「さてと」
 せまい部屋にでかい男ばかり五人、突っ立って、お互いの顔を見る。
 「シングルのベッドがひとつ、と」
 呟いたポルナレフを、呆れたように見て、
 「まさかお前、このベッドの争奪戦だとか言い出すんじゃないだろうな」
 本当に言い出しそうだがなというのが後ろにくっついた言い方で、アヴドゥルが咎めた。
 「いわねーよ!ふかふかのベッドはご老体に明け渡すぜ。明日から腰が痛くて立てないなんて言われちゃ困るからな」
 ふかふかっていうほどのベッドでは…と花京院が小声の日本語で呟いた時、ジョセフが憤然と、
 「何をいっとるか。こう見えても、ごく最近までワイルドにテントで野営も楽しんでおったんじゃ」
 「ごく最近て何十年前だよジョースターさん。無理すんなって」
 冷やかすように笑うポルナレフと、「わかった。床に寝てやる」とムキになるジョセフの間に入って、アヴドゥルが、お前はわざわざそういうことを言うな!ジョースターさん、ええわかってますからベッドで寝てください、と怒ったり宥めたりしている。
 「だいたいじゃな、ワシはまだ労られる歳じゃないんじゃ」
 「そんなこと言ったって、どこから見ても立派なご老体じゃねーか」
 「おいポルナレフ、いいかげんにしろ」
 「ご老体ご老体言うな!この」
 「おい」
 どしっ、とした声が響いて、三人は揃ってこっちを見る。
 承太郎が、つばの下にやたらと威圧感のある目を覗かせて、
 「ヒマな連中だ。さっさと寝た方がいいんじゃねえのか」
 「…そうだな」
 いい大人が、首をすくめたりあさっての方を見たりしながら、散開する。花京院がうつむいて笑った。

 暗闇にごろり、と音がして、
 「うぉ〜寝苦しい!おい、この床、異様に硬くねーか!?」
 「床というのは普通、硬いものですが」
 「やかましい。偉そうな口をきくなおめーは」
 「ポルナレフ、ぎゃーぎゃーわめくな。さっぱり寝られない」
 「ああー申し訳ありませんね。静かにしてりゃぐっすり寝られるてんなら、寝てみせろってんだ」
 ふんと荒い鼻息が闇の中響き渡った。
 「お前が暴れるとおれの頭を蹴るんだ」
 「頭ー?あっちにやれ。足くらい伸ばさせろ」
 「こっちはもう一杯だから来るな」
 承太郎のぶすりとした声がした。
 「うう〜、寝苦しい〜」
 ごろり。ごろり。ごん。
 何かがぶつかった音の直後、
 「いてぇ!」
 「お前な、さっきからなにを…」
 「べ。ベッドの足に頭。ほーいてー、頭へこんじまったぞ多分。う、う」
 ぷ、と吹きだした後、くくくと笑っている。
 「かきょーいん!おめー、俺と場所代われ!」
 「構いませんが、どこでも同じですよ、床の硬さは」
 「うるせぇ!違う。違うといったら違う」
 一同より少し高い位置から、
 「やーれやれ、にぎやかじゃな。とても、明日からDIOの館を探しに出るという夜には思えん」
 「全くです」
 二人の声が同意し、なんだよと一つの声が不平を漏らし、ふん、と最後の声がしめた。
 本当に、この日を、どれだけいろいろに想像したことだろう。カイロに到着し、さあDIOの館まで本当にあと、一歩というところまで来た。比喩ではあるが、現実とそう遠い比喩ではない。一歩の先の何歩かを歩けば、そこにDIOの館がある街なのだ。
 疲労と焦燥の中、最初の夜はほとんど眠れないかも知れない、と思ってもみた。闇の中にあの金髪の影を形作って、怒りと恐怖とに苛まれつつ、それでも懸命に悪夢をかきわけながらの眠りを手にする…
 のかと、思ってみたのだが。
 現実には、床の硬さと部屋の狭さに苛まれつつ、両隣りで寝ているでかい男をかきわけながらの眠りを手に、できないでいる。
 「でも、いいと思います。なんだか」
