「待ってください、長官!」
呉は叫びながら詰め寄った。
「足止めするって、あんな数のからくりを、長官おひとりで?」
「他に、戦える人間は居ないからね」
袖を肘のところまでまくり終えて、ちょっと考えてから腕時計をはずし、
「これは君があずかっていてくれ」
真っ白い顔色の呉に差し出し、
「終わったら返してもらう」
そう言われて、
(終わったらって…
終わった時には、長官は)
呉は再び叫んだ。
「長官。無茶です、やめてください」
「呉先生」
中条は口元に微笑を見せた。重い決意や苦渋の呟きならともかく、何を笑うのだ、と呆然とする呉に、
「君が今言ったのではないか。私は決して諦めないと。その君が同じ口で私に、無茶だからやめてくださいと言うのか」
中条の口調は詰問したり責めるようなものではなく、あくまで「おやおや?」と揶揄するような調子だったが、その背後にある大きな大きな覚悟を感じると、呉はそれ以上同じ内容のことを口にできなくなった。
「でも、…」
でも。
あの無数の殺人機械の真っ只中、長官がたったひとりで、戦い、戦い続けて、そして…
少しずつ、疲弊してゆくその上に、次々にのしかかってゆくのだ、まがまがしい殺戮の人形が。
一撃が中条の肩を打ち、のけぞったところであの爪が腕を掴み、容赦無くひねりあげて、
ひきちぎる
呉の顔色が無くなった。がたんと音がして、見ると、中条が今ドアをあけて外に出たところだった。
「長官!」
「もう時間が無い」
優雅に見える仕草で示す。
「先頭はもう、大分行ってしまった。一対無数では、もう少し戦略をたてなければ勝算がない、ガケから落とすとか、集めておいて爆破するとか…だが」
再び、チラと苦笑して、
「そんなヒマもなさそうだ。ただひたすら追いすがって倒し、回り込んで倒すしかない。作戦としては下の下だな」
最後にフ、と低く笑い声をもらし、振り向くと、
「では私は行く。呉先生、」
「ちょうかんっ」
呉は我知らず絶叫していた。
「ダメです!そんなことは!たった一人で、」
   たったひとりで
   まっくろいあくむのなかにのみこまれていく、
   わたしのだいじな
「行かないでください、ダメです、ダメですっ」
わたしのだいじなひとが。
「呉先生」
両側から、肩をがしっと、骨がきしむほどの力で押さえられ、ちょうど「ダメです」と上げていた悲鳴が最後は痛みで裏返った。
叱咤、というにはあまりに冷静な声に
「しっかりしたまえ」
諭された瞬間逆上する。
「しっかりなんかできるものかッ」
わめいて腕をのがれようともがきながら、
「もうイヤだ、もう沢山だ!あんな思いは二度とごめんだ、だから、だからわたしは精一杯、せいいっぱいがんばってきたのに!それなのに!」
涙がふきだした。
ここに飛ばされてきてから今日この日まで、決して中条の前では取り乱すまい、頼られたい、手札に数えられたいが…それはちょっと無理だ。恐怖と混乱をなだめすかすのがせいぜいだ、だからせめて絶対に感情をぶつけてなぐさめてもらうようなことだけはなるまいと思っていた、留め金がとんだ。
「やっぱりだめなのか、わたしは、
わたしのだいじなひとを目の前で失って、打ちひしがれるのがさだめなのか」
泣きながら、喉の限りに叫ぶ。
「イヤだ!
なんでもする、なんだって、わたしの命だって差し出す。だから、長官、」
絶叫する。
「しなないでくださいッ」
「死なんよ」
その言葉が聞こえた、次の瞬間、その鋼鉄のような手は、呉の体を、その手の持ち主のふところに、かかえこんでいた。

強く、強く抱きすくめられる。広い胸は、言うなれば「汗くさい」のだろうが、呉はただ、「長官の匂いだ、」と思った。
力強い腕が背後から呉の体をしっかりと、身動きもできないほど強く、抱きしめ、締め付ける。息ができない。苦しい。だが、呉は苦しくなかった。息がとまっているのだろうか。
大きな手が呉の頭を、その胸に押し付けている。なにもかも、大きいのだ、と改めて思う。こんな形で、このひとの大きさを、実感する時が、
来るなんて想像もしなかった。
何が起こっているのか判断がつかない。
さっきまでの泣きながら逆上している状態を無理矢理停止させられて、反抗しようにも身動きひとつできないし、わめこうと思っても声も出ない。
ただ、呉が押し付けられている胸の中から、心像の鼓動が聞こえてくることだけ、
意識した。
まるで安らかに眠る人のような鼓動だ。
たった今から、死闘などという呼び名も追いつかないような苛烈な戦いにたった一人で出向くというのに。
「………、………」
出ない声で喘ぐ呉の耳に、
「わたしは死なん」
強く、つよく、その声が響いた。
ちょうかん、と口の動きだけでつづった時、

