突貫工事が始まった。
皆手に手に急造のつるはしやシャベルを持って、呉の指揮のもと、石垣を作っていく。
こちらの提案に、文句を言う者など勿論いない。はあ、ほう、ふーんという感じでうなずき、顔を見合わせ、もう一度うなずき、皆こちらを見る。
ゲームのキャラクターみたいだと呉は思った。
狭い村の中うろうろうろうろ震えながら微妙に移動していると、不定期に突然やってくる、彼らより巨大な木の人形に踏み潰され、数が減る。
残った中でまた子供を産み、細かく震えながらただそこにいる。
呉の話を聞いている最中の、個性や自分の意志というもののない、一様に同じ表情を見ていると、個々人というよりは、村全体で一人で、その『彼』が、自分を見ている、気がする。
この前から、呉は、村の連中というか村そのものに、不信感を持っていた。不信感などというものではなく、恐怖に近い。
額に浮いた汗を手の甲で拭い、そこはそうじゃない、もっと隙間なくぴったり組み合わせて、と指示を出す。
「でないと、すぐに崩れて役に立たない」
三人の村人はくたびれてぼうーとした、同じ顔を呉に向けた。

腰をおろすと思いのほか疲労が腰や背、手足に溜まっているのを感じる。
今は休憩時間だ。呉は一人、村の連中とは離れていた。
中条はまたあの石を観に行って居ない。
両手で顔を拭い、乱れた髪をすきあげると、顔も髪も泥で汚れた。以前は、人より、多少清潔好きだったような気がする。戴宗などが食べ物や酒でベタベタの手を差し伸べながら近づいてくると、微笑を浮かべながらも扇子で口元を覆い、やんわりと身を遠ざけていた。
しかし今はもう、そんな感覚は麻痺した。麻痺しなければおかしくなる。
今なら、戴宗とも腹を割った良い友人になれそうだ…
「ゴ」
声の方を見る。ネイが寄って来た。
不潔な戴宗を見てあとじさっていた時のように、呉の心があとじさる。
しかし懸命に笑顔をつくって、ネイに向けた。
「やあ、ネイ、お疲れ様」
相手は呉の顔をじっと見つめながら、すぐ側にきて、座った。
彼女の体が自分の体に触れてくる。体温を感じる。思わず身じろぎした。
その直後尋ねられた。
「ゴは何を考えているの?」
「え。…早く、この石の壁をつくって、敵の本拠地を…いや、カラクリがやってくるおおもとを、叩かないと、と思っているよ」
ネイは首をかしげた。
「ねえ、ゴ」
「なにかな」
「ゴは私のことが嫌いになったのね。それなのに、そうじゃないフリをしているのね」
特に怒った様子でもなく、ずばずばと分析結果を述べられて、呉の顔が強張った。
「そんなことはないよ」
「なぜウソをつくの?」
不思議そうに尋ねる。
「嫌いになったのに嫌いじゃないふりをして、そうじゃないと言うのは何故なの?」
「ネイ」
「なに?」
名を呼んだのは、相手の言葉を止めようと思ったからだ。なに、と聞き返されると、聞くことはなにもない。
泥のあとのついた顔を、力なく自分の膝に向ける。隣りから、感情の無い屈託のない声が、
「ゴ。なにを聞こうと思ったの?」
「なにも、聞こうとは思わなかったんだよ」
無力感に苛まれながら、深くため息をつき、
「ネイはなんでもわかるのだね」
首を振って、
「突然ここに連れて来られて、村の大変な様子を教えられて、目で見て…私に出来ることなら、何でもしようと思っていたのだけど」
自分の手を見る。
泥で汚れている。傷が一箇所、赤くなって腫れている。まずい。ちゃんと消毒しないと。
ここでは、それが命取りになる。
「私は怖くなったんだ」
そう言った。
村全体が、何を考えているのかわからない生き物みたいに思える。
言葉は通じるようになったのに、いつまで経っても意志の疎通がはかれない。うわべの話は出来るが、一番肝腎のところで、大きな勘違いをしている気がする。
自分の矜持を保つために、長官の部下である誇りを捨てないために、努力はするけれども…
正直、最後に自分を待っていることが、想像もつかない、予想もつかない、
だから怖い。
そんな内容を、この娘が理解できる筈もないから、
「だからつい、気持ちが暗くなって、ネイに冷たくしてしまったんだよ」
そう無理につないでしまった。
でも、ウソをついたわけではない。そう自分に言い聞かせたが、確かに相手の高性能なウソ発見器でもそう出たらしく、
「ふうん」