 花京院が笑いながら言った。
 「この街に着いて最初の夜が、こういうものだっていうのが、いい感じですとんと、肩から力を抜いてくれる気がします」
 「うん。そうだな。ガチガチに緊張して、天井を睨みつけて寝れば、いい結果が出るというわけでもない」
 「床はガチガチに硬いけどな」
 「うるさいぞお前は」
 誰かがはぁとあきれたため息をついた。
 「そうじゃな」
 ジョセフがゆっくりと、その言葉をかみしめた。
 「この街に着いたんじゃな。本当に、遥かな気がする。あの時から…」
 言いかけて、思いが迫ってきたのか、喋り出すと収拾がつかなくなると思って堪えたのか、言葉を切った。
 その沈黙を、各々が胸で共有する。ぐっと、腹の底が熱くなる。
 ジョセフが、いくらかの煩悶の後、ゆっくりと言葉を選び、
 「絶対に、大丈夫じゃとは、言いきれない、のかも知れないが…」
 「絶対だぜ」
 明解な声がきっぱりと闇の中に、銀の軌跡を描く彼のスタンドのように響いた。
 「俺たちはここまで来た。ここまで来たんだ。絶対に館を見つけ出す。そしてあのくそったれ野郎を倒す。あの子たちの仇も討つ。絶対に、だ」
 「うん」
 「うん」
 「…」
 三人が同意し、そうじゃなともう一度ジョセフが言った。
 「あと、一歩じゃ」

 翌朝、一同はホテルのロビーに集まった。娘らは行き止まりになっていた壁に新しい道が拓け、久し振りにぐっすり眠ったらしく、溌剌とした目をしている。
 「いやあ、青空と太陽の下で改めて見ると、実際五本の指の二本って感じの別嬪さんだぜ、二人とも」
 ポルナレフがぺらぺらと言って二人を眺める。姉はふふふと笑って、
 「五本の指って何の五本なのかしら?ポルナレフのイイひとの?」
 「あいた」
 そんな会話をかわす後ろで、妹は赤くなって小さくなっている。
 男たちの方は言うまでもなく、寝不足でございという顔をしているが、別段この程度のことで何か言うでもない。微笑んで、おはよう、よく眠れましたか、体調はどう?などと話し掛けてくる。
 「ではこれから、手分けしてこの館を探す。見つかっても見つからなくても、昼には一度ここに集まろう。何かあっても絶対に一人では追跡したり入り込んだりしないように。わかっとるな」
 全員がうなずいた。
 「では解散」
 一同は散った。
 「なぁ、あの子たちだけで行かせるのはやっぱり危険なんじゃないのか?なんなら俺様が」
 本当に心配しているのと、なにやらな下心の両方でそういうことを言う男に、ほらというようにアヴドゥルが顎をしゃくってみせた。
 へ?と言ってそっちを見る。
 「ミリア、どっちから行ってみる?」
 「そうね。…あら」
 小さな声を上げた。二人の足元にイギーが居て、猫のようにぐるりと8の字を描いてみせた。
 「あなたも、私たちと一緒に行くの?」
 ミリアが抱き上げて尋ねると、ワン!と返事があった。
 「なんだよ、あの犬!抜け駆けしやがって!」
 「まあ、いいボディガードというところだな。あいつが一緒に行ってくれるなら、まあ安心していられるだろう」
 「そういや昨夜もちゃっかりあのコたちの部屋に泊まりやがったぞ。犬のくせになんて手の早い野郎だ。畜生」
 「しつこいな、お前も」
 呆れられる。

 地図を片手に、幾人も幾人もの相手に尋ねる。この館を知らないか。夜の間に、こういう男を見なかったか。
 この頃、行方不明者が多発しているなどという事件はないか。
 変死体が発見されたという話は聞かないか。
 時には金を見せ、時には絡まられる。時には何か買えと暗に言われ、二束三文のガラクタを買い、やっぱり知らないと言われる。あるいは、その館ならどこそこの先にあったような気がすると言われ、行ってみると違う。延々と、その繰り返しだ。