「生きて戻る上司の姿を、君の目に見せてやる」

耳元で、呉が今まで一度も聞いたことの無い声がそう言った。
呉のくちびるがもう一度、ちょうかんと動いた時、フフと笑い声が続いて、
「いや、君の使ったもう一つの呼び方の方がいいな。そっちの方が、やる気が出る。…もう一度、言ってくれないかね、呉先生」
そして少しだけ力をゆるめた。
胸の中で呉が顔をあげる、それだけを許す程度のゆるめ方だったが。
呉は中条の胸の中で顔をあげ、少しの間迷った唇が、動いて、
「わたしの、だいじな」
かすれた声がこぼれた。
目の前の黒眼鏡はやはり、その奥のどんなものも阻んで映してはみせないが、しかし中条は確かに、呉を見つめ、そして微笑し、
「あとを頼む」
そして呉の体を放して、背を向け、森に向かい走り出した。
強く激しい拘束から一気に解き放たれ、呉は一瞬ふらっとなったが、踏み止まり、そして、
「アンチシズマドライブを持って追いつきます」
後ろを向いたまま片手を上げる中条の背に、声の限りに叫んだ。

「ごせんせい」
後ろで、陽の声がした。
呉は、振り向くと、そこにいる老人に向かって、
「腕時計を、お返しします、受け取って下さい、必ず」
何故なのか、中条に告げるべき言葉を告げた。
激しく強いショックを心身に受けたことで、少々おかしくなったのかも知れない。
しかし、この場合、その言葉とその態度で合っていたらしい。本当は、尚も否定と諦めを諭す言葉を口にする筈だったらしい老人は、しばし黙り、
「―――しぶちょうが、おみえになるといったら、あなたはうれしそうでしたね、ごせんせい」
昔自分が使っていた呼び方をした。呉は、その場面の絶望的なほどの懐かしさとはるかさに、言葉を失いながら、相手の顔を見つめた。
「しぶちょうがこわくないのかと、きいたら、あなたは…
こわいといったけれど、それいじょうに、うれしそうだった」
陽の目が微笑んだ。
「ちゅうじょうちょうかんと、いっしょで、よかったですね、ごせんせい…
ちょうかんといっしょなら、きっと、なんねんでも、
いや」
首を振る。
そして、黙ったまま、遠く響く機械たちの立てる音を聞くようにしながら、たたずんでいたが、
「ちがう。
あなたは、
たったひとりぼっちで、さんじゅうねんすごしたとしても、
だれかのために、まえにすすむひとだ。
そこにいる、だれかのために」
あなたはほんとうはつよいつよいひとなのだ、と陽は静かに呟いた。
「さんじゅうねんたって、ようやく、きづきましたよ」
そして、つらくてたまらない笑い方をした。

こちらです、と言われ目の前に差し出されたのは、すっかり古ぼけているアタッシュケースだ。
震える手で、ちょうつがいのガタついているフタを押し開ける。そこには、灯の消えたアンチシズマドライブが横たわっていた。
「…確かに」
これを動かすことが出来れば。
いくら、無数の殺人人形だろうと、シズマのまがいものなど全て停止させられるだろう。黒い制止の波動が行き渡った後で、動いているあの不恰好な姿は一体も見られないだろう。
そうなれば、長官は助かる。
…逆だ。一刻も早くそうしないと、長官がやられる、いや、
長官が、奴ら全て道連れにする。
ぶるりと身震いしてから、一回両手で両頬をぱんっ!とたたき、
「間に合わせる。
今度こそ!」
はっきり言葉に出して叫び、顔をあげ、
「陽、手伝ってください」
厳しい、明快な声でそう命じた。
その時には陽はすでに、手作りで作った工作用の装置や道具を持って、並べていた。

