラクエ7の某所です。


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