 ケーサツに行って、この建物を探しているんですがと聞いて教えてもらえるなら、どんなにか楽なのだけれど。
 ジョセフは小さな日陰に入って、息をつく。
 焦るな。落ち着け。かぎられた空間の中を網を持って狭めていっているのだ、いずれ必ず見つかる。物理的にいって絶対に…
 そこまで考えてぎくりとする。
 ひょっとして、やつはこの建物ごと、移動しているのではなかろうか。わしらの動向を、この建物のてっぺんから眺めながら、ひょいひょいと街の中を、逃げ回っているのでは。
 そういう能力を持っていないと、何故言える。
 それを知っていて、この街の連中はあんな顔で「知りませんや」「さてねえ」などと言っているのではないだろうか。
 この街の連中は全員DIOの手下で…
 今そこをひょいと曲がってきて、わしをじっと見ている、あのあどけない顔をした娘も、
 DIOさまのてきは、いずれころしてやるから。
 そんなことを考えているのだろうか。
 ジョセフの視線をしばらく受けていた娘は、やがてふいと顔を背け、どこかへ走って行ってしまった。
 へんなおじさん。じっと見て。どこのくにのひとかしら。
 そう、思っているのだろう。多分。
 …もうへたばったのかわしは。しっかりしろ。
 ジョセフは額に浮いた汗を義手でない方の手で拭った。もう、ずっとこの高温の中にいて、汗もあまりかかなくなっている。順応したのだろう。
 何にせよ、「順応できない」人間が、して来られた旅ではなかった。
 「どれ」
 昼まで、あと少しある。もう少し聞いてみようと、ジョセフは日陰から照り付ける太陽の下に出た。

 「もう時間だわ。一回戻りましょう」
 ミリアに言われ、ちょっと不服そうに口を尖らせたアーニャだったが、そうねとあっさり言って、くるりと方向を変えた。
 「見つからないわね」
 「そうね」
 何か気持ちの明るくなることを言おうと思っても、そうそう出てこない。
 「あら」
 姉が声を上げたのでそちらを見ると、横の道から花京院がやってくるところだった。相手も気づいて、微笑む。
 「お疲れ様です」
 「どうだった?何かあった?…なさそうね。あったら真っ先に言うものね」
 相手の微笑が苦笑になった。
 「ホテルへ戻るところですか?」
 「そうよ。あなたも?」
 「ええ。一緒に行きましょう」
 そう言って、さりげなく、二人をエスコートする仕種を見せた。
 ふうーん、と言いながら自分をじろじろ見るアーニャに、
 「なんですか?」
 「東洋人はあんまり、女性への気配りがうまくないって思ってたんだけど。それにあなた、随分若いのに。カキョーインは幾つ?」
 「17です」
 ちらとミリアが花京院を見た。
 「あら。妹と一緒なのね」
 「そうなんですか?」
 花京院に見られて、ミリアははい…と小さな声で言って、何故だかすみませんと付け加えた。
 「では、アーニャさんは…お聞きしてもいいですか」
 「19よ。いやね、歳くらい聞いてもいいわよ。本当に礼儀正しいのね」
 うふふと笑う。姉の笑顔は本当に綺麗だと、妹は思う。力に満ちたこの国の太陽の光にも負けないほど、艶やかで、華やかだ。彼女の咲かせる炎の花は、彼女の魅力のありかたを、雄弁に物語っている。激しくて華麗でエネルギーに満ちた、目とくちびると声とは、見る男全てを虜にする。
 羨んでも仕方がないと、随分前から思ってきた。自分には姉のような容姿は備わっていないのだし、思うだけ無駄だ。
 そんなことを考えながら、つと視線を伏せた時、
 「ごめんなさい。あたし、先に行ってやることがあるの。カキョーインは悪いけど、妹を連れてきてくれる?」