ネイは素直にそう言った。
その、不思議な石のように見える瞳を見返して、呉は情けないが本心からほっとした。
「怖かったのね。それならわかる。私も怖いことはあるもの」
そう言われて、ああそうだったと思い返す。恐怖で言ったら、この幼い娘の方がはるかに上だろう。突然やってくる殺戮の爪の下から逃げ惑い、命懸けの鬼ごっこをし、今回は逃げおおせても、次もまたうまく逃げられるとは限らない。
そんな生活を、生まれた時から続けている娘に対して、曲がりなりにも武器と戦闘力を持っているいい大人が、怖いんだと言って冷たくしていたなんて、本当に情けない…
そこまで、鬱々と考え、悪かったねと言うと、
「ゴは、私に、どんな悪いことをしたの」
「いや…」
「カラクリを送り込んできているのは、ゴじゃないのに、何故悪かったと言うの」
「ネイは容赦がないな」
力なく呟く。
「社交辞令を許さないし」
「何を言っているのかわからないわ」
「私は万事こうやって、ここまできたのかも知れないな。自分で責任がとれないことまで、悪かったと。すまないなと。つい、挨拶のように、謝罪してきたんだろう」
ちらりと、胸にいろんな別のこともかすめたが、それらを思い出すのを無理に押さえつけ、言葉を継ぐ。
「そうだね。私が謝ったところで、死んでしまった村の人たちは決して帰って来ないんだ」
「帰って来るのよ」
思わずネイの顔を見て、躊躇しながら、
「…え…」
相手は、そんな事も知らないの、と前置きしてから、
「死ぬと、いつかまた別のものに生まれてくるのよ。私も私の知らない誰かなのよ。ぐるぐるまわっているだけなの。でも、自分が誰だったかは忘れているの」
輪廻転生か。それはまあ世界的に最もポピュラーな考え方だ。前世の記憶があると言う人も時々いるようだし。否定する根拠はないし、と思いながら、呉は曖昧にうなずいた。
「だからね、私のお父さんもお母さんもお姉ちゃんも妹も、そのうち戻ってくるのよ」
そう、と言いかけて体が硬直する。
そう言えば、今まで、そのことを聞いていなかったことに、ようやく今気づいた。
何故だろう。こんなに、死というものと隣り合わせにいる村で、一番か二番に、近しくしている存在だろうに。
―――ネイの家族はどうしている?
そう尋ねずに今まで来たのはなぜだ。
だって、この子が自分から何も言わないから、とどこかで言い訳しようとする。怪我を負って痛いのを何とかしてと言った時。今日は誰それが踏み潰されたわ、と言った時。淡々としたその口調で、実は私の家族はねからくりにと、言わないから…
馬鹿な。
力なく首を振る。
自分のことで手一杯だっただけだろう。
「わるか…」
また謝ろうとしている口を閉じる。言われるだろう。
ゴは私の家族を殺した訳でもないのに、何故悪かったというの。ゴは私にどんな悪いことをしたの。
そう言われれば返す言葉はない。呉は言葉を変えた。
「それは、悲しいことだったね」
「なにが?」
「…死んでしまったことがだよ」
「仕方がないわ」
あまりにも、死が隣りにあると、受け入れる以外の道は、思いも寄らないのかも知れない。
ちょっと考えて、
「でも、妹が死んだ時には、順番が違うって周りに言われたわ。おねえちゃんの次はお前だろうって」
ひどい、と呉の顔が歪んだ。
幼い妹を失った娘に何ということを言うのだろう。
しかしネイは首を振って、
「私もそう思ったの。間違ってるって。このままじゃ妹の方が先に産まれて、順番が間違ってしまうって。
困ったなあって。
私も死んじゃおうかと思ったこともあったの、
みんな死んじゃったのに、私一人だけ生きていても仕方ないでしょう?」
黒ぐろとした目にそう問われて、呉は凍り付いた。
みんなしんじゃったのに
わたしひとりだけ
いきていても
しかたない
でしょう
それは幼いファルメールの声にも聞こえ、また、あの鉛色の空の下、荒野を渡っていく自分自身の声にも聞こえた。
違う。違う。ファルメールはそんなことは言わない。あれは芯の強い娘だ。私はあれが自らを棄てた姿を、ついぞ一度も見なかった。
私だってそんなことは、口にしたことはない。できるわけがない、そんなことを、口に出来るわけがない、
口にしたら最後だ。
「ゴ」
名を呼ばれてびくりとした。
ネイが首をかしげて問いかける。
「そうでしょう?