背後から追い抜く者に関しては、どういう対応をするのだろう、と思う。
(そう言えば、その点については調査しなかったな)
そんなふうに思ってからすぐに結果がわかった。追い越された時点でモードが変わった類の音がし、襲ってくるのだ。
(ならばいっそ、背後で起こっている事態に気付いて、どんどん引き返してきてくれると手間が省けるのだが)
しかし、ある一定以上離れてしまった騒ぎに関しては我関せずといったふうに、からくり人形はどんどん森の中を進んでいってしまう。
襲ってくる爪を避け、弾き返し、逃れ、そして打ち砕く。
はっとする。
済んでのところで跳んだ。立っていた場所に爪が数本、いっせいに襲ってきた。
振り返りざま、大木を蹴って跳ね返り、三体まとめて打ち砕いた。
その上に降って来る攻撃まではね返し、倒したところで、中条は一回、
「…ふ、」
息をついた。
が、すぐに腰を伸ばすと、地を蹴って、最後尾の姿を追った。
先頭はもうどこまで行ったのだろう。
走りながら拳の痺れと共に実感した。
(ダメだ)
後ろから追いかけて追いついて少しずつ倒していく、虫食いのようなことをやっている間に、先頭が村に着いてしまう。先刻、考えながら呉に喋ったことだったが、実際、自分が先頭に追いつくより先頭があの石の塀を打ち壊す方がはるかに早いだろう。
「回り込んで迎え撃つしかない」
言葉に出してそう自分に言い聞かせると、中条はからくり人形を追うコースからはずれ、ひたすら帰路を目指した。
ある程度の広さのある場所を探し出して、ぐっと姿勢を低くし、力を矯める。
一気に宙を跳んだ。
眼下に、緑の森をぞわぞわと進み続ける、ものすごい数のからくりたちが見えた。
まるでものが腐食し風化してゆく過程をフィルムで撮って、早回しで観ているような印象だ。
飛翔のような滞空時間の間、それらを見て取って、中条は木々の間に着地し、そしてまた跳躍する。先を探りながら進んでいた往路の何倍かの速度で帰還した。
まだ塀はしっかりと立っていて、辺りは静かだ。これからやってくるジェノサイドなど全く想像もつかない。
いや、もう既に、あの耳障りな音が、かすかに、聞こえている。それは本当にまだ低い音量だったが、決して消えも遠ざかりもしなかった。
確実に近づいてくる。大きくなってくる。
殺人人形の出す死の行進の音とともに、あの不恰好なシルエットが、木々の間にちらと見えた。
拳をもう片方の手で擦った。

自分のような立場にいる人間が白兵戦に出向かわなければならないような、そして勝ち目も終わりも見えない死闘は今までに数度あった。そのうちでも特に最悪だった一回、
(遂に、自前のいまいましい最終兵器のおでましか)
そう思ったことがあった。
胸にあったのは、覚悟などという、潔くかつ大層なしろものではなかった。空々しく、そして陰鬱な、面倒くさいという程度の感情のきれっぱしが腹の中で蠢いているだけだった。
その時には振るわなくて済んだ『最後の一撃』だったが、やがて来るいつの日か、本当に振るう全ての終わりの日が来ても、やはり同じような、茶色く萎びた胸のうちでそれは為されるのだろうと、命拾いをした荒地に立ってふと思った。
そして、
つい先刻まで、『今日がその日か』と思っていた。
こんな、文字通り時間も空間も捻じ曲がった熱帯の監獄で、誰も知らないままに、山ほどのデク人形と運命を共にするのが自分の人生に打たれるピリオドなのかと思っていたのだった。
別段、「九大天王の」「静かなる中条が」いかなる最期を迎えたのか、本来の自分の敵にも仲間にも知られることがないのが、侘しい、という気持ちはなかった。
(そこまで、能天気ではない)
くすりと笑う。
九大天王だろうが国警の支部長だろうがとあるローカルに限ってその名の轟いている有名人だろうが、死ぬ時はただの名もない死だ。
その存在の大きさにふさわしい重さの死などという考え方は無意味だ。死は一瞬で一度きりで重さも長さもない、その状態変化はまったく平等だ。この不公平と理不尽の満ちた世界で、ただ一つ万人に平等なものであろう。
ただ自分は、それと引き換えにできるものの大きさが、常人よりやや大きいというだけだ。
(いや、引き換えではなく、道連れにできるものの大きさだ)
丁寧に言い直す。
全く、最期の自分の側にいるだけで地獄に一緒に連れて行かれる。なんのことはない、ただのろくでもない死神だ。
だが。
今は、そのこれみよがしに『エンドマーク』と書かれたスイッチを押して、全てお仕舞いにする可能性については、考えなくなっていた。
たとえ、これから迎えるのがあの日の地獄を上回るものであろうとも。
(私は、自らこの拳で全て終わりにすることは、すまい)
もう一度拳を擦った。
するものか。
あの男に、私の部下に誓った。必ず戻ると。その姿を見せると。
口が笑いの形になった。
あの男は間違いなく私の部下だ、たとえここが国警もBF団もまだ生まれてもいない世界で、身分の上下も長官も支部長も意味を為さないところでも。
―――
あれほど苛酷なヤスリで砥がれたら普通、もう、感情などすりきれてしまうだろうに、未だに人のために心を砕き心をよせ、両眼から涙を流す部分を持ち続けている、
実は、とても強い男だ。
無表情と黒いガラスの陰で息をついている自分などよりも。
その男は、私の部下なのだ。部下の前で、おめおめと自爆など、恥ずかしくて出来るものではない。
口元の笑いが、『傲然』『尊大』と呼べるようなものになった。ニヤニヤと、不敵に笑い続ける。
ひどく爽快だ。痛快といえるくらいだ。こんな気分になるのも、こんな笑い方をするのも本当に久し振りだ。いや、初めてかも知れない。
自分はこんな笑い方もする、人間だったのだ。
近づいてくる人形の影がはっきりと形をとり、行く手に障害物が―――石の建造物と、どうやらひとりの人間―――立ちはだかっていることを認識した。そして、それらを排除すべく、改めて前進を始めた。
身構え、そしてなんとなく手首に違和感を感じる。時計がないからだ。さっき外して預けたからだ。
(もう一度受け取って嵌め、この違和感を無くす)
己に向かって言い放つ。