 ミリアは仰天したが、花京院はすぐにええいいですよと応じた。
 「じゃ、また後で。ミリア、」
 姉はふふと笑ってみせて、イギー、いきましょと犬を抱え上げ、軽やかに走り出した。慌てて声を投げたが、勿論振り返りもしないし、聞こえるふうでもなくさっさと行ってしまった。
 「足の速いお姉さんですね」
 冗談を言っているのか、本気で言っているのかわからないことを言われ、ええまあ、ともごもご答える。この青年と二人きりになってしまったという現実が徐々に実感されてきて、かぁーと頭に血がのぼる。次に何を言ったらいいのか全然思いつかない。
 どうしよう。何か楽しく会話を繋げなくちゃ。姉さんみたいに。
 歳、の話はもうしてしまった。
 すたんど、のことを聞いてみようか。でも、あまり人に話したくないかも知れない。私がそうだ。
 今まで渡ってきた旅のことを聞いてみようか。でももし、旅の途中でポルナレフさんの妹さんみたいに、誰かを失っていたりしたら、ひどく不躾な質問になる。
 どうしよう。どんどん時間が過ぎてゆく。沈黙が刻々と肩にくいこんでくるようだ。
 ………
 愛想のない占い師だね、何かこっちを気持ちよくさせることの一つも言えないのかい?
 ぶすーっと石像みたいに座ってないで、にっこり笑ってお酌くらいしてくれよねえちゃん。
 何度も、言われた。
 でも私は、場を明るく楽しくすることが出来ない、口下手だし人前では緊張するし、姉さんみたいにはとてもいかない。
 このひとも、無愛想な子だと思っているだろう。そう思うと、悲しくなってくる。涙が出そうだ。それはとにかく我慢しなければ。黙りこくった挙句に泣き出したりしたら、無愛想どころかヘンな子だと思われてしまう。
 必死で自分を叱咤している、その隣りから、
 「随分、大変なみちのりだったのですね」
 穏やかで、クールな感触の声がした。冷ややかなのではない。感情移入過多にならず、ただ事実をそのまま受け止めて、感想を述べたという感じの口調だ。
 「僕も生まれついてのスタンド使いです。人に言えない苦労という点なら、ある程度は経験してきたと思っていましたが」
 かすかに首を振って、
 「あなた方の乗り越えてきた苦労の大きさは、僕には多分想像も出来ない」
 本当に静かな声だ。大袈裟な感情表現は何もないが、心からそう思い、賛嘆しているのが、伝わってくる。
 ミリアの、緊張でこわばり自分を責めて冷たくなっていた胸が、温かくほどけるのを感じた。その気持ちのまま、素直に口を開く。
 「ありがとうございます」
 相手はまた首を振って、はい、と言った。その仕草に励まされた気がして、
 「でも、乗り越えるしかなければ、結構乗り越えられるものです」
 続けてそう言ってから、
 「ごめんなさい、偉そうなことを言いました」
 すぐに赤くなって謝る。相手は怪訝そうに、
 「いいえ?謝るようなことは何も言ってはいないでしょう?本当の、苦労というものを乗り越えた人だけが、言えることだなと思いましたよ」
 「そんなこと」
 必死でぱたぱたと首と手を振り、
 「いつも、姉が庇ってくれてここまで来たんです。私は、なにも」
 「よぉう」
 突如後ろから声がかぶさってきた。本当に、並んで歩いていた二人の両肩に、わしーっと体重をかけてこられて、二人はふらついた。
 「っと、ふざけないで下さいポルナレフ」
 「なんだよ。二人でラブラブか?ずるいな。俺もまぜろ」
 慌てて顔を向けたミリアのすぐ顔の前に、ポルナレフの青い青い目があって、彼女の目を覗き込んできた。
 かぁと顔を赤らめて慌ててそらす。
 ふーん。妖艶で派手やかな姉さんもいいけど、清楚で可憐な妹も、なかなかいい線いってんじゃないの。いやほんと、マジメに。