だって、私だけ、いつまでも一人残される方がいやだわ。
皆と一緒に行った方がいいわ。
死ぬことより、一人にされることの方が怖い」
呉は何も言葉が出なかった。
しぬことよりひとりにされることのほうがこわい。
わたしひとりだけいきていても…
「違う?」
黒い、吸い込まれる。闇のような瞳を、

呉は必死で見返して、口を開いた。
「違う」
「なぜ?」
当然聞かれると思っていたことを聞かれる。呉は更に腹に力をこめ、
「なぜかは、説明できない。…今の私には、ネイを説得できるだけの説明はできない。でも」
「セットクってなに?」
呉はほんの少し微笑んで、
「ネイに、ああそうか、と言ってもらえるように言い聞かせることだよ」
「ああ、うん」
それからまた少し、握り締めた汚い自分の手を見つめてから、
「ネイが生きていくことで、
死んでしまう方が楽かも知れないのを我慢していき続けていくことで、よくなることがきっとある。必ずある。そのことのために生きて欲しいんだよ」
「それはなに?」
「わからない」
「わからないのに、本当にあるっていえるの?」
「言える」
呉は懸命に言った。
「私が生きていくことで、悪くなることもあるかも知れないわ」
「あるかも知れないね」
「それでも生きていた方がいいの?」
「それでも生きていた方がいいんだ」
蒼白の顔で幼い娘を見つめ、
「自分が生きていることでよくなることを探しながら生きて欲しいんだ」
ネイは呉の顔をじっとじっと見ていたが、やがて、
「そんなことがあるのかなと思うけど、でも、いいわ」
うなずいて、
「ゴの頼みだからきいてあげる。特別よ」
最後の最後に突然、裕福な家の一人娘がいうたわ言のような言い方をして、ふふっと笑ってみせた。

ネイが行ってしまった後、呉は彼女がやってくる前と同じ、ただ疲れて座っているように見えるすがたで佇んでいた。
しかし。
体温が下がっていると自分でも思う。手が冷たい。
暫く身動きが出来ない。どんな、強い力で打撃を加えられても、こんなふうなダメージは受けないだろう。
多分顔に色がないだろうと思う。
「どうした、呉先生」
横から声をかけられて顔を向けると、中条が戻ってきたところだった。ワイシャツの袖をまくっている、両手が泥だらけなのはなにかいじってきたのか。
「…長官」
声が瀕死の病人のようで、自分で驚いた。相手の、見えない目が動いたのがなんとなくわかった。
「何かあったのか」
「いえ…」
言いよどんでふと思う。
コドモってザンコクですよねー、とでも言うのか。
傷つきましたよー。そりゃ相手も苦労してるんですけどね、私にとって結構キツイことなわけですよアレについてあんな表現のされ方をするのは。もう泣きそうでした…
ありえない言葉の数々を並べると少しだけ、落ち着く。
落ち着いたことで自分を励まし、整理し、なんとか口に出来る言葉に並べ替えてみた。
「自分はどこにいても、結局間に合わなくて、失われる命があるのだなと思うと、ちょっと無力感に襲われました」
中条はしばらく、呉の細くなった顎を見ていたが、やがて、呉の隣りに座った。ネイとは違って、少し間をあけている。
その距離の向こうに居る、確かに居るひとに向かって、
何故ひとりで、
生き続けなければならないのかと問われて、立ち竦みました、
心で言った。
視界の端に、中条の手が映る。揉み合わせると乾いた泥がぱらぱらと落ちた。
「それでも」
静かな声がした。
「まだ可能性があるところで、それを掴む努力を、やめてはいけない」
その声を聞いていると、聞いているだけで、
肩をさすられているわけでもないのに、呉は自分の体が温かくなるのを感じた。
「それが人というものだと思う」
それを聞いて、ああ、と言ってから息を吸い込む。胸の中が熱っぽい空気で満たされる。
「私も、そう思います、長官」
本当に、そう思う。まだ、そう思いたい、というところにいるかも知れないが、
それでも、と中条が使った言葉を真似る。
「うん」
中条がうなずいて、ややあってから、呉を見た。

幾度か、やってきた木の殺人人形を、二人は村人たちが必死で作っている石垣の前に出て、撃退した。
石垣はじりじりと、しかし確実に成長し、ネイの身長を越え、村の女たちの身長を越え、呉の身長を越え、村の入り口に生えている木の丈を越えていった。
二人がおおもとを叩くための旅に出るまであと僅かな夜を数えるだけになった、
そんなある夜のことだった。

中条はまた、あの石の上に立っていた。
黒い不思議な石盤。テレポートの装置?しかし、ただの石だ。この下に複雑な機械類が埋まっているとも思えない。
おかしな村。金属も持たないのに、「向こう」からシズマの「ような」動力を持った人形が殺しにやってくる。
石を削った道具を使って必死になってひいひい言って石垣をつくり、しかしその指揮官の異人は、強制的に別の場所から無理に呼んで、連れてきてしまった…