これ以上急げないという速度で、修理をしてゆく。呉が何か呟いたところに、
「これを」
差し出されたのは極小サイズのドライバーだった。ありがとう、と言って受け取って、はたと気付く。
それは木で出来ていた。
そう言えば、と思いながら見ると、陽の自作の工具は、半分が木、あとは石と組み合わせたものなどだった。
「ここの木は、とてもみつどがたかくて、組成が、しっかりしているので、しなやかさをもとめられるこうぐには、むしろつかえるんですよ」
陽がそう言ってから、
「ここはおおむかしの、もりですからね、しょくぶつのさいぼうじたいが、われわれのしっているものと、ちがうのです」
「ああ、そうか」
思わず呉は声に出して言っていた。
森の中を懸命に進むうち、周囲にびっしりと生えて自分たちを取り囲んでいる自然が、なにか不自然だ、どこか違和感があると思い続けていたのだが、あれは。
地域的なことでなく、時間的なことだったのだ。
自分は、百科辞典ででも見かけた、太古の密林の予想図と同じものを、周囲に見つけたのだろう。
「大昔の森か」
呟いて、そしてその時不意に、
   もう、帰還は叶わない
ネイの重苦しい声がよみがえった。
(なるほど)
手を動かしながら、ふとその言葉を受け入れた。
真相がわからないままに、恐怖に怯えて泣いたり吐いたりしていたが、わかってしまった今は、
(地理的な移動ならともかく、時間を跳び越えてしまったというのでは、そうおいそれと戻れないだろうな)
ある時のある座標から、無理矢理引き抜いて連れ去ることは出来ても、そっくり同じ場所に戻すことは出来ないだろう、そういうものだろう、という奇妙な納得があった。
それはすなわち、自分が二度とあの世界に戻れないことが確定したということなのだが。
呉は、今は泣く気も、絶望に狂う気もなかった。
それどころではないからだ。
眉を真一文字にし、口をかたく引き締め、ただ懸命に作業にあたっている。
この一分が、今の長官にとってどれほどの長さであるか。
そう思えば、泣く気など起こるものではない。
いや、意識して泣かないようにしているのではない。意識から、『目の前のアンチシズマを修理する』以外の一切が消えていた。
いっときも考え込んだり、首をかしげたりすることなく手を動かし続ける呉をながめて、
「まるで、あなたがつくったかのようですね」
陽が言った。
少しの間ののち、呉は口を開いて、
「ずいぶん昔、もう、本当に、自分の全てを注ぐようにして、」
そこで言葉を切った。息を詰め、微細な箇所を終わらせてから、
「シズマドライブ、というものの製作に、関わっていたので。私は」
かちりと音を立ててはめ込む。
「あの年月、シズマのことだけ考えていた。その成り立ち、その組成…最後にあるべき姿を夢見て、懸命にそれを追っていた。
あの頃、夢で、みました。幾度も、幾度も。
シズマドライブが完成して、湖のほとりの水車を、回している風景を、自分が遠くから眺めている夢を」
だからー…と最後に息を小さく伸ばしてから、
「シズマを打ち消すためのシズマも、どういう原理でつくられているのか、理解できるのでしょう、
他の人よりは」
暫く沈黙が続く中、小さな音が響き、そしてぽたりと水滴の落ちる音がした。呉の顎から滴った汗だった。
その顔を見つめ、その手に必要とされる工具を渡し、
「そんなあなただからこそ、今ここで、そんなにもはやく、これを直せるのですよね」
陽が言った。
呉は、え…と呟いてから、顔をあげ、相手の目を見た。
赤く爛れ皺に埋もれた目が、呉を見つめ、
「そういうかこをもつあなただからこそ、いま、これをだれよりもはやく、直せるのです」
「………、」
返事をしたいと思ったが時間が無い。
呉は懸命に作業に携わりながら、
そういう過去を持つ私だからこそ。
今、誰よりも早く、このアンチシズマドライブを修理できる。
私でなければこんなに早く直せない、
私だからこそこれを直せるのだ、
…長官のためになれるのだ。
最後のその言葉が胸に響いた時、あの遠い昔、中条が静かに、呉の前身を知っていると告げた姿が蘇った。
(長官。)
(わたしは)
目の前の小さな部品が涙で滲んで見えなくなる。慌てて目を擦り、気持ちを押さえつける。
今まで幾度、己のふがいなさを嘆いたか、数え切れない。あの場にいて、自分は一体何が出来たのだ、自分が居たことで、なにかひとつでも良いことがあったのか?
そう問い続け、答えは出ないままだったが、
(あった)
また涙が滲んでくる。必死で擦る。泣いている暇は無い。
しかし、その
(あったのだ)
静かで、たしかな確信は、呉の奥底で熱く、小さな灯となって、熾り、点り続けた。