 勝手にそんな点数をつけてふむふむ言っている男を、肩から叩き落として、
 「いつまで寄りかかっているんです。暑い」
 「なに怒ってんだよ。ミリアちゃんが俺を見て赤くなったからって妬いてんのか?」
 僕は別にそんなことは何も言ってない…と言いかけて、
 娘が困りきった顔でうろうろと目を泳がせ、いたたまれない様子でいるのを咄嗟に見て取り、
 「…よくわかりましたね」
 そんな言い方に切り替えた。ミリアの目がはっとしたように止まる。
 「ははん、やっぱりな。でもな諦めろ。ミリアちゃんはこの俺様のことがスキなんだから」
 「勝手に決め付けては、ミリアさんが迷惑しますよ」
 「そんなことあるか。なぁミリアちゃん?」
 ミリアはえと、あの、と言いながらそろそろと顔をあげ、男二人がニコニコして自分を見ているのとぶつかって、更に赤面するとあさっての方を向いてしまった。

 「やれやれ、こうでもしてやらないとあの子、カキョーインと二人で話をするなんて絶対無理なんだから。本当に世話が焼けるわね」
 アーニャが楽しげにそう言いながら、ねえイギー、と胸の中の犬に話し掛ける。
 「端から見ていれば何を考えてるのかすーぐわかっちゃうわ。あの子、磨けば可愛いんだから、もっと自分からアピールすればいいのに」
 あんたがその隣りでアピールしまくってるから、出鼻をくじかれるんじゃないのか、とイギーは言ったが、勿論伝わりはしなかった。
 「あんたもそう思うでしょ、イギー。でもちらっと見たけどあの二人、結構お似合いじゃない。ねえ?ふんふん、いい感じよね。カキョーインならあちこちちょっかい出して歩いたりしないだろうし。ポルナレフはその点ちょっと危ないからね。妹には薦められないわ」
 うんと一人で勝手に決めて、
 「あの子には安全で安心な相手でないと」
 だから、あんたがそうやって決めてかかってるから話が進展しないんじゃ…とイギーが言いかけると、
 「そうよね。あんたもそう思うわよね。あたしがちゃんと見て、判断して、お膳立てしてやらなきゃいけないんだから、本当に手間がかかるわ。困った子」
 イギーはあきれて黙った。こりゃあの子、レンアイなんかするのは当分先のことだな。人間は犬より長生きすると言っても、早くしないとひからびちまうのに。
 「ねえイギー、そういえばカキョーインて決まった相手はいないのかしら?」
 いないんじゃないのか。知らないよ。
 「あのひと礼儀正しいから、自分に決まった相手がいても女性にはきちんと相手をするってことで、ミリアがのぼせあがったりしたら、困るものね。今度さりげなく聞いてみよう」
 あんたの場合は全然さりげなくないよ。
 会話になっていない会話を交わしながら、ホテルの近くまで来た時だった。
 「ちょっと、ちょっと、おねえちゃん」
 後ろから声をかけられ、全くわかりきった、という動作で、
 「ごめんなさい今忙しいの。つきあってあげる暇はないわ」
 振り向きながらそう言った。そこに立っていた、いかにも現地人という男は目をぱちぱちさせ、
 「悪いけどナンパじゃないんだよ。してほしいならしてもいいけど。あんたにこれを渡してくれって言われたからさ」
 「なによ。失礼しちゃうわね」
 怒鳴りつけて相手の手からその、手紙のようなものをひったくる。相手はひひひと笑ってどこかへ行ってしまった。
 「ふん。…でもなにかしら?」
 随分上等の紙だ、と最初に思う。高級ホテルの電話の脇に置いてあるメモパッドという感じだ。四つに折ってあるのを広げ、
 思わず体が硬直した。イギーが驚いてアーニャの胸から飛び降りた。