「君は、この岩を使って、村の皆を別の場所に運べないのかね」
中条は闇に向かって、振り向かず呟いた。
闇の中から、レイが現れた。来ているのをいつから承知していたのか。
レイはかすかに首を振った。
「なぜ」
見てもいないのにその気配を読んだ男に、
「私の力は、人や道具を遠くに運ぶものではない」
「では、何かな。この村の窮状を救う力を持つと思われる人間を、スカウトしてくる力ではあるようだが。人選はどこの誰がしているのだろう。君がかね?」
「…中条」
レイは、最初にこの女の声を聞いた時から変わらずに重く、暗鬱な声と目で相手を遮り、
「頼みがあるのだが」
「何かな」
「お前の子を産ませて欲しい」
中条は向こうを向いたままちょっと俯いたが、それは感情を表す動きではなかったようだ。光を発する虫がやってきて止まったのを払うと、ごく普通の様子で振り返って、
「なかなか魅力的な勧誘だとは思うが、それを言う君の唇がそんなにも憂鬱そうでは、気持ちもなにも萎える」
濃い色のガラスの向こうから、男の目がこちらを観察し、そして僅かに微笑を含んでいる。
それを見て取って、しばしのち、レイはごくごくかすかに、苦笑を滲ませた。
…初めて見るかも知れない、口角を上げたこのおんなの顔だ。
しかしそれはやはり、あまりにも辛そうで、労わりや励ましや同量の辛さこそ浮かんできても、とてもとても劣情の方へ流れてゆくものではなかった。
「そう言わずに、旅立つ前に頼む」
「誘惑というよりは一仕事、という言い方だな。実際そうなのだろうが」
「お前は聡いな」
レイは諦めたように肩を落とし、
「招いた訪人との間に子をもうける。そうやってこの力は引き継がれて行くのだ」
「君もかね」
「そうだ」
「君の父上は誰かな。この村に居るのか」
「もういない」
「なぜ」
穏やかな声の、容赦ない矢継ぎ早の質問に、レイは臆したりはしなかった。隠しておくことがあるわけではないのだろう、あっさりと、
「知らない」
聞いても、村の長老達は教えてはくれなかったのだろう。知る必要もないことだ、という老人達の声が聞こえるようだ。
「死んだのかどうか。多分そうだろう。ここを出て行く所などない。どこかに埋まっているのだろう」
誰かのことを言うようなレイの言葉に、
「あるいは、この辺りかも知れないな」
低く呟いて足で黒い岩を擦った。
いずこからか強制的に招かれた不運な男。村のために尽力し、村の巫女との間に子を設けて、必要がなくなると村の礎となって、自分と同じ運命の新たな訪人を呼ぶ土台石の下に…
あまりぞっとしない光景だ。
呉なら、青くなって震え上がるかも知れないが、中条は「陳腐な発想をするものだ」と自分に呆れただけだった。
「村へ招いた旅人は二人だが。君の子の父親となる役割を振ったのは誰かな。まさかそれは誰かの意思だろう」
「私だ」
中条の眉が僅かに上がった。
「呉先生をふって私に白羽の矢か。何故」
「私はより強い男を選ばなければならない」
「呉先生は私より弱いのかね」
僅かに。
口元が上がった。
「君は眼鏡違いをしている」
「それはどういう意味の言葉かわからないが、おそらく私の判断を非難しているのだろう」
「非難まではいかないが」
レイはわかっているというように首を振って、
「呉はある面では強い。それは私もわかっている。呉はある面ではお前より強い。それは確かだ」
中条はあっさりうなずいた。
「しかし、それがどんな面なのかがわからないのだ」
冗談を言っているような言い草に、中条は珍しく声を上げて笑った。笑いながら相手を見ると、なんだかきょとんとしているようだ。お互い、珍しい顔を披露し合ってから、
「どんな面なのか教えてやろうか?」
そう言われて、レイの目が見開かれ、こっくりと頷いた。本当に、考えても考えてもわからなかったと見える。
中条はレイを見たまま、
「誰かのために、今より更に強く在らんとする心だ。
そこは、私などよりはるかに強い」
そして、と言葉を継いで、
「その一点が変わらず強いのであれば、この先ずっと強くなってゆくだろう」
そうか…という目になった相手に、
「しかし、ならば共同作業は呉先生と行おう、と彼に申し出るのは少し待ってくれないかね」
再び、微笑して、
「この森の『向こう』にいるものを見て、戻って来てからにしてくれ。私としてもその魅力的な権利をあっさり手放すのも惜しい。三者でよく話し合ってからにしないか。問題は微妙だ」
この男の軽口にレイは、結局沈鬱なままながら、再び、暗い湖の面に月が射したような微笑を見せてから、
「解けなかった解答をくれた礼に、お前の申し出をのもう」
「感謝する」
では戻ろうか、と中条は優雅に彼女をエスコートして、黒い石の上からおりた。

[UP:2004/09/28]
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