塀の向こうで、何か、すさまじい戦闘が行われているいようだということは、村の内側からでもわかった。
しかし、誰が助けに行くわけでもない。当然だ。自分たちはひたすら塀の内側で待っていて、その間にあの二人の来訪者が全てを解決してくれるのだ。
そのために呼び寄せたのだし。
「戦闘によって、あの高い壁が崩れるということはないだろうか」
一人が小声で言ったのは村全体の不安でもあったが、かと言って、自分たちには今更なにも出来ない。
ただ、壁のこちら側で、「あっちに行って、戦ってくれ」と祈り願うだけだ。
「レイ」
いつの間にか隣りに来ていたネイに尋ねられ、レイはそちらを見た。
村の入り口に立ち、そこに聳える石の壁を見つめて、
「ゴと、チョーカンは、きっと今そこで戦ってい…」
ドン!ドン!と激しい音がして、声が聞こえなくなった。
「…ないの?」
再び聞こえるようになり、ネイは、なんだって?と訊きかえした。
「二人は大丈夫なの?死なないの?」
後ろから、大人の一人が、
「言っておくけどね、あの二人は、最後には命を捨てるんだよ、ネイ」
「どうして?」
「あの二人は、この村を助けるために呼んだのだから。あの二人の命がなくなることで、ようやくこの村がちゃんと守られたってことになるんだよ」
「それが、つりあいが取れたってことだよ」
「つりあいが」
ネイはつぶやき、それからレイを見上げ、
「そうなの?レイ」
そうなんだよ!と厳しい声が後ろから飛んできたが、ネイはそれには応じず、
「私は、ゴに、生きて戻って欲しいと思ったの。
もう一度生きてゴに会いたいと思ったの。そう思うことは間違いだったの?
ゴは」
困ったように首をかしげて、
「ゴは私たちを助けるためには、死ななくちゃいけないの?
ゴは私に、生きて欲しいって言ったわ。どんなにつらくても、死んだ方がいいようなことの前でも、生きて欲しいって言ったの、その言葉は…
ゴが死ぬから、その代わりに私に生きろっていう意味だったのかしら」
そうなのかしら。
小さい声が次第に、そうなのかもしれない、という方へ流れてゆくのを聞いた時、レイは、
「ネイ」
呼び止めていた。引きとめていた。
「なに?」
「我々はこの村を救って欲しくて呉たちを呼び寄せた。呉たちは我々を、ネイを助けるために旅立った。
けれど」
初めて見る、レイが、迷い、躊躇している顔を、ネイは興味深く見つめ続けた。
やがてレイは、顔をあげ、
「死んで命を捧げる贄としてではない」
そう言った。
ネイの顔が喜びに輝き、背後の大人たちが不審げに、不機嫌そうにうごめく。
そして、村の長である老人達が、無言でレイを見据えていた。

[UP:2007/09/23]
召喚9へ 召喚7へ ジャイアントロボのページへ