 アーニャの目は紙面にくぎづけになっている。かすかに、体が震えているのが、下から見上げたイギーの目に映った。
 かすれがちな薄い筆跡で、のたくるように字がつづられている。
   『今夜 町外れの広場にこられたし
        鍛冶屋の娘たちへ
                   バルサック』
 やつだ。
 やつからの手紙だ。
 とうとうやつから連絡をしてきた。
 気が遠くなるほどの熱い感情が、胸の中で渦巻いている。ああ、この名、幾度胸で口の中で呼んだだろう。やけつくような憎しみを込めて。
 手紙を握り締めて背後を振り向き、妹のところへ行こうとした。と、
 はるか向こうの道の上を、左右を花京院とポルナレフに挟まれて、真っ赤になってうつむきながら、一生懸命何か話しているその姿が目に入った。
 花京院がなにか話し掛ける。必死でそれに答えながら、ちらっと見上げ、またすぐ伏せる。
 しかし、真っ赤なその頬には、姉が見た事のない幸せそうな光が射していた。
 その妹が顔を何度目かに上げて、こちらを見た気がした。咄嗟に、アーニャは手紙を胸の谷間に突っ込んで、さりげなくホテルまで戻ると、中に入った。
 それから間もなく、三人がロビーに入って来た。ミリアが慌てて駆け寄ってくる。
 「姉さん、勝手に一人で行ってしまうんだもの。私困ったわ」
 小さな声で必死で抗議してくる。
 アーニャは艶然と微笑んで、
 「素敵な殿方二人にエスコートしてもらって、良かったじゃないの。もてもてね?羨ましいわ」
 「姉さんたら」
 「お、お姉さんの方もこれまた、ナイスな眺めだな」
 あまりにも正直にそう言って、ポルナレフが鼻の下を伸ばし、アーニャのしなやかな肢体をさらりと眺める。ありがと、ムシュー、と言って、ちょっと胸を突き出す仕草をしてみせる。
 胸の中の手紙ががさと音を立てて、一瞬どきりとした。ポルナレフは全く気づかず、おほほ〜などと言っている。その後ろからぼかっと殴られてかくんとなる。
 「何バカなことをやってるんだ」
 アヴドゥルが言い、それからすぐにジョセフが戻ってきた。最後に承太郎が入ってくる。
 「全員戻ったようじゃな。何か報告のある者は?」
 めいめい、自分が担当した区域について気づいたこと、聞いたことなどを話し合うが、目立った情報はなかった。
 「君たちも何かないかな?」
 尋ねられて、アーニャは、
 「残念だけど、なにもないわ」
 普通の態度でそう言った。足元で、イギーがじっと彼女を見ている。

 姉の様子がおかしい、と妹は午後になって思った。
 一言で言えば、うわのそらという感じなのだ。さっき見て回ったばかりのところへ行こうと言い出したり、話し掛けてもぼおっとしていたりばかりしている。
 姉さん、何かあったの?と尋ねようと何度か思いながら、つい思いとどまる。
 何か気になることがあるのなら、自分に言う筈だ、そうに決まっている。
 それなのに言わないで、一人で考え込んでいるのだ。尋ねて、答えてくれるとは思えないし、むしろ隠そうとするかも知れない。
 しかし自分は一日姉と一緒にいた。姉が見たものは自分も見たし、聞いたものは聞いた。姉だけが気づいたことがあったとは思えない。
 そうだ、ともう一度考え直す。
 何かあったのに、私に話してくれないなんてこと、ある筈がないわ。姉さんが。
 疑ったりして悪かったと、妹は思い、
 「ごめんなさいね、姉さん」
 そう言ってみたが、何が?とは聞かれなかった。向こうを向いたままの姉の耳には入らなかったようだ。妹は再び顔をくもらせた。

[UP:2003/12/07